「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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健くん
これは、私が一体どのようにしてキリストに出会い、愛と希望に根ざした生き方を目指すようになったかという証しの物語です。
私、は中学2、3年ころから日本の社会に対して酷く不満を抱くようになりました。政治家の腐敗、公立教育機関に勤める教師の堕落、社会悪の増大、これらのことを日々の社会ニュースで見たり聞いたりする度に、私の心に憤りと言いようも無い怒りを引き起こしました。戦後試行錯誤を繰り返し高い教育を得たはずである大人たちの道徳の腐敗は私の中に一つの自を生み出すことになったのです。それは、自分は決して過ちを犯さないぞというもので、彼らと異なった生き方によってこれまでの日本人と一線を画した人間になろうという決意を心の中でしていったのです。
しかし、この考え方は後に自己中心的、自己義認という他者を省みない、非常に視野の狭い世界の中で生きる小さな自分を創り出していきました。そのときはそのことに気付かず、ただただ自分の思うままに生きていました。日本を去りどこかに行きたいと思い出したのはこの時期でもあります。そうすれば名声ある高校、大学を経て、有名企業に就職するという型にはまった日本人の生き方から逸脱し、まったく新しい人間になれると思ったのです。周りの偏差値受験の風潮に流されて進学高に入学し、しばらくしたある日、英語科の教室の掲示板に留学斡旋団体の広告を見つけたのです。これだ!と思うや否や、すぐさま親に相談し受験をすることに決めました。
受験に辺り、英語はもとより、国語や社会常識全般、数学の初歩知識、面接、エッセイなど様々な試験を受けました。後になって分かることなのですが、実はこの受験の時既に神様が私の人生に働かれていたのです。実は、私の英語の試験の成績は本来の合格ラインを満たすものではありませんでした。そのままでは留学プログラムには受け入れてもらえなかったはずなのですが、面接にあたったスタッフの女性がなんと私の家からすぐ近くに住まわれていた方であったことから、私のことを親身に思ってくださりスタッフ会議で私のことを推薦してくださってアメリカに来ることが許されたのです。主は、この時既に私がアメリカに来て主ご自身に会わされる計画を用意されていたことを今となっては思わされます。
初めてアメリカに来たのは1997年の8月でした。海外留学財団を通して一年間の留学をしました。それは何もかも初めてで驚きでしたよ。先ず、何が驚きって見たことが無い人たちばかりって事です。初めて空港以外の場所で足を降ろした場所はコロラド州にある小さな村でした。郵便局や、食料品店がある街以外は道が一本しかなくて道を挟んで両側はあたり一面とうもろこし畑でした。白人ばかりの村でアジア人は珍しいのかちらちらと横目で見られたことを覚えています。初めて、自分を偏見をもって見られていると感じましたね。なかなか心に堪えました。
ついた初日は、どきどきわくわくです。ところが、期待に胸膨らませ、生まれてはじめの海外に来たのですが、英語もさっぱりと分からずに、到着してから二日目で即挫折を感じていました。不甲斐ない人間です。ホームステイ先は老夫婦の家でした。おじいさんは人が良いのですが、なにぶん年を取っているので耳が悪く、その上英語の発音が悪い私はおじいさんに私の言いたいことを伝えるのが難しくて、これもまた挫折の要因の一部であったわけです。おばあさんにも同じようにいいたい事と言うのはなかなか伝わらないので本当に心の中は火山がドッカンドッカンと噴火していたわけです。こんなことで憤るなんて本当に馬鹿です。短気です。自己中です。ところで、この家には一匹の犬がいました。ドーベルマンの雌で名前をー、なんと言ったかな、・・・忘れてしまいました。ともかく、この犬が可愛くて私を慰めてくれました。
