走る女の問題



屋敷 嵯麓(やしき・さろく)男性。所長。

渡村 倭(わたむら・やまと)男性。助手。





●大福町二番二一号・階段~二階
   狭い階段を上る渡村倭の視点。
   踊り場を埋めた我楽多の山を避けて。
   古ぼけたオーク材の扉に辿り着く。
   看板の代わりに掲げられた銘板。
   『この門をくぐる者は一切の××を捨
   てよ』。
   ××の部分は文字が磨滅して読めない。
   鍵を挿して回すも開かない扉。
   再度挿して逆に回すと渋々開く。

●同・二階室内
   渡村が入ってくる。
   あちこち積み上げられた資料の山。
   連鎖して起こる本の雪崩。
   大袈裟に溜息をつく渡村。
渡村「遭難しちゃいないだろうな」
   一見物置のような一郭から声が上がる。
屋敷「自分の寝床で遭難する馬鹿がいるかね。
 ああ、すまないが君のデスクは自力で発掘
 してくれたまえ」
   悪びれる様子もない屋敷嵯麓の口調。
   慣れた手つきで片付け始める渡村。
渡村「混乱の極みとはこのことだな。まるで
 君の寝起きの頭の中だ。どうしたら一晩で
 ここまで散らかせるんだろう」
屋敷「放っておくと、世界は常に無秩序へと
 向かうのさ」
渡村「ブラウニーかコボルトでも雇うといい。
 ミルク一杯提供すれば、寝ている間に一丁
 上がりだよ」
屋敷「君よりは手際が良さそうだね。考えて
 おくとしよう」
渡村「一つ君の推理の本歌取りをしてやるよ。
 君の持っているレコードだが、どれ一枚と
 して中身が合っているものは無いだろう」
屋敷「確かめてみるかい」
渡村「必要ないね。君を見ていれば分かる。
 聞き終えた盤は手近の空いたジャケットへ。
 それを繰り返していれば程なくシャッフル
 完了というわけさ。そもそも君には元通り
 片付けるという<習慣>が無い」
屋敷「<習慣>か。僕には縁遠い概念だよ。
 探偵活動なんて総じてイレギュラーな事象
 だらけ、ルーティンに縛られていたら子猫
 一匹見つけられない。君が探偵になりたい
 と思うなら、まずはその凝り固まった杓子
 定規をゴミ箱に放り込むことだ」
   言い終えるやトランペットの音色。
   プップクプーと調子外れも甚だしい。
渡村「ご近所迷惑。それ以前に僕に迷惑だ」
屋敷「前日に取り込んだ情報や煮詰めた思考
 をこうして空気と一緒に吐き出さないと、
 僕のブランニューデイは始まらないのでね」
渡村「それをルーティンと言うのでは。まあ
 とにかく探偵になんて、やんごとなき御方
 に懇願されたってなりたくはないね。僕は
 君のお守り役だけで十分だよ。幸い、家内
 の商売も順調なことだし」
屋敷「君の奥さん、また新しいクリニックを
 オープンしたそうじゃないか。まったく、
 困ったものだよ。美容整形術が化粧並みに
 日常茶飯事になっちまったら、僕の十八番
 の変装術なんて宴会の余興に格下げだ」
   漸く段ボールの蔭から顔を出す屋敷。
   寝癖まみれでトランペットを片手に。
屋敷「さて、業務を始める前に、今朝の君が
 心ここに在らずな訳を聞かせてもらおうか」

●商店街(渡村の回想)
   仄明るいアーケードの下。
   一定の歩幅で歩く渡村。
   向うから駆けてくる若い女性。
   長い髪とコートの裾をなびかせて。
   表情は必死だが動きは不思議とスロー。
   まるで重力が六分の一のような足取り。
   すれ違う二人。

