平和について学ぶ意味?


「危険」だった。
いたるところで、自爆テロによる爆破が起こっているような(本当はパレスチナで起こっているはずはないのだが。無知って恐ろしい)
とにかく、「危険」。
この二文字だった。

イラクで日本人が犠牲になった事件以来、「自己責任」という言葉が出回る中で、
友人や母親が止めるのも聞かず、私はパレスチナ行きを決めた。

出発の日、空港で最後に母親に電話をかけ、
「撃たれそうになったら、逃げるんやで!!!」
という母の言葉に
「いやいや、走ってもそんなん絶対逃げれへんから」
と軽くつっこみを入れながらも、
これから自分の行く国は「戦争をしている国」なんだ、と
身が引き締まる思いだった。

「どうしてパレスチナを選んだの?」
そう聞かれるたびに、私は言葉に詰まった。
特別な理由があったわけではない。

空港で、
「どうしてパレスチナを選んだのか」と
聞かれたときは、「え???NO REASON・・・」
と言った後に空気が凍りつき、
急いで無理やりな理由を作ったけれども(笑)

パレスチナ行きを決めた理由は非常にシンプルなもので
「自分の目で見てみたかったから」
批判もあるかもしれないが、私はやっぱり自分の目で見てみたかった。

国際関係を学ぶ中で、ふつふつと沸いてくる不信感を
私はぬぐう事ができなかった。
平和について、平和な国で勉強していて、どれほどの意味があるのだろうか。
第三者である私たちが遠い異国で、議論を交わすことで
どれほどの人々が助かるのだろうか。

議論を交わしながら、それは所詮、自己満足にしか
思えなかった。
現地で井戸を掘ったり農業を手伝う方が
彼らにとっては助けとなるのでは?
いくら知識を増やしても、実践できなければ、意味がないように思えた。
考えていても仕方がないので、私はさっさとパレスチナ行きを決めた。
平和について、学ぶ意味を知りたかった。


パレスチナに行って、今思うこと。
いくら学んだからと言って、現地ではそれ以上のものが複雑に渦巻いている。
そんな奇麗事では済まない、と感じさせられてばかりだ。
人の感情を考えない学問では、片付けられない問題がたくさんあるのだと知った。



だからこそ、学問を学ぶ意味があるのだろう。

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