コロラドのこの村では、おじいさんの畑を掘り起こしているトラクターの片方の車輪の上に乗りながら美しい夕日を見たのを良く覚えています。(でもそこの畑は蚊がたくさんいました。) この老夫婦の家にも長く居ることはできないと知らされていましたので、自分の将来に不安を感じ、なれない環境の中で恐れを抱き良く涙を流したのです。この留学では私は何度となく涙を流しています。日本では何もかもしてもらっていた自分は、誰かに何かをしてもらうのが当たり前と思っていましたので、言いたいことも言えず、毎日の生活がうまくいっていない私は不満だらけでした。他人と関わるのが嫌になってきました。次第に私の心は冷たくなり、人に心を閉ざすようになりました。劇的な新しい環境に伴い自分自身を適応させることに何度もどかしさを覚えたでしょうか。これを、心理学的にはカルチャーショックとかなんとかいうそうです。カルチャーショックが分からなければ、魚が水の中から陸の上に放り出されたときにもがく時のショックを想像してください。
ある日、おばあさんが私にひとつの物語を教えてくれました。私のひきこもりように痺れを切らしていたのかもしれませんが、おばあさんは私にご自身の半生を語ってくれたのです。おばあさんは東ヨーロッパからアメリカに渡り、英語を働きながら学んだのだと言ってくれました。私にもできたのだからあなたにもできると励ましてくれました。そのときは、自分の溜め込んでいたプレッシャーから少しだけ解放されたようで一気に涙が溢れました。
元来私は自分の思った通りにならなければならない、必ずそうするんだという意識が強いので期待していたことが現実のものとならないときフラストレーションが溜まり、このフラストレーションはどこかにはけ口を求める分けですが、私の場合自分自身を「不甲斐ない、情けない」と考え、自虐的な方向で問題を溜め込み、さらにはそれが「怒り」に変わり、怒りが破壊行為を生み出していったのです。イエス・キリストに出会わなければ、今でも同じことの繰り返しをしていたと思います。
おばあさんは、それ以降私に積極的に英語を教えてくれるようになりました。英語の発音を特に教えてくれました。今でも覚えているのは、bird(鳥)の発音を教えてくれた時です。Rの発音の無い日本語で育った私にはこのRがなかなか発音できませんでした。何度も何度も違う、といわれ繰り返し発音してようやくそれなりに形になってきたときは嬉しかったですね。このように、私の初の海外生活も軌道に乗り出したかに見えたのですが、その老夫婦の家は一時的なホームステイ先であり一年を通じて滞在することはできなかったので直ぐに新たな場所に移らなければなりませんでした。そんな時、フロリダはオーランドから一本の電話が私のもとに掛かってくるのです。
渡米する前に、私の家族は六週間ほどアメリカ人の高校生、ニックを交換留学という形で受け入れていました。彼がいたとき、正直私以上に彼の方に家族の関心が向かっていて自分のことをあまり見てもらっていないなと感じ、知らず知らずのうちにふて腐れていました。時々、彼に対して冷たい態度を取っていたことがあったとも感じていました。電話はその彼からで、こんな私に電話してくれるなんて、なんてありがたいんだと心底思いました。特に、話せる相手などいなかったので彼との電話での再開は自分にとってこの上もない喜びでした。あまりの喜びまた、一人での寂しさから涙が溢れてきてそっちに行きたいと、あまり何も考えずに伝えたのですが、伝えるや否や彼は、すぐにオーランドにおいでよと言ってくれたのです。それからはとんとん拍子にことが運び出発の予定も全て決定しました。これでよかったのかと正直自分で自問自答しました。ここでの暮らしが辛いから逃げる口実であったのではないのかと・・・。しかし決まったことは決まったことおじいさんとおばあさん、そして私を受け入れてくれた犬と記念写真を撮りながら次の日オーランドへと旅立っていったのでした。
到着する直前に飛行機から見たオーランドの夜景は、それは美しかった。空港に着いて飛行機を降りると、ホストファミリーが迎えに来てくれていました。オーランドはコロラドの小さな村とは比べ物にはならないくらい都会であるという印象を受けました。新しい家族、新しい家。とても親切なホストファミリー。ここでなら新しく出発できる。そんな期待に胸膨らませながら、私の新しいアメリカでの生活が始まるのでした。
オーランドに来てからの数日はほとんど何もかもしてもらっていました。一から十まで面倒を見てくださいました。本当に感謝しました。しかし、私は何日いてもこの家族の中に完全に溶け込めなかったのです。いくつかの理由があります。英語を話すと理解されなかったらどうする、不安、恐れから来る意思疎通の欠落。ホストファミリーの中での夫婦喧嘩や、私には異常にすら見えた親の子どもに対する溺愛ぶり。自分には受け入れられない異質なものがこの家にはありました。これらに加えて自分自身の積極性の無さから、自分のほうからどうしてもホストファミリーの中へ飛び込めなかったのです。
