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vigsel教会に着いたのは事前に牧師さんからいわれた通り、午後4時少し前。招待客の皆さんが続々と集まっています。さすがに緊張が走りますが、そこで牧師さん、新郎新婦介添人の二組と合流。bestman(ベストマン)、brudt?rna(ブルードターナ)と呼ばれる介添人の4人は、特に遠方に住んでいて思うように動けない私達の手となり足となり、今日に至るまでの全ての準備を支えてきてくれました。4人の顔を見るとほっとします。そして挙式を司って下さった牧師さんは、ブロンドのマッシュルームカットが似合うとてもチャーミングな方。その優しく力強い言葉に力をいただきました。そして午後4時。鐘の音に続いてパイプオルガン演奏が始まり、牧師さんの開会の儀の後入場。やはり緊張がMaxに達していたのか、正直式の内容はあまり覚えていません。ただ、指輪の交換でまーさんが指輪をリングピローから外すのに一苦労し思わず笑いが出たのと、牧師さんの温かい笑顔、そして美しいソロとギター演奏がとても印象に残っています。歌をプレゼントしてくれたのはまーさんのお姉ちゃんと友がっべ。私達がそれぞれ大好きなドリカムのLOVE LOVE LOVE(英語と日本語を織り交ぜて)とMetallicaのNothing Else Mattersを心を込めて披露してくれた二人、夢のようなひとときでした。そして退場。このときは家族はじめ、招待客の皆さんのお顔がしっかり見えました。そしてこうどんくんがしっかり見守ってくれていました私達が出口に立つと式前の曇り空から一転、陽が差し込んできました。あ、おばあちゃん達が空から見守ってくれているんだな、と思えた瞬間で、とても神秘的でした。挙式はスウェーデン語のみで行われましたが、式次第は日瑞二カ国語でそうそう、後ほどまーさん家族より、誓いの言葉の私のはい(瑞語ではJa)が小さすぎてビデオでは聞こえない、とのご指摘あり。
2010年08月20日
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日本人ご一行の到着日本からはやっぱり遠いスウェーデン、皆さんなかなか都合がつかない中、家族、親戚、そして友人達計12名がはるばるこちらまで足を運んでくれました。ちょうどm?hippaの夜が日本人第一陣到着となったこの日、まだ興奮冷めやまぬ私は、「lunna、やっぱりちょっと恥ずかしいんじゃない?やめとけば」、というまーさんの助言には聞く耳を持たず、そのままトトロの着ぐるみで母、叔母、友人まるりんとまるりんママの空港お迎えに。空港にまーさんとトトロが現れたことにわけがわからず始めはきょとんとした母一行でしたが、その後大爆笑。まるりんのカメラには証拠写真が残っているはずです。翌日には父、兄達一行、パリで乗り継ぎができず足止めにあったものの無事移動できた元同僚のちみー姉妹、そして翌々日には子連れでがんばって来てくれたうどんちゃんと愛息こうどんくん、付き添って下さったうどんちゃんママご一行が到着。ヨーロッパ初挑戦のlunna父も以外と元気そうで一安心。皆さんよくぞここまで来て下さったと再会を喜ぶのも束の間、式前日まで準備に追われるいつもぎりぎりの私達でしたが、30日の夜はまーさんの実家でアットホームなお食事会をしていただきました。五月一日いよいよこの日がやってきました。一週間前の雨の天気予報は直前には曇りときどき晴れに変わってくれ、当日朝は予報通りの曇り空。このままお天気持って下さい!と願いつつ、私はいざ美容室へ。ヘアを担当して下さったのは義母の幼なじみの娘さん。私もスウェーデン初の美容院、彼女も初めて担当する日本人、ということで初めはお互いやや緊張していましたが、事前打ち合わせができたこともありこの日はスムーズにスタート。三男児の母でもある彼女、その腕はもちろんのこと、とても気さくな魅力的な方でした。スウェーデンでは結婚式で新郎新婦介添人にサポートしてもらうのが一般的ですが、私達は二組の素敵なカップルが介添えをしてくれました。そのうちの一人、あーちゃんも同じ美容院でヘアアレンジをしてもらったので、現場はとても和んだ雰囲気に。そしてなんと、私達の前にはシャンパンまたはノンアルコールドリンク、チョコレートが。スウェーデンの美容院では特別な日のお客さんにはこのようなサービスをするそうで、私達は大喜び。作業は順調に進み、続いて別の方にメイクをしてもらいました。ナチュラルな雰囲気に、というお願いを事前にしていたのですが、日本のようにお色直しがないこちらの結婚式、夜まで落ちないようにしっかりしとこうね、と、ナチュラルかつしっかりと、を心がけて下さいました。普段は5分で化粧終了のlunnaにとっては、ほーっと感心することばかり。そしてクラウン、ヴェールをつけて最後の仕上げ。式は午後4時スタート。ということで、まーさん、そしてカメラマンをしてくれる友人みっけとともに、写真撮影へ出発。まずは挙式会場となる教会へ。ブーケと教会みっけの指示に従い、移動も速やかに教会の風情ある階段そして場所を移動し、披露宴会場となる高台の要塞へ。ここからはヨーテボリの街を展望でき、私のお気に入りの場所です。が、まだ曇り空で、風も強くノースリーブだととにかく寒い。寒いよー、と叫ぶ合間に笑顔で一枚、というテンポで写真撮影は進んでいきました。みっけが撮ってくれた写真の中でもお気に入りの一枚。小さくてわかりづらいですが、私達と父、それぞれ違う方向を向いている中、スウェーデンではおなじみアイスクリームのマスコット人形だけが写真右手後方からシャッターに向かって見事に微笑んでいます。写真撮影の時間はこうしてあっという間に過ぎ、挙式時間が近づいてきました。空手仲間のみっけのおかげで私達は緊張をあまり感じることなく、まるで空手の練習に行く気分で教会へと向かったのでした。
2010年08月17日
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2010年5月1日、私lunnaは相棒まーさんと結婚しました。ですが、私達にはいつもハプニングがつきもの。式が間近に迫った4月16日、アイルランドの火山噴火のニュースが。ひゃー、日本から飛行機で来る予定の皆さんはどうなるの、第一陣は26日出発...と心配の日々が続きました。が、いざ蓋を開けてみたら、飛行機がキャンセルとなったのは国内移動の私達のみで、長旅の皆さんは無事到着で万事休す。svensexa&m?hippaスウェーデンは結婚式の前にsvensexa(スヴェンセクサ)、m?hippa(モーヒッパ)と言われる、新郎新婦それぞれの同性の友人によってお祝いパーティーが行われます。このお祝い、内容には恥ずかしいことをさせるといった容赦ないものも多々ありますが、街で彼らを発見すると、あー、svensexa,m?hippaだな、と一目瞭然のことが多くとても微笑ましいです。まーさんの場合、夜行電車でヨーテボリ中央駅に着いたとたん、拉致→空手の道着に着替えさせられ(これは事前連絡を受けていた私が持参)→映画"空手キッド(邦題ベストキッド)"をテーマにおかしなことが繰り広げられたようです。後に披露宴でその映像を見ましたが、空手キッドを見たことがある人でなくとも大爆笑のお見事なsvensexaでした。そして私。式場での打ち合わせを終え、数人でカフェに入ったところ、猫バスーッと猫の耳をつけたかわいい女の子達に拉致→その場でそうです、私の大好きなトトロの着ぐるみ(これも全部手作り)に着替えさせられ、葉っぱを持って街へ出動→移動はもちろん公共機関で→途中長靴下のピッピと子ども達と遭遇し、大きな声でトトロの歌を歌う。→更に場所を移動し、スウェーデン発祥のダンス、Bugg(ブッグ)のトレーニング→その後、トトロの替え歌をレコーディング(これ、lunna母は口ずさめるようになりました)。→最後に主催者の友人宅でパーティー。最初は恥ずかしいと思っていた私でしたが、着ぐるみなので顔はほとんど他の人に見えないということに気づき、最後には羞恥心はどこかへ消えけっこうノリノリにそれにしても、私達のこの一日のために、忙しい中時間をかけて、時には寝る間を惜しんで準備をしてくれたヨーテボリの友人達、そして、見事な拉致にてsvenhippa(スヴェンヒッパ)を催してくれたシェレフテオの友人達、愛しの皆さん、本当にありがとうございました。今手元にどちらの写真もなく様子をお伝えできないのが残念ですが、まーさん、私ともにその後インターネット上に映像がアップされています。興味がある、見てみたいという方は直接lunnaまでご連絡ください。
2010年08月16日
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母の入院もありあっという間に二月が過ぎ、三月。ひな祭りを迎え春の訪れを感じる日本滞在を終え、再びシェレフテオへ。この冬のスウェーデンは全国的な大雪で、特に大雪に慣れていないスウェーデン南部では電車網が乱れ大変だったとか。シェレフテオ市内も近年まれに見る大雪だったようで、私が帰った三月上旬もまだ辺り一面雪の壁に覆われていました。毎日大活躍の除雪車すっぽり雪に覆われた我が家のもっと雪降らないかなぁ、と喜ぶ私を横目に、まーさんはじめ長い冬を過ごしてきた皆は雪にはうんざりしていましたが、晴れ渡った日の雪景色の美しさは何とも言えません。シェレフテオにはプロアイスホッケーリーグSkellefte? AIKがありますが、この冬は大健闘して一部リーグElitserienで4位になりました。四月。日本の春にはまだほど遠い雪景色ですが、イースターを迎え日毎に日が長くなっていくのを実感します。知人宅で御馳走になったイースターディナー
2010年08月14日
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昨冬のスウェーデンは全国的に記録的な雪が続きました。私はまるでそのことを知っていて避寒するかのように、大学を一旦休学し実家へ。当初1ヶ月半予定だった滞在は、結果的に3ヶ月になってしまったのですが、帰った12月初旬の実家付近はまだ紅葉の名残が。叔母と従妹に連れて行ってもらった、ほんわか素敵な隠れ家カフェ。ここからの眺めはまさに絶景です。ちびっ子ギャング三姉弟の元気、愛しの癒し犬たちにしっかり癒され、体調も回復の兆し。そして年越しは家族と由布院で。大荒れのお天気でしたが、大自然の中一家団欒、忘れられないのんびりお正月となりました。雪景色由布岳金鱗湖そして、1月下旬には母、ゆずこさんとともに二泊三日のタイ旅行。いつもバンコクでお世話になる親戚宅に今回も泊まらせてもらいました。ここには私のタイの母がいて、彼女の料理は絶品。久々の再会を楽しみました。暁の寺からの眺めエメラルド寺院タイと言えば、ドリアンタイの母の料理1タイの母の料理2 親戚宅のわんこ
2010年08月10日
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暑中お見舞い申し上げます。ここシェレフテオは、日本の猛暑とは打って変わってやや肌寒いお天気。気温は15度くらいでしょうか。昨年の夏便り其の二を書かずして、気づけば1年に一度の更新になってしまいましたが...私は元気です。昨秋からのlunnaの日々、写真を中心に振り返っていきたいと思います。秋から、実は大学生になっていました。といってもここに住みつつ勉強できる環境ということで、audionom(アウディオノム)という耳のリハビリの通信教育を選択。スウェーデン語ではDistans(ディスタンス)と言われるこの教育システム、私の場合全日制で、1学期に数回本学キャンパスに行く機会はあるのですが、基本的には自宅でPCの前に座り、ビデオ画像や音声での講義やチャット、メールでのグループワークを中心に授業は進んでいきます。内容はST学生時代の聴覚障害に焦点を当てたものでとても面白かったのですが、授業は当然スウェーデン語、そこに英語の文献、ラテン語の情報が入り交じり、スウェーデン語ですらハンデがある私にはこの孤独な勉強スタイルが全く合わず。1日10数時間の苦悩の勉強生活が続いた私、その合間の楽しみと言えばやはり食べ物。日本の秋の味覚と言えば松茸、松茸と言えば、実はスウェーデン!赤松林だらけのここでは日本と同一種の松茸が収穫でき、シェレフテオには日本からの専門家が探しに来られたそうです。スウェーデン語ではGoliatmusseron(ゴリアートムッセロン)と呼ばれています。傘が開いてるけど立派な松茸松茸ご飯。専門家がわざわざ日本から来るのも納得の味と香り。スウェーデンではこの松茸、本来食べる習慣がないので、大きなビジネスチャンスが広がっているのですが、いつ豊作か、という予測をたてるのが難しく、定期的な輸出入は今のところ難しいようです。その他、食コレクション。パンを焼く=ストレス解消法お寿司ケーキハロウィーンそんな中、景色は9月には紅葉、10月には初雪とどんどん変わっていきました。
2010年08月10日
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残暑お見舞い申し上げます。こちらは朝晩は気温が一桁台まで下がるようになるとともに、気づけば夜がしっかり訪れるようになり、徐々に秋の気配を感じるようになってきました。日本、ヨーテボリを経由しシェレフテオに帰ってきたとたん夏バテ、のような症状が続いている私ではありますが、久々の日本、そして兄、母の来瑞で充実した夏となりました。この夏のお便り其の一、の前に、帰国直前の6月13日、まーさんの従兄さんの結婚式にヨーテボリで出席しました。現在日本在住の従兄さん。奥さんは日本人で、とっても素敵なお二人です。お天気が心配されましたが当日はの中お二人をお祝いすることができました。教会式、披露宴パーティーともに英語中心で行われましたが、教会での誓いの言葉は花嫁さんは日本語で。それがまたとても心に響きました。スウェーデンの結婚パーティーは家族、親族が新郎新婦の傍に座り、ゲストの席もごちゃ混ぜ。スピーチの度に乾杯し、乾杯のための歌も数々用意されており、更にはゲストがグラスをカンカンとフォークなどで叩き始めると新郎新婦はキスをする、といった日本とは全く違うスタイル。最後にはパーティー会場がディスコに変身し、夜遅くまで宴は続きます。最後まで驚き続きでしたが、二人のお人柄が伝わる心のこもった一日でした。末永くお幸せに。 そして、その翌日いざ日本へ。ヨーテボリ→フランクフルト→成田→福岡と長旅の後、空港まで迎えにきてくれた母とともに実家へ。約一年ぶりの実家は、居心地の良さ、その一言に尽きます。愛犬1ルンナと新鮮魚の手巻き寿司!、そして。どれも待ち望んでいたものばかりです。 ご近所の陶さんに連れて行っていただいた北九州市役所から見た、小倉城とリバーウォーク。まさに近代的建築と歴史の融合です。公害を克服し、世界の環境首都づくりに取り組んでいる北九州。今回の滞在ではその新たな一面をいろいろと感じることができました。そして地元小倉の名物、焼うどん!終戦直後そば玉が手に入らず代わりに干しうどんで作ったことから始まった焼うどん。発祥のお店だるま堂にも行きました。まさに素朴なおいしさ。 本州にも少し足を伸ばしました。まずは大学時代お世話になった長野。ゼミの先生ご家族のお宅で、同級生とともに学生時代のように夜遅くまで語りあいました。長野と言えば国宝善光寺。12年前(この数字にびっくり)の御開帳では仲見世通りの仏壇屋さんでバイトをしましたが、今年の御開帳は全国一の人出だったようですね。 青春の思い出が詰まった長野を後にし向かったのは、まーさんの弟もーさんと彼女あーさんがいる山梨。あいにくのお天気でしたが、あーさんの素敵なご両親とも初対面を果たし、八ヶ岳の自然を大満喫しました。最終日には頭を雲の上に出し~♪とはいきませんでしたが、富士山発見! 7月に入ってからは友人夫妻とともに、ダーラへストカフェでフィーカ後、ソフトバンクホークス対オリックス戦を観戦。私たちが観戦した数日前には”お父さん”も観戦して勝利したそうですが、お父さんの看板があちこちに。 今日現在2位のホークス。この日は松中の幻となったホームラン(2塁打の判定)もあり、延長で負けてしまいましたが、やっぱり野球はいいですね。中継ぎで活躍中の摂津選手 →オフィシャルホームページ。この日はあまり調子がよくありませんでしたが、思わずズームで。素敵でした。 試合後にはもと高校球児の友人夫より手ほどきを受け、松中Tシャツまーさんも初のバッティングに挑戦。 貝殻を拾いたい!という愛しの姪っ子達と曽根干潟にも行きました。潮招きと呼ばれる片手だけはさみが大きな蟹もいるこの干潟、遠くから見るとまるで蟹がダンスしているよう。 3週間以上あると思っていた滞在は、家族、親戚をはじめ、学生時代の友達、元職場の同僚達などの再会であっという間に過ぎていきました。
2009年08月18日
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本日のシェレフテオはまさに夏。午後7時現在の気温は22℃、最高気温は確実に25℃を超えていたと思われます。まさに夏、お隣さんは上半身裸で日光浴をされています。今の外の風景はこんな感じです。 太陽、まだあんなに高いところにいます、というか、ますます一晩中明るくなってきました。こんなお天気だと本当に快適なのが自転車。私もついに購入しました。 歩いての移動でもそんなに不自由なく暮らしていましたが、自転車に乗るようになってから、世界が広がるとはこういうことか、と実感している日々です。ついにようやくスウェーデン語のコース最後の課題である小説のレビューを出し終え、英数瑞、あとは成績をもらうのを待つのみです。それにしても、スウェーデン語はしんどかった。ほぼ毎週レポートかスピーチの課題があったのですが、複雑な表現などでは特にスウェーデン語⇔英語⇔日本語、というルートで辞書を引く必要があるため、自分の母語が非アルファベット圏の言語であることを痛感する日々でした。水曜日が最後の授業でしたが、担任の先生の手作りケーキとコーヒーでfikaしつつ、課題小説の紹介をしあいました。クラスメートは私を含め計13人。イギリス、ドイツ、ケニア、ソマリア、ジンバブエ、コロンビア、メキシコ、ロシア、ウクライナ、グルジア、みんな年齢もスウェーデンに移り住んだ理由もさまざまですが、世界の文化を感じることができるとても貴重な場でした。今後の進路もそれぞれ変わっていきますが、また再会できる日を楽しみにしたいと思います。昇級審査テスト続きの締めくくりは空手の昇級審査。先週の日曜日に大緊張の中、移動基本、形、組み手の3種類を先生たちの前で披露し、無事一つ級があがりました。ひよこ色の次は緑の帯です。 継続は力なり。次は青帯を目指してがんばるぞ。村上春樹新刊「1Q84」の初日売り上げが68万部という異例の好調な出だしで、大きな話題になっているようですね。私も村上春樹さんが大好きな一人ですが、スウェーデンで出会ったしぃなさんの勧められたのがきっかけでした。日本に帰ったら新刊もぜひ読みたいと思いますが、今手元にはつい最近映画化が決まった「ノルウェイの森」のスウェーデン語版があります。この夏の読書はこれに決定。スウェーデン語で読むとどんな印象を受けるのか、読むのが楽しみです。 学校や空手からようやく開放されたと思った途端に風邪でペースダウンしています。これを読んで下さっている皆さんも体調にはくれぐれも気をつけてくださいね。
