一神教は非常に危険な宗教だと思っています
しかし、その神をどのように信仰していくかは
その人の性格にかなり左右されると感じています

高山右近、キリシタン以前に、武士だったのですな
(2008年05月13日 01時36分54秒)

2008年05月11日
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カテゴリ: 戦国武将たち


高山右近についてです。

右近の父は、摂津国三島郡高山庄(現在の豊能郡豊能町高山)の国人で、
高山飛騨守と名乗り、松永久秀、次いで、和田惟政に仕えました。

飛騨守は、最初、キリシタン反対派の急先鋒だったのですが、
宣教師と論争をしているうちに、逆にキリシタンに好意を持ち、ついに洗礼を受けます。
洗礼名は、ダリヨ。
翌年には、嫡男の右近も洗礼を受けます。
洗礼名は、ジェスト。 高山右近12才の時のことでした。

元亀2年(1571年)。
飛騨守は、和田惟政の支配下にあって高槻を治めていましたが、
この年、主君の惟政が突然戦死します。
息子の惟長が後を継ぐことになりますが、その後、内紛が起こり、
結局、飛騨守が高槻城主となりました。
高山氏が、勢力を伸ばし始めたのは、この頃のことでした。

元亀4年(1573年)。
飛騨守の隠退により、右近が高槻城主となります。
飛騨守は、この後、庶民にキリスト教を布教して廻っていますから、
飛騨守は、伝道活動に専念したかったのでしょう。
高山右近、この時21才。

天正6年(1578年)。
信長配下の摂津守護・荒木村重が、毛利方に寝返るという事件が発生します。
この時、右近は村重の与力となっていたため、
高槻城は、織田信長の軍に包囲されました。
右近は、村重と信長を和解させようとしますが、信長は受け入れません。

怒った信長は、開城を要求。
さもなくば、キリシタンを皆殺しにし、教会を焼き討ちすると宣告してきます。
右近は、悩んだ末、信長方につくことを決意。
所領の加増と、キリシタン保護の約束をとりつけて、高槻城を開城しました。
信長の下に下った右近は、引き続き高槻城主を続けることを承認されます。

信長は、全般的にキリシタンに対して好意的だった人で、
キリシタンを保護し、安土にも教会を建てることを認めるなど
キリスト教が広まっていく機運が高まっていました。

そうしたなか、右近も、領内のキリスト教布教について、
さらに、力を注いでいきました。

当時、高槻では、領民の8割近くがキリシタンになったといわれ、
領内には、20にも及ぶ教会や、
天主教会堂、セミナリオ(神学校)も作られました。

また、右近は領主とは思えないほど、謙遜な態度で領民に接していたといわれ、
ある貧しい者が亡くなったときには、右近が、その棺をかつぎ、墓を掘ったという話も残っています。
これを見て感激した家臣たちも、争って鍬を取り、墓を掘ったそうです。

当時、高槻は、日本でも有数のキリシタンの町となっていたのでした。

一方、この頃の右近は、茶の湯をたしなみ、
こちらの分野においても、名前が知られるようになっていきました。
「南坊」と号し、千利休に弟子入りし、
利休七哲と呼ばれる、千利休高弟の一人となっていきます。

その後、時代は進み、本能寺の変、山崎の合戦があり、
信長に変わって、豊臣秀吉が天下人となりました。
大坂城を築城し、徳川家康とも講和、四国を平定します。
政権の基盤が固まってきたところで、秀吉は諸大名の配置換えを行いました。

高槻にいる高山右近も、秀吉から配置変えを命じられました。
天正13年(1585年)明石への転封です。
右近は、新たな領地明石でも、キリシタンを中心とした町づくりを手がけていきます。

そんな折、右近の生涯を一変させる事件が起こりました。
天正15年(1587年)
秀吉による、伴天連追放令です。

秀吉は、右近に使者を送り、
キリスト教の棄教を命じ、右近の神社仏閣破壊行為を糾弾しました。
これに対して、右近は、
「予はキリシタン宗門と己が霊魂の救いを捨てる意志はない。
どうしても捨てよとの仰せならば、領地、並びに明石の所領を関白殿下(秀吉)に返上する。」
と回答。

