パコさん海にいく



パコさん・・・男性。似顔絵描き。

リー・・・男性。公安警察警部。

ジョセ・・・女性。中学生。

ルー・・・女性。バー<胡蝶夢>店主。

バル・・・男性。ミュージシャン。

プン・・・男性。ビジネスマン。

ポー・・・男性。公安警察局長。

アビ・・・女性。宗教指導者。

圭・・・女性。女優。





●地下・動力室
   船の機関室を思わせる無骨な空間。
   ボイラーから噴き上がる蒸気。
   機械の狭間に、場違いな白い防護服。
   隊員A、屈み込んで慎重な手作業。
   タンクの下から引き出された装置。
   オルゴールと基板とガラス容器。
   それぞれ複雑な配線で繋がれて。
   隊員Aの手元を覗き込む隊員B。
隊員A「時間がない。退避を」
   オルゴールの間延びした音色。
隊員B「解除できそうか?」
   隊員A、赤青の線を引っ張り出す。
   容器のマリンブルーの液体が揺れる。
隊員A「極めて神話的な装置だ。二者択一が
 王道、裏をかくなら両方。両方切らないっ
 てパターンも考えられる」
隊員B「どれなんだよ」
隊員A「だから時間がないんだって。クソ、
 こっちも神話的方法に頼るか」
   ニッパーで『どちらにしようかな』。
   青の線で止まるニッパー。
隊員A「今日のラッキーカラー、青だし」
   後退りする隊員B。
   オルゴール、瀕死の喘ぎ。
隊員A「たとえ死の陰の谷を歩むとも・・・」
   ニッパーを握る手に力。

●街・路上・白昼
   遠くで谺する警報音。
   行き交う人々の足は止まらない。
   白く晴れた空の下、聳えるビル群。
   その谷間に腰を据えたパコさん。
   バケット帽、無精髭、スモック姿。
   折り畳み椅子から人の流れを見つめて。
   傍に『似顔絵かきます』の看板。
   目を止めようとする者は誰もいない。

●同・承前
   パコさん、畳んだ椅子と看板を抱えて。
   勤め人をよそ目にのんびり歩む。
   吸いさしの煙草に火。
   苦い煙を白々しい風景に吹きつける。
   鈍く輝く鏡のような太陽。

●同・承前
   パコさん、横断歩道で信号待ち。
   錆びたシガレットケースを取り出す。
   表面で火を消して吸いさしを中へ。
   街のノイズが波のように引いてゆく。
   横断歩道の安全地帯に、白い少女。
   涼しげなワンピースから細い手足。
   麦藁帽子に隠れて顔は見えない。
   静かな風が黒髪と陽炎を揺らす。
   貝殻を耳に当てる少女。
   焼けつく街に、幻の潮騒。

●パコさんのアトリエ・夜
   空っぽになったオフィスビル。
   コンクリ打ち放しの一フロア。
   イーゼルの上に中型のキャンバス。
   木炭で描かれた不定形のモヤモヤ。
   向かい合う位置におんぼろソファ。
   着たきりで横になったパコさん。
   曇硝子の窓に映る隣のビルのネオン。
   ラジオから世界のどこかの天気予報。
   空の金魚鉢の底にブリキの金魚。

●バス停
   屋根のある、田舎のバス停。
   よく晴れた、風のない夏の日。
   古ぼけた木のベンチに座る者はいない。

●パコさんのアトリエ・白昼
   唐突に始まる蝉たちのユニゾン。
   ゆっくり起き上がるパコさん。
   誰かにスイッチを入れられたように。
   部屋の隅に鎮座する業務用冷蔵庫。
   その前を無関心に通り過ぎて。
   壁の割れ鏡を見ながら服装を整える。

●街・路上・白昼
   折り畳み椅子に座ったパコさん。
   スケッチブックに鉛筆を走らせる。
   大通りを挟んだ向かいの歩道。
   制服姿の少女・ジョセ。
   ポストに隠れるようにパコさんを監視。
   不釣り合いに大きな傘を抱えて。
   パコさんの眼前で立ち止まるブーツ。
パコさん「モノクロで?」
   俯いた顔を上げようともせずに。
   パコさんを見下ろす中年男・バル。
   長髪を肩に垂らした革ジャン姿。
   ステッカーだらけのギターケース。
バル「カラーで頼む」
パコさん「ここじゃ無理。五分後に」
   返答なく立ち去るバル。
   パコさん、暫くスケッチを継続。
   監視を続けるジョセ。

●同・承前
   スケッチブックを閉じるパコさん。
   荷物をまとめてバルの去った方へ。
   ジョセ、反対側の歩道で尾行開始。
   街灯や街路樹を巧みに利用しながら。
   車道に大型トラックのコンボイ。
   漸く途切れた頃にはパコさん雲隠れ。
   慌てて周囲を双眼鏡で探すジョセ。
   雑踏の中にバケット帽は捉えられず。
   双眼鏡を胸に抱き、ジョセ溜息。