2009年05月31日
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ほぼ3ヶ月ぶりの更新になってしまいました。日本はゴールデンウィークも終わり、緑の美しさとともに、だんだん暑くなりつつある頃でしょうか。ここシェレフテオも雪解けとともにほんとに長かった冬が終わり、春、というかもう夏?という季節になってきました。気温も20度近くになることもあり、とても心地よい気候です。この3ヶ月を振り返ってみると・・・バレーボール昨年10月から半年間、シェレフテオから内陸に80キロほど入ったNorsj?(ノルショー)という町で黒岩美由紀さんという日本人バレーボール選手が大活躍されました。私も今年に入り2回応援に行くことができました。チームのエースアタッカーの美由紀さんはちびっ子たちに大人気。 (↑わかりづらいですが、アタックをしようと飛んでいるのが美由紀さんです) なんと試合の途中にフィーカ休憩があるのもスウェーデンならでは!その間には子ども達がコートでバレーボールをする姿がほのぼのとしていました。今シーズンの最終結果は一部リーグ前10チーム中6位。昨シーズンの8位から飛躍を遂げ、なんと美由紀さんは全体のMVP獲得。ただ、とても残念なことに、諸事情により今シーズン限りでチームの一部リーグからの撤退が発表されました。スウェーデン北部唯一の一部チームがなくなってしまいました。小さな町で目を輝かせて応援していた子ども達のためにも、再活動を願っています。先月帰国された美由紀さん、日本でゆっくりと身体を休めることができたでしょうか。今後の更なるご活躍と、再会できる日を楽しみにしています。スノボ4月のイースター休みにStorklinta(ストールクリンタ)という、この辺りではそこそこ大きなスキー場にスノボに行ってきました。スノボ、といえば、そう、苦痛い思い出のリフト(錨のようにも見えることから、錨リフトと呼ばれているそうです)。ここでもやはり敵は私を待ち受けていました。 でも今回は前の教訓を生かし、二人乗りで介助してもらうことにより一度もこけることなく乗ることができました!(といっても一人では絶対乗れません・・・)。シーズン終わりでもうシャービーな雪でしたが、今回はスノボ多少上達できたような ナショナルテストスウェーデンは今が学期、学年末、というわけで、私が通っている学校でもテストが続いています。その中でも一番大きなものが、Nationellt prov。全国統一試験です。先々週から数学、英語、スウェーデン語の3科目で試験を受け、昨日ようやく最後のスウェーデン語が終わりました。スウェーデン語はSvenska som andraspr?k Bという、移民のためのスウェーデン語の最後のクラスを受講しています。試験はスピーチと論文だったのですが、スウェーデン人でSvenska Bを受講している人と一緒に受けるこの試験。みんなの前で行ったスピーチは、5分という限られた時間の中で簡潔かつ内容の濃いものが求められたのでさすがにしんどかったです。あとはコース最後の課題である小説を読み、レポートと口頭発表が終わればおしまい!ゴールがようやく見えてきました。何かに追われると別のことがしたくなるのは相変わらずの私、ストレス解消は専らパン・お菓子作りです。 カーテン北国で過ごす初めての夏、ここは今ほぼ白夜です。日本にいるときは、オーロラ、白夜はで一度は味わいたい!と思っていたのですが・・・。これは1週間ほど前の午前1時半の景色です。 夏至に向けて更に明るくなっている今日この頃、我が家はつい最近まで寝室はカーテンなし、ブラインドのみで過ごしていたのですが、さすがにこの明るさに身体が慣れず、寝苦しい。そこで、今更ながらついに真っ黒な遮光ロールカーテンを買いました。これで少しは寝やすくなりますようにカーテンもようやく全室のが揃いました。やはりカーテンは家の雰囲気をを温かくしますね生地はこんな感じです。 ちなみに居間のカーテンは薄すぎて光をよく透すため、母が遊びに来てくれる夏には少し厚いものに換えようと思っていて、テキスタイルデザインが専門の友達に少し厚めのカーテンをお願いしました。彼女のデザインが大好きなので、どんな作品になるか今から楽しみです。
2009年05月21日
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日本でももうこのニュースを目にされたかと思いますが、本日スウェーデンのヴィクトリア王女とダニエル・ヴェストリング氏のご婚約が発表されましたね。お二人の幸せそうな会見を拝見しましたが、王女の柔らかな美しい笑顔が印象的でした。日本では先日米アカデミー賞にて「おくりびと」、「つみきのいえ」のオスカーダブル受賞のニュースが流れたばかりですが、経済危機をはじめとした厳しく暗いニュースが多い中でのおめでたいニュースは、やはりいいものですね。ご結婚は来年になる予定とか。おめでとうございます。
2009年02月24日
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気づけば2月ももうすぐ終わろうとしています。日本では三寒四温、少しずつ春の訪れを感じつつある頃でしょうか。ここシェレフテオは、-15~20度位がしばらく続いていましたが、先週末から暖かくなってきました。といってもマイナスではありますが、マイナス一桁と二桁の違いは大きい。ちなみに私はいつも寒さを鼻の毛のシャリシャリ度で判断しています。私の経験則では息を吸った瞬間に“シャリッ”となったらマイナス二桁(笑)。でも今日は0度まで気温が上がり、雪も降らずいいお天気でした。まだまだ寒いですが、まさに小春日和。スノボ1月末に遊びに来てくれたまーさんのお姉ちゃんと一緒に、私にとってはスウェーデン初のスノボに行ってきました。私のスノボ歴は、長野でデビューして以降1~2年に一度行くに留まり、カーブがかろうじてできる程度。今回は元職場でのスノボ旅行以来3年振りで、どきどきしつつ、家のすぐ側にあるスキー場に行ってきました。が、スノボよりも先に私を待ち受けていたものは・・・ そう、リフトでした。写真では見えづらいかもしれませんが、スウェーデンのリフトは基本的には椅子リフトではなく、逆 T字型、なんだそうです。これにどのようにして乗る、というより滑るかというと・・・スキーの場合は逆Tの横棒部分に押されながら、スノボの場合は横棒を足でまたいで、足は地面に着いたままで滑りながら上っていくのです。リフトが何かおかしいぞ、と思いつつも、まーさんたちにその旨を十分に伝えきれないままリフトに乗ることになった私は、介助してもらって乗ったにもかかわらず見事にこけ、その際足の付け根の筋肉が伸びるような状態に。痛みのためしばらくひたすらストレッチをすることになります。その後、多大なる介助のもと何とか無事乗れたものの、次に一人で乗ろうとすると、こけるは後頭部は打つは、また筋肉がぴきっとなるはと大変なことに。係員さんから、リフトの上までスノーモービルで連れてってあげようか?とまで言われる情けなさ。痛みが増した私は、再びしばらくストレッチ。スノボをしに行ったんだか、リフトの洗礼を受けに入ったんだかわからん珍体験でしたが、頂からの眺めは曇り空ではあったものの、見事でした スノボの翌日は快晴。3人でシェレフテ川沿いの散歩コースへ。国内で現在も現役の木橋としては最古のLejonstr?msbron(レイヨンストロムスブロン)まで歩きました。 帰り道、なんともかわいい傾き方の雪だるまを発見。 Jokkmokk立春の日に誕生日を迎えた私、また一つ年をとり、いや、重ねました。30代という実感が沸くようになりましたが、愛しのprinsesst?rta(プリンセストータ)だけは欠かせません。まーさんが作ってくれました。スポンジケーキの間にジャム、その上にカスタードクリーム、更に生クリーム、最後にマジパンでコーティングしたこのケーキ、やっぱり名前のとおり、私のお姫様。 そして7日土曜日には、Jokkmokk(ヨックモック)という北極圏の線上にある町で開かれたサーミのマーケットに行ってきました。何と、404回目というこのイベント、シェレフテオからはバスツアーがあって、私達もこれに参加。朝7時シェレフテオ発、途中サンドイッチとコーヒーのfika休憩(スウェーデンならでは)後、11時にヨックモックに到着です。 ところで我々日本人にとって、ヨックモックという名前は、ひょっとしたらスウェーデンよりも馴染み深いかもしれません。そうです、お菓子屋さんのヨックモック。綴りは違いますが、この町が名前の由来だそうです。今回のヨックモックでの最大の目的は、サーミ文化に触れることとともに、サーミ文化の第一人者として活躍されているLaila Spik-Skaltjeさんお手伝いでヨックモックに滞在していたKaffeちゃんに会うことでした。-21度の寒さに凍えつつマーケットを歩き進んでいくこと10分、極寒の中Lailaさんのお店で健気に売り子をしているKaffeをついに発見。本当に短い再会でしたが、いつもあったかいKaffeにパワーをもらいました。あまりの寒さでカメラを取り出すのも辛かったのですが、かわいいトナカイには思わず。 正味5時間のヨックモック滞在、Lailaさんの講演もトナカイレースも逃してしまいましたが、サーミの空気に触れた喜びと、Kaffeちゃんとの再会の余韻に浸りつつ、帰途に着きました。日が長くなっていくのが嬉しい今日この頃。今月からは日本語教室も再開し、毎日がばたばたと過ぎていきますが、小さな楽しみやほっと一息の時間を大切にしていきたいです。
2009年02月24日
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皆さん、新年いかがお過ごしですか?また更新に間が空いてしまい、しばらくは更にのんびりペースの徒然便りになるかと思いますが、今年もどうぞよろしくお願いします。前回に続き、12月~新年を振り返ってみると・・・昇級試験三十路の手始め、ではありませんが、昨年から空手を習っています。と言うと、皆「え~、lunnaが空手」と驚かれるのですが。昨春スウェーデンにて体験入門をした後、日本で本格的に近所の道場に通い始め、今に至ります。3ヶ月通った日本の道場では先輩はほぼ子どもでしたが、黒帯、茶帯が多く、世界・日本チャンピオンも生み出しているような道場でした。元気な子ども達に囲まれドキドキしながら、「エイ」と声を出す日々でしたが、6月末に一度日本で昇級試験を受け白帯を脱却。昨秋より再びスウェーデンにて空手生活が始まりました。ここシェレフテオは空手以外にも柔道、剣道、居合道、合気道、柔術、ハプキドウといった各種武道が子ども・大人ともに盛んです。空手の帯は、日本では白・緑・青・茶・黒帯なのですが、ここでは白・赤・オレンジ・黄・緑・茶・黒帯、と色鮮やか。私は一時は昇級が危うい状況にありましたが、12月に無事7級・黄帯に昇級しました。 2~3年で黒帯取得が可能といわれている日本と比べ、スウェーデンでは黒帯取得まで平均6年がかかるといわれています。黒への道のりは遠いですが、空手を通して日本文化に触れる喜びを感じる日々。今後も細々とですが続けていきたいと思っています。クリスマス~年越し12月後半~1月の頭まで、ヨーテボリに行って来ました。着いた日は以前のホームステイ先M家の新築した家に泊めてもらいました。当時はまだ三歳だったピッピももう5歳、お姉ちゃんになりました。9ヶ月の弟ゴッゴとともにハイチーズ。 久々の再会を楽しんだ後、まーさんの実家にお世話になり、クリスマス、年越しをしました。スウェーデンのクリスマスは、まさに日本のお正月。イブの朝は、サンタに食べてもらういわれのあるrisgrynsgröt(リースグリュンスグロート)という牛乳粥に始まります。 そして午後から家族、親戚が集まりわいわいと団欒を楽しみました 家族皆で作ったpepparkakshus(ペッパカークスヒュース:ジンジャークッキーハウス)。 それにクリスマスの菓子pepparkakor(ペッパカーコル:ジンジャークッキー)、まーママ手作りのkola(コーラ:キャラメル)も並びます。 写真は残念ながらありませんが、sill(シル:ニシンの酢漬け)、julskinka(ユールフィンカ:ハム)、köttbullar(ショットブッラル:ミートボール)、Janssonsfrestelse(ヤンソンスフレステルセ:アンチョビとジャガイモのグラタン)といった手作りのクリスマス料理を食べた後、サンタが登場し、プレゼント交換タイム。子どもは大喜びでした。 一夜空けたクリスマスの日は霜が降りる寒さでしたが、快晴。みんなでStyrsön(スティッシュエーン)という島までフェリーで渡りました。 また夏に訪れたい、とてもかわいい島でした。クリスマスが明けてからは、バーゲン(初売りのイメージです)に行ったり、友達と会ったり、映画に行ったり、ヨーテボリを満喫。家の近くを散歩していたら、姪が大喜びしそうなトトロの小道を発見。 年末年始のヨーテボリは冷え込んだものの、嬉しいことに雨風ではなく、お天気が続きました。家のベランダには寒い中鳥達がよく遊びに来ていました。 そして、大晦日。紅白、除夜の鐘、年越し蕎麦が恋しくなりつつも、日本ではすでに年が明けた後、こちらの午後5時からは花火を楽しみました。 年越しはワインボトルを持った酔っ払いの若者に紛れつつ、友人達とともに再び花火を見ながらスウェーデン風に。 その後は見事にインフルエンザ疑いの風邪で寝込む、正真正銘の寝正月、となりましたが、クリスマス休暇、家族や友人との再会を楽しみ、久々にゆっくりとした日々を過ごすことができました。新年今日のシェレフテオは-17℃と随分冷え込んでいますが、快晴でした。再び雪に囲まれていますが、冬至を超し、これから少しずつ明るくなっていくのは楽しみです。 今学期は学校での履修科目も増え、ばたばたと過ごす毎日です。最近日本が非常に恋しい私は・・・ 食にて日本を味わったりしています。2009年が健康に恵まれ、笑顔に満ちた充実した一年となりますように
2009年01月15日
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ノーベル賞の授賞式、ルシア祭も終わり、気づけばクリスマスまであとわずかとなってきました。ノーベル賞授賞式の様子は、小林氏のスピーチをテレビで見ましたが、日本ではこの喜ばしいニュース、大変な反響だったようですね。 キリスト誕生を待つ待降節のろうそく、11月最後の日曜日から毎週一本ずつに火を灯して行きますが、この日曜日で三本目に火が灯されました。ご無沙汰してしまいましたが、しばらくばたばたが続き、更新ができませんでした。12月に入ってからの生活を少しずつ振り返っていきたいと思います。12月1日から二泊三日でヨーテボリに行ってきました。二年前から、ヨーテボリ郊外のRävlanda(レーヴランダ)にある小学校と福岡のDalahäst Café(ダーラヘスト・カフェ)の間で密かに続いてきた「小さな国際交流」。10月には福岡でレーヴランダの子ども達から届いた品物を福岡で売る、という国際交流蚤の市が開催されました。今回、この報告を兼ねて来瑞された、カフェのティンドラねえさんの通訳として、私も一緒に学校訪問をしてきました。宿泊先は、8年前のホームステイ先であるLファミリー。ここのママ、あねみは過去2回に渡る私の研修の責任者ですが、今回も大変お世話になりました。空港まであねみのお父さん、モルファルが迎えに来てくれました。モルファルは小学校の校長や政治家もされていた弁達者です。一足先に到着していたねえさんとモルファルは、私が着いた頃にはすっかり交流を深めていました。まずはモルファル家でフィーカ。モルファル家と初めて知り合ったのは8年前ですが、2年前にはここのお宅にもホームステイをさせてもらいました。大好きなモルファル・モルモルは私達のためにこのようなフィーカを準備してくれていました。 なんと6種類のサンドイッチ。 このToscakaka(トスカカーカ)は、以前lunna母と伯母がホテルへの持ち帰りを希望したケーキ。 モルモルは料理の達人なのですが、中央にある白い丸いお菓子はStudentmössor(ストゥデントムッソル)という、モルファルのお母さん直伝のモルファルが大好きなお菓子です。スウェーデンの高校生が卒業式でかぶる帽子を形どったこのお菓子、日本人にも懐かしい、たまごボーロのような素朴な美味しさです。今これを作れるのは、おそらくモルモルしかいないだろう、という幻のお菓子でもあります。私達はおなかがはじけそうになりつつもこれらを美味しくいただき、モルファルの案内で木工室へ。手前の木のチューリップ、今は我が家にて見事に咲いています 今は子どもの椅子を修繕中だそうです。だめになったら、いらなくなったらすぐ捨てるのではなく、何らかの形でまた新たな息吹を与えることの大切さを感じる瞬間。このリサイクルの考えが、「小さな国際交流」のベースでもあります。二人から極上のおもてなしを受けたあと、仕事を終えたあねみとともに、L家へ。ここでもまたさまざまなおもてなしが待っていました。その一つが、スウェーデンクリスマスの風物詩、glögg(グロッグ)とpepparkakor(ペッパカーコル:ジンジャークッキー)。 グロッグは赤ワインに砂糖、スパイスを加えたレシピが多いようですが、L家自家製のグロッグは、svagdrycka(スヴァーグドリッカ)という黒ビールにも似た飲み物に砂糖、イースト菌、スパイスを入れて作っています。写真はアルコールフリーのグロッグですが、その後自家製グロッグも試飲、手作りのこく深いグロッグ、お土産にももらってしまいました。翌日は学校訪問。蚤の市に出品してくれた、小学4年生から中学1年生のクラスを訪問し、お礼を述べていきました。以前の研修先であるこの小・中学校。久しぶりにあった子ども達の成長振りに驚きつつ、また、この交流についての新聞取材を受けるハプニングもありつつ、楽しく報告会・交流をすることができました。この交流を続けるにあたり、子ども達とともに欠かせない二人の先生、あねみとあん。この日あんのクラスではサンタワークショップと題して、子ども達が楽しい活動をしていました。子ども達、そしてあんの豊かな想像力の集合です。 そして、あんが車でレーヴランダを案内してくださった後、あん宅でしばしフィーカ。あんの娘さんお手製のりんごパイが待ってくれていました。「うちらヨーテボリに来てからずっと食べよるよね」とドキドキしつつ、おかわりしてしまいました。あねみ、あん、モルモルモルファル、ティンドラねえさん、充実した3日間をありがとうございました。
2008年12月16日
