『ごまめの歯ぎしり』



登場人物表

玖我 美零(二九)女性。地方FMのDJ。

捌木 拾生(二一)男性。大学生。


参河 百恵(三二)女性。ディレクター。
陸奥 千早(二三)女性。新人DJ。

伍藤(四五)男性。ミキサー。
壱原(五〇)男性。プロデューサ―。

漆澤 萬里(?)男性。バンドヴォーカル。





●FMみやび・給湯室・午前
   袖を捲って湯呑を洗う陸奥。
   目の前にはまだまだ洗い残り。
   背後から伸びた手がその一つを掴む。
美零「手伝うよ」
   黙って横にずれる陸奥。
   並んで黙々と洗い物をする二人。
   美零、流しの上の壁に目をやる。
   毛筆で黒々と書かれた貼り紙。
   『自飲自洗』。
美零「自分で書いたの?」
陸奥「・・・はい」
美零「こんなピッタリの言葉あったんだ」
陸奥「・・・無いです。創作なので」
   漂う気まずい空気。
陸奥「今日で最後。もう絶対洗わない」
   水音に消えそうな独り言。
   美零、スルーして明るい声で。
美零「来週から『ワンスタ』担当だったよね。
 あの時間帯、結構癖の強いリスナーさんが
 多いけど、むっちゃんならきっと大丈夫。
 ハートをガッチリ掴めるよ。絶対聴くから
 がんばってね」
   陸奥の洗い物の手が止まる。
陸奥「所詮、弐瓶さんが戻るまでの代役です。
 ・・・あーもう、何なんですか!」
   突然の大声に、美零ビクッ。
美零「むっちゃん・・・?」
陸奥「私、言っときますけど聴いてないです
 からね『ごまめ』、交通情報が終わった瞬間
 消してます、消せない時はよそに逃げるし、
 『ゼロラジ』の美零さんに憧れてこの世界
 に入ったのに、何なのあのコーナー、全然
 美零さんに合ってないじゃん!」
   一気にまくしたてる。
陸奥「専門学校で悩んでる時も、面接に落ち
 まくった時も、いつも美零さんのお喋りに
 癒されて・・・喉から血が出るくらい練習
 して、やっと同じフィールドで働けるよう
 になって・・・なのに・・・!」
   シンクにポタポタと落ちる涙。
美零「・・・失望させちゃったな」
   ひとり湯呑を拭き続ける美零。
   陸奥の激情が収まるのを待って。
陸奥「私のせいで『ゼロラジ』終わっちゃう
 から、あんな自爆みたいなこと・・・?」
   陸奥、肩を震わせながら。
美零「色々まちがってる。番組が終わるのは
 むっちゃんのせいじゃない。そう思ってる
 なら、それは逆に傲慢だよ。最終回の無い
 番組なんて無いの。私の潮時が来ただけ」
   湯呑を片付けながら淡々と。
美零「そこに偶々、むっちゃんの波が来た。
 勝ったかどうかは今決めることじゃない。
 これからのむっちゃん次第だよ。それには
 まず、間近の代役をやりきること」
   手を拭いてから袖を元に戻す。
美零「あと、『ごまめ』は自爆でもヤケクソ
 でもないから。終わりが見えた時、本当の
 自分らしさって何か考えたんだ。まだ電波
 に乗せていない私が自分の中に居るなら、
 それを解き放ってみようって。その答えが
 『ごまめ』なの。正解だったかどうかは、
 これも今後の私次第かな・・・」
   陸奥に背を向ける美零。
美零「もし気が向いたら・・・一度でもいい
 んだけど・・・交通情報の後もラジオの前
 に居てほしいな」
   美零、給湯室を後にする。
   残された陸奥、まだ顔を上げられない。

