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加齢とともに起きる、体感時間の変化について思う事・・・ 2024-7-3 はんぺんジャネーの法則・・・1年の体感時間が年齢に反比例する・・・というが、なるほどと思う反面、ちょっと自分とは、違うな・・・とも思った。 というのは、けっこう自分としては、多忙な毎日を送っていて、ルーチーンをこなす部分も多いので、アッという間に時間が過ぎたように感じているのは、その通りなのだが・・・ 新しいチャレンジ部分も、けっこうあるのに・・・もう一日が・・・もう1週間が・・・もう1年が・・・となっていて、限られた短い?人生に、焦りばかり感じている・・・ 65歳で、リタイアしてからの10年は、いろいろな事、強烈なことも あったのに・・・時間が、消えてしまったかのよう・・・人生が空白だったとは言わないが・・・何か、一度しか無い人生の貴重な?時間をムダ遣いしてしまったようにも思えるのだ・・・が、これって、どうなんだろう・・・ 多くの人が、昔の実体験などは、よく記憶に残っているのに、最近起きた事柄については、すぐに忘れたりする・・・という愚痴をよく聞くし、自分も、まったく、その通りなのだが、これも関係性が、ありそうな気がする。 経験したことすべてを記憶していたら、脳がパンクする?身体(脳)が記憶の取捨選択するように、出来ている? 認知症との関係性は??? 「光陰矢の如し」を痛感されている高齢者は、多いだろうと思うが・・・皆さんは、どう思われるか? はんぺん―――――――――――――――――――――ジャネーの法則【大人になると時間が早く過ぎてしまう理由】を現役プロ心理カウンセラーが語ります。 2023-12-3 竹内成彦心理カウンセラー(公認心理師)こんにちは。精神医学と性格心理学に詳しい、心理カウンセラー(公認心理師)の竹内成彦です。今日は、「大人になると、なぜ時間が早く過ぎるのか?」という問題を、ジャネーの法則に照らし合わせて語りたいと思います。 この記事を読んでいるあなたは、一体,、お幾つの方なのでしょうか?10代、20代、30代、40代、50代、60代、それとももっと上の年代の方でしょうか?私が推測するに、10代、20代ではないだろうなあ…と思います。何故なら、10代、20代の方は、「最近は、若い頃に比べ、月日が流れるのが早くなったなあ」なんてことは思わないからです。 どうして、年を重ねると、時間が早く過ぎるようになるのか?ジャネーの法則では、こう考えます。人生のある時期に感じる時間の長さは、年齢の逆数に比例する。 ※ ジャネーとは、19世紀のフランスの哲学者、ポール・ジャネのことです。ジャネは、「主観的に記憶される年月の長さは、年少者にはより長く、年長者にはより短く感じられる」という現象を、心理学的に説明しました。 要するに、ジャネいわく、「歳を重ねるにつれて、自分の人生における1年の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が早く過ぎると感じる…」ということです。1歳の時に感じた1年を1/1とすると、2歳の時の1年は1/2となり、1歳の時の2倍速く感じるようになるということです。 そう考えると、10歳の子は、1歳の子より10倍速く感じ、50歳の人は、1歳の子より50倍速く感じる…ということがわかります。そうやって計算していくと、50歳の人の1年は、1歳の子の7日程度だ…ということがわかります。 また違う例をご紹介します。50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当します。そう、50歳の人にとっての10年間は、5歳の人にとっての1年間にあたるのです。 ジャネーの法則を聞いて、あなたはどう思いましたか?驚きましたか? 「そんなの嫌だぁー」と感じましたか?今日は、ジャネーの法則に抗う方法を、あなたにお教えしたいと思います。 多くの人は、今まで経験したことがないことをやっているときは、それが強く意識に残り、時間が長く感じます。反対に、やり慣れていることばかりをしていると、時間の長さが気にならなくなり、アッという間に時が過ぎたように感じるものです。 子どもの頃は、見るもの聞くものが、初めてのことばかりで、毎日が新鮮で、新しい出会いや新しい発見が多々あります。しかし、大人になるにしたがって、新しい経験をする機会が徐々に失われていってしまいます。そう、大人になると、「時間がアッという間に過ぎ去ってしまった」と感じるのは、日々の生活に、新鮮味がなくなるからなのです。 よって、時間が早く過ぎるのを止めるためには、1年が早く過ぎ去ってしまうのを止めるためには、何か新しいことをすればいいのです。そう、あなた自身が、何か新しいことに挑戦すればいいのです。 私は、一昨年の春、5カ月間ほど、社会体験として、アルバイトをしました。20数年ぶりに、人にこき使われる…という強烈な体験をしました。その5か月間の記憶は、今も非常に鮮明で、本当に月日が流れるのが遅く感じました。 よって、あなたも時間が早く過ぎ去るのを食い止めたいのであれば、何か新しいことにチャレンジするべきです。そうすれば時間の流れは、子どもの頃のようにゆったりとしたものになります。逆に、毎日同じことの繰り返しをしていると、1年がアッという間に過ぎます。 いかがでしょう?あなたは、1年を長く感じていたい人ですか?それともあなたは、1年を短く感じていたい人ですか?そう、あなたの生きざまが、時間を伸び縮みさせてくれるのです。 今日も最後までお読みくださって、どうもありがとうございます。心から感謝申し上げます。この記事を書いた人は、心理カウンセラー(公認心理師)の竹内成彦です。 ///////////////////////////////(QUORAから・・・・)日向 ジョンさんの投稿年を取ると、「なんだ、人生ってこんなに短いのか」って感じるでしょうか?それとも「こんなに長いんか」って感じるものでしょうか?(回答者)善祐 昔の法名(なまえ)でやってます多分多くの人が勘違いしているジャネーの法則というものがあります。 簡単に言えば・・・10歳の人には一年は1/10の長さだから一年が長く感じる。50歳の人には一年は1/50だから一年が短く感じる。・・・・というものです。 しかし、なぜこうなるのか?という理由について訴求する必要があります。これは若いと初めて経験することが多く、同じ経験が少ないので脳に与える刺激が多く、中身が濃く脳が感じるから一年の中に記憶に残ることが多い。という話だけです。 つまり、歳をとってもいつも新しいことにチャレンジしている人は、脳に刺激が多いので、思い出をたくさん作れるということにもなりますし、日々について色々と考えて生きている人(例えば日記をつけて1日をしっかり振り返る人)は、記憶に残ることも多く濃い一年になるということでしょう。 やはり人生の時間というのは「何かを成そうとして生きている人にはいくらあっても足りない」もので、「なにも成そうとしない人には長い」のかなと思います。 中身は濃いけど、あっという間に過ぎた。でもちゃんと振り返ってみると色々あったなぁ。みたいな感じが充実した人生というやつかもしれないなぁーと。 ////////////////////////// 正解:A. 主観的な1年の長さは年齢に反比例する「ジャネーの法則」によると、たとえば50歳の人間にとっての1年は5歳にとっての1年の10分の1に感じることになります。その理由は、50歳にとって1年は人生の50分の1に過ぎないのに、5歳にとっての1年は人生の5分の1だからです。そのため、年をとるほど1年の比率が小さくなり、どんどん時間の経過を早く感じるのです。 「ジャネーの法則」では、どんなに長生きしても、人は20歳で主観的な人生の時間の半分を終えていることになります。20歳を過ぎると時間が経つのがどんどん速くなり、そこから「ちょろちょろ30(歳)」、「うかうか40(歳)」といった自嘲的な言葉も生まれました。まさに「光陰(こういん)矢の如(ごと)し」ですね。 ///////////////////////////// ジャネーの法則とは?ジャネーの法則とは、簡単にいうと「年を取ると時間が速く感じるようになる」という法則です。 これは、脳の活動量が年齢とともに減少するため、だそうなんです。 つまりは「脳の老化」と言うことなんですね。 脳の活動量が多いほど、時間はゆっくりと感じるため、子どもは大人よりも時間がゆっくりと感じる傾向があります。2023/07/31 //////////////////////////////// 年を取ると1年が早く感じるのはなぜ?1年が早く感じることを「ジャネーの法則」といいます。 この法則は「人生のある時期に感じる時間の長さは年齢の逆数に比例する」というものです。 解りやすくいうと、歳を取るにつれて自分の人生における「1年」の比率が小さくなるため、体感として1年が短く、時間が早く過ぎると感じるということです。2023/01/13
2024.07.03
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結婚することは、必ずしも(幸せ)を保証するものではない。 (はんぺん) 結婚というシステムは、人間生活の(幸せ)のためにあるのではなく、権力者が、国民を支配しやすくするための、便宜的なシステムだ・・・ということだ。 そもそも、結婚には、相手の有ることだから・・・大きなリスクが、あること。人間には、必ず、長所も短所もある。そのため、短所を容認しあえる夫婦生活が築けるかどうかは、結婚当初は、なかなか見分けがつかないのが現実だ。 婚前の交際の中では、自分の長所を売り込むことはあっても、自分の短所を開陳することは、普通は無い。 そして、結婚後に、配偶者が、実は、大酒飲みであったり、ギャンブル狂いであったり、異常な浪費癖があった・・・などが発覚して、破綻に至る可能性も・・・ 事前に、そういう事実が分かっていたら、最初から結婚に踏み切ることは無いだろうし、そんなリスクを避けて、自分の好きなことをするために(一生独身)を選択することも有りだ・・・と思う。 昔は、背が高く、収入も高く、学歴も高いという(三高)というのが、流行ったが、実際には、そういう相手が目の前に現れる確率は少なく、非現実的だろう。 そういう意味では、結婚には、運命的な(=ばくち的な)ものが多く、最近の若い人たちは、(納得できない結婚)を回避して、(独身止むなし)の単身者も増えているとか・・・ (結婚)と違ったところで、(幸せ)を求めるわけだが・・・これも納得だ。 本来、人間は、複数の恋愛が、自然ではないか? と、言ってきた。 長所・短所を併せ持つ個人同士が、出会えば、相手(複数)の長所にひかれ、(特定の唯一の異性に縛られることなく)好きになっていくのが、自然の流れで・・・ そういうことから考えれば、(結婚)というシステムの非合理性は、明らかだ。 生涯、一人の異性とだけ付き合い、浮気せず(愛?)を全うする・・・なんて、非現実的であることは、明らかだ。 上野千鶴子氏(東大教授)は、結婚とは、「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」と、喝破したのは、正しいと思う。 そんな結婚システムの非合理性で、自分たち自身を縛り付けて、自由で、平等で、民主的な社会システムが構築できるはずがない。 三流週刊誌を賑わす有名人、芸能人の(不倫)騒ぎは、庶民の関心を呼び起こし、部数(売り上げ)を伸ばしてきた。 彼らマスコミは、(社会正義??)をバックに、有名人たちを、激しく糾弾しているが・・・ これなどは、(不倫は、ダメ)(浮気は、ダメ)といった間違った価値観にもとづいている・・・・というか、権力の片棒を担いでいるということだ。 (結婚)というシステムにより、終生、一人の異性に縛り付けられることの(悲劇)は、NHKの連続ドラマや多くの小説、映画、演劇の題材には、事欠かないが、いつまでも、こんな異常な世界が続けば、自然な生き方をする人間世界が、歪められた、窮屈なものとなっていくだろう・・・ 前にも書いたが、人間の歴史を観れば、昔の男女関係は、もっともっと(おおらか)だった。一夫一婦制度は、権力支配がすすんだ近代において、より厳格に進められてきているように思える・・・ 面白いことに、男性優位の社会では、必ず、男性側には、自由恋愛を謳歌できる(裏の道)が、保障されていた。妾制度?や、売買春などは、その典型だが、結婚制度の不自然さを突いているともいえる。 好きな異性や同性に対して、なんの懸念も無しに、(好きだ)と言える自由な恋愛制度が理想だが、現実的には、家制度や経済格差や男女差別などで、結婚システムによる不幸は、今なお続いている。 今の社会では、自由恋愛を実行できる環境整備は、遅れすぎていて、子育て、共働き、老後に備えての資産形成などで、躓(つまづ)くことが多い。多くの離婚が再生産されて、シングルマザーなどが急増し、皆、生活苦にあえいでいる。 なかなか、自由恋愛が困難な時代に、我々は生きているということだろう。 我々日本の現実は・・・こうだ!! (以下参考)独身では生き抜けない国になった日本。「結婚しない」選択がもたらす悲惨な未来 2019年3月21日 山本昌義 MONEY VOICEhttps://plaza.rakuten.co.jp/hannpenn/diary/201904140002/ 未婚のリスクは決して小さくありません。日本は少子高齢化で、独身では生きられない国になっています・・・というわけだ!!!この悲しい現実を変えるには、まだまだ多くの時間がかかるだろう。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)
2021.06.22
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明治の初めに、日本を一人で旅行した英国のイザベラ・バードに、興味が出て調べてみた。初めての外国人から見た日本の姿が、ありのままに紹介されている。 旅は、好奇心の塊のような彼女の人生そのものだったようだ。当時は、外国人は、自由に移動できる範囲を、横浜・神戸・長崎・函館・新潟という五つの開港場と東京・大阪という二つの開市場(かいしじょう)から半径10里(約40キロメートル)以内に局限されていた時代だった。彼女は、「内地」と言われたこの外国人遊歩区域よりも奥を旅するには「外国人内地旅行免状」を認められ、不自由で、困難極める旅を 人力車とカゴなどを使って、北海道まで、足を延ばしている。 驚嘆すべきバイタリティーであり、記された貴重な記録の価値は、すこぶる高いことだ。このいくつかの(動画)で、明治初期の日本、とりわけ困窮していた東北地方の庶民の暮らしを勉強させていただいた。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――― イザベラ・バード 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (動画)イザベラバードの日本紀行 三谷幸喜 https://www.youtube.com/watch?v=0K2WyIQS-w8 (動画)1.イザベラ・バードの日本紀行01 https://www.youtube.com/watch?v=3ruV741bVLI&t=2284s (動画)11.イザベラ・バードの日本紀行11 https://www.youtube.com/watch?v=-PKwyMYofC8 (動画)イザベラバード 2020 イザベラ・ルーシー・バード(Isabella Lucy Bird) 1831年10月15日(天保2年)、英国・ヨークシャー・バラブリッジ出生。 1904年(明治37年)10月7日(72歳没) 19世紀の大英帝国の旅行家、探検家、紀行作家、写真家、ナチュラリスト。 1831年10月15日、イギリス・ヨークシャーで牧師の二人姉妹の長女として生まれる。 『日本奥地紀行』の著者として知られるイザベラ・バード。制約の多い中、彼女は日本滞在の7カ月で4500キロ以上を旅した。その目的は当時の日本を記録すること、そしてキリスト教普及の可能性を探ることであった。 1878年(明治11年)6月から9月にかけて、通訳兼従者として雇った伊藤鶴吉を供とし、東京を起点に日光から新潟県へ抜け、日本海側から北海道に至る北日本を旅した。多くの行程は伊藤と2人での旅だったが、所々で現地ガイドなどを伴うこともあった。また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ねている。これらの体験を、1880年(明治13年)、"Unbeaten Tracks in Japan" (直訳すると「日本における人跡未踏の道」)2巻にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻は関西方面の記録である。本書は明治期の外来人の視点を通して日本を知る貴重な文献である。特に、アイヌの生活ぶりや風俗については、まだアイヌ文化の研究が本格化する前の明治時代初期の状況を詳らかに紹介したほぼ唯一の文献である。1904年(明治37年)に73歳の誕生日を前にしてエディンバラで死去した。同地のディーン墓地に埋葬されている。 『日本奥地紀行』・・・1878年(明治11年)6月から9月にかけ『日本奥地紀行』は執筆され、1880年(明治13年)に "Unbeaten Tracks in Japan"(直訳すると「日本における人跡未踏の道」)として刊行された。 54年から亡くなる3年前の1901年まで海外の旅を重ね、その舞台は南米以外の全大陸に及んだ。期間の長さ、世界の広がり、そして、旅に基づく作品にとどまらない膨大な著作や講演活動を総合的に判断すれば、女性という枠をはめずとも旅行家の頂点に位置する一人と評価できる。 キリスト教伝道に結びつく場所を重視・・・ 日本の旅の最重要拠点は、滞在日数が都合50日にも及んだ英国公使館である。東京滞在も日本の旅の一部だったが、滞在日数の上位8位の五つまでが宣教師館や同志社女学校などキリスト教伝道に結びつく場所、しかも英国教会伝道協会だけでなくアメリカン・ボード(北米最初の伝道組織)の拠点(京都・神戸・大阪)だった事実も重要である(バードは来日前に同ボードの要人に依頼していた)。このような事実は、キリスト教受容の意義の主張で2巻本を締めくくっていることと見事に符合する。 北海道の旅の目的地を平取に定め、滞在期間は第7位(大阪と同じ)ながら、その長ペンリウク宅で3泊4日、アイヌのすべてを学び知ろうと全力を注ぎ、信じがたいほど濃密な記録を書き残したのも、実はアイヌへのキリスト教伝道とも結びついていた。 ただ忘れてならないのは、彼女がこのようなことを頭の片隅に置きながらも、旅で目にするもの、出会う人のすべてに関心をもち、率直な思いを吐露しつつ鮮やかに描き出していったことである。少女時代から培われてきたこうした鋭い観察力を駆使して、彼女は旅の一瞬一瞬を記録した。これこそは彼女の旅行作家としての優れた資質だった。 父が聖職者ということで、幼いときから転々と居住地をかえた。そのことでいろんな地域を見ることができ、ほとんど大人(知識人)の中で教育された。小さい頃から宗教的雰囲気の中で育った。 イザベラバード略年 1831年10月15日 ヨークシャー(Yorkshire)のバラブリッジ(Boroughbridge)で誕生。 1834年(3歳) チェシア(Cheshire)のタッテンホール(Tattenhall)に移る。 1842年(11歳)バーミンガム(Birmingham)に移る。 1848年(17歳) ハンチンドンシャー(Huntindoshire)のワイトン(Wyton)に移る。 1850年(19歳)病気が重くなり手術を受ける。 1854年(23歳)医者に航海を薦められ、アメリカとカナダを訪れる。 1856年(25歳)旅行記「英国女性から見たアメリカ」(「The Englishwoman in America」)をマレー書店から出版。 1857年(26歳) 再度アメリカに行き翌春帰国。まもなく父病死。 1859年(28歳) エディンバラ(Edinburgh)に住む。宗教的社会活動に従事。 1860年(29歳) スコットランド西海岸やヘブデーズ諸島を訪れる。 1866年(35歳) 母病死。 1872年(41歳)7月 エディンバラを出発しオーストラリアへ向かう。 2ヶ月間当地に滞在し、11月にニュージーランドに向かう。 1873年(42歳)1月 ハワイ諸島に向かう。7ヶ月間滞在する。 アメリカに渡りロッキー山脈の療養所で数ヶ月間過ごす。 1875年(44歳) 「ハワイ諸島の6ヶ月」(「Six Months in the Sandwich Islands」)をマレー書店から出版する。 1878年(47歳) 日本に向かって出発。アメリカを経由して、5月に上海着。横浜に向かう。横浜でオリエンタルホテルに2日間宿泊し、汽車で東京へ行き、英国公使館に滞在。6月中旬、日光を訪れ、東北北海道旅行に入る。9月に東京へ帰る。12月に香港に向かう。 1879年(48歳)1月 マレー半島を5週間旅行し、2月にカイロへ向かう。5月に帰国。「A Lady's Life in the Rocky」出版。 1880年(49歳)6月 妹ヘンリエッタ病死。 1880年(49歳)8月 スイスで静養。 1880年(49歳)10月 「日本奥地紀行」(「Unbeaten Tracks in Japan」)2巻出版。 1880年(49歳)12月 ビショップ博士と婚約。翌年3月に結婚。 1883年(52歳) 「マレー半島紀行」(「The Golden Chersonese」)出版。 1886年(55歳) 夫ビショップ博士死去。 1889年(58歳)2月 チベットとペルシャを旅行するため英国を出発。3月にインドのカラチに到着。ラホールを経てカシミールに入り、4月にスリラガル着。医療伝道のため亡き夫を記念して病院を建設。カシミールから西チベットに入り、3ヶ月滞在。10月に山を下ってシムラへ行く。医療伝道のためアムリッツァに妹を記念してヘンリエッタ病院を建設。12月にラホールに戻り、カラチへ汽車で行く。汽船でペルシャ湾に入り、バグダッドに行く。 1890年(59歳)1月 キャラバン隊を組織してペルシャ湾に入る。2月にテヘラン到着。困難なペルシャ旅行をして12月に黒海に出る。行程2500マイル。舟でコンスタンチノーブルに向かい年末に帰国。 1891年(60歳) スコットランド地理学会(RSGS)特別会員に推される。12月に「ペルシャクルジスタン旅行記」(「Journey in Persia and Kurudistan」)出版。 1894年(63歳)1月 極東へ旅に立つ。カナダを経由し横浜着。神戸に寄港し朝鮮に向かう。朝鮮旅行を終えて6月に満州に入る。奉天を経て、天津、北京に行く。日清戦争の戦乱を避けるためにウラジオストックに向かい、11月に到着する。 1894年(63歳)12月 長崎、大阪、京都へ行く。 1895年(64歳)1月 再び朝鮮を訪れる。2月に上海、香港に行く。夏を日本で過ごす。 1895年(64歳)7月 伊香保温泉に滞在。 1895年(64歳)12月 再び朝鮮を訪れ、さらに上海に向かう。 1896年(65歳)1月 揚子江を船でさかのぼり、5ヶ月間に渡り中国西部を旅行する。 1896年(65歳)6月 上海に帰る。夏は日本で静養。日光湯元温泉に滞在。10月に再び朝鮮を訪れる。3月に帰国。 1898年(67歳)1月 「朝鮮とその隣国」出版。 1899年(68歳)11月 「揚子江とその奥地」出版。 1901年(70歳) 6ヶ月にわたりモロッコ旅行。 1904年10月7日 病没。享年72歳。
2021.02.05
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生活知識です。このHPは、愛読しています(はんぺん)使い終わったティーバッグを庭に埋めたら凄い事が起こった 使い終わったティーバッグを捨てていませんか? 「ティップアンドトリック」 https://www.tipsandtricksjapan.com/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%B0-%E5%BA%AD/?utm_campaign=JPPgardenteaJPd&utm_source=PopIn&utm_medium=native&utm_term=this.kiji.is 庭作業が好きな人に朗報です。皆さんは紅茶やお茶を作った後にティーバッグを捨てていませんか?使用済みでも活用できる場はあります。そう皆さんの大好きな庭作業に利用できるのです! 使い終わったティーバッグであなたの庭は進化します。 色々な種をたくさん育てるのって難しいですよね?どれだけ愛情を注いでも目を出さない種があるのは皆さんも知ってのとおりでしょう。でも今回の記事では庭を植物でいっぱいにする簡単ですぐにできる方法を紹介します! そう、使い終わったティーバッグを土の中に埋める…それだけです。 栄養満点 使い終わったティーバッグを土に埋める事で得られる一番のメリットは種に栄養を与える事ができる点で小。お茶の葉はタンニンや自然の肥料になる栄養を多く含んでいるのです。ティーバッグ自体もバナナの一種であるアバカの茎の繊維から作られています。お茶は土の中で分解され、栄養を種に運んでくれるのです。 害虫対策 ティーバッグを土に埋めるもう一つのメリットは害虫を寄せ付けない効果がある点です。使い終わったティーバッグやコーヒー豆を害虫が嫌うって知ってましたか?もう大切な植物をエサにする害虫とはおさらばです。 分解のスピードアップ 堆肥の山にティーバッグを使うのも非常にスマートなアイデアです。お茶の中の酸が堆肥の分解プロセスをスピードアップさせるのです。それは堆肥を庭により早く使えるようにすることを意味します。あなた自身、そして庭をも幸せにしてしまうトリックです。 水の保持 地中の花や植物の茎の近くにティーバッグを埋めると、植物や花がより多くの水を地中で保持するのを助けます。そうすれば植物はより健康を保つ事ができます! 雑草 庭に生えてきたら嫌なもの、そう、雑草です。実はティーバッグは雑草の繁殖を抑える事ができるため、雑草にも効果的なのです。地中に使用済みのティーバッグを埋める事で、元気な植物や花の近くに雑草が生えるのを困難にさせます。 種の発芽 ティーバッグを使う事で種の発芽プロセスをより簡単にする事ができます。 必要なのはティーバッグ、種、プラスチック製のプランター、水のみです。通常のように種を発芽させますが、土の中にティーバッグを入れましょう。そうすればプロセスのスピードアップ間違いなしです!種が発芽したら、より大きなプランターに移動させるか、直接庭に移しましょう。 猫 あなたの庭に近所の猫が現れるなんてことありませんか?ティーバッグや挽いたコーヒー豆は猫を寄せ付けないようにする事ができます。匂いで猫を遠ざける事ができます。挽いたコーヒー豆やお茶を庭の土の上に撒けば、猫が小便をしてしまうのを防ぎます。このトリックでは家の中の猫を植物から遠ざける事もできます。 お茶の葉を食べる芋虫 庭にいる芋虫、いい気分ではありませんよね。しかしそんな芋虫も庭に良い影響を与える事もあるのです。芋虫はお茶の葉を食べます。なのでそのお茶の葉が消化されて土に帰れば、庭にさらなる栄養を与える事ができ、超栄養満点の庭を作る事ができるのです。
2020.11.13
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「静謐な環境を乱さず、一人の人間として、人知れず、鎮魂の場に臨んで欲しい。」 「戦陣に散った方々が眠るにふさわしい静謐(せいひつ)な空間だ。」(本文)と思い込むのは、遺された者たちの勝手な思いだ・・・・と、僕は思う。 葬式は、残った者たちの勝手な思いに、過ぎない・・・と。(安らかに、お眠りください・・・)って、みんな言うけれども、故人は、果たして、どう思っているのかは・・・誰にもわからない。天国に行ってほしい、地獄に行ってほしくない・・・・って、遺ったモノの勝手な思いである。 実に、いい加減なものだなあ・・・と思う。生前に、終活の中で、自身の葬式次第を決めておきたいという人がいたりするとしたら、それは、単なる希望(願望)であって、遺された者たちが、その通りにするかどうかは、故人には・・・わからない。 戦没者の遺骨捜索の事が、時々、新聞などで報じられるが、混乱した戦場で、故人がどのように(戦死)したかは、不明のケースが多い。内地の遺族たちの希望(願望)は、(お国のために、戦って死んだ)と、思いたい・・・が、現実は、(戦死者)たちの多くは、鉄砲の弾を打つことなく、食料欠乏の中で「餓死」している・・・(惨死)であった。 かくも無残な「惨死」を認めたくないから、(英雄)として戦死したと、勝手に作り変えて・・・立派な墓を建てたりするが・・・これも、遺ったモノたちの勝手な思いである。 現代にあっても、(葬式は、残った者たちの勝手な思いに、過ぎない・・・)と僕が言うのは、そういうことだ。 人の生死には、厳粛さがつきまとう。命が消え去ることに、特別の意味を付与するのは、おそらく(考える葦)の人間だけかもしれない。そこで、様々な解釈が 成り立ち、地域ごとに、独特の葬儀や墓が、存在する。 日本でも、時代によって、葬儀の形態、墓の在り様は、驚くべき変化をしてきた・・・が、冷静に考えてみれば、人間って、ずいぶん良い加減なことをしてきた。 僕は、今でも、葬儀やお墓に、お金をかけるのは、バカらしい・・・と思う。残された、わずかな資産は、遺された者たちが使うべきだと、今でも思う。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 戦死者と権力者。 慰霊、歴史から目をそらすな(多事奏論) 2019-12-25
2020.02.09
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僕の友人・知人には、リベラル人間が多い。これまでの僕の人生から見て、当然の事なのだが・・・その彼らの中で、(ネットを使わない、PCを持っていない)と言う人が多いのには、以前から驚いていた・・・ 昔は、ワープロで仕事をするケースが多かったが、その後、PCが導入されて、今やワードやエクセル、メールやネット検索無しで、(仕事)ができない時代になっている。 僕も、一昔前の人間だが、嫌々でもPCを使うようになっていった。使ってみれば、自身の世界を、予想外に拡げることもできた。今でも、進んで使おうとしない多くの同世代人を見て・・・ため息が出る。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)―――――――――――――――――――――――――――――――――――日本の高齢者のITスキルが、世界の中でも著しく低い理由 2020-1-22 ニューズウィーク日本版<「もう年寄りだからパソコンは苦手」は、世界の常識ではない> NHK次期会長のみずほフィナンシャルグループ名誉顧問・前田晃伸氏(75)が、パソコンを持っておらず、インターネットも接続していないと発言したことが話題になっている。 NHKは今年からネット常時同時配信に乗り出すことが決まっており、就任会見では記者から関連の質問が集中したが、前田氏は「実はインターネットとかパソコン持っていないんですが......」「相当古い人間で、常時配信がどんなものかも分かっていない。1月までもうちょっと勉強させてほしい」と発言。就任までの間に勉強させてほしいと述べるにとどまった。 今後のNHKにとってネット配信は極めて重要なサービスの1つだが、組織トップがそのサービスについて知見を持っていないということでは、一部から不安視する声が出るのもやむを得ないだろう。もっとも経営者は経営能力があればよく、必ずしもITスキルが必須というわけではない。 だが、筆者が引っ掛かったのは、前田氏がITに疎いことそのものではなく、その理由として、自身の年齢を引き合いに出したことである。 日本では年齢が上がるにつれてITに疎くなるというのは、当たり前のことと受け止められているが、諸外国では必ずしもそうとは限らない。年齢が高くなるとITスキルが下がるのは、どの国にも見られる傾向ではあるが、日本の場合、ITスキルと年齢の相関が特に高いという特徴が見られるのだ。 OECD(経済協力開発機構)によると、日本人のITを活用した問題解決能力は、25〜44歳の間ではOECD平均をそれなりに上回っているが、50歳を超えると差が縮まり始め、60歳以上では平均値を下回る。つまり諸外国と比較すると日本では高齢者のITスキル低下が特に目立つ。 問題の根源は教育環境にある? 実はこの傾向は高齢者だけではなく、若年層においても同じ傾向が見て取れる。諸外国では16~34歳までのITスキルはほぼ同レベルなのだが、日本人では24歳以下になると急激に低下している。日本では高齢者に加えて若者のITスキルも低いということになるわけだが、一連の結果は日本の教育環境と関係している可能性が高い。 日本は諸外国と比較して、社会人になってから再教育を受ける機会が極めて少ない。年功序列の人事制度を採用している企業も多く、一定の年齢を超えると、能力にかかわらず全員が管理職的な仕事に従事し、現場から離れてしまう。このため、実務から離れた中高年のITスキルは下がる一方となる。 義務教育課程も同じである。日本の小中学校におけるIT活用度は先進各国の中では最低水準であることはよく知られているが、子供がITツールに触れる機会が少なければ、問題解決能力が下がるのも当然だろう。 こうした状況が続くと近い将来、大きな問題が発生する可能性が高い。現在、働き盛りの20代から40代の社員は何とかITを使いこなせているが、10年後、20年後には全く新しいITツールが登場しているだろう。もし、新しい技術に関する体系的な再教育が実施されなければ、多くの社員がこれを使いこなせず、今の中高年と同じ状況に陥ることは十分に考えられる。 管理職に適した人のみを管理職に登用し、それ以外の人については常に再教育を施す仕組みを構築しなければ、日本は次のIT革命でも乗り遅れてしまうかもしれない。
2020.02.03