右近は折れるだろうと、思っていた秀吉にとって、右近のこの回答は意外だったのでしょう。
説得のため、今度は千利休を右近のもとに送ります。
しかし、右近は師の説得をも聞き入れませんでした。
「キリシタン宗門が、師、君の命よりも重いかどうかは分からないが、
一旦、志したことを変えず、志操堅固であることが武士の心意気である。」
右近は、利休にそう話したといいます。

右近追放。
この報は、すぐさま武将の間に広まりました。
秀吉の命に従うよう右近を説得する者も少なくなく、
結局は、小西行長が右近の身をかくまうことになりました。

その後、秀吉の勘気が緩んだのを見た前田利家が右近のために奔走。
右近は、前田家に召抱えられることになりました。
高山右近、この時36才。
その後、25年以上の長きにわたり、重臣として加賀・前田家に仕えることとなります。
ただ、前田利家、利長親子はキリシタンに好意を持っていたといわれていて、
右近は、新天地の加賀で、キリシタン信仰を続けていきます。

時は流れて、
慶長19年(1614年)。
ちょうど、大坂冬の陣が始まる頃のこと。

徳川幕府が、キリシタン追放令を出しました。
幕府内部のキリシタンを弾圧し、
また、対象となる日本国内のキリシタンの名簿も作られました。
そして、その中には、加賀にいる高山右近とその一族の名前も入っていたのです。

その情報を入手した前田利長は、家臣に命じ右近に棄教を勧めるよう説得させます。
「表向きだけでも信仰を捨てよ」「せめて子や孫たちを棄教させよ」。
しかし、右近は既に殉教を覚悟していたのでしょう。
今回も、説得に耳を貸すことはありませんでした。

右近一族は、幕吏によって捕らえられ、長崎へと向いました。
右近たちは、マニラへ追放ということに決定されます。
やがて、イエズス会宣教師ら100人とともに長崎を出帆。
マニラ到着まで、小型船に詰込まれたままの1カ月の間、
悪天候と食糧難で死者まで出る状況の中を、航海が続きます。

しかし、マニラ到着後、右近は高熱を発して床に伏し、
ついに、帰らぬ人となりました。
慶長20年(1614年)享年63才。

右近の遺骸は、マニラの教会に葬られました。
遠くバチカンにまで聞こえた右近の名は、マニラでもよく知られていて、
マニラの人々は手厚く右近を弔ったといいます。


高山右近という人は、潔癖すぎるほどの性格の人だったようで、
それが、その信仰の深さともあいまって、こうした生涯を送ることにもなったと思われます。

高槻カトリック教会にある、高山右近像の台座には、
「私によって生きるのはキリストであり、死は利益である。」
という聖書の言葉が刻まれていました。

右近にとって、死とは神のもとに行けることであり、
そうした意味では、右近の生涯は、思う存分信仰に生きた、
幸せな生涯であったのではないか、と、そんな思いすらしてきます。





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最終更新日  2008年05月13日 22時48分53秒
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神・・  
人によっては、、その神も様々だと思います。

高山右近にとっての神は、、
キリストだったのですね。

この時代だからこそ、、キリシタンの道を選んだのかも知れません。

戦国の世、、
親子でさえ、、殺し合う時代です。

その中で、、
彼の心を捉えたものは、、なんだったのか?
知る由もありません。


ただ、、
戦人(いくさびと)としての彼の心に
普通人(ふつうびと)として生きたいという願いが
湧き上がったのではないかというのも、、
分かるような気がします。

殉教者としての道を選んだ彼の心に
嘘偽りはなかったと思います。

ただ、、
彼の死後、、
マニラから、、
日本に帰ったといわれる家族の心根を思うとき、、

彼の選択は、、どうだったのか?

家族の想いは、、どうだったのか?

神という名の存在は、
一つであって、、

一つではないと

改めて、思いました。


私の神は、、
大宇宙という存在です。

余りに大きく
余りに小さい

私の心の中にあるように思います。

高山右近の生涯、、
お教えいただき、ありがとうございました。

感謝を込めて・・



(2008年05月11日 19時13分54秒)

Re:高山右近の生涯(05/11)  
『飛騨守は、最初、キリシタン反対派の急先鋒だったのですが、宣教師と論争をしているうちに、逆にキリシタンに好意を持ち、ついに洗礼を受けます。』

