un poisson à la carte



深浦(二九)男性。会社員。
天音(一七)女性。深浦の妹。
亜夜(二七)女性。深浦の妻。

児嶋(三六)女性。小説家。
荘野(二八)女性。編集者。

翔太郎(二一)男性。大学生。
準之助(一九)男性。大学生。

芳村(四七)男性。旅人。

吾川(五四)男性。料理人。
尾沼(四三)女性。仲居。

アン子(?)女性。鮟鱇。





●観光ホテル<古里>・外観・午後
   山懐に抱かれた四階建のホテル。
   頂から降る霧が山腹を優しく覆う。
   澄んだ山気を震わせる虫の合唱。

●同・裏庭
   建物と山に挟まれた静かな庭園。
   小径をあてもなく散策する天音。
   小柄な肢体にボーイッシュな装い。
   落葉の浮いたプールに小波が走る。
   視界の端に映る鮮やかな色彩。
   天音、庭園の奥に足を進める。
   柵の向こうで羽を広げる一羽の孔雀。
   孤独な艶やかさに目を奪われて。
   突然、水の流れる音。
   本館に連なる管理棟の入口。
   薄暗い中にぼんやり見える構造物。
   入口から覗き込む天音。
   コンクリ打ちの倉庫にフック付き三脚。
   そこに吊り下げられた鮟鱇(アン子)。
   アングラ開けた下顎で巨体を支えて。
   上付きの青い目が天音の視線を捉える。
アン子「なによ、オバケでも見た顔して」
   アン子、心の声(以下全て同)。
   天音、好奇心と恐る恐るの狭間。
   足下を濡らす水も気に留めずに。
   水の出所は床を這ったホース。
アン子「気になるなら代わってあげようか」
吾川「お嬢さん、何かご用?」
   塩辛声に振り返る天音。
   レザーエプロン姿の吾川。
   両手に包丁とバケツを持って。
天音「どうするの、この子」
吾川「どうするって、捌くんだよ」
天音「ここで?」
吾川「厨房でバラすにゃデカすぎるからね」
   アン子の下にバケツを置く吾川。
吾川「気持ちのいいモンじゃないよ」
アン子「ちょっと、失礼な物言いじゃない?
 これでも鮪と並ぶ花形なんですけど」
吾川「最近じゃショーにしてる所も多いけど、
 俺は何か違う気がするんだ」
天音「ね、誰か呼んできてもいい?」
アン子「アンタ分かってるじゃない。こんな
 辛気くさい所で人知れず朽ちるような雑魚
 じゃないのよ、アタシは」
吾川「そんなには待たないよ」
天音「オッケー、すぐ戻る」
アン子「イケてるオス連れて来なさいよアバ
 ババババ・・・」
   アン子の口にホースで水を注ぐ吾川。