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若者が「朝日新聞ぎらい」になった謎を考える。共産党が保守で自民党がリベラル? 2018-9-11 元木 昌彦・ 橘 玲 現代ビジネス 元朝日新聞の社長だった広岡知男氏が私(元木昌彦)にこう言った。 「昔は朝日とケンカしたって勝てないから、政治家だって文句を言ってくるヤツはいなかった」 珊瑚記事捏造事件が起きた1989年のことであった。 そうした朝日文化人の傲慢さや上から目線を週刊誌で批判すると、よく売れた。 私は朝日の古くからの読者である。最近の森友・加計学園問題追及は、朝日の紙価を高めていると思っている。だが、朝日新聞出版から『朝日ぎらい』を上梓した橘玲氏によると、最近の朝日批判の盛り上がりは、昔と位相を異にしているという。 朝日に代表されるリベラル派が、「憲法にせよ、日本的な雇用にせよ、現状を変えることに頑強に反対する」守旧派に成り下がってしまったと喝破する。 保守派である安倍政権は、リベラルな政策を次々に打ち出して、若者たちに支持されているというのである。 『言ってはいけない』(新潮新書)もそうだったが、実に刺激的な本である。オールドリベラリストの私は、おずおずと橘氏のお叱りを受けに行ってきた。 保守とリベラルの「逆転現象」 元木昌彦:このところリベラル批判本がずいぶん出ていますが、橘さんのお書きになったものは説得力があります。私はオールドリベラリストですから、自分が批判されていると思って読みました(笑)。 この本に、今の10代後半から20代の若者たちは、共産党が保守、自民党政権がリベラルだという認識だと書いています。われわれにとってはショックでした。 橘玲:早稲田大学の田中愛治さん(政治学者で11月から17代総長に就任予定)の研究ですね。年配の人は当たり前のように安倍政権は右で共産党は左だと思っているけれど、実は30代ぐらいを境にして左右逆転して、今の若者は自民党がリベラルで共産党は保守だと思っています。 若者が保守化したのではなく、ずっとリベラルなままなのに、かつての「リベラル政党」が保守化してしまった。その結果、現実的な政治をする自民党しか選べなくなったと考えると、今起きていることがすっきり理解できます。 元木:たしかに共産党っていうのはゴリゴリの守旧派ですからね。 橘:憲法から築地市場まで、「変えるな」しか言わないですから(笑)。客観的に見ればどちらが改革でどちらが保守かは明らかですが、既成のメディアや知識人は古い図式から逃れられず、「最近の若者は右傾化した」と騒ぐわけです。 当の若者たちが、自分たちが保守化・右傾化したと言われることに納得していないことは完全無視ですね。 元木:安倍政権というのは、国際社会ではリベラル、若者に対してはネオリベ(新自由主義=個人の自由や市場原理を再評価し、政府の個人や市場への介入は最低限にする)、既存の支持者に対しては保守、日本人のアイデンティティ主義者にはネトウヨと使い分けているから、あれほどモリ・カケ問題で噓をつきながらも支持率が急落しない。あれは安倍さんだからできるんですか。 橘:いや、安倍政権が終わってもほとんど変わらないと思います。超高齢社会で少子化が進み、1000兆円の借金を抱えていては、たとえ野党に政権交代したところで政策の選択肢なんてほとんどありません。 国際政治の世界では長く権力を握っている政治家が尊敬されますが、「極右」は相手にされません。安倍さんもそれがわかって、靖国にも行かなくなったし、東京裁判は「勝者の判断によって断罪された」なんてことも口にしなくなりましたよね。 元木:「戦後レジームからの脱却」も言わなくなったですしね。 橘:安倍政権は「保守」のはずなのに、経済政策ではリベラルに舵を切って、保守派が守ろうとしている日本的雇用の破壊に邁進している。政治的な知性から言えば、たいへん賢い人だと思う。 移民の受け入れや外国人参政権など、日本人のアイデンティティを逆なでするようなことでは大騒ぎになりますが、そこにさえ触れなければ、右派も含め大半の国民はリベラルな政策で文句はないわけです。今みたいな人手不足では「一億総活躍」しかないことは誰だってわかりますから。そこに気がついて、安倍政権はリベラルに「反転」したんだと思います。 「ダブスタ」には、もううんざり 元木:安全保障政策やトランプへの盲従には首を傾げます。アベノミクスにしてもうまくいってはいないと、私は思いますが、次々に打ち出すスローガンの立て方はうまい。 今、世代間戦争のように言われている年金問題ですが、この責任は一に厚労省の先見性のなさにある。先日の朝日新聞が書いていましたが、若者世代と高齢世代が話し合ってどうこうする問題ではないと思います。 橘:それは無理ですよ(笑)。若い人たちと話をするとみんな「僕たち、どうせ年金もらえないんでしょ」と言います。彼らは高齢者を批判しているのではなく、「年金制度が破綻して、どうやって生きていけばいいのか」を聞いているわけです。その問いを無視して、全共闘世代の高齢者が国会前で気分よく「民主主義を守れ」と叫んでいるのが、彼らの一番の不満なのだと思います。 元木:よく言われるのが、北欧のように税金を高くして、その代わり働けなくなったら国が全部面倒をみましょうという制度に変えたらいいということです。しかし日本のように、アップした消費税を社会保障に使うと言いながら、ほとんどがゼネコンへ流してしまうようなことをやっていると、国民の合意を取り付けるのは難しいですね。 橘:少子高齢化なのだから、現役世代が退職世代に仕送りをする賦課方式の年金制度が維持できるはずがありません。同世代の中で面倒を見る制度に変えるべきだ、というのも言われましたよね。60代、70代でも裕福な人もいれば、貧しい人もいるわけだから、世代内で所得移転すれば世代間対立はなくなります。一理ありますが、1000兆円の借金を抱えながらこのような大改革を行うのは不可能でしょう。 元木:年金ではなくベーシックインカム(BI)にしたらいいという議論がこのところ出ていますが、橘さんは、BIはユートピアではなくデストピアになる可能性があると言っていますね。 橘:BIで一律一人毎月20万円受給できるとしましょう。そうなれば、世界中から貧しいひとが殺到するに決まっています。日本人と結婚して子どもを生めば、そのたびに毎月20万円入ってくるのですから。 BI推進派の人たちは、世界には一日100円以下で暮らしている人がたくさんいることをぜったい言わないですね。 財源がなければBIは成り立ちませんから、けっきょく金持ちから取り上げて貧しい人に分配することになりますが、そうなると富裕層が日本から脱出しないように監視したり、場合によっては拘束しなければならなくなる。その結果生まれるのは、「鎖国」政策をとる排外主義的な超監視社会というグロテスクな国家以外ないと思います。 元木:『朝日ぎらい』で橘さんは、「日本の社会では『正規/非正規』『親会社/子会社』『本社採用/現地採用』などあらゆるところで『身分』が顔を出す。日本ではずっと、男は会社という『イエ』に滅私奉公し、女は家庭という『イエ』で子育てを『専業』にする生き方が正しいとされてきた。日本は未だに先進国の革を被った前近代的な身分制社会」だと批判しています。 「新卒一括採用」も日本でしか行われていない年齢差別だと指摘しています。このような差別的慣行を容認しておきながら、リベラルを自称する人たちは、差別の温床になっている日本的雇用を破壊しないで、逆に「日本的雇用を守れ」と主張し、結果として差別に加担してしまっているのだと書かれています。特にマスコミの中の男女格差について厳しい指摘をしています。 橘:マスコミだけが男女差別をしているのではなく、日本の社会全体が性役割分業を当然としてきました。それを変えていこうと思ったら、リベラルを自称する人たちが実践する以外ないわけです。保守の人たちは今のままでいいと思っているわけだから。 それにもかかわらずこれまでリベラル派は、他人のことは批判するけれど自分のことには見て見ぬふりをしてきた。SNSなどで言論空間が大衆化・民主化して、リベラルのダブルスタンダードが強く批判されるようになったのだと思います。 夏の甲子園だって… 元木:これまでのリベラル派の代表として朝日新聞が挙げられていますが、当の朝日の人たちのこの本への反応はどうですか。 橘:直接には聞いてませんが、朝日新聞社のビルにある書店ではすごく売れているそうです(笑)。やっぱり、「なんでこんなに嫌われるのか」知りたいんじゃないでしょうか。 私は、世界は「右傾化」しているのではなく、人々の価値観はどんどん「リベラル化」していると考えています。そんな中で、言行一致したリベラルは社会を変えていく大きな力を持つことができます。逆に自分はぜんぜんリベラルではないのに、権力批判のときだけリベラルになるから叩かれるんです。 毎月「朝日ぎらい」をやっている雑誌がたくさんあるのは、その主張に一定の根拠と説得力があるからだと考えなくてはなりません。 元木:われわれの雑誌の世界では、朝日批判は売れる。この本が『読売ぎらい』では売れません(笑)。 橘:一つのメディアを叩く雑誌が三つも四つもある国なんて日本以外ないですよ。それだけ戦後民主主義における朝日新聞の権威が大きかったということでしょうが、すごく不思議な現象ですよね。 元木:私が雑誌をやっていた頃の朝日新聞叩きと、今のバッシングは違ってきていますね。当時は朝日の権威や上から目線の朝日文化人的なものを批判していましたが、いまは嫌中・嫌韓と一緒で、橘さんの言う「日本人アイデンティティ主義」からの批判になってきていると思います。 橘:ネットでの朝日批判の定番は「捏造」と「反日」です。これは要するに、右派論壇がつくってきたステレオタイプの批判を繰り返しているだけなんです。「反日」という言葉が象徴するように、朝日新聞という存在自体が「日本人」というアイデンティティを逆なでするところがある。それは何かと考えると、日本人の自信が崩れかけていることが背景にあると思います。 国連は第二次世界大戦の戦勝国クラブですが、G7は植民地を持ったことのある「宗主国クラブ」で、そこにアジアで日本だけが入っているというのが、今や日本人のアイデンティティの最後の拠り所になっている。 それ以前は、日本が非白人の国で唯一、経済成長に成功したというのが自尊心だったわけですが、いまではGDPで中国に大きな差をつけられ、国民の豊かさの指標である一人当たりGDPでもシンガポールや香港に抜かれ、いまや韓国に並ばれています。 経済における自尊心が大きく揺らいでいる時に、慰安婦や南京事件などの歴史問題で「日本人は過去の反省が足りない」と言われると、逆上してしまう。1980年代末の歴史教科書問題の頃から潮目が変わってきて、2000年代になってネットを中心に「日本人アイデンティティ主義」が前面に出てきた。 アジアが貧しい頃は、優越感があるから、嫌韓とか反中はなかったですよね。日本人は右も含めて中国が好きだったし、韓国の保守政権と日本の保守政権はべったりだったわけですから。 元木:この間まで甲子園で高校野球をやっていましたが、朝日は「熱中症に気をつけましょう」と紙面で言いながら、夏の甲子園を強行して平気な顔をしてます。そういうダブルスタンダードが見透かされてきている。 朝日は自ら範を示すべき 橘:森友や加計の問題を掘り起こして権力を批判するのは、メディアの役割として当然です。でも今は、どんなことをやってもすべて党派対立に還元され、「朝日は反安倍(反日)だから意図的にやってるわけでしょ」と言われてしまう。逆に読売や産経がどんな報道をしても「政権に媚びてる連中の言うことを真面目に取り上げたってしょうがない」とリベラルの人たちは言うわけですから、そもそも議論が成り立たない。 月刊『Hanada』や『WiLL』をなぜ買うかというと、党派性がはっきりしているからです。そこではリベラルを擁護するような、不愉快な記事は絶対出てこない。自分にとって気分のいい話しか書いてないから、お金を払う価値があるわけです。「日本人」という脆弱なアイデンティティしかもてないひとたちの精神安定剤みたいなものですね。 元木:苦境に立たされている朝日に何かいいやり方はあるのでしょうか。 橘:朝日の社内にも憲法九条を変えたほうがいいと思っている人はたくさんいるでしょう。憲法学者は難しい理屈で、むりやりのまま今でも自衛隊は合憲だと言いますが、ふつうの日本語ではとうてい、そうは読めません。 憲法というのは国の設計図なんだから、中学生でも納得できるように書くべきです。だけど、こういう当たり前の主張をすると許してくれない「左派」の読者をコア層にたくさん抱えていて、身動きがとれなくなっているんじゃないでしょうか。 戦後日本の一番の不幸は、愛国を右翼の独占物にしてしまったことです。 「なぜ自分が生まれた国を愛してはいけないのか」という若い人たちの素朴な問いに、リベラルはうまく答えることができません。 元木:記者クラブの問題も男女格差の問題も身内に抱えながら、他の批判はするというのではメディアとしての信頼は落ちる一方でしょう。 今日はありがとうございました。 (本稿は月刊誌「エルネオス」9月号掲載記事より抜粋しました) ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 元木昌彦(もとき・まさひこ):編集者。1945年生まれ。「週刊現代」や「フライデー」の編集長として権力批判の誌面づくりを貫いた。メディア規制の動きに反対の論陣を張る。2006年11月、講談社を退社。オーマイニュース元社長。上智大学、明治学院大学、大正大学などで講師。インターネット報道協会代表理事。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 橘玲(たちばな・あきら):作家。1959年生まれ。2002年国際金融小説『マネーロンダリング』でデビュー。2006年『永遠の旅行者』が第19回山本周五郎賞候補となる。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部を超えるベストセラー、『言ってはいけない残酷すぎる真実』(新潮新書)が48万部を超え新書大賞2017に。
2020.02.01
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夫婦同姓は日本だけ? 主流は選択型、原則別姓の国も(今さら聞けない世界) 2019-3-28 高田正幸 朝日新聞 日本では、夫婦が同じ姓を名乗るように法律で義務づけられています。でも、世界を見渡すとこのルール、かなり珍しいのをご存じでしたか? 「夫婦同姓」は合憲 今月25日、東京都の男性ら4人が「夫婦別姓を選べないのは違憲だ」として、国に慰謝料を求めた訴訟で、東京地裁が訴えを棄却する判決を出しました。 判断の根拠になったのは2015年12月、「夫婦同姓」を定めた民法の規定について、最高裁大法廷が「合憲」とした判決です。「夫婦同姓」が「社会に定着しており、家族の姓を一つに定めることには合理性がある」というのが理由でした。 一方、政府は最高裁判決に先立つ15年9月、ある答弁書を閣議決定していました。結婚すると、夫婦が同姓を名乗るよう法律で義務づけている国があるかどうかという問いに対し、「現在把握している限りでは、我が国のほかには承知していない」というものです。 では、世界の夫婦はどのように姓を選んでいるのでしょうか。世界の結婚制度に詳しい大阪大学の床谷文雄教授(家族法)に聞きました。 かつては欧米も「夫の姓」 床谷教授によると、いま世界で最も主流なのは「同姓でも別姓でも選べる」という国です。 ただ、これは最近の考え方。欧米でも以前は、結婚したら、夫の姓に変える同姓が一般的だったそうです。ドイツやオーストリアでは以前、夫の姓に変えることが法律で決まっていました。そうした法律はなかった英国や米国でも、慣習により夫婦は夫の姓を名乗ることが一般的でした。 例えば、クリントン元米大統領の夫人ヒラリー氏は、最初は旧姓である「ヒラリー・ロダム」を名乗っていました。しかし、夫が1980年の州知事選に落選した後から「ヒラリー・クリントン」を名乗り始めました。夫婦別姓では保守層の票が減る、という考えがあったと言われているそうです。 そうした潮流に変化があったのは、20世紀後半からでした。1979年に採択された国連の「女子差別撤廃条約」の影響もあり、「女性が結婚したら男性の姓に合わせなければならないのは、おかしい」という機運が高まりました。 男女平等の観点から90年代になって、結婚後にどちらの姓を使うかを夫婦それぞれが選べる「選択的夫婦別姓」が、ドイツやオーストリア、スイスなどの国で法制化されていったのです。 「山田鈴木太郎」もあり? 同時に、法的に結婚後の姓について決まりがなかった英国や米国、フランスなどでも、夫婦別姓を選ぶ人が増えてきました。英国やフランスの植民地を経験した東南アジアの国々でも、欧州の影響から選択制をとっている国が多いようです。 今では、夫婦双方の姓を合わせた「結合姓」を選べる国も少なくありません。 日本に当てはめて考えてみた場合、例えば山田太郎さんが鈴木花子さんと結婚した場合、「山田鈴木太郎」と名乗るようなイメージです。 「夫婦別姓が原則である」という国は、実は東アジアに多くあります。お隣の韓国や中国では、結婚後も姓を変えないのが一般的です。 床谷教授は「キリスト教の影響で夫婦の一体性を重視した欧米に比べ、自分の出自を表す『家』を大事にしたのがアジアの文化だったのではないか」と話しています。 日本では「同じ姓になることで家族の一体感ができる」といった考え方から、「夫婦別姓」に反対する声はかなりあります。 でも、日本もかつては「別姓」が基本でした。武家社会では、嫁いだ後も妻が実家の姓を名乗ることが普通だったそうです。多くの国民が姓を持つことが許された1870(明治3)年当時でも、政府は結婚後も実家の姓を名乗るように指示しています。 その後、1898(明治31)年に施行された明治民法が「家族は同じ家の姓を名乗る」と規定し、現在の制度を形づくっていったのです。 増える事実婚 さて、再び世界に目を向けると、「結婚」という制度に縛られない仕組みづくりも進んでいます。 フランスでは1999年、共同生活を営んでいるカップルに対し、結婚しているのとほぼ同等の法的権利を与えるPACS(連帯市民協約)を認める法律が施行されました。18歳以上が結べる「パートナー契約」で、結婚より手続きが簡単。片方の求めがあれば、解消できます。一方で、税制や社会保障では、結婚に近い権利が与えられ、負債の連帯責任など義務も伴います。 スウェーデンでもカップルに結婚しているのに近い権利を認めるサムボ(事実婚)法があります。日本の内閣府経済社会総合研究所の調べによると、スウェーデンでは法律婚をするカップルの9割がサムボを経験しているそうです。
2020.01.31
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年を取っても記憶力がいい人と低下する人の差。記憶力に不安が出始めた大人のための勉強法 2019-1-3 池田 義博(2019年度記憶力日本選手権大会優勝者) 東洋経済オンライン 新年の目標を立てる人も多いこの時期。語学やビジネススキル、検定試験など「今年は勉強するぞ」と決意を新たにしている人も多いと思います。しかしいざ勉強を始めると「昔のように覚えられない」「この前覚えたはずなのに思い出せない」など、以前より落ちた記憶力にショックを受け始める人もいるかもしれません。今回は、決意と頑張りを無駄にしない、大人のための勉強法を『見るだけで勝手に記憶力がよくなるドリル2』の著者で、記憶力日本一の池田義博氏がご紹介いたします。 年齢を重ねても記憶力は維持できる お察しのとおり、加齢で脳が衰えるのは残念ながら避けられません。しかし筋肉と同様、トレーニングすれば何歳からでも脳を鍛えることができます。 手前味噌ですが、私は40代半ばから記憶力日本選手権大会に参加し、10~20代の若い選手たちをおさえて、出場した6回すべて優勝しました。しかし、これは私が特別な才能を持ち合わせているからではありません。 私の知り合いには、50代で試験を受けて大学院に入った方も60代で司法試験に合格した方もいます。 つまり記憶力とは才能以外の影響がとても大きい能力なのです。そして記憶力の維持に大事なのは誰でもできる3つの心がけを守ることだけ。 1つ目は「覚える意志」いわば意欲を持つこと。偽の薬でも効くと信じて服用すると本当に効果が出ることがある「プラセボ(偽薬)効果」をご存じでしょうか? これと同様に「覚えられない」「無理だ」というネガティブな思い込みは記憶スイッチをオフにしてしまいます。 記憶力が衰えない人は皆「年だから覚えられない」とは考えません。低下するのは記憶力ではなく意欲です。意欲の低下や苦手意識をなくすことが記憶力維持の第一歩になってくれます。 2つ目は「回数」、つまり復習です。何度も復習するとより強い記憶になるという脳の性質があります。そのイメージは壁のペンキ塗りに似ています。ペンキ塗りは何度も塗り重ねて完成しますが、記憶も同様。薄い記憶を何度も重ねて厚くするほうが強い記憶となっていつまでも覚えていられるのです。 にもかかわらず、1度や2度見たり書いたりしただけで、覚えられないと諦めてはいませんか。1度で覚えられなければ2度、2度で駄目なら3度、と復習を繰り返して記憶を強くしましょう。 3つ目は「感情」すなわち感受性です。脳の中で記憶をつかさどっている場所を「海馬」といいます。この海馬のすぐ隣には「扁桃体」という場所があり、喜怒哀楽といった感情に反応します。つまり、何らかの感情が動いて扁桃体が反応するとそれによって隣り合った海馬が刺激を受け記憶が強化される仕組みになっているのです。 そのような理由から、感情が伴った記憶は長く頭の中に残ります。年々、心から感動したり喜んだりすることが減ってきてはいませんか。大きなことでなくても構いません。おしゃべりを楽しんだり咲いている花を愛でたりご飯を味わったりと、いつまでも感受性豊かにワクワクした日々を送ることが扁桃体を活性化させ同時に記憶力アップにもつながるのです。 ■メモやノートを使いこなす! 試験勉強や語学の勉強する際には、メモやノートといったツールを使いこなしましょう。ここでは脳の記憶の司令塔「海馬」を刺激し、効率的に記憶をするメモ術をご紹介します。 記憶がどのように失われていくかを調べた研究結果では、記憶というのは徐々になくなるのではなく、初期の段階で急激に失われることが明らかになっています。だからメモにいちばん大事なのは新鮮さであるといえます。メモをとるときは時間がないことが多いものです。そのため書き込みも最小限になりがちですから、その場では書き込めない情報もあるはずです。 . 早いうちにメモを見返せば、それを書いたときの意識を呼び起こし、書き込めなかった情報まで思い出せます。ところが時間が経つと記憶がどんどん消えていってしまい、メモとしての価値は下がります。 最終的にはなぜそのメモを書いたのかさえ忘れることも。そうならないため、なるべくメモをとった日に目を通して、書き込めなかった情報まで追記することをおすすめします。 同じくノート術についてもよく質問をいただきます。ノートをとる本来の目的は、内容を頭に入れることです。カラフルなペンでノートをつくる人もいますが、記憶力と色の多さはあまり関係がありません。 それよりも自分で工夫しながら書くほうが強く記憶に残ります。枠で囲む、線でつなぐ、それから「!」「?」「☆」「◎」「↑」などイラストを描く。このように自分の意思で工夫した過程はすべて「エピソード」になります。自分で考えてつくったという「エピソード」が海馬を刺激するから、強く記憶に残ってくれるのです。 ツールを使いこなす以外に大切にしたいのが睡眠です。睡眠と記憶には切っても切れない関係があります。なぜなら記憶を定着させるには必ず睡眠をとらなければならないからです。 学生時代に試験の前日、徹夜で勉強した経験のある方はいないでしょうか。一夜漬けで入れた知識はその日の試験までは持つのですが、試験が終わった途端どこかに消え去ってしまいます。これは睡眠をとっていないため、きちんと記憶が定着しなかったことを示しています。 睡眠中も脳は働いていて、記憶を管理している海馬はとくに大忙し。なぜなら海馬にとっての睡眠は、昼間のうちに頭に入った情報を整理する時間だからです。寝ているときに見る夢はわけがわからないものが多くありませんか。あれは海馬が、バラバラになっている記憶の断片を組み合わせて再生する過程で起こる現象と一説にはいわれています。 例えるならば昼間頭に入った情報はバラバラ状態のジグソーパズルのピース。それらが睡眠中に組み合わされて正しい形に整理されているのです。こうして、完成したパズルだけが記憶として脳に保管されます。 では記憶に最適な睡眠時間はどのぐらいでしょう。ハーバード大学の研究によれば新しい知識や技法を習得するには、覚えたその日に6時間以上の睡眠が必要とのことです。 ですから睡眠時間を削って試験勉強を行うなど愚の骨頂。睡眠時間を十分確保して勉強するほうが、結局はたくさんのことを身に付けられます。 ■発想力や精神面まで向上させられる ここまで、スキルアップを目指す方に向けて記憶力アップ法をお伝えしてきました。しかし記憶力を鍛えるメリットはスキルアップ以外にもたくさんあります。その1つが集中力の向上です。 実は集中力と記憶力のどちらか一方だけ高いということはほとんどありません。記憶力=集中力といえるほど、記憶力が高いと集中力も高いという関係性があります。つまり記憶力が高くなると集中力まで高くなるというおまけがついてくるのです。 私も記憶力を鍛え始めてから、いい変化がたくさんありました。その1つは精神面の強さ。昔はとても緊張しやすく、あがりやすい性格だったのですが、今ではテレビ番組の収録で多くの人やカメラに囲まれても平気になりました。記憶力につられて集中力がアップした結果、周りに惑わされず、すべきことだけに全力を注げるようになったようなのです。 さらにアイデア出しの能力まで飛躍的にアップしました。拙著『見るだけで勝手に記憶力がよくなるドリル2』に情報を関連づけるドリルがありますが、これを応用すると、思いもよらぬものが結び付いて新しいアイデアを生み出すことができるのです。 その脳の使い方を身に付けることができればどんどんアイデアが湧いてきて、アイデア出しに苦労することも激減します。このようにたくさんの副次的効果も期待できる、記憶力の維持・向上に取り組んでみてはいかがでしょうか。 . 池田 義博 :2019年度記憶力日本選手権大会優勝者
2020.01.16
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情報発信しているが、多くのメディアに、目を通している。朝日・毎日・産経、読売。 韓国、中国関係、AFP、CNNなどのネット記事も多数。朝日と産経は、会費を払ってデジタル会員に。また、産経古紙を友人から、毎月500円(6000円/年)で融通してもらっている。加えて、読みたい本をネットで、頻繁に買うが・・・時間の制約のほかに、加齢に伴う視力の低下などで・・・ここ数年、厳しい状態が続く。 僕たちが、若いころは、入ってくる情報が限られていた。その中で、内外情勢を論じ合ったものだが・・・多くの間違いを犯してしまった。(バラ色)の社会主義幻想を、周りに振りまいてしまった・・・結果、多くの若者たちを、間違った進路に導くことにも、なったことだろう。 あの日本赤軍、連合赤軍事件は、僕にとっては、人ごとではない。彼らの人生の分かれ道が、どこにあったかは、わからないが、限られた(間違った)情報が、人生判断のベースにあったことは、容易に想像できる。 僕が、大学入学したばかりの1968年5月、自治会選挙に担ぎ出されたときに、同じ法学部で3回生だった(三派系全学連・社学同)のA君も、同じ学部から立候補していたが、彼らは1970年3月、日航ハイジャック事件を起こして・・・今、A君は北朝鮮にいる。彼らは多くの関係のない人々を傷つけたから、彼の人生選択は、間違っていたと、僕は思うし、人間として許せない・・・・と思う。 今は、目の前に多くの情報があるにもかかわらず、それを見て見ぬふりをする、リベラルたちについては、僕は、もっと許せない・・・それは、(確信犯)だから。 北朝鮮を機関誌で美化したり、拉致や公開処刑に見て見ぬふりをする(確信犯)は、もっとも断罪されるべきだと、僕は思うのだ・・・ 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)――――――――――――――――――――――――――――――――大学で教えて実感した、「ニュースを読む学生と読まない学生」の知的格差 2019-12-21 GLOBE+(朝日新聞) 「近年、学生の学力の低下が著しいです。ご自身が学生だった当時の感覚で講義を実施すると、講義を全く理解できない学生が多数いることに注意された方がよいと思います」2018年4月、母校である立命館大学国際関係学部の教授に就任する際、あるベテラン教授からそんな助言をいただいた。本当にそうなのだろうか?そんな疑問を胸に教壇に立つようになって1年8カ月。見えてきたことがある。(白戸圭一) 「安倍首相は再登板」知らない学生 私は30年以上前の1989年4月に入学し、93年3月に卒業した。昔のことなのではっきり覚えてはいないのだが、当時の立命館大学国際関係学部の偏差値は、たしか60台の後半から70くらいだったように思う。この30年間で、母校の偏差値はどうなったのか? そこで、2019年版の教育産業各社の偏差値ランキングを眺めてみた。すると、模擬試験を実施している会社によって偏差値は微妙に異なるが、30年前と比べて大きく下落したようには見えない。少なくとも、大学受験という意味においては、入学してくる若者の偏差値レベルが大きく低下したということではなさそうである。 だが、教壇に立つ中で、思わず「え?」と声を上げてしまったことはある。ある講義で、安倍政権が時々スキャンダルに見舞われながらも一定の支持率を維持し続けている理由について考察した時のこと。私は「安倍晋三首相が1度目の政権での失敗を教訓にしながら政権運営していることも、支持率維持の理由の一つではないか」という趣旨の話をした。 その時、私は何人かの学生の顔が「教授が何を言っているのか分からない」と訴えかけているのを察知し、念のために「安倍首相は2006年から2007年に1度首相を務めています。現政権は2回目の登板であることを知っていますか?」と学生たちに尋ねてみた。 私の勘は的中した。何人かの学生は、安倍首相が再登板である事実を知らなかったのである。それを知らなければ、現政権が支持率を維持し続けている理由について考察する講義そのものが成立しない。 またある時、私は外交政策と世論の関係についての講義を試みた。問題を考察するための事例として取り上げたのは、小泉純一郎首相の北朝鮮訪問によって拉致被害者が帰国した際の日本国内の世論であった。だが、この時も、想定外の事態が起きた。小泉純一郎という首相が存在した事実そのものを知らない学生がいたのである。 もし、このレベルの学生に講義を理解してもらうのならば、小泉氏という人物の存在を説き、同氏が北朝鮮を訪問した最初にして唯一の日本の首相である事実を説き、拉致被害者の存在を説明し――と話を続けざるを得ない。 時事ニュースに触れる人と触れない人、広がる格差 こうなると、もはや「外交政策と世論の関係の考察」どころではない。当初こちらが計画した水準の講義に到達するまでに、何時間必要なのか見当もつかない。この時はさすがに、冒頭のベテラン教授の言葉を思い出し、確かに30年前、自分がこの学部の学生だった時にはあり得なかったことが起きていると思わざるを得なかった。 このようなエピソードを並べていくと、「小泉政権や最初の安倍政権が存在した当時、今の大学生はまだ小学生だったから、知らなくても仕方ないではないか」という擁護の声が出てくるかもしれない。 しかし、安倍首相が再登板である事実や、小泉進次郎環境相の父親が純一郎氏である事実など、彼らが高校生・大学生になって以降発行された新聞や雑誌にいくらでも書かれ、テレビでもさんざん報道されている。日本政治について小学生時代には知らなかった彼らも、大学生になった今はいくらでも情報を集めることが可能である。 その証拠に、安倍首相の再登板や小泉氏の北朝鮮訪問について、正確に認識している学生も多数存在している。本稿の冒頭で「学生の学力の低下が著しい」というベテラン教授の言葉を紹介したが、正確には「同じ大学の同じ学部の学生の間で、知識・情報格差が昔とは比べ物にならないほど拡大している」というのが実情だろう。 無知な学生の中には、しばしば「私は受験で世界史を選択したので、日本のことは知らない」などと受験分野を持ち出して「無知の理由」を説明する人がいる。 だが、これは学校教育に起因する問題なのだろうか。無知な学生の出現は、偏差値重視の「詰め込み教育」が悪いとか、その反対の「ゆとり教育」の弊害だとか、あるいは親が子供に物事をきちんと教えていないとか、そういう問題ではないのではないか。 私が「これは学校教育の問題ではない」と考えるようになったのは、学生たちの日常生活におけるニュースの情報源と知識・情報格差の関係を実感するようになってからである。 大学で学生たちに「日常生活で時事ニュースを見る媒体は何か」と尋ねると、90%以上の学生がスマートフォン(スマホ)と答える。今の大学生・大学院生は、誰も紙の新聞を読んでいないといっても過言ではない。「実家から通学しているので、両親が購読している紙の新聞を時々、開いてみることがある」という学生がいる程度である。また、一人暮らしの学生の中には、自室にテレビを置いていない人もいるし、テレビがあっても「ほとんど見ない」という学生もいる。 そこで次に、スマホで時事ニュースをチェックする際、どのようなサイトを見ることが多いかを尋ねてみる。ここで学生はいくつかのタイプに分かれる。 第1は、新聞社やNHKのウェブサイトを見ることが最も多いと答える学生たち。この学生たちは紙の新聞を開いたことはなくても、新聞社などマスメディアが配信したニュースに日常的に触れている。 第2は、フェイスブックやツイッターなどSNS経由でニュースを得ていると答える学生たち。このタイプの中には、SNS経由でマスメディア発の時事ニュースに日常的に接している学生と、時事ニュースにはほとんど関心を示さない学生がいる。 第3はヤフー、スマートニュース、NAVERなどのサイト経由でニュースを見ている学生たち。このタイプの学生の中にも、新聞やテレビから転送されてきたニュースをよく読んでいる学生と、エンターテインメントなど自分の関心があること以外はほとんど見ない学生がいる。 そして最後に、朝から晩までスマホを見てはいるけれど、そもそも時事ニュースをほとんど見る習慣のない学生たちが存在する。 このように学生を大まかにグループ化してみると、1~3のいずれのタイプの学生であっても、マスメディアを発信源とする時事ニュースを見る習慣のある学生の知識水準が高いのは当然であり、その反対にマスメディア発の時事ニュースを見ない学生の知識水準が低いことは疑いようがない。 「知のセーフティーネットが崩壊する」危機感 私が学生だった30年前はもちろんのこと、少し前までの時事ニュースの情報源は、極論すれば新聞とテレビのみであり、日本の国民は朝日新聞から産経新聞までのいずれかの全国紙の社説の中に、自分の意見に近い主張を何とか見つけ出すことができた。 さらに、テレビは新聞にも増して政治色の違いが目立たないので、「どのテレビも一緒」と揶揄されるほど、各局が同じ内容のニュースを放送していた。 こうした日本のマスメディアは「横並び」「没個性」などとさんざん批判され、現に多くの問題を抱えていた。皆が同じ事件に関心を抱き、皆が似たような意見を言い、皆が一つの流行に飛びつく同質性は紛れもなく日本社会の欠点であり、日本のマスメディアは同質社会日本の象徴であったと言えるだろう。 しかし、横並びのマスメディアが幅を利かせていた当時の日本は、今から思えば、情報資源が全ての国民に均質的に分配される「知識・情報平等社会」でもあったともいえる。 朝日新聞と産経新聞の社説の論調は昔から大きく異なっていたが、時事ニュースを淡々と伝えるという点はどの新聞社も同じであり、朝日の読者が田中角栄の存在を知っているが、産経の読者が田中角栄を知らないなどという事態が起こるはずはなかった。 国民はメディアについての選択肢を持たなかった代わりに、子供は親が購読している紙の新聞を子供のころから拾い読みし、親が見ているテレビニュースが半ば自動的に視界に入ることで、自らの幼少期や誕生以前の出来事についても知識・情報を獲得していた。 インターネットの発達以前のマスメディアは、例えて言えば、これさえ食べていれば栄養バランスだけは保証できる定食のようなものだったといえるかもしれない。それは、多くの国民が知的な面で脱落していくことを防ぐ「知のセーフティーネット」「情報のプラットフォーム」だったと言えるだろう。 インターネット技術の発達によって誰もが自由に情報発信し、誰もが自由に情報を取捨選択できるこの時代に、「マスメディアの効用」を説くなど時代に逆行した言説に思われるかもしれない。 しかし、ネットの発達によって、極論すれば「個人の自由に基づき、見たい情報だけ見れば済む情報環境」が誕生した結果、同じ大学の同じ学部の中ですら、良質の情報を自発的に獲得しながら能力を伸ばし続ける若者と、抽象的思考を発達させるために最低限必要な知識を持たず、何をどうしてよいか分からない若者との格差が加速度的に拡大している。 その光景を見ていると「知のセーフティーネット」「情報のプラットフォーム」の崩壊を痛感せざるを得ない。「知識・情報平等社会」から「知識・情報格差社会」へと変容していくことのリスクに目を向けるべきだと思う。. 朝日新聞社
2019.12.26
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幸福度日本一の福井県の社会、「嫁の犠牲の下に成立」 2019-8-11 福井新聞 福井の暮らしで感じる「不幸せ」の募集に、切実な訴えが寄せられている 幸福度日本一の社会は「嫁の犠牲の下に成り立っている」、3世代同居が多く地縁・血縁が強い一方で「近所や親戚に見張られている感じがする」―。 福井新聞と日立京大ラボの共同研究プロジェクト「ふくい×AI 未来の幸せアクションリサーチ」で募集している、福井の暮らしで感じる「不幸せ」に切実な声が続々と寄せられている。データ上の「幸せ」だけでなく、幸せを実感できる社会を目指すには、こうした住民の痛みや生きづらさに向き合っていく必要がある。 ▽「無償の労働」前提 「幸福度日本一の福井県。聞くたびに違和感しかありません」。ある60代女性は「女性が一生懸命働いて、家計を支えて、家のことをするのが当たり前。女性にとっては不幸度日本一の県」と「男女不平等」を痛烈に批判した。共働き率日本一の福井を支える女性たちからの「不幸せ」の訴えが目立った。 福井市の30代女性は「夫や子ども、義理の両親、家、地域のためならば、嫁は無償でいくらでも労働力を提供するのが前提で社会が成り立っている。喜んでやっていると思われているのでしょうか」と、社会の風潮に異を唱える。 結婚2年目で不妊治療をしている同市の女性は「『子育て支援』という言葉を見聞きするだけで落ち込む」と吐露。鯖江市の30代女性は「出会う人みんな『子どもは?』と質問してくる。いろいろな生き方を認めてほしい」と願った。 ▽つながりがしんどい 福井の密な地域コミュニティーは、助け合いにつながっている半面、息苦しさを感じる人も多かった。 「子どもの親同士のつながりがしんどい。なじめない」(永平寺町の40代女性)、「知り合いばかりで、婚活など隠れてやりたいこともできない」(福井市の30代男性)、「家族の学歴、勤務先まで聞かれ、結婚まだか、子どもまだかと何度も言われる」(同市の50代女性)と、日頃の不満をあらわにした。 多様性を認め合える社会づくりを求める指摘も出た。「学力・体力日本一」を誇る福井県の学校教育に、鯖江市の30代女性は「子どもたちが軍隊のように全員同じことを強いられている」と否定的な目を向けた。LGBT(性的少数者)の一人という40代の福井県出身者は「保守的な土地柄で理解がなさすぎる」と古里を去った事情を明かした。 「(都市部で)当たり前に手に入れられる情報や文化が入ってこない」「買いたい服の店がない」「民放が2局だけ」と、都市部に比べた福井の不便さを挙げる声もあった。 ▽コインの表裏 越前市の女性は、投書で自らが引きこもりだと打ち明けた。「仕事ができない」「お金を稼げない」との不幸せの代わりに、「誰にも邪魔されず読書ができる」「母の家事手伝いができる」という幸せが感じられると書かれていた。 「不幸せ」の要因に親世代との同居など家族関係が多く挙げられたが、「幸せ」を募ったアンケートでも「家族・友人」に属する回答が最も多かった。先の引きこもりの女性は、こうつづった。 「幸せと不幸せはコインの表裏で全く同じものです」 「幸せはやっかいだ」という坂井市の30代男性は「生きていると幸せのハードルはどんどん上がっていく」と指摘し、「幸せは求めたり望んだりするものではなく、ただそこにあるものだということではないでしょうか」と投げ掛けた。 ■幸福と不幸、総合的に捉えて 広井良典・京都大学こころの未来研究センター教授の話 「幸福は多様であり個人が自由に考えればよいが、不幸はある程度客観的に規定できる。特に公共政策で対応すべきなのは「不幸を減らすこと」、あるいは「幸福の基礎条件を整えること」ではないかという議論がなされてきた。幸福と不幸を総合的に捉えることが重要で、行政やコミュニティー、個人などさまざまな主体の役割分担をどう考えるかも関連する。」
2019.11.25
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高齢者、運転やめたら…要介護リスク2倍。 活動量減って 2019-9-5 田村建二(編集委員) 朝日新聞 高齢になって自動車の運転をやめた人は、運転を続けた人に比べて要介護となる可能性が約2倍高くなる――。筑波大などのチームがそんな調査結果を公表した。 高齢ドライバーによる事故が問題になる一方、「移動の手段を失うと、活動量が減って健康度が下がる」といわれており、指摘が裏付けられた形だ。 愛知県に住む65歳以上の男女約2800人に協力してもらった。2006~07年時点で要介護の認定を受けておらず、運転をしている人に、10年8月の時点で運転を続けているか改めて尋ね、認知機能を含めた健康状態を調べた。さらに16年11月まで追跡し、運転継続の有無と要介護認定との関係を分析した。 身体能力や認知機能が落ちれば、運転も難しくなりやすい。こうした事例が結果に混じらないよう、10年の調査後すぐに要介護となった人は除き、健康状態の違いが影響しないよう統計学的に調整して分析した。 その結果、10年時点で運転をやめていた人は、運転を続けた人に比べて要介護となるリスクが2・09倍あった。 このうち、運転はやめても移動に電車やバスなどの公共交通機関や自転車を利用していた人では、同様のリスクは1・69倍にとどまっていた。 一方、運転をやめて移動には家族による送迎などを利用していた人だと2・16倍だった。 公共交通機関が十分にない地域では、運転ができなくなることで移動の手段が限定される。活動的な生活が送りにくくなることで健康に悪影響が及んだと考えられるという。 結果をまとめた筑波大の市川政雄教授(公衆衛生学)は「事故の予防はもちろん大切だが、高齢者に対する安全運転の支援や、運転をしなくても移動がしやすい街づくりといった対策も急ぐべきだ」と話す。(編集委員・田村建二)
2019.10.17
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アイヌ語のイランカラプテ(こんにちは)には… 2019-2-17 毎日新聞「余禄」 アイヌ語のイランカラプテ(こんにちは)には「あなたの心にそっと触れさせていただきます」という美しい意味がある。そういう説明を聞いたことがあるかもしれないが、言語学的には正確でないようだ ▲アイヌ初の国会議員だった萱野(かやの)茂氏が自ら編んだ辞典で示した独自の解釈を、政府や北海道が2020年東京五輪の宣伝に、事情を承知で広めているらしい。開会式では多文化共生の象徴として、アイヌ民族舞踊の披露が計画されている ▲萱野氏は1997年のアイヌ文化振興法制定後、政界を退いた。狩猟民族の子らしく「人は足元が暗くなる前に故郷へ帰るものだ」と言い残した。明治の開拓政策で悪名高い北海道旧土人保護法は廃止されたが、奪われた土地や漁業・狩猟の権利は戻らなかった ▲国会が「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を行ったのは08年。日本も賛成した「先住民族の権利に関する国連宣言」を受け、「法的には等しく国民でありながらも差別され」た歴史に向き合うよう政府に求めた ▲15日閣議決定されたアイヌ支援法案は、初めて法律に「先住民族」と明記する。だが、柱はアイヌ文化事業・観光向けの自治体交付金だ。文化を担うための生活改善を求めた人々は落胆を隠さない ▲来年は北海道白老(しらおい)町にアイヌ文化を体感する新国立施設もできる。五輪に向け民族文化活用の準備は着々と進む。その足元でアイヌの人々の生活保護受給率が居住市町村の平均を上回るという現実は変わらない。 .