●大福町二番二一号・二階室内
   掃除の手を止めずに語り終える渡村。
   欠けたカップで白湯を飲む屋敷。
渡村「ずいぶん健康志向になったんだな」
屋敷「いや、豆とミルがどうしても見つから
 なくてね。君、見なかったかい?」
渡村「だから、片付けの<習慣>を・・・。
 まあいいや、なぜ僕が上の空だと?」
屋敷「なに、観察に基づく単純な推理だよ。
 例えば君の右足」
   自分の足元に目を落とす渡村。
   スラックスの裾と靴下が濡れ鼠。
屋敷「雨は昨夜のうちに上がった。君は歩く
 時に俯きがちなタイプだ。そして君がわざ
 と水溜りを踏んで遊ぶ少年の心なんて持ち
 あわせていない大人だとすれば、考え事を
 しているうちに大きな水溜りにはまったの
 だと想像できる」
渡村「なるほど。間違ってはいないが、まだ
 弱いな」
屋敷「この部屋に入る際、開いている鍵を逆
 に回したことに気づかなかった。まだある。
 デスクの上を拭く順序だが・・・」
渡村「わかったわかった。降参だよ。本題に
戻ろう」
屋敷「・・・で、毎朝なのかね」
渡村「いや、決まって水曜日だけ・・・今日
 もそうだね」
屋敷「時間も一定なのか」
渡村「うん。いつも同じ辺りですれ違うよ。
 ちょうど頭上に時計がある。確か七時十分
 前後だったと思う」
屋敷「で、何がそれほどまでに君を悩ませて
 いると云うんだ?」
渡村「だって奇妙じゃないか。彼女、いつも
 走っているんだぜ。世界の終わりみたいな
 顔をして」
屋敷「電車を逃すまいとしているのでは」
渡村「一日だけなら分かるさ。でも毎週毎週
 だ。ギリギリになってしまうのなら、朝の
 ルーティンを変えてやればいい。朝食一品
 減らすとかシャンプーは夜だけにしておく
 とか。いや、目覚ましを十五分早くセット
 するだけで済む話じゃないか」
屋敷「君のように<習慣>に凝り固まった人
 なのかも知れないよ、彼女」
渡村「僕なら、合理的でない<習慣>はその
 都度見直すけどね」
屋敷「ならば、彼女の一存では動かしがたい
 要素のある<習慣>なんだろう。朝ドラマ
 をリアルタイムで観てから出勤するとか」
渡村「時間の前後が合わないだろう。放送は
 もっと後の時間の筈だ。それにアレは平日
 毎日放送されている」
屋敷「家族の問題なのかも知れない。子供の
 弁当を作っていていつもギリギリになるの
 かも」
渡村「普段は給食で水曜日だけ弁当の学校が
 あれば成立する仮説だが、あまり聞き覚え
 が無いね」
屋敷「ふん、なかなか歯ごたえの有る問題だ」
   屋敷、何かを求めてウロウロ。
渡村「どうした?」
屋敷「いやなに、歯磨きセットが」
渡村「これだろう」
   トラベルセットを手渡す渡村。
屋敷「どこにあったんだい」
渡村「来客用のスリッパの中。呆れるね」
屋敷「これこそ妖精の仕業じゃないか」
   屋敷、歯磨きを始める。
屋敷「ほへへはへ・・・」
渡村「先に済ましたまえよ。こっちまで泡が
 飛んできた」

●同・承前
   さっぱりした顔の屋敷、ラジオ体操。
渡村「それは<習慣>ではないのかね」
   第一を終えて第二に入る屋敷。
屋敷「違う。今は体操の気分だからしている
 だけ。腹が減れば食事するし、眠くなれば
 寝る。少し臭うなと思ったら風呂と洗濯。
 一日何回とか一回何時間とかは一切無い」
渡村「風呂と洗濯はそろそろ頃合いだと思う
 が。それで問題は解けたかい?」
屋敷「もう一息といったところだ。ところで、
 そんなに彼女のことが気になるならもっと
 手っ取り早い方法が有るだろう」
渡村「まさか、直接声を掛けろと言うのでは
 あるまいね」
屋敷「いけないかい?」
渡村「それが出来るなら、わざわざ君の推理
 なんかには頼らないさ。見知らぬ男にある
 朝突然声を掛けられるなんて、彼女にして
 みれば恐怖以外の何物でもない。まったく、
 異性の事となると途端に鈍くなるんだから」
屋敷「じゃあ、逆尾行という手もある。多少
 手間は掛かるが」
渡村「何だいそれは」
屋敷「君の行動を週に一分ずつ前倒しする。
 彼女と出会う場所が少しずつずれていく。
 やがて彼女が何処からやって来るのか判る
 という寸法さ」
渡村「屋敷、それをストーカーと云うんだ。
 いいかい、僕は純粋に好奇心を抱いている
 だけなんだ。邪な感情は誓って無い。彼女
 が走る理由が知りたい、それだけだよ」
屋敷「案外君は常識的なんだね」
渡村「君と比べたら、ネロだってカリギュラ
 だって常識人だろうな」
屋敷「これは辛辣。よし、一度原点に戻るか。
 つまりは<観察>だが」
渡村「実際に見ていないのに?」
屋敷「頭のスクリーンで上映するのさ。その
 ためには君の説明がもう一度必要だ。面倒
 だろうが頼んだよ。些末に思える細部まで、
 ただし曇った色眼鏡は外すこと」