●一皿目
   テーブルに置かれる<どぶ汁>。

●ホテル・<猫の間>・午後
   座椅子に凭れてスマホを弄る深浦。
   広縁でぼんやり空を眺める亜夜。
亜夜「アレ、何ていう鳥かな?」
   奇声を上げて飛ぶシルエット。
深浦「さあね・・・くそっ、圏外か」
亜夜「こっち来て見なよ。すっごく大きい」
深浦「トンビだろ。じゃなきゃコンドル」
亜夜「見もしないで、適当」
   諦めて固定電話ににじり寄る深浦。
深浦「仕事の電話だから、少し黙ってて」
   おっとりした顔を顰める亜夜。
   これ見よがしの溜息で再び窓を。
   その背後から顔を出す天音。
天音「あの汚声は鷺ですな。間違いない」
亜夜「びっくりしたぁ。いつ帰ったの?」
天音「今。お義姉ちゃん暇そうだね」
亜夜「そうでもないけど?」
   電話に向かう深浦の背中をチラ見。
亜夜「ここでマッタリするのも旅の醍醐味」
天音「面白いもの見に行かない?」
亜夜「こんな山の中で? 何?」
天音「美女切断イリュージョン!」
   亜夜の肩から両腕で抱きつく。
亜夜「やだもう、近すぎるって」
天音「いいじゃん。やらかくて気持ちいいん
 だもん」
   ふざけて体重を預ける天音。
亜夜「コラ、重い重い」
天音「お義姉ちゃんよりは軽いですー」
亜夜「ヒドイ、気にしてるのにぃ・・・」
   のしかかられながら満更でもない。
亜夜「天音ちゃんだって意外に重そうなもの
 持ってるじゃないの。背中に当たってます
 けど?」
天音「意外は余計だよ。まだ発展途上」
深浦「ハイ。ハイ。結構な御祝儀ありがとう
 ございます。そうなんですよ。海外の予定
 だったんですけど現地がクーデターとかで。
 仕方なしに国内で慎ましく・・・」
   妻と妹の戯れには目もくれずに。
   亜夜、横目で見てフーっと吐息。
亜夜「そうね、行こうか」
天音「じゃあこのままレッツゴー!」
亜夜「無理に決まってるでしょ。新婚旅行で
 腰でも痛めたら皆に何て言われるか」
   口にしてから赤面する亜夜。
   天音、パッと体を離す。
天音「それはお兄ちゃんのコケンに関わるね。
 りょーかい、自分の足で歩くであります」
   深浦の背中に向かって。
天音「いつまでもよそ見してたら奥さん盗っ
 ちゃうからね」
深浦「そういうわけなので何かあった時には
 直ぐにでも飛んで行きます。どうぞどうぞ
 ご遠慮なく・・・」
   そーっと部屋を後にする女たち。

●二皿目
   テーブルに置かれる<とも和え>。

●ホテル・<蛙の間>・午後
   座卓に開かれたノートパソコン。
   その前で呻吟する丹前姿の児嶋。
   対面で静かに読書するスーツ姿の荘野。
児嶋「ジュンジュン、一つ質問いいかい」
   荘野、眼鏡の奥の瞳がギラリ。
荘野「どうぞ。あと、私のことは荘野と」
児嶋「・・・荘野さん、今年って二〇二×年
 だよね?」
荘野「ええ、その通りです」
児嶋「よかったー。私、タイムリープしたん
 かと思ったわー」
   荘野、機巧人形のように首を傾げる。
児嶋「見てよホラ、このシチュエーション」
   大袈裟に部屋を見回して。
児嶋「完全に昭和! この時代に、宿に缶詰
 ですよ? 王道復古やアナクロニズムにも
 許容限度ってものが・・・」
荘野「やむにやまれぬ編集部の事情です。次
 原稿を落とすと私を通り越してボスの首が
 飛ぶので」
児嶋「あの人の猪首、そんじょそこらのポン
 刀でも飛ばせないって。ギロチンでも無理
 だねきっと」
荘野「ボスの胃薬が最近第一類に変わったの、
 ご存知ですか」
児嶋「う・・・」
   叱られた子のように縮こまる。
児嶋「せめてWiFiだけでも・・・」
荘野「資料でしたらその都度手配します」
児嶋「イヤ、ネットでちゃちゃっと調べた方
 が遥かに合理的じゃない?」
荘野「だって先生、調べものとか言ってすぐ
 脱線されるんですもの」
   荘野、眼鏡を曇らせながら茶を啜る。
   ぐうの音も出ない児嶋。
   仕方なくキーボードを叩き始める。
   音もなく立ち上がり背後に回る荘野。
   マス目に並んだ『Jack a dull boy』の諺。
荘野「さぼり方まで二番煎じですか」
児嶋「指先のリハビリだよ。てか、いちいち
 見に来ないで。やる気が失せるから」
   素直に席に戻る荘野。
   児嶋、再びカタカタ。
   打ちながら荘野をチラチラ。
荘野「今度は草野心平ですか」
児嶋「・・・エスパーかよ」
荘野「同じキーしか打っておられないので」
   マス目に並んだ『るるるるるるるる』。
児嶋「あーもう、マジで煮詰まった、もとい
 行き詰まった。散歩。頼むから小半刻だけ
 でも散歩を!」
   平伏せんばかりの低姿勢。
荘野「・・・逃げませんか?」
   児嶋、血走った眼で金庫を指さす。
児嶋「私の財布とスマホ、あの中! 金庫の
 鍵、あなたの懐の中! ユーノウ?」
   荘野、文庫本を閉じて腕時計を確認。
荘野「三十分なら、まあ。敷地から出ないで
 くださいね。それと・・・」
   言い終わらぬうちに姿を消す児嶋。