2019.06.17
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孤独死には誰にでも起こりうる。26歳「特殊清掃人」が目撃した共通点 2019-5-3 bizSPA!フレッシュ 隣人の顔すら知らないというような現代では、いつ誰の身に降りかかるかもわからない孤独死。その最前線で、人の“死後”にふれるのが特殊清掃という仕事です。 東京・大田区にあるブルークリーン株式会社は、特殊清掃や遺品整理を手がけています。26歳にして同社の取締役兼現場責任者を務める鈴木亮太さんに、仕事の実態を伺いました。 孤独死やセルフ・ネグレクトに陥る人たちの傾向 ――昨今、特殊清掃という言葉も広く聞かれるようになった印象もありますが、どのようにお考えですか? 鈴木亮太(以下、鈴木):僕が仕事へ従事し始めたのは2017年の夏頃だったのですが、当時もまだ専門業者が数えるほどしかいなかったです。最近はメディアでも「セルフ・ネグレクト(自己放任)」や「孤独死」がよく取り上げられるようにもなり、少しずつ認知されてきた実感はあります。 ――実際の現場から、孤独死される方の傾向はあるのでしょうか? 鈴木:ほとんどの方は一人暮らしですね。やはり周囲に助けてくれる方がいないことから孤独死されるケースが多いので、一軒家ではなく賃貸物件に住んでいた方が9割ほどを占めています。また、年齢層は高齢者のほうが多いですが、40~50代も目立ちます。 ――室内に共通する傾向はありますか? 鈴木:セルフ・ネグレクトに陥る方は、自分の身の回りに気を配らなくなります。そのために室内はゴミの山になっているケースが多いですね。なかでも顕著なのは風呂場やトイレ、キッチンなどの水回りが機能していないという共通点で、足をふみ入れると物置きになってしまっていて、のちに話を聞くと、お風呂は週に一度銭湯へ行くだけ、トイレは近くのコンビニで済ませるという生活パターンになっていたケースもありました。 また、寝床の周りに生活に必要なモノが揃っているケースも多いですね。リモコンや携帯電話、ゲームのコントローラーなどが動かずに済む範囲に置かれていて、ペットボトルに尿が溜まっているといった部屋も少なくありません。 孤独死現場のニオイ・残留物の状況 ――実際の現場では、どういった作業を行うのでしょうか? 鈴木:僕らがまず優先するべきなのは遺体から流れ出た体液により室内に充満したニオイを取るという仕事で、そのために薬液の入った噴霧器で消毒や消臭をします。それから弊社ではオゾン脱臭機を導入しているのですが、室内にただよっている細菌などをすべて死滅させるほどに強力なので、取り扱う上では慎重に、感染症を防ぐためにも防護服や防毒マスクを身につけて作業を進めます。 ――体液とはどういったものなのでしょうか? 鈴木:遺体から流れ出た血液や人間の皮膚にある脂のタンパク質が凝固することで、黒く固まったものですね。たいていの場合、僕らが現場へ入るのは遺体がすでに回収されたあとですが、しばらく放置されたままだと最後に潰(つい)えた場所に残るんです。 ときには床下にまで浸透しているときもありますが、亡くなった方が最後にどういった状況だったのか分かるほど、くっきりと残ります。たいていは、玄関など出口に向かって頭が向いているケースが多く、憶測の域は出ないものの、やはり最後に誰かへ救いを求めていたと思うことも少なくありません。 ――特殊清掃を手がける一方、亡くなられた方の遺品整理はどのように進めていくのでしょうか? 鈴木:ご遺族がいらっしゃる場合にはあらかじめ遺すべきものを伺います。まずは現金や通帳、個人情報の分かるものなどの貴重品を捜索して仕分けしていきます。それから、特別に依頼されたものを探していくという流れですね。 不要なものは一時的に保管して、心苦しく思う部分もあるのですが、現状では破棄しています。ただ、ご遺族から「遺しておくと前に進めないから処分してください」とお願いされるケースもあります。 . 孤独死には誰にでも起こりうる。26歳「特殊清掃人」が目撃した共通点 遺品整理ではその人の半生が透けて見えてくる ――室内にあるモノには故人の意思も反映されているかと思いますが、それについて何か思うところはありますか? 鈴木:やはり人それぞれの半生が透けて見えてくるんですよね。例えば、他人からすれば何でもないように見えるモノでも、大切に箱の中へしまわれていたり、サイドボードにコレクションされていたりするので、仕事のため気持ちを抑えなければとは思いながらも、感情移入してしまうときもあります。 ――今のお仕事に従事されて2年ほど経過しているそうですが、そういった気持ちの面はやっていくうちに慣れたのでしょうか? 鈴木:もともとがゼロから事業を始めるところから任されて、実際に費用をいただいて作業をするようになってから徐々にという感じでした。ご遺族の意向に沿うのはもちろんなのですが、私たちの仕事はご依頼主が物件の大家さんであるケースが多く、現状回復も役割のひとつなので、割り切っている部分もあります。 特殊清掃に必要な“薬品と住宅”の知識 ――特殊清掃の仕事へ就く上で、必須の資格はあるのでしょうか? 鈴木:必ず取らなければいけない資格はありません。ただ、深く理解しておかなければいけない知識はあります。1つは、消臭や消毒をするために必要な薬品の知識ですね。もうひとつが、室内の清掃だけではなくリフォームまで手がけるケースもあるので、住宅に関する知識も必要となります。 ――ゼロから特殊清掃の業界へ飛び込んだそうですが、どのように勉強されたのですか? 鈴木:もともと、僕をこの仕事に引き込んでくれた現在の代表者が建築関係の出身者だったので、リフォームなどは手ほどきを受けました。薬品については発注時にどういった効能があるのかを調べるなどして、少しずつ知識を蓄えていきましたね。 また、新しく導入するものについては現場で使う前に研修を受けて、取り扱い方を学んでいます。事務所にあるキッチンの水回りを掃除するときに試したり、自分がケガをしたときに血液を室内で放置してみて、どのように使えばよいのかを自主的に研究したときもあります。 ――鈴木さんの経験からして、特殊清掃の業界に向いている人と向いていない人はいますか? 鈴木:向いている人というのは難しいのですが、室内にあるモノであったり、故人の意思が渦巻いている空間での作業を求められるので、感情移入をしやすかったり自分の中で悪い“気”を吸い取るという自覚がある人は、あまり向いていないのかもしれません。 特殊清掃という仕事自体が「なくなる」のが理想 ――今のお仕事ならではのやりがいはどういった部分でしょうか? 鈴木:作業中は過酷な環境下にいるので感じづらいのですが、終わったあとに「鈴木さんのところに頼んでよかった」と言われると、ご遺族やご依頼主の負担を減らせたのかなと思えるのでやはり嬉しいですね。 また僕自身、実は今の仕事へ就くまではいろいろな仕事を転々としていたのですが、2年も続いている仕事というのが生涯で初めてなんですよ。現場によって毎回違うことをする上での発見もあるし、故人の周囲にいる方々の「心のお片付け」を少しでも手助けできるという達成感は何ものにも代えがたいです。 ――最後に、今後はどのようにお仕事を発展させていきたいですか? 鈴木:僕の理想としては、特殊清掃という仕事自体が「なくなること」が世の中のためだと感じているんです。ただ、現実的には難しいですよね。そのために孤独死とは何かを問いかけようとYouTubeでも“お片付け請負人・すーさん”の動画をアップするようになりました。まずはもっとたくさんの人にその現状を伝えていきたいですね。 また、今は大田区を拠点に千葉、東京、神奈川、埼玉を中心に関東一円の現場に出張しているのですが、細かくみれば特殊清掃の業者が近くで見つからない地域もあるはずなので、将来的には拡大させていきたいと思います。 ■ ■ ■ ■ ■ 自身のYouTubeチャンネルでは、現場での経験をふまえて孤独死やセルフ・ネグレクトについての啓発にも積極的に取り組んでいる鈴木さん。 人の“死”に関わる仕事というのは、世間的にみてそう多くはない印象もあります。しかし、ときには過酷な環境下で作業することもあるという仕事を通して鈴木さんは、故人や周囲を取り巻く人びとの意思と真摯に向き合い続けています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――― <取材・文・撮影/カネコシュウヘイ> bizSPA!フレッシュ 編集部
2019.05.07
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独身では生き抜けない国になった日本。「結婚しない」選択がもたらす悲惨な未来 2019年3月21日 山本昌義 MONEY VOICE 「皆が結婚する時代は終わった」と言われていますが、将来を考えると未婚のリスクは決して小さくありません。日本は少子高齢化で、独身では生きられない国になっています。(『婚活FP山本の実例分析書 ~運命の出会い、その先を見据えて~』山本昌義) 未婚は自殺行為?独身増加で結婚しなくても大丈夫と思うのは危険 どんな人と結婚しても失敗しそう… 婚活フィナンシャルプランナーとして活動する私のもとに、30代前半の独身女性から「結婚相手」について相談を頂きました。「どんな人と結婚すればいいか分からなくなった。どんな人なら大丈夫?」という内容です。 何でも、当メルマガの記事や周囲の失敗談を聞くうちに、どんな人と結婚しても失敗しそうに感じてしまい、結婚そのものに戸惑ってきたそうです。 う〜ん…。少し負の面ばかりを考えすぎでしょうか。警戒や選別は大切なものの、結婚そのものがダメという訳でもありませんよ。 今回は、結婚とお相手の基本についてお伝えします。 独身では人生を生き抜くのは困難 さて、まずは基本ですが、「独身では人生を生き残るのが限りなく困難」という点を忘れないようにしましょう。 おそらく、今はピンとこない理屈でしょうね。これは現役中がどうこうという話ではなく、現役時代が終わった後の老後の話になります。 結婚していなければ、強制的に独居老人ですが、その時の収入源は、か細い1人分の年金のみです。働くにも限度があり、とても100歳まで働けません。仮に働けても、せいぜい80歳が限度でしょう。 でも、結婚していれば年金も2人分入りますから、何とか生き抜ける可能性も出てきます。現役中の蓄えも多くできるのでなおさらです。 もちろん、今時は結婚しても離婚の可能性もあり、熟年離婚の可能性も残ってしまいます。このため、結婚すれば良いというものでもありません。でも、結婚しないなら独居老人が確定となります。 仮に誰かとルームシェアのようなことができても、お金の問題まではシェアできないでしょう。シルバー婚活が成功しても、シェアできないことも…。 今どきの結婚は、「したい人がする」「幸せになるため」でなく、「不幸にならないために必要なこと」とさえ言えます。 まず、この基本原則は忘れないようにしましょう。 「〇〇な人と結婚すれば大丈夫」という法則など存在しない さて、並行的に大切なことなのですが、「『〇〇な人と結婚すれば大丈夫』という法則など存在しない」という点を理解しておきましょう。 これこそが、人間関係の難しさでしょうね。 きっとあなたも1度や2度、ふとした些細なことで、友人関係が壊れたこともあるのではないですか?中には恋人関係が壊れた方もいることでしょう。 イケメンと付き合っても別れた人もいますし、お金持ちと結婚しても離婚した人もいます。優しさや気遣いにあふれる男性と結婚しても同じです。 中には「〇〇さえ良ければ…」と考える人もいますが、実際には多くの場合、他のマイナスに耐えられずに別れていることも多いのではないでしょうか。 一方、かといってすべてが良い相手であっても、今度はその良さが不倫などを疑う理由になりえます。もっとも、すべてが良いという男性が独身のまま残っているかも疑問ですし、さらにあなたを選ぶかどうかも分かりません…。 そもそも交際中は誰もが好かれたい一心で、何かとネコを被って努力するのが一般的ですが、その努力は永遠には続かないことが普通といえます。無理をしていたなら、なおさらでしょうね。 男女交際は、狐と狸の化かし合いとはよく言ったものです。 だからこそ最後の拠り所は「あなた自身」といえます。不確かな中でも自分が信じた男性を素直に受け入れ、あとは歩み寄りの精神で結婚しましょう。 どんな人と結婚すればいいのか? どんな人と結婚したらいいか分からない…。多くの婚活中の方が悩むポイントでしょうね。 ひとまず、少なく見積もっても、「結婚しない選択肢」はなるべく控えましょう。女性だっていつまでもモテるものでもありませんし、選べるうち・選ばれるうちに結婚することを勧めます。 ただ、どんな男性が適当かは誰にも分かりません。明確な指標めいたものも事実上、存在しません。強いて言えば、それこそ「選別眼が大事」です。 自身を冷静に考え、それに合う男性を考え、そのうえで婚活に励んでいきましょう。 「皆が結婚する時代は終わった」と言われているが… さらに、30代前半の独身女性から相談を頂きました。「私はモテないし、結婚したいとも思わない。結婚しなきゃダメですか?」という内容です。 何でも、当初から恋愛や結婚を拒否しつつもそれなりに今まで幸せに普通に生きてきたが、当メルマガでも紹介した前述の相談内容を読んで、急に不安になったとのこと。 「皆が結婚する時代は終わった」と言われているなか、確かに、ここまで説明した内容はそれに反するものですよね。ただ、世の中そう都合よくは変わっていません…。 なので、世の中の変化と結婚しない対処法について、その基本をお伝えします。 「結婚しなくても大丈夫」の嘘 さて、まずは基本ですが、「世の中は、むしろ悪化する方向で変わってきた」という変化の方向性を理解しておきましょう。 確かに大衆心理として、結婚しない人が増えたのなら、「結婚しなくても大丈夫」などと考えるでしょう。 ですが、冷静に世の中の変化を考えてみませんか? 現代でも未だにバブル絶頂期の頃を基本としますが、当時は年金も退職金もがっつり貰え、それでいて現代ほどは長生きしませんでした。 しかし、現代の老後はなんと言われているでしょうか? 老後破産や下流老人などという言葉が生み出されましたが、将来的な年金は減額の方向性が止まらない時代です。退職金など夢物語、それでいて寿命だけが伸びています。 「死ぬまで働く」にも、会社員には「定年」がありますし、その後は、将来的にはバイトすら無い可能性も高いです。だからいま、外国人の受け入れ議論がされていますよね。 仮に働けても、せいぜい80歳が限度でしょう。ですが人生100年時代、まだ20年も死ねません。 もちろん、定年までに十分な貯金をするのも厳しいです。 実際問題、60歳頃にいくら貯められそうですか? 現役時代には、基本的に「終わりの時」がある訳です。今、結婚したいか否かではなく、先々を見据えて、結婚するしないは考えていきましょう。 結婚に勝る将来対策はほぼない? 親の小言は正しかった 大切なのは、「結婚に勝る将来対策はかなり限られている」という点も理解しておくことです。 結論から言えば、結婚に代わる一番の対策としては、経済力を備えたフリーランスや自営業者になります。あとは優れた能力者・技術者になることでしょうか。 定年がなく、60歳以降も十分に稼げるのであれば、80歳程度まで存分に稼いで貯金できます。しかし…これを実現できるのは一部の人でしょう。 普通の会社員が普通に仕事をがんばるだけでは、何の対策にもならず、少々の経験や資格があっても同じです。現在65歳まで雇用延長もありますが、仮に70歳まで伸びても、60歳で給料が下がれば延長期間に関わらず変わりません。 つまり「結婚しない・できない」のであれば、「独立・起業」こそが生き延びる数少ない選択肢です。 例外があるとすれば、親からの十分な相続が期待できるか、あるいは投資で十分な利益基盤を作ることでしょう。 言い方を変えれば、結婚しない選択は、独立するに等しいほどの重い選択といえます。 どのように人生を生きるかは、あなたの自由です。ただ、先の先まで人生を幸せに生きる前提で考えれば、「結婚」こそが一番簡単な方法ではないでしょうか。 結婚自体、相手があることなのでできないことも多く、したところで離婚や不仲の可能性もありますが、それでも、他の選択肢よりは実現性も高いのでは? 結婚は、するしないの単純な選択肢ではなく、その先々まで考えて判断していきましょう。 「結婚したいとも思わない」が増えている モテないし、結婚したいとも思わない…。男女を問わず、こういう方は増えていますね。ただ、少なくとも増えているから大丈夫と考えるのは、むしろ時代の流れに逆行した考え方といえます。 現代は一人では生き抜けない程に不況になりましたから、まずは改めて時代の変化と結婚の価値を考えましょう。 その上で、結婚しないなら相応の対策が必要であり、独立などを筆頭に対処するのなら問題ありません。しかし、そういった対処に自信がないのであれば…。 少なくとも今なら、まだ結婚も選択肢に入るでしょう。強制的に選ばされる前に、自分で選べるうちに、自分の意思で「人生をどう歩むか」を考えましょう。 ―――――――――――――――――――――――――――――― プロフィール:山本昌義(やまもと まさよし) 山本FPオフィス代表、CFP。商品先物会社、税理士事務所、生命保険会社を経て2008年に山本FPオフィスを設立。現在は「婚活FP」を名乗り、婚活パーティ等を企画しながら婚活中の方、あるいは結婚直後の方など比較的若年層の精神面・経済面双方の相談業務をメインにこなす。
2019.04.14
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前から気になっていた、日本の運転手の違法マナーだ。NZや英国でレンタカーを何回か運転したが、歩行者優先は、徹底している。(成熟した先進国)とは、このようなマナーが、行き届いている国のことではないか? これから見れば、日本は、まだまだ先進国ではない!!! 糖尿病対策の運動療法で、ウォーキングを実践しているが、その最中にも、しばしば「そこのけ、そこのけ」とばかりに我が物顔に暴走する車が多い。 「信号のない交差点では、歩行者が歩行しようとするケースでは、必ず車両は、一時停止しなければならない・・・」この、当たり前のことが、守れない!! 運転手たちのマナーの悪さには、正直、呆れかえっている。 自動車教習所で、何度も(歩行者優先)は、習ったはずなのに、キッチリ忘れてしまっているのだろう。 (違法マナー)が、当たり前になっている現実そのものが・・・・とても恐ろしい!! 人権とかを、叫ぶ御仁(ゴジン)たちは、くれぐれも忘れないでほしい・・・・ 皆さんは、どういう経験をされただろうか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――― 信号ない横断歩道、「止まらない車」を無視して渡り、運転手大慌て…事故が起きたら? 2019-3-17 弁護士ドットコム 朝の通勤時間帯、信号のない横断歩道なんて無視するかのごとく、ガンガン突っ込んでくる車たち。会社員のマサヒコさんは、歩行者が不便を強いられていることが許せず、車がスピードを落とさずに突っ込んできても、平然と横断歩道を渡る。 驚いた車は慌てて一時停止するが、運転手の表情はどこか不満げ。 マサヒコさんは、「朝だから急いでいるのかもしれないけど、信号がない横断歩道なんだから、ちゃんと停止してほしい」と話している。 ただ、一つだけ気になるのが、事故が起きてしまった時の責任だ。 マサヒコさんは車が迫ってきていることを把握して渡っている。横断歩道とはいえ、事故が起きた時の責任は車が100%ということにならないのだろうか。 平岡将人弁護士に聞いた。 信号のない横断歩道で一時停止をする車は8.6% 「JAFが2018年に行った『信号機のない横断歩道における車の一時停止率』の全国調査によると、一時停止をした自動車は全体の8.6パーセントしかなかった、という結果がでています。ほとんどの車両は、信号機のない横断歩道で一時停止をしていないのが残念ながら我が国の実態といえます。 道路交通法38条1項は、『車両等は、横断歩道又は自転車横断帯に接近する場合には、当該横断歩道等を通過する際に当該横断歩道等によりその進路の前方を横断しようとする歩行者又は自転車がないことが明らかな場合を除き、当該横断歩道の直前で停止することができるような速度で進行しなければならない。この場合において、横断歩道等によりその進路前方を横断し、又は横断しようとする歩行者があるときは、当該横断歩道等の直前で一時停止し、かつ、その通行を妨げないようにしなければならない』と規定しています。 つまり、歩行者が横断歩道を渡ろうとしているときは、車両は一時停止をして歩行者が渡り切るのを待たなければならないので、実はほとんどの自動車は38条1項違反なのです」 では、歩行者の動きについては、法律でどう定められているのか。 「歩行者に対しての道路交通法上の規定を見てみると、12条1項は、『歩行者は、道路を横断しようとするときは、横断歩道がある場所の附近においては、その横断歩道によって道路を横断しなければならない』としています。 マサヒコさんの場合は、横断歩道上を横断しているので、歩行者に道路交通法上の違反はありません」 基本的に歩行者の過失は問われないが… もし、車が迫っていることを知っていて、それでも横断した場合の責任はどう判断されるのか。 「ご質問の過失割合の点ですが、横断歩道を通過する自動車には重い注意義務が課され、反面歩行者は絶対的に近い保護を受けます。したがって、基本的には横断歩道上の事故であれば歩行者のマサヒコさんの過失は問われません。 ただし、自動車から発見が容易ではなくなる夜間の場合、幹線道路のような交通量が多く広い道路の場合などは歩行者も安全注意義務が問われ、また道路交通法13条1項で歩行者は車の直前・直後で道路を横断してはならないと規定されていますので、直前横断などの場合には歩行者にもわずかながら(5%)責任を問われてしまいます。 マサヒコさんのケースですと、場合によっては、直前横断に該当しうる可能性はあると思います」 横断歩道については、どのような心構えが求められるのか。 「歩行者としては、絶対的な保護を受けうる横断歩道を横断する場合でも、いったんは立ち止まり、左右の安全確認をした上で渡り始めるのが良いでしょうね。 さて、冒頭述べたJAFの調査結果を受けて、各都道府県警は、自動車の横断歩道前での一時停止を促す方向で動き始めることが予想されます。 自動車対歩行者の事故は、大きな負傷、場合によっては生命を失う事故につながる可能性が高いものです。大けがを負った被害者や大切な人を亡くしてしまった遺族が、どのような苦痛を受けるか、運転手は想像してほしいと思います。 警察の動きがあるから、ではなくて、自動車を運転する責任として、道路上のルールを厳守し、安全に配慮した運転をしてほしいと思います」 【取材協力弁護士】 平岡 将人(ひらおか・まさと)弁護士 . 弁護士ドットコムニュース編集部
2019.03.30
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0570(ナビダイヤル)は通話料に注意。かけ放題でも高い通話料が発生 (ネットから・・・) 企業が問い合わせ電話などで利用しているナビダイヤル。何気なく利用しているかと思いますが、実はこのダイヤル、「○○秒ごとに××円の通話料がかかります」とアナウンスされる通り有料の通話サービスで負担するのは電話をかけた側です。この通話、携帯電話を使って何気なく利用している人は高額な通話料を負担していることもあります。 今回はこのナビダイヤルを上手に利用する方法、節約法を紹介します。 そもそもナビダイヤルとは何か? ナビダイヤルはNTTコミュニケーションが提供しているサービスで、主に企業のコールセンターなどで採用されているサービスです。電話番号は「0570」から始まっています。 フリーダイヤルと似ているように見えますが、フリーダイヤルは通話料金が事業者負担(電話を受けた側が負担)なのに対してナビダイヤルは利用者負担(発信した側が負担)となっている点が異なります。 ナビダイヤルに通話をすると、「ナビダイヤルでお繋ぎします」と言われて「○○秒ごとに××円の通話料がかかります」、「Aをしたい方は1を、Bをしたい方は2を…」といった具合で自動音声で対応されて、指定された指示に従っていくとコールセンター(担当者)につながるといった具合になっています。 ナビダイヤルは「通話料無料」の対象外 最近では携帯電話の通話料金のプランとしてかけ放題プランが中心になっているので、通話料は気にしてないという人も多いかもしれません。また、そうしたかけ放題プランではなくても無料通話分があるから大丈夫と思っている人もいるかもしれません。 でも、見出しの通り「ナビダイヤルは無料通話の対象外」なんです。 かけ放題プランの人も、携帯電話の無料通話分が残っているという人でも、ナビダイヤルの通話料は別にカウントされて請求されるんです。 ナビダイヤルの通話は通常よりも時間がかかる コールセンターへの電話は長時間になることもあり、思わぬ請求が後から来るということにもなりかねません。 最初の番号案内(自動アナウンス)を終えるだけでも数分かかるようなこともザラで、最悪なのは「ただいま大変電話が込み合っております」と言われて延々と待たされるパターン。 ナビダイヤルは、最初の自動音声の案内のタイミングから通話料が課金されているわけで、待ち時間中もずっと通話料金が発生します。全然つながらず延々と待たされるナビダイヤルほどイライラするものはありませんね。 ナビダイヤルは通話単価も安くはない ナビダイヤルの料金は原則として利用者負担です。企業がオプションで通話料の一部を事業者負担としている場合もありますが、そうでない場合も多いです。 たとえば、携帯電話からの発信の場合、平日昼間は3分あたり90円(税別)の料金がかかることになります。仮にコールセンターで15分の通話をしたとすると400円もの通話料がかかる計算となるわけです。 ちなみに料金については企業側が負担する場合もあり、ナビダイヤルの通話料は異なります。 電話をかける時にどのくらいの金額がかかるかのアナウンスが流れます。 ナビダイヤルの通話料を節約する方法 このナビダイヤルの通話料を節約する方法をいくつかピックアップしていきます。 かけ放題プランなら「固定電話番号」にかける 携帯電話のかけ放題プランで契約している場合や無料通話分が沢山あるような場合、ナビダイヤルではなく通常の固定電話に電話をかけるという方法があります。こちらはかけ放題プランなら当然無料です。 問い合わせ窓口の番号のところに、ナビダイヤルとは別に固定電話番号が小さく案内されている場合もあるのでよく見てみましょう。 ナビダイヤルしかかけられないなら固定電話から掛ける たとえば固定電話(ひかりライン回線・IPVoice回線)からの発信であれば3分で8円(税別)です。携帯電話と比較すると10分の1以下の料金でかけられるわけです。 一般固定電話も安いですが、コールセンターとの距離によって料金が変動します。ナビダイヤルの場合はどこにかかるのか、発信側では分かりません。通常は近いエリアのコールセンターが使われることが多いですが、混雑状況によっては遠い場所につながってしまうこともありますので何とも言えません。
2019.02.16
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中国共産党の元スパイが激白「俺は日本人情報源をこうして籠絡した」 2019-2-2 クーリエ・ジャポン 「台湾独立運動のゴッドファーザー」と呼ばれ、蔡英文総統をして「私の最も重要な精神的支柱」と言わしめる台湾の老革命家、史明(しめい)。御年100歳にして今も台湾独立運動の先頭をひた走る彼が、中国共産党の工作員として暗躍した過去からファーウェイのスパイ疑惑についてまで縦横に語る! ──史明先生は太平洋戦争開戦の翌1942年、自ら中国大陸に渡り、中国共産党の情報工作員(スパイ)となりました。当時の中国共産党の印象は? すでに毛沢東が、唯一神に等しい最高権威として揺るぎない存在だった。毛は1935年の党中央政治局拡大会議(遵義会議)で党支配者としての地位を固めていて、俺が共産党に合流したころは反対派の粛清(整風運動)を推し進めている真っ最中だった。 俺は上海と江蘇省蘇州を基盤に情報工作をしていたが、陝西省延安にいる毛沢東に裁可を仰ぐ最短ルートも確立していた。上司の命令は毛の命令。毛の命令に逆らうことは許されず、そこに私情を挟む余地はなく、情報工作はそういうものだと頭に叩き込まれたから、任務に疑問を感じるようなことはなかった。 ──先生の主要な任務は、日本軍や在留邦人の動向をリアルタイムで把握する諜報活動でした。 俺より先に上海入りしていた親父が日本海軍の知遇を得ていたから、その縁を使って俺も海軍人脈に入り込み、ネットワークを築いていったんだ。 上海を拠点にしていた第三艦隊(のち第一遣支艦隊、揚子江方面根拠地隊)や上海海軍特別陸戦隊の将官たちの中でも、特に親しかったのは、支那方面艦隊参謀副長兼上海在勤海軍武官だった湊慶譲少将だ。当時、極秘中の極秘事項だったフィリピン・レイテ沖海戦の大敗や沖縄戦の悲劇などについても、俺は民間人としては誰よりも早く湊の口から情報を得ている。 変わったところでは海軍の要請を受け、1938年から終戦まで日本海軍の支配下にあった福建省廈門(アモイ)で治安維持を名目に、住民が所持する拳銃の回収作業なんかもやった。日本の軍人が威圧的に命令するのとは違い、俺は中国語やアモイの人たちが話す閩南語で語りかけたから、この任務は存外うまくいったものだ。 ──ですが史明先生は当時、まだ20代で若かった。日本の軍人たちに何者かと怪しまれることはなかったのですか。 それはなかったね。俺は「日本から来た、人懐っこいインテリ留学生」という役割を一分のスキも見せずに演じていた。しかも俺の日本語は、イントネーションの微妙なニュアンスも日本人のそれと寸分違わなかったし、同世代の日本人以上に、歌舞伎や能、日本舞踊、神社仏閣などに親しんでいたことも大きい。教養ある将校たちは、不世出の歌舞伎俳優・六代目尾上菊五郎の艶姿や、世界的なプリマドンナ三浦環の美声について語り合える俺を面白いやつと思い、積極的にメシや酒の相手に誘ってきたんだよ。 上海の多倫路に、今も「薛公館」の名で残されている邸宅は戦時中、日本が海軍武官の公邸として接収していた。俺はよく、公邸で開かれるスキヤキ宴会の相伴に与ったものだ。満腹になれば決まって妓楼へ繰り出すのだが、仲の悪い海軍と陸軍の将校が互いに俺を馴染みの店へ引っ張って行こうとして口論になることすらあったよ。滑稽だろう。 日本軍にしてみれば、組織のしがらみが無い俺から、中国の世情や、中国人の日本に対する印象などを聞き出すメリットもあったはずだ。それにどこの国の軍隊でも大なり小なり、民間人を使った情報収集活動はしていたからね。 連中は結局、この俺が日本の台湾植民統治を憎み、台湾解放を願いながら、日本軍の情報を中国共産党に流す使命を帯びた台湾人だったとは、これっぽっちも気付かずにいたわけだ。 日本の高官と「一体感」を共有する方法 ──情報源の日本人たちとうまく付き合っていけた秘訣は? 酒と女、これに尽きる。 カフェーの女給を冷やかしながらの一杯もいいが、酒場で浴びるように飲みつつ喧々諤々の議論に打ち興じたあとは決まって、妓楼に上がって女を抱いたものだ。俺がおごられることもあれば、俺が大盤振る舞いすることもあった。酒と女というのは不思議なものだ。たとえ相手が地位の高い将官や企業幹部であっても奇妙な「一体感」を共有でき、俺のような若造にさえ腹を割るようになるのだから。 俺は、情報をつかむ目的で女を抱いたことはなかったが、スパイと目を付けた相手に女を充てがい、女に情報を喋らせたことは何度もあるよ。 ──女を抱かせる、のですか? 当時、台北出身の張という男が日本の陸軍で情報工作を担当していた。 張は台北州立工業学校(現・国立台北科技大学)を卒業したあと満州に渡り、台湾出身者として唯一、関東軍情報部に工作員として雇用されるのだが、ほどなく満州から俺の住む蘇州に単身赴任したことを知り、俺はすかさず日本人としてヤツに近付いた。陸軍の支那派遣軍は約100万、上海や蘇州地域だけでも13万の兵を展開していたから、張が貴重な情報源なのは言うまでもない。 張の情報をもとに、俺は陸軍第六派遣軍司令官だった岡村寧次大将が支那派遣軍総司令官に昇格する情報をいち早くつかみ、岡村本人にも接触している。 上海は戦時中も「百楽門大飯店舞庁(パラマウント)」「仙楽斯舞宮(シロス)」「大都会花園舞庁(メトロポール・ガーデン)」といった高級ダンスホールが連夜の大賑わいで、俺は頻繁に張を連れ出してはしこたま飲ませ、懇意のダンスガールとペアで踊らせた。張はスパイのくせに酒と女が絡めばペラペラ何でもしゃべる脇の甘さがあり、俺は大いにヤツを活用させてもらったよ。 張は戦後、台湾に帰って蒋経国の情報機関に入り、大学生の思想や教育の監視業務に従事する。定年後は国営の彰化銀行で幹部を務め、安泰の「上がり」だったらしい。俺たちは東京と台北で再会しているが、ヤツにとって俺は最後まで「上海時代の飲み友達」くらいの認識だったろう。 とはいっても「確実にスパイだ」と断定できる相手と直に接触したことは、張を含め2~3人程度だったろうか。 ──のちに台湾総統となる蒋経国は戦後、「総統府機要室資料組(政治行動委員会)秘書長」として、中国国民党、行政院(内閣)、国軍の全情報工作機関を一手に支配する特務機関のボスに君臨します。 スパイだった俺は一転、蒋経国のスパイから狙われる対象になった。 第二次国共内戦のさなかに中国共産党から脱走し、台湾に帰った俺は、日本に代わって新たな台湾支配者となった蒋介石の暗殺を企てたからだ。ただその動きは暗殺の実行前に国民党の特務に嗅ぎつけられてね、俺は寸でのところで逮捕の手を逃れ、台湾全土を逃亡した挙げ句、バナナ輸送船で密航して日本に亡命したんだ。 それからの俺は、日本にいようが台湾にいようが常に国民党の特務の影を感じながら暮らすことになった。 ただ、さすがの蒋経国も、海外在住の俺を強引に逮捕したり拉致したりするわけにはいかない。だから特務は「史明はアカ(共産党員)だ」といったデマを流して、俺の講演会や勉強会を妨害し、俺が在日・在米台湾人コミュニティから孤立するよう仕向けたりもした。 俺は1993年に台湾へ本帰国するまでの40年間を日本で暮らしたが、日本のインテリジェンスも積極的に俺への接触を図ったことは話してもいいだろう。 公安調査庁初代長官の藤井五一郎、内閣安全保障室(現・内閣官房国家安全保障局)初代室長の佐々淳行らは、俺が東京池袋で経営する中華料理店に自らやって来て、日本の立場でいかにして台湾や中国を俯瞰すべきかといった観点から意見を求めて来た。 俺は台湾の地下工作だけじゃなく日本赤軍とも積極的に関わっていたから、公安の監視対象だったことは間違いない。だが彼らは常に紳士的・友好的で、俺も日本のためになる情報の提供には協力を惜しまなかったよ。 日中バイリンガル人材が狙われている ──今、通信機器世界大手の中国・華為技術(ファーウェイ)について、世界の情報機関が「中国共産党、人民解放軍と密接な関係にあり、情報漏洩が懸念される」と指摘し、政府調達からファーウェイ製品を排除する動きを強めています。 ファーウェイが解放軍や国家安全部と連携しているのは疑いようもない。カナダ当局に逮捕された孟晩舟・最高財務責任者(CFO)が8通以上の「正式なパスポート」を所持していた点からも、彼女が中国政府の諜報任務を負っていることは明白だ。 中国共産党の本質は世界の覇権を掌握するために、武力も辞さないこと。それは毛沢東時代からまったく変わっていない。近年の傾向としては、自前でのスパイ養成だけでなく、近隣諸国からの「スカウト」に注力している点が挙げられよう。 2004年、日本の上海総領事館に勤務する通信担当事務官が自殺した事件を憶えているか? あれは、中国人女性に入れあげていた事務官がスパイ候補として解放軍に目を付けられ、奴らから中国のスパイになるよう迫られる圧力と良心の呵責に耐えられなくなって起きた悲劇だ。 特に今、中国共産党は台湾人の男に目を付けている。日本語と中国語をともに解する俺のような人材だ。 台湾と中国は依然、台湾独立や台湾の立ち位置をめぐって政治的緊張の中にあるが、中国は蔡英文政権を目の敵にする一方で、台湾企業の中国投資や台湾人の中国留学・就職・研究に対する優遇策を相次いで打ち出し、台湾人材の引き込みに大金を投じている。 困ったことに、国民党独裁政権時代の記憶がない若者たちは、上の世代に比べ中国に対する抵抗感が薄い。台湾人材を情報工作員に勧誘する巧みな動きはすでに強まっているだろう。 ──スパイの心得を挙げるとすれば。 特別なものはないよ。 ・自身のプロフィールを口外しない ・約束を破らない ・命令に逆らわない ・タテの指揮系統を重んじヨコ(同じ組織のスパイ同士)で接触しない ・把握した情報は口外しない ・1人行動を旨としできるだけ群れない ・平均的な髪型・服装を心掛け目立たない どれも厳格なスパイ組織に身を置く者にとっては、基本的なことばかりだ。 コレ、という獲物に目を付けたら積極的に近付いて友達になり、相手から完全に信用されることもスパイの大前提だな。相手が海軍の将校だろうが陸軍のスパイだった張だろうがそれは同じだ。 スパイっていうのはつくづく因果な稼業だと思う。100歳まで生きながらえ、隠し立てすることなど何もないようなこの俺にさえ、スパイ時代に入手し、墓まで持っていくと固く誓った秘密があるのだからな。 (取材/田中淳 2019年1月19日、台湾の史明氏自邸にて)
2019.02.11
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意見言わない日本人。世界から置いてきぼり 2018-8-5 長谷川眞理子(総合研究大学院大学長) 毎日新聞 もう10年以上前になるが、ある私立大学に勤めていたころ、環境問題を論じる1年生のゼミを担当したのだが、みんなが黙っているので困った。あとで学生に聞いたところ、高校までずっと、自分の意見ははっきり言わない方がよいという教育を受けてきたと言う。なんですか、これは!? その数年前に、アメリカのエール大学で教えていたときには、こんなことは全くなかった。みんな自分の意見を言いたくて言いたくて、中には発言すること自体を目的にくだらないことまで言う学生もいて、そういう発言を封じるのに苦労した。 「言いたがり」と「言いたがらない」が競争したら、「言いたがらない」文化は負けると直感した。この違いはいったいどこから来るのだろう? 一般的に、日本人は自分の意見を表明しない。まずは、その場にいる他者がどんな意見を持っているのかをいろいろと探る。そして、みんなとあまりかけ離れたことは言わないようにする。そうなると、異なる意見は表に出てきにくい。 だからと言って、異なる意見がないわけではない。やがてそれが高じて不満がたまると、会議とは別のルートで表明され、対処すべく、また別のルートで調整することになる。 私は、こんなことが日本人の意思決定を遅らせ、社会を変えるプロセスを遅らせ、生産性を低下させている重要な原因の一つではないかと疑っている。 日本人のおとなの意識について、数多くの研究やアンケート調査がこれまで行われてきた。それらを総合すると、日本人の成人男性(お父さんたち)の多くは、自分の意見をしっかり持っている。そして子どもにも、自分の意見をしっかり持つおとなになってほしいと願っているようだ。 ところが、自分自身、その意見を公にするかというと、あまりしない。そして、自分の子どもも、むやみに自分の意見を表明しない方がよいと思っている。なぜなら、そういうことをすると周囲に嫌われるから、というのが大半のお父さんたちの意見なのだ。 大半のお父さんたちが自分の意見を持っているのにそれを言わない。そんなことをすると嫌われると思っているから。だったら、みんなで一斉にそんな「自己規制」はやめにして、誰でも意見を表明するようにすればいいではないか。これは実にくだらない自縄自縛である--と以前の私は思っていたのだが、しかし、そうではないのだ。 こんなお父さんたちは、あえて意見を言わないでいる自分をさしおいて、自分の意見を言う人がいると、不愉快なのだ。「そんなことをすると周囲に嫌われる」というのは、あたかも社会を客観的に観察して述べているように装ってはいるが、実は「そういうことをするやつは、私は嫌いだ」という自分自身の態度を表現しているのである。 「日本人は」という言い方をするが、私が若かったころは、これほどではなかったと思う。安保があり、ベトナム戦争があり、公害・環境問題があり、大学紛争があった。みんな、政治に関しても何に関しても、いろいろ議論していたと思う。それがなぜ、こんなに異なる意見を表明することを嫌うようになったのか? 私が若かったころは、個人の自由を実現するために闘わねばならないと思っていた。 今は、個人の自由が実現されたのだろうか? 私たちの時代に比べて経済的に豊かになったので、何でも好きにできるという自由は増えただろう。その上で、ネットなどの技術が急速に普及し、その利便性と個人の自由との間のあつれきに関しては、あまり議論されない。 そして、今の若い人たちは、対立が表面化することを極端に恐れる。閉鎖的で個人の移動がしにくい社会では、意見のぶつかり合いは嫌われる。グローバル化した社会というのは、個人の移動やグループ形成が自由な社会のはずだ。そうならば、今の若い人たちの方が、私たちの若いころよりも自由なはずなのだが、なぜ、彼らは意見の対立が表面化することを嫌うのだろう? さまざまな意見をたたかわせ、それに対処するすべを身につけなければ、これからの世界で決してよい方向には進めない。日本は何かがおかしいと思うのは、私だけか?