●ある運送会社のトラック・車内・夜更け
   カーラジオからジャズピアノ。
   少しぎこちない陸奥の声。
陸奥(声)「夜の旅人たちへお届けする音の
 羅針盤『ワンダリング・スター』、船長代理
 の陸奥千早です。皆さんこんばんは。弐瓶
 船長の上陸休暇の間、私が皆さんの旅路の
 お供をさせていただきます。未熟者ですが、
 どうか傍に居させてください」
   ハンドルを握る厳つい運ちゃん。
運ちゃん「小娘じゃねーか・・・」
   文句を垂れながらもにやけ顔。
   ヘッドライトが照らす二車線道路。
   前後に他の車の灯は見えない。
   明らかに超過ぎみの速度。
   横断歩道手前の菱形も見落として。
   次の瞬間、運ちゃんの表情に恐慌の色。
   急ブレーキ&急ハンドル!
運ちゃん「くそったれが!」
   闇を薙ぐ灯が照らす異形の横断者たち。
   衝撃、そして暗転。

●同・承前
   フロントガラスにめり込む電柱。
   エアバッグに埋もれ運ちゃん無傷。
   ラジオから流れ続ける『ミスティ』。
   頭を振りながら顔を上げる運ちゃん。
   その霞んだ視界に映る車外の怪異。
   横切り続ける大小様々な形態の影。
   運転台の屋根からも無数の足音。
   泣きそうな運ちゃんに被る陸奥の声。
陸奥(声)「お車を運転中の方、今夜は霧も
 なく良いお天気です。こんな夜だからこそ、
 油断せず安全走行を心がけてくださいね」

●FMみやび・スタジオブース・午後
   落ち着いた調子でマイクに語る美零。
美零「打倒・転売ヤー作戦は来週までの宿題
 にしようかな。チケット関連は最近運営側
 も色々工夫して効果が出てるけど、フリマ
 サイトでの限定グッズ大量出品とか未だに
 無法状態ですもんね。現実的にはサイトに
 対策強化を期待するしかないけど、ごまめ
 の皆さんは非現実的でも結構ですので頓智
 の利いたアイデアをお寄せください。私の
 <不良在庫一斉処分作戦>に対するご意見
 もお待ちしています」
   美零、メッセージ原稿を手に取る。
美零「さてさて、今日はごまめさんからお題
 を頂いてますよ。<あひるのコック>さん、
 いつもありがとうございます。『美零さん
 こんにちは。今週の歯ぎしりテーマですが、
 オーバーツーリズムなんていかがですか。
 先日、病院に行こうと市バス乗り場に足を
 運んだところ、観光客の行列が出来ていて
 目当てのバスに乗るのに二時間もかかって
 しまいました。当然予約時間にも大遅刻で
 診察後回し。健康回復のための通院なのに
 逆に体調悪化する始末。地域経済を支えて
 くれる観光客には感謝していますが、同時
 に苛立ちを覚えることも多くなりました。
 このままだとお互いにとって不幸な状況が
 続いて、無益な衝突も起こりかねません。
 何かコペルニクス的な解決策は無いもので
 しょうか』これはまた難問が来ちゃったな。
 何が難問かって、オーバーツーリズムには
 分かり易い<悪>が存在しないんですよ。
 栄養過多によって赤潮みたいに酸素欠乏が
 起きてる状態。赤潮の場合だとどうやって
 水質改善するかっていう話になるけど」
   硝子越しの副調整室の様子。
   内線で誰かと話していた参河。
   伍藤に断ってから慌てて廊下へ。
   視界の片隅でその動きを捉える美零。
美零「たとえば海に流れ込む排水を規制して
 栄養分を減らすとか。でもこれって観光に
 置き換えると、客数制限っていう身も蓋も
 無い話になるんだよね。海外だと実施して
 いる観光地も少なくないらしいけど」

●同・会議室・午後
   ブラインドに閉ざされ薄暗い室内。
   無駄に広い中、一つだけ点った電灯。
   その真下に落ち着きなく立つ壱原。
   傍らの椅子には飄々とした中年男。
   入室した参河、不審げに会釈。