学校はニックの通うハイスクールへ行きました。高校は4000人超の強大な学校でランチの時間が2種類分かれていました。こんなに人がいるにもかかわらず、消極的な私でしたので、あまり友達はできませんでした。ランチは、スイスとベラルーシからの留学生と一緒にいつも食べていました。このスイスからの留学生は家が近くだったので遊びに良く行きました。学校生活はなかなかゆっくりではあっても、授業で友達も何人かできて楽しく過ごせていました。ただ、いまいち、ホストファミリーとの関係がうまく行かなかったのです。
そうこうしているうちに、自分の部屋に再び引きこもりがちになりました。一度あることは二度あるものです。ニックはテニスの練習と友達と遊びに行くのに忙しくて私のことはあまり相手にしてくれませんでした。自分から話し掛けるのは気が引けるんだから、どうしてもっといろいろと誘ってくれないんだと思っていました。結局、自分の中心に世界が回らないことに対し不満を言っていたんですね。そんな私に見かねたのか、ニックの母親が私に話し掛けてこられました。もっと心を開いて人と話しなさいという内容の会話であったと思います。ヤレバデキル”優秀”な男の子であった私には、やってもできないということは屈辱であり、屈辱を超えて、情けないとさえ思うようになりました。ニックの母親の励ましは本当に感謝を覚えるのですが、それでも自分の殻から抜け出ると言うことは困難を極めました。
季節は移り変わり、冬になりました。ある時、私はインフルエンザにかかり、肉体が病に犯されました。同時に、精神的な落ち込みがひどくなり、自分のことを本当に惨めに思いました。三日間部屋に閉じこもり、寝つづけました。時々、起きて顔を洗いに行くとき、鏡に映る自分の姿は、痩せこけ別人のようでした。その場で立ったまま、アメリカにきて何かを吸収し新しい生き方を見つけるんだと思っていたのに何も得ていない、何も変わっていないじゃないか、人に迷惑をかけてばかりで、こんなんだったら自分はいない方がましだ。世界に六十億の人がいてその中の一人に過ぎないんだから自分がいなくなっても誰も困らないだろう。本当にそう思いました。都合良く、家の中には誰もいません。ニックは友達と遊びに行き、夫妻は映画に観に行きました。この世から消えてしまえば、誰にも迷惑をかけることは無い、自分も苦しい思いをしなくて良いなと思い、首吊り自殺を図りました。首に縄をかけて踏み台を蹴ってしまえばお終いと分かってはいるものの、死ぬことの恐怖と非常なまでの虚しさを感じ、自殺を踏みとどまりました。
再び自分の部屋に戻って、自分のふがいなさに涙を流し、一体自分は何者なんだと思いをめぐらしました。自分の記憶のもっとも遡れる時にまで遡って過去を回想した時に、思い出されてきたのが保育園に通っていたとき0歳から6歳までお世話になった保母の先生であり、家族であり、友人たちでした。また、母親が「もっと素直になりなさい。」といつも言っていた事を思い出しました。この時、初めて自分はこれら多くの人によって支えられて生きてきたことを覚えたのです。これからは素直になって人の助言に耳を傾けること、自分のために施しをしてくださる人々にもっと感謝すること、これらのことを心の中で決意したのです。
それから、体が快方に向かうとともに、精神的に非常に軽くなりました。それまでは頭の中で英語を構成しては一人で英語を喋っていましたが、それが実際に口をついて出てくるようになり、これまでの自分では考えられないくらいの勢いで英語を話し出しました。あまりに喋るのでニックの父親にうるさいとさえ言われました。今ならこれまでいろいろと聞けなかったことも聞けると思い、家の中に飾られている男の人の写真についてホストファーザーに尋ねてみたのです。その写真の人の名前はもう覚えていませんし、どんなことをしたのかもさっぱり覚えていません。多分理解できていなかったんだと思います。しかし、彼は何か有名な格言を残したらしく、それが一体どう言う意味かと聞いたところ、それは、世界のあらゆることが関連、相互作用し、世界が成り立っているということだと理解しました。そこには、あたかも一つの大きな意思が介在しているようで、偶然に成り立っているのではないのだという認識を私は持ちました。恐らくそれが、初めて私の中で、人間をはるかに超越した存在を感じた瞬間でした。それは、ものすごい衝撃を持って私の体すべてを支配し、強烈な印象を私の心に与え、狂ったように涙を流しました。