●商店街(渡村の回想)
   仄明るいアーケードの下。
   一定の広い歩幅で歩く渡村。
   額の滲む汗を袖で拭って。
   向うから駆けてくる若い女性。
   リズミカルで硬質なヒールの音。
   長い髪と赤いコートの裾をなびかせて。
   表情は必死だが動きはスローに見える。
   まるで重力が六分の一のような足取り。
   すれ違う二人。
   頭上の時計は七時十二分を指している。
   渡村、振り返ろうとしてやめる。
   女の残り香を味わいながら歩み続けて。

●大福町二番二一号・二階室内
   長い指を額に当てて瞑目する屋敷。
屋敷「二度目の説明でより解像度の増した点
 がある」
渡村「何だい?」
屋敷「やはり、君は彼女のことを憎からず想
 っているのだろう」
渡村「冗談じゃない。僕が婿養子だってこと、
 承知の筈だぞ」
屋敷「それはそれ、これはこれ」
渡村「・・・好みかそうじゃないかと問われ
 たら、前者だけど・・・」
屋敷「だろうね。実に抒情的な描写だった」
   屋敷、十本の指を渡村に向けて開く。
屋敷「先達の知恵に従って、有り得ない仮説
 から排除していこう。まずジョギング説。
 通勤ついでに健康増進を目指すような賢い
 女性であれば僕も是非お近づきになりたい
 ものだが、残念ながら否だね。とても運動
 に向いた靴ではない」
   右手の親指を折る。
屋敷「次にレース説」
渡村「レース?」
屋敷「彼女は毎週水曜の朝に開催される闇の
 レースの出走馬なのさ。他に走っている人
 を見かけないのは、対抗馬を寄せ付けない
 大本命ということだろう。ヒールはきっと
 ハンデだね」
   渡村の顔色を窺って。
屋敷「そんな顔するなよ。女性を馬扱いする
 とは何事かって言いたいんだろう。ただの
 与太話だってば。ではこれも除外」
   左手の親指を折る。
屋敷「お次は・・・」

●同・承前
   消去法を続ける屋敷。
   折られていない指は両の小指のみ。
屋敷「これも彼女に微塵も楽しんでいる様子
 が見えない以上、排除して構わない」
   右手の小指を折る。
   一本だけ高く突き出た左の小指。
屋敷「有り得ない仮説を全て取り除いた後に
 残ったものは?」
渡村「どんなに有りそうになくても真実」
屋敷「有名人の受け売りは癪だがその通りだ。
 既にこの指先に真実の灯は点っている」
   小指を渡村に突きつける屋敷。
屋敷「ここで敢えて聞こう。君は本当に知り
 たいかね、彼女が走る訳を。たとえそれが
 如何に受け入れ難い理由であろうとも」
渡村「いやに勿体ぶるじゃないか。いまさら
 言質を取る必要もないだろう」
屋敷「分かった。好奇心がいつか君を殺さぬ
 よう願うよ」
   指を引っ込め、ふと思いついたように。
屋敷「時に、今日は何月何日だったかな」
渡村「どこかに有ったんじゃないか。温泉の
 土産物のキューブカレンダー」
屋敷「意地が悪いな。今すぐ発掘できると思
 うかい? それに僕が毎日更新していると
 でも?」
渡村「・・・六月二十六日だよ」
屋敷「ありがとう。じゃあ来週の水曜は七月
 三日だな。七夕には少し早いがまあいいさ」
渡村「何の話だ?」
屋敷「秘密を知る方法だよ。七月三日水曜日、
 君はいつも通りの時間に出勤したまえ」
渡村「・・・・・・」
屋敷「そしていつもの場所で彼女に出会った
 ら・・・真正面からぶつかればいい」
渡村「分からん奴だな。直接聞けないとあれ
 ほど・・・」
屋敷「文字通りの意味だぞ。すれ違う直前に
 彼女の走路に出るんだ。衝突だよ、衝突」
   渡村、物の怪でも見たような表情。