●同・裏庭
   児嶋、スキップせんばかりの足取り。
児嶋「我、ゲヘナより解き放たれたり!」
   プールサイドで躓いて落ちかける。
児嶋「おっとっと・・・ってリアルで初めて
 言っちまったぜ、ガハハ」
   謎の上機嫌&ハイテンション。
   ふと、管理棟の入口に目を向ける。

●同・管理棟倉庫
   パンパンに膨らんだアン子。
   包丁をヒレに当てる吾川。
吾川「まずはコイツを落とす」
   並んで見守る天音と亜夜。
亜夜「すっごく膨らんでる。風船みたい」
   寒そうにセーターの胸を抱く。
アン子「そういうアンタも結構な肉づきね。
 人のこと言えた立場?」
吾川「元々、走りの前にしちゃ肥えてたんだ。
 でもこれは水」
天音「水?」
吾川「胃に水入れて皮を張らしてる。包丁が
 入りやすいように」
天音「へー、まるで拷問」
アン子「まるでじゃなくて、そのものだっつ
 うの」
   見物の後ろから覗き込む児嶋。
児嶋「うわっ、ダゴンがいる!」
アン子「なんでメスばっか来んのよ」

●三皿目
   テーブルに置かれる<唐揚げ>。

●ホテル・男子露天風呂・午後
   湯船に浸かって緑を眺める翔太郎。
   洗い場で髪を泡立てる準之助。
準之助「先輩」
翔太郎「ん?」
準之助「トリートメント貸してください」
翔太郎「持って来てねえよ、そんなの」
準之助「このシャンプー、やたらとキシキシ
 するんすよ」
翔太郎「いちいち気にする事かよ、今さら」
準之助「アハハ、それもそうっすね」
翔太郎「お前と喋ってたら調子狂うわ」
   準之助の背中に密かに視線。
   華奢なようでいて逞しさも。
   準之助、桶の湯を頭からザーッ。
準之助「よっしゃー、先輩と混浴タイム!」
   素っ裸で湯船にダッシュ。
   翔太郎、目を逸らしつつ直撃を躱す。
   入水、否、入湯と派手なスプラッシュ。
翔太郎「おま、ガキじゃねえんだから!」
準之助「最高のエントリーでしょ?」
翔太郎「競技だったら大減点。それに混浴は
 異性同士な」
準之助「まーまー、細かいことはナシナシ。
 あー、骨まで溶けそ」
翔太郎「いくらアルカリ性だからって、骨は
 溶けねえよ」
準之助「センパイ」
   艶っぽい声、翔太郎の肩に手。
   湯気の中で見つめ合う二人。
準之助「・・・カタイっす」
翔太郎「へ・・・?」
準之助「カタイっすよ、オツムも肩も!」
   全力で翔太郎の肩を揉む。
翔太郎「痛い痛い痛い!」
   湯気と飛沫の中でもつれ合う二人。
翔太郎「タップ! タップしてるって!」
   必死に水面をタップしながら。
準之助「フィジカル弱いなあ」
   解放された翔太郎、股間にタオル。
翔太郎「もう出る。骨が溶ける前に頭沸く」
準之助「じゃあ僕も」
   立ち上がりかけた準之助を制して。
翔太郎「お前は入ったばっかだろ。肩まで浸
 かって百数えてろ」
準之助「小学生じゃないんだから」
翔太郎「じゃあ好きな歌、フルコーラス」
   翔太郎、準之助を後にして脱衣場へ。
   洗面台に手を突いて嘆息。
翔太郎「・・・それ、ワザとなの?」
   浴場から『天城越え』の大熱唱。