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ここ一週間ずっと雪が降り続いています。本格的な積雪となった先週の金曜日には早速、そりに乗った女の子とそれを引っ張るお父さんを発見。ほのぼのとした気持ちになりました。 朝8時過ぎの太陽です。今朝は霧深かったのですが、お昼にはすっかりと晴れ渡っていました。水曜日にはついに郊外ではオーロラが見えたようですが、今夜はひょっとしたらと期待しています。 12時半、沈もうとしつつある太陽を背にすると、こんなに足長になりました。 さて、先週末はまーさんの弟もーさんとその彼女あーさんが遊びに来てくれました。ちょうど二人を歓迎するタイミングで雪が降り始めたので、二人は北国ライフを満喫してくれましたようです。さて、スウェーデン北部の名物といえば、世界一臭い食べ物として名高い、ニシンの発酵缶詰、surströmming(スールストロミング)。本来は夏に食べるものなのですが、今回、知人ご家族が私のたっての願いを実現すべく、雪の中スールストロミングの夕べを催してくださいました。もーさん、あーさんも一緒に4人で雪景色の中未知の食卓へ。屋内で缶を開けると恐ろしいことになるため、屋外で開けるのが習慣となっているこの缶詰。残念ながら空ける瞬間の音と臭いを見聞き逃してしまったのですが、その直後、嗅がせてもらいました。感想は…これまで噂には聞いてきましたが、こんなこの世のものとは思えないすごい臭いのものが食べ物なのと思うほど臭い。開封後、役目を成し遂げ汁だけになってもなお、凛々しい姿の缶詰達。 室内に入りお皿に盛られると、開けた直後のような強烈な臭いはなくなりました。なんといっても汁が臭いの決め手だそうです。 スールストロミングの伝統的な食べ方:tunnbröd(トゥンブロード)という薄く硬い白パンの上にバターを塗り、その上にじゃがいも、スールストロミング、トマト、赤玉ねぎ、チーズ、そしてお好みでサワークリーム(臭いがマイルドになるそう)をトッピングして食べます。この際、スールストロミングを細かく切るのがポイント。大きめに切ると、味が強くなるそうです。私もどきどきしつつつトッピングを開始。 さて、肝心の味はというと、生臭さ、塩辛さは強いものの、意外と美味しい。はじめの一切れは特に美味しく味わうことができました。ただ、計三切れたべたのですが、二切れ目以降はおなかが人生初めての味に驚いたのか、だんだんしんどくなっていきました。スールストロミング初体験のほかの三人は、あーさんは私と同様の感想でしたが、他の二人は「一切れは食べました。よい経験になりました」とのことでした。スールストロミングベテラン曰く、「次の日ゲップをするとまた今夜の余韻を楽しむことができる」そうです。結局次の日ゲップせずに一日が過ぎてしまいましたが、次回がもしあればそのときは、次の日まで余韻を楽しもうと思います。ちなみに、一年寝かせたスールストロミングは塩気が少し抜け甘みが増すそうです。本当に、よい経験をさせていただきました。
2008年11月28日
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スウェーデンの代名詞、といえば、IKEA。スウェーデン語の授業では現在“典型的なスウェーデン”、という題の章を読んでいますが、そこにもIKEAの文章が載っています。現在世界24カ国に253を超える店舗があり、日本でも今月19日に埼玉に5店舗目のIKEAがオープンするそうです。スウェーデンでは伝説的存在の創始者Ingvar Kamprad(イングヴァル・カンプラード)によって、1943年にSmåland(スモーランド)地方でスタートしたIKEAは、現在全国に17店舗。IKEAで売られているのは家具を始めとした家庭生活用品ですが、手頃な価格でスタイリッシュ、というのが魅力です。IKEAに行くと何も買わずに帰ることは不可能、と皆が口を揃えて言うほど、スウェーデン人にとっても惹きつけられる何かがIKEAにはあるようです。ところで、スウェーデンは日本と同様長い国です。 詳しく見たい場合はこちらを。スウェーデン地図(norden.orgより)このNorrland(ノルランド)地方には、IKEAは一店舗。フィンランドとの国境の町Haparanda(ハパランダ)に唯一のお店があります。以前住んでいたヨーテボリには市内に二店舗あるため、IKEAに行くのに苦労をしたことはなかったのですが、ここシェレフテオの人たちは300キロ離れたハパランダのIKEAまではるばる遠征に行っています。先日もIKEAバスツアーという広告がアパートの掲示板に張ってありましたが、私達にもついにその遠征の日がやってきました。来年1月に出産予定、現在身重のティルちゃんも一緒に、朝8時半にいざ出発。 気温は-7~10度で路面は凍っていますが、晴天。空気は凛としています。 E4という国道を北上していきますが、まさに森と湖の国の景色が広がっています。 シェレフテオから150キロ程離れたLuleå(ルレオ)でしばしお茶休憩。この町は魔女の宅急便を髣髴させる港町で、シェレフテオと比べると落ち着いた中にも都会の雰囲気が。ぜひまたゆっくり訪れたいと思いました。一抹の名残惜しさを感じつつ、更にハパランダを目指し、北上。そして午後一時、ついに、ハパランダ上陸。 国境の町ならではの道路標示です。IKEAの隣には税関もあり、フィンランドを間近に感じます。そして、青地に黄色の文字の懐かしい家屋を発見。 入り口の看板にもスウェーデン語・フィンランド語両方の記載があります。店の前から見えた日が昇らないまま沈もうとしている太陽も北ならでは。 心弾ませ、いざ中に。IKEAの特徴としてどこのIKEA店舗も基本的に同じような造りとなっていますが、ここでもなじみのある光景が広がっています。ただ、常にフィンランド語を見聞きすることができるのが新鮮。託児施設も充実しているので、幼い子ども連れのご家族も安心して買い物できるシステムとなっています。IKEAの家具は大抵自宅で組み立てるようになっていますが、居間やキッチン、子ども部屋といったさまざまなテーマの展示が広がっています。食器やぬいぐるみといった小物もまた売り物だったりするところが、さすがです。また、各品にはそれぞれ固有のスウェーデン語名(例;食品用の秤=ORDNING)が付いているのも特徴です。 こんなクリスマス、素敵ですね。もちろん、おなかを満たすレストランも中にあります。このレストランも世界共通で、世界のIKEAにはスウェーデン食が恋しくなったスウェーデン人も集っているとか。私達三人は、定番の伝統食ミートボールリンゴンベリージャム添えを食しました。午後2時なのに、すでに外は真っ暗。これ何ご飯なんだろうといいつつ、おなかを満たします。 私達はソファーをはじめ、さまざまな場所で長時間惹き止められることとなり、レジにたどり着いたときにはすでに午後6時。5時間もいたことになります。荷物を一旦車に収め、私達はもう一店、行きたかったittalaやARABIAなどが安く売っているお店へ駆け込みます。閉店は7時。わずか30分でしたが、クリスマスプレゼント等を急ぎ足でチェック、購入。午後7時。暗闇が広がっています。ティルちゃんも我々も、見たかったものをすべて見終え、買いたかったもの+αを購入し、充足感の中再びシェレフテオを目指したのでした。
2008年11月18日
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昨日から雪模様のお天気が続いています。といっても、まだまだ本格的な積雪ではないのですが、南国育ちの私としては、やはり胸がときめきます。でも、寒い。だんだんと出かけるのが億劫な季節になってきました。 先週の土曜日は、いつもお世話になっている日本人女性さんのお宅で日本食をご馳走になりました。テーマはしゃぶしゃぶ、といっても、えりぃしゃぶ(ヘラジカのしゃぶしゃぶ)。現在日本から赴任中のさんの車で、まずはVaruträsk(バールトレスク)という、鉱山で行われているクリスマス市に寄り道。VILDMARKSGRUVAN(ヴィルドマルクスグルーヴァン)というこの鉱山は1932年に発見され、6種類のリチウム種、さらにその中でも40種類にわたるさまざまな鉱物があるそうです。ここでは鉱山探検ツアーを始め、クリスマスの時期にはクリスマス市や鉱山で味わうクリスマス料理、といったさまざまな企画があるようです。Cf.VILDMARKSGRUVANクリスマス市=Julmarknad(ユールマルクナード)と記された看板発見。 案内看板を後にし奥へと進むと・・・ このお店は常時オープンしているそうですが、外にある手作りの帽子はきっと今だけかな? トナカイの角が目印になったこの木の家、中はレストランでしたが、室内はトナカイの毛皮でデコレーションされていました。 ここは鉱物を掘った後の池です。夏はまた気持ちがいいのでしょうね。そして、広場にはそんなに多くはありませんが、北スウェーデンの特産品が並んだ市が軒を連ねていました。 さん、我々も食品やプレゼントを購入。昨年より日本に向けてスウェーデンから松茸の輸出が始まりましたが、きのこ採りのディプロマを持った方のお店で、松茸好きの日本の家族に、乾燥松茸を買いました。 そして、最後の最後に、さんの知人のお店で、まーさん一目ぼれの運命のマットとの出会い。手持ちの現金がなくなったため、さんにお金を立て替えていただき、マットを購入しました。 クリスマス市を満喫した後、最終目的地のさんのお宅に。凍ったヘラジカのお肉と、新しく購入したお肉カッターが私達を待っていました。お肉の塊は、餅つきのような阿吽の呼吸でこのように裁断されていきます。 そして、見事なしゃぶしゃぶ肉の完成。さんお手製のゴマダレ、ポン酢ダレで食べるヘラジカは・・・、獣臭さもなく、脂肪分もないので牛や豚にさっぱりとした味わいです。更に家庭菜園の牛蒡、小松菜のお袋の味にも舌鼓をうち、風邪気味の私も、いつも以上にもりもりといただいてしまいました。そして、我が家に戻るとすぐに、深夜にもかかわらず、新たなマットを設置。「いやー、別の家みたいやね」と大絶賛の、手織りマットです。 さんお二人、さん、美味しく楽しいひと時をありがとうございました。
2008年11月14日
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Q.スウェーデンの国民的スポーツといえばA.サッカー、アイスホッケー、乗馬。アイスホッケーのプロリーグはElitserien(エリートセリエン)といい、12チームから成ります。Cf.Elitserienここシェレフテオには地元チームのSkellefteåAIK(シェレフテオ・アーイーコー)があり、アイスホッケーを知らないと職場での話題に付いていけない、といわれるほどAIKは絶大な人気があります。月曜日にAIK対ヨーテボリのチームFRÖLUNDA Indiansの試合がありました。 私も長野オリンピック以来、スウェーデンでは初のアイスホッケー観戦。胸を弾ませ、会場のSkellefteå Kraft Arenaへと向かいました。このアリーナはまだ新築されて間もない多目的アリーナですが、AIKのホームアリーナです。我が家からは歩いて10分の距離ですが、道すがらから既にAIKファンの熱気が。会場の中はもちろん、AIKの黒と黄の縞模様だらけです。「ア~イコ~」と応援歌が口ずさまれる中、試合開始。白熱した試合は“氷上の格闘技”、そのもので、選手同士のぶつかり合い、氷をはじく音、スピード感、テレビでは味わえない臨場感があふれます。そして、こんなに熱いシェレフテオ市民を見るのも初めて。このような仕切り直しを見ていると、なぜかお相撲を思い出してしまいます…。こんなこと思ったのは間違いなく私だけでしょうが。選手達が壁にどーんとぶつかったり、そこでタックルしあったりするたびに思わず叫んでしまいます。とても緊迫感がありますが、計3ラウンド、1ラウンドは20分で、各ラウンド間には休憩があるので、緊張の合間にほっと一息。AIKファンに紛れてFrölundaファンも発見。ちなみに私もヨーテボリのFrölundaを応援。でも隣のまーさんは、Frölundaを密かに応援しつつもAIKファンに圧倒され、終始無言観戦です。試合結果は3対1でFrölundaの勝利。荒れることもなく無言で静かに会場を後にするAIKファンの後姿からは、再び穏やかなシェレフテオ市民の空気を感じます。次はAIKも応援したいなと思う瞬間でした。現在AIKは4位、Frölundaは6位です。
2008年11月06日
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本日の我が家のキッチンからの風景です。 ここ数日マイナスが続いていたので、今日はあったかいかな?といいながら窓を開けてみたのですが、寒い。午後1時現在、マイナス5度とのことです。ここまで寒いと雪が恋しい、残念ながらまだ本格的な雪は降っていません。秋休みの一週間は、学校の宿題と体調やや不良によりあっという間に過ぎていきました。10月も終わり、日毎に日照時間が短くなっていくのを実感する日々ですが、今はもう夕方4時には暗くなっています。暗くなると気分も沈みがちになりやすいものですが、そこで毎日今私の心を温めてくれているが、ムーミンマグ。ムーミンはいわずと知れた人気キャラクターですが、作者のTove Jansson(トーヴェ・ヤンソン)はスウェーデン語圏のフィンランド人で、最初に書かれたムーミンの本はスウェーデン語だったそうです。私自身は子どもの頃ムーミンを読んだり見たりした記憶はあるものの、全く詳しくありません。でも、ムーミンのあの丸っこい体とつぶらな瞳、そしてユーモアたっぷりのキャラクター達には心惹かれてしまいます。フィンランドの食器メーカーのARABIAで初めて子ども向けにムーミンの食器が販売されたのは、1950年のことだそうです。そして、時を経て1990年代からまた本格的にムーミンコレクションが続いています。私はこれまでの2回の滞在時には、ムーミングッズ、ほしいな・・・と思いつつも買うことなく終わっていたのですが、今年の2月にここシェレフテオで、ムーミングッズの先輩、ミムラちゃんによってついにムーミンへの扉が開きました。初めて買ったのは、集めるときはまずはこれから、と思っていたLoveと、それに似合う色合いでThingumy and Bob。 このマグたちには毎朝食卓に登場し、あったかな気持ちにしてもらってきました。とっても持ちやすいし、コーヒー・茶渋も落ちやすいんですよね。そして、10月に街のDUKAというキッチン用品のお店でセールになっているのを発見。一時的な円高(というか、クローネ安)とセールに乗っかって、そして最近がんばっている自分へのご褒美、という名目のもと、現在、マグカップは6客となりました。新たに増えたのは、スウェーデンカラーのMoomintroll on ice、Little My、そして今年の記念にと、2008年夏冬コレクション。 これは日本のミムラちゃんに報告しないわけにはいかない、と、お店の人にセール期間を確認後連絡したところ、オーダーいただきました。どのマグカップも描写が細かくて、見ているだけでムーミンの物語を読んでいるような気持ちになります。そして、今週、8年前にスウェーデンに来て初めて友達になった、ハーブセラピストのKAFFESUGENちゃんからなんと、手作りハーブティーが届きました。心も身体もあったまるアンゼリカのハーブティー、これももちろんムーミンマグで毎日いただいています。 ここまでムーミンを毎日見ていると、ムーミンの本が読みたくなります。そこでまずはこれから、と、幼児向けのこんなかわいいミニブックを買いました。 これを見てムーミンマグが恋しくなった皆さんへ。ARABIA社の、せっかくなので、フィンランド語ページはこちらですARABIA FINLAND。ムーミンマグに限らず、アンティークから新作まで、どれもいつも傍に置いて眺めていたいものばかりのARABIA社の製品。ゆっくりご覧ください。
2008年11月01日
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こちらは昨日、日曜日から冬時間になりました。というわけで、日本との時差は8時間です。といっても、そのことには今朝まで気づきませんでしたが、8時に起きたと思ったら実際には7時で得をした気分でした。今週は学校が休みなのでのんびり、したいところですが、その分宿題が盛り沢山。先週末、スウェーデン語のクラスで仲良くなったメキシコ出身のカミちゃんと一緒に、メキシコ料理を作りました。夜7時頃、どっさりと食材を抱えてカミちゃんと彼登場。ちなみに彼が抱えていた食材が入ったクーラーボックスにはNISSANのマーク。車市でもらったものだそうです。カミちゃんは着くなり、BGMのメキシコ音楽を忘れちゃったと一言。そんな演出まで考えてくれていたなんて、嬉しい限りです。その代わりに、スペイン語つながり、ということで、MANU CHAOの音楽とともに料理スタート。料理は二品、ワカモレというアボカド・トマト・玉ねぎ・コリアンダー・ハラペーニョ・ライム果汁・塩で味付けしたディップと、名前を覚えられませんでしたが、鶏肉・パプリカ・玉ねぎの炒め物。もう一度名前を聞き次第お伝えしますね。メキシコでは料理をするのは女性だけとのこと。手際のよいカミちゃんは次々と作業を進めていきます。その傍らで私もヘルプ。 味付けは素材を活かして、とてもシンプル。ワカモレはマッシュしたアボカドに刻んだトマト、玉ねぎとコリアンダーを加え、ライム果汁と塩で味を調えます。鶏肉・パプリカ・玉ねぎの炒め物はオリーブオイルで鶏肉を炒め、肉汁がしっかり出たら野菜を加え、最後に塩コショウで仕上げ。 そして、それぞれをお皿に盛って… トルティーヤに両方の具をたっぷりと載せて折りたたむように巻いて食べます。ハラペーニョのピリッとした辛味が効いて美味し~い。まさに食欲の秋、の楽しい夜となりました。 料理を通して再三話に出たのが、これらの具材の色です。どちらの料理も緑は独立・希望、白はカトリック・宗教的な純粋さ、赤は統一を表しているという、メキシコの国旗をイメージしたものなのだそうです。 国旗をイメージした料理って日本にあるのかなあ…と考えてみましたが、日の丸弁当しか思い浮かびませんでした。メキシコでは朝ごはんがとても大切にされていて、盛大に何品も食べるそうです。この辺りは伝統的な日本の朝食と一緒ですね。次回はお寿司ナイトの予定です。
2008年10月27日