●商店街・朝
   仄明るいアーケードの下。
   気が進まない歩調の渡村。
   頭に反響する屋敷の言葉。
屋敷(声)「僕を信じるんだ。万一警察ざた
 になったら、僕が責任を持って救い出して
 やるよ。秘伝のジウジツを使ってね」
   角を曲がって駆けてくる女性。
   長い髪と赤いコートの裾をなびかせて。
   端正な顔に焦りの色を浮かべて。
   悩む暇もなくぐんぐん縮む距離。
   五mまで接近した時、渡村スライド。
   眼前に迫った女の表情は変わらず。
   渡村、衝撃を覚悟して目を瞑る。
   何事も起こらない数秒間。
   恐る恐る目を開く渡村。
   眼前に人の姿は無く。
   予感にとらわれ振り返ると。
   五m後方で立ち止まった女、同様に。
   視線を絡ませる二人。
   やがて女の表情が柔らかく解けてゆく。
走女「そっか・・・もう走らなくていいのね」
   一陣の風と共に消える女。
   後に舞う数枚の白い羽根。

●大福町二番二一号・二階室内
   浮かない顔で入ってくる渡村。
   珍しく片付いた室内。
   屋敷がデスクで新聞を読んでいる。
屋敷「やあ、おはよう。謎は解けたかい」
渡村「・・・まあね」
屋敷「その割にスッキリしない顔じゃないか。
 コーヒーでもどう?」
渡村「頂くよ」

●同・承前
   椅子を寄せ合ってコーヒータイム。
渡村「どうして君の所の食器はことごとく欠
 けているんだ?」
   お互いのカップの欠けを見比べる。
屋敷「この世界は危険に満ちているからさ。
 食器が欠けるたび、僕の身代わりになって
 くれたと感謝することにしている」
   古い新聞を渡村に寄越す。
   開いた社会面の小さな記事を示して。
屋敷「階段に積みっぱなしの古新聞が役に立
 つこともあるね。去年の二月八日水曜日、
 通勤時間帯に痛ましい事故が起きた。商店
 街で歩行者と自転車が衝突。打ちどころが
 悪かったのか歩行者は意識が戻らないまま
 二日後に死亡。過失割合は通常自転車の方
 が高いものだが、歩行者が脇道から飛び出
 したという情状もあって比較的軽い処罰で
 済んだようだ」
渡村「・・・・・・」
屋敷「その頃、君はまだここには通っていな
 かったからね。知らないのも無理はない」
渡村「・・・・・・」
屋敷「思うに、彼女のような存在は得てして
 <習慣>に縛られているものだ。あの日は
 恐らくいつもの電車に乗り遅れそうだった
 んだろうね。そして、もう急ぐ必要が無く
 なった後も彼女は走り続けた。毎週水曜日
 の<習慣>、ルーティンとして。君は彼女
 に気づかせてあげたんだよ、もう走らなく
 てもいいんだと。だから渡村くん、胸を張
 りたまえ」
   物思いに沈む渡村の背中を叩く屋敷。
渡村「なあ、屋敷・・・」
屋敷「何だね」
渡村「明日から通勤路を変えようと思うんだ」
屋敷「それがいい。何かを変えたいと思うの
 なら、手っ取り早く<習慣>を変えること
 から始めるのが・・・」
渡村「違うんだ・・・」
   喪失感に満ちた目で見る渡村。
渡村「どこか他にいわくつきの道を知らない
 か。決まった時間に何か出そうな・・・。
 多少遠回りになったって構わない。代わり
 の<習慣>を見つけないと、この先やって
 いけそうにない・・・」





                   了

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