●同・管理棟倉庫
   アン子の皮に包丁を入れる吾川。
児嶋「えっぐ。『フェイスレス』じゃん」
アン子「何言ってんだ、このメス」
   児嶋の背後から覗き込む翔太郎。
   火照った体を浴衣に包んで。
   気づいてスペースを空ける児嶋。
児嶋「見えます?」
翔太郎「あ、ども・・・」
アン子「来た来た、イケてるマッチョガイ!
 しかも、心なしかアンニュイでステキね。
 ねえキミ、どこから・・・」
   吾川、一気にアン子の皮を剥ぐ。
アン子「このタイミングで脱がすんかい!」

●四皿目
   テーブルに置かれる<あん肝ポン酢>。

●ホテル・<鹿の間>・午後
   襖の外から呼びかける仲居・尾沼。
尾沼「芳村様?」
   応答なし、片付いた室内は無人。
尾沼「表の鍵が開いておりましたので・・・
 失礼いたします」
   そろそろと襖を滑らせ、見回す室内。
   床の間のバッグと空のハンガー。
尾沼「あの人、もう・・・」
   畳に手を突いて呆然とする。

●同・管理棟倉庫
   アン子の腹に包丁を入れる吾川。
吾川「苦手な人は目、閉じてて」
   刃の通り道から溢れ出すはらわた。
   下に置いたバケツに注ぎ込まれて。
   軽く目を逸らしている亜夜。
   食い入るように見つめる天音。
   虚ろな表情の翔太郎。
吾川「ここが胃袋。未消化の魚やら蟹やらが
 そのまま出てくることもある」
児嶋「ナンバープレートとかは?」
吾川「そこまで悪食じゃないよ」
   バケツのはらわたを見る児嶋。
児嶋「サヴィーニっぽい質感。そのまま特殊
 効果で使えそうね」
芳村「人間のはこんなモンじゃない」
   突然の声に振り向く児嶋。
   背後に立つ芳村、長身痩躯のコート姿。
児嶋「あ、お隣の・・・」
芳村「一昨日は爪切りをどうも」
児嶋「その恰好・・・お発ちですか?」
芳村「いえ、夕飯前に野暮用で」
   会話の間にも切り刻まれるアン子。
アン子「何よそ見してんのよ。こっちは一肌
 脱いで骨身を削ってるのに無礼じゃない?
 てか、そのイケオジ誰よ」
吾川「コレがあん肝。旬になったらこの倍は
 デカくなる」
   掴み出した肝を観衆に示す。

●同・<蛙の間>・夕
   冷徹に腕時計を見る荘野。
荘野「一五分オーバー」
   大人しく座卓に戻る児嶋。
児嶋「へいへい、その分は取り返しますよ。
 風呂、先に入ってきたら?」
荘野「いつも通りで結構です」
   再び文庫本に目を落として。
児嶋「たまには明るいうちに入るのも乙だよ。
 大丈夫、騙し討ちしたりせんって」
荘野「ですが・・・」
児嶋「あと一息で出て来そう。誰にも見られ
 たくないでしょ、ウンウン気張ってるトコ
 なんか」
   荘野、黙礼して退き下がる。
   PCディスプレイを見つめる児嶋。
   着替えを準備する荘野を背にして。
   一瞬黒くなった画面に映るアン子。

●同・管理棟倉庫・回想
   フックのアン子、顔の一部だけに。
   吾川、両手を血に染めて一礼。
吾川「以上です。季節外れの一匹限りなので
 フルコースというわけにはいきませんが、
 各テーブル一品ずつサービスさせてもらい
 ます。今晩のご夕食は是非レストランの方
 で・・・」
   まばらな拍手と共に解散する人々。
   一人残った児嶋、じっとアン子を見る。
児嶋「これだけしか残らないんですね」
吾川「捨てる所なしって言うくらいなんで」
   片付けをしている吾川、空返事。
児嶋「・・・他人事とは思えないぜ」
   夕風に揺れるアン子の顔。
アン子「・・・勝手に同志面しないでよ」