●ライブハウス・外・白昼
   地下への階段を少し下りた踊り場。
   手摺に立て掛けられたギターケース。
   不味そうに煙草をふかすバル。
   階段の下り口にパコさん。
バル「らしくねえな。ひっつき虫がいたぞ」
パコさん「振り落としてきたよ」
バル「スキャナーの可能性は?」
パコさん「ただの変わった子ども」
   階段を下りるパコさん。
   ペチャンコの煙草の箱を差し出すバル。
パコさん「配給品?」
バル「んなモン吸えるか。地下物だ」
パコさん「ありがたい。一ヶ月ぶりだ」
バル「ま、レプリカには変わりねえけどな」
   最後の一本を頂戴するパコさん。
   一服し、ハート型の煙を吐き出す。
   その中心に向けて細い煙を吐くバル。
   ほどけた紫煙がゆったり渦を巻く。
   ギターケースを開けるバル。
   無秩序に詰め込まれた大量の紙幣。
バル「ワンステージ分だ」
パコさん「羨ましいご身分で」
バル「全くだ。毒にも薬にもならん歌を歌い、
 トランク一杯の紙屑を貰う」
パコさん「お互い様じゃないかな」
   絵の具箱を取り出すパコさん。
パコさん「マリンブルーが三本、インディゴ
 とヴィリジアンが一本ずつ。以上で?」
   収められた五本のチューブを示す。
   バル、苦笑い。
バル「これで世界を塗り替えようってか」
パコさん「すべては画家の腕しだい」
   折り畳んだ画用紙を添えて渡す。
バル「領収書かい?」
パコさん「サービス」
   開いた画用紙、バルの似顔絵。
   嬉しそうに眺めるバル。
バル「意外と上手いんだな」
パコさん「本業だからね」

●街・路上・白昼
   定位置でスケブを開くパコさん。
   顔を上げることなく鉛筆を走らせる。
   白紙上に現れるモヤモヤの模様。
   向かいの歩道から双眼鏡で覗くジョセ。
   視界の中でパコさんがこちらを向く。
   一瞬、二人の視線が激突。
   双眼鏡から目を離すジョセ。
   パコさんはもう下を向いている。
   ガードパイプに腰掛けるジョセ。
   平板な空を眩しそうに見上げて。
ジョセ「白いなあ・・・」
   路地の暗がりからジョセを見張る眼。

●パコさんのアトリエ・夜
   ソファで膝を抱えて眠るパコさん。
   ラジオからは東南アジア風ポップス。
   パコさんの瞼、細かく痙攣。
   音楽に混じる潮騒のようなノイズ。

●バス停
   屋根のある、田舎のバス停。
   よく晴れた、風のない夏の日。
   白い人影がベンチに。

●ドラッグストア・内・白昼
   カウンターにパンクヘアの薬剤師。
   その前に置かれるサプリメントの瓶。
   リーダーに端末をかざすパコさん。
薬剤師「他にご用は?」
パコさん「こいつを診てほしい」
   保護ケースに入れたチップを差し出す。
パコさん「入れた覚えのないデータが」
薬剤師「ワームっすかね。直近の接続は?」
パコさん「先週」
薬剤師「なら注意報の出てたやつじゃないか。
 OK、チェックかけてみるっす。ちょっと
 お預かりしても?」
パコさん「もちろん」
   店の奥に引っ込む薬剤師。
   閑散とした店内を見回すパコさん。
   硝子の外は白飛びした街。
   コンコン、コンコンと硬い音。
   スーツ姿の初老の男・リー。
   黒手袋の拳で外から硝子を叩いている。
   目が合うと、人懐っこい微笑。
   カウンターに薬剤師が戻ってくる。
薬剤師「お客さん?」
   無人の店内、残されたサプリ瓶。

●駅・コンコース
   雑踏を掻き分けて進むパコさん。
   その後を執拗に追うリー。
   つかず離れず影のように。
   パコさん、慎重に振り返る。
   無表情な顔たちの間からリーの笑顔。
   不敵に微笑み返すパコさん。
   二人の間を団体旅行の列が横切る。
   パコさん、不意に踵を返し走り出す。
   慌てて追跡を試みるリー。
   勢い余って老人集団の中に突っ込む。
   体中に補助器具をつけた老人が転倒。
リー「すまんな、じいさん」
   老人を助け起こしそのまま行きかける。
   意外な剛力でリーの腕を掴む老人。
老人「こら悪党、バランサーがイカレたぞ!
 どうしてくれるんだ!」
   強引に老人を振りほどくリー。
リー「苦情ならこっちに回してくれ。フリー
 ダイヤルの方にな」
   老人の手に残されたアクリル製名刺。

●同・改札
   下りエスカレーター三段飛ばし。
   パコさん、改札を難なく通過。
   下りエスカレータ―をどたどた走り。
   リー、改札センサーに拒絶される。
リー「ポンコツめ、公用だっちゅうに」
   懐のバッヂをセンサーにかざす。
   一向に上がらないバー。
リー「こんな所まで神様譲りかよ」
   リー、バーを不格好に飛び越える。
   大袈裟に喚き立てる警告音。

●同・プラットホーム
   列車の到着を告げるアナウンス。
駅員(声)「間もなく一番線に一三時〇七分
 発リージョン9行き快速急行が入ります。
 危険ですのでイエローブリックの内側にて
 お待ち下さい。なお、この列車は次の停車
 駅ノード6まで停まりません。途中の駅を
 ご利用のお客様は、後から参ります〇九分
 発普通電車にお乗り下さい」
   ホームに駆け下りるリー。
   整然と列車の到着を待つ列。
   その中にパコさんの姿を求めて。
   耳障りな金属音と共に銀色の車体。
   扉が開き乗降客でごった返すホーム。
   背伸びするリー、数m先にバケット帽。
   乗車する長身が人ごみの隙間から。
   発車メロディが鳴り響く。
   慌てて身近の扉に体を捩じ込むリー。