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本日のシェレフテオは、昨日のどんよりしたお天気とは打って変わって晴れ。ただ最高気温は4度と冷え込んできたようです。今週は空模様のように、悲喜こもごもの一週間となりました。悲外国に住むというのはやはり楽なことではありません。特に今回私はここでは“移民”という扱いになります。私は日本で言語聴覚士、という、ことばのリハビリの仕事をしていました。ここスウェーデンにも同様の資格があり、logoped(ロゴペード)といわれています。スウェーデンでこのlogopedになるためには、大学のlogoped学科で4年間勉強し、全課程を修了した段階で有資格者となります。ちなみに日本では3,4年課程のa)大学教育、b)専門学校教育、c)大卒者対象の2年課程の専門学校教育がありますが、その後多くの医療職と同様国家試験があり、合格後有資格者となります。私はc)の教育を受けました。スウェーデンでは、EU加盟国以外の外国人の有資格者であっても、1)高校卒業レベルのスウェーデン語をマスター、2)補習授業を受講、そして、3)スウェーデンの資格申請 という手続きを踏むことができる可能性があります。そこで、私は先日2)の補習授業受講資格を求めて必要書類を揃え、審査機関に送りました。審査には通常3ヶ月はかかる、と聞いていたので、のんびり構えていたのですが、わずか2週間で返事が返ってきました。そして結果は、“却下”。却下理由として、“私が受けた専門学校での2年間の教育をスウェーデンの4年間の大学教育と比較することはできない”、という記載がありました。但し、ここまで読んだところで、進路指導の先生の助けを得て書類を揃えていたにもかかわらず、私は2)の補習授業受講申込書ではなく3)の資格申請書を送ってしまっていたことに気づきました。そこで日を改めて、担当者と連絡を取ってみたのですが…。「あなたが例え別の申込書を送ろうと、結果は同じです。」とあっさり厳しい口調で門前払いを受けてしまいました。日本の教育、国家資格等スウェーデンと異なるシステムについては申請時にも手紙を添付し、電話でも再度伝えたのですが、とにかく「あなたは2年間しか勉強してないでしょ。それをスウェーデンの4年制大学教育と比較することはできません。つまり、補習授業受講資格はありません。」の一点張りでした。スウェーデンの4年間の専門教育と比べて2年間が短いといわれるのはもっともですし、ことばのリハビリの仕事を外国で目指そうとすることは非常に大変なことだ、ということはずっと思ってきました。だからこそ、しっかりと時間をかけた補習授業を受講できれば、と思っていたのですが…。もちろん、場合によって申請が却下されることもある、と記載はあったものの、そうなるとしても、日本の教育制度、資格制度等に関してしっかりと時間をかけた審査を経てからだと思っていました。正直なところ、門前払いとなってしまったのはやはり腑に落ちません。この結果には一応異議申し立てをすることが可能ですが、以前ビザが却下されたときの苦い経験を思い出さずにはいられません。現在スウェーデンでlogopedを目指したい場合に私に残された唯一の道は、他のスウェーデン人と同様大学を受験して、合格することです。このためにまた高校レベルのほかの科目の履修も必要となりそうです。但し、もし合格した暁には、日本の教育を多少考慮してもらえる可能性もあるかもしれない、とのことです。そんな矢先に、以前担当していた失語症という言語障害をかかえた患者さんが、今も私の苗字を書くことができて、家庭でも時折話題にしてくださっている、ということを聞きました。“郷に入れば郷に従え”、ということわざもあるように、ゼロからもう一度スタートするのが当然、といわれるのも最もなのですが、日本のことがゼロになってしまうのはやはり切ないなぁ、と感じてしまいます。日本からスウェーデンに移ってこられた方の苦労された話や、日本に限らず自国での教育や仕事を経てこちらに住むようになった移民の皆さんが同様の扱いを受けた話をこれまで聞いてきましたが、これが外国に住むということなんだな、ということを痛感しています。喜長々と“悲”から始まりましたが、次は“喜”で。今月より週に一度、日本語を教えています。全7回の日本語入門コースで、参加者は高校生から社会人までとさまざまです。昨日は第3回目でしたが、ひらがなの練習と平行して「げんき」という教科書を使いながら授業を行っています。 日本語教師の通信教育を始めたものの現在一時休憩中、ましてや教授経験はゼロの私です。私なんかでいいのだろうか…という不安の中のスタートで、授業の準備も毎回一日仕事、試行錯誤なのですが、これまで勉強したことがある分野と共通する内容も多く、優しい参加者の皆さんに支えながら、ともに学ぶ日々です。昨日の授業のひらがなの練習中、ある男の子が、ひらがなについて、「基本的に上から下、左から右に描く、という共通ルールはシンプルだよね。」といいました。でも申し訳ないことに、私は彼が言った意味がよくわからず、勝手に漫画の話?と思ってしまいました。結局彼の隣に座っていた女の子が別の言い方で言い直してくれて、ようやく理解しましたが、なぜそう勘違いしたかというと…。もちろんスウェーデン語の理解力が足りないこともあるのですが、彼がひらがなを「書く」ではなく、→「描く」といったからなのです。私にとってひらがなは、文字です。でも、彼らにとってひらがなは当然ながら未知の文字で、絵を描くような感覚らしいのです。なるほど~という瞬間でした。来週がまた楽しみです。最後に、8月の終わりに友達からいただいたガーベラの鉢、すぐに花がしおれてしまい、2つあった蕾も全く咲く気配なく一ヶ月以上が経ったのですが、なんと、昨日花が咲き始めたのを発見。今、ゆずの歌“センチメンタル”の一フレーズ、「この胸に真実の花を咲かせよう」が頭の中を流れています。
2008年10月25日
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よい休日をお過ごしですか?課題の本、水曜日の朝読み終え、発表も無事終わりました後はこの小説については、レポート提出を残すのみです。といってもすぐに次の小説を選ばなければならず、月曜日には定期試験があり、と次から次にやることが増えていくのですが・・・さて、タイトルのぽにょ、いわずと知れた、宮崎駿監督の大ヒット映画、“崖の上のポニョ”です。日本ではまだあの主題歌をよく耳にしているのでしょうか?私には3人の姪と甥がいます。夏にこちらに来る前に、義姉と姪、甥と4人でこのポニョを観に行きました。4歳の姪、2歳の甥にとっては初めての映画館デビュー。姪、甥はポニョのお父さんに対し「こわい~、帰りたい」という反応を示したものの、結局は最後まで夢中で観てくれ、おかげで私達大人も映画を楽しむことができました先日、電話で姪と話した際に、ちょうどポニョの本を読んでいた姪はこういいました「lunna姉ちゃん、昨日ポニョ観にいったよね」。“ん?昨日?”…そうなのです。現在4歳の姪にとって、過去の出来事はなんでも“昨日”となるのです。ことばの仕事をしていた私としては、姪と甥のコミュニケーション発達が楽しみでなりません。現在我が家にはジブリアニメのDVDが3本あります。トトロは現在貸し出し中ですが、このトトロ、スウェーデンでも昨春映画館上映されました。スウェーデンの題名は「MIN GRANNE TOTORO(ミン グランネ トトロ)」、まさに、「となりのトトロ」です。 このポスター、よく観ると、さつきの髪が長く、そして姪をおんぶしていないんですよね。日本語+スウェーデン語字幕で上映されたのですが、日本で映画館上映された際には観たことがなかった私にとって、大々好きなトトロを映画で観れることが嬉しく、二度も観に行きました。昨秋には「魔女の宅急便」(スウェーデン語ではKIKIS EXPRESSBUD(キキス エクスプレスブード))も上映されたそうです。この原作を小学生のときに読んで以来のファンで、本気で魔女になりたかった私ですが、この作品はキキが修行をする街のモデルの一つがストックホルムと聞いて、また新たに観る楽しみが増えています。そして、この秋には「紅の豚」が「PORCO ROSSO(ポルコ ロッソ)」という題名で映画館上映されました。残念ながら大都市上映のみだったため、観にいくことができませんでしたが、そんな矢先に日本からDVDが届き、喜んでいます。ポニョがこちらでの上映される際にはぜひぜひ、観に行きたいです。今宵はまーさんと日本語仲間の武道くんが「平成狸合戦ぽんぽこ」を観るんだとか。
2008年10月18日
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今日のシェレフテオは、晴れ時々曇り、最高気温は6度との予想でしたが、空模様は予想通りのようです。読書の秋ですね。ここ数日の私はまさに読書の秋。といっても、先日日本の叔母から届いた本はまだ開くことができず、スウェーデン語の学校の課題である小説をひたすら読んでいます。明日の授業でこの本の紹介をしなければいけないのですが、私が選んだ本はサスペンス小説の“Sprängaren(スプレンガレン)”邦題にすると“爆破者”。著者はスウェーデンの女性推理小説作家として人気の高いLiza Marklund(リーサ・マルクルンド)です。ずいぶん前に購入したもののずっと読み進まずにいたこの本、今回はなんとか強引に読み進んでいます。昨日は学校があるCAMPUSの図書館でこれを少し読みました。この図書館はとてもガラス張りのモダンな建物です。このような外観の入り口から中に入ると… 図書館内部はこのように吹き抜けになっていて、お天気がよいときは太陽光がふんだんに取り入れられるようなデザインです。 そして、川際に建っているので図書館の中からシェレフテ川を見渡すことができます。 全体的に柔らかな白木作りですが、、ソファーや柱、椅子にはポイントカラーとして赤、黒、紫が取り入れられています。川が見渡せる2階の席が私のお気に入りの場所です。スウェーデン語を読む際の必須道具の二つの電子辞書(英和・和英、英瑞・瑞英語)、そしてコーヒーとお菓子。 と、昨日は比較的優雅に読むことができましたが、締め切りが明日に迫った今日は、家にてジャージ姿で読書に取り組んでいます。犯罪事件を取り扱う部署の女性記者がオリンピックスタジアムで起こった爆発殺人事件の真相を追っていくというこの話。記者として、部下を持つ上司として、二人の幼子の母として、妻として、そして女性として、さまざまな角度からこの女性を捉えていて、難しい言葉だらけですが面白いです。現在、416ページのうち247ページまで読み終えました。さあ、今からが追い込みです。あと何踏ん張り。読み終えた暁には映画化されているこの作品を鑑賞したいと思っています。
2008年10月14日
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皆さん、楽しい連休を過ごされましたか?もう先週になってしまいましたが、ノーベル物理学賞、化学賞を日本人4名が受賞されましたね。受賞自体は6年ぶり、そして初の物理学賞3人同時受賞、更には化学賞受賞、ということで、暗いニュースが続く中でのこの明るい受賞ニュースは、「ちょっとすごいね」という喜び声の母から入ってきました。物理学賞を受賞された南部先生、小林・益川先生、そして化学賞を受賞された下村先生の記事、読みました。私には難解でした…が、どれも発見から35年以上を経ての受賞ということで、その貢献に対してようやく訪れた吉報に、謙遜しながら喜ばれる先生方のコメントにまたその偉大さを感じました。ちなみに、授賞式はAlfred Nobel(アルフレッド・ノベール)の命日の12月10日に執り行われます。つい先日このNobelさんの偉大な功績とその影にある寂しい私生活のことを知ったばかりです。「純粋に学問の世界だけに留まらず、広く社会に応用され、世界の発展や改善に寄与したことが授賞の要因になっている」というこの賞、世界的な金融危機がノーベル財団の資産に影響を及ぼしている、という話も気になりますが、12月10日を楽しみにしたいと思います。 この嬉しいニュースをともに分かち合ってもらおう、と早速まーさんにも伝えました。物理を専攻していたまーさんに、日本語でもよく理解できていない内容はうまく伝わらなかったのですが、その喜んでいる日本人がいいね、とのコメントをもらいました。だって嬉しいですよね。
2008年10月13日
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スウェーデン語私は今、スウェーデン語の学校に通っています。この学校はKOMVUXと呼ばれる成人学校で、大学に行くために必要な単位を取得したり、語学等、自分の知識を更に深めるために学習をする機関です。前のブログに書いたパーソナルナンバーがある人なら誰でも、学費は無料で通うことができます。今私が勉強しているのはSvenska Aと言われる高校レベルのスウェーデン語です。これはBまで続くのですが、スウェーデン語を机上で学習した経験が乏しく、耳で覚えたといったほうがいい私にとって、この学校の存在はありがたいです。このsvenska A、授業があるのは週に二回ですが、試験やレポート、プレゼンテーションなど、課題がとにかく多く、真面目にやろうと思えばきりがないような状態です。ただ、私は自分一人では何もしようとしない怠け者なので、このように課題があるほうがよいようです。 クラスメートはアフリカ(ザンビア、ケニア、ソマリアなど)、アラブ諸国(アフガニスタン、イラクなど)、南米(メキシコ、コロンビア、チリなど)、ロシア、ウズベキスタン、タイなど、ざっと挙げただけでも世界各地から集まっています。スウェーデンに住むようになった背景は様々ですが、他民族がともに学ぶ、という環境はスウェーデンならではで、彼らを通してその国を学ぶことができるのも醍醐味のひとつです。このKOMVUXがある、キャンパスは、広々としていて爽快ですemoji code="h306" />。 秋昨日は週末降り続いた雨はやんだものの、曇り空ではありましたが、学校の帰りにいろいろと写真を撮ってみました。スウェーデンの家は日本同様木の家が多いのですが、外壁の色は様々です。かわいらしいピンクの家もあります。 家の近くはもう、落ち葉の絨毯が広がっています。そこをお散歩中のプードルを発見。スウェーデンの犬は概して穏やかで、いわゆるリーダーズウォークがしっかりできるんです。写真では飼い主さんに姿が半分隠れて見えにくいのですが、心なしか、犬の姿勢もよいような… 日本の我が家には愛しのダックスフンドのルンナ、ピッピが二匹いますが、ピッピはどうしてもリードを引っ張りがちで、犬を見かけると吠えます。なかなか修正が難しく今に至りますが、ここの犬達を見ていると飼い主がしっかりとマナーを学ぶ必要性をつくづく感じます。秋、散歩といえば、UDONちゃんから垂れた稲穂の傍を牛乳パックで作った犬(これが見事)とともに散歩中のおーえーくん(もうすぐ3歳)の写真が届きました。そのほのぼのとしたかわいさと、成長振りに感慨深くなるlunnaでした。そして、家が近づいてきたそのときに、歩道を動く不思議な車を発見。なんと、前輪の前方にブラシが付いている落ち葉掃き車なんです。ここのKommun所有のものです。残念ながら落ち葉を掃いていくその瞬間は撮り損ねましたが、このような姿です。 家に帰ってきたまーさんにこの写真を見せたところ、ああ、落ち葉掃き車(lövsopare:ローヴソーパレ)ね。と驚きもなく馴染み深い様子で、砂掃き車(sandsopare:サンドソーパレ)もあるよ、と教えてくれました。日本にもあるのかなぁ?日にち変わって今日は青空が広がっています
2008年10月07日
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レグ「レグ」。ここに住んでいて、この言葉を聞かない日はほぼない、といってもいいほどです。スウェーデンで生活する上で、不可欠なものが二つ、一つ目がPersonnummer(パションヌンメル)、二つ目がlegitimation(レギティマフ(ショ)ーン)、略してleg(レグ)です。これらはどのようなものかというと…1)Personnummer(パションヌンメル):パーソナルナンバーここスウェーデンでは、国民であれば出生と同時に自分のパーソナルナンバーが国税庁により決められます。これは自分の背番号のようなものなので、この番号を入力することでその人の背景が全てチェックできる、というシステムになっています。外国人も1年以上の滞在許可が下りている場合には、住民登録をすることでこのパーソナルナンバーをもらうことができます。この番号があればさまざまな社会保障を受けることが可能になります。ちなみに、以前の滞在時はビザの許可が一年未満だったため、自分で海外旅行保険に加入する必要がありました。2)Legitimation(レギティマフ(ショ)ーン):身分証明書(IDカード)1)のパーソナルナンバーを取得後、このIDカードを作ることができます。日本では運転免許証、保険証等が身分証明書となりますが、スウェーデンでは運転免許証か銀行で作成できるIDカードが身分証明書となります。日本人にはまず1)のようなパーソナルナンバーはありませんし、2)の身分証明書も毎日誰かに見せる機会はありません。でもここスウェーデンでは、何かにつけて両者が必要となります。特に2)のレグはお酒屋さんやスーパーで酒、タバコ類の買い物をするときにも、郵便局で荷物を受け取るときにも、必ず必要です。このレグを作る際以前は銀行であればどこでも作成できたようなのですが、規則がころころと変わるスウェーデン、最近規則が変わり、銀行によっては作成できない機関もあります。IDカードなしでは本当に生活しづらいスウェーデン。困っている方もおられると聞いたので、ご参考までに、私のケースをお話ししたいと思います。IDカード作成時の必要書類はパスポート、写真一枚、住民票(Pesonbevis:パションベヴィース。これは税務署でもらうことができます。)+既に発行されたIDカードを持っている人が保証人として同行する必要があります。私の場合、取りあえず問い合わせを、と思い、一人で銀行を訪ねました。SEBという銀行に出向いたところ、預金口座をまず開設し、開設半年後(この期間を経て銀行との信頼関係を証明できる、と捉えるそうです)初めてレグを作成できる、という説明を受けたのでした。先日パスポートがレグと認められず(以前はOKだったのに)手続きに手間取った私としては、今すぐにでもレグがほしい!という状況だったので、優しく対応してくれていた担当者に粘って交渉したのですが(スウェーデンの場合、担当者によって随分対応が変わるのです)… やはり「規則だから」ということでだめでした。ただ、この行員さんはとても親切で、「警察だったらできるはずよ」とその場で電話をさせてくれました。が、ここでも「スウェーデン国民にしか発行しない」と跳ね飛ばされます。はぁっと打ちひしがれた私を見かねたのか、最後に、彼女は「この銀行では今すぐにはIDカードの発行はできないけど、ほかの銀行の規則がどうなっているかはわからない」と言ってくれました。一縷の望みを得た私は、別のSwedbankという銀行に向かいました。ここで、SEBでの出来事はなかったかのように、必要書類を見せながら「IDカードが作りたいんですけど」と尋ねたところ、担当者は「最近規則が変わったのよね。ちょっとマニュアルを見るから待って。」との返答。内心冷や冷やしながら待っていると、少ししてから「OK」との返事が返ってきました。「やったー」と私は心の中で叫びつつ帰途に着いたのでした。ちなみにこのSwedbankの場合はIDカードを作成後預金口座開設が可能となります。スウェーデンにはまだ何社か銀行がありますが、私はこの二つの銀行以外の状況は知りません。はじめからSwedbankに行っていればあっさりと手続きを踏めたのかもしれませんが、SEBの行員さんの丁寧な対応には感謝しています。今手元にはこのレグがあります。今日も郵便局でこれを見せてきましたが、今後もこのレグが日々活躍してくれることは間違いなし。外国にいると、日本では考えも及ばないことでトラブルに見舞われますが、鍛えらる日々です。