●同・<蛙の間>・夕
   PCに屈み込む児嶋の丸い背中。
   夕闇が忍び寄っても電灯も点けずに。
   一連の文章を一気に打って背伸び。
児嶋「あー、広背筋取っ替えらんねえかな」
   だらしなく座椅子に凭れかかる。
   広縁に目をやると黄昏に沈む森。
   児嶋、引き寄せられるように窓へ。
   暫く目を奪われた後、視線は下。
   テーブルに置かれた荘野の文庫本。
児嶋「えらく年季の入った愛読書だな」
   手製のカバーは手ずれでヨレヨレ。
   本の扉を開き見る児嶋。
   くしゃみを我慢するような表情に。

●山道
   苔むした地蔵の前に屈み込む芳村。
   供えられた野花と梨の実。
   拝む芳村の傍に歩み寄る革靴。
   連れ立って歩き出す二人の男。
   通り過ぎた路傍に、滝への道標。

●ホテル・レストラン・夜
   広いスペースに設えられた四席。
   既に席に着いている深浦家。
天音「あの子、どんな料理になるんだろ」
亜夜「あんなの見ちゃって食べにくくない?」
天音「そう? 私は楽しみ」
   懲りずにスマホを弄っている深浦。
亜夜「哲雄さん、もう諦めたら?」
深浦「・・・だね。こんなド田舎選んだのが
 失敗だった」
   不機嫌にスマホを置く。
   浴衣姿の男子学生たちが来る。
準之助「ここだここだ。保岡様御一行」
   テーブルの名札を嬉しそうに。
翔太郎「なんか大げさ」
準之助「いいじゃないっすか、家族ぽくて」
   さらに児嶋と荘野が連れ立って。
   風呂上がりの荘野、スーツ姿。
児嶋「少しくらいは旅情を満喫しなよ」
荘野「この恰好が一番落ち着くんです」
児嶋「ジュンジュン、浴衣着たことない?」
荘野「小学生の頃でしたら何度か・・・」
   荘野、頬を染めて児嶋を睨む。
荘野「だから何度も」
児嶋「ハイ了解、荘野さんね。あとで着付け
 しちゃろうか?」
   お盆を手に歩み寄る尾沼。
尾沼「あの、芳村様を見られませんでした?
 お客様のお隣の・・・」
児嶋「ああ、あのダンディ氏。昼過ぎに外出
 されましたよ、野暮用とかで」
尾沼「そうですか・・・」
児嶋「心配事でも?」
尾沼「部屋食じゃない事お伝えできてなくて。
 それに、お部屋の様子が少し・・・」
   お盆を抱く手に力。
荘野「あの方ではないですか?」
   飄々とした様子で現れる芳村。
芳村「遅くなりました。私の席は?」
尾沼「ご案内いたします」
   尾沼、芳村を伴って。
尾沼「随分遠くまで足を延ばされたんですね」
芳村「ええ、旧友に逢ってきました」
尾沼「お部屋の鍵も開けっ放しで」
芳村「・・・どうしました?」
尾沼「何がですか」
芳村「いえ、少々ご機嫌が。いつもは素敵な
 笑顔なのに・・・」
尾沼「何でもないです。お席はこちらです」
   ぶっきらぼうに椅子を引く尾沼。
芳村「ありがとう。そうだ、これ」
   懐から何か取り出す芳村。
芳村「ずっと渡しそびれて。なぜ今なのかは
 私も分からないんだけれど」
   尾沼の手に押しつけた柘植の櫛。
   一粒の涙が尾沼の頬を転がる。
尾沼「・・・おしぼり持ってきます」
   櫛を握り締めて席を離れる。
   ワゴンで料理を運んでくる吾川。
吾川「皆さん、お揃いでしたら・・・」