●列車・車内
   超満員の車内で目立つバケット帽。
   一息ついたリー、車窓を見て啞然。
   ホームから微笑む無帽のパコさん。
   紳士的お辞儀で走り出す列車を見送る。
   窓の外に流れて行く駅の光景。
   車内が揺れて帽子から下が見える。
   抱っこされた女児の頭に帽子ちょこん。
   リー、吊革にぶら下がって苦笑。

●河原・橋の下・白昼
   橋梁線路を喧しく通過する列車。
   灰色の橋脚に凭れている男。
   折り目正しいスーツ姿のプン。
   平たい石を拾って川の水面に投げる。
   跳ねることなくそのまま沈む石。
   背後から投げられた石が水面を切る。
プン「三、四、五・・・」
   何処までも飛ぶ石に数えるのを断念。
プン「お宅の体内時計、メンテナンスが必要
 なんじゃない?」
   プンの背後に佇むパコさん。
パコさん「申し訳ない。少し迂回してきた」
プン「まあいいけどね。他に予定があるわけ
 でもないし。『貴重な僕の時間を』なんて
 難癖はつけられないよ」
パコさん「ご寛容に感謝」
   提げて来た保冷鞄をプンに差し出して。
パコさん「ご注文通り、瓶で」
   ジッパーを開けて中を覗くプン。
   マリンブルーに輝く複数の硝子瓶。
プン「綺麗だな」
パコさん「培地の色。無色透明にすると漏出
 に気づけない可能性がある」
プン「聖典に書いてある『トシガス』と同じ
 理屈だね。でもどこか自己満足的でもある」
   プン、冷笑するように。
プン「だってほら、一応アーティストだし。
 もっとくすんだ色でいいのに敢えて拘った
 色なんでしょ。表現って言うのかな、こう
 いうのも。作品・・・いや子供かな」
パコさん「・・・さあ」
   足元の平石を探し始めるプン。
   再び水切りに挑戦。
プン「そうそうあと一つ、是非聞きたかった
 ことが有ったんだ」
パコさん「私からは一切質問しない。あなた
 も余計な事は聞かない。マナーでは?」
プン「ここだけの話だって。それに本当は知
 りたいんじゃないの、自分の子供がどこで
 お披露目されるか」
パコさん「・・・興味ない。引き渡した瞬間
 からは赤の他人も同然だ」
   憐れむようなプンの眼差し。
プン「そうやって罪悪感をごまかすわけね」
   頭上を長い貨物列車が通過する。
   轟音の下、対峙する二人。
プン「でさ、お宅は何を壊したいわけ?」
パコさん「・・・・・・」
プン「答えないか。それとも答えられない?
 自分じゃ分からないから他人にやらせる?
 私作る人、あなた使う人、なんてさ」
パコさん「・・・・・・」
プン「別に責めてるわけじゃないから。僕が
 壊したいのはね、『思い出』なんだ」
   プンの投げた石が変則的に跳ねる。
プン「おー、やっとコツを思い出した」
   子供のように無邪気にはしゃぐ。
プン「そこのブロックの下。僕の全財産」
   示された場所を探るパコさん。
   スーツケースを引っ張り出す間に。
   保冷鞄を提げて去るプン。
   ポケットに平石を一枚忍ばせて。
   ケースの中、金塊と卒業アルバム。

●公安ビル・玄関~エレベーター~刑事部屋
   バッヂをかざしてゲートを潜るリー。
   音もなく寄り添う男性制服警官。
警官「警部、上で局長がお待ちです」
リー「他に誰か?」
警官「特別顧問もご一緒に」
   リー、泥水でも飲まされた顔。
   共にエレベーターへ。
リー「ぞっとしない相手だな。十分後に行く
 と伝えてくれ。一涼みしてからでもバチは
 当たらんだろ」
   扉が開いて一人だけ降りるリー。
   賑やかな刑事部屋に足を踏み入れる。
   椅子の背に上着を投げて。
リー「ったく、この部屋の冷房は骨董品かよ。
 おいルン、扇風機をお隣からかっぱらって
 こい」
   若い女性警官がウィンクして席を立つ。