2008年10月07日
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皆様大変ご無沙汰しています、lunnaです。昨年5月の日記を最後に何のメッセージもなく休止状態になっていましたが、その間も時折ブログを開いてくださっていた方、また再開を待ってくださっていた方、大変お待たせいたしました。そして、初めてこのブログを目にされる方、ようこそ。実は私、昨年の夏以降、当時延長申請していたビザが却下されたハプニングがあり、しばらく日本にいました。その後、年明けに観光ビザでスウェーデンを訪れ、帰国後新たにビザを申請し、この8月からスウェーデンでの新生活が始まりました。ようやくここでの生活も落ち着きつつあります。ところで今、私はこれまで滞在していたヨーテボリ、ランドヴェッテルを九州とすると、東北地方のSkellefteå(シェレフテオ。ヨーテボリ弁でいうとフェレフテオ)という北の町に、相棒まーさんと住んでいます。ここシェレフテオ市は、スウェーデン東北部に位置するVästerbotten(ヴェステルボッテン)県第二の市で(第一の市はUmeå:ウメオです)、人口約7万2千人、面積は7217平方キロメートル(スウェーデン第二の広さらしい!)、木材産業と鉱業(金、銅など)が有名です。街の中心の地図はというと… え、どんな感じ?と思われるでしょうが、このバッグの下のほうに、大きな白い横線がありますよね。これが街の真ん中を流れている、シンボルとも言える大きな川、Skellete Älv(シェレフテ エルヴ)。この川に沿って街が広がっていて、自然豊かです。ヨーテボリと比べると、静かで穏やか、人々もヨーテボリがちゃきちゃきと温かい、とすると、こちらはのんびりと温かい、という印象があります。ちなみにこのバッグのデザインは、地元出身のテキスタイルデザイナーAnna Viktorsson(アンナ・ヴィクトルソン)によるもので、シェレフテオの地図が描かれています。役所のカフェテリア、不動産会社などでも彼女の作品を目にすることができ、私のお気に入りです。cf.Modern Design実際の街の様子はこんな感じです。上段左より、街のメインストリートから撮った街のシンボルともいえる教会:Sankt Olovs kyrka(サンクトオロフスシュルカ)、川の反対側からの街の様子、そしてシェレフテエルブ。 そして、ここの名物といえば、Västerbottensost(ヴェステルボッテンスオスト)と呼ばれるチーズです。Burträsk(ブールトゥレスク)という町で作られているのですが、スウェーデン全国で高級チーズとして人気が高いチーズです。赤ワインと合いチーズのみでもしっかりした味わいがあるのですが、ピザなど料理に用いてもまた美味しいです。日本の家族、親戚からも大好評でした。 シェレフテオは、オーロラも見ることができるほど高緯度です。というわけで、木々は落葉樹、針葉樹両方ありますが、紅葉はもう盛りを過ぎたところです。もうここに7年程住まれている日本女性曰く、9月中にここまで落葉してしまったのは例年にない早さだそうです。家の前にある中庭の木は、先週末の強風であっという間に散ってしまいました。 明日の予想最高気温は8度。南国育ちの私としては、本格的な冬が楽しみなのですが、日毎に日暮れも早まってきており、冬は確実に近づいてきています。これからまた、シェレフテオ発の新たなスウェーデン便り、お届けしたいと思います。どうぞ皆さん、よろしくお願いします。
2008年10月04日
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cortegen(コテーシェン)とは、フランス語由来で、「行列」という意味です。ここヨーテボリでは毎年5月1日メーデーの前日である4月30日のValborgsmässoafton(ヴァールボリィスメッソアフトン)に、ヨーテボリの工科大学Charmers主催の伝統行事cortegenが催されます。このcortegenは、Charmers一年生が中心となり、トラックの荷台でパフォーマンスをしながら街中を練り歩くのですが、何十台ものトラックはそれぞれテーマを持っており、風刺的な意味合いを持つものも多く、笑いを誘います。この日のCharmersの学生はスーツ姿にcharmersの証である白い帽子を被る、という正装で、お酒を片手にこのcortegenを楽しんでいます。この行列を見ようと、街は子どもからお年寄りまで、人、人、人で溢れており、ヨーテボリにはこんなに人がいたのか、と驚かされるが、お祭りムードに包まれています。中には1990年代のcortegenのハッピを来た卒業生の家族連れなども見られ、この伝統を大切にしていることがよく伝わってきました。この日は日は照っていたものの風が冷たかったのですが、在校生、卒業生、市民が一体となり楽しむこの行事を見て、心が温かくなりました。は上段左から、ヨーテボリのシンボルポセイドンもびっくりの人だかり。お酒とスーツが良く似合う学生達。下段はスウェーデン人初の宇宙飛行士Christer Fuglesang(クリステル・フォーグレサング)をテーマにしたトラック。
2007年05月01日
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日本はゴールデンウィークに入りましたね。勤務日の方も多いと思いますが、新年度も始まり新緑の美しい季節になっていると思います。お元気にお過ごしですか?大変ご無沙汰してしまい申し訳ありませんでしたが、春真っ盛りのスウェーデンより、再びお便りをお届けします。påskスウェーデンでは、イエス・キリストの復活祭であるイースターのことをpåsk(ポスク)という。街中のお店、家々では卵、鶏にちなんだ黄色を貴重とした飾り付けをし、卵料理+クリスマスに食べるようなSill(シル:ニシンのマリネ)といった特別な料理を食べ、卵の形の入れ物に入ったpåskgodis(ポスクゴーディス)というお菓子を食べます。子ども達がHare(ハーレ)と呼ばれる野うさぎが庭に隠したプレゼントやお菓子を探し出すのもかわいらしい風習です。 4月の第一週目はポスク休みでしたが、私はこの間、これまで住んでいたランドヴェッテルからヨーテボリに引越しをしました。ホストファミリーの助けのおかげで無事引越しも終わり、ついにスウェーデン生活で初めての一人暮らしが始まりました。出だしは順調に見えたのですが、片付けもそこそこに一路ベルギーへ!と旅に出た直後、お財布が紛失。カードをはじめ、大事なものが全て入っていたため、空港に行かずに旅は終わりました。というわけで、ネロが最後に観た絵を見る夢は一瞬にして消え去り、カードを止め、再申請するといった手続きに追われることとなったのでした。結局、私のポスク休みは引越しの片付けをしたり、友人とご飯を作ったり、こちらでのポスクパーティーに参加したりしながら過ぎていきましたが、オーバーワーク気味だった身体の休養ともなったので、結果的にはよかったのかもしれません。一時的に無一文にもなった私をいろいろと助けてくださった皆さん、本当にありがとうございました。そして、果たせなかったベルギーへの旅は、夏までに必ず行こう、と硬く誓った次第です。北国の桜今年は暖冬だったスウェーデン。3月から一気に温かくなり、気温の変動は大きいものの、ここ数日は夏のような陽気が続いています。午後8時くらいまで日も照るようになり、太陽を待ち望んでいたスウェーデン人はここぞとばかりにお日様の下でアイスクリームを食べています。日本人、春、と言えば、桜ですよね。桜の下でのお花見は欠かせません。私も幼い頃から祖母達と毎年のように、伯母の家の近くの桜の名所でお花見をしてきました。ところでスウェーデンと桜、なかなか結びつきませんが、この国でも桜を見ることができます。ここヨーテボリでは街路樹、また、庭に植樹されたものなど、桜の数は豊富で、まだ若い木が多いのですが、至る所で桜を愛でることができます。もう葉桜になったものも多いですが、今は色の濃いボタン桜や八重桜?のような桜が満開を迎えています。九州育ちの私としては、ソメイヨシノの大木=桜、というイメージがあるので、こちらの桜はあまり郷愁を誘われないのですが、北海道出身の友人曰く、ここの桜と北海道の桜は似ている、とのことです。白樺と桜が並んでいる姿は北国の春、ということばがぴったり来て、何だか素敵です。
2007年04月30日
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言葉の教室言葉の教室の先生の下での研修も年が明けてから第二クールに突入しました。1月からは、同じ先生の下で週に一回、同じ子ども達のトレーニングの様子を継続的に見学させてもらっています。先日、trollerilådan(トゥロッレリーローダン)という、画期的なPCの構音(発音)プログラムを見せてもらった。この中には、スウェーデン語の9母音及び、構音しづらい子音(例:sj(フェー)音)が音韻→文レベルで構成されている。子どもは例題を聞いた後復唱をするのですが、その際、構音、抑揚を機械が聞き分け、視覚的にフィードバックを行う仕組みとなっている。また、録音が可能であり、その直後に自分の構音を聴くこともできます。つまり、聴覚的及び視覚的に構音をフィードバックしながら、正しい構音を強化していこう、という目的のプログラムなのです。 日本で言う、失語症者、発語失行(発話のプログラミングの障害)者向けのPCプログラムを髣髴させますが、上手に構音できると鉢植えの花が満開になる、といったかわいらしいフィードバックもあり、子どもはゲーム感覚で楽しみながら構音の練習が出来ます。私も試させてもらったが、外国人の構音練習としても有効と思われます。思わず、「私もほしい!」といってしまいました。国を超えて先日、在瑞日本人で、まもなく言語療法士になろうとしている方とお会いする機会を得ました。日瑞のST事情について、時間が経つのも忘れて情報交換をしましたが、スウェーデンで言語療法士になるのは、スウェーデン人でも大変難しい、といわれている中、外国人というハンデを乗り越え、子育てと勉強を両立されている彼女に、大いに刺激を受けました。日本ではここ数年でSTの職場も大幅に増えていますが、まだまだ専門的ケアを必要としている方に対するSTの数は足りないといわれています。興味深かったのが、福祉大国といわれているスウェーデンでも同様の現状があることでした。地方自治が進んでいるスウェーデンにおいては、各自治体によって裕福さも異なります。各自治体には必ず健康保健センターがあり、裕福な自治体ではそこにSTを配置することができますが、自治体によっては各分野のリハビリスタッフを配置する余裕がなく、その場合は、残念ながら、目に見えない障害であることばの障害に関する対応がどうしても後回しになりやすいようです。というわけで、例えば脳卒中で入院した場合、日本では、急性期(救急車で運ばれる)病院の後、現在は多くのケースで転院(所)・自宅からの通院(所)・訪問リハビリといった継続したリハビリの実施が可能ですが、スウェーデンでは、自治体によってはことばのリハビリがまだ必要な場合も実施する場所がなくなってしまう、ということです。また、上記と関連し、新卒のSTの就職事情としては、しばらくは産休の代理といった期間限定の雇用で、いろいろな場所で経験を積み、そのうちに一箇所での定職を得ることができるようになるそうです。スウェーデンではSTになるために4年間の教育が必要であるが、3,4年では各領域での充実した実習が組み込まれているそうです。一連の話を通して、この国の専門分野に関する質の高い教育体制を素晴らしいと思う一方で、STの需要と供給がかみ合っていない現実がある、ということへの課題も感じました。この課題に対し、どのような取り組みがなされているのかについても今後見聞きしていければ、と思っています。
2007年02月25日
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皆さん、この1ヵ月、忙しさと途中の体調不良にかまけて更新をすっかりご無沙汰しましたが、お元気にお過ごしですか?ブログの更新がされてないけど元気?と気にかけてくれた方々、ご心配をおかけしましたが、ありがとうございました。というわけで、この一ヶ月の様子を少しずつ、お伝えしたいと思います。ニッケルハルパ10月にスウェーデンの民族楽器ニッケルハルパのレッスンを開始してから4ヶ月目を迎え、3ヶ月楽しく続けられたら購入を・・・と考えていた私は、ついに、ニッケルハルパ購入の日を迎えました。先生の事前下見の後、Skövde(フヴデ)というヨーテボリから車で二時間くらいの町に住んでいる、ニッケルハルパ職人のお宅を訪ねました。80代のベテラン職人、Tage(ターゲ)さんは、先生の情報によると、スウェーデン一安くて質も良いニッケルハルパ職人さんだとのこと。元々エンジニアとして働かれていたというターゲさんは、精密で使いやすいハルパの制作に長けており、日本やアメリカにも輸出をされているそうです。というわけで、日本人の私が買うことを喜んでくださった彼は、穏やかな笑顔で、新品のハルパに加え、もう一台、9年前のものでつい最近修理をしたという格安価格のハルパを見せてくださいました。双方の音、ボタンの使いやすさ、身体へのなじみ具合等を先生とともに比べること1時間、ようやく、9年前のニッケルハルパを購入することに決めたのでした。というわけで、日本でのボーナスを使っての大人買い、とはなりましたが、楽器は一生もの。次の週、先生のバンドdjärv(ヤルヴ:5人がバイオリン、ニッケルハルパ、コントラバス、フルート、ソプラノサックス、ギター、ドラムを使っての演奏を繰り広げる、ニュー民俗音楽バンド。写真左から2番目が先生。)のしなやかで美しい演奏を聴いて、ますますニッケルハルパの魅力を感じる今日この頃。私が演奏すると、まだ“音色”とはいえないのですが、息の長い付き合いにしていきたいです。 ヨーテボリ国際映画祭1月26日~2月5日にかけて、ヨーテボリ国際映画祭が開催されました。今年で30回目を迎えたこの映画祭、世界各国の映画を街の至るところで観れるとあって、お祭りムードが漂います。日本からは、「HANABI」「Always~三丁目の夕日」など、計7本が上映されました。私はこの間、「Cyclo」「Buffalo Boy」という2つのベトナム映画と「Linda Linda Linda」という日本映画を観ました。ベトナム映画鑑賞は初体験でした。それぞれ、ベトナムの都市部・農村部を舞台に、台詞は決して多くなく、ベトナム特有の音楽とともに淡々と物語が進行していくのですが、シンプルなようで実はとても複雑で、人間の内面描写が巧みだという印象を受けました。そして、最後に観たのが日本映画「Linda Linda Linda」。The Blue Heartsの楽曲を学園祭で演奏しようと奮闘する女子高生達の青春を描いたこの映画は、スウェーデン人にも好感触で、清潔感溢れる映画で終始笑が絶えませんでした。外国で日本映画、アジア映画を観る、というのは、日本で観るのとはまた違う喜びがあります。充実したひと時でした。29歳の初仕事2月4日は29回目の誕生日。早生まれということもあり、ずっと20代は続くような錯覚に長らく陥っていた気がするが、気づけば20代最後の年となりました。目の前に見えつつある30代に向け、地にしっかりと足をつけて過ごしていきたい、と思う次第です。というわけで、29歳の初仕事は、というと・・・ドラえもん。今日2月25日に結婚式を迎えた、ドラえもんが大好きな前職場の同僚Sさん。9月の結婚式に続き、今回も残念ながら出席できなかったのですが、幸いにも余興の中でメッセージを伝えることができました。前職場は体育会系、ということばがぴったり来る、お祭り好きの職場ですが、今回も先輩が楽しい余興の企画をして下さいました。みんな面白いことをしているよ、という先輩からの連絡を受け、ここで大好きなSさんのために私も一肌脱がねば!と血が騒ぎました。そこでこちらの友人の協力を得て思い浮かんだのが、私がドラえもんになる、という意味のわからない企画です。内容はこのようなものです…ドラえもんを仮にスウェーデンで新しく出来た彼と設定し、2種類の写真:1.普段の自分、2.手作りのドラえもんお面をかぶり、メークを施した状態の自分、を撮り、メッセージとともに日本に送る。この2写真を組めあわせると恋人同士に見える、という設定です。こう書いてもおそらく内容が不可解でしょうが、とにもかくにも、ドラえもんメークの写真はなかなかの力作となりました。ちなみに、下の写真で一緒に写っている男の子はエキストラ。怪しい日本人のお願いを気持ちよく引き受けてくれ、見事な演技をしてくれたのでした。実はどんな仕上がりになっているのかは知らないのだが、結婚式でうけてたよ、との知らせを受け、撮影時の恥ずかしさは一掃され、満足感でいっぱいです。企画・撮影を協力してくれた友人、映像を編集してくれた先輩に感謝、そしてそして、Sさん、おめでとうございます。
2007年02月25日
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1月もも気づけば後半。受験生の皆さん、寒い中のセンター試験、お疲れ様でした。こちらスウェーデンも、新年の余韻も束の間、研修、仕事、日常に戻っています。この2週間の間に、1週間前には嵐による停電を味わい(何と約半日!275000世帯が停電になり、未だ復旧していない場所もあるそう・・・)、その後ついに風邪を引き、そして昨日は、ここ南西部でもやっと待ちに待った雪が雪が降りました。喜んで写真撮影。 が、喜びは長く続かず、一晩のうちに雨ですっかり解けてしまったのでした。ただ、今週は寒さが続くようなので、またの積雪が楽しみ。それにしても、ヨーロッパでは嵐のようなお天気が続いているようで、温暖化の影響をつくづく感じます。さて、私の2週間はというと・・・日本人学校の新年会1月13日は日本人補習学校新年会が行われた。小・中学部の内容は、書初め、お餅丸め、カルタ・百人一首、卒業式の劇の練習。以前は書初めとお餅丸めの時間配分がうまく行かず、片付け時墨、お餅まみれの状態となり、黒っぽいお持ちもあったとか今回、事前の打ち合わせでその惨事は避けることができましたが、2時間という限られた時間の中で盛り沢山の内容だったので、慌しい進行となってしまったがやや残念。でも子ども達は楽しめたようなので、ひとまず無事終わりホッとしました。ご父兄手作りのお雑煮と黄な粉餅、美味しかったですtjugondedags knut日本人学校から帰宅後、mormor、morfar主催のtjugondedags knut(シューゴンダーグスクヌート)が催された。これは、クリスマスから20日後にクリスマスツリーを外に出す際の行事だそう。どの家庭でもやっているわけではないようですが、2人のアレンジがふんだんに加えられ、日本では味わったことがない、とてもユニークな楽しい行事となりました。どんな流れかというと、1.食事(孫達特製サンドイッチケーキとmormorのデザート) 2.魚釣りゲーム(mormorが魚として布の裏に隠れ、プレゼントをさおの先の袋の中に入れる) 3.サンタ登場!クリスマスのときに会えなかった家族間でのプレゼント交換。小さなBeaも驚きつつサンタに釘付け。 4.ツリーの前で歌とダンス(ちなみに、ほとんどの曲は夏至祭と同じらしい(笑)) 1. 2. 3. 4.調理実習再びL小学校での研修が2週間続きましたが、3年生としたのは調理実習、内容は、おにぎり再び。おにぎりは日本らしさが溢れ、気軽に楽しく出来てかつ好評なため、私はこれまでもよくおにぎりを紹介してきました。今回の3年生は時間も限られていたので、大人で準備をして、子ども達はおにぎりを握り、食べるところのみをしてもらいました。具は、スウェーデンの代表料理、子どもが大好きなミートボール。そぼろ味をミートボールで、という発想で、小さめに切ったミートボールをお醤油、みりん、お砂糖で味付け。日瑞を混ぜることで、日本食という未知のものへの抵抗を少なくしよう、という狙いもあったのですが、これが大正解。3クラスで日本食・おにぎりの紹介、作り方の説明、おにぎり作り、試食、という流れで授業をしたが、美味しいという声がなんとも嬉しかったです。 ちなみに海苔はやはり不評。魚臭いそうです。私にとっては懐かしい匂いですが、そうかあ・・・明日からはスウェーデン語講座も始まります。どうなることやら、ですが、楽しみでもあります。最後に、遅くなりましたが、1月17日で阪神淡路大震災から12年。犠牲になった方々と、その後心身さまざまな形での後遺症に苦しまれ、悲しみの中にありながら、新たな人生を精一杯過ごしておられる方々に、心から祈りをささげます。 それでは皆さん、良い一週間をお過ごし下さい