2019.02.01
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婚外子の割合が増えるヨーロッパ、70%の国も。変化する結婚への意識 2018-10-22 NewSphere 筆者(スイス在)の息子のクラスメイトZ君の両親は事実婚をして同居している。Z君は母親と同じ名字で、Z君の兄は父親と同じ名字だ。以前のクラスメイトのなかにも、両親が事実婚の子がいた。3人きょうだいが母親の籍に入っていて、父親だけ名字が違う。 こんなふうに結婚せずに子供をもつケースはスイスではときどき見かけるし、シングルファーザーやシングルマザーも見かける。 2016年、スイスでは、新生児に占める婚外子の割合は24.2%だった。それがEU全体だと、1.76倍の42.6%にもなる(ユーロニュース)。 ◆アイスランドは70%、フランスやブルガリアは60% ユーロニュースは、欧州連合統計局(eurostat)が公表した統計結果をまとめている。統計は、EU28ヶ国に、4ヶ国のヨーロッパの国々(アイスランド、ノルウェー、スイス、リヒテンシュタイン)の数値を加えた32ヶ国の状況だ。結果は表1の通り。510万人(EU加盟国のみ)の新生児が婚外子で、32ヶ国中、45%以上だったのは、スペインの45.9%からアイスランドの70%まで実に15ヶ国だった。 2000年の状況と比べると、すべてのEU加盟国で割合が増加した。とくに南ヨーロッパでの増加率が目立ち、表2のようになった。9.4%と32ヶ国中で最も婚外子の割合が少ない(80%以上の子供が結婚したカップルから生まれた)ギリシャでも、2000年は4%で2倍以上になっている。 ◆事実婚の両親と暮らす子供の割合が増加 婚外子は生まれたときやその後、両親が事実婚で一緒に暮らしている場合もあるし、シングルファーザーやシングルマザーで一人親の場合もある。国連で25年以上、人口推移の分野で働いたジョセフ・シャミー氏はこの点にふれ、OECDに加盟する33ヶ国(EU加盟国22ヶ国と日本を含むその他13ヶ国)では、新生児から17歳までの子供が事実婚の両親と住んでいる割合が増えていると述べている(米イェール大学の『YaleGlobal Online』)。 表3では、表1で示した国々(日本と韓国は除く)について、事実婚と一人親の内訳を挙げた。事実婚で婚外子をもつ人たちが少なくない様子がはっきりとわかる。 ◆婚外子増加の背景 事実婚は社会的タブーではない ユーロニュースの記事では、アイスランドで婚外子の新生児の割合が多いのは、同国で進歩的な考え方が広まっているためだとしている。 具体的には、アイスランドでは結婚すること・結婚していることを求める社会からのプレッシャーがなく、シングルマザーでいることに対しても人々が善し悪しの判断をしない点、そして結婚か未婚かにかかわらず福祉が充実している点を指している。 フランスでは、結婚という形とは違う、共同生活の契約PACS(連帯市民協約)が関係しているからだろうという。2016年の婚姻件数が23.3万に対しPACSの登録数は19.2万と、PACSがフランス社会に定着していることがわかる。 シャミー氏は、世界的に見て多くの国で、子供を育てたり長期的に親密な関係をもったりすることを目的として結婚する必要はないという風潮が広まっていると指摘する。 事実婚は、男女とも、結婚のシミュレーションというよりは、本当にそういった関係を築きたいのかどうかを確認するものであって、若い人たちにとっては、結婚して離婚した場合の法的、心理的、経済的負担を避ける「離婚の防御策」でもあると言う。女性が以前より経済的、社会的に自立していることも事実婚には関係している。 ちなみに、一人親の割合が多いのは、ラテン系の影響を受けているアフリカの国々で、40%近くがシングルマザー、4%がシングルファーザーだという。
2019.01.16
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世界のネット利用者は39億人、史上初めて総人口の半数超えへ 2018-12-9 AFP=時事 【AFP=時事】国連(UN)専門機関の国際電気通信連合(ITU)は7日、世界のインターネット利用者数が今年末までに約39億人、総人口の51.2%に達し、史上初めて半数を超えると発表した。 ITUの趙厚麟 事務総局長は「2018年末までに、ネット利用者数は節目となる半数を上回る」との見方を表明。 「世界全体がより包括的な情報社会に向かう上で重要な一歩」だとした上で、「それでも世界各地では、あまりにも大勢の人々がデジタル経済の恩恵を受けるのを依然として待っている」と付け加えた。 また、デジタル革命がネットを利用できない人を誰一人残さないよう、技術やビジネスの革新に対する一層の支援を呼び掛けた。 ITUの報告書によると、先進諸国のネット利用者数は05年に人口の51.3%、現在は80.9%と、ゆっくりとではあるが着実に増加。 一方、発展途上国は05年にわずか7.7%だったものの、現在は45.3%と劇的に増えている。地域別で最も強い伸びを示しているのはアフリカで、05年の2.1%から18年に24.4%と、10倍超の増加となっている。 同時に、世界の総人口のほぼ全体にあたる96%は現在、携帯電話のサービス圏内で生活しており、90%は第3世代(3G)以上の通信網でネットにアクセスできる状態にあるという。 【翻訳編集】 AFPBB News
2018.12.29
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結婚とは「一瞬が永遠に続く」という妄想だ 上野千鶴子さんが語る「結婚と家族」 2016-9-9 上野 千鶴子 : 東京大学名誉教授 日本を代表する社会学者であり、フェミニズムの牽引役でもある上野千鶴子氏。朝日新聞の人気連載「悩みのるつぼ」では学生から70代主婦など、年齢、属性の異なるさまざまな人の悩みに答えるなど、人生相談の名手としても知られる。 上野千鶴子さんが語る「結婚」とは? 結婚、出産、仕事…女の長い人生、どう勝負するか 「人はなぜ不倫するのか」と、先日、取材で聞かれました。質問の主は、不倫ジャーナリズム界の女王・亀山早苗さん。だから、こう答えました。「人はなぜ不倫せずにいられるのか」と。私は、不倫しないでいられる、ということのほうが理解できない。 以前、ある地方都市にいったら、結婚式場のポスターが貼ってあって、花嫁姿の写真に、こんなコピーがついてました。「最後の恋がはじまる」。それを見て、ウソばっかり、と思ったの。たとえば20代で結婚を決めたとして、これから人生100年になるとしたら、その後、70〜80年、あたらしい恋愛を封印するなんて考えにくいですよね。 上野に言わせてもらえば、結婚の定義とは、以下のとおりです。「自分の身体の性的使用権を、特定の唯一の異性に、生涯にわたって、排他的に譲渡する契約のこと」。 いわば、これから他の人と恋愛をしないということを、結婚した方々は、神さまの前で誓ってきたということなのでしょうか。 私がフェミニズムを、なんのためにやってきたか。男女平等ももちろんだけれども、それ以前に、自分の自由を制約されたくないから。とくに性的な自由は大事だと思っています。その自由をむざむざ、人に手渡すというのが、よく分からない。 結婚願望は、いまの若い世代も高いのよね。みなさんは、結婚したい? もう、しちゃった? 一瞬が永遠に続くと信じることを、妄想と言います。だから、結婚が一生続くと思うのは、血迷ったのか、それともルール違反を承知でぬけぬけとうそついたのか。私は、どっちもできなかったの。愚直だったのかも知れませんね(苦笑)。 そんなことを話している上野に対して、「実は、結婚することになりまして」と、すまなさそうな顔で言ってくる教え子もいます。でもね、結婚するな、と言っているわけではないのよ。 自分の人生に巻き込んでいい、相手の人生に巻き込まれていい。そう思えるほどコミットできる相手は、一生のうちで5人もいないはず。そういう「血迷える相手」に出会えるのは、やはり幸福なこと。 この経験は、しないよりしたほうがいい。相手の人生や人格に深く立ち入ることで、とことん、自分に向き合えるから。 ただし、このような関係を結ぶことは、婚姻届を出さないかたちでも可能です。上野は男嫌い、と言われるけれども、そうでもない。 恋愛はしないより、したほうがいい。授業料を払ってでも、なにかを得られる関係は、持ったほうがいいと思っています。 家父長制という構造のドツボにはまっていた母 長年、朝日新聞のお悩み相談の回答者をしていますが、母と娘にまつわる質問がすごく多い。とくに娘からの相談で「母を嫌いになっていいのか。そんな私は、間違ってるのか」という内容のもの。 私の両親は、夫婦仲が悪かった。父は開業医で、母は専業主婦。母からは、「離婚できないのはあんたのせいよ」と、ずっと言われて育ったの。自らの不幸の原因が子どもにあると。子どもに負債感を負わせるという、いわば「弱者の戦略」を採用したんですね。 なので、ちっちゃいときは、「お母さん、かわいそう」と思ってたの。母は、ただでさえ娘を取り込んで味方にするからね。でもね、10代になって両親の関係をじーっと見て、こう思ったの。 「あなたの不幸は、夫を取り替えてもなくならないよ」と。なぜなら母が、家父長制という構造のドツボにはまっているとわかったから。だから、私は、はまらないでおこう、と思った。家父長制という構造について研究したら、『家父長制と資本制』という一冊のぶ厚い本になりました。書くのに10年かかりましたが、ああ、私は母のリベンジ戦をやったのだ、と気づきました。 ただ、私みたいな娘がいたら、いやだろうね、とも思うの。母を仮借なく批判する、思春期の娘。10代の娘を抱えて育てる母は、身内に刺(トゲ)を抱えるようなつらさだと思う。その後、娘は成長して人生経験を積むと、母の置かれた立場に理解と同情を覚えて、「お母さんも、大変だったのね」と、わかってくれるようになりますが。
2018.12.04
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もともと、葬儀の形態は、時代とともに大きく変化する。そもそも、江戸時代には、庶民の「お墓」は、どんな形で「存在」したのか? 「火葬」でなく、「土葬」など、いろいろだ。 現在では、墓地が少なくなり、都会では(マンション墓)のようなものも、出現しているとか。海外を旅行していると、墓所を目にすることも多い(個人旅行なので)が、国によって、弔いの墓は、地域性、宗教の違い・・・など千差万別だ。 面白いといえば、面白いが・・・要は、その程度のモノだということ。こんなものに「お金」をかけること自体・・・アホらしいことだと思う。そんな金が、もしあれば・・・遺族の生活の足しにしてもらうほうが、よほど有益だ。 「〇〇家の墓」「XX家の墓」も、いつか、世話する人も絶えて、無縁墓に併呑されてしまう運命なのだから・・・違うだろうか? ―――――――――――――――――――――――――――――― (参考)僕の店じまい 2015-10-12 (はんぺん) 昨年、「リビングウィル」を書いて、身内に周知した。 今回は、僕の店じまいについて書く。「終活」の一環だ。 ネットから・・・・ 「終活」とは「人生の終わりをより良いものとするため、事前に準備を行うこと」です。 例えば、自分のお葬式やお墓について考えておいたり、財産や相続についての計画を立て、身辺整理をしておくといった内容で、これらの活動を行うことで残された家族に迷惑をかけることも無くなり、また、安心して余生を過ごすことができます。 終活の一例・・・エンディングノートをまとめる・・・お葬式を決めておく・・・お墓を探しておく・・・財産や相続をまとめておく・・・自分の荷物を片付けておく・・・・ ・・・・・・・・・・・・以上は、ネットから 今の時点での店じまいの開始・・・それが早いか遅いかは、わからない。自然な形で、そういう気になった。友人・知人たちの何人かが、鬼籍に入った。 先日、同窓会幹事をしている小学校5・6年生の時の担任の先生が、昨年亡くなったことを知った。84歳だった。 僕たちには、まだ、先があるのかもしれない。しかし、持病や視力の衰えを痛切に感じ始めると、将来について、不安が広がり、そろそろ潮時かな??と思ったりするときもあった。 僕は、昭和24年12月12日に、父・XXXX、母・XXXXの長男として、堺市に生まれた。 振り返ってみれば、戦前・戦中の厳しく困難な時代を知ることなく、戦後の復興期の平和な日本で育ったわけで、良い時代に偶然、生を受けたものだと、つくづく思う。 ベビーブームの中で、受験や就職における「競争」は、厳しかったが・・・・ 青年時代に、社会運動に目覚め、新しい世界観を得て、それは、僕の人生を決定づけた。価値観は大きく変わったが、人生後半の2度の大災害を目の当たりにして、人生観の修正を余儀なくされた。「人事を尽くして、天命を待つ」とよく言われるが、そのとうりで、天命(=運命)は、誰にも変えられないわけだ。 僕が、1995年1月17日に、東灘区で生活していたら、また、2011年3月11日に東北の沿岸を旅行していたら、今の僕は、この地球上に存在していない。 誰にも、どうすることもできない運命(=宿命)のことを、よく考える。 過去には、「不死の霊水」を求めた皇帝もいたそうだ。 死ぬことは、仕方がないモノと諦めて、せめて、その痕跡を残そうと試みたものは多かった。自身の銅像を建立したり、建築物や地区、道路、空港などにも固有名詞を冠したものは多い。ぼくも、若いころ、そういう思いに囚われて、自身の亡きあとの何らかの痕跡を残したいと思ったことがあった。 今では、そういうことには、まったく意味は無いと思っている。 自身がこの世から消えた後、自分のことを思い出してくれそうな身内は、自身の子どもたちなどに、限られている。せいぜい孫までか、その孫たちも、彼らの記憶の中に留めておいてくれるかどうか? それらは、ある意味、どうでも良いことなのである。 自身の多くのアルバムなどは、子や孫たちによって、いつかは、完全に破棄されてしまう。痕跡は、どんどん消されていき、遠くない将来、完全に無くなる。 「お骨」は、「XX家の墓」に、入って安心という人も少なくなった。「守り」をしてくれるXX家の人がいなくなり、どんどん無縁墓が増えているのに、そんなことに「安らぎ」を感じるのは、時代遅れになりつつある。 ぼくにも、「はんぺん家の墓」が太子町の太子霊園にあって、64歳で胃がんで亡くなった父親も「眠っている」らしい。 今も、92歳の母親に頼まれて、年に4~5回の「お参り」では、車で送迎している。 母に「お墓の守り」を頼まれることがあれば、母の気持ちを考えて、そうすると思うが、自身の遺骨が、入ることは無いというのが、自分の意志である。 国土の狭い日本では、墓地を別な形で有効活用する時代も来るように思う。葬儀の形も時代とともに大きく様変わりすることは、間違いない。 店じまい、その1 自分の葬儀には、お金をかけないこと。わずかな資金は、相続により、遺されたものが生活の安定のために使うべきである。 葬儀の形態は、「直葬」で完了すること。一切の儀式(通夜、葬式など)は、不要である。無宗教なので、炉前読経なども不要。 最低限の費用で、完了することが、故人の意志である。 火葬にかかる、最低費用について、「火葬代」「棺代」「納骨容器代」の他、「火葬場所までの搬送・安置代」も必要となる。 臨終後、すぐに火葬場に直行することは、出来ない。(死後24時間は、火葬できない)時節によっては、自宅安置であっても、ドライアイスなどの保存処置費用が、必要となるそうだ。自宅安置でない場合でも、「保存処置費用」のほかに、「安置場所代」「火葬場までの搬送費用」がかかる。 結局、葬儀社を利用して、これらの諸費用を負担して完了するのが、遺族に気を揉ませることなく、スムーズに実行できると思われる。 ネットによれば、これらの総費用は、20万円程度とのことである。これは、最低費用として、認めざるを得ないと思う。 店じまい、その2 火葬後の遺骨は、すべて自然保護に配慮した形で散骨すること。山でも海でも良し。 「はんぺん家の墓」には、納めないこと。(この墓も、遅くない時期に無縁墓に移行して、取り潰されるだけなのは、明らかである。) 店じまい、その3 「はんぺん家の墓」の「守り」については、基本的に、弟のXXXXの判断に委ねたい。僕の臨終の時点では、現在92歳の母親は、他界していると思われる。2男は、養子縁組で、遠方(九州)に居り、3男のXXXXが、適切な判断をすることになる。 以上、葬儀に関わる店じまいである。 臨終に関わる詳細については、すでに、「リビングウィル」で示したとおりである。 2015年10月12日 (はんぺん) ㊞ ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――― 「遺体お預かり」広がる…葬儀しない「直葬」増え、火葬場不足で 2018-11-2 読売新聞(ヨミドクター) 高齢化に伴って年間130万人以上が亡くなる「多死社会」を迎える中、火葬前の遺体を預かる「遺体安置ビジネス」が都市部を中心に広がっている。葬儀をせず火葬のみを行う「直葬(ちょくそう)」の増加や火葬場不足が背景にある。福岡県内では、直葬を行う業者が増え始めている。 福岡市博多区にある「福岡直葬センター」は、遺体を保管する冷蔵設備がある直葬の専用施設だ。冠婚葬祭業の「ラック」(福岡市)が運営。猪膝(いのひざ)武弘マネジャー(62)は「ご遺体をここで安置し、火葬場へ搬送します」と説明する。 直葬は、通夜や告別式をせず、火葬のみで済ませる葬儀形態。墓地埋葬法では、火葬は死後24時間を経過しなければ行えず、従来は自宅や葬儀場などに安置するケースが多かった。 福岡直葬センターはひつぎを収納することができる冷蔵設備を12体分そろえている。祭壇が置かれた個室もあり、遺族は時間を気にすることなく対面できる。遺体の保管料は24時間で1万2000円(税別、延長は同1万円)。火葬場への搬送を含めた費用は約18万円(税、火葬代別)だ。 2011年10月にオープン。経済的な理由や、離婚で家族と別離しているなどの事情で、希望する人が多いという。12年度は169件だったが、昨年度は452件と利用者は年々増加している。 葬儀情報サイトを運営する「鎌倉新書」(東京)の昨年のアンケートでは、直葬を行った人の割合は全体の5%。猪膝マネジャーは「最近は、ご本人が『葬儀で家族にお金をかけさせたくない』と生前に相談に来られるケースも増えている」と話す。 東京都や横浜市、大阪市など、関東や関西の人口密集地では、老朽化などによる統廃合で火葬場が不足する事態も遺体安置ビジネスのニーズを高めている。厚生労働省の集計では、16年度の全国の火葬場数は4181か所で、1996年度の8481か所から半減。横浜市では市営の火葬場は4か所のみで、平均4日程度待つという。 葬儀場で告別式などを行わない場合、火葬を待つ間は自宅に遺体を安置することになる。ひつぎをエレベーターなどに運び込めないマンション世帯が増えているほか、弔問客への応対を負担に感じる喪主も多い。JR新横浜駅近くで、遺体を一時的に預かる「遺体ホテル」を運営する葬祭場「ラステル新横浜」の担当者は「高齢化で需要は今後さらに伸びる」と見込む。 国立歴史民俗博物館の山田慎也准教授(民俗学)は、「少子高齢化や単身世帯の増加で家族構造が変わり、戦後から続いてきた告別式を中心とした葬儀のかたちが変わってきている」と指摘している。
2018.11.15
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100年前の日本人が「全員結婚」できた理由 「恋愛結婚」が9割の現代は離婚率も増加 2018-1-2 荒川 和久 東洋経済オンライン 発光体というものは、太陽の下ではその存在すら誰も気付きません。光は闇の中でこそ輝きを放つものです。自由もまた同様で、不自由でなければ自由を感じられないものです。私たちは制約があると不満やストレスを感じますが、それがあるからこそ自由の獲得への欲求が高まります。逆に言えば、自由にさせられると不満もストレスもない分、自由のために行動するという意欲そのものを失うのです。 結婚にも同じことが言えます。結婚が自由化されると結婚意欲を減退させ、未婚化を推進してしまうのではないか。今回はそんなお話をします。 結婚の自由化が未婚化を推進している? 未婚化の原因は決してひとつではなく、さまざまな要因が複層的に影響しあって起きています。が、巷(ちまた)で言われているような「未婚化は若い男の草食化」などではないということだけは断言できます。その論拠については、こちらの記事「『草食系男子の増加』という大いなる勘違い」でもご紹介しましたが、改めて男性の交際相手がいた比率の推移をご覧ください。 少なくともここ30年間、男の交際率は変わっておらず、時代によって交際率が変化したなんてことは統計上はまったく言えません。むしろ、自発的に恋愛ができる男の割合なんてものはいつも3割にも満たず、7割強の男には交際相手はいなかったんです。最近の若者が「恋愛離れ」しているのではなく、バブル時代に青春を過ごした今50代以上の男性も、肉食系のイメージで見られがちですが、例外ではありません。 「それはおかしい。かつてはみんな結婚できていたんだから」というご指摘もあるでしょう。確かにそのとおりです。ですが、だからといってかつての男が積極的だったという証明にはなりません。 日本はかつて、皆が結婚する皆婚社会でした。国勢調査が始まった1920(大正9)年からのデータを振り返ってみても一貫して生涯未婚率は1990年まで5%以下で推移しています。 この驚異的な婚姻率が1875年(明治8年)にはまだ3340万人だった人口を、1967(昭和42)年頃には1億を突破させるほど急成長させた原動力でもあります。しかし、それはいわば国家的な「結婚保護政策」のおかげだったことを認識したほうがいいと思います。 近代日本の婚姻制度を成立させたのは1898(明治31)年に公布された明治民法です。誤解されている方も多いですが、ここで定められた結婚のあり方というのは、それまでの日本人庶民の結婚観とは大きく異なります。時代劇や歴史小説などでは主に武家の話しか出てこないため、すべての日本人が武家様式の結婚生活をしていたと思われがちです。しかし、武家人口は江戸時代の戸籍資料によると、総人口に対してわずか7~8%のマイノリティです。 現在の私たちの祖先のほとんどが農民や町人であったわけで、日本人=武士という考え方は間違いです。当時の庶民たちの結婚は、夫婦別姓であり、ほとんどの夫婦が共働き(銘々稼ぎという)でした。何より、夫婦別財であり、夫といえども妻の財産である着物などを勝手に売ることはできなかったのです。 要するに、明治民法が制定されるまでの日本人庶民の結婚とは、限りなくお互いが精神的にも経済的にも自立したうえでのパートナー的な経済共同体という形に近かったわけです。別の見方をすれば自由でもあり、夫婦の関係は対等でした。 明治民法により妻の経済的自立と自由が奪われることに それが、明治民法により、庶民の結婚も「家制度」「家父長制度」に取り込まれることになり、主に妻の経済的自立と自由が奪われることになります。 夫は外で仕事、妻は家事と育児という夫婦役割分担制もここから「あるべき夫婦の規範」として確立していきます。 それにより、女性にとって結婚とは生きるための就職のような位置づけとなり、基本的に結婚をしないという選択肢はありませんでした。そこで大いに機能したのが「お見合い」という社会的なマッチングシステムなのです。実は、これこそが結婚保護政策の最たるものです。 お見合いとは、個人の恋愛感情より、家と家という2つの共同体を結びつけるための機能が優先されるものであって、ある面では個人の自由がないと言えます。しかし、むしろ個人最適の選択によらず、強制的な全体最適を目指したシステムだからこそ、皆婚が実現できたともいえます。特に、自分からアプローチできない男にとってこのお見合いシステムというのは神システムだったと言えるでしょう。 お見合い結婚と恋愛結婚の比率の推移をあらわしたグラフを見るとお見合いの衰退は顕著です。戦前戦後時期は、お見合い結婚は全体の7割を占めていましたが、今では5%程度しかありません。しかもこれは結婚相談所きっかけ(約2%)を含みますので、伝統的なお見合い結婚はたった3%程度しか存在しないことになります。そのかわり恋愛結婚が87.7%にまで伸長しています。 恋愛結婚がお見合い結婚を上回る分岐となったのは1960年代後半でした。生涯未婚率が上昇し始めたのは1990年代以降です。それよりも30年以上も前に衰退したのであれば、お見合い結婚減は未婚化には無関係だと思いますか?そうではありません。1965年に25歳だった適齢期の男性が、生涯未婚の判断基準となる50歳になった時が1990年です。つまり、お見合い結婚比率が恋愛結婚比率を下回った第1世代は、そのまま生涯未婚率上昇の第1世代となったと言えるのです。 職場婚の減少も未婚化に影響 もうひとつ忘れてはならないのが職場での出会いによる恋愛結婚です。これは分類上恋愛結婚とされていますが、当時の職場結婚もまた社会的マッチングシステムのひとつでした。お見合いよりも自由度はあったと思いますが、出会いのきっかけとしてお膳立てされていたということは事実です。しかし、この職場での恋愛は今やセクハラ問題と表裏一体。職場結婚は今後も減少していくでしょう。 お見合いと職場結婚とを合算して1960年代から現在に至る婚姻数の推移をみると、構成比は1960年代の7割から半分の31.9%にまで激減しています。当然全体婚姻数も減っていますので絶対数の減り幅は膨大です。 もっとも婚姻数が多かった1972年と直近の2015年とを比較すると、お見合いと職場結婚を合算した婚姻数のマイナス分は約46万組となり、婚姻総数のマイナス分とほぼ同等です。つまり婚姻数の減少はこれら2つのきっかけの減少分だったと言えるのです。 お見合い結婚から恋愛結婚へと移行したことで明らかに変化したことがもうひとつあります。それは離婚の増加です。 もともと江戸時代から明治の初期にかけては、日本は離婚大国でした(過去記事参照。「『夫婦は一生添うべし』が当然ではない理由」)。当時、世界トップレベルの離婚の減少に寄与したのもまた明治民法です。この民法によって、家制度型の婚姻や家父長制度が世間に浸透しはじめ、その頃から日本の離婚率は急激に減少しました。 一時1938年には人口1000人あたりの離婚率0.63という世界でも最も離婚しない国になりました。それがグラフを見てわかるとおり、一転1960年代以降の恋愛結婚の比率の上昇カーブとリンクするように離婚率が上昇しています。 恋愛結婚の夫婦のほうが離婚しやすい もちろん「恋愛結婚が増えると離婚が増える」という因果関係までは断定できませんが、お見合いで結婚した夫婦より恋愛結婚の夫婦のほうが離婚しやすいというのは興味深いデータです。 このように、明治民法を起点とした「結婚保護政策」は、結果として婚姻数や出生数の増加に加え、離婚の減少をも生みだしたと言っていいと思います。自己選択権のないお見合いや妻を家に縛り付ける家制度、家族のために粉骨砕身働くことが父親・男としての責務という社会規範など、個人レベルで考えるならば不自由な制約が多かったのかもしれませんが、こと結婚の促進に関しては奏功したと言えるでしょう。 「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている」とは夏目漱石の言葉です。現代、恋愛や結婚に対して社会的な制約は何もない自由であるにもかかわらず未婚化が進むのは、むしろ自由であるがゆえの不自由さを感じているからではないでしょうか。 ただ、だからといって国家による結婚保護政策に戻すことは非現実的です。皆婚時代を否定はしませんが、冷静に考えれば国民全員が結婚していた状態こそ異常だと考えます。非婚の選択も生涯無子の選択も尊重されるべきですし、一方で結婚したいけどできないという人たちのサポートも必要です。 とはいえ、恋愛強者は男女とも3割しかいません。かつてのお見合いや職場縁に代わる新しい出会いのお膳立ての仕組みが必須なのかもしれません。
2018.10.18
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今後、日本では、貧富の格差は、ますます増大する一方だろう。 それが、民主性(形だけの?)の下で、進められるというのは、皮肉だ。 「資本」による「(人民)支配!」というのは、実に巧妙になってきたということだ。 昔の農民支配(生かさぬよう、殺さぬよう・・・)を想わずにはいられない。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 金持ち優遇の不公平。消費税UPの裏で相続税は20%も減税していた 2018-9-3 by 大村大次郎『大村大次郎の本音で役に立つ税金情報』 まぐまぐニュース 財源不足を理由に消費税の税率が引き上げられようとしていますが、実は相続税が75%から55%に大減税されていた事実をご存知でしょうか。 しかも様々な減免措置等により、相続人の実質負担割合はさらに低い、という信じがたい現状を暴露するのは、元国税調査官で作家の大村大次郎さん。 知らない間に相続税は大減税されていた! あまり知られていませんが、この30年間、相続税は下げられっぱなしになっています。1987年までは最高税率は75%だったのが、 2003年では50%にまで下げられているのです。 昨今、貧富の格差が社会問題となり、さすがに相続税の税率を下げすぎたということになり、2013年の税制改正で若干、引き上げられましたが、 それでも55%です。1987年の最高税率よりは20ポイントも低いのです。 バブル崩壊以降、財源不足を理由に、消費税が導入され、さらに2度も税率が引き上げられ、社会保険料も上げ続けられたにもかかわらず、 相続税だけがこっそり大幅に下げられていたのです。 しかも、昨今の相続税の減税のされ方を見ると、「大金持ち」を最大限に優遇しているのがわかります。 平成15年度の改正以前は、20億円を超える遺産をもらった人に、最高税率の70%が課せられることになっていました。 が、現在は、6億円を超える人が最高税率の55%となっています。 遺産が6億円を超えれば、それ以上はいくらもらっても税率が上がることはありません。 つまり、7億円もらっても、30億円もらっても税率は同じということになっているのです。超資産家ほど優遇しているのです。 「共産主義の崩壊」で相続税が下げられた 相続税が下げられた要因は、諸々ありますが、一番大きいのは、共産主義国家の崩壊です。 1980年代の後半に、ソビエト連邦をはじめとする東欧の共産主義国家が相次いで崩壊し、東西冷戦が終了しました。 それ以降、西側の先進国では、相次いで相続税が下げられたのです。 なぜ共産主義国家が崩壊したら、相続税が下げられたのか? 疑問に持つ方も多いでしょう。 そもそも、相続税というのは、共産主義が世界を席巻し始めたころにつくられた税金なのです。 19世紀後半から20世紀前半にかけて、貧富の差が拡大し庶民の不満が高まり、共産主義が勃興してきました。 そのため、先進国の政府は、貧富の格差を解消し、庶民の不満をなだめるために、相続税が取り入れられたのです。 しかし共産主義国が崩壊したので、西側の先進国たちは、貧富の格差にそれほど気を配らなくてよくなりました。 「資本主義こそが正しい経済思想だ」とばかりに、企業や投資家に限りなく自由を与え、便宜を図る政策を採り始めたのです。 その最たるものが、相続税の大減税でした。 欧米各国は、相続税の税率を下げたり、免除枠を拡大するなどして、富裕層の相続税負担率を大幅に引き下げました。 フランスなど、相続税の廃止を打ち出す国も出てきました。日本もそれに便乗したのです。 相続税の対象者というのは、国民の1割もいません。だから、選挙対策とするならば、相続税を下げる必要はあまりないはずで、 むしろ、他の税目を減税すべきです。 なのに、なぜ相続税が下げられたかというと、相続税対象者が政治献金をしている場合が多いからです。 そもそも政治家というのは、富裕層(財界など)の献金で支えられているので、富裕層の機嫌を取るために相続税を下げたのです。 が、そのため、2000年代に入って、先進国は深刻な格差社会に悩まされることになりました。 昨今、欧米を震撼させているテロなども、貧富の格差が背景にあるのです。 欧米の政治家たちは、大きな勘違いをしていたのです。 共産主義が崩壊したのは、彼らの社会が平等だったからではありません。むしろ、不平等だったからなのです。 ソ連の末期、労働者の平均所得の半額となる75ルーブル以下の最貧困層は3,576万人もいました。 ソ連の貧困層と最貧困層を含めた人数は、国民の35%だったという説もあります。 その一方で、共産党幹部などの50万人は、月500ルーブル以上の年金をもらっていたのです。 また共産党幹部の子弟は、裏口入学で高等教育を受けられたり、縁故による就職、昇進がまかり通っていました。 そういう国民の不満が、共産党への不信となり、政権が崩壊したのです。 欧米の政治家たちは、その事実を無視し「資本主義こそが絶対的な善」という考え方になったのです。 世界中で格差が深刻化 日本でも、貧富の格差は昨今、大きな社会問題となっています。あまりマスコミなどで報じられることはありませんが、 昨今、富裕層の減税をし過ぎたために、億万長者が激増しているのです。 それは、外資系証券会社などの発表データでも表れていますし、国税庁のデータでも表れています。 世界的な金融グループであるクレディ・スイスが発表した「2016年グローバル・ウェルス・レポート」によると、 100万ドル以上の資産をもっている日本人は282万6,000人だったそうです。 前の年よりも74万人近く増加しており、増加数は世界一なのです。 その一方で、OECDの発表では、先進国34の中で、日本は7番目に貧困率が高い国となっています。 バブル崩壊以降、日本人の多くは「日本経済全体が苦しいんだ」と思い込んできました。 しかし、そうではないのです。ほとんどの国民は、収入が下がり、資産を減らしている中で、富裕層だけが肥え太ってきたのです。 その大きな要因の一つが、相続税の減税だといえるのです。 こういう税制が格差社会を生んだと言っても、過言ではないのです。 相続税は高いのか? 2015年の税制改正で、相続税の最高税率は55%となりました。 この55%という数字だけを見ると、相続税は高いように感じるかもしれません。「資産の55%も税金で取られるのはかわいそうだ」などと 思う人もいるでしょう。しかし、ここには数字のトリックがあるのです。 富裕層や税務当局は、相続税の“55%”という税率だけを持ち出し、“高すぎる”と主張してきました。 しかし相続税の全貌を知れば、それが高すぎるとは絶対に思われないはずなのです。 というのも、相続税には、あれやこれやの抜け穴があり、実際の税負担は非常に低いのです。 普通の人は、「相続税の税率は55%」と言われると、遺産の55%が税金で持っていかれるような印象を持つでしょう。 しかし、55%というのは名目上のことであって、実際には驚くほど税金は低いのです。 相続税の最高税率55%が課せられる人というのは、超大金持ちです。 普通の金持ちくらいでは、相続税はせいぜい10~20%程度しかかかってこないのです。 6億円超の遺産をもらったからといって、そのまま55%の税率が課されるわけではありません。7,200万円もの控除額(割引額)がありますし、 家族構成や遺産の内容によって、さらに割引があります。 しかも、この6億円というのは親族全体の遺産額ではなく、遺産をもらった遺族一人あたりの遺産額のことです。 遺族というのは、だいたい4~5人いるものなので、一人あたり6億円もらえるということは、遺族全体で20~30億円の遺産がある場合なのです。 また相続人の中に、配偶者がいれば、遺産の半分までは相続税は免除されますから、相続税額は半減になります。 しかも、相続財産の中に、住居があれば、土地の価格を大幅に減免する制度もあります。 それやこれやで、遺産が10億円くらいまでならばだいたい税率は10%以下になってしまうのです。 毎年発生する日本全国の「遺産」に対して、相続税として徴収している割合はわずか4%程度なのです。 つまり、遺産全体に対する相続税の実質負担割合は、4%に過ぎないのです。 筆者としては、何億円も遺産をもらっているのであれば、最低でも3割程度の税金を払うべきだと思います。 その人の資産というのは、その人だけの力で築いたものと思われがちだが、決してそうではありません。 社会インフラ、教育制度、治安の良さなどなど、社会の高い文化性があるおかげで、資産を築けたわけです。 たとえば、いくら能力があったとしても、不公正で治安が悪い国に生まれれば、その能力を伸ばすことも発揮することもなかなかできないはずです。 そして、世界中にそういう国は、多々あるのです。 日本のような治安が良く、教育環境、経済環境が整っている国だからこそ、それだけの資産を築けたわけなのです。 だから、日本で莫大な資産を築いた人は、死んだときに最低でもその3割くらいは社会に還元すべきだと思うのです。 相続税の税率の推移 昭和63(1987)年改正以前 最高税率:75%(もらった遺産が5億円超の場合) 昭和63(1987)年改正後 最高税率:70%(もらった遺産が5億円超の場合) 平成4(1992)年度改正後 最高税率:70%(もらった遺産が10億円超の場合) 平成6(1994)年度改正後 最高税率:70%(もらった遺産が20億円超の場合) 平成15(2003)年度改正 最高税率:50%(もらった遺産が3億円超の場合) 平成25(2013)年度改正 最高税率:55%(もらった遺産が6億円超の場合)
