天皇制は、差別の根源だ・・・ 2022-1-27 (はんぺん)
ウイキペディアで、(皇太子徳仁親王)で検索したら、経歴が・・・ 1960 年(昭和 35 年) 2 月 23 日、東京都千代田区千代田の皇居・宮内庁病院にて 降誕 。・・・とあった。
おいおいおいおい・・・ 降誕って、なんだ?? 「誕生」だろうが・・・・
なんで敬語使うんだ?????? 天から降ってきた??????
「象徴」って、そんなに、身分が(上)なんかよ?? おかしいだろうが・・・・
これって、人間みな平等の精神に反してるやんけ・・・日本国憲法の精神にも、大いに反してる・・・
因みに、日本国憲法は、第 14 条で、 「すべて国民は、法の下に平等であつて、人 種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的 関係に おいて、差別されない」 ことを定めているやんけ・・・・
戦前の天皇制の下で、 国民は天皇の赤子(せきし=赤ん坊) であり、赤紙一枚で招集され、戦地に送られ、多くが飢え死にしている。それだけ、人間に命は軽く扱われたという事だが・・・・戦後になっても、 (降誕!!!)だとよ。
グアム島の密林で発見された元日本兵横井庄一さん(下の記事)は、 天皇制軍隊の犠牲になった国民の悲劇そのもの だった。
ヒロヒト(昭和)が始めた先の戦争で、 300 万人の国民、 2,000 万人のアジア民衆が殺された。ヒロヒトの手は、血まみれだったということだ。
皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
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ある仕立職人の一生(天声人語)
2022 年 1 月 24 日 朝日新聞
「恥ずかしながら帰って参りました」。
いまからちょうど半世紀前の流行語である。
1972年1月24日、グアム島の密林で発見された 元日本兵横井庄一さん の帰国第一声は、高度成長下の人々を大いに驚かせた
▼当時56歳。当方まだ小学生だったが、伸びた髪とひげ、草木で編んだ服はいまなお忘れがたい。 終戦を知らず、28年間もジャングルに身を潜めていた との報道に驚嘆し、祖父を質問攻めにしたものだ
(中略)
▼望まぬ注目と毀誉褒貶(きよほうへん)にさらされ、82歳で生涯を閉じたのは25年前の秋。 若き仕立職人の一生をかくも狂わせた戦争のむごさを思う。
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