2007年01月21日
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日本では連休、そして七草粥の日ですね。週末、いかがお過ごしですか?1月4日夜、無事スウェーデンに戻ってきました。帰りの飛行機でも、私の知識不足もあり荷物でてこずり、 → 福岡にて:瓶(お酒)は手荷物にして下さいといわれ、スーツケースから取り出す。 セントレアにて:恐れていた超過料金! ヘルシンキにて:厳しいボディ&荷物チェック。100ml以上の液体は機内には持ち 込めないため、今度は手荷物にしたお酒たちを取り出し、再度チェックインカウ ンターへ持っていく。 今回は終始荷物に振り回された旅となりましたが、これも旅のご愛嬌?ということにしておきましょう。写真は機内食。デザートのチョコと、副食の茶そばは定番らしいです。 日本でのその後は・・・1月2日 午前中頭痛でノックアウトされるが、夕方から活動開始。 1.従姉夫婦と会う 憧れの夫婦。僅かな再会で、一緒に焼肉を食べれず残念でしたが、今度東京にゆっくり遊び に行きます。 2.高3以来の仲良し4人組久々の全員集合 お母さん、薬剤師、医師として活躍中の3人。忙しい中にも充実感がある生活ぶりで、 しっかりと元気の補給をさせてもらいました。今度はぜひ温泉に行きたいね。 3.同窓会に顔を出す 小中高の懐かしい同級生が集結し、総勢30名以上の賑やかな会となりました。卒業してから早 11年(なんだね…)。仕事、結婚、出産、それぞれ進路もさまざまな方向へと変わりつつあります が、10数年前にタイムスリップして話に花が咲くとともに、大いに刺激を受けました。 またゆっくり会いましょう。 企画者のHHのお二人、結納おめでとうございます。 毎年呼びかけてくれて、感謝しています。 4.ladyちゃんと会う 毎年恒例の会い始め。以心伝心、という言葉がぴったりくるladyちゃんとの再会。 いつも心に響く言葉をかけてくれます。ありがとう。1月3日 1.兄家族と地元の神社に2回目のお参り 兄家族にとっても、今年は新たな出発の年。不安も多いだろうが、応援しています 。 2.前職場訪問 約半数のスタッフと会う。変わらない温かい空気に迎えられました。白いユニフォーム が何だか眩しい。皆さん、大好きです。 充実したスノボツアーとなっていますように。 その後、ほんわか癒し系のMNちゃんと数分の再会を果たす。 3.親戚の集まり 父方の親戚大集合。祖父母の家があった新しい家に集まることができることを感慨深く 思いました。姪甥はここでもアイドル。 目に入れても痛くない程かわいいというのはこのことか、と実感。 4.母とお買い物後、従姉弟宅を訪問。 やっとトレッキングシューズ購入。これで森を歩くぞ。 従妹にスウェーデンの日常商品デザインの本を見せてもらいました。いつも何気なく 見ている商品ばかりですが、こうしてみるとやはり絵になります。そして再び、スウェーデンでの生活がスタートです。早速、引越しをした友達の家訪問、morfar,mormorの息子夫婦が出会って25周年記念パーティー(50歳のお祝いと25周年(25+25=50)記念を併せてのお祝い)とイベントが続き、ややグロッキー気味の私。実はまだ時差ぼけ(日本ではスウェーデンの、スウェーデンでは日本の時間で動いている、私の体内時計)と持病の頭痛にてこずってはいますが、何とか再始動し始めています。今回は、更にありがとうの気持ちでいっぱいの帰国となりました。家族、いい家族だなあ・・・とありがたみを実感。友達、同僚の皆さん、一部の人としか会えませんでしたが、一期一会、友は宝。このことを改めて感じました。そしてスウェーデン。帰国を待っていてくれる家族がいることに感謝。今年が始まって一週間。既に迷いも多いのですが、「自分に与えられたこと」を考えながら、昨年同様、感謝の気持ちを忘れずに、“意志”を持って歩んでいきたいです。 日瑞の融合写真です
2007年01月07日
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新年明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。年を越えてしまいましたが、2006年を少し振り返ってみると…公私共に変化の多い一年でした。三大ニュースは経過に従い、1)甥の誕生、2)大好きな同僚達のいる職場を退職、3)5年ぶりに日本を離れて異文化に飛び込む。2006年は、家族、友達をはじめとした大切な人たちへの感謝の思いを再認識した一年でもありました。その一つに、異文化での日々をたわいのなく綴ったこのブログを通して生まれた、さまざまな方との出会い、再会があります。いつもこのブログを読んでくださる皆さんから、新たな活力をいただいています。本当にありがとうございます。そして、2007年、平成19年、亥年、は、ここスウェーデンから、ではなく、日本にてスタート。年末ぎりぎりになり急遽帰国することになり、現在実家にて、やや時差ぼけながらしっかりと日本を味わっています。 実は帰国時スーツケースが届かず(しぃなさんのお膝元上海に旅立ってました)、帰国する日までに果たして荷物は届くのか!?という不安もありましたが、一昨日無事届き、一安心の中新年を迎えることができました。久々の日本は…当たり前ですが、「日本人がたくさん」というのが第一印象。更に、スウェーデンではさっぱり見ていない雪も降り、思ったより寒かったです。そして、何よりも、両親、兄達、愛しの犬達、姪甥に会い、極上の癒しを受け幸せ度アップ。日本食、お風呂、畳、そんな些細なことがとても嬉しく感じられます。 今日元旦は九州~下関へとまたがって三社参りをしましたが、我が家がいつもお世話になっている神社で引いたおみくじが大吉。今年は何だかいいことがありそうな…。 今回の帰国は、実家の引っ越しに伴い、生まれ育った実家と新たな実家を見る、というのが大きな目的の一つでしたが、新居はとても心地よいです。そして、がらんとした旧居を見るのは寂しくもありましたが、なくなる前に改めてその姿を目に焼き付けることができてありがたく思っています。計画が急だったのと短期滞在ということで、ゆっくり会ってお話ししたい多くの方々と会えずに帰ることにはなりそうですが、会える方、楽しみにしています。そして今回会えない方は、夏に会えるのを楽しみにしてます。というわけで、2007年が少しでも多くの笑顔に満ちた、平和な良き年となりますように。
2007年01月01日
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jul(ユール)、スウェーデン語で「クリスマス」。スウェーデンではjulafton(ユールアフトン:クリスマスイブ)に家族や親戚が集い、julbord(ユールボード)という、以前にもお伝えしたクリスマス料理を食べてお祝いします。現在お世話になっているmormorとmorfarには、Lママを筆頭に3人の子供がおり、それぞれ家族がありますが、L一家はLパパの実家、次男一家は奥さんの実家で今年はお祝いをします。というわけで、人生2度目のスウェーデンでのクリスマスは、mormor、morfar、長男一家、計8人で迎えることとなりました。まず、朝、この日が誕生日である6年前の2軒目のホームステイ先S家に行き、Sママの誕生祝に参加。 ここでクリスマス特有のお粥であるrisgrynsgröt(リスグリンスグローット)をいただく。名が靴下のピッピを読んだことがあるかたには記憶にある食べ物だと思いますが、これは簡単に言うと、牛乳粥。というと、多くの日本人の方は「えーっ!」と思われると思いますが、これにお砂糖、シナモンを振って食べます。もともと、庭を守る主であるtomte(サンタクロース)に、クリスマスの日にはこのリスグリンスグロットを食べてもらうという伝統があるそうです。初めて食べたときにはこの味に戸惑いましたが、お菓子のように思って食べるととても美味しく感じられます。いつも元気で明るく、そして可愛いSママ、これからの一年の健康と幸せをお祈りしています。家に帰るとmormorがせっせと料理をしています。mormorは本当に料理上手で、この日は今日会う3人の孫、お嫁さん一人一人のために、それぞれが好きなクッキーを作っていたのです。更に、大好きなクリスマス料理の一つである、Janssons frestelse(ヤンソン氏の誘惑)の作り方を見学。これは簡単に言うと、ジャガイモとアンチョビのグラタン。作り方は意外と簡単です。今度初挑戦するつもりですが、ちゃんとmormorの味になるかどうか・・・。後日レシピを載せます。そして、夕方からLerum(レールム)という、ここランドヴェッテルから車で30分くらいのところに住んでいる長男、A家へと向かいました。フランスに4ヶ月留学していた長女が21日に帰国し、また賑やかになったA家は、笑顔が耐えない素敵な家族。ごはんが始まる前に、恒例のglögg(グロッグ)とクリスマスのお菓子knäck(クネック)とischoklad(イースホクラード)でもてなされる。そして、ユールボードのスタートsill(シル:ニシンのマリネ)、julost(ユールオスト:クリスマスのチーズ)、julskinka(ユールフィンカ:ハム)、lax(ラックス:サーモン)、rödbetssallad(ロードベーツサラダ:赤カブのサラダ)の冷菜から始まり、revbensspjäll(レヴベンススピェル:スペアリブ)、köttbullar(ショットブッラル:ミートボール)、prinskorv(プリンスコルヴ:ソーセージ)、 brunkål(ブルンコール:キャベツのオーブン焼き)といった温菜へと続きます。どれも日本人の口には合う、食べやすい味です。 お腹がいっぱいになったところで、一休憩、クリスマスプレゼントを開く時間。小さな子どもがいないので、娘二人と私がサンタの帽子を被り、クリスマスツリーの下に集められたプレゼントを配達しました。 写真右はプレゼントを開ける家族達です。特にmormor・morfarは1人に何種類もプレゼントを用意し、必ず機知に富んだお笑いが含まれています。みんなで一笑いした後、デザートタイム。クッキー、ケーキ、パン、さまざまなものが並んでおり、さすがに全品は食べられないのが残念。 とても美味しく楽しい夜となりました。一夜明けてjuldagen(ユールダーゲン:クリスマス)。外には残念ながら雪はありませんが、霜が降り、一面白くなっています。引き続き、よいクリスマスとなりますように。
2006年12月25日
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22日から一泊で、中国人の友達Yちゃんを訪ねてVäxjöヴェクフー)という街に行ってきました。Yちゃんとの出会いは6年前に遡ります。6年前の夏、ウプサラのスウェーデン語コースで友達になったしぃなさんを介してKarlskoga(カースルコーガ)にある学校で初めて知り合ったYちゃん。彼女はとても愛らしいが、とてもしっかりとした頑張り屋さん。6年間かけて、スウェーデンの高卒の資格を取り、大学に入り、国際経済の勉強をしています。今回5年ぶりの再会となったのですが、Yちゃんは5年前と変わらずチャーミング、そしてより女性に磨きがかかっていました。彼女にはスウェーデン人の素敵な彼ができていました。持参した日本でのスウェーデン仲間の写真を見ながら思い出をたどったり、近況を報告したりしあいながら、話は尽きません。そして夜、彼とも初対面。今日のヴェクフーはどんよりとしたお天気でしたが、仕事のYちゃんに代わり彼が街を案内してくれました。今夜からの移動に備えパッキングに忙しい中、もてなしてくれたYちゃん達にたっぷりと幸せを分けてもらった一晩でした。27日から3年ぶりに中国に帰るというYちゃんカップル。よい旅となりますように。夕方、ヨーテボリ到着。その足でスーパーに寄り買い物。手持ちの現金が少なくカードを使おうとしたのですが、この国では当たり前のピンコード(暗証番号)が私のカードには付いていません(きっと設定の問題なのでしょうが)。というわけで、代わりにサインでいけるかな、と試みてみましたが、「じゃあID番号を押して」、といわれてしまいました。でも、1年未満の滞在になる私には国民ID番号がありません。この国はID社会。IDがないことの痛みを感じる瞬間。 レジのおばちゃんは忙しいからか、いつもなのか、やや感じが悪く、現金で払いなおしましたが、今度はおつりが間違って渡されてしまいました。後ろには長蛇の列。バスの時間もあったため、間違ってない?と思いつつ、些細な額ながら50オーレ(≒8円)を損することとなりました・・・。旅の終わりにどっと疲れ、家に着くと、mormorが植樹しmorfarが飾ったというクリスマスツリーが温かく迎え入れてくれました。明日はいよいよjulafton(ユールアフトン)、クリスマスイブ。皆さん、よいクリスマスをお過ごし下さい。
2006年12月23日
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12月21日は基礎学校の終業式。この国では学校によっていろいろな形があるようですが、終業式に日本のように全校児童・生徒が講堂などに集まって校長先生の話を聞く、ということは特にありません。L小学校では、0~5年生の縦割り3グループに分かれ、各グループが時間差で教会に集まり、3年生がキリスト降誕の劇、クリスマスの歌を歌いました。私が通った学校もキリスト教だったのでこのような劇をしていましたが、教会でするとより雰囲気があり、一生懸命演じ歌う子ども達の姿がまた可愛らしいです。練習頑張ったのだろうな、と微笑ましく思う瞬間。 この後子ども達は学校に戻り、各クラスに分かれて集会をした後、帰宅。待ちに待った冬休みがやってきます。先生達はというと、簡単なクリスマスの食事会。私はこの後、R学校から誘ってもらい、クリスマスのご馳走Julbord(ユールボード)を食べにLiseberg(リセベリ)という遊園地へと向かう。ここ最近で手作り、給食を含め、4回はJulbordを食べたことになる。この2週間でやせるぞ計画はすっかり滞っていますが、とにはかくにも、美味しい。そして夜再びリセベリへ。夜のリセベリ、これで二回目ですが、今回はリセベリで働いている友達のガイドつき。幻想的な光とクリスマスマーケットを楽しんだあと、Nお勧めのリセベリの前にあるホテル23階にあるバーへ。目的は海老サンド。なんと、150SEK(≒2550円)もする海老サンドをおごってもらいました。現在円のレートが悪く1SEK≒17円、計算すると買い物が出来なくなる状態なのですが、太っ腹のN。申し訳なくなりましたが、でも、ごちそうさまでした。ちなみに、海老はこんなに載っていました。 というわけで、海老と景色を満喫しながら夜は更けていく。
2006年12月23日
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Lucia12月13日はルシア祭。全国各地、あらゆるところで早朝からルシア(歌とルッセカット、グロッグ、ペッパカーコルのもてなし)の催しが行われました。L家の次女Lが歌を歌うということで、私はLママ、長女Sとともに、次女が通う中学校へと向かいました。この中学校では、Luciatåg(ルシアトーグ)と呼ばれる、頭に蝋燭の輪をつけたルシアに続き白装束の歌姫達、サンタ、星たちが続いて入場後、演奏。なかなかモダンな演奏で、伝統的な歌とともに、アレンジが豊富にされていました。ちょっと暗いですが、こんなルシアたちでした。 高校訪問と終業式12月15日は初の高校訪問。場所はこの地域で唯一の高校ですが市外からの希望者も多いという人気のH高校。スウェーデンでは、日本の一般高校のように文系、理系、というようなわけ方ではなく、高校に入る時点でいろいろなコースに細分化されており、好きな分野を集中して学ぶことができます。例えば、この学校には全国で唯一のドラム科、インネバンデュ(インラインホッケー)科などもあるそうです。私はこの高校のsamhälleprogrammetと呼ばれる、世界中の社会について学習する学科を訪ねました。女子が多いグループで、高校3年生なので見かけはもう大人のよう(というか、私より大人っぽいです)。序盤は質問も上がらず静かでしたが、徐々に手を挙げての質問もみられるようになり、最終的には授業終了時間を30分ほどオーバーする形となりました。予め日本に質問をもらい、それに答える形で授業を進めていきましたが、どうも日本という異国はスウェーデンの若者にとってエキゾチックのようです。今回の研修では6歳児から高校生まで、さまざまな年齢の子ども達と知り合うことができるのがとても嬉しいです。そして、夕方からは2学期最後の日本人補習学校での授業。9月から担任をしはじめて4ヶ月間。小山あり大谷あり、他の先生、ご父兄に助けられながら試行錯誤の日々ですが、何とか終業式を迎えることができました。3学期も大きな波が予測されます。学校に来たい、学校が楽しい」と思えるような学級作り。これはとても大きなテーマで難しいですが、補習校のように小さな学級であっても、だからこそ、このことを常に忘れずに過ごしていきたい、と思っています。お別れ会とjulbord12月13日は、10月から2ヶ月、私と同じハリダコミューンで研修をしていたAくんのお別れ食事会をしました。Aくんが来たのはまだそんな前のことのようには感じませんが、気づけば2ヶ月、経ってしまいました。ニッケルハルパのレッスン後、Mちゃん宅へ。Mちゃんはお鍋と豚の角煮を用意してくれていました。Aくんには、海外在住スウェーデン人が恋しくなるキャビア、クネッケブロード、マラボウチョコの3点セットをプレゼントしました。とても楽しい晩餐でした。これから帰国までの、彼のサバイバル旅がうまく行きますように。12月15日、午後、6年前の同僚と5年ぶりの再会を果たした後、同郷のMちゃん宅で開かれたクリスマスパーティーに行きました。総勢20人以上、日本人留学生と、日本語を勉強しているスウェーデン人が混ざった賑やかなパーティーとなりました。このMちゃんはまだ若いですが、スウェーデン生活の先輩、ガッツがありとても頼もしいです。彼女の空気を感じた途端に方言が爆発する私であります。Mちゃんはいつも素敵な企画をしてくれますが、ずっと行くことができず、今回が念願の初参加でした。クリスマスの食卓はjulbord(ユールボード)と呼ばれ、豚肉のハム料理や、ミートボールを中心にご馳走が並びます。宴は夜遅くまで続きました。Aくんの宴主催者のMちゃん、julfest主催者のMちゃん、Mくん、楽しい時間をどうもありがとう。そしてもうひとつ、v.50の忘れられない出来事の一つとして、ダーラへストカフェの皆様から、先日行われたSSFでの小さな素敵な国際交流での絵手紙展へのお返事が子ども達へのプレゼントとともに届きました。カフェのH,Mさん達をはじめ、翻訳をしてくださったfikaの皆さん、小学生の皆さん、そして、福岡、カフェを訪れてくださった皆さん、の温かい気持ちが詰まった素敵な手紙をいただき、今これをどのようにこちらの子ども達に渡そうか考え中です。また後日報告させていただきますが、本当にありがとうございました。最後に、私の木工のその後です。