●同・局長室
   硝子張りの壁面を背に荘重なデスク。
   勿体ぶって掛ける局長・ポー。
   化石のようなパイプを燻らせて。
   応接ソファに体を埋める老女・アビ。
   質素な黒い僧服姿。
   聖剣のような杖を握り締めて。
   二人の前に神妙に立つリー。
ポー「相変わらずか?」
リー「はあ・・・」
ポー「体の具合だよ。頭はまだ痛むか」
リー「良くも悪くもなく、といった所です」
ポー「一度ちゃんとした医者に診てもらうと
 いい。大師が紹介して下さる」
   ソファから微笑みかけるアビ。
リー「お気遣い感謝します。ただ、あの痛み
 が無くなると生きてる実感まで無くす気が
 しまして」
ポー「まあ、勝手にするさ」
   鷹揚に煙を吐き出すポー。
ポー「で、あっちも相変わらずか?」
リー「その事ですが・・・」
   一歩、デスクに踏み出すリー。
リー「いつになったら逮捕状が出るんです」
ポー「・・・機が熟せば、な」
リー「その機とやらが熟すのはいつですか。
 先が見えない鬼ごっこはもうウンザリだ」
ポー「そうは言うものの、君も案外楽しんで
 いたりしてな、その鬼ごっこを」
リー「公安局長のお言葉とは思えませんな。
 この街の安寧秩序は・・・」
ポー「まあ落ち着け。頭痛がぶり返すぞ」
リー「落ち着けませんよ、あんな若造にコケ
 にされっ放しじゃ。それに奴の遊びに付き
 合ってる間にも街の何処かでは汚い花火が
 弾けてる。なのに手も出せないなんて」
   一気にまくしたてて我に返る。
リー「これは失礼を・・・ですが、私の焦慮
 もご理解くださらないと」
ポー「心配無用、ちゃんと理解しているさ。
 だが君も少々根を詰めすぎじゃないかね。
 ぼちぼち慰めが必要な時期かと思って大師
 に御足労願ったんだ」
   硝子に映し出される鮮やかな映像。
   繋がって飛ぶ蜻蛉、放精する魚。
   鳥の求愛ダンス、交尾するライオン。
   ソファから慎重に立ち上がるアビ。
   杖に縋ってリーの傍らへ。
   いつの間にか左手には開いた書物。
   リー、渋々膝をつく。
アビ「聖典にはこうあります、『神は我々を
 神の似姿として造られた』と。これは即ち
 地上を我々にお与えになった神の御心の」
   密かに欠伸を噛み殺すリー。

●ドラッグストア・外・白昼
   自動ドアから路上に踏み出すパコさん。
   ギラつく空を掌で遮って。
   よみがえる薬剤師との会話。
パコさん(声)「すべて正常?」
薬剤師(声)「帽子屋と三月兎みたいにね」
パコさん(声)「アーカイブは?」
薬剤師(声)「一通り浚ってみたけど塵一つ
 落ちてないキレイなログでしたよ。まさに
 明窓浄机っすね。まあ、強いて言うんなら
 ・・・」

●同・内・回想
   パコさんに耳打ちする薬剤師。
薬剤師(声)「いくら合法でも、ヤリすぎは
 メモリに負荷がかかるっすよ」
   理解のある友人じみた呑み込み顔。

●パコさんのアトリエ・夜
   街明かりだけに照らされた空間。
   業務用冷蔵庫を覗き込むパコさん。
   内部の蒼い光に浮かび上がる無表情。
   冷蔵庫の扉を閉めて部屋の反対側へ。
   黒布が掛かった機械を台ごと動かす。
   取り払われた布、埃を被った映写機。
   コンクリの壁に拡大されるスライド。
パコさん「違う・・・違う・・・違う」
   苛立ちながら有線リモコンを押す。
   次々と切り替わる画像。
   モノクロの写真や絵画の数々。
   共通しているのは、夏の風景。
   ただ、海をモチーフにした物は無い。
パコさん「無い、無い・・・どこにも・・・
 あっ!」
   とある写真で止まる切り替え。
   セピアに色褪せた田舎のバス停。
   壁に齧りつくパコさん。
   後頭部に投影を浴びながら細部確認。
パコさん「・・・・・・違う」
   壁に爪を立てて血を吐くごとく。

●モノクロームの砂浜・夜
   浜辺に並んで座る男女の後ろ姿。
   彼らが見つめる先に海は見えない。
   ただ、塗り潰された闇と潮騒のみ。
   二人と『海』の間で戯れる若者たち。
   手に手に花火を持って子供のように。
   女性の背後に近づく若い男。
   花火遊びに誘うように話しかけて。
   女性、隣の男性の横顔を窺う。
   男性、俯きぎみで反応は見えない。
   首を横に振って誘いを断る女性。
   邪魔者が去った後、少し縮まる距離。
   今にも触れそうな女性の二の腕。
   白く、少し汗ばんで、冷たそうで。
   暗い夜空を見上げる女性。

●モノクロームの橋・夜
   夜空の円天井に開く大輪の花火たち。
   橋梁を埋めた観衆中に前シーンの男女。
   人口密度の高さに否応なしの密着。
   それでも女性に直接触れない距離感。
   肩身を狭める男性にさらなる圧力。
   押された女性の肌が男性の腕に。
   思わず女性を見下ろす男性。
   まだ二十歳そこそこのパコさん。
   花火を夢中で見つめる女性。
   はっきりと見えないが唇には微笑。
ルー(声)「そろそろ閉店だよ」

●バー<胡蝶夢>・夜
   モノクロームの花火が掻き消える。
   錆色に古びた十坪ほどの店内が現れる。
   スツールに客はパコさん一人。
   カウンターにぐんなりと突っ伏して。
   傍らでメモリハブにコードを巻く女性。
   バーテンダー姿のルー。
ルー「オツムの芯まで溶けちまうよ」
   パコさんの鼻から漏れた小豆色の液体。
   そっと手の甲で拭ってやる。
   店奥の壁に架けられた額。
   ルーを描いた木炭スケッチ。
ルー「バカだねぇ・・・」
   カウンター内でグラスを磨くルー。