なんだかキリスト教のパウロみたいですね。

『「表向きだけでも信仰を捨てよ」「せめて子や孫たちを棄教させよ」』

なんだか、前田利長の気持も分かるような気出しますね。

遠藤周作の『沈黙』を読んだことがありますか?
私は学生時代の読んで、あまりの壮絶さにクリスチャンにはなれないと思ったりしたものでした。

結婚してから5年ほど教会に通っていましたが、クリスチャンになる機会はまだありませんでした。

高山右近のような人がいたから日本人にもキリスト教の素晴らしさが伝えられ今でも続いているのでしょうね。

自分の宗教をもてるというのは本当意味での幸せなのかもしれませんね。





(2008年05月11日 22時28分56秒)

Re:神・・(05/11)  
夢見るハリーさん

戦国時代の、特に戦国武将は死とは隣りあわせの毎日を過ごしていて、宗教にはとても思い入れが強かったように思います。
戦国武将は、キリシタンばかりでなく、法華経信者や一向宗の信者も多かったようです。

その中でもキリスト教は、絶対的な唯一の神を戴いていて、求心力があり、これまでの日本にはない、とても強い宗教だったのだと思います。それだけに惹かれていく人も多かったのだと思います。

右近自身は、自分の選んだ道に対して、おそらく何の後悔も迷いもなかったように思います。
その子どもや家族はどう思ったか、それはよくわかりません。マニラに送られる前、右近の子どもたちについては、マニラに行かなくて良いと役人から言われましたが、一緒にマニラへ行くことを選んだようです。
本心がどうだったかは、わかりませんが・・・。
でも、真のクリスチャンとしての信心があったなら、納得していたようには思います。

私の母が敬虔なクリスチャンだったこともあり、
私自身は、クリスチャンの生き方に、共感まではできないですが、その気持ちは理解できるような気がしています。


(2008年05月11日 23時25分59秒)

Re[1]:高山右近の生涯(05/11)  
レーナマリアさん

>『飛騨守は、最初、キリシタン反対派の急先鋒だったのですが、宣教師と論争をしているうちに、逆にキリシタンに好意を持ち、ついに洗礼を受けます。』

>なんだかキリスト教のパウロみたいですね。

坂本龍馬が勝海舟を斬りに行って、逆に説得されて弟子入りしてしまう。
次元は違いますが、この話も似たようなところがありますね。

>『「表向きだけでも信仰を捨てよ」「せめて子や孫たちを棄教させよ」』

>なんだか、前田利長の気持も分かるような気出しますね。


常識的には、全くその通りですよね。

>遠藤周作の『沈黙』を読んだことがありますか?
>私は学生時代の読んで、あまりの壮絶さにクリスチャンにはなれないと思ったりしたものでした。


若い頃に読んだはずですが、ほとんど内容を覚えていません。

>結婚してから5年ほど教会に通っていましたが、クリスチャンになる機会はまだありませんでした。

>高山右近のような人がいたから日本人にもキリスト教の素晴らしさが伝えられ今でも続いているのでしょうね。


日本のキリスト教の歴史は、過酷な試練の連続ですね。キリスト教の教え自体が、そうした試練に対して挑戦的であったような気もしますが。
確かに、そうした積み重ねがあって、今の日本のキリスト教があるのだと思います。

>自分の宗教をもてるというのは本当意味での幸せなのかもしれませんね。
-----

何があろうとも、自分の進む道は正しいのだと信じることが出来る、、こうした力は凄いパワーであると思います。 そう信じて、納得して生きられるということは、幸せなんだろうと思いますね。

(2008年05月11日 23時53分00秒)

お母様は、、  
敬虔なクリスチャンなのですね。

私、、
キリストに惹かれます。


でも、、
今世の私は、、

鬼子母神としてのお役を頂きましたので、
それを、、全うしようと思います。

数年前、、
クリスチャンになる道を選ぼうとしたことがあります。

そんな私が、、
2006年4月に、、不動明王様のお告げをお聴きして
今世は、、
お告げのままに生きることを選択しました。

心は自由ですから、、

ある時は、、キリストの想い、マリア様の想い、
ある時は、、仏陀の想いにふれながら、、

生きていきたいと思います。

うふふ^^
無節操な私でございます。

坂本龍馬さんのご子孫は、、
クリスチャンになられた由、、

もっともっと、、早く知っていたら、、

なんていうのは、、詮無いことですね。

ではでは、、
お休みなさいZZ・zzz


(2008年05月12日 22時56分06秒)