●同・男子露天風呂・夜更け
   湯船に顎まで浸かる深浦。
   腹の底から深い息を吐き出して。
深浦「・・・いつぶりかな、温もるの」
   深浦の身動ぎで濃い湯気が拡散。
   飛んだ飛沫が近くで浸かる芳村に。
深浦「あ、失礼!」
芳村「いえ」
   深浦、水平移動して芳村から距離。
   隣の女子風呂から声。
天音「お兄ちゃん、そっちの景色はどう?」
深浦「まあまあ絶景だよ。てか、声でかい」
天音「えっ?」
深浦「声が、でかい」
天音「えー、いいじゃん別に。ほぼ家族風呂
 なんだし」
   深浦、芳村に目配せ。
深浦「とにかく、もう少しお淑やかに」
天音「ほら、お義姉ちゃんも」
亜夜「やだもう、恥ずかしいよ。哲雄さーん、
 お湯加減いかがですかー」
   頭を抱える深浦。
天音「うわ、全力でスルー? そっちがその
 気なら・・・おーい兄上、お義姉ちゃんの
 ハダカ、めっちゃキレイなんだけどー」
亜夜「ちょっ、天音ちゃん!」
天音「こっちの方がよっぽど絶景だよ。お肌
 白いしスベスベだし、やばっ、胸めっちゃ
 デカ・・・」
亜夜「いい加減にしなさい!」
   隣から伝わる微笑ましい闘争の水音。
   深浦、赤くなったり青くなったり。
   湯船から立ち上がる芳村。
深浦「ごめんなさい、ウチのが・・・」
芳村「素敵なご家族じゃないですか。どうか
 いつまでも仲睦まじく」
   芳村の鉄仮面、僅かに綻んで。
   湯を落とした芳村の背中。
   皮膚を剥がしたような巨大な傷痕。

●同・女子露天風呂
   天音を湯の中に押さえつける亜夜。
   手を離すと、海坊主のように浮上。
亜夜「やりすぎだよっ、もう!」
   濡れ髪で目が隠れた天音、ニヤリ。
天音「ゴメンゴメン、つい」
   亜夜、天音の乱れた髪を直してやる。
亜夜「だけど嬉しい。天音ちゃんとこんなに
 仲良しになれて」
天音「え」
亜夜「不安だったの、最初。ずっと二人で生
 きてきたあなた達の間に私が入る余地とか
 あるのかなって」
天音「・・・なにそれ」
亜夜「天音ちゃんくらいの年って、一番繊細
 でしょ。傷つきやすくて傷つけやすくて。
 私もそうだったから」
   天音の肩を抱き寄せる亜夜。
亜夜「でも、そんなの杞憂だったね。今じゃ
 もう、生まれた時からずっと天音ちゃんが
 妹だった気がしてるよ」
   さらに強く少女を抱いて。
   夢見るような眼差しの天音。
天音「・・・あの子、美味しかったね」
亜夜「お鍋にしちゃうと気にならなかった」
天音「お義姉ちゃんに譲った部位ね」
亜夜「うん」
天音「ヌノ、って言うんだって」
亜夜「ヌノ?」
天音「卵巣、なんだって」
亜夜「・・・ふーん」
天音「私はさ・・・」
亜夜「・・・・・・」
天音「好きな人が好きな人を、好きになりた
 かっただけだよ」
   亜夜の穏やかな笑顔が微かに曇る。

●同・ゲームコーナー
   コインゲームの前に陣取る荘野。
   無心にボタンを押し続けて。
   陽気な音楽と共に吐き出されるコイン。
   通路を通りかかる尾沼。
尾沼「まだお休みにならないんですか」
荘野「・・・邪魔みたいなので、私」
   荘野の眼鏡に反射するルーレット。