2018.10.01
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老後の支え公的年金 夫婦で100歳なら9000万円超 2018-8-27 NIKKEI STYLE 今月のテーマは公的支援です。国が私たちの人生にどれくらいの支えを用意してくれているかを考えてみました。最後は「年金」、つまり老後の支えです。 まず、国の年金制度についての誤解を解いておきますが、これは「払った分をもらう」制度ではありません。「働けなくなったら加入の条件に応じて年金をもらう仕組み」であって、本質的には年齢は関係ありません。 だからこそ、年金制度には障害年金や遺族年金が含まれているわけです。 公的年金については「どうせ将来もらえない」と思っている人も少なくないでしょう。実際には破綻リスクはほとんどないと考えていいのですが(2014年の財政再検証結果によりデータの裏付けも得られている)、ネガティブイメージは私たちに根強く残っています。 しかし、「老後の一番の財産は公的年金収入」だということは知っておくべきです。老後のメイン収入はどんな時代が来ようとも、やっぱり年金なのです。 ■仕事をせずとも夫婦で月22万円をもらえる 公的年金の加入者は65歳を迎えると国が年金を支給します。このとき、標準的な世帯(会社員と専業主婦)の場合、月額のモデル年金額は22.1万円です。 「たったそれだけ?」と思うかもしれませんが、時給950円であれば、230時間以上働かなければならないお金です。どちらかが29日働きづめか、夫婦が15日ずつシェアしてようやく得られる賃金額です。 厚生労働省の17年「賃金構造基本統計調査」によれば、大卒の初任給は20.6万円とされていますから、仕事をしなくても大卒初任給レベルの収入を得られる、ということを私たちはまず理解しておく必要があります。 さらに、この年金額は「終身」で支払われるところに本当のすごみがあります。「保険料を納めた額」をもらうのではなく、個々の人生の長さに応じてもらえるからです。このため、70歳前後で亡くなられた方と、90歳以上長生きした方では受取総額が異なってきます。 ■65歳から35年の夫婦の受取総額は9000万円以上に 先ほどの夫婦22.1万円を男性の65歳時点での平均余命19.6年で計算すれば受取総額は5198万円となります。女性の65歳時点での平均余命は24.4年ですから、これで考えると何と6471万円になります。本当に100歳人生時代が到来したとき、仮に65歳から100歳まで35年夫婦が元気であれば、受取総額は9282万円に達するのです。 国から5000~6000万円もらえるというとにわかには信じがたいかもしれませんが、全国の年金生活者がもらっている年金はそれくらい大きなものなのです。 何歳まで生きられるかは「神のみぞ知る」です。かつて長生きリスクは親族が背負い続けるか、背負えなければ悲劇的な末路もあり得ました。うば捨て山伝説は150年前までは現実だったのです。 しかし、今は年金があります。長生きする限り、絶対に必要となるランニングコストを国が払い続けてくれる仕組みが年金なのです。 ■共働き正社員夫婦なら老後の豊かさは広がる 公的年金収入は一人ひとり異なります。自営業者らが加入する国民年金は未納状況に応じて減額されます。会社員らが加入する厚生年金は加入年数が長いほど、高い保険料を納めたほど、将来の年金額が増額されます。 また、夫婦がともに厚生年金に加入していた場合、ダブルで厚生年金をもらえますから、老後の豊かさはぐっと広がります。先ほどのモデルは専業主婦を想定していましたが、夫婦ともに共働きで正社員であれば、月額30万円くらいに増える可能性があります。 仮に30万円とすれば、19.6年の受取総額は7056万円、24.4年で8784万円、35年なら何と1億2600万円ということになります。 共働き正社員夫婦は、今は子育てに、仕事に、と忙しく日々大変だと思いますが、最後は笑って老後を過ごせるはずです。 要注意は「お一人さま」「自営業」「DINKS」 ただし、この安心は会社員の夫婦の話です。自営業者は国民年金しか老後の収入がありませんから、満額であっても年間80万円に達しません。 任意加入の国民年金基金、個人型確定拠出年金(iDeCo)、小規模企業共済など使える手段はフルに使って老後に備える必要があります。 また、会社員でもお一人さまは夫婦合計の年金ではなく1人分の年金ですから、月15.6万円程度です。これもやはり、iDeCoなどで老後の備えが必要でしょう。 さらに夫婦でも要注意なのは共働きで子どものいない「DINKS」です。子育てをしなかった分、生活水準が高くなりがちなので油断をしていると月30万円でもまったく生活できない、ということになります。やはり、計画的な蓄財を行うべきです。 それでも公的年金がなければ、「老後の貯金目標1億円」という無茶なハードルにくじけてしまうはずです。働き方に違いはあれど、やはり、公的年金抜きの老後は成り立たないのです。
2018.09.25
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子どもの学力は「母親の学歴」で決まる…? 文科省の衝撃レポート 2018-8-29 現代ビジネス 文科省がとりまとめた分厚い調査報告書を読み解く 小学6年と中学3年の全員を対象に、毎年4月に実施されている文部科学省の「全国学力・学習状況調査」(全国学力テスト)。それぞれの対象学年100万人以上が一斉に受ける国内最大の調査では、都道府県別の平均正答率が公表されるため、「今年は秋田県が1位」などの報道を見たことをある人は多いだろう。 しかし、テストに付随して行われる保護者対象の「アンケート調査」はあまり知られていない。じつはこちらの調査こそ、日本の「教育格差の真実」が凝縮して示されているとして、教育専門家の間ではむしろ注目されている。 その調査はお茶の水女子大らの研究者が文科省から委託され、小6と中3の児童生徒の保護者から、無作為に10万人規模を抽出。保護者の年収や学歴といった家庭の社会・経済的背景を指標化して4階層に分け、テストの平均正答率との相関関係を分析している。 これまで13年度と17年度に実施され、その調査結果からは「親の収入や学歴が高いほど児童生徒の学力が高い」といった傾向が浮かび上がっている。 今年6月に公表された17年度の調査結果でも、学歴や収入が最も高い世帯は、最も低いそれらの世帯と比べ、たとえば基礎的な数学A問題では24・2ポイントもの差が付いており、エビデンスで裏付けられた。 その一方で、学歴や年収が高くない世帯でも「日常生活で本や新聞に親しむことや、規則正しい生活を促している家庭では好成績の傾向がある」といったことが明らかになっている。規律正しい生活と好奇心、勉強への一定の意欲があれば、学習で工夫を加えれば、家庭環境を克服できる可能性が示された。 こうした調査報告書の概要は報道済みで、保護者の感覚でもそれほど違和感のない内容だろう。 しかし、文科省がとりまとめた分厚い調査報告書を読み解くと、新聞では報じられていない内容がふんだんに記載されている。そこからは、児童生徒の学力と家庭環境との「知られざる関係」がより明確に浮かび上がってくるのである。 父親の学歴より、母親の学歴との関係性が強く出る さっそく見ていこう。 たとえば「家庭環境と子供の学力」の章は、「200万円未満」から「1500万円以上」まで100万円刻みで世帯年収と学力の関係を分析している。年収の高さに比例して正答率の高さも増しているが、注目されるのは、ある程度の高さの年収世帯になると「年収と学力」が直線的な関係を示さなくなることだ。 たとえば、「年収1200~1500万円」世帯の生徒の平均正答率は、「年収1500万円以上」世帯に比べて、国語A・B、数学A・Bのすべてで上回っている。必ずしも世帯年収が高いほど正答率が高くなるとは限らない一例といえよう。 さらに興味深いのは、保護者の学歴と児童生徒の学力との関係だ。保護者の学歴が高いほど児童生徒の学力が高い傾向がみられるが、より詳しく見ると、児童生徒の学力は父親の学歴より母親の学歴との関係性がより強く出ていることだ。 中3の数学Bでは、父親の最終学歴が「高等学校・高等専修学校」のケースだと正答率は44・1%、「大学」になると56・55%に上り、その差は12・4ポイント。一方、母親の最終学歴が「高等学校・高等専修学校」だと43・4%、「大学」になると60・0%になり、差は16・6ポイントに広がり、父親の学歴にともなう差より拡大していることがわかるのだ。 親の単身赴任と子の学力との興味深い関係性 17年度調査では新たに保護者の単身赴任と児童生徒の学力との関係も対象となった。単身赴任世帯は各学校で一定割合含まれることから新項目になったとされるが、結果は「父親が単身赴任している子供の学力は、そうでない子供より高い」という分析が導き出された。 データでみると、小6と中3の全科目で、「父親単身赴任」の児童生徒の正答率がそうではないケースを上回り、特に、中3の数学Aでは3・9ポイントの差がついた。 一方、母親が単身赴任しているケースでは、逆の結果がでた。母親と同居しているケースに比べて児童生徒の正答率は10ポイント程度低くなり、とりわけ中3の国語Bでは52・1%にとどまり、72・5%の同居ケースに比べ20・4ポイントも差が付く結果となった。 詳細な分析説明がないためデータの意味づけは不明だが、さきほどの母親の最終学歴と学力との関係と合わせて考えれば、子供の学力に対する母親の存在の影響力をうかがわせて興味深い。 父親は遅く帰ってきたほうが、子どもは伸びる!? 「保護者の帰宅時間と学力」という調査も親にとっては気がかりなところだろう。結論から言うと、父親については22時以降の帰宅(早朝帰宅を含む)という家庭の子供の学力が最も高いことが明らかになった。 たとえば、小6の国語Aでみると、父親の帰宅時間帯別の正答率は「就業していない」(68・9%)、「16時より前」(72・0%)、「16~18時」(72・4%)、「18~20時」(74・6%)、「20~22時」(77・0%)、「22時以降」(77・9%)、「交替制勤務などで帰宅時間が決まっていない」(72・8%)。 帰宅時間と正答率の相関関係を示しただけで、踏み込んだ分析は示されていないが、こうしたデータだけみれば、「父親の不在により、子供が自宅で勉強に集中できる環境がある」とも読めるが、いかがだろうか。 ただし、こうしたデータを単純に鵜呑みにすることはできない。たとえば、国語Aの正答率について、年収や最終学歴など家庭の社会・経済的背景を指標化して4階層(Lowest、Lower middle、Upper middle、Highest)別にみると、遅い帰宅時間のほうが若干高いが、父親の帰宅時間と学力との間に明確な関係はみられなくなる。社会・経済的背景がよく似た世帯の子供には、それほど学力に違いがないことが浮かぶ。 家庭の蔵書数と学力との関係もおもしろい。(漫画や雑誌、子供向けの本を除いた)蔵書が多いほど、子供の学力が高い傾向が示された。特に、国語より算数・数学の正答率で差が開く傾向が伺える。中3の国語Aでは「0~10冊」世帯の生徒の正答率は70・4%だったのに対し、「501冊以上」は85・4%で15ポイントの開きがあった。 一方、数学Aでは「0~10冊」が55・0%、「501冊以上」は75・7%となり、20・7ポイントもの差がついた。家庭にある子供向けの本と学力の関係でも、冊数が多いほど学力が高くなる関係がうかがえた。 全国学力テストに付随する保護者対象のアンケート調査結果は、巷間言われる「金持ちの子供は学力が高い」という言説をデータである程度裏付けるものであり、高収入と高学歴の親の子供が同じように高収入と高学歴という同じコースをたどり、教育格差が経済格差を固定化させ再生産するという見方につながることはある程度説得力があるのかもしれない。 しかし、ここで示されるのは家庭環境と学力の相関関係であり、必ずしも因果関係ではない。公教育の役割は、経済格差の拡大を招きかねない教育格差の是正・平準化にあるはずだ。全国の学校現場で奮闘する先生たちには、ぜひこの報告書を読み込んでほしい。 . マネー現代編集部
2018.09.23
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実家が資産を食いつぶす!うっかり「相続貧乏」にならない心得 2018-8-22 天野 隆:税理士法人レガシィ代表 ダイヤモンドオンライン いまや相続は押し付け合う時代に!? 親の遺した財産であるはずの「実家」。不用意に受け継いでしまうと、「税金」や「維持費」などで、あなたの資産を食いつぶすかもしれない! 日本一相続を見てきた税理士が、『やってはいけない「実家」の相続』を解説する。 「実家」を相続してしまうと「相続貧乏」になる!? 相続をすればお金が入って得をする――そう考えている方が多いと思います。かつては相続する財産のために、子どもたちが骨肉の争いをするという話があちこちにありました。もちろん、いまでもないわけではありません。それは、相続すれば必ず得をするという意識がもとになっています。 ところが最近になって、別の問題が起きてきました。相続することで「厄介なもの」を押しつけられるというケースが増えてきたのです。 その「厄介なもの」というのが、「住まない実家」です。 預貯金ならば、必ず現金が入ってきます。株券や有価証券も、少なくとも財産はプラスとなります。借金の相続という特殊なケースは別として、こうした相続は、少なくとも損にはなりません。ところが、土地や家屋のような不動産を相続したとなると話は違ってきます。場合によっては、厄介なものを背負いこむことになりかねないのです。 もちろん、相続した家に住むのなら問題はありません。多少の相続税がかかるかもしれませんが、自分の家に住むという大きなプラスがあります。相続税にしても、相続した家に住む場合には大幅に軽減される措置があります。 問題なのは、すでに子どもたちがみな自宅を持っているのに、亡くなった親がひとりで住んでいた場合です。そうなると、子どもたちは家を相続しても、そこに住む必然性がありません。結果的に、相続した実家が空き家になってしまうのです。 空き家を維持するには、金銭の面でも、さまざまなコストがかかってきます。維持するための労力や時間もばかになりません。こうして、「住まない実家」を相続したことで、かえって“相続貧乏”になるというケースが増えてきたのです。 実家をきょうだいで押し付け合う 今、日本では「空き家」問題が深刻になりつつあります。2014年7月に発表された総務省のデータでは、全国の空き家の数は820万戸。総住宅数に占める割合は13.5%となり、過去最高を更新しました。つまり、ほぼ7軒に1軒が空き家になっている計算です。野村総研の試算では、2040年にはなんと全体の4割が空き家になるといわれています。 昔は、相続して実家を手に入れれば万々歳でした。バブル崩壊前は、「土地とお金どっちがいい?」といわれれば、誰もが「土地」と答えていました。土地の価格は常に右肩上がりだという「土地神話」が信じられていたからです。 ところがバブルがはじけるとともに、そうした土地神話も崩れました。所有する土地の価格は、時間がたっても上がらないどころか、下がることも珍しくなくなったのです。しかも、土地や家屋は、固定資産税をはじめ、維持のコストがかかります。 相続で現金をもらえれば、処分する(つまり、お金を使う)費用もいりませんし、維持費もかかりません。しかも何に使ってもかまいません。ところが、相続で不動産をもらうと、元本保証がありません。相続した時点より下がるケースもあります。また、売買するときには仲介手数料がかかりますし、名義変更するときにもお金がかかります。 そういう時代になると、「お金がいい? 土地がいい?」と問われると、「お金」と答える人が多くなるのは当然です。しかも、相続した家に住まないのですから、コストがかかるだけ損になってしまいます。そうして、きょうだいで「実家」を押し付け合う時代になったわけです。 売るに売れない厄介な「実家」 誰も済まなくなった実家を、あなたはすぐに売ることができますか? おそらくほとんどの人は「できない」と答えるでしょう。それが当然の心情だと思います。実家というのは、自分が生まれた家であり、親と一緒に長年過ごした思い出がしみついた家です。それを、親が亡くなって、誰も住む人がいなくなったからといって、すぐに売るという割り切りはできないのが普通の人の考え方です。 ところが、雑誌の相続特集や不動産コンサルタントが著した単行本などでは、「住まない実家はすぐに売ったほうがいい」とよく書かれています。確かに、税制上では早めに売ったほうがいい場合が多いのです。誰も住まなくなっても、不動産を相続した人には固定資産税がかかりますし、維持費もかかります。売ってしまえば、そうした費用はかからず、面倒がありません。 しかし、実際には少なくとも1年はそのままにしているケースが圧倒的です。もちろん、きょうだいにお金を払うために土地を売らなくてはならないなど、緊急にお金が必要なために、すぐに売る人もいますが、それは全体の2、3割程度です。 相続のスケジュールを考えても、なかなか売る決心がつかないことは、よくわかります。なによりも相続税の申告期限が、亡くなってから10ヵ月です。長いようでいてあっという間です。多くの場合、10ヵ月ぎりぎりまでかかりますから、それまでに売る例はあまりありません。 そして、当然ながら、名義変更はきょうだいの間の遺産分割協議が終わってからでなくてはなりません。となると、少なくとも土地や建物の名義が変わるのは、早くて1年近く後になるわけです。結果的に、少なくとも一周忌までは売る余裕もないというのが実情なのです。 もっというと、近隣から苦情をいわれて、どうしても維持できなくなって、やっとあきらめがつくというケースが多いのです。 「住まない実家」は金食い虫!? 住まない実家を維持するのは、簡単なことではありません。 最大の問題点は、「お金を生まない」ことにあります。 売却や賃貸をすれば、相続した土地や建物からはお金が入ります。しかし、そうでなければお金を生むことはありません。それどころか、「住まない実家」は次に示すように、お金がかかる資産なのです。 (1)相続税が割高になる もし、相続した家に住むということであれば、「小規模住宅の評価減」という制度が適用されます。土地の評価額が8割安くなり、それに応じて相続税も軽減されます。しかし、住まないのであればこの制度は適用されません。 (2)家や庭のメンテナンスに手間や費用がかかる 人が住まない家はすぐに荒れてしまいます。きれいに保とうとするならば、ときどき訪ねては、窓を開けて換気したり、雑草をとったりする必要があります。空き家管理サービスもありますが、それも当然費用がかかります。 (3)実家に通う交通費がかかる 家や庭をメンテナンスする場合、実家が遠距離にあると交通費もばかになりません。時間もかかってしまいます。 (4)解体費がかかる 空き家をそのままにすると、やがて周辺から苦情が持ち込まれるようになります。そうなると最終的には解体するということにならざるをえませんが、その場合には解体のための費用が掛かってしまいます。とくに壁などにアスベストを使っていると、そのコストは大きな負担となります。 以上のように考えると、「住まない実家」は、資産というよりも不良資産といった方が適当かもしれません。思い出の詰まった大切な実家も、経済的に見れば、やはり残念ながら“金食い虫”でしかないのです。 「住まない実家」は3年以内に売る 「住まない実家」も、いつかは手放すときがやってきます。 ひとつは経済上の理由です。実家を維持する費用が、自分の生活を圧迫してしまうようになると、いくら実家や親に対する思いが深くても、手放すよりほかにありません。あるいは、売ったお金で自宅を新築したい、新しい事業に使いたいというように、具体的な使い道が見えてきたときに手放すことも多いようです。 もうひとつのタイミングは、家の手入れができなくなって、近隣に迷惑をかけているときです。 「住まない実家」の売却は、3年目が目安になります。なぜなら、住まなくなってから3年目の年末までに売ると、売買金額にかかる税金が安くなるからです。居住用の特例という制度があって、譲渡益3000万円までは課税されません。それ以後になると、20.315%の税率で譲渡益に課税されます。つまり、手取りは約8割に減るわけです。 3年目というのは、気持ちとしてもちょうどいい区切りかもしれません。もちろん、踏ん切りがつかなければ無理に売る必要はありません。それでも売却価格の8割は手元に残るのですから、拙速に売って後悔するよりはいいでしょう。でも、税金の優遇があるという事実だけは頭の隅に入れておいてください。
2018.09.17
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「団塊世代は逃げ切り世代」「団塊ジュニアは貧乏くじ世代」は本当か 2018年5月16日 マネーポストWEB この国の社会には、生まれ年が1年違うだけで「得する世代」と「損する世代」に明暗が分かれる世代間の断層がいくつもある。 例えば、60歳定年と同時に年金が支給されて“悠々自適”の老後を送っているように見える団塊世代(1947~50年生まれ)は「逃げ切り世代」、65歳になる前に“得する年金(部分年金)”を受給できる次の新人類世代(1955~64年生まれ)は「半逃げ切り世代」、65歳になるまで年金をもらえず働かなければならない団塊ジュニア(1970~84年生まれ)は逃げ遅れた「貧乏くじ世代」と呼ばれる。 年金だけを見ると各世代には老後の生活費に明らかに経済的格差が生じる。 そうした世代間格差は、生まれた時から決まっているわけではない。団塊世代が生まれた時の日本の年金制度は自分が積み立てた保険料を老後に受け取る「積み立て方式」だった。これなら、将来少子化が進んでも、年金財政がパンクする心配はなかった。 ところが、団塊世代が社会に出て働き、保険料収入が積み上がると、政治家たちは票をもらうためにその金を高齢者対策などにバラ撒いた。 労働人口が増えていく高度成長期は矛盾が表面化しなかったが、年金を受け取る高齢者が増えると年金財政が急に行き詰まり、政府は年金支給開始を60歳から段階的に65歳まで引き上げる年金大改悪を行ない、将来の支払い額を減らした。新人類世代が社会人になった1985年のことだ。 現在の世代間格差の正体は、政治家が年金失政のつじつまを合わせるための制度改悪でつくり出した世代間の不公平なのだ。だから、世代間の損得の境界線は、これからも政治判断でどんどん変えられていく。 この4月、政府は75歳以上の後期高齢者が病院の窓口で支払う医療費の自己負担を一挙に2倍(1割から2割)に引き上げる方針を打ち出した。 人口が多い団塊世代が後期高齢者になる前に値上げし、75歳になっても医療費を下げない仕組みをつくろうという政策だ。 団塊世代は年金60歳支給で他の世代からは恵まれているように見えても、医療費では負担増のターゲットにされて「損する世代」になるのだ。 「教育」「就職」「出世」「住宅」「結婚」などの面でも世代によって恵まれていたかどうかの環境は違う。 新人類と団塊ジュニアに挟まれたバブル世代(1965~70年生まれ)は好況期に青春を謳歌して就職状況も恵まれていたから、就職氷河期に直面した団塊ジュニアからは「勝ち組」と思われている。 本当にそうなのか。「損した世代」と「得した世代」は政策の失敗とつじつま合わせでそう思わされていることが少なくない。アベノミクスの金融政策や女性活躍社会、働き方改革、税制が少し変わるだけで世代の損得は入れ替わる。 だから、世代間で反目し合えば本質を見失う。重要なのは、少子高齢化で社会の矛盾がどんどん広がる中、政治家が次にどこに世代間の損得の境界線をつくり出そうとしているかを見抜いて備えることだ。 ※週刊ポスト2018年5月25日号
2018.09.16
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これから「長生き地獄」時代に突入する日本人は、最低でも5,000万は貯めろ=鈴木傾城 2018年8月2日 MONEY VOICE 寿命100年が現実的になっている。長生きすればするほど「生き延びる」ために資産が必要になってくる現状で、いったい日本人はいくら用意すればいいのだろうか。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』鈴木傾城) もはや長生きは地獄の一丁目。老後資金を減らさない方法はあるか・・・ついに寿命は100歳へ・・・あなたは自分が何歳まで生きると考えているだろうか? そして、何歳まで生きたいだろうか。80歳だろうか、それとも90歳だろうか。 織田信長は死に直面して敦盛の「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」と詠っているが、1500年代の人間たちは平均寿命は約50歳ほどであった。 しかし今の時代、50歳で死んだら「若くして死んだ」と言われる。日本人の平均寿命は2016年で女性87.14歳、男性80.98歳となっている。 平均寿命はずっと延びている。今後、アンチエイジングの研究がさらに進めば、もっと寿命が延びていく確率が非常に高まっている。 長生きにはお金がかかる ところで、資本主義の世の中では、長生きすればするほど「生き延びる」ために資産が必要になってくる。 高齢化社会が深刻化する中で、日本政府は「生涯現役社会」を実現しようと画策している。しかし実際のところは、65歳も過ぎると体力的にも気力的にも現役を貫くのは大変なことであり、年金と貯金で生きていくのが現実の姿となる。 問題は、老後にいくら必要なのか、ということだ。 老後に必要な貯蓄額は「1,000万円あれば十分」という意見もある。あるいは「5,000万円は必要」という意見もある。 これはその人のライフスタイルによるので、一概に「いくら」とは言えない問題だ。 しかし、仮に貯蓄額が1,000万円で毎月10万円の貯金を取り崩して生きるとすれば、だいたい7年で貯金が底をつくことになる。貯金を取り崩す1ヶ月の上限を5万円にしたら14年は持つ。 ただし、14年の間にインフレが来たり、重い病気になったり、事故に遭ったり、リフォームや家族の不幸などの不意の出費があったりするのは世の常なので、そうなると14年も心許ない。 5,000万円あれば、それほど節約に次ぐ節約はしないでも、何とかなるかもしれない。だが、下手に長生きしたら、やはりどこかで貯金が底をつく可能性はゼロではない。 老後に「資産ゼロ」にならないための方法は2つある 少子高齢化が進行する日本では、このまま何もしないと社会保障費は膨らむ一方なので、年金が増額になる可能性はほとんどゼロに近い。増額どころか少しずつ着実に減額になっていく。 長寿と貯金取り崩しの組み合わせは、最終的には「資産ゼロ」に向かう道なのである。しかし、そうは言っても自分がどこまで生きられるのかは分からないのだから、その道に向かうしかない。 これを避ける道は実は2つある。1つは現実的かつ合理的な話で、もうひとつは本当は現実的だが非道徳なので非現実的だと考えられるものだ。 まず「非道徳なので非現実的」な方から話していきたい。実はこれについては、私自身が考えているものである。私は何をするつもりなのか。 「非道徳なので非現実的」な合理的解決方法? これは、あまり他人には言えない話であり、現に私は今まで他人には一言もこれを言ったことがないのだが、私自身は30代の最初の頃からずっと考えていたことがある。 他人には決して勧めないし、他人に「こんな考え方がある」と言うこともない。自分自身が「そうしたい」と思っているだけで、99%の人は聞いても首を振るだろう。 私は何をしたいと思っているのか。 私は「自分の寿命が100%の確率で分かっていれば、老後資産の問題は解決できる」と実は30代の頃から考えていた。 どういうことかと言うと、たとえば自分が80歳ぴったりに死ぬと思えば、80歳ぴったりに資産がゼロになるように設定してしまえるわけで、自分の死ぬ日が分かっていれば非常に合理的に資産配分ができる。 自分がどれくらいの資産があって、死ぬまでにどれくらいのグレードの生活をしたいかで寿命を決めて、計画的に金を使って資産がゼロになった時点で寿命が終われば、まさに「有終の美」である。 恐怖の本質は、貯金がゼロになっても生き続けること 老後の資金問題というのは、貯金もゼロになってまだ生き続けていることの「恐怖」が本質であると気づけば、それに対する合理的なソリューションは、貯金額と寿命を合致させることである。 つまり、自分の人生が何歳で終わるかを最初から決めておいて、それに合わせて資産管理をして、その日が来たら自分で死んでしまえばすべてがうまくケリがつく。 私自身は資産がゼロになるという心配はすでにしなくてもいい理由がある。普通に生きていれば金は切れない仕組みができあがっている。 ただ私は寝たきりになって介護されて生き続けたいと思わないし、金を残す相手もいない。介護されて生きながらえるくらいなら、自分で自分の人生を終わらせたいと考えている。 そのため、私は人生の終わりの期限を決めている。「それ以上は生きない」という期限を設定している。 私のように、自分で死ぬ時期を設定すればいろんな問題が解決する。自分の寿命が分かっているというのは、意外に幸せなことなのである。 ただ「金がなくなったから死ぬ」とか「介護されたくないから死ぬ」というのは、「生きたくても生きられない人もいるのだから軽々しく言うな」と批判される元になる。 だから、それは合理的解決であるが、口に出して言うべきものではない。そして、仮にそうすると決めても、実際にはそれができる人はそういないだろう。 ちなみに西部邁(にしべ・すすむ)氏は、自分で自分の寿命を決めていてそれを実行した。印象的だった。 老後を考える「ひとつの数字」は5,000万円 長生きしたい人は、永遠に資産がゼロにならないように仕組みを作るしかない。 特に難しいことをする必要はさらさらない。普通のサラリーマンが極限まで節約して何とか貯金できるのは、5,000万円くらいが限界ではないかと私は思っている。 一部のエリートサラリーマンは「たかが5,000万円なのか」と鼻でせせらわらうかもしれないが、大多数のサラリーマンは退職金を含めても貯金が5,000万円には至らないことも多い。 人は金のみで生きているわけではないので、資産がいくらだろうとその多寡は特に関係ない。他人がどれだけ自分より多いかが問題ではなくて、自分がいくら持っているかが問題だ。 仮に何とか5,000万円の貯蓄を積み上げることができた人は「年金と貯金5,000万円で飢えて死なない程度には何とかなる」と私は考えている。 うまく投資すれば「月10万円の配当」を生む 5,000万円を3%以上の配当の優良企業に投資しておけば、年間150万円、20%の税金を引かれても120万円が毎年入ってくる。これは月にして10万円になる。 これに年金を足して、その範囲で生活していれば元手の5,000万円は永遠に減らないのだから、何も問題が起きない限り永遠に困らないことになる。 普通にしていれば金が切れない仕組みというのは、5,000万円以上を3%で回すことで実現できるのである。 インフレが起きたらどうなる? 仮に、インフレが起きたらどうなるのか。 優良企業の株式はインフレが起きたら配当額もインフレに合わせて増えていくので、いずれはインフレに合わせて配当額が増えていく。 おまけに配当だけでなく、長期で見れば株価も上がるので資産は期せずして上昇する局面もある。 そのため、老後を金の問題なしで生きたいと思ったら、日本人は5,000万円以上の貯金を目指すことがひとまずの目標であると言えなくもない。 5,000万円の貯金が現実的だと考える人と非現実だと考える人の2つに分かれると思うが、5,000万円が用意できるかできないかは今の世の中で老後を考える「ひとつの数字」であるというのを意識するのは重要だ。
2018.08.28
