山本五十六さんは悲劇の元帥であることには変わりありません。その出自、長岡藩の家老の家、祖父は19歳で自刃、生父も戊辰戦争で戦死、そして撃墜された五十六元帥。
でも彼をクローズアップして映画化すれば,そこにある歴史認識はみんなが共有するものとなる。間違ったものを今頃作ってはいけない。どこが間違っているか。見逃せない。
五十六さんが「一年や一年半は戦って見せます」と言ったこと、それをこの映画はどこにも語っていない、と高山さん。
それこそ彼の致命的な欠陥。それを知っていてそう言ったなら、それこそ彼は一命を賭しても戦争を止めるべきだった。
松本健一、堤尭、高山正之、それぞれ違った角度からこの映画を憂えていました。
一時間半のネット放映の間に5千人を越える人が観た、これから繰り返しまた放映します。事実がどんどん語られる。息もつかせないほど面白かった。
ただ今回は堤さんが柄にもなくどうも歯切れが悪い。「俺、池袋に観にいったけれど全然印象に残ってないんだ」
あとで高山さん、「堤さんでも気を使う人がまだいるんだなあ」、と。シナリオを書いたのが戦後民主主義礼賛の半藤一利さん、文春の先輩だとか。
私が強烈に印象に残ったのは、堤さんの言葉「五十六さんの奥さんは戦後、新橋のガード下で石鹸を売っていた、東条さんの奥さんだって戦後行商をしたというんだ」ということ。女は強いと言うかもしれませんが、女は悲しい。
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