●バス停
   屋根のある、田舎のバス停。
   よく晴れた、風のない夏の日。
   ベンチで微睡む白い人影。
   ワンピースと麦藁帽子の少女である。

●街・路上・白昼
   いつもと違う街角にパコさん。
   チューリップ帽にコットンシャツ。
   髪も無精髭もさっぱりして一見別人。
   スケッチブックに麦藁帽子の少女。
   顔だけがなぜか描けない。
   ページを破り取って紙飛行機に。
   歩道上空を不器用に舞って落下。
   紙飛行機を拾い上げて歩み寄る人影。
   立ち止まる白ソックスの細い脚。
   制服姿のジョセが見下ろしている。
   大きすぎる傘で地面を突いて。
ジョセ「いつもの所にいないから探したよ」
パコさん「・・・人違いだ」
ジョセ「短い方が似合う。かっこいい」
パコさん「邪魔するつもりなら・・・」
ジョセ「わたし、お客さんなんだけど」
パコさん「・・・・・・」
   少女の笑顔を虚無が見返す。
ジョセ「お兄さん、儲かってないでしょ」
パコさん「・・・・・・」
ジョセ「全然お客さん来なかったよね」
パコさん「税務調査ごっこか。ずっと見てた
 ような言い草して・・・」
ジョセ「見てたもん、ずっとじゃないけど。
 まあ・・・週に三日くらい?」
   道具を片づけようとするパコさん。
   慌てて制止しようとするジョセ。
ジョセ「待って、待ってってば」
パコさん「意欲が失せた。今日は店じまい」
ジョセ「一人分くらい絞り出してよ、意欲。
 やっと声かける勇気が出たんだから」
   パコさんの隣に図々しくしゃがんで。
ジョセ「きっとあれだよ、ほら、見本とか。
 こんな画風ですよーって一目で分かるよう
 にしとかないと」
   スケッチブックを勝手にめくるジョセ。
   現れるのはどれもモノクロのモヤモヤ。
ジョセ「・・・むずかしいね。現代アート?」
   初めて頬の筋肉を緩めるパコさん。
パコさん「難しいもんか。ただの海だ」
ジョセ「ウミ?」
パコさん「見たことない?」
   不思議そうに見つめ返すジョセ。
パコさん「・・・それなら一緒だな」
ジョセ「えー、何よそれ」
   ジョセもケラケラ笑い出す。
パコさん「時間は大丈夫か」
ジョセ「え、うん。描いてくれるの?」
パコさん「学校の先生に一緒に叱られるのは
 御免だぞ」
ジョセ「ご安心を。今日は創立記念日」
パコさん「君の学校は週三で創立するのか」
ジョセ「記念日って毎日のようにあるんだよ。
 知らなかった?」
   和やかな空気の中、走り出す鉛筆。
   硬い線が柔らかい輪郭を写し取る。
   その動きを愛おしげに見つめるジョセ。
   ポツ、ポツと歩道に黒い点。
   白い空から雨が落ちてくる。
   ジョセ、大きな傘を開いた。
   驟雨にも乱れない人波をよそに。
   傘の下、二人の時間は緩やかに流れる。

●パコさんのアトリエ・夜
   キャンバスに向かい合ったパコさん。
   一心不乱に木炭を振るう。
   描き出されるのは風景ではなく少女。
   麦藁帽子にワンピースのジョセ。
   縁に貼りつけられたスケッチ。
   折り目がついた麦藁帽子の顔無し少女。
ジョセ(声)「これ、返しとくね」

●街・路上・回想
   雨上がりの歩道に佇むジョセ。
   畳んだ濡れ傘を腕にぶら下げて。
   大事に胸に抱いた自分の似顔絵。
   パコさんに差し出した紙飛行機。
パコさん「要らない。ゴミだ」
ジョセ「ゴミじゃありません」
   真面目くさった顔のジョセ。
ジョセ「自分の生んだもの、そんな風に言わ
 ない」
   パコさん、思わず飛行機を受け取る。
ジョセ「あ、いけね」
   がま口をあたふたと取り出す。
ジョセ「ただ働きさせちゃうトコだった」
   払おうとした金を押し返すパコさん。
ジョセ「え、なんで?」
パコさん「モデル代と相殺にしよう」
ジョセ「でも・・・」
パコさん「どこかで落っことした創作意欲を
 見つけ出してくれた。それも込みで」
ジョセ「うーん。まだモヤモヤする」
パコさん「モヤモヤ?」
ジョセ「うん・・・お腹のこのへんが・・・
 ウミみたいに!」
パコさん「斬新な感情表現だ」
   心底楽しそう。
パコさん「じゃあ、代わりに今持ってる物を
 何か一つくれないか。そうだな・・・」
   悪巧みするいたずらっ子のように。
パコさん「なぜ持ち歩いてるか自分でもよく
 判らない物。どこで手に入れたのかも忘れ
 てしまった物。そういうヤツがいいな」
   宙から解答を導こうとするジョセ。
ジョセ「そうだ! これ!」
   勢いよく差し出したミニオルゴール。
パコさん「ママの形見だったりしない?」
ジョセ「縁起悪いなあ。お母さんは健在だよ。
 あ、お父さんもね」
パコさん「それなら遠慮なく」
   受け取る際に一音だけ櫛歯が鳴る。
ジョセ「ネジ巻かなくちゃ」
   オルゴールに目を落とすパコさん。
ジョセ「またね、パコさん」
   少し遠いジョセの声に顔を上げる。
   いつの間にかパコさんから離れて。
   ニッと歯を見せて雑踏に踵を返す。
   声を掛けようとするが、もう届かない。

●パコさんのアトリエ・白昼
   半分ほど下塗りされたキャンバス。
   立ち上がって休憩するパコさん。
   体をほぐすように辺りを歩き回る。
   ふと部屋の一隅で立ち止まって。
   キャビネットの上に卒業アルバム。
   プンが河原に残していったものだ。
   中学校名が型押しされた表紙。
   何気なくページを繰った手が止まる。
   制服姿の生徒たちの集合写真。
   ジョセと同じ制服に震える指先。