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運転やめると「要介護」になるリスク8倍に!? 高齢ドライバーが本当にすべきこと 2018-4-15 NIKKEI STYLE ドライバーを卒業する高齢者が急増しています。75歳以上で運転免許証を自主返納した人は2017年に約25万人。前年から1.5倍に増えました。運転をやめる高齢者の増加は交通安全に効果があるのでしょうか。 まずは返納増加の背景にある交通事故のデータを見てみましょう。75歳以上の免許保有者は540万人と過去10年で1.9倍に増えました。これに伴い死亡事故に占める75歳以上の割合も10年前の8%から足元では13%に上がっています。警察や自治体が免許の返納を呼びかけるのは、ドライバーに占める高齢者の存在感が高まっているためだと言えます。 免許保有者10万人当たりの死亡事故件数は75歳以上が75歳未満の2倍以上で、これだけ見ると高齢者の運転は危険に見えます。ただし高齢者の運転が一概に危険かどうかは議論のあるテーマです。 まず免許を持っている人がいつも運転しているとは限りません。筑波大の市川政雄教授が運転距離のデータを基に計算すると、事故率は80代男性でも20代前半と同程度でした。 さらに高齢者はドライバー自身が死傷する割合が高い一方、相手を死傷させるリスクは他の年代と同じくらいで高くないことも分かりました。市川氏は「世間で思われているほど高齢ドライバーが危険なのではない」と話しています。 このため高齢者に一律返納を呼びかけることに疑問を持つ専門家もいます。山梨大の伊藤安海准教授は「『自分の運転は危ないかも』という健全な意識を持つドライバーから運転をやめてしまう恐れがある」と指摘しています。本当に危険なのは能力が衰えているのに自信過剰なドライバーですが、そのような人たちが返納に応じる可能性は低いというのです。 運転やめると「要介護」になるリスク8倍に!? 高齢ドライバーが本当にすべきこと 運転をやめることが健康を損なうリスクも指摘されています。国立長寿医療研究センターによる65歳以上への調査結果では運転をやめた人が要介護状態になる危険性は運転を続けている人の約8倍に達しました。 このため個人のレベルで「いつ運転をやめるか」は実に難しい問いです。そこでまず専門家がすすめるのは運転能力の把握です。高齢者の免許更新時には講習が課されているほか、ドライブレコーダーで能力を測るサービスも生まれています。伊藤氏は「個々の能力に応じて訓練をすれば、運転寿命を延ばすことも可能だ」と話しています。 日本の高齢者の交通事故死は歩行中に47%が発生しており、米国(16%)やドイツ(27%)に比べて高い傾向にあります。公共交通の整備に合わせ、安全な歩道を造るなど高齢者が安心して免許を返納できる環境整備も欠かせません。 ■伊藤安海・山梨大准教授「高齢者事故の8割は技術で改善」 高齢ドライバーの安心と安全のために何が必要でしょうか。運転能力や支援技術に詳しい山梨大の伊藤安海准教授に聞きました。 ――高齢者の運転免許の自主返納が増えています。 「高齢者にとって自動車は生活を支援する福祉機器の1つだと考えている。体が少々不自由でも頭がしっかりしていれば運転してどこにでも行けるからだ。自動車にはバスから電車への乗り換えのような不便さもない。車にできるかぎり長く乗り続けられるような支援をしていくべきだ」 「運転が危なくないうちにやめるのはマイナスが大きいと思う。運転をやめると認知症が一気に進むケースもある。山梨県で高齢者の運転支援の社会実験を始めて10年になるが、能力の高い人からやめてしまう傾向があるのに気づいた。自己分析がしっかりできるのは能力が高い証しだ。免許の返納を高齢者に一律で啓発すると、そういう人の運転をやめさせることにつながってしまう。特に地方は高齢者の足となる若いドライバーが不足している。能力の高い高齢ドライバーは貴重な戦力でもある」 ――とはいえ、高齢者が引き起こす事故は心配です。 「『心配だから運転をやめましょう』ではなく、『心配ならしっかりした運転能力の診断を』という道筋が大切だ。一口に運転能力といっても、身体機能や情報処理、空間認知などさまざまな能力がある。人によってどの能力が低下しているかにも違いがある。能力の実態を把握できれば、本人の努力と車のアシスト機能によって運転寿命を延ばすことも可能だ」 ――自助努力で大切な点は。 「運転のトレーニングは早く始めることが大切だ。実験で分かったのは、72歳より前はトレーニングの効果がある程度出る。さらに72歳を超えても、訓練を継続する人は能力を維持できる。今後は女性の高齢ドライバーが急増するので、男性との運転特性の違いを把握していくのも大切だろう」 ――車のアシスト機能にはどんな展望がありますか。 「高齢者はとっさの情報処理や空間認識が苦手なケースが多いが、こうした弱点は人工知能(AI)が得意とする分野だ。危険を察知すると一歩手前で車を止める、車庫入れを支援する、といった支援機能は日進月歩だ。加齢による能力の低下はAIで支えやすい領域で、高齢ドライバーの事故の8割は技術で改善できると考えている。逆に若者の無謀とか経験不足のほうがAIで補いにくいのではないか」 (高橋元気) . NIKKEI STYLE
2018.04.23
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この長文の最後のほうの、大きな間違いを指摘しておきたい。皆さんは、どう思われるか? 最後のほうの下記部分は、同意できない。 「死者は、いずれは忘れられていく存在なので、そもそも残された人のなかで記憶されなくてもよいと考える人もいるかもしれない。 だが、その場合でも、残された人の中で「死者は浄土へ行った」「星になった」「草葉のかげで見守っている」など、死後の魂の行き場が必要になる。 死んだら誰からも記憶されず、生きた証しもなく、無になるだけであったら、生きていること自体がむなしくなったりはしないだろうか。」 と言う部分だ。 「死後の魂の行き場が必要になる」・・・はあ? 「魂」などという、時代遅れ、観念論的な「ものの見方」は、どういうことだろう。 筆者の知的レベルに、疑問を強く感じた。 「魂」を誰か見たことありますか・・? 「魂」などというシロモノは、人間が頭の中に作り出した幻影だ。実在しないモノにすがる世界は、まさに観念論の世界そのものだ。 現代心に対しての説得力には欠ける事、甚だしいのではないだろうか? また、「死んだら誰からも記憶されず、生きた証しもなく、無になるだけであったら、生きていること自体がむなしくなったりはしないだろうか。」 とあるが、なぜ、そんなことを断言できるのだろうか?? 前にブログで、指摘したように、「我々が亡き後、自身についての記憶(生きた証)は、自身の子供ぐらいだろうか? せいぜい自身の孫ぐらいで、消えていくことは明らかだ。 「誰からも記憶されず、生きた証しもなく、無になるだけであったら、生きていること自体がむなしくなったりはしないだろうか。」 とあるが、僕は、たとえ「無」になっても、そのことで「生きていること自体がむなしく」は、なりはしない!! 筆者の思考は、混乱しているようだ。古い観念、「思い込み」が、この観念論的な誤謬を生み出している感がする。 最初の「死者は、いずれは忘れられていく存在なので、そもそも残された人のなかで記憶されなくてもよいと考える人もいるかもしれない。」 ・・・それではダメなのか? それしかないだろう!!! 死者は、いつか時とともに忘れられていく・・・それ以外に、何かある??? 古い常識から抜け出せずに、もがいている筆者(小谷氏)の姿が想像できる。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――― 直葬、散骨、墓じまい…進む「弔い簡素化」の行方は 2017-9-18 小谷みどり(第一生命経済研究所主席研究員) 読売新聞 お彼岸の墓参りは日本の伝統行事の一つだが、最近は「墓じまい」や「散骨」を選ぶなど、墓を持たない人も増えてきた。 葬儀も近親者だけで執り行い、弔問や香典は辞退するケースが多くなっている。 何がこうした変化を生んだのか。葬送問題を専門とする第一生命経済研究所主席研究員・小谷みどりさんが解き明かす。 葬儀参列者はなぜ減ったのか 人が亡くなれば、お葬式をし、遺骨はお墓に埋葬される――。今、これが「常識」ではなくなりつつある。 公正取引委員会が全国の葬儀業者に行った2016年の調査では、友人や仕事の関係者、近所に住む人なども参列する「一般葬」が減少し、 「家族葬」が増加している傾向が明らかになった。火葬のみで済ませる「直葬」が増加している、という業者の回答は26.2%もあった。 いわゆる「お葬式」をしない直葬だったからといって、遺族自身は「何もしなかった」とは思っていないこともある。 家族が遺体のそばで思い出を語り合いながら一晩を過ごすのは、遺族にとって死別の貴重な時間であり、遺族の絆を確かめ合う時間でもあるからだ。 前出の公正取引委員会の2005年調査では、5年前と比較して「参列者が減少した」という回答は67.8%だったが、 2016年の調査では86.8%に増加しており、ほとんどの葬儀業者が、お葬式の参列者は減少していると回答している。 その一番の原因は、死亡年齢の高齢化にある。 国の人口動態統計に基づく筆者の計算では、死亡時に80歳以上だった人が全死亡者に占める割合は、2000年の43.8%から 2015年には61.3%に上昇した。 男女別でみると、2015年に亡くなった人のうち、80歳以上の人の割合は男性で50.4%、女性で73.0%だった。 ようやく男性も半数が80歳を超えて亡くなる社会になった。 「人生80年時代」という言葉はずいぶん前から使われていたが、多くの男性にとって80歳まで生きるのは容易ではなかった。 2000年に亡くなった男性で80歳を超えていた人の割合は33.4%。3人に2人はそれ以前に亡くなっていたことになる。 この20年間で男女ともに長生きする人が急増している。2015年には、亡くなった女性の36.0%が90歳を超えていた。 女性にとって、「人生90年が当たり前」という時代はもう目の前だ。 超高齢になると、きょうだいや友人の多くはすでに亡くなっているうえ、親の死亡時に子どもが定年退職していれば、仕事関係などの義理で やってくる参列者は激減する。 これまでの葬儀は、遺族、参列者双方にとって、見栄みえや世間体を重視してきた傾向があったが、60歳ラインを子どもも超えれば、 こうした気遣いは不要になる。 廉価で小規模な葬儀が増えるのは当然だ。 故人が90歳近くで亡くなり、子どもたちが定年退職して何年も経過しているケースでは、故人の死を広く知らしめ、 大勢の参列者に来てもらうのは申し訳ないと遺族が考え、「火葬が終わるまであえて知らせない」という選択をする例が増えている。 広がる「家族葬」 筆者の調べでは、「家族葬」という言葉の新聞紙上での初見は、1998年6月の東京新聞の記事だ。 前年にオープンし、参列者が10人も入ればいっぱいになるほど狭い小型の葬儀会館では、密葬という言葉は使わず、家族葬と 呼んでいたことに端を発する。 その葬儀会館では、祭壇を用意せず、ひつぎを前に家族だけで読経や焼香をする様子が報じられている。 もちろん、それまでも「密葬」というかたちで、家族や身近な人たちだけでお葬式をするという動きはあった。 こうした傾向が少しずつ広がるきっかけになったのは、1992年に亡くなった漫画家、長谷川町子さんのケースだとされている。 納骨が済むまでの35日もの間、遺族がその死を伏せていたことに世間は驚いた。 1996年に亡くなった「寅さん」こと俳優の渥美清さんも、女優の沢村貞子さんも死をすぐに公表せず、告別式も行わない代わりに 「お別れ会」をした。著名人でさえも死を公にせず、家族だけでお葬式をする。世間の人たちもやがて同調するようになった。 家族数人しかいないなら、お通夜と葬儀・告別式を2日間にわたってする必要がなくなる。 「一日葬」「ワンデーセレモニー」と呼ばれるスタイルは、お通夜をせず、いわゆる葬儀・告別式、あるいは宗教的儀式の葬儀式もせず、 身内だけでの告別式をした後でそのまま火葬してしまうのが一般的な流れだ。 1日で終わるので、遺族が高齢の場合には身体的、精神的にも負担が少ない。 弔われない死者 1990年以降の生涯未婚率の急上昇で、一度も結婚しない高齢者が数年前から増加しているという現実がある。 国立社会保障・人口問題研究所が実施した「出生動向基本調査(独身者調査)」によると、1970年には、50歳の時点で 一度も結婚していない男性は1.7%しかいなかった。 2017年に97歳になる人たちだ。しかし、1990年の男性の生涯未婚率は5.6%。2015年の23.4%に 比べればかなり低いものの、1990年に50歳だった人は2015年には後期高齢者に突入している。 これから、一度も結婚していない人が続々と高齢者の仲間入りを始める。現に、2015年に65歳から69歳で、 一度も結婚していない男性の割合は9.1%に達する。 生涯未婚の高齢者は、元気なうちはいいが、介護や看護が必要になったら、頼る家族がいるのか、それは誰なのかという問題が出てくる。 介護や看護はプロに任せればいいにしても、亡くなったときに誰がお葬式をし、誰がお墓参りをするのかという問題が出てくる。 長生きすれば、きょうだいも高齢化する。きょうだいとの関係が疎遠になっていれば、献身的に面倒をみてくれるとは限らない。 これまでは亡くなる人に、妻や夫、子ども、孫がいないというケースはごく少数だった。 これからは、身寄りが誰もいない高齢者が続々と亡くなっていく未知の社会が到来する。 「死んだときに、残される家族がいる」ことが当たり前ではない社会になるのだ。 実際、未婚者だけでなく、離婚するなどして子どもと疎遠になっていたり、何十年もきょうだいと音信不通になっていたりなどの事情で、 火葬後に遺骨を引き取る親族がいない、親族から遺骨の引き取りを拒否される、といったケースも少なくない。 全国の政令市で2015年度に亡くなった人のうち、約30人に1人は、引き取り手のない無縁仏として自治体によって弔われていた という調査結果もある。 その費用は税金で賄われたことになる。大阪市では、1990年には生活保護受給者の遺骨だけで227体を引き受けた (身元不明の行旅死亡人などを入れると336体)が、2015年には1,764体(同2,039体)と8倍近くに増加していた。 引き取り手のない遺骨の増加は、多くの都市が抱える問題だ。親族の中には、「その人とは死んでもかかわりたくない」 「先祖の墓には絶対に入れたくない」「長らく音信がなく、自分にとってはもはや他人だ」という気持ちの人もいるのだろう。 それ以外のケースでも、故人との生前の関係が希薄であったことがうかがえる。 寺とのかかわり 「お葬式は仏式で」という構図も崩れつつある。仏教やお寺が檀家(だんか)にとって、葬式と法事だけで接点をもつ存在となって久しいが、 葬送の変容で寺の経済的基盤がさらに大きく揺らいでいる。 昨今では、菩提寺があることが子孫にとって負の遺産になるとして、「寺と縁を切りたい」と考える高齢者も少なくない。 墓の引っ越しを名目に、檀家をやめる人もいる。 もともと、多くは信仰で結ばれた関係ではなく、葬儀や墓を媒介とする関係であることが多いため、葬送のかたちが変われば 寺との関係も変わるのは当然だ。 一方、首都圏では、菩提寺をもたない遺族が少なくなく、葬儀社を介して僧侶が派遣されてくることは珍しくない。 実際、インターネットで「僧侶派遣」と入力して検索すると、料金を明示した僧侶派遣会社がいくつもヒットする。 「後々、寺との付き合いがないほうが気楽」「料金が明示してあるので安心」と感じる遺族もいるということの表れだ。 「弔いの無形化」の行方 お葬式やお墓は、死んでいく人と、それを見送る側の残される人の双方がいなければ成立しない。 故人を大切に思う遺族がいないのであれば、お葬式は遺体処理で十分かもしれないのだ。 実際、「死んだ後のことはどうでもいい」「遺骨は捨ててくれ」と公言する人が少なくない。「自分は死んだら無だ」と思えば、 死後のことはどうでもいいかもしれない。 お葬式の簡素化や墓じまいに歯止めがかからないのは、その必要性を多くの人が感じないから、というのもひとつの理由だ。 火葬のみ(直葬)で済ませたからといって、遺族は故人をないがしろにしているわけではない。 むしろ、参列者の接待などでばたばたするよりも、亡くなってから火葬までの最後の時間をゆっくりと遺体と一緒に過ごせたことに 満足している遺族もいるのだ。それで遺族が死の受容をできれば、何の問題もないだろう。 その一方で、遺体は亡くなった病院から安置施設や火葬場付設の霊安室へ直行し、火葬に家族が立ち会うだけであれば、 故人と一緒に過ごす最後の時間はない。もし、「それでいい」と思うなら、そうした関係性こそが問われるべきなのではないだろうか。 相手は亡くなっているのだから、遺体と一緒に過ごす時間は無意味だという考えもあるだろう。 それでも、「最後の時間を一緒に過ごしたい」と、残された人が自発的に思えるかどうか。故人と一緒に過ごしたいと思う人が 誰もいない人生は、果たして幸せなのだろうか。 死者は、いずれは忘れられていく存在なので、そもそも残された人のなかで記憶されなくてもよいと考える人もいるかもしれない。 だが、その場合でも、残された人の中で「死者は浄土へ行った」「星になった」「草葉のかげで見守っている」など、死後の魂の行き場が必要になる。 死んだら誰からも記憶されず、生きた証しもなく、無になるだけであったら、生きていること自体がむなしくなったりはしないだろうか。 宗教的な来世観をもたない人が増えてきた現代の日本では、死者は残された人の記憶のなかで生き続けるしかない。 その感覚があるのであれば、お葬式やお墓の無形化は何の問題もない。 しかし、昨今の現象は、死者とのつながりがないからこそのお葬式やお墓の無形化であって、これは、社会における人と人とのつながりが 希薄化していることの象徴でもあるのだ。 そう考えると、弔いの無形化は、互いに信頼し合い、「おたがいさま」で助け合う意識を持てる人間関係が築けない限り、ますます進んでいくだろう。
2018.04.02
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男の老人ホーム入居は不屈の覚悟を --- 中村 仁 2018-2-3 アゴラ 体験者が生の声を綴る 奥さんを亡くされた知人が老人ホーム(介護付き)に入居して満一年、しかも米寿(88歳)を迎えました。その体験記に「ホームでの暮らしには不屈の意思を持ち、周到な準備をされてからの入居をお勧めする」とありました。 「不屈の意思」とは、なんと大げさなと思いつつ、入居の運命が待っている大量の予備軍のために、この話を紹介します。 各種の老人施設の新聞広告はあふれるほどです。全国展開しているチェーンも多く、すでに最盛期、団塊の世代が後期高齢者になる2025年以降はもっと増えるでしょう。広告を眺めながら、供給側の宣伝ばかりが大扱いされる一方、入居者自身がどう感じているかの報告が少なく、情報の非対称性は深刻と思っていました。 入居者が80歳、90歳と高齢化していけば、ネットやブログで内情を伝えようとする意欲もなくなってくるでしょう。そうした意味で、88歳の知人がブログに載せた生の声は貴重です。男性ほど甘い考えを捨ててこいと、叫んでいるのです。 高齢男性は女性に比べて、老人施設の入居になかなかなじめず、後悔する方が多いという話をあちこちで聞きますので、「やはりそうか」と思いました。知人は日本を代表する大手電機メーカーの役員を務め、現役時代に鍛えた観察眼は今も、衰えていません。 同じレベルの話相手がいない 現役時代に責任を持たされ、大きな仕事をしたほど、ホームでの生活は苦痛になるようです。まず、話相手になる人が極めて少ないのです。自己資金で購入したとはいえ、共同生活が基本ですから、人間関係をどう作るかに神経を遣うことなります。 「入居者(現在40数人)の多数は女性です。平均寿命からいっても、そうなります。多くの女性は夫から解放され、舅姑の面倒も必要なく、明るく伸び伸びと毎日を送っている」。対照的なのが男性です。会社生活が長かった人ほど、経済、政治、社会問題などに関心を持ち、そうした話なら飽きずに続けられるのに、それがかなわないのです。 たまに高齢男性がいたとしても、「難聴、脳梗塞の後遺症などがあり、まともに会話を交わせません」。手持ち無沙汰の長い一日をどう過ごすか。贅沢というより、深刻な悩みです。「70歳を過ぎたら、1人で過ごせる趣味をいくつか持ち、いづれは老人ホームに入る準備をしておくべきです。従来の延長線上で考えてはいけない」。 「3食、昼寝付きで、至れり尽くせり。それが災いして、ずっといたら、ボケるのも早いだろう。むしろそれを入れてソロバンをはじいている。ボケれば面倒はかからなくなるし、4,5年もすれば入居者は入れ替わるという経済計算を運営側はしているようだ」。 「自分の意思がはっきりしている人は、運営体制、日常生活について施設側に不平不満をいう。90歳を超えた痴ほうの入居者は、不平不満を言わず、日々、好日。 施設にとってはこういう人が歓迎なのだろう」。 階段を昇れなくなる人も バリアフリーも良し悪しのようですね。「そのうちに筋力が弱って階段を昇れなくなる。スポーツジム通いの習性をつけていたほうがよい」。 知人の観察力はなかなかです。「独りで黙々を食事をする女性がいる。お近づきになろうとしたのか、ある男性が声をかけた。庭の空気でも一緒に吸いませんかと。そうすると、平手打ちをされた」。男に騙されたことがあり、男嫌いの女性だったそうです。 騙されたといえば、「子供に騙されて入居したと、大騒ぎになった例がある」そうです。親を施設に入れれば、子供たちは生活を邪魔されなくて済むとか、親は安泰とかと思う。それが必ずしも、親の気持ちと一致しないということです。 苦労は尽きません。「事業に成功したカネ持ちが、夫婦で入居しています。夕食時には毎日のように、ブランド物の衣装で身を固めて現れる。夫人は多弁、話があちこちに飛び、何を言いたいのかわからない」。困りましたね。 施設やサービスのレベル、運営体制の良し悪しよりも、入居者の同士の人間関係の作り方、1人ぼっちの時間の過ごし方が深刻な問題のようですね。 知人は自宅をそのままにしてあり、時々、休養のために自宅に泊まり、気疲れを癒すのだそうです。 編集部より:このブログは「新聞記者OBが書くニュース物語 中村仁のブログ」2018年2月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、中村氏のブログ(http://blog.goo.ne.jp/jinn-news)をご覧ください。
2018.02.17
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「大都市観光地の半数は外国人」の日本、“観光大あたり”の秘訣は… 2018年1月4日 韓国中央日報日本語版 先月大晦日の夜、日本の有名観光地・浅草の浅草寺周辺は新年を迎えようとする人々でごった返していた。初詣をしようとする日本人と外国人観光客が入り乱れて混雑を極め、浅草寺へと続く列はなかなか前に進まなかった。 この風景を伝えたNHKのリポーターは「ここに集まった人の半分ほどは外国人観光客」としながら「数多くの外国人が新年を日本で迎えようと始めから決めているようだ」と紹介するほどだった。 東京の場合、年末年始の連休で会社や官公庁だけでなく多くの商店がシャッターを閉めていたが、外国人観光客があふれる繁華街は例外だった。 3日も東京中心街・銀座の中央路は中国人観光客をはじめ数多くの外国人観光客が押し寄せ、彼らの財布を開かせようと大型デパートやショッピングモールは通常営業をした。大阪をはじめとする他の大都市も同様だった。 日本は昨年も外国人観光客で「大あたり」だった。昨年1月から11月までで日本を訪れた外国人は2616万人に達し、2016年同期と比べると19%増えた。まだ集計が終わっていない12月まで含めると、2800万人を軽く超える見込みだ。このように日本は毎年のように記録を更新している。 日本政府は「(オリンピックが開催される)2020年に4000万人という目標達成に向けて勢いを加速させ、観光施策に今よりも一段、二段と高い次元で取り組みたい」(先月20日、菅義偉官房長官)という青写真を出している。 2014年(韓国1420万人、日本1342万人)の時点で韓国が上回っていた外国人観光客数は、2015年(韓国1323万人、日本1974万人)に日本に逆転された。2016年には韓国が1724万人・日本は2404万人で、中国のTHAAD(高高度ミサイル防衛)報復で韓国の観光業界が大打撃を受けた2017年の集計ではその差がさらに広がる見通しだ。 このような日本の爆発的な観光客増加は、大都市だけでなく日本各地の姿まで変えている。3日、日本メディアの報道による’と、観光客が押し寄せている沖縄や箱根などには外国人観光客を受け入れるためのホテル建設ブームまで起きている。 ◆沖縄と箱根では外資系ホテル建設ラッシュ 大都市周辺だけでなく、地方のリゾートや観光地周辺にはホテル建設と再開発ラッシュが起きていると産経新聞が報じた。 同紙は「アジアの中間所得層が厚みを増す中、地理的に近い日本の旅行先としての魅力は高い」とし「その潜在能力に着目した外資系ホテルも相次いで開発に乗り出しており、群雄割拠の様相を呈している」と伝えた。 沖縄ではハイアットホテル系列のビーチリゾートがことし8月から営業を始める予定で、ヒルトンホテル系列も高級ホテルと長期滞在が可能なレジデンスホテルの建設に弾みをつけている。最高級施設の星野リゾートも宿泊施設の建設を急いでいる。 東京からそう遠くない温泉地域の箱根にもインターコンチネンタルホテルグループが全室温泉付きのホテルを2019年開業する予定だ。 ◆10年間で5倍に増えた海外の日本食レストラン 3日、毎日新聞の報道によると、2006年に2万4000店だった海外の日本食レストランは2017年には5倍に該当する約11万8000店に増えた。特に、2015年以降の2年間だけで1.3倍伸びた。 地域別ではアジア(約6万3000)、北米(約2万5300)、欧州(約1万2200)の順となっている。最近2年間だけ見ても、中東地域での増加傾向(60%)が最も顕著で昨年950店に増えた。 日本の農林水産省はこのような傾向に対して「増加している訪日外国人客が自国に帰っても日本食を食べたいというニーズがあって増えている」と分析している。 日本国産の農林水産物・食品の輸出額も同時に伸びている。2016年には7502億円と、2012年の4497億円から1.7倍に増えた。 輸出の拡大には、特に政府の役割が奏功したと同紙は分析している。日本政府は昨年4月、日本貿易振興機構(JETRO)内に日本食品の海外プロモーションセンター(JFOODO=ジェイフードー)を新たに設置した。約30人体制で、品目・地域別の市場調査を通じて輸出戦略を立てている。 当初、日本政府は輸出1兆円の達成目標時期を2020年に定めていたが、輸出増加のスピードが加速していることを受け、目標時期を2019年へと1年前倒しすることも検討している。
2018.02.13
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100年前の日本人が「全員結婚」できた理由 「恋愛結婚」が9割の現代は離婚率も増加 2018-1-2 荒川 和久(独身研究家) 東洋経済オンライン 日本はかつて、皆が結婚する皆婚社会でした。 発光体というものは、太陽の下ではその存在すら誰も気付きません。光は闇の中でこそ輝きを放つものです。自由もまた同様で、不自由でなければ自由を感じられないものです。私たちは制約があると不満やストレスを感じますが、それがあるからこそ自由の獲得への欲求が高まります。逆に言えば、自由にさせられると不満もストレスもない分、自由のために行動するという意欲そのものを失うのです。 結婚にも同じことが言えます。結婚が自由化されると結婚意欲を減退させ、未婚化を推進してしまうのではないか。今回はそんなお話をします。 結婚の自由化が未婚化を推進している? 未婚化の原因は決してひとつではなく、さまざまな要因が複層的に影響しあって起きています。が、巷(ちまた)で言われているような「未婚化は若い男の草食化」などではないということだけは断言できます。その論拠については、こちらの記事「『草食系男子の増加』という大いなる勘違い」でもご紹介しましたが、改めて男性の交際相手がいた比率の推移をご覧ください。 少なくともここ30年間、男の交際率は変わっておらず、時代によって交際率が変化したなんてことは統計上はまったく言えません。むしろ、自発的に恋愛ができる男の割合なんてものはいつも3割にも満たず、7割強の男には交際相手はいなかったんです。最近の若者が「恋愛離れ」しているのではなく、バブル時代に青春を過ごした今50代以上の男性も、肉食系のイメージで見られがちですが、例外ではありません。 「それはおかしい。かつてはみんな結婚できていたんだから」というご指摘もあるでしょう。確かにそのとおりです。ですが、だからといってかつての男が積極的だったという証明にはなりません。 日本はかつて、皆が結婚する皆婚社会でした。国勢調査が始まった1920(大正9)年からのデータを振り返ってみても一貫して生涯未婚率は1990年まで5%以下で推移しています。この驚異的な婚姻率が1875年(明治8年)にはまだ3340万人だった人口を、1967(昭和42)年頃には1億を突破させるほど急成長させた原動力でもあります。しかし、それはいわば国家的な「結婚保護政策」のおかげだったことを認識したほうがいいと思います。 近代日本の婚姻制度を成立させたのは1898(明治31)年に公布された明治民法です。誤解されている方も多いですが、ここで定められた結婚のあり方というのは、それまでの日本人庶民の結婚観とは大きく異なります。時代劇や歴史小説などでは主に武家の話しか出てこないため、すべての日本人が武家様式の結婚生活をしていたと思われがちです。しかし、武家人口は江戸時代の戸籍資料によると、総人口に対してわずか7~8%のマイノリティです。 現在の私たちの祖先のほとんどが農民や町人であったわけで、日本人=武士という考え方は間違いです。当時の庶民たちの結婚は、夫婦別姓であり、ほとんどの夫婦が共働き(銘々稼ぎという)でした。何より、夫婦別財であり、夫といえども妻の財産である着物などを勝手に売ることはできなかったのです。 要するに、明治民法が制定されるまでの日本人庶民の結婚とは、限りなくお互いが精神的にも経済的にも自立したうえでのパートナー的な経済共同体という形に近かったわけです。別の見方をすれば自由でもあり、夫婦の関係は対等でした。 明治民法により妻の経済的自立と自由が奪われることに それが、明治民法により、庶民の結婚も「家制度」「家父長制度」に取り込まれることになり、主に妻の経済的自立と自由が奪われることになります。夫は外で仕事、妻は家事と育児という夫婦役割分担制もここから「あるべき夫婦の規範」として確立していきます。 それにより、女性にとって結婚とは生きるための就職のような位置づけとなり、基本的に結婚をしないという選択肢はありませんでした。そこで大いに機能したのが「お見合い」という社会的なマッチングシステムなのです。実は、これこそが結婚保護政策の最たるものです。 お見合いとは、個人の恋愛感情より、家と家という2つの共同体を結びつけるための機能が優先されるものであって、ある面では個人の自由がないと言えます。しかし、むしろ個人最適の選択によらず、強制的な全体最適を目指したシステムだからこそ、皆婚が実現できたともいえます。特に、自分からアプローチできない男にとってこのお見合いシステムというのは神システムだったと言えるでしょう。 お見合い結婚と恋愛結婚の比率の推移をあらわしたグラフを見るとお見合いの衰退は顕著です。戦前戦後時期は、お見合い結婚は全体の7割を占めていましたが、今では5%程度しかありません。しかもこれは結婚相談所きっかけ(約2%)を含みますので、伝統的なお見合い結婚はたった3%程度しか存在しないことになります。そのかわり恋愛結婚が87.7%にまで伸長しています。 恋愛結婚がお見合い結婚を上回る分岐となったのは1960年代後半でした。生涯未婚率が上昇し始めたのは1990年代以降です。それよりも30年以上も前に衰退したのであれば、お見合い結婚減は未婚化には無関係だと思いますか?そうではありません。 1965年に25歳だった適齢期の男性が、生涯未婚の判断基準となる50歳になった時が1990年です。つまり、お見合い結婚比率が恋愛結婚比率を下回った第1世代は、そのまま生涯未婚率上昇の第1世代となったと言えるのです。 職場婚の減少も未婚化に影響 もうひとつ忘れてはならないのが職場での出会いによる恋愛結婚です。これは分類上恋愛結婚とされていますが、当時の職場結婚もまた社会的マッチングシステムのひとつでした。お見合いよりも自由度はあったと思いますが、出会いのきっかけとしてお膳立てされていたということは事実です。しかし、この職場での恋愛は今やセクハラ問題と表裏一体。職場結婚は今後も減少していくでしょう。 お見合いと職場結婚とを合算して1960年代から現在に至る婚姻数の推移をみると、構成比は1960年代の7割から半分の31.9%にまで激減しています。当然全体婚姻数も減っていますので絶対数の減り幅は膨大です。 もっとも婚姻数が多かった1972年と直近の2015年とを比較すると、お見合いと職場結婚を合算した婚姻数のマイナス分は約46万組となり、婚姻総数のマイナス分とほぼ同等です。つまり婚姻数の減少はこれら2つのきっかけの減少分だったと言えるのです。 お見合い結婚から恋愛結婚へと移行したことで明らかに変化したことがもうひとつあります。それは離婚の増加です。 もともと江戸時代から明治の初期にかけては、日本は離婚大国でした。当時、世界トップレベルの離婚の減少に寄与したのもまた明治民法です。この民法によって、家制度型の婚姻や家父長制度が世間に浸透しはじめ、その頃から日本の離婚率は急激に減少しました。 一時1938年には人口1000人あたりの離婚率0.63という世界でも最も離婚しない国になりました。それがグラフを見てわかるとおり、一転1960年代以降の恋愛結婚の比率の上昇カーブとリンクするように離婚率が上昇しています。 恋愛結婚の夫婦のほうが離婚しやすい もちろん「恋愛結婚が増えると離婚が増える」という因果関係までは断定できませんが、お見合いで結婚した夫婦より恋愛結婚の夫婦のほうが離婚しやすいというのは興味深いデータです。 このように、明治民法を起点とした「結婚保護政策」は、結果として婚姻数や出生数の増加に加え、離婚の減少をも生みだしたと言っていいと思います。自己選択権のないお見合いや妻を家に縛り付ける家制度、家族のために粉骨砕身働くことが父親・男としての責務という社会規範など、個人レベルで考えるならば不自由な制約が多かったのかもしれませんが、こと結婚の促進に関しては奏功したと言えるでしょう。 「吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている」とは夏目漱石の言葉です。現代、恋愛や結婚に対して社会的な制約は何もない自由であるにもかかわらず未婚化が進むのは、むしろ自由であるがゆえの不自由さを感じているからではないでしょうか。 ただ、だからといって国家による結婚保護政策に戻すことは非現実的です。皆婚時代を否定はしませんが、冷静に考えれば国民全員が結婚していた状態こそ異常だと考えます。非婚の選択も生涯無子の選択も尊重されるべきですし、一方で結婚したいけどできないという人たちのサポートも必要です。 とはいえ、恋愛強者は男女とも3割しかいません。かつてのお見合いや職場縁に代わる新しい出会いのお膳立ての仕組みが必須なのかもしれません。
2018.02.13