2006年12月20日
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ストックホルム最終日は、あいにくの空模様。でも昨日より暖かいです。朝食、チェックアウト後、Mちゃんとお店を見ながら中央駅まで行って荷物を置き、お昼過ぎまで別行動をすることになりました。私は中央駅から街へ、いつもお世話になっているストックホルム在住の日本人Kさんとの待ち合わせ場所へと向かいました。Kさんとの出会いは約6年前に遡ります。それ以来ストックホルムに行く度にお宅に泊まらせてもらったり、お茶をしたりしていますが、知的できさくな、素敵な女性です。お仕事の合間をぬって昼食をご一緒してくださいましたが、またさまざまな現地情報をいただき、気持ちを新たにした再会でした。14:00、VeteKatten(ヴェーテカッテン)という有名なカフェでMちゃんと待ち合わせ。老舗だけあって、長居できそうなとても雰囲気のよいカフェです。お腹いっぱいだった私は飲み物だけにしましたが、Mちゃんは我が愛しのプリンセストータを初体験。マジパンの甘さ、クリームの多さが日本人にとっては賛否両論のところですが、気に入ってもらえ、お勧め者としてはホッとしました。 電車の時間が迫ってきたため、福岡での再会を誓い、このカフェでMちゃんと別れることになりました。もう日本に到着した頃であるMちゃん。2ヶ月間、本当にお疲れ様でした。まずは疲れをしっかり癒してください。また会える日を楽しみにしています
2006年12月20日
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ストックホルム2日目の朝は晴れ。最近ヨーテボリ地域はずっと雨で、お日様を長いこと見ていなかった私にとっては、太陽のありがたみを感じる瞬間です。ゆっくりたっぷりの朝食後街まで散歩して、Mちゃんとは一旦別れました。私はホテルの方まで戻り、同じく福岡のカフェで出会ったKくんと待ち合わせです。Kくんは建築家を目指し、現在建築事務所で研修中のスウェーデン人。スウェーデン人の性格について、よく「シャイで口数が少ない」と形容されます。でも最近このようなスウェーデン人と出会ったことがありませんでした(笑)が、Kくんはこの形容が何となく当てはまる気がします。2年ぶりの再会を喜びつつ、Skansen(スカンセン)という野外博物館に向かいました。ここはスウェーデンの江戸村のようなところで、古い建物が全国から集まっています。このほか、今の時期はクリスマスマーケットが開かれており、寒空のため長居は出来ませんでしたが、ざっと見て回りました。Kくんと別れた後、Mちゃんがいる国立美術館へ。私が行ったのは閉館時間30分前で、残念ながら無料の展示室1室しか見ることができませんでしたが、スウェーデンの歴代の生活の品(家具、電化製品など)が飾ってあるその部屋は、シンプルななかにスタイリッシュさを併せ持ち、品一つ一つがしっかりと個性を持っているスウェーデンデザインの歴史を感じることができ、とても興味深かったです。あっという間に時間が過ぎ、閉館。3時間はここにいた、というMちゃんと今日の情報交換をしつつ、前日チェックしたクリスマスマーケットへと向かいます。もともとスタイリスト権コーディネーターをしていたMちゃんは、おしゃれに敏感でとても目が利きます。頼まれている品について、彼女の助言を受けつつ買っていきました。ちなみに、こんなものをゲットしました。左から、子供用の羊皮ルームシューズ、手袋、木のおもちゃ(ボタンつけの練習ができる!)、そして木のおもちゃ屋の素敵な店主さん。 楽しい買い物後、ふと目に留まったのが、ペッパカーコル味の大きなマフィン。Mちゃんはホットドッグにひかれ、今日は買出しをして夜ご飯をホテルで食べようということになりました。残念ながらホットドッグは売り切れで、二人ともマフィンを買うが、途中少しマフィンをほおばり歩きつつ、スーパーでサラダを買って、ホテルに戻りました。今日はノーベル晩餐、ということで、テレビでノーベル賞の中継を見つつ、部屋で私達ものんびりと晩餐。こうしてあっという間に2日目の夜も過ぎていきます・・・写真はノーベル晩餐が開かれる直前の、昼間の会場(シティーホール)です。このシティーホールでは、普段は観光ツアーもあり、ノーベル賞の再現メニューを食べることも出来るそうです。
2006年12月20日
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12/9~11にかけて、スウェーデンの首都、ストックホルムに行ってきました。これまでにも何度か訪れたことがありますが、その度に新しい発見、出会いがある、都会と自然が見事に融合した美しい街ストックホルム。今回は大好きな映画「魔女の宅急便」の宅急便のモデルにもなったということを知ってからはじめての訪問だったため、また新たな楽しみとともに、X2000という新幹線で北上です。 15:45、もうすっかり日は暮れているが、ストックホルム中央駅に到着。ここで、福岡で知り合ったMちゃんとの再会を果たしました。彼女は10月からダーラナ地方の小学校で研修を行っています。もうすぐ帰国するMちゃんと一緒に旅をするのをずっと楽しみにしていました。外国での再会は、喜びもひとしおです。日本での生活を含め、お互いの近況報告に花が咲きました。まず、2泊する予定のホテルREXにチェックイン。このホテルはプロの写真家による写真展示がありとあらゆるところにされており、本館の方は特に石を貴重とした重厚活モダンなデザイン。部屋が最上階だったため屋根裏のようになっていて天井が迫ってきていたのが難点ではありましたが、サービスもよく朝食も美味しかったです。 そして、お腹もすいてきた、ということで、一足早く着いて街を探検していたMちゃんに伴われ、街を散策しつつ夕食を食べに行きました。NKというデパートでは、クリスマスのお菓子の国のウィンドウ展示がとてもキュート。真剣に見ている子ども(写真左下)がまたかわいく絵になります。 途中、Kungsträgården(クングストゥレーゴーデン)というところのクリスマスマーケットをチェック。頼まれている買い物が見つかりそうだったため、日を改めて来ることにします。夜ご飯のお店は今日の夕食はGamlastan(ガムラスタン)というところにある、Gunnel’s Krogというお店。せっかくだからスウェーデン料理を食べよう、ということになり、ガイド本でたまたま見つけたのですが、Gunnel’s Krogはこじんまりとした、常連さんも多い雰囲気のお店。お店の中は、料理以外は中年の女性が1人で切り盛りしている様子。まちがって従業員用のスペースにあるトイレに入り怒られる、というほろ苦い経験はしましたが、今週の料理であるrトナカイのスライス肉の煮込みを注文。おいも、ジャムと一緒に食べましたが、とても美味しかったです。デザートまでしっかりいただきました。 ワインも飲んで二人とも幸せな気分で、散歩をしつつホテルへ。食事を食べたガムラスタンは、ストックホルムの観光名所でもある旧市街。王様の居城、世界で一番狭い道などもあり、ウィンドウショッピングをするだけで楽しいです。街は明日にノーベル賞の授賞式を控えています。その空気はそんなに漂ってはいませんが、週末とあって人が多かったです。せっかくだから、ということで、ノーベル賞受賞者が泊まっているホテルHotell Grandもしっかりと記念に収めました。きっと受賞者の皆さんも泊まっておられるのでしょうか。さすがにホテルのロビーに入った途端に重厚な雰囲気を感じました。
2006年12月20日
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皆様、お久しぶりです。ようやく、インターネットが繋がりました。思い起こせば8月31日にスウェーデンの地を踏んで以来、いつもネットを通じて日本をはじめ、海外に住む日本の方との交流が広がってきました。使えなくなって初めて知るありがたみ、です。またよろしくお願いします。というわけで、どこから書いていこうか・・・迷うところですが、まずは先々週(v.49)の報告其の二から。tomten 新聞記者さんに伴われ、以前お伝えしたサンタさんとついに会ってきました。サンタ歴40年以上になるという彼は、元々は心理の仕事をしており、余暇活動として、近所の人を楽しませる程度のサンタからスタートしたそうです。その活動が本格化したのは、サンタ組織、なるものを別の街のサンタさんと立ち上げたと同時に、ボスニア、ルーマニアの貧しい子ども達へのクリスマスプレゼント集めを始めた6年前からだといいます。子ども達へのプレゼント集めについて、プレゼントは近隣の子ども達に呼びかけ、いらないオモチャを持ってきてもらいます。子ども達にとっては、クリスマスプレゼントをもらえない貧しい子ども達、恵まれない子ども達の存在を知るよい機会になります。このプレゼントを持ってきた子どもと、使わなくなったナップを持ってきた子どもには、手作りの証明書が渡されます(写真は証明書にサインをしているところ)。現在、サンタさんはクリスマスイブには孤児院や老人ホームも訪れているそうです。サンタであることの一番の喜びは何ですか?との質問に対し、「世の中の人に喜びを与えること」と教えてくれました。心温まるひと時でした。日本人学校ルシア祭12月9日、一足早いルシア祭が日本人学校(教会にて)で行われました。まず、この日のために何度も練習をしてきた小学生によるサンタルシア、あわてんぼうのサンタクロースなどの歌の披露。写真を撮る暇がなかったためお見せできないのが残念ですが、ルシア、サンタの服をまとった小学生と幼稚部の子ども達のかわいかったこと。幼稚部の子達は小学生の前に立ってくれたのですが、歌っている小学生をジーッとみつめたり、1人で立つことができずお父さんに手を引かれつつ半分泣き顔の子がいたりとまたかわいらしかったです。その後、何と、私のニッケルハルパ披露。Nu tändas tusen juleljusという有名なクリスマスソングを弾きました。スウェーデン人でも見たことがない人が多いこの楽器についての説明を簡単に行い、Aさんの心強い伴奏とともに弾き始めます。実際に聴衆を目の前に弾くとなると緊張はピークに達し、その緊張を表すように弦を持つ手が震え音もがたがたになってしまいましたが、何とか終えることができました。ルシア祭は無事終了し、ご父兄の方手作りのお昼ごはんをいただきました。私はお昼の電車でストックホルムに向かう予定だったため、このごはんを一足先に分けていただき、会場を後にしましたが、この日のために準備を重ねてこられた先生方、ご父兄、そして生徒の皆さん、お疲れ様でした。
2006年12月20日
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まだインターネットが整っていないため、更新がしばらく遅れますが、御了承くださいadventadvent(アドヴェント)とは、別名ankomst(=arrival)。キリストの降誕を控えた待降節(クリスマス前4週間)のことを指します。最初の日曜日をförsta advent(フォシュタ アドヴェント)といい、これから毎週日曜日に蝋燭に1本ずつ、計4本の明かりを灯していきます。というわけで、12月3日、A家で迎えた初めての朝は、1本目の蝋燭に火を灯すフォシュタ アドヴェントの日でした。これからだんだんとクリスマスが近づいていきます。 そして、これまでにも何度も書きましたが、クリスマスに欠かせないのがglögg(グロッグ)とPepparkakor(ペッパカーコル)。L家でおいしいグロッグをごちそうになりました。 そしてこの日、M家のMパパ、ママ、Pippiと一緒に向かった先は、Mパパお勧めの「横浜」、という日本食レストラン。すきやき、をごちそうになりました。作り方はやや不思議なすきやきではありましたが、、味は好評、懐かしい甘辛い味でした。木工木工のことをträslöjd(トゥレースロイド)という。A家のmorfarの職歴は校長先生、そしてここの自治体の政治家(このことは知り合って6年目にして初めて知りました)ですが、別の職業が日曜大工さん。木工から家のことまでお手の物で、家の中には木工室があります。というわけで、作品は多岐に渡りますが、私も現在入門中。 テスト月~水曜日にかけて、初めてスウェーデン語のテストを受けました。恥ずかしながら、私はスウェーデン語をしっかり勉強したのは6年前、ウプサラという街で受講したサマーコースの2ヶ月だけです。あとはこちらの家族、学校で子どもと過ごす中で言葉を教わりました。というわけで、会話は一応成り立つのですが、文法がとにかくひどいのです。今回の滞在中に、ぜひとももう一度スウェーデン語を習いたいと思い続けてきました。KOMVUXというところに相談したところ、SFIという移民のためのスウェーデン語コース終了時に受けるテストを受けることが可能となりました。この試験をパスすると、移民の人はハローワークで仕事の紹介を受けることが可能となり、また、希望者は更に上のレベルのスウェーデン語コースへと進むことができます。先月からスウェーデン語をLママに少し教わり始めたものの、本格的な勉強をしっかりしないままテストの日が近づいてきました。 sachikoさん から情報を得て、直前に慌てて過去問を印刷して眺めてみました、が、なかなかこれが難しい。結局、「今の実力を知ることが目標!」と開き直り、いつものようにぶっつけ本番で試験を受けてしまいました(いつになっても学習しない・・・)。そして、テスト初日にリスニング、リーディング、ライティングのテスト4種類をクリアした人だけ3日目の口頭試験に進むことができる、ということを知ります。単語の知識も乏しい私には難解な問題が多くありましたが、結果は、幸いにも。というわけで、小学校卒業の証明を受け、先は長いが、次のステップに進むことが可能となりました。Lママに嬉しい報告が出来てホッとしました。
2006年12月07日
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11月は観測史上最も暖かかったそうです。冬の訪れが待ち遠しい今日この頃。Idol M家で過ごす最後の夜は、スウェーデン中、そしてM家で盛り上がってきたIdol(イドール)の最終決戦の日と重なりました。TVの視聴者投票によって候補者が10人まで絞られて以降、毎週歌の披露と更なる視聴者投票により、1人ずつが消えていくというシステムのこの番組。ついに今年のidolを決める日がやってきました。日本人学校を終え足早に帰り、Idolが始まる前に夕食を食べ終えることができた私は、午後8時に家族とともにTVの前にスタンバイ。Erik、Markusという男子決戦でしたが、Mママ、私がともに応援してきたのがMarukus。彼は声がとにかくセクシーで、そして身体つきも素敵であります。対するErikは声、顔ともに愛らしい感じです。優勝者だけがCDを発売できます。でも実際には2位以下の人にもメジャーデビューするチャンスは大いにあり、ちなみに2004年2位だったDarin(ダーリン)は、優勝したDaniel以上にスウェーデンで大ブレイクしています。Erik、Markusが各々3曲ずつ歌い、2004年、2005年の1,2位の歌手の歌披露後、しばらくして結果が出ました。なんと、約900万人の人口の10%にあたる100万人が投票(このうちの1人がMパパ)。結果はというと・・・我らがMarkusが優勝。Idol2006今後の彼の活躍が楽しみです。CD、ぜひ購入したいと思います。引越し8月31日にスウェーデンにやって来てから3ヶ月、ついにお世話になったM家から、前回の1軒目のホストファミリーであるLママの両親である、A家へと引っ越す日を迎えました。3ヶ月は、結構長いのではと思っていたが、本当にあっという間に過ぎました。Mママは私がいなくなるのは本当に変な感じ、寂しい、と嬉しい言葉を言ってくれます。そしてPippiは、私が日本に帰る、と思っています。Mパパ、ママはクリスマスに食べるvörtbröd(ヴォットブロード) という香辛料・レーズン入りパンと、julskinka(ユールフィンカ)というハムを私のためにちょっと早めに焼いてくれました。パンの上にこのハムを載せ、västerviksenap(ヴェステルヴィークセーナップ)という、Mママの故郷の特産マスタードをつけます。面白い組み合わせですが、おいしいです。昨夜まで何かとバタバタしていた+いつも準備がぎりぎりで計画性がない私は、今朝からパッキングを開始。前半は調子よく進んだのですが、思った以上に研修その他諸々の荷物が増えており、ダンボールが足りないことに今更気づいたのでした。ちょうどいい大きさの紙袋もないため、結局ゴミ袋に残りの荷物を入れ、何とか事なきを得ました。Mママは午後からママ友達とルシアに備え、Lussekatt(ルッセカット)というサフランパンを焼いています。私も焼きたいなあ・・・と横目で見つつパッキングに勤し みました。午後4時過ぎ、無事パッキング終了。Lママが迎えに来てくれ、A家へ。A家ではmormor(モルモル)、morfar(モルファル)が笑顔で、「日本の孫よようこそ)迎えてくれました。モルモルは私と兄が大好きなJanssons frestelse(ヤンソンスフレステルセ)という、ジャガイモとアンチョビのグラタンを用意してくれていました。これから残りの期間をこのA家でお世話になります。A家とL家は、味噌汁の冷めない距離にあるため、まだインターネット環境が整っていない私は、今この日記をL家で書かせてもらっています。バタバタと移動したため、M家にゆっくり感謝の気持ちを伝えられませんでしたが、すでにまた明日のお昼会うことになっているので(引越しサプライズランチだそう)楽しみです。M家の皆さん、これからもよろしくお願いします。そして、これからお世話になるA家、L家の皆さん、どうぞよろしくお願いします。こんなにたくさんの家族に支えられて今の私があることに感謝しています。写真のアップはまた近日中にしますので、少々お待ちください!。