Re:お母様は、、(05/11)  
夢見るハリーさん

神や仏というけれど、それは真理を表現したもの。
キリスト教であれ、仏教であれ、その説いている真理は同じもの。
表現方法と解釈が違うだけで同じことを言っている。
・・・・・ とは、私の父の説です。

日常の話題の中でそんな会話している変な親子です。
それでは、おやすみなさい。
(2008年05月12日 23時17分27秒)

慶次は  
慶次2000  さん

秀吉も右近は特別あつかいでしたね  
徳川幕府も。武将としての右近を重んじていましたし、惜しみますよね。
そこでマニラ追放となったのかな?
(2008年05月13日 18時43分25秒)

Re:慶次は(05/11)  
慶次2000さん

一神教は、すごくパワーを持っているように思います。
近代から現代に至る社会を牽引してきたのは、キリスト教世界。
でも、それが正しかったのかどうか、、
現代社会の歪みや行き詰まりも、それに起因するようにも思います。
今、東洋的な宗教のありかたが見直されてもいいと思います。

(2008年05月13日 22時30分22秒)

Re:秀吉も右近は特別あつかいでしたね(05/11)  
ゆうあいママtosaさん


秀吉も右近を追放したいと思ってはいなかったと思いますが、意地の張り合いみたいなところがあったのでしょうか。
右近は自分の筋を通そうとするし、秀吉も後には引けない・・・。

徳川幕府の場合は、右近を処刑することはできなかったのではないですかねぇ。
処刑したりすると、右近は殉教の聖人になってしまって、やりにくくなる。
幕府は、目立たないように、右近を国外へ追いやったのではないでしょうか。
(2008年05月13日 22時46分07秒)

ありがとうございます。  
仕事の方は、、一週間に5回ですが、
来週から、、4回になりそうです。

ですから、、、
身体に負担は掛からない程度の仕事量です。

もう少し、働きたいのですが、
この職場は、、最初から、
週に3~4回ということでした。

もう一ヶ所、、探して働きたいのですが・・

ここにじハッピー塾は、、
少しずつ、、浸透していけばいいと思います。

一過性のものではなく、、
死ぬまでの自分の役割だと思いますので、
気長にコツコツやろうと思います。

応援を感謝して・・

(2008年05月16日 23時39分25秒)

ライフワークですね。  
夢見るハリーさん

>一過性のものではなく、、
>死ぬまでの自分の役割だと思いますので、
>気長にコツコツやろうと思います。

ハリーさんに与えられた使命のようなものかも
しれないですね。
ハリーさんだからこそ、出来ることだと思います。
お仕事もがんばって下さい。
(2008年05月17日 21時27分16秒)

Re:高山右近の生涯(05/11)  
高山右近。場所が近いこともあり、馴染みのある名前ではあったのですが、キリシタン大名で国外追放を受けたという他は、人となりは全く知りませんでした。

多くの人が自らに降りかかるかもしれない危害も顧みずに右近を救おうとしたことからも、その人柄、生き様に惹き付けられるものがあったのでしょう。

ただ、神社仏閣を弾圧したという事実があるのならば、違和感を覚えるのは私だけではないでしょう。 (2008年05月18日 06時13分17秒)

Re[1]:高山右近の生涯(05/11)  
G3(じーさん)さん

高山右近が、神社仏閣を弾圧しているという話は
当時からあって、右近を攻撃・中傷する寺社勢力の人たちは、そういう言い方をしていたようです。
でも、実際に右近が神社仏閣を破壊したという事実関係は確認できないようです。

寺社を今までどおり保証するという右近の文書が、
見つかっていて、寺社の権利は今まで通り認めるという政策をとっていたことは確かです。
ただ、僧侶に対して、キリシタンになって収入を失うことになっても、生活を保証するなどの普及策をとっていて、寺社が自然消滅し、その跡地に教会を建てていったというようなことは多かったようです。

神社仏閣の弾圧というのは、おそらく誹謗だったのではないかと思いますね。
(2008年05月18日 16時05分04秒)

Re[8]:高山右近の生涯(05/11)  
隠れキリシタン さん
ゆうあいママtosaさんへ
高山右近は明石に移転した際に、地元の寺社を壊し、改宗を強要したようですね。
それも秀吉の怒りを買った原因かしいです。 (2017年09月11日 02時28分56秒)

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