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<民法改正案>相続で配偶者に居住権。 高齢社会に対応 2018-1-16 毎日新聞 ◇法制審議会部会が、民法改正案の要綱案取りまとめ 法務省は16日、死亡した人(被相続人)の遺産分割で配偶者の優遇を図る民法改正案を22日召集の通常国会に提出する方針を固めた。配偶者が相続開始時に居住していた建物に住み続ける権利「配偶者居住権」の新設や、婚姻期間が長期間の場合に配偶者が生前贈与や遺言で譲り受けた住居(土地・建物)は原則として遺産分割の計算対象とみなさないようにすることなどが柱。高齢化を受け、配偶者の老後の経済的安定につなげる狙いがある。 相続法制の見直しを検討している法制審議会(法相の諮問機関)の部会が16日、民法改正案の要綱案を取りまとめた。来月の法制審総会で上川陽子法相に答申される。民法の相続分野の大幅な見直しは1980年以来、約40年ぶり。 新設する居住権は、原則亡くなるまで行使でき、譲渡や売買はできない。その評価額は、平均余命などを基に算出され配偶者が高齢であるほど安くなることが想定される。現行法でも配偶者が建物の所有権を得て住み続けることができるが、建物の評価額が高額の場合、他の相続財産を十分に取得できない恐れが指摘されてきた。配偶者が居住権を得ることを選択すれば、他の財産の取り分が実質的に増えると見込まれる。 例えば、現行法では、夫が死亡して、妻と一人息子が家(評価額2000万円)と現金など他の財産(3000万円)を相続する場合、遺産の取り分は原則2分の1(2500万円)ずつで、妻が家の所有権を得て相続すると現金などは500万円しか得られない。これに対し居住権の評価額は所有権より安くなり、その分、他の財産を多く受け取れることになる。 また、現行法では生前贈与などがされた住居は被相続人が遺言などで「住居は遺産に含まない」といった意思表示をしていなければ、遺産分割の計算対象となる。そのため、要綱案は、婚姻期間が20年以上であれば、配偶者が生前贈与などで得た住居は「遺産とみなさない」という意思表示があったと推定する規定を民法に加えることとした。 このほか、要綱案は、相続人以外の被相続人の親族(相続人の妻など)が被相続人の介護を行った場合、一定の要件を満たせば相続人に金銭請求できるようにする。また、現行で自筆でなければならない自筆証書遺言の財産目録をパソコンで作成することも可能とし、法務局で自筆証書遺言を保管する制度を創設する案も盛り込んでいる。【鈴木一生】 ◇民法改正(相続分野)の要綱案の主なポイント 【配偶者の居住の保護】 配偶者が相続開始時に居住している被相続人所有の建物に住み続けることができる権利を創設し、遺産相続の選択肢の一つとして取得できる 【遺産分割】 婚姻期間が20年以上の夫婦であれば、配偶者が居住用の不動産(土地・建物)を生前贈与したときは、その不動産を原則として遺産分割の計算対象としてみなさない 【遺言制度】 自筆ではなくパソコンなどでも自筆証書遺言の財産目録を作成できる。法務局が自筆証書遺言を保管する制度を創設する 【相続の効力】 遺言などで法定相続分を超えて相続した不動産は、登記をしなければ第三者に権利を主張できない 【相続人以外の貢献の考慮】 相続人以外の被相続人の親族(相続人の妻など)が被相続人の介護をしていた場合、一定の要件を満たせば相続人に金銭請求できる
2018.01.28
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老後資金を失うリスクは「退職金貧乏」から 2017-4-23 長尾義弘(ファイナンシャルプランナー)読売オンライン . 老後の生活を支える大事な資金となる「退職金」。日々、小遣いのやりくりに苦労したサラリーマンは、突然、手にする大金に舞い上がってしまうかもしれない。使い方を誤れば、老後の軍資金はあっという間に底をつく危険もある。どうすれば、大事な虎の子を守り、「退職金貧乏」を回避できるのか。ファイナンシャルプランナーの長尾義弘さんが解説する。 退職金が狙われている! 「退職金」というと、ある程度まとまった金額がもらえると期待すると思います。みなさんが、実際、どれくらいもらっているか知っていますか? 大手企業が加盟している日本経済団体連合会(経団連)の発表(2014年9月時点)によると、60歳・総合職で大卒が平均2357万円、高卒が同2154万円となっています。 従業員が10~299人規模の会社を調査した東京都産業労働局労働相談情報センターの「中小企業の賃金・退職金事情」(16年7月時点)によると、大卒で平均1138万円、高卒で同1082万円となっています。 いずれにせよ、突然、これだけの大金を手にすると、多くの人が戸惑ったり、舞い上がったりしてしまうのではないでしょうか。 実は、この退職金を虎視眈々たんたんと狙っている人たちがいるのです。 「特別プラン」というワナ 退職金は一時金として現金ではなく、銀行口座に振り込まれるのが一般的です。 銀行は、あなたの口座に、「いつ」「いくら」のお金が振り込まれたかという情報が分かります。 退職金が振り込まれると、間もなく、銀行からあなたに何らかのアプローチがあるかもしれません。 銀行を訪ねると、それまでは見向きもされなかったのに、なぜか個室に案内され、支店長クラスの行員から挨拶を受けることだってあります。そんな厚遇にいい気持ちになったからといって、気を緩めてはいけません。 言い方は悪いかもしれませんが、そんなとき、行員の目にはあなたが「ネギをしょってやって来たカモ」に見えているのです。 高金利にはカラクリがある 銀行は、まとまった額の退職金を、ほかの金融機関に移してほしくないという思いがあります。しかし、マイナス金利時代ですから、ただ預金してもらっているだけでは、銀行にうまみはありません。 銀行が望んでいるのは、投資信託、保険、外貨預金などの金融商品を買ってもらい、その手数料収入を得たいと考えているのです。 昨年、65歳で大手電機メーカーを定年退職した千葉県在住のAさんの例を紹介しましょう。給与振り込み、光熱費の支払い、自動車のローンなどで、地元の銀行と長い付き合いがありました。ある日、その銀行から「退職金特別プランのご案内」というパンフレットが送られてきました。 パンフレットを見ると、Aさんは、「金利上乗せキャンペーン」という文字に目を奪われました。銀行を訪ねて詳しく話を聞くと、定期預金の金利がなんと5%と言います。副支店長を名乗る行員は、「今月中に契約してもらえれば、特別に1%上乗せしましょう」と畳み掛けてきます。 「えっ、じゃあ6%の金利!」 Aさんは、思わず身を乗り出しました。「ぜひ、そのプランを活用したい」。はやる気持ちは分からなくもありません。ですが、ちょっと冷静になって、このプランを見てみましょう。 定期預金の金利がとてもいいのに驚くでしょう。このマイナス金利の時代にもかかわらず、金利「6%」をうたう特別プランを出している銀行は珍しくはないのですが、本当でしょうか? 実は、これにはカラクリがあります。 この「退職金特別プラン」の多くは、定期預金と投資信託を組み合わせたプランです。定期預金の優遇金利は「6%」でとても高いのですが、よく見ると「3か月物」とあります。これは、「3か月が過ぎると、通常の定期預金の金利になりますよ」ということです。 もう少し詳しく説明しましょう。 「特別プラン」で得をするのはダレ? 契約したらマイナスに? Aさんがすすめられたのは、2000万円を運用するプランでした。 2000万円の半分の1000万円は、定期預金に預け入れることになります。3か月物で金利6%だとすると、年利換算で1.5%になります。つまり、15万円の利息がつきます。ここまではいいですね。 残りの1000万円は、投資信託の購入に充てられます。投資信託を買うための手数料は通常2~3%。投資信託を3%の手数料で1000万円分購入した場合、購入手数料は30万円です。ということは、この時点ですでに2000万円の退職金から30万円が減ってしまっていることになります。 なんと優遇金利よりも、手数料の方が高いのです。 銀行は、こうした契約を1件得るだけで、15万円の利益が出ます。つまり、契約者は、最初からマイナス15万円のリスクを背負うことになるのです。 元本が保障されている定期預金は減ることはありませんが、投資信託は運用が思うようにいかず、元本の半分程度になっていたという例もあります。そればかりか、投資信託を保有している間、信託報酬と呼ばれる管理手数料がかかります。長期投資が前提となる老後資金の運用において、常に必要となるこの手数料はかなり大きなコストとなります。よほど運用がうまくないと、なかなかプラスにはなりません。 この商品は、リスクが高くリターンが少ない商品とも言えます。せっかくの大事な老後資金です。できるだけリスクの少ない金融商品で運用したいものです。 不動産投資の落とし穴 中堅出版社を定年退職したBさん(67)は5年ほど前から、退職金を使って不動産投資をしようと考えました。研究熱心なBさんは、投資用不動産会社が主催するセミナーに何度も足を運びました。 「家賃収入で豊かな老後を送りませんか」 「都心のワンルームマンションなら値崩れしない」 Bさんは、こんな説明にすっかり気をよくしました。検討した結果、この会社が勧める東京・新宿区にできたばかりの新築ワンルームマンションを購入しました。新築だったこともあり、入居者はすぐに見つかり、家賃収入を得ることができました。 ところが、入居者は2年の契約更新を待たずに退去。近隣で新築マンションの建設が相次ぎ、その後、入居者が見つかりませんでした。そして、1万円以上家賃を下げざるを得なくなりました。 当てにしていた家賃収入は滞ったままなのに、固定資産税、管理費、修繕積立金といった出費が重くのしかかり、ついに、Bさんはマンションを手放すことにしました。売却額は希望とは程遠く、結局、退職金を大きく減らすことになってしまいました。Bさんはすっかり落ち込んでいましたが、こうも言います。 「不動産会社に勧められるがまま、マンションを次から次へと購入していたら、今ごろ退職金どころか貯金まで底をついていた」 今まで手にしたことのないような大金を手にし、気が大きくなってしまうのか、不動産や株式の投資を考える人も少なくありません。 とはいえ、しっかりとした知識を持たず、こうした投資に乗り出すのはリスクが大きすぎます。 もちろん、勉強熱心なBさんのように、セミナーや勉強会に参加する人もいるでしょう。ただ、「売り手」となる銀行、証券会社、不動産会社が主催する説明や相談は、結局、「買わせるためのアドバイス」でしかありません。 それまで一度も投資経験のない人が、いきなり始めて、うまくいったなんて話はほとんど聞いたことがありません。公正中立な第三者のアドバイスを得るようにしましょう。 憧れの世界一周、帰ってきたら… 建設会社勤務だった東京都内に住むCさんは3年前に定年退職しました。 「長年仕事でがんばってきた自分へのご褒美。それと、ずっと支えてくれた妻へのねぎらいの気持ちで踏み切ったんです」 顔をほころばせるCさんが手にしていたのは、「豪華客船で行く世界一周クルーズ」のパンフレットでした。 実は、退職金の落とし穴でよくあるのが、この「世界一周のクルージング」です。世界一周クルーズは、おおよそ1人200万円はかかります。夫婦だと400万円です。 退職金が2000万円の人なら、老後の生活資金が20%減額された1600万円でスタートすることになります。1000万円の人なら、40%減額となり、残りは600万円です。 豪華な旅行が悪いとは言いません。しかし、「せっかく退職金を手にしたのだから……」と勢いで大枚をはたいてはいけません。現役時代からしっかりと計画を立て、積み立てておくべきです。 「若いころは手が出せなかった憧れの高級スポーツカーを買うぞ!」と熱く語る車好きの男性もいました。 今まで我慢をして、頑張ってきたというのはよく分かります。しかし、ここで一気に退職金を使ってしまっては、老後資金があっという間に底をついてしまうか、あるいはその後の生活をかなり切り詰めなくてはならない可能性があります。 現役時代は、多少無駄遣いをしてもなんとかなったかもしれません。安定した収入に加え、ボーナスなどの臨時収入があったからです。しかし、年金だけがたよりとなる老後は、臨時収入を当てにすることはできません。いざというときに、退職金が救いになることも多いのです。 夢の実現はプライスレス? 「第二の人生は自分の夢を追いかける!」 定年後、一念発起して起業しようと考えている人もいるかもしれません。必要な初期費用に、退職金を充ててしまおうというのです。 50歳を過ぎたころから蕎麦(そば)打ちにはまったという地方公務員のDさん(62)。趣味が高じて、いつか、そば店を開きたいと考えるように。定年退職を機に、都内で店舗物件を探していました。「せっかくいい物件を見つけたんだけど、妻と息子が猛反対してね。でも、まだあきらめていませんよ」。日々、蕎麦打ち修業に精を出し、夢を膨らませていると言います。 一方、自費出版を考えているというのは横浜市に住む60代のEさん。趣味の登山とカメラを生かし、自分史をしたためたいと考えているそうです。若い頃から撮りためた写真の数々を整理する姿に、妻がいやな顔をしているとこぼします。それもそのはずで、自費出版は制作部数にもよりますが、300万~400万円かかるケースもあります。 夢を追うのは悪いことではありませんが、現実の生活もよく考えましょう。夫婦の溝が深まり、老後を支えあうどころか、熟年離婚にもなりかねません。 退職金を狙う「甘い誘惑」 退職金という大金とともに、自由な時間も得ることになります。ところが、「さて、何をしていいか分からない」という高齢者も少なくありません。中には、パチンコや競馬などのギャンブルにはまってしまう人もいます。実際、昼間のパチンコ店をのぞくと、高齢者の姿を多く目にします。 また、お酒が好きだという男性は、キャバクラ店などで「急にもてるようになった」などと勘違いすることもあります。頻繁に通える時間ができ、金回りが良くなったとなれば、接客のプロたちが見逃すはずがありません。 詐欺まがいの安易なもうけ話にも注意が必要です。「未公開株」「海外不動産」「FXファンド」「海外コイン」「動物・植物などへの投資」など、その手口はさまざまです。「自分だけは大丈夫!」と思っている人はとくに危険です。 退職金は、あの手この手で狙われるのです。 退職金を現役時代の「ご褒美」と考えてしまうと、つい財布のヒモを緩めてしまうかもしれません。しかし、退職金は、長い第二の人生に必要な軍資金であることを忘れないでください。
2018.01.25
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『永遠の0』岡田准一は「薄給」使い捨てだった 2014.5.8 北見 昌朗 PRESIDENT Online 日本軍の給与にみる、今なお続くニッポン学歴主義 ベストセラー百田尚樹氏の『永遠の0』を読みながら、私が気になったのは給与だ。「主人公の宮部久蔵は現場叩き上げの人間であり、高い給与をもらっていなかった気がするが、果たしていくらだったのだろうか?」(編集部注:本作は映画化され、主人公・宮部を俳優・タレントの岡田准一が演じている)。 疑問を抱いていた時に手に入ったのが『名古屋陸軍造兵工廠史 陸軍航空工廠史』(名古屋陸軍造兵工廠記念碑建立委員会発行)という本だ。 パラパラめくっていていくと「軍人給与」(昭和20年)という項が目に入った。 軍人の給与は、「月額俸給」(基本給のようなもの)のほかに「戦地増俸月額」(満州・朝鮮・台湾など地域ごとに決定)「出戦手当」「死亡賜金」が出ていたようだ。 本を読み終えた私の感想は、60年以上も前の軍人給与の仕組みは、現代もそのまま続いているのではないか、ということだった。 その給与は、職階ごとに決められていた。上は大将・中将・少将から、下は二等兵まであった。驚いたのは、二等兵の給与の低さである。 二等兵は甲と乙があり、乙の人は、月額俸給が6円でしかない。それに「戦地増俸月額」が赴任地によっていくらが付く訳だが、「出戦手当」はナシで、「死亡賜金」はたった150円しか付かなかった。この二等兵が頑張って活躍して軍曹に昇進したとしても、月額俸給は26円でしかない。 「兵隊あがりの少尉」は月給70円(理髪20回分)ももらえない 『永遠の0』の主人公の宮部は海軍だったから若干違うかもしれないが、宮部の給与がいくらだったのか想像してみよう。 宮部は大正8年生まれ。久蔵の父は相場に手を出して失敗して首を吊った。母も病死。おかげで宮部は経済的理由で中学校を中退。カネもなく、身よりもなく、昭和9年に海軍に16歳で入隊した。 海軍の下士官は当時、口減らしで入った人が多かった。久蔵は最初、海兵団に入り兵器員となり、次に操縦訓練生(操練)になってパイロットになった。「操練」は一般の水兵から航空兵を募ったものだ。飛行訓練を経て最初に配属されたのは横須賀航空隊。宮部は昭和12年の日中戦争に、戦闘機のパイロットとして参加するなど腕を上げた。宮部は真珠湾攻撃に参加して、空母赤城の搭乗員だった。搭乗員の技量が高いのは、空母赤城と加賀に乗っていて第一航空戦隊と言われたので、まさにエースパイロットだった。 宮部は昭和17年(24歳 海軍入隊9年目)にラバウルに配属になったが、その頃は「一飛曹」で、下士官の一番上だったという。この「一飛曹」というのが陸軍の給与兵には載っていないが、仮に「軍曹」クラスだったとすれば月額俸給は26円でしかない。 昭和18年の時は「少尉」になっていたが、宮部のような兵隊上がりの少尉は「特務士官」と呼ばれ、兵学校出の少尉より一段下にみられていた。陸軍の給与表では「少尉」は月額俸給70円である。 問題は、この給与の値打ちがどれだけあるかだが、当時の物価を調べてみると、例えば理髪代は、昭和15年に50銭だったが、昭和16年には1円50銭になり、18年には3円20銭に跳ね上がっている。そして昭和20年には3円50銭になった。 月額俸給で、何回理髪に行けるか?ということで、その値打ちを想像できることだろう。「少尉」の月額俸給70円は理髪20回分だ。つまり兵役はお国のために尽くすことだから、薄給が当たり前なのだ、という感覚だったのだ。二等兵はまさに使い捨てだった。 一方、大学在学中に予科練を志願し、特攻隊になった若者はいくらの給与だったのか? 大学出はいきなり少尉になったから、最初から高い(?)給与をもらえた。 海軍兵学校を出てきたエリートは、いきなり少尉になり、その後は出世階段を駆け上っていく。中尉85円、大尉137円へと上がり、まして大将ともなると550円になる。これは二等兵の25倍だ。 非エリートが一生浮かばれない仕組みは、今も同じか 問題は、この兵学校出の秀才が戦場ではまったく役に立たなかったことだ。作戦というにも値しない愚かな戦争ばかり繰り返し、国を滅ぼした。秀才だったはずの幹部はなぜ無能だったのか? 彼らはペーパーテストに強かっただけで、知識があっても知恵がなかった。 軍人の給与表は、見た目だけで判断すると、選抜能力主義の形式を整えているように見える。だが、その内容は差別的で、どんなコースで採用されたかによって身分が生涯固定化されてしまう。日本軍の敗北は、人事制度にも原因があったことは明らかだ。 残念なことに、この人事制度は今でも役所や企業で生きている。とりわけ大企業の就活においては、出身大学によってエントリーさえできず門前払いをくらう学生が多数おり、また成果能力主義を導入しているといっても学歴が出世に大きく関わる企業が多いのが現実だ。 企業内でも、ペーパーテストが強いだけで知恵のない者がトップに立てば、いずれ組織は滅びる。硬直的な人事制度がヒトを活かすことはできないのだ。
2018.01.16
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これは、一つの意見だが・・・簡単に結論は出ないと思う。 民営放送では作れない良い番組が無くなれば、大問題だ。と言っても、「不公平感」も良くわかる。 国営放送でない「公共放送」?を如何に維持していくのか? 「大本営発表」の苦い体験を継いで、それが繰り返すことの無いような運用システムを如何に作り上げていくのか? 我々の知恵が試されているのだろうか? 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん)――――――――――――――――――――――――――――――― NHKの費用は税金で賄おう 2017-12-11 塚崎公義 Yahoo!ニュース NHKの受信料を払わない人が増えています。これについて、久留米大学商学部の塚崎公義教授が改善策を提案します。 . 受信料という料金徴収方法が困難に NHKの受信料は、払いたくない人からも強制的に徴収できるのでしょうか。最高裁は12月6日の判決で、NHKが裁判を起こして受信契約を確定させれば契約が成立する、としています。これを反対から読めば、「受信料を払いたくない」という人は、NHKが裁判を起こさなければ払わないでも良い、ということになります。 これは、NHKにとって大惨事です。払わない人に対して個々に裁判を起こしたら、莫大な費用がかかりますが、裁判を起こさなければ払わない人が激増してしまうでしょう。前門の虎、後門の狼、といった状態です。 これは、抜本的な制度改正が必要でしょう。このままでは「正直に受信料を払っている人が損をする」ということになりかねませんから。 それ以前の問題として、金持ちも貧乏人も同額の受信料だ、という点からして問題です。税金が累進課税であるのと逆なので、「逆進的」だという問題があるのです。 公共放送をやめてしまうという選択も 「受信料を払わない人は見られないような装置を付ければ良い」という意見もあるでしょう。そうなると、「NHKを見たいなら受信料を払え」ということになります。現在すでに存在している民間の営利企業と真正面から競合することとなりますから、「経営として成り立つのか」という極めて重要な疑問が直ちに湧きます。 最低でも大リストラは必要でしょう。国鉄がJRになって、民間企業として頑張っているのだから、NHKも同様に、と言うイメージでしょうか。 さらに大きな問題は、公共放送ではなくなる、ということです。経営を維持していくためには、人々が見たがる番組を作る必要があり、突き詰めれば単なる金儲けを目指す団体となっていくはずです。 NHKのホームページには、公共放送が必要な理由が記されていますが、筆者が納得したのは「緊急災害時には大幅に編成を変更し、正確な情報を迅速に提供するほか、大河ドラマや紅白歌合戦のような関心の高い番組だけでなく、教育番組や福祉番組、古典芸能番組など、市場性や視聴率だけでは計ることのできない番組も数多く放送しています」という部分です。 福祉番組等々については、赤字ローカル線をどうするか、という問題が国鉄の時もありました。NHKについては、政府が広報予算を用いて番組を提供する、ということで対応可能かもしれません。 問題はニュース番組です。民放は、視聴率がとれそうなニュースを優先するでしょう。それは当然のことです。極端を言えば、民放が芸能人のスキャンダルばかり放送している間にNHKが北朝鮮情勢を報道する、といったこともあり得るでしょう。 「国際政治関係ニュース特集」などという視聴率の低そうな番組に巨額の取材費を投じる民放はないでしょうが、それは日本にとって必要な番組なのです。 税金で賄うとNHKが「政府の宣伝機関」となる? NHKを税金で運営する、というのが今ひとつの選択肢です。税金でお笑い番組を作る必要はありませんから、ニュースや福祉番組等々に限って放送するのです。もちろん、朝のラジオ体操も。 「国営放送がニュースを流すなんて、全体主義国家のやることだ」といった反対意見が出てくることは当然でしょう。政府を信頼している人としていない人がいるわけですから。 共謀罪の時もそうでした。「政府が悪いことをする可能性」と「政府が何もしないとテロリストが悪いことをする可能性」とどちらが高いのか、意見が分かれました。 今回も、「税金を投入しないと困ったことになるが、税金を投入すれば大丈夫」と考えるのか、「税金を投入すると、もっと困ったことになる」のか、意見が分かれるのは当然でしょう。 筆者は、税金投入に賛成です。筆者は、ある程度政府を信用していますが、それが理由ではありません。政府が「世論誘導などの悪いこと」をしようと思えば、今の体制でもできるからです。 政府を信用している人は、「政府が世論誘導するはずがない」と考えれば良いし、政府を信用していない人は「政府は今でもNHKを使って世論誘導しているのだから、税金が投入されても事態は悪化しないだろう」と考えれば良いのです。まあ、後者の場合はNHK解体論に傾きやすいでしょうが。 筆者が政府を信用している理由の一つは、国立大学を見ているからです。国立大学は税金で運営されていますが、決して政府を礼賛する教育が行われているわけではありません。政府に批判的な国立大学の教授は大勢います。それと同様に考えれば良いのではないでしょうか。仮に現在の国立大学の教授たちがNHKの経営をしたとして、政府を礼賛する番組を作るとは思えないのです。 なお、本稿は厳密性よりも理解しやすさを重視しているため、細部が事実と異なる可能性があります。ご了承ください。
2017.12.18
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なぜ「食べ放題」や「ビュッフェ方式」の店が潰れずに儲かるのか 2017-11-24 塚崎公義(久留米大学商学部教授) ダイヤモンドオンライン街にはさまざまな外食のお店が立ち並んでいる。店には流行り廃りもあるが、いつも人気なのは食べ放題の店。食欲旺盛な客ばかり集まってきて、本当に儲かっているのか心配にもなるが、どうしてつぶれないのだろうか。その秘密を探ると、意外なビジネスモデルが見えてくる。(久留米大学商学部教授 塚崎公義) 食べ放題の店でも、固定費は増えない 企業のコストは、「固定費」と「変動費」に分けられる。変動費とは、売り上げが増えるとコストも増える部分であり、レストランでいえば材料費が代表的なものだろう。一方の固定費は、売り上げに関係なくかかる費用であり、レストランでいえば店を借りる費用、つまり家賃や正社員の給料などである。 レストランの場合、材料費が売り上げに占める比率は高くないといわれているので、ここでは3分の1としよう。 普通のレストランでは、1500円の料理を提供しているとすると、変動費は500円である。客が1人も来ないと、レストランは固定費分だけ赤字になる。客が1人来るたびに、1500円と500円の差額である1000円分ずつ赤字が減っていき、いつかは黒字になる。 黒字になるために必要な売上高を「損益分岐点」と呼び、それを超えれば客が1人増えるたびに利益が増えていくことになる。 また、普通のレストランでは、客が来て注文してからコックが働き始めるため、コックがフル稼働するのは昼食時と夕食時だけだ。逆に言えば、コックが昼食時と夕食時に作れる料理の分しか客を受け入れることができないことになる。一方でビュッフェ店の場合、コックが朝からずっと料理を作ることができるので、コックがフル稼働して作った分だけ客を受け入れることができる。 客席の回転率でもメリットは大きい。普通のレストランでは、客は注文してから料理が出てくるまで待っていなければならないので回転率が悪い。だが、ビュッフェ店であれば、入店すると直ちに客が食べ始めるので回転率がいいのだ。また、注文を間違えて作り直すといった手間がないこともメリットと言えそうだ。 普通のレストランでは、メニューにある料理をすべて提供できるよう、多品種少量の材料をそろえて待たなければならず、かなりの部分が使われずに廃棄されることも少なくない。だが、ビュッフェ店では使う材料だけを仕入れればいいので無駄もない。場合によっては、少品種多量の仕入れで済むこともあるので、値引き交渉だって可能だ。 このように、食べ放題の店は売り上げに占める変動費の小ささで儲けているといえ、ビュッフェ店はそれに加えてコックの効率の良さなどでも儲けているのである。それで客が満足しているのであれば、まさに「ウイン・ウイン」の関係といえる。 「元を取るまで頑張る」のは 非合理な行動で大間違い 店の立場を離れて、客の立場で考えてみよう。「3000円で4500円分の料理が食べられるから、食べ放題の店を選ぶ」というのは正しくない。というのも、4500円分の料理が口に合わなければ、それは苦痛なだけだからだ。 そして、料金を払って着席したら、払った代金のことは忘れよう。予想外に早く腹一杯になっても、「元を取るまで頑張る」人がいる。元を取った後も、少しでも多く食べようと無理をして頑張る人もいる。 しかし、頑張っても払った金は返ってこないのだから、払った金のことは忘れて、その時点で自分が一番幸せになれる選択肢を考えるべきだ。極端な話、店の料理が口に合わなかったら、食べずに出て自宅でお茶漬けでも食べよう。「払った金を損する」だけの方が、「払った金を損した上に、まずい物を無理して食べる不愉快さを味わう」よりマシだからだ。 このように、払ってしまって戻ってこない費用のことを「サンクコスト」と呼ぶ。払ってしまった金のことを考えて非合理的な選択をする人は意外に多い。 サンクコストは、さまざまな場面で人々の非合理な行動を引き起こす。例えば、買った本がつまらなくても、最後まで読む人がいる。これは、「買った本の代金を損する」代わりに、「買った本の代金と読んだ時間の両方を損する」という愚かな選択だ。食べ放題のレストランや読書時間くらいならまだいいが、ビジネス上の経営判断を誤る例も多いので、注意が必要である。
2017.12.12
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「専業主婦」が2億円をすでに損している理由 2017-12-3 橘 玲(作家) 東洋経済オンライン ある高名な日本人作家が夫婦で海外旅行中に、いろんな国の人たちが集まるパーティに参加したときのことだ。参加者と雑談していたら、「どこから来たの?」「どこを観光したの?」という話題に続いて、「どんな仕事をしてるの?」という質問を受けた。 「私はハウスワイフです」。専業主婦の奥さんがそう答えたら場の空気が凍りついた。 ■欧米諸国で「専業主婦」は絶滅危惧種 「専業主婦」は、欧米諸国ではもはや絶滅危惧種だ。日常生活で「ハウスワイフ」と出会うことなどまずない。その奥さんは、海外のパーティでこうした体験を繰り返したことにうんざりして、「家でときどきピアノを教えています」と答えるようにしたという。 厚生労働省が2013年に実施した意識調査によると、15~39歳の独身女性の10人に3人が専業主婦になりたいと希望している。でも、こんな話を聞いたらどう思うだろう? 「専業主婦は2億円をドブに捨てている」 「専業主婦には自由に使えるおカネがない分、自由もない」 「専業主婦が離婚すると最貧困になるリスクが高い」 過激すぎることを承知で書いているが、それほど専業主婦とは過酷で弱い身分である。 拙著『専業主婦は2億円損をする』でも詳しく解説しているが、大卒の女性が60歳まで働くと、平均的な収入の合計は約2億円といわれる。パートに出れば多少は小遣いを稼げるかもしれないが、結婚して仕事を辞めて、家事や子育てに専念するということは、その2億円が稼げなくなるということを意味する。 結婚を考えている男性にしてみれば、自分の給料だけで妻子を養うか、夫婦で働いて自分で稼いだおカネはある程度自由に使えるかの差は大きく、相手を選ぶ条件の1つにもなりうる。自分1人だと生涯に稼ぐおカネは2億~3億円かもしれないが、夫婦2人なら4億~5億円にもなりうる。 幸せに暮らすには、もちろんおカネが重要。でも、あればあるほどいいというわけでもなくて、「これ以上収入が増えてもうれしさはそんなに変わらないよ」という金額のラインが、実はある。 アメリカでは、それは7万5000ドル(約800万円)、日本では800万円とされている。日米でその金額は同じだ。ただし、これは、「大人ひとり」の収入だ。子どものいる夫婦の場合は年収1500万円くらいになる。 1人暮らしで年収800万円なら、おしゃれなレストランでデートしても、休日にプチ旅行を楽しんでも、夏休みに思い切って海外に行っても、それなりに貯金ができる。子どものいる家庭で年収1500万円なら、たまに夫婦で外食して、夏と冬に家族旅行をして、バレエでもサッカーでも子どもに好きな習い事をさせても、銀行口座の残高を気にする必要はないだろう。 これは要するに、「人並みの幸福」とされていることを、おカネを気にせずにできる、ということだ。そして、いったんこの水準に達すると、「近所のビストロ」を「ミシュランの星つきレストラン」に変えても、「箱根への家族旅行」を「ハワイ」にしても、幸福感はそれほど変わらない。 ■世帯年収1500万円はとても難しい 1人暮らしの30代で年収800万円は手の届く目標だとして、子どものいる家庭の目標である世帯年収1500万円はどうだろうか。夫しか働いていないのなら、これがものすごくむずかしいということはすぐにわかる。上場企業でも平均年収1500万円を超えるのはほんの数社だけ。超大手企業で順調に出世すれば実現は可能かもしれないが、それも労働者全体で見れば一握り。おカネのことを気にしなくてもいい生活ができる高収入の男性は、ほんの少ししかいない。 それがわかっているからこそ、専業主婦志向の女性は婚活に必死になる。お金持ちの夫を手に入れるのは、いまや宝くじに当たるようなもの。というか、これは宝くじよりずっと確率の低いギャンブルだ。 高収入の男性はいくらでも若くてかわいい(専業主婦願望の)女性がやって来るから、そもそも1人の女性と結婚する必要などない。そのことがだんだんわかってきたので、いまや婚活は「当たりくじのない宝くじ」のようなものになってしまっている。 「おカネと幸福の法則」から幸福な家庭をつくろうとすると、夫が1人で1500万円稼ぐ「専業主婦モデル」よりも、夫婦が力を合わせて世帯収入1500万円を目指す「共働きモデル」のほうが、ずっと成功確率が高くなっている。 なぜなら、年収1500万円の人より、年収800万円の人のほうがずっと多いからである。これは、1+1=2のような単純な話なのである。 ■専業主婦には人生の選択肢が少なすぎる 日本では働く女性10人のうち、結婚後も仕事を続ける人は7人。出産を機に退職する人が3人もいる。ところが、専業主婦には人生の選択肢が少なすぎる。ない、といってもいいくらいだ。大学、就職まで男女平等だったのに、仕事をやめて、子どもを産んだ途端に状況は一変してしまう。 もっとも、頑張って、子どもを育てながら働こうとしても、想像を絶する苦労がある。職場での扱いが極端に変わって、メインのコースからはずされることもしばしば。そんなことが積み重なって、やり甲斐を失い、仕方なく専業主婦を選ぶ人もいる。 ただ、日本の社会には圧倒的な男女格差がある一方で、少子化と人口減のため日本経済は空前の人手不足になっていて、これからますます深刻化していく。超高齢社会とは、高齢者の数が(ものすごく)増えて、若者の数が(ものすごく)少ない社会。「若くて働ける」女の子の価値はどんどん上がっていく。 男性が「僕と結婚して専業主婦になって子どもを産んでください」と言ったら、今の働き盛りの女性は次の4つのことを考えるだろう。 (1)自由がなくなる (2)仕事のキャリアが途切れる (3)これまでのように友だちと付き合えなくなる (4)家族とも気軽に会えなくなる 女性のほうだって自由に使えるおカネがなくなって、再び稼げるようになれるかもわからないリスクを抱え、子育てや家事に追われるのもごめんだと思ったとしても無理はない。 だとすれば、憧れの女の子と結婚したい男性は、「仕事だって続けられるし、家事もちゃんと分担するから、結婚や出産で失うものよりも楽しいことのほうが絶対多いよ!」と提案したほうがいいだろう。こういう選択が幸福な家庭をつくっていく。 今の日本の非婚化や少子化とは、社会が「結婚して子どもを産んでもロクなことがない」という強烈なメッセージを、若い女性に送っていることを映していることにほかならない。
2017.12.06