●同・廊下・午後
   放送を終えた美零が歩いて来る。
   向うから十人程の行列。
   先頭は人事担当のスタッフ。
   続くのはリクルートスーツの男女。
   すれ違いざまに初々しい挨拶。
   美零も微笑ましく挨拶を返して。
   そのまま行き過ぎた背中に声。
拾生「働く姿、新鮮です」
   美零、立ち止まるも暫くそのまま。
美零「神出鬼没にも限度というものがだね」
   振り返る美零にスーツ姿の拾生。
   似合わないスーツと入館証。
美零「会社訪問?」
拾生「インターンシップ」
   他の学生は既に廊下の角を曲がって。
美零「いいの? 迷子になるけど」
拾生「いいです。潜り込む口実」
美零「ウチに入りたいわけではない、と」
拾生「入れてくれるんですか」
美零「私にそんな権限ないけど。やる気ある
 なら頑張ってみれば?」
拾生「就職か・・・。何かに所属するという
 のも悪くはないのかな」
美零「少なくとも<ごまめ>じゃなくなる」
   美零、少し言葉に迷って。
美零「・・・かも」
拾生「経験者は語る?」
   美零、応える代わりに鼻をくんくん。
美零「・・・赤ちゃんの匂い?」
拾生「え? ああ、柔軟剤じゃないですか?」
   スーツの袖を嗅ぐ拾生。
美零「違うよ、何かミルクくさい感じ」
   ふっと我に返る美零。
美零「そ、それより。今日は何の用なの」
拾生「自分に会いに来たって思ってる?」
美零「・・・自意識過剰だった?」
拾生「揺さぶりに弱すぎ」
美零「悪かったね、耐震等級1以下で」
拾生「そうやってすぐネガる。ごめんなさい、
 会いに来ました。いや、見に来たと言った
 方がいいか」
美零「それはどうも。こんな顔を見るために
 わざわざ申込手続きまで踏んで頂いて」
拾生「確かに顔もだけど、本当に見たいのは」
   その時、背後から参河の声。
参河「美零、ちょっと来て」
   声のした方に顔を向ける美零。
   開いたエレベーター扉を押さえる参河。
美零「あ、ハイ。拾生くん、後でまた・・・」
   参河に答えて顔を戻した時には。
   既に拾生の姿は廊下の何処にも。
   小走りに走り寄る美零を見る参河。
   正確には、その背後の無人の廊下を。

●同・エレベーター・午後
   上昇するエレベーター。
   階数表示から目を離さない参河。
   その後ろで美零モジモジ。
美零「どこまで行くの」
参河「・・・壁に耳が無いところ」

●同・屋上・午後
   既に陽は西に傾き、空の青は透明。
   アンテナ塔が長い影を落としている。
   その陰に隠れるように二人。
   北風に頬と鼻を赤くして。
   参河のスマホを借りている美零。
   表示された記事を何度も読み返す。
美零「・・・偶然でしょ?」
   目を上げた美零、やや怯えたように。
参河「・・・報道されてるのはその一件だけ。
 実際には把握されてるだけでも市内で十件
 以上」
美零「警察は疑ってるの? その・・・私の
 リスナーが関わってるって」
参河「はっきり言わんかったけど、まあそう
 だろうな」
美零「・・・一万歩譲ってそうだとしても、
 こんなこと一人じゃ不可能だよ。何千本も
 吸殻集めてきて、誰にも気づかれずに玄関
 前に積み上げるなんてさ」
参河「もっと気味悪いこと教えようか」
美零「え」
参河「被害に遭った家ごとに、吸殻の銘柄が
 違ったそうだよ」
美零「それって・・・」
参河「その家の喫煙者が吸ってる銘柄」
美零「わざわざそこまで調べたってこと?」
参河「違う。警察も犯人がターゲットと同じ
 銘柄を吸いまくって吸殻を作った可能性を
 考えたらしい、最初はね。で、無作為抽出
 して吸殻をDNA鑑定したんだって。その
 結果、恐ろしいことが判っただけだった」
美零「・・・・・・」
   参河、軽く身震いして。
参河「サンプルから検出されたのは、すべて
 被害者のDNA。どういうことだと思う?」
美零「私が言ったみたいに・・・」
参河「そう。戻ってきたんだ、吐いた唾が」
   少しずつ光が翳る屋上の沈黙。
参河「・・・さすがに寒いわ。戻ろう」
   動けない美零の肩を抱いて促す。