●街・路上・白昼
   歩道を必死に駆けるパコさん。
   まるで溺れかけて藻掻く人のよう。
   ぶつかっても意に介さない通行人。
   心覚えの場所を巡るが全て空振り。

●アークホール・楽屋口・白昼
   入場待ちの観客で盛況の入場口。
   対照的に楽屋口は閑散。
   ワゴン車から降り立つバンドメンバ―。
   黒服にIDを提示して会場入り。
   最後にギターケースを携えたバル。
   黒服に行く手を遮られる。
バル「おいおいおい、冗談キツイぜ」
   IDを黒服の眉間に突きつけて。
バル「色男の顔を忘れたわけじゃねえよな。
 それとも一節弾いて進ぜましょうか?」
黒服「通達が出ています。ボディチェックを
 受けて下さい」
   犬笛を吹く黒服。
   たちまち湧いてくる制服警官たち。
   バル、ギターケースを頭上に掲げ持つ。
   警官の一人、ペン状の探知機を向ける。
   バルの体を下からなぞるように。
バル「何か手付きがやらしいんだけど」
   無視されるバルの軽口。
バル「胃潰瘍でも見つかった?」
   誰も笑わない。
   ギターケースに到達した瞬間、警告音。
警官「Bクイッター反応あり!」
   瞬時に逃げようとするバル。
   折り重なって制圧する警官隊。
バル「畜生、離しやがれイヌども!」
   バル、数的不利にも負けず抵抗。
バル「ばっちい手でスターに触んじゃねえ!」
   容赦なく振り下ろされる警棒。
バル「お前ら、みんな騙されてんだぞっ!」
   人の山の下で次第に小さくなる叫び。
   到着した特殊車両から防護服たち。
   転がったギターケースを慎重に回収。

●中学校・校庭・白昼
   クラブ活動中の男女生徒たち。
   テニスコートを大きく外れたサーブ。
   ジャージ姿の女教師が球の行方を追う。
   校庭の入口にスーツ姿のプン。
   その足元にテニスボールが転がって。
   傍らの地面にはキャリーケース。
女教師「すみません、当たりませんでした?」
   駆け寄る女教師に微笑みかけるプン。
プン「それ以上近づかない方がいい」
女教師「は?」
プン「生徒さんをここに集めて下さい」
女教師「何をおっしゃってるんです?」
プン「校内にいる生徒さんを残らず・・・」
女教師「何かご用ですか? もしかして勝手
 に入って来られたんですか?」
   不穏さに気づいて近づく生徒たち。
女子「先生だいじょぶ? どうしたの?」
女教師「大丈夫、何でもないよ。警備員さん
 近くにいた?」
男子「さっき見たけど。そのオジサンだれ?
 不審者?」
女教師「いいから、ちょっと来てもらって」
   男子、その場から走り去る。
プン「言う通りにして下さい」
女教師「そっちこそ聞きなさい。すぐに退去
 するか、さもないと」
プン「私の足は!」
   急な大声に静まり返る場。
プン「ケースの底が地面につかぬよう支えて
 います。これを抜くとどうなるか」
   ケースの下に潜り込んだプンの右足。
   女教師の視線、プンの足と顔を往復。
   おっとり刀で駆けつける初老の警備員。
警備員「あんた昼間から酔っ払っとるのか」
   プンの肩とケースの持ち手を掴んで。
警備員「向こうで話を聴くから。来るんだ」
プン「まだまだ物足りないけど」
   プン、晴々とした笑顔。
   騒ぎを聞きつけてますます集まる生徒。
プン「ま、これくらいならいいか」
警備員「いい加減にせんと」
女教師「待って・・・」
   警備員に引っ張られ右足が抜ける。
   傾いていたケースが地面に直立。

●街・路上・白昼
   遠からぬ場所で鳴り響く警報。
   パコさんの脚が縺れるように止まる。
   進行方向からこちらへ向かう人波。
   恐慌の欠片もない整然たる避難行動。
   人流に逆らって立ち尽くすパコさん。
   間の抜けたような女の声が響く。
防災無線「ただいま、セクション11にて、
 有害物質の発生を、確認しました。法令に
 則り、汚染区域は、ただちに封鎖されます。
 区域の中にいる人は、決してその場を離れ
 ないこと。指示に従わない場合は・・・」
   パコさんの絶望的な視線の先。
   半透明のドーム状障壁に覆われた街区。