この体験の後、私は交換留学においてまた別のホストファミリーに移ることになりました。次に移ったところは、クリスチャンのご家族でした。十二月の初旬であったと思います。ホストファーザーはキリスト教会の牧師をされていて、子どもに会うや否や子どもたちを抱き合い非常に感情豊かに愛情を示していました。第一印象は、非常にやさしく、また率直で、すごくオープンな人だと感じました。どんな話からか覚えていませんが、神さまが天と地を造られすべての生き物を造られたと言われました。学校で習った進化論を聞いていた私は大変困惑しましたがとりあえず、素直に人の話を聞こうと思っていましたのでとりあえず聞きつづけました。
すると、どうも神様がいることの方がいろんなことについてつじつまが合うということが分かってきました。またイエス様のことを話されました。今から二千年前にイスラエルのベツレヘムという村で生まれ、私の罪のために十字架にかかられ死なれ、よみがえられた事、今は父なる神様のもとにおられるということ。私は、それまで神を知らずに、自分中心に生きていたがゆえに多くの問題に直面してきて、それをさらに自分の力で解決しようとして無理が生じていたことを体験していましたので正直に言って疲れきっていました。一時問題が解決したかのように元気になってはいたものの同じことの繰り返しをするであろうということは分かっていました。私はその時すべてを理解したわけではありませんでしたが、はっきりと覚えていることは、話を聞くにつれてこれが真理だと強く感じ取れたということです。この人は嘘を言っていない、本当のことしか言っていないぞと強く感じました。イエス様を信じれば、神様が私の人生に介入してくださりあらゆる点において導いてくださると牧師は語られました。また、牧師はイエス様を救い主と受け入れますか、受け入れたければ今できます。しかし、強制ではないので受け入れたくなければかまいません。ただ、将来日本に帰りこのことを思い出したらいつでもイエス様を受け入れることができますと言われたとき、今信じたいな、と強く願いました。同時に、今の機会をミスればいつこんな機会があるか分からないぞと思いました。イエス・キリストを信じ受け入れると私の人生が変わるかもしれない、信じることは何の犠牲も払う必要がなくただ、信じる決心をして受け入れるだけでよかったのです。信じて何も起こらなかったらいつでもやめることも出来るし本当にそういう気持ちで、牧師に促されるがごとく、神を知らずに自分中心に生きてきたことの罪を認めて、イエス・キリストの罪の贖いと復活、イエス様を救い主としてお迎えするということを告白しました。
信仰を告白してからすぐに、変化が起こりました。これまでに無かった喜びが心からあふれ出てきて、主イエスさまのために命をささげて一生仕えたいという思いが与えられました。それからは、聖書を貪るようにして読みました。手紙を兄、友達そして私の交換留学プログラム合格に一役買ってくださった、面接官のおばさんに手紙を出しました。内容は、これで日本を救うことができるといったもので、しかもかなり文字を大きく強調して書きました。私が救うわけでもないのですが、あたかも私は日本を救うことができるかのような文章になっていました。それほど、イエス様にある真理を見出した喜びは大きかったのです。そして、イエス様であれば必ず腐りきった日本を救い出すことができると確信がありました。このように、心が燃えに燃えました。
日本からアメリカに変化を求めて、その変化を自分の力によって得ようと努力していた自分でしたが、留学の体験を通して、自分の無力さ、弱さをつくづく思い知らされ、自分のかたくなな思い、心を苦しい時を通して打ち砕いてくださっていたんですね。結構な荒療治だったようにも思われますが、そこまでしないと私は素直に自分を神様に委ねることはできなかったでしょう。しかし、今ではそれも良い思いです。イエス様が私を捕らえて下さり、イエス様が私のすべてを変えてくださいました。天と地を造られた全能の神は人間をも造られたお方ですから、私たちを新しく造りかえることもおできになります。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ。すべてが新しくなりました。