●同・休憩スペース・夕
   古都の夕景に見向きもしない二人。
   各々、コーヒーの水面を見つめて。
参河「メッセージの投降元、全部調べるって。
 データ持って帰った」
美零「・・・もし疑いが事実だったら、私の
 言葉のせいだよね」
参河「まだそこまで思い詰めなくていいよ。
 ただ、コーナーの存続は極めて不透明」
美零「警察がやめろって?」
参河「現状でそこまでは行ってこないって。
 それこそ言論弾圧じゃん。それより壱Pの
 雲行きが怪しい。あんだけ焚きつけたくせ
 して・・・」

●同・会議室(回想)
   退室する刑事の背中を見送る壱原。
   その隣で壱原の顔色を窺う参河。
   壱原の頬が皮肉な笑みで歪む。
壱原「改編までの繋ぎにもならんかったか」

●同・休憩スペース・夕
   紙コップに矢継ぎ早に注がれる砂糖。
美零「ちょ、入れすぎ・・・」
参河「砂糖を代替燃料にする研究が進んでる
 らしいぜ。私の脳味噌には直接ぶっこめば
 OKだけどな」
   甘々コーヒーを一気に飲み干す参河。
参河「これ、効くわ・・・」
   空の紙コップを音高くテーブルに。
参河「こうなったら止められるまでトコトン
 やろう。遠慮することないさ。犯罪教唆?
 どこをどう聴いたってそうはならんだろ。
 美零は守るべき一線は守ってるんだ。これ
 からもそれを続けてくれればいい」
   静かな炎が燃えるような口調。
美零「今度こそミーさんも道連れだよ」
参河「その時は仲良く連れハロワしような」

●電車・車内・宵の口
   地上を走る在来線。
   扉側に立つ美零。
   ポールと仕切り板の間に潜り込んで。
   手に文庫本、視線は窓外。
   宵闇が浸透し始めた住宅街。
   辻々の街灯が妙に心を甘噛みする。
美零「で、何を見に来たの」
拾生「それは秘密。まだ早すぎたかも」
   美零が背にした端の座席から拾生の声。
拾生「でも、もう時間の問題」
   美零が何か言おうとした瞬間。
   電車が地下に潜り、音と気圧が寄せる。
   振り向いて確かめようともしない美零。
   少女の嬌声にふと顔を上げる。
   扉を挟んだ反対側に二人の女子高生。
   一つのスマホを見ながら盛り上がる。
   断片的に聞こえてくる会話。
女子高生A「・・・ひゃく、おに・・・何て
 読むん、これ」
女子高生B「アホ、ウチに聞かんといて。手
 に持ってる便利アイテムで調べえや」
女子高生A「嫌や、めんどくさい。せやけど
 ホンマかなあ。お酒とかやばいクスリでも
 やってはったんちゃうん」
女子高生B「それなー。こんなん現実におる
 わけないし。もし見てもうたら、ゲゲゲー
 やわ」
   キャハハと笑い合う乙女たち。
   美零、苦笑して文庫本に目を落とす。
   読み古した『山椒大夫』。
   少女のスマホ画面が扉に反射している。
   微かに見えるネット記事のタイトル。
   『怪奇!現代の百鬼夜行か!?』。
   『深夜の横断歩道でナゾの事故続発』。
   それには全く気付かない美零。

●住宅街・夜
   古民家の町並みを淡く照らす街灯。
   スーパーの袋を提げた美零が歩む。
   足を進めるごとに微かに近づく異音。
   何処かに停車した救急車のサイレン。
   美零の頬が次第に強張る。

●玖我家・前・夜
   横付けされた救急車。
   周囲を紅く染める回転灯。
   開け放たれた格子戸。
   何人かのご近所さんが車の周りに。
   立ち尽くす美零に気づく隣のおばさん。
   傍まで来て腕を引く。
おばさん「美零ちゃん、ええところに。大変
 やの。自分で薬飲んでから電話したみたい
 なんやけど中から鍵掛かっててねえ。反応
 も無いからウチの方に来はって。鍵預けて
 くれててホンマよかったわ。あ、出て来た」
   運び出された担架が後扉から搬入。
   救急隊の処置を為すすべなく見る美零。
   隊員が家族を呼ぶ声が響く。
おばさん「ホラ、行ってあげて。鍵かけとく
 から」
   おばさんに押され救急車に近づいて。
   仮面のような顔を紅い灯が撫でる。

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