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海外の日本食店、2年で3割増。アジア・中南米で伸びる 2017-11-8 朝日新聞 農林水産省は7日、今年10月時点で海外にある日本食レストランの数が約11万8千店で、2年前の前回調査時より3割増えたと発表した。 特にアジアや中東、中南米の伸び率が5~6割と高かった。 海外238カ所にある日本の在外公館が、現地の電話帳や飲食店サイトなどにある店を数えた。この方法で調査を始めた13年は約5万5千店、15年は約8万9千店だった。 地域別では、アジアが約6万9300店(15年比5割増)、北米が約2万5300店(同微増)、欧州が約1万2200店(同2割増)、中南米が約4600店(同5割増)など。 国別では、1位が中国で4万823店、2位が米国の2万2890店だった。 農水省は日本食店向けの食品輸出を支援していく方針で、相手国の輸入制限の緩和なども働きかけている。 7日には、イスラムの教えに沿った処理などを条件にマレーシア向けの牛肉輸出が7年ぶりに解禁され、米国とは日本から土産物として牛肉を持ち込む際の手続きの簡素化で合意したと発表した。(山村哲史)
2017.11.19
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健康的な生活で平均寿命10年増。1位は日本の83.9歳 2017年11月11日 AFP通信(パリ/フランス) 【11月11日 AFP】経済協力開発機構(OECD)が10日に発表した報告書によると、加盟国35か国の平均寿命はこの50年で10年程度延びており、中でも健康的な生活を送り、所得が高い層ほどその傾向が強い。 OECDの「図表で見る医療(Health at a Glance)2017年版」によると、米国、カナダ、オーストラリア、日本と大半の欧州諸国を含む加盟国では1970年以降、平均寿命が10年以上延び、80.6歳に達している。 平均寿命が最も長いのは日本とスウェーデンでいずれも83.9歳。スペインとスイスの83歳がそれに続いている。最も短いのはラトビアの74.6歳、次いでメキシコの75歳だった。 同報告書は「より健康的な生活、より高い所得、より優れた教育はすべて、この数十年で寿命が延びている要因となっている」「より良い医療もその一助となっている」と指摘。 喫煙率の低下と医療費の支出増加も貢献している。 一方で肥満と有害なアルコール摂取への取り組みはほとんど成果を挙げておらず、大気汚染が看過されることも多い、と報告書は警鐘を鳴らしている。 仮に喫煙率とアルコール消費量が半減すれば、平均寿命はさらに13か月延びると予測している。 同報告書によれば、平均寿命が延びている主な要因は医療支出の増加だが、10年前の金融危機以降、医療支出の伸びは鈍化している。(c)AFP
2017.11.11
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「年金支給、75歳から」説にある勘違い。むしろ受給者は得に ビジネス2017.10.18 290 by 『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』 巷では「年金支給開始年齢が75歳に引き上げられる」という噂がひとり歩きしていますが、無料メルマガ『年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座』の著者・hirokiさんはこれを全面否定。実際は、「受給者本人の意思で受け取り開始年齢を75歳にすることもできる」ように制度を変えようとしているだけなのだそうです。では、75歳から受け取るということは「現実的」なのでしょうか。その疑問にもhirokiさんが明確に答えています。 年金支給開始年齢が75歳になるっていう誤解 なんか…年金支給開始年齢が75歳になるとかならないとかっておかしなウワサが広まってますよね。ちょっと変な誤解が広まってはならないと思って、有料メルマガからの一部ではありますがお知らせメルマガとして配信します。 支給開始年齢が75歳とか間違った噂が広まってますが、違いますからね^^;。まだ案の段階で決まってもないですが、あれは65歳から貰う年金を「受給者本人の意思で75歳からの年金支給を選択できるようにもしたいなぁ」ってだけの話です。 今の年金制度の中に、普通は65歳から年金を貰うはずが自分の意思で年金受給を最大70歳まで遅らせる事により、65歳から貰うはずの年金を最大この5年間(60ヶ月)で42%増額させる年金の繰下げ制度っていうのがあります。65歳以降1ヶ月遅らせるごとに0.7%ずつ年金が増えていくという他の金融商品にはありえないほどの利率が付いていく非常におトクな制度です。 ※注意 年金の繰下げについてはいろいろ注意点がありますが、この記事では省いて話を進めます。 この最大70歳まで遅らせられる繰下げ制度を75歳まで出来るようにしたらどうか? って話なんですよ(笑)。だから、例えば65歳から貰える老齢厚生年金が100万円で老齢基礎年金が70万円なら70歳まで繰下げしたら元々の年金総額は170万円ですよね。各々42%増額する事により老齢厚生年金は142万円になり、老齢基礎年金は994,000円になります。年金総額は2,414,000円になります。たった5年遅らせるだけで総額が714,000円アップ! じゃあ今回の75歳まで遅らせる事も可能になればどうなるか? 1ヶ月で0.7%増えるから、0.7%×120ヶ月(10年間)=84%増額になる。さっきの65歳時の老齢厚生年金100万円と老齢基礎年金70万円なら、75歳まで繰下げしたら84%増で老齢厚生年金184万円+老齢基礎年金1,288,000円=3,120,000円となり、65歳時点の170万円より1,428,000円増額になりました。たった10年遅らせるだけでとんでもない増額ですよね(笑)。 しかし、この繰下げ制度を利用してる人はかなり少数です。全体の2%もいかないくらい。やはり早めに年金を貰いたいのでしょう。それに年金受給を遅らせてる間に障害年金や遺族年金を貰えるようになったら、繰下げはその時点で出来なくなります。障害基礎年金のみの人は例外的に老齢厚生年金の繰下げはできる。それに長生きに自信があるとか、70歳まで貯蓄があるとか労働してるような人じゃないとなかなか厳しいですからね。70歳までの今の制度でもほとんど利用者が居ないのに、75歳まで引き延ばせるようにしてもそこまで年金受給を遅らせられる人が一体どれほどいるのか…。 それにしても、この年金の繰下げをすると本来の65歳から貰い始めた人よりも年金の受給を遅らせる年金の繰下げをやった人の年金総額はいつ逆転するのか? って気なるところでもあります。これは11年10ヶ月が損益分岐点となり、それ以降は繰下げした人が年金受給総額が上回り続けます。 上の65歳から年間年金総額170万円の人が70歳から貰い始めた場合は70歳から42%増額の2,414,000円(月額201,166円)になりますが、11年10ヶ月後の81歳10ヶ月時点で年金受給総額が28,565,660円となります。81歳11ヶ月分だと、28,766,826円。 逆に普通に65歳から170万円(月額141,666円)受給の人なら81歳10ヶ月時点の年金受給総額は28,616,660円となります。81歳11ヶ月分だと28,758,326円となり、70歳から繰下げした人の受給総額に負けてしまう。繰下げした人は11年10ヶ月が損益分岐点でそれ以降貰えば、年金総額は65歳から貰う人を逆転します。だから、65歳から貰う人より総額は多めに貰いたいなら82歳くらいまで生きられるかどうかです。 ちなみに、どこから繰下げしても11年10ヶ月が損益分岐点。例えば67歳5ヶ月で繰下げしたら、29ヶ月×0.7%=20.3%の増額ですが、79歳3ヶ月で損益分岐点となりそれ以降は繰下げした人が得になります。 さて、今回の75歳年金受給選択案ってもので65歳から貰った人と比べてどこで損益分岐点を迎えるか。これも11年10ヶ月です。つまり、75歳から貰い始めた人は86歳10ヶ月より長生きしないと65歳から貰う人より総額は下回るって事です。まあでも65歳(170万円)から10年間年金受給を遅らせて、75歳から84%増えた3,128,000円を貰うとすればかなり生活のゆとりが増すといえばそうですね。 ただ、今の平均寿命が男性81歳で、女性は87歳の今はあんまり現実的ではないですね^^;。特に男性は…。今の時代は90歳くらいまで生きる人も珍しくはなくなりましたけど、ただ長生きするという事と、健康でイキイキと過ごすのとではまた違いますからね…。健康寿命に関しては平均寿命のマイナス10歳くらいとなっています。だから今だったら70歳代前半くらいまでがなんとか健康で活動的に暮らせる平均年齢。平均寿命よりもこの健康寿命を延ばす事の方が大事と思っています。 ところで、75歳まで繰下げを引き上げるとなるとまた別の問題が出てきます。それは、年金繰下げ中に死亡した場合です。今は年金貰うのを忘れたり、遅らせてたりしても年金の時効は5年だから過去5年分の年金まで遡って年金を一時金として貰えるんですよ。だから例えば年金の繰下げ中でちょうど70歳で死亡したら、繰下げしないで65歳から本来の年金(上の例なら年間170万円×5年分=850万円)を遺族が未支給年金として受け取る形になります。 しかし、75歳に仮に繰下げを引き上げてしまうと、例えば年金の繰下げ中で73歳で死亡したら68歳分までしか年金が遡って貰えず、65歳から67歳までの3年分の年金が時効で失われてしまう。この辺もなんとかする必要が出てきます。
2017.11.10
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なんでも遺伝子のせいにするのは、如何なものか?? しかし、思い当たる部分も、一部にはある。 それと、上流階級という言葉には、抵抗を覚えるが・・ 誰しも上昇志向はあるが、性格、気質などは、遺伝子的な説明ができる部分もあるだろうが、説明できない部分も多いのが、人間社会だ。 以前、書いたが、もし、1995年1月17日に東灘区に住んでいたら・・・2011年3月11日に東北を旅行していたら・・・今の僕は、存在しなかったかもしれない。そういう運命的な部分は、個人の努力や、持ちあわっせた自分の遺伝子では、どうしようもないものだ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 上流階級の遺伝子 ROSSさんの大阪ハクナマタタ(ブログ)から 動物生態学の研究者「竹内久美子さん」の著書から、遺伝子と上流階級にとっての学問・・・・ 竹内さんは <上流階級(の遺伝子)に最も重要なことは、賭博にのめりこんで財産をすっからかんに失くしてしまう性質、つまり財産を無くすくらい賭博にのめり込み、相手のカモとなりやすい「カモ遺伝子」とでも言うべきものを乗せていないこと> と断言しています。 <さらに婚姻を通じて家系の中にうっかりカモ遺伝子を呼び込んでしまわないこと。そこで上流階級の遺伝子は、カモ遺伝子を発見し、排除する方法を(遺伝子自身が)考案した> それが<学問である。何の役にも立たない学問、金儲けになんか絶対にならない学問。それらを「アホらしい、つまらん」と思う人には、カモ遺伝子が乗っている可能性が大きい> <逆に、学問に夢中になってしまう人には、カモ遺伝子が乗っている可能性が非常に小さい。なぜなら、賭博にのめりこむための遺伝的性質と学問に夢中になるための遺伝的性質とは、ことごとく正反対だから> <そもそも学問などという変なものに夢中になるには、随分特殊な性質が必要である。世の中の森羅万象の謎に興味を持ち、探求したいと思う心、学んだことをどんどん吸収してゆく力や記憶力> さらに<論理を楽しむ心、深い洞察力、わからないことをわからないと認める正直さ、自分を客観的に見すえることのできる力、何事にも努力する姿勢、忍耐力、粘り強さなど>(これと正反対が、賭博ですっからかんとなりやすいカモ遺伝子的性質の持ち主となるようです) <上流階級の人達は、学問を通じて人の輪をつくった。その同盟内で婚姻してカモ遺伝子の侵入を防いできた>だからカモ遺伝子を持つ可能性の高い(下々の)人との結婚に、家柄が違うと猛烈に反対したのでしょう。 <学問は、残念ながらそれ自体が意味を持って発生してきたものでは無さそうである。賭博があってはじめて学問があり得た> つまり学問は、上流階級が持つ遺伝子が、賭博のカモとなる遺伝子を排除するために考案したものと結論づけられるようです。 参考文献:賭博と国家と男と女 竹内久美子著
2017.09.04
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日本人移住者の課題は収入増? ニュージーランド 2014-9-25 クライストチャーチ日々是好日 Kazzy(ブログ) ニュージーランド統計局が発表した国勢調査(2013年)の結果によれば、日本人の数は1万4118人(2重国籍の子を含む)。 大卒以上の資格を持つ大人は23.6%で、国内平均の15.8%より高いです。 しかし、教育水準は高いのに、収入の中央値は1万4700ドルで、全体の中央値2万8500ドルの半分です。この点が気になります。 この国のライフスタイルに惚れて、高収入だった日本の仕事を辞めて移住してきた人は、私の周りでも珍しくないです。実際、日本より低収入でも、生活の質(Quality of life)は、むしろ日本にいた時より良いという話も良く聞きます。確かにこの国では、お金を使わなくても幸せを感じられます。レジャー施設が充実していて、無料で使えることが多いです。 ですが、ここ数年の物価高もあり、「お金があればもっと幸せでしょ」という風潮が年々強まっているように感じます。これからも、この国に住む同朋が、幸福を感じられる状況であって欲しいですが、少々不安です。 日本人の約半数(47.6%)がオークランドに住み、71%が北島に29%が南島に住んでいます。 つまり、南島の日本人は4094人しかいません。 その6割、2568人がクライストチャーチを含むカンタベリー地方に住んでいます。首都ウェリントンには1164人と少ないです。 女性の方が数が多く8883人(63%)、そのうち半数に子どもが一人以上いて、半数には子どもがいません。男性は5235人(37%)です。 15歳以上の男性の66%、同女性の56%が働いています。 男性の収入の中央値は2万3900ドルで、女性は同1万1300ドルです。 日本と大きく違うのは年齢構成で、平均年齢が女性33.2歳、男性は何と19.8歳、若いっ!これは国際結婚の女性が多く、しかも男の子が多く生まれているからです。65歳以上は2.9%しかいません。NZ全体は14.3%です。こうしてみると、日本人移民は現役世代で、この国の次世代を育んでいることが良く分かります。 そして、日本人ではない夫の稼ぎや年齢が、日本人の統計からは除外されるため、男性の収入や平均年齢が統計上は低くなっている可能性が読み取れます。それならば、あまり心配することはないのかもしれません。
2017.08.14
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予断と偏見を極力排して・・・もう一度、日本を見つめなおしたい。 (はんぺん) ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 海外メディアで報じられ、世界が驚いた日本人のアノ行動! 「これが日本人か…」衝撃の民度の高さ【海外が感動する日本の力】 (YouTube動画)東北大震災 https://www.youtube.com/watch?v=jTbwydBrk2w ――――――――――――――――――― 海外が感動する日本の力、悲惨な事件:平成熊本地震…いまも自衛隊や警察、消防隊の賢明な救助活動が続く中、海外からも熊本地震への反応が多数よせられているようです。台湾はいちはやく義援金5000万円以上のお金を寄付することをきめ、感謝感謝ですね。海外の反応が寄せられていましたので、その一部を動画にてご紹介します。 熊本地震に海外がみた日本の力! (YouTube動画) https://www.youtube.com/watch?v=C44B_xpDE9M&index=104&list=PL0NtTbCf5Jr39tLzuah2XkcEBSxnxUMgA ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 世界では、子供が大人の付き添い無しに通学できる国は、驚くほど少ない・・それが世界の現実だ。僕たちは、それが、当たり前になってしまっているが、再認識するべきだろう。 【海外の反応】「俺の国では夢のような話」 たった1枚の写真に日本の凄さを見出す海外の人々!! (YouTube動画) https://www.youtube.com/watch?v=g-4T9bOUYNI ――――――――――――――――――――――――――――― 空港のアナウンスで異例の対応!台湾が日本好きな理由…『この恩を忘れない』【海外が感動する日本の力】 (YouTube動画) https://www.youtube.com/watch?v=l4NwoxEV_lA
2017.07.26
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以前から、主要には欧米側からの「捕鯨批判」には、大きな違和感を感じていた。 これまで何度か、皆さんに資料を提供してきたが・・・覚えておらえるだろうか? 牛や馬、豚や鳥を平気で、食物として利用する人たちが、(鯨だけは特別だ)とするなら、 それは、明らかにおかしいと思う。そんなダブルスタンダードが通用するはずがない。 これは、食文化の違いで、他国に自分たちの生活様式や考え方を押し付けるべきではないのだ。 日本は、その点、(これまでの慰安婦問題と同じで)堂々と正当な主張を抑えてきた(控えてきた?)傾向があって もどかしく思う。 言うべきことは、堂々と言うべきだ。 言うべき時に、(ことが大きくなるのを恐れて?)言わないことによって、後で大きな後悔をすることになる。 慰安婦問題では、事実と異なる「ウソ」が、ねつ造されて、それが大きく悪用された。 大いなる誤解が、世界中を席巻している。悲しいことだし、愚かなことだ。 皆さんは、どう思われるか? (はんぺん) ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 外国人とは分かり合えない、捕鯨を文化として繋いできた日本の歴史 2017-5-12 伊勢雅臣『国際派日本人養成講座』 2009年に公開された『The Cove(ザ・コーヴ)』というドキュメンタリー映画、ご記憶の方も多いのではないでしょうか。 和歌山県で行われているイルカ追い込み漁を厳しく批判する内容の映画で、この作品の評価を巡って国内でも大きな論争が巻き起こりました。 今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』では、イルカ漁と同じく海外から「野蛮だ」との批判を浴びているクジラ漁、 つまり「捕鯨」について、外国人のみならず当の日本人もあまり知らない歴史を紐解きつつ、その「批判の是非」について考察しています。 日本人はクジラの供養塚を建ててきた 捕鯨は江戸時代には日本各地で盛んに行われていたが、捕鯨の港の近くのお寺には、必ずと言って良いほどクジラの供養塚や墓がある。 さらに、捕れたクジラ一頭ずつに戒名をつけ、供養している所まである。 昔からクジラを利用してきた国々は多いが、このようにクジラの霊を供養してきたのは、日本だけである。 また、我が国ではとれたクジラは肉だけでなく、骨はかんざしや櫛に、ヒゲは楽器に、内臓は各種の薬に、というように、すべての部位を利用してきた。 我が先人たちはいただいたクジラの命に感謝して無駄なく利用し、その上でクジラの霊が成仏するように祈ったのである。 これとは対照的なのが、アメリカの捕鯨である。19世紀中葉には、アメリカの捕鯨船は日本近海までクジラを捕りに来て、 そのために1万頭ほどもいたセミクジラは1,000頭ほどに激減したと言われている。 それも灯油や機械油とするために、体重の10パーセントほどしかない脂肪をとるだけで、残りの肉も骨も内臓もすべて海に捨てていた。 アメリカ国内で石油が発掘されるようになると、捕鯨は衰退し、今度は一転して「クジラを捕る民族は野蛮だ」「クジラがかわいそうだ」と言い始める。 その変わり身の早さは別の問題として、日本人にはクジラに対して、他国民にはない、格別な思い入れがあった事を知っておく必要がある。 縄文時代からクジラを食べていた日本人 日本人とクジラとのつきあいは、有史以前に遡る。8,000年から9,000年前の縄文時代の貝塚から、たくさんの鯨類の骨が出土している。 たとえば縄文時代の前期から中期のものと言われる長崎県平戸市にあるツグメノハナ遺跡の貝塚からは、たくさんのクジラやイルカ、サメなどの 遺骨が出土している。クジラの解体や皮剥などに使ったと思われる石器も出てきている。 興味深いのは、クジラの骨の加工品も出土していることだ。箸のような突き刺す物や、首飾り、腕輪などの飾り物である。 日本列島の近海は、北からの親潮、南からの黒潮が合流するので、もともと多くの魚が集まる。それを追いかけて、クジラがやってくるので、 日本近海は世界で有数のクジラの多いところなのである。 海流に乗ってやってきたクジラが湾内に迷い込み、浅瀬に乗り上げて動けなくなることも少なくなかった。縄文時代には、こうしたクジラを 捕獲していたと思われる。 弥生時代に入ると、船を使って、湾内に迷い込んできたクジラを捕獲する、より積極的な捕鯨が行われたと考えられている。 長崎県壱岐市の原(はる)の辻遺跡から出土した約2,000年前(弥生時代中期後半)の甕棺(かめかん)には、捕鯨の絵が残されている。 興味深いことに、縄文時代、弥生時代ともに、複数の集落から同じクジラの個体の骨が出土していることが判明している。 すなわち、クジラが一頭揚がったら、かなり広い範囲の集落に肉が配られ、近隣で分かち合っていたようだ。 久治良(くじら)、勇魚(いさな) 古事記、日本書紀、風土記、万葉集など、日本で最初の文献類にも、すでにクジラが登場する。古事記には神武天皇がクジラを食べたという記述がある。 原文ではクジラは「久治良」と表記されている。 「常陸国風土記(ひたちのくに、ふどき)には、現在の茨城県久慈(くじ)郡の地名は、そこにある丘のかたちがクジラに似ていることから、 「倭健命(やまとたけるのみこと)が久慈と名付けた」とある。 クジラは勇魚(いさな)とも呼ばれ、クジラをとる人を「いさなとり」と呼んだ。「いさな獲り 海の浜藻の」と、「いさなとり」が海にかかる枕詞に なっている歌が、日本書紀に出てくる。 万葉集でも「いさなとり」という枕詞を使った歌が12首もあり、当時の貴族階級の生活に、クジラが浸透していた様子が窺われる。 奈良時代には仏教の影響力が強く、肉食禁止令が出るほどであったが、海で獲れるクジラは「勇魚」、すなわち海の魚と考えられていたため、制約はなかったようだ。 平安時代にはクジラが捕れると、その肉を塩や醤油、味噌につけて京に送った。これを京の都に住む貴族や上級武士たちは、好んで食べていた。 室町時代になると、文献の中でクジラの記述が飛躍的に多くなる。当時、位の高い貴族や武士の宴会では、「式三献」という儀式があった。 杯が酌み交わされてから、海の物、山の物、野の物、里の物という順に食べ物が出てくるのだが、海の物の中では、鯛(たい)、鯉(こい)に次いで鯨肉が出てくる。 室町末期に書かれた『四條流包丁書』という料理書には、食材としての魚の格付けが載っているが、そこでは最高の鯉の次がクジラなのである。 クジラは普通の魚よりもずっと味が濃厚で、活力源となるタンパク質や脂肪も豊富である。おいしく、栄養源としても優れた食材として、珍重されていた。 江戸時代には鯨食が庶民にも広まった 江戸期になると、庶民の間にも鯨食が普及していった。当時の江戸の町を描いた絵を見ると、居酒屋の軒先に「鯨」と書かれているものがある。 元禄時代に刊行された『本朝食鑑』は、さまざまな食べ物が登場するが、「毒がなく、最も人の体に良くて美味しいものは何かといえばクジラである」と書かれている。 江戸時代中期には、『勇魚取絵詞(いさなとり・えことば)というクジラの専門書も出版されて、クジラの種類、捕り方、解体の道具と方法、 部位の名称などがすべてまとめられている。その付録の『鯨肉調味方』には、クジラの67の部位のすべての調理法が記述されている。 一般的な食べ方としても、生で刺身として食べる、鍋で煮て食べる、その他、ハリハリ鍋や、味噌で煮込んだクジラ汁など、 調理法のバリエーションも非常に多かった。 特に鯨肉は米食との相性も良かった。米には味噌漬けや醤油漬けなどのしょっぱいものが合う。味噌や醤油のうまみはグルタミン酸によるものだが、 そのうまみをクジラのイノシン酸は美味しく引き立てる。イノシン酸の多い鰹節が、醤油の味を引き立てるのと同じ作用である。 米を主食とし、醤油や味噌を多用する日本人の食生活の中で、鯨肉はまことに相性の良い食材だった。 捕鯨技術、保存技術の進歩 鯨食が庶民にまで普及したのは、供給面の発達と、保存・運搬方法の進歩による。 正徳3(1713)年ごろに出版された『和漢三才図絵』は絵入りの百科事典だが、そこには日本列島の地図が載っていて、各地方の捕鯨地が記されている。 現在の佐賀県呼子、和歌山県太地、北海道松前、長崎県五島列島などが捕鯨の中心地であった。 井原西鶴の『日本永代蔵』には、和歌山の太地にいた「クジラ突き(クジラを銛で打つ人)」の名人、太地角右衛門をモデルにした男の話が出ていて、 歌舞伎にもなっている。この男は約60メートルのセミクジラをしとめて、前代未聞の大きさであると書かれている。 その後、この太地で、丈夫な麻で造られた巨大な網を使った捕鯨法が考案された。何隻もの船で沖合に、小学校の校庭ほどの大きな網を張り、 クジラをここに追い詰めてから銛で突いて弱らせ、網船で引っ張ってくるという捕鯨法である。これは歴史的に見ても、世界中どこにもない、 日本独特の捕鯨方法であった。 これによりクジラは逃げる事もできず、また沈んでしまうことも防げるので、捕鯨の効率が飛躍的に高まった。この捕鯨法は全国に広まっていった。 また各地で捕鯨のための組織「鯨組」が成長していった。鯨組を構成するのは、海上での捕鯨従事者、陸上での解体、加工、運搬従事者、采配する親方などを 含めて中規模組織で700人程度。太地では3,000人もの規模があった。当時としては、銅山などとならんで、鯨組はもっとも大きな産業組織ではなかったかと言われている。 保存技術の進歩もあった。獲れたクジラを塩漬けにすると、長期間、保存できるが、塩のために水分が抜けて、かさかさになってしまう。 それを防ぐために稻わら(荒いむしろ)で巻くと、水分が保存される。これでおいしさを何ヶ月も保てるようになった。 海から取れる塩も、また稻わらも、我が国には無限にあったので、この保存方法は、まことに好適であった。 「いただきます」という言葉は日本人だけのもの 冒頭に述べたように、全国の捕鯨地のお寺には、たいていクジラの墓や供養塔がある。このようなクジラ供養が始まったのは、鯨組ができて 発展していった1700年頃からである。 人間が生きるためとは言え、クジラを殺し、食べる事に対して、申し訳ないという気持ちがあったからであろう。どうか成仏して欲しい、という気持ちで、 クジラ一頭一頭に対して、位牌をつくり、供養塔を建て、戒名をつけた。このような文化を持つ国は日本以外にはなかった。 考えてみれば、米にしろ、パンにしろ、肉や魚、野菜にしろ、人間が食べるものは、すべて生命あるものである。そういう命をいただく事によって、 我々の命は成り立っている。『鯨は国を助く』の著者・小泉武夫氏は、こう指摘している。 だからこそ、食べ物に宿る命は大事に、粗末にしてはならないのだ。そこには感謝がなければいけない。日本人の「いただきます」という言葉は、 あなたの命をいただかせていただきますという意味なのである。実は、この「いただきます」と同じような意味を持つ言葉は、日本以外にはどこにもない。 例えばキリスト教では食前に神に感謝するが、生き物や食べ物に対する感謝ではない。 あなたの命をいただかせて「いただきます」という言葉は 日本人だけのものである。 (『鯨は国を助く』小泉武夫・著/小学館) そしてクジラの命をいただく以上、その一部でもムダにしては申し訳ない。だからこそ、我々の先祖は、骨や歯、ヒゲ、内臓に至るまで、 すべての部位を有効に活用してきたのである。 食物連鎖の中で生かしていただいている・・・捕鯨反対の理由の一つとして「クジラを殺すのは可哀想だ」と言う声があるが、クジラ以外の牛や豚や羊や鶏は殺しても可哀想ではない、 というのは理屈が通らない。 植物しか口にしないベジタリアンがこう言うのなら、まだ分かるが、極論を言えば、植物にも命がある。すべての動植物は、食物連鎖の中で 他の命をいただきながら、自らの生命を保っているのである。 我々の先祖は、自分たちもこの食物連鎖の中で生かしていただいている、という感覚を持っていた。それがクジラの墓を作り、 またすべての部位を無駄なく使わせていただいてた、という行為に現れている。 忘れ去られた「いただきます」の知恵 明治以降、西洋諸国から近代的な捕鯨方法が導入された。遠洋まで出かけられる大型船で、捕鯨用の大砲や銛を備え、それまでの網捕り方式とは 比較にならないほどの大量のクジラが安全確実に捕れるようになった。 我が国も、この近代捕鯨法を導入し、世界有数の捕鯨国にのし上がった。捕鯨が全世界の海洋で競って行われるようになり、各国が捕鯨数を競い合う 「捕鯨オリンピック」なる言葉までマスコミで使われるようになった。 この近代化の過程で、日本人は「いただきます」の心を忘れ去ってしまったようだ。クジラへの感謝の気持ちも、その成仏を祈る心も忘れ、 ちょうどアメリカの捕鯨船がクジラの脂だけとって後は捨ててしまったように、クジラを大量生産・大量消費の「資源」としてしか考えなくなったようだ。 そして多くの捕鯨国が、こうした姿勢で世界中の海洋で捕鯨競争に奔走した結果が、クジラを一時、絶滅の危機にまで追い込んだのである。 欧米流の考え方では、地上の資源はすべて人間のためにあるとして取り尽くしてしまうか、それを防ぐために聖域として一切の利用を禁ずるか、 の二者択一の発想しかないようだ。これは、あまりにも単純な発想である。 クジラの命を感謝して、無駄なくいただきながら共生を図る。日本古来からの「いただきます」の知恵を今こそ思い起こすべき時ではないか。
2017.05.25
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「一番公正な歴史教科書は日本」米スタンフォード大学 2011-8-24 BLOGOS 次に少し長いが、如何に日本の教科書が一番公正かという米国の論文の記事コピーを載せておこう。 「公正」で「抑制」された日本の歴史教科書に対しては、国内から「もう少し国家観をだしては」という意見があるくらいに 「誇張の無い控えめ」な記述であると分析された。 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― 序文:昨年(2010年)12月に読売新聞が報じた「日本の歴史教科書は最も抑制的」というスタンフォード大学の調査報告について、 スタンフォード大学の学者が雑誌サピオに論文「日米中韓台の比較研究で分かった一番公正な歴史教科書は日本」を寄稿している。 戦争賛美せず 愛国心あおらず 日本は最も抑制 :先の大戦に対する各国の歴史認識問題が、アジアの国際関係に影を落とし続けている。米スタンフォード大学アジア太平洋研究センターは、 日中韓と米国、台湾の高校歴史教科書比較研究プロジェクトを実施し、日本の教科書は戦争を賛美せず、最も抑制的だと指摘した。 研究チームの主要メンバーである日本史学者ピー ター・ドウス氏に研究成果を、元米紙東京特派員ダニエル・スナイダー氏 (スタンフォード大学アジア太平洋研究センター副所長)に研究の趣旨を報告してもらった。論点スペシャルとして紹介する。 日本の教科書 :今回比較した中では日本の教科書が最も愛国的記述がなく、戦争の賛美などは全くしていない 。 日本の中国進出についてのくだりは全く事実をそのまま伝えており、当時の軍と政府のリーダーたちの責任だとしている 。 非常に平板なスタイルでの事実の羅列であり、感情的なものがない。 韓国の教科書 :韓国の教科書は特にナショナル・アイデンティティーの意識の形成に強く焦点を当てている。自分たち韓国人に起こったことを 詳細かつ念入りに記述している。韓国の教科書は、中国で起きた戦争に関する記述が希薄だ 。 韓国は日本の中国に対する行為には興味はなく、日本が自分たちに行ったことだけに関心がある 。私が驚愕した一つの例は、主要な韓国の 教科書には広島長崎の原爆投下の記述がないことだ。それほどまでに彼らは自己中心的にしか歴史を見ていない。 米国の教科書:米国の教科書は日中戦争について多く語っていない。米国の教科書は、第二次世界大戦について、アジアよりも ヨーロッパでの戦争の方により焦点を当てる傾向がある。 ニュルンベルク裁判についてはたくさんの記述があるが、東京裁判については大変少ない。 中国の教科書 :歴史学の観点から見て、最も問題が多いのは中国の教科書だ。 中国の教科書は全くのプロパガンダになっている。共産党のイデオロギーに満ちており、非常に政治化されている。 太平洋戦争に関してほとんど記述がなく、広島・長崎の原爆投下もほとんど言及していない。 中国の教科書は2004年に改定されているが、改定後は中国人の愛国心を謳い、日本との戦いを強調している。内戦の話は後退し、 抗日戦線での勇ましい描写が増えた。南京事件などをより詳細に記述するなど、日本軍による残虐行為もより強調されている。 つまり中国人のナショナリズムを煽っている。 台湾の教科書:国民党支配下で書かれた古い教科書には、中国王朝の歴史だけを学んでいた。 しかし新しい教科書からは、台湾という国家の視点よって書かれ、台湾それ自身の歴史を教えることになった。台湾と中国両方の教科書が、 異なった理由でだが国共内戦を強調しなくなっている。 台湾の新しい教科書では日中戦争の強調は抑えられ、南京事件なども大幅に削っている。台湾の日本による植民地時代の論点は、 当時の日本の政治状況と関連づけて述べられており、日本の悪行を書いてはいるが、かなり正確な分析をしている。
2017.04.02
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党員の高齢化がどんどん進む、「赤旗」紙の減少が止まらない・・・曲がり角に立っている感さへあるのは、なぜなのか? 大物芸能人の紙面への登場で、問題が解決することは無いだろう。時代とともに、党員の質も変わるのか?それにしても、指導部は、なかなか変わらないなあ・・・・ (はんぺん)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー赤旗にAKB48や藤原紀香、相葉雅紀ら大物芸能人が出る理由 2016-9-21
2016.09.21
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