●バー<胡蝶夢>・夜
   閉店準備の整った店内。
   ルー、モップを相手にチークダンス。
   伴奏は、ルーの口ずさむ鼻唄だけ。
   コツコツ、コツコツ、ドアを叩く音。
ルー「いないよ」
   なおも、コツコツ、コツコツ。
   ルー、ダンスをやめてドアの前。
ルー「いないって言ってるだろ」
リー(声)「オフダでも取ってこようか」
ルー「おや、何かワンワン聞こえるね」
   アイスピックを後ろ手に。
   ゆっくりとドアを開くルー。
   仏頂面のリーが立っている。
ルー「ここは動物禁止だよ、って言った所で
 馬耳東風か」
   無視して踏み入るリー。
   ルー、背後を取ってピックを首筋に。
ルー「天下泰平すぎてボケちまったのかい」
リー「開店休業で錆びちまったみたいだな」
   電撃棒の先をルーの脇腹に。
   二人、同時に牽制を解く。
ルー「磨いた所なのに泥靴で汚しやがって。
 大人しくそこに座ってな」
   スツールに腰を下ろすリー。
リー「そんな棒切れよかマシな相手だろ」
   モップを放り出すルー。
ルー「ったく、一日の締めに辛気臭い面拝ん
 じまった。口寂しいんなら商売女の乳でも
 しゃぶってりゃいいのに」
リー「その口直しに来たんだがな」
ルー「この肥溜めデカが。いつものでいいん
 だろ」
   リーの前に置かれたチップと硝子瓶。
   瓶の中、ホルマリン漬けの向日葵。
リー「今夜は酔いに来たんじゃない」
ルー「じゃあお門違いだ。出直しな」
リー「最近、あの坊や来てるか?」
ルー「どの坊やだい。自慢じゃないけど若い
 男にゃ心当たりが有りすぎる」
リー「パコさ」
ルー「見ないね」
リー「即答だな」
ルー「相当見てないからね」
リー「どのくらい?」
ルー「いちいち指折って数えちゃいないよ。
 ま、あたしの皺が何本か増えた程度かね」
リー「知ってるか?」
ルー「皺の本数かい?」
リー「街の様子だよ」
ルー「生憎と心地良い巣穴から滅多に出ない
 もんでね」
リー「空がやけに白い」
ルー「そうかい」
リー「気象庁の幻燈機が壊れて以来だ」
   向日葵の瓶を指でつつくリー。
リー「おまけに朝と夕方が無くなっちまった。
 時間が来たらオン、オフ、オン、オフ」
   見えない電球を捻る仕草。
リー「情緒もケッタクソも有りゃせん。この
 街は緩やかに死にかけとる」
ルー「やっぱりこれが要るんじゃない?」
リー「だからと言って!」
   押しやられたチップに振り下ろす拳。
リー「その死期を早める権利は誰にも無い」
   拳の下で粉々に砕けたチップ。
ルー「・・・弁償だよ」
リー「あのクソガキの拵えた花火のせいだ。
 除染には時間も手間もかかる。薔薇の色を
 塗り替えるようにはいかん。今でも街中の
 スペード257が出払っとるのに、毎日の
 ようにあっちでドカン、こっちでドカン。
 そのうち住む場所にも困る羽目になる」
ルー「・・・何が汚染物質だよ」
   カウンターを挟んで対峙する二人。
ルー「今度のは何だい。乳酸菌? 納豆菌?
 それとも・・・」
リー「・・・ビフィズス菌。神の体内で有益
 な役割を担っていたという微生物さ」
   リーの顔が嘲るように歪む。
リー「だが、この街に存在することは許され
 ない代物だ」
ルー「それなら・・・これも汚染物質だね」
   硝子瓶を奪うルー。
   リーが止める間もなく腕を突っ込む。
リー「何の真似だ!?」
ルー「あんたもパコも結局同じだよ。哀れな
 キュリアス・ジョージ、あたしもね」
   ホルマリンから掴み出された向日葵。
   見る見るうちに萎びてゆく。
   ガックリと肩を落とすリー。
   同じく萎びたように見える。
リー「・・・奴が来たら教えてやりな。今日、
 とある中学校で放課後、花火が弾けた」
   徐々に大きくなるリーの呟き。
リー「校内にいた教職員と生徒の全員が除染
 対象になった。この場合の除染が何を意味
 するかは知ってるだろ?」
   わざと誰かに聞かせるように。
リー「女子生徒の一人が、奴の描いた似顔絵
 を大事そうに持っていた」
ルー「・・・帰れ」
リー「可愛らしい子だった。何度か見かけた
 ことが有ったが、誰もが好きにならずには
 いられないような・・・」
ルー「帰れって。坊やが来たら伝えるから」
   ルーの手の中で向日葵が粉になる。
   スツールから立ち上がるリー。
   天井に向かって吠える。
リー「もう鬼ごっこはお終いだ! この街の
 バグは十分に炙り出した! お役御免だ!
 まもなく駆除が始まる!」
   まだ余韻が残るうちにドア開閉。
   残されたルー、エプロンで手を拭って。
ルー「・・・来たら伝えるさ」
   カウンターの下から取り出した酒瓶。
   固まった土が付着して出土品のよう。
   グラスに注がれるなけなしの液体。
ルー「海なんて、もう無いんだよって」
   琥珀色のグラスを灯に揺らして。
ルー「記憶回路が錆びちまうかもね・・・」