第二コリント5:17
この御言葉通り、イエス・キリストを信じ受け入れる者は、だれでも新しく生まれ変わることができます。どれだけ努力しても地上で得られるものは一時的なものであり、いつかは朽ち果てます。そのようなものを得るために、人は努力し、その過程で人を憎み、汚れた思いに満たされ、地上の快楽を求めて罪を犯します。それが果たして私たちが欲するものでしょうか。私は、牧師に対して抱いた第一印象である優しさ、それを強く願いました。私も牧師のようになりたいなと思いました。そしてそれがキリストの愛から来るものであったことを知り、キリストの愛を求めたいと心から願うようになりました。その時、私たちの心が優しくなり、自分中心でなくもっと人のことを思いやれる人間になれます。
自分が一番になるんだという他者をかえりみない競争社会、愛のさめた冷たい社会、自分さえよければいいという考えに満たされた社会、偽善に満ちた社会から開放されたいと願う人はいますか。今住んでいる社会から抜け出ることはできないでしょう。事実私がそれを試みて、アメリカでも同じことを見て絶望していたのですから。人に解決を求めても、決して解決は得られません。自分しか信じられるものは無いと思って努力しても無理です。私が実際それを試み、失敗しました。すべての社会に煩雑する不条理一切を背負われて十字架にかかられたイエス・キリストにあなたを委ねることによってのみ問題は解決されます。状況は同じかもしれません。しかし、あなたはキリストの愛によって満たされ社会がどうであれ、キリストにある平安を得ることができます。そして、イエス様はあなたの状況さえも変えてくださることできます。
わたしは、あなたがに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与える平安と違います。あなたがは心を騒がせてはなりません。恐れてはなりません。
ヨハネ14:27
家庭崩壊、児童虐待、いじめ、凶悪犯罪、精神病、病の苦しみ、これらによって悩み苦しんでいる人がいますか。おられましたら、ご自身で乗り越えようとされるのではなく、すべての重荷を背負ってくださった、主イエス・キリストを受け入れ、イエス様に解決してもらってください。そして、イエスさまにあって休息を得てください。
すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。
マタイ11:28
まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
イザヤ53:4,5
イエス様は神の子で罪がなかったのに私たち人間の罪のために鞭打たれ苦しめられました。それは私たちが、赦されまた癒されるためでした。病の中にいて苦しんでおられる人がいましたら今イエス様の打ち傷によって、癒されることができます。
最後に私の大好きな御言葉によって私の証物語を締めくくらせていただきます。
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
ヨハネ3:16
神様は虫けらにすぎないとさえ感じていた私のような者のためにご自身の子であるイエス様を地上に送られ命をまでも私のためにささげられました。それは、人が自身の罪の中でもがくことなく、罪深い人の生み出した不条理な世界で苦しむことなく、虚無の中絶望の中、滅ぶことなく、これらの呪縛から開放されて永遠のいのちを得るためでした。イエス様の十字架の罪の贖いは、今から約2000年前イスラエルで実際に起こったことであり、真実です。そしてイエス様の死にはこのような目的があったのです。どうか、主イエス様をあなたの救い主として今日お迎えください。心から信じてイエス様をあなたの救い主として受け入れるのであれば、必ずあなたは救いを得ます。主イエス様の御名によって、心からあなたがイエス様を受け入れられるようお祈りしています。
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