2006年12月02日
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この国では、12月になるとjulkalender(ユールカレンデル)という、クリスマスまでの日めくりカレンダーが登場します。最近はその日をめくると中にお菓子が入っているような凝ったものもあります。私も欲しいなあ・・・と思い検討していましたが、今日、立ち寄ったスーパーで、ただで配っているカレンダーを発見です。しかもかわいい。レジのお姉さんに、「もらってもいい?」と聞いたら「jajamen(ヤイヤメン):いいよいよ!・・・最近このことばが私の中でヒット中)」とにこにこっと言ってくれました。何枚かもらうにはちょっと勇気が出なかったので、とりあえず一枚いただきましたた。これをただでもらえるなんて、嬉しいですよね。 もしぜひ欲しい!という方がいましたら、お早めにご連絡ください。
2006年11月29日
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Ja, mår hon leva!ヤー、モー ホン リーェヴァ!英語にすると、Long may he live!これはスウェーデンの誕生日に必ず歌う歌です。今日M家の娘Pippiは友達のお誕生会に呼ばれていました。そのせいか、彼女の頭の中はお誕生日。というわけで、私がお誕生日を迎えた、という設定で一緒に遊ぶことになりました。まずPippiがこの歌を歌い、その後私はさまざまなプレゼント(ゴーグル、長靴、ミニカーなどなど)をもらいました。リボンを切り、テープをはがし、袋を開けるふりをして、ありがとうと御礼を言う。これを何度となく繰り返しました。子どもの想像力は本当にすごいです。そして何度も繰り返すことができる集中力。あと一週間後には次の家族の家に引っ越す予定ですが、離れがたいです。 サンタ!もう3時過ぎには日が暮れる今日この頃ですが、今日は午後5時からこの近所の人が集まり、Tomtepromenad(トムテプロメナード)、直訳すると、「サンタ散歩」に行きました。木の棒に火を灯し、真っ暗な森の中へと入っていきました。森の中の広場には、Lucia(ルシア)に食べるLussikatt(ルシカット)というパンと、クリスマスに食べるPepparkakor(ペッパカーコル)というクッキー、前述のglögg(グロッグ)が用意されていました。 これらをおいしくいただき一息ついたところで、tomten(トムテン:サンタクロース)登場。子ども達はサンタの前に群がり、ある男の子は「トムテン、僕はロボットが欲しい」とお願いしていました。子ども達はクリスマスプレゼントの希望を書いた紙をサンタに渡します。そして最後に、サンタから子ども達へお菓子のプレゼントがありました。 最初サンタに近づいたときには泣き叫んだPippiも、お菓子をもらえるとなると、にこにことサンタに近づき、サンタが退場するときには「Hejdå, tomten!(さようなら、サンタさん!)」と笑顔で手を振っていた。まだまだ気候は秋のようですが、昨日のクリスマス市同様、確実にクリスマスが近づいてきているのだな、と改めて感じました。このようなイベントが隣組で企画されるというのは実に素敵なことだと思います。
2006年11月26日
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ここスウェーデンではクリスマスが近づくと、クリスマス市が各所で開かれます。先日行ったリセベリでも沢山の出店が出ていましたが、土曜日、ヨーテボリから車で約30分の所にあるTjolöholm(ショーローホルム)というというお城で開かれているクリスマス市に行きました。連れていってくれたのはA夫妻。あいにくのお天気でしたが、人は結構多かったです。まずクリスマスの食べ物(ハム、ソーセージ、シルと言うニシンのマリネ、チーズなど)を次々と試食。チョコ、glögg(グロッグ:香辛料入り甘いホットワイン)。この日はノンアルコール)もしっかりいただきました。その後、スウェーデンの伝統工芸が売っている会場へと移りました。クリスマスに飾る人形から、伝統的な木工製品、ニット製品、織物、銀製品、その他諸々、一日中いることが出来る種類の豊富さ。 私は買いたいものをしっかり決めずにきていましたが、かわいいjultomte(ユールトムテ:サンタクロース)を見初め、購入しました。その後台所の布巾クリスマスバージョンを発見。これはプレゼントにとてもいいと思わず何枚も買ってしまいました。 Aさんが一年越しの思いで買った羊ちゃん(子どもにとっては乗り物、大人には置物)がまたかわいく、再会が楽しみです。その他、Aさんお勧めの手作りパン、そしてフレッシュチーズ(にんにくとバジル入り)を家族へのお土産に購入しました。夜食卓に上がりみんなで食べましたが、うーん美味。そして最後に、お城に行きました。このお城は1800年代終わりに建てられた貴族のお城ですが、海に面した庭があり、童話の中から出てきたような素敵な建物です。クリスマス市の時には中が公開され、展示のほかにこの中でも市が開かれています。 A夫妻、こんな楽しい市に連れて行ってもらって、本当にありがとうございました。
2006年11月25日
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昨日月曜日、ヨーテボリ市内にある、日本語コースがある高校の授業を見学しました。このコースには、ヨーテボリ市内・近郊に住む、日本語を習いたい生徒達が来ています。1年目のまだ初心者の生徒から、3年目の随分流暢な生徒まで、計3クラス。漫画が大人気の昨今(K会のSさん、Mさん、ドラえもん好きの子もいますよ)、漫画がきっかけで日本語を勉強するようになった子も増えているそうです。授業は、スウェーデン語で日本語を説明していく間接教授法で行われています。「みんなの日本語」という、全て日本語で書かれたテキストを使用しているので、まず仮名を習得する必要があります。1年目の子達は、仮名を平仮名中心に6週間(週に1~2回)練習してからテキストに入ったそうですが、自己学習の程度によって、個人差は大きいです。この個人差があるクラスのなかで、どのように授業を進めていくか、とても難しいですが、大ベテランの先生は、生徒が能動的に学習できるような導きをしっかりとされており、大変勉強になりました。日本人として、外国の人が日本、日本語に興味を持ってくれているということはとても嬉しいことです。これらの授業を見学し、途中質問に答えるといったお手伝いを少しする中で、「日本語ではこの表現の方がより自然だけど、その理由をうまく説明できない」、「スウェーデン語に直訳できない日本語がたくさんある」、「不自然な日本語を使っていることが多いから、気をつけよう」など、さまざまな思いが交錯しました。普段何気なく使っている日本語の難しさ、奥深さを再認識するとともに、日本語を学ぶ生徒達を通して、私のスウェーデン語の質問に対し、真剣に考えながら答えてくれるスウェーデン人の気持ちがよく分かったひと時でもありました。今日の私自身への格言を2つ。「教えることは学ぶことである」、「美しい日本語を使うことができる日本人になろう」。写真は全く内容とは関係ありませんが、今日友達とfika(フィーカ:お茶)した、友達お勧めの路地裏にある素敵なカフェです。前から気になっていたのですが、入ったのは今日初めて。街中にあるのに喧騒を感じさせない、こじんまりして落ち着くカフェでした。一緒にフィーカした3人へ。今日は楽しい時間をありがとう。
2006年11月21日
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計7回の調理実習週間は、終盤に大切な指輪をなくすという大ハプニングに見舞われましたが、何とか無事終わりました。この一週間は気温は10℃近くまで上がり比較的暖かかったのですが、雨ばかり降るあいにくのお天気。来週まで続くようなので、凛とした冬の空気が待ち遠しいです。ヘラジカこの国にはいろいろな種類の鹿がいますが、älg(エリィ)という、日本語ではヘラジカといわれている大きな鹿がいる。ちなみに、aの上の点々をのけると、alg(アリィ)、若布になる。私はよくこの2語を間違って言ってしまいます。私の住むランドヴェッテルではこの野生エリィが庭に出現することがありますが、ヨーテボリのslottsskogen(スロッツスコーゲン)というところで飼育されているエリイを見に行きました。今回の滞在では初対面。特に雄鹿は見事な角で、ゆったりとした威厳があります。 ゆーる土曜日、L小学校のJ先生のお宅に遊びに行きました。ブルーの大きな目とチャーミングな笑顔が素敵な彼女は、3年生を受け持っており、フレンドリーでとても魅力的な女性です。そのJ先生が今回自宅に招待してくれました。この国では結婚という形式にとらわれないSambo(サンボ)という同棲カップルが多いが、彼女には高校のときから付き合っているというサンボがいます。この彼がまた、彼女に負けず劣らずいい人で、実にお似合いのカップル。J先生の妹さんを加え、4人での楽しい晩餐となりました。スウェーディッシュデザイン、という言葉もあるように、スウェーデンの人はインテリアのセンスが素晴らしい、とよく思いますが、彼らのお家も古いものと新しいものが見事に融和しており、蝋燭の明かりがとてもよく似合います。居住空間というのは誰にとっても大切ですが、長く暗い冬の間家の中にいることが多い彼らにとって、いかに居心地のいい住まいにするか、ということが実に大切なことなのだ、と改めて感じます。食事後、クリスマスの間期間限定でオープンしているLiseberg(リセベリィ)という遊園地に連れて行ってもらいました。クリスマスのことをスウェーデン語ではjul(ユール)といいます。ここではこのユールに備えてのさまざまな出店があり、ライトアップに使われている電飾は、何と490万個とのこと。暗い空にライトアップされた幻想的な光景が一際映え、クリスマス、年の瀬が近づいていることを実感します。今年初めてのスパイス入りの甘いホットワインglögg(グロッグ)もご馳走になり、幸せなひと時だった。J先生、楽しい夜をありがとう。リセベリィ、クリスマス間近にぜひまた行きたいです。 新聞本日11/19付けで、以前お伝えしたボロース新聞という地元紙に、嬉し恥ずかしだが、私の記事が掲載されました。題名は、Hon är tillbaka i Sverige.(彼女はスウェーデンに戻ってきた)です。記事の内容は、スウェーデンに来た経緯、日本での仕事、ここでの研修のこと、などなど。ちなみに写真には、化粧っ気の乏しい顔に、久しぶりに頬にできた吹き出物第1弾が見事に写っていました。私は大学の卒業論文で「サンタクロースを介しての親子関係」というとても変わった研究をしたのですが、その話をスウェーデンに来たきっかけの一つとして話したら、「サンタが彼女をスウェーデンへと引き寄せた」とのコメントも載っていました。このコメントが素敵なプレゼントを仕掛けてくれたようでです。なんと、この記事を見たBollebygd(ボッレビュグド)という町にいるサンタクロースからラッキーなことに、私と会ってみたいとのお声がかかったそうです。対面する日が楽しみです。ここのサンタクロースのHPは以下の通りです。 Tomten i Bollebygd 小さな素敵な国際交流のその後以前お伝えした、Sweden Style Fukuokaのイベントの一つとしてDalästCaféで催される、スウェーデンの子ども達の絵手紙展ですが、スウェーデン語講座fikaのメンバーの皆さんが大活躍して下さっており、翻訳作業を無事終えた、との連絡が今日入りました。忙しい中の作業は大変だったと思いますが、交流の架け橋として素晴らしい役割を果たして下さった皆さんに心から感謝しています。fikaの皆さん、本当にお疲れ様でした。この絵手紙展を機に、スウェーデンと福岡の小学生同士の交流も始まろうとしています。最近日本では全国でいじめ、自殺といった深刻な問題が大変大きな波紋を呼んでいるようですが、この小さな国際交流は、人と人との心温まる繋がりとは何か、平和とは何か、ということを考える上でも意義深いのではないかと思います。繰り返しになりますが、11/20~26の期間に福岡に行かれる機会がありましたら、ぜひカフェまで足をお運び下さい。
2006年11月19日
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調理実習今週は調理実習強化週間(?)、ということで、今日から4日間、R基礎学校の8年生(中2)と一緒に日本食を作ります。今日は2グループ。家庭科の先生と直前にしっかりした打ち合わせができなかったため、ぶっつけ本番。メニューは6年前しぃなさんに手伝ってもらいました(あのときは本当にありがとう)ときとほぼ同じ、味噌汁(ねぎ、豆腐)、そして鮭おにぎり。ここスウェーデンでは、日本食が最近より注目を浴びており、至るところに寿司レストラン、なるものが存在します。が、日本食=寿司、という状態なので、毎日お寿司を食べているわけではない日本人の私としては、ぜひ他のメニューを紹介したい、と常々思ってきました。そこで限られた時間の中で楽しみながら作れるもの、日本の香りがするもの、ということで、お味噌汁、おにぎり(映画「かもめ食堂」の詞を借りると“ソウルフード”!)をメニューとして選びました。味噌やだし、豆腐、海苔といった、私達には当たり前の食材が、子ども達にとってはとても奇妙なものとして映ります。この奇妙なものにどうやってチャレンジしてもらうかが難しいところですが、分量、時間配分の要領がつかめた状態で臨んだ本日2グループ目の子ども達は特に、この未知なる食材、そして日本という国に好奇心旺盛でした。お米を洗う作業から始まり、味噌汁作り、おにぎりの具材作り、そしておにぎり作り、という一連の行程のなかで、待ち時間ができるので、その間に日本語の話も織り交ぜ、授業をしましたが、中学校での授業は、小学校とはまた違う楽しみがあります。日本語を勉強したい、と言い出す子どもも出てきて、とても嬉しく楽しいひと時となりました。味噌汁には抵抗がある子が多いとともに、海苔は不評でしたが、鮭という馴染み深い具材を使ったおにぎりは好評でした。 顔写真を載せて良いよ、との許可を得たので、8Bの子ども達の試食風景をお載せします。見かけは随分大人っぽいけど、とてもかわいい子ども達でした。日本語は全て文字化けするだろうが、このブログを見ると言ってくれた8Bの子ども達へ一言。Hej, 8B! Det var jätte trevligt att träffa er. Det vore kul att träffas igen(8Bの皆さん、会えて嬉しかったです。また会えることを願っています。)新聞何と今日、新聞の取材を受けました。R基礎学校へ取材に来ていたBoråstidningenという地元の新聞社の記者と先生の間で私の話が出たようで、急遽取材を受けることとなったのでした。私のこれまでの経歴、スウェーデンに来た経緯、現在の活動内容、日本とスウェーデンの学校の違いなど、聞かれるがままにつたない言葉で答えていきました。そして最後に写真撮影。今朝寝坊して前髪のはねをしっかり直す時間がなく、化粧も不十分、かつ、チョコの食べすぎか、右頬に吹き出物ができているという、いまいちのコンディションではありましたが、なぜか、持参していたPCとともに映る、という演出も受けたりしました。近日中に掲載されるようです。どんな記事になるか、期待半分、不安半分。納豆ときのこ先日日本人学校で、ご父兄手作りの納豆を少し分けてもらいました。久々の納豆。本当はご飯と一緒に食べたいところでしたが、悪くなる前に、と、昨夜醤油を少しかけて食べました。家族は匂いをかいだだけで拒否、「一週間何も食べてない状態だったら食べても良いよ」とひどい一言。1人で食べましたが、納豆ってこんなにおいしかったんだよね、と思ってしまいました。 そして、日曜日に採ったきのこは、Mパパの手により、このような作品となりました。これを作った後熱でダウンし、今日は仕事を休んだMパパ。早く良くなりますように。
2006年11月14日
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コックが我が家にやってきたMパパはいわゆる食道楽、食べることが大好きです。そのMパパは、先日の40歳の誕生日プレゼントとして、さまざまな台所道具をもらったのですが、何と、コックが家で夕食を作ってくれる券、なるものももらいました。昨夜、プレゼントしてくれた友達が集まり、私を含め計10人でコックさんの手料理を食べました。Swedish Tasteという会社からやってきたこのコックさんは、青梗菜のようなアジア食材も使いつつ、北欧料理なるものを作ってくれました。メニューは、魚介類(ロブスター、えび、ザリガニ)のスープ・ホタテときゅうりの炒め添え、パンのシーザーソースかけ、鹿のオーブン焼き赤ワインソース・根セロリのピューレ・きのこ添え、クレームブリュレ。です。やや食べ過ぎの感がありますが、お腹いっぱい、幸せな夜でした。写真は真剣なふりをしてくれたコックさんです。 きのこ狩りついに念願のきのこ狩りに行きました。連れて行ってくれたのはLパパ。ここランドヴェッテルには冬にはクロスカントリーができる森があり、オリエンテーリングも盛んです。今年もう何回も森できのこを採っているLパパはもう土地勘があり、前よく取れたという場所に連れて行ってくれ、木の中を分け入って行きます。目的はTrattkantarell(トラットカンタレル)。はじめの15分ほどは全くそれらしきものは見つからなかったのですが、白樺のような葉樹と松のような針状樹が共生している場所にきのこはある、とのこと。その言葉を頼りに2人で探していくと、Lパパが発見。きのこは群生しているので、1つ見つかるとその周辺にいくつもきのこがあります。結局何箇所か場所を変えて、袋にずっしりときのこが取れました。一日新聞紙に広げて、明日料理をする予定。日本人学校の先生から以前聞いた、きのこ狩りのときの身体へのダニの付着がやや心配ですが・・・無事を願いましょう。分け前を全てくれたLパパ、本当にありがとう 大好きなK会のIくん・Aさん、11月11日ご結婚おめでとうございます。参加できなかったのがとても残念ですが、末永い幸せを祈っています。
2006年11月12日
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