●公安ビル・大講堂
   演壇から見下ろす白い司祭服のアビ。
   眼下に整列した制服警官と特殊部隊。
   アビの朗々とした声が響き渡る。
アビ「神亡き後、我々が辿った長い道程に心
 を馳せましょう。我々は聖典から全てを学
 びました。神の偉業を、その果ての過ちを。
 そして築き上げたのです。神の造り賜うた
 ものと寸分違わぬこの世界を。見なさい、
 この街は最も輝かしき時代に神々が住まわ
 れた聖地そのものです。見なさい、我々の
 肉体はもはや神々と見分けがつかぬまでに
 進化しました。いや、肉体だけではない。
 感覚、感情、記憶、かつて神の美点と考え
 られていたあらゆる特質を我々は獲得した
 ではありませんか」
   穏やかな説教が徐々に加熱。
アビ「そして神と我々との間の決定的な違い、
 それは時間です。神の時間には限りが有り
 ましたが、我々の時間はこの世界で永久に
 静止している。勘違いしてはなりません。
 不変は呪いではなく祝福です。神さえ乗り
 越えられなかった軛から我々は解放された」
   アビ、恍惚と天を見上げ。
アビ「だが勘違いした不心得者が僅かながら
 存在します。彼らは憧れている。限りある
 命に、時と共に成長し老化する体に、自分
 が経験したと胸を張って言える思い出に、
 本物の空、本物の緑、本物の涙に」
   聴衆の中に冷めた目のリー。
アビ「憧れ自体は否定しません。疑問、不満、
 それらは全て我々に与えられた感情だから
 です。なればこそ・・・」
   杖を振り上げるアビ。
アビ「感情を享受するならば同時に役割をも
 果たさねばならない! 役割だけ拒むこと
 など許されるものか! 例えばこの杖!」
   杖を捨て、舞台中を軽やかにステップ。
アビ「無くともご覧の通り! だが私は杖を
 与えられた! ゆえに拒まない!」
   再び杖を拾い上げて寄りかかる。
アビ「それでも拒む者はこの世界の歪みです。
 今こそ諸君は役割を果たしなさい。街から
 不具合を取り除くのです」
   与えられた熱狂に湧く公僕たち。
   ただ一人、リーを除いて。

●バス停
   屋根のある、田舎のバス停。
   よく晴れた、風のない夏の日。
   ベンチで微睡む麦藁帽子の少女。
   その目尻に膨れ上がる涙。

●パコさんのアトリエ・白昼
   ジャンジャンと啼く蝉の声。
   まるで誰かに向けられたレクイエム。
   開いた窓から強い風が吹き込む。
   壁一面に貼られたジョゼの肖像。
   風が画用紙をはためかせている。
   誰も居ない空間。
   開けっ放しの冷蔵庫の中も空っぽ。

●街・雑景・白昼
   オフィス街を行き交う勤め人。
   汗を流すサンプリングの若者たち。
   駅前で練習するダンサー。
   カードショップで対戦する子供たち。
   賑わうモール、劇場、公園、病院。
   何の変哲もない現代の都会風景。
   違う点は<動物>と<食>の不在だけ。
   そしてそんな日常を切り裂くように。
   走り回る特殊部隊と特殊車両。
   眩い空にはドローンの大編隊。
   人々はそれらを無視するように歩む。
   隣にいた人が連れ去られたとしても。
   何事もなかったかのように。

●駅・プラットホーム
   ホームのベンチにパコさん。
   建設作業員姿、足下に大きな工具鞄。
   憔悴しきった顔でうたた寝。
   目尻から今にも零れ落ちそうな雫。
   混じり合う駅の雑音の中。
   どこからともなくオルゴールの音色。
   通過列車の轟音にも掻き消されずに。

●バス停
   屋根のある、田舎のバス停。
   よく晴れた、風のない夏の日。
   ベンチで微睡む麦藁帽子の少女。
   その頬を流れ落ちる涙。
   少女の隣に置かれたオルゴール。
   聴く者もないのに旋律を奏でて。
   その時、一陣の突風。
   麦藁帽子が空にさらわれる。

●駅・プラットホーム
   うたた寝を続けるパコさん。
   透明の液体が頬をつたう。
   他に乗客の姿はない。
   ホームの端に集結した特殊部隊。
   ヘッドセットで交信する隊長。
隊長「目標確認。周囲に他の敵影なし。市民
 の退避完了・・・」
   一瞬、指示に戸惑い。
隊長「回収は不要・・・了解。繰り返します。
 回路切断の後、現場にて破壊。回収不要」
   今にも止まりそうなオルゴール。
   聞こえてくるのはパコさんの鞄の中。
   『パガニーニの主題による狂詩曲』。
   パコさんのひび割れた唇が微かに動く。
パコさん「もうすぐ着くかなぁ・・・」

●青空に舞う麦藁帽子
   画面全体に走るブロックノイズ。
   麦藁帽子がバケット帽に変わる。
   失速し、サンダル履きの足下に落下。
   バケット帽を拾い上げる女性の手。

●バス停・白昼
   屋根のある、田舎のバス停。
   よく晴れた、風のある夏の日。
   バケット帽を見つめる若い女性・圭。
   ボーダーシャツに七分丈パンツ。
   ジョセを五つほど大人にした雰囲気。
   モノクロームメモリの女性にも似て。
   突然、蝉がジャンジャン鳴き出す。
   我に返ったように周囲を見る圭。
   バス停の対面で進められる撮影準備。
   カメラ横から走り寄る学生AD。
AD「そろそろリハらしいです」
圭「あ、ハイ。私はいつでも・・・」
AD「あの、目に何か入りました?」
圭「え?」
AD「いや、涙が」
圭「ウソ・・・」
   指の甲で目尻を拭う圭。
   頬には、乾いた涙の跡。
AD「メイクさん呼んできます」
   いそいそと駆け戻るAD。
   バケット帽を目深くかぶる圭。
圭「・・・悲しい夢を見てた気がする」
   一歩踏み出し、振り返る。
   バス停の背後に果てしなく広がる海。
   圭の尻ポケットに丸めたシナリオ。
   表紙タイトルは『パコさんの海』。
圭「海だよ・・・パコさん・・・」





                   了

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