●同・裏庭
   管理棟の入口で明滅する蛍火。
   砂利を踏む音が近づく。
   慌てて煙草を消そうとする吾川。
   慌ててそれを止める翔太郎。
翔太郎「そのまま・・・」
吾川「行儀の悪いとこ見せちゃったな」
翔太郎「すいません、一服の邪魔して」
吾川「昔から師匠に口酸っぱく言われてたん
 だけどね、結局やめらんなくて」
翔太郎「あー、舌」
吾川「今のとこ味覚には悪影響なし」
翔太郎「唐揚げ、美味かったです」
   吾川、倉庫から折り畳み椅子。
吾川「少し冷えるけど」
   椅子に掛けた翔太郎に煙草を。
吾川「一本付き合う?」
翔太郎「あ・・・俺吸わないんで」
吾川「若い人、そういうの多くなったね」
翔太郎「吸ってた時も有ったんですけど」
   苦し気に目を伏せる翔太郎。
翔太郎「一度、酷い目に遭って・・・」
   手巻き煙草のフラッシュバック。
   吾川、それ以上聞かずに。
   二人並んで夜風に吹かれる。
吾川「・・・今は水が少ないよ」
翔太郎「え?」
吾川「滝。夏前から雨不足でさ。明日あたり
 行くつもりだったんじゃないの?」
翔太郎「・・・・・・」
吾川「少ないとね、岩とかに当たって無駄に
 痛いから。それにすぐ浮いてくるし」
翔太郎「・・・なんで?」
吾川「料理、じっくり味わってくれてたじゃ
 ない。最後の晩餐みたいに」
翔太郎「・・・・・・」
吾川「そういう風には見えないけど、お連れ
 さんも?」
翔太郎「よく解んないんです、アイツ」
   唇に複雑な笑みを浮かべて。
翔太郎「お供します、って軽い感じで。けど
 今だってイビキかいて爆睡ですよ」
   吾川、夜闇に長々と煙を吐く。
   再び、沈黙と虫の声。
   やにわに立ち上がる翔太郎。
翔太郎「ちょっとくらい寝とこうかな。クマ
 くっきりで晒し物になるのも癪だし」
吾川「・・・お客さん」
翔太郎「はい?」
吾川「ここ、今年いっぱいで閉館なんだ」
翔太郎「・・・そうなんですか」
吾川「従業員もどんどん辞めてって、一度に
 迎えられるお客もご覧の通り」
翔太郎「・・・・・・」
吾川「骨埋めるつもりだったんだけどな」
翔太郎「上手くいかないですね」
吾川「いかない」
翔太郎「何か申し訳ないな、有終の美にケチ
 つけるみたいで」
吾川「今さらだよ、何十分の二なんだから」
   ちびた煙草をふかす吾川。
   心細げに見下ろす翔太郎。
吾川「特別を望むんなら、よそでやりな」

●同・<蛙の間>
   襖をそっと開ける荘野。
   座卓に突っ伏して眠る児嶋。
   荘野、上着を脱いで児嶋の肩に。
   ふと、卓上のPCに視線。
   反対側を向いて開いたディスプレイ。
   その角っこに貼られた付箋。
   『てやんでい、読みやがれっ!』。
   PCの前に座る荘野。
   タッチパッドに触れてスリーブ解除。
   眼鏡に反射する原稿用紙のマス目。

●同・深夜
   目を覚ました児嶋、慌てて涎を拭う。
   頬っぺたにくっきり何かの痕。
   対面に座った荘野、眼鏡を左手に。
   今しも目尻を拭ったような右手。
児嶋「・・・どう?」
荘野「・・・悪くないと思います」
児嶋「ボスの首、繋がった?」
荘野「木組みくらいガッチリと」
児嶋「で、個人的感想は?」
荘野「鮟鱇が喋るの、トンチキで先生らしい。
 好き嫌いが分かれそうですね」
児嶋「だ・か・ら、個人的感想」
荘野「差し控えます、仕事中なので」
児嶋「まあいいや。他には何か?」
荘野「強いて言うなら・・・鮟鱇の旬は真冬
 ではないでしょうか」
児嶋「そりゃそうだけど・・・キミも食べた
 じゃん、さっき」
荘野「確かに」
児嶋「とも和え、だっけ。どうだった?」
荘野「肝とお味噌の風味が濃厚で・・・お酒
 が飲みたくなりました」
児嶋「飲めばよかったのに」
荘野「仕事中だったので」
児嶋「いつまで仕事中なんよ」
荘野「明日、これを印刷所に届けるまで」
児嶋「じゃあ、その後飲もうか」
荘野「・・・はい!」
   約束の証のように差し出されたコイン。

●同・<猫の間>
   川の字になって寝る深浦一家。
   真ん中で天井を見上げる天音。
   寝返りを打って外側を向く亜夜。
   天音、反対側の深浦の方に寝返り。
   魘されている深浦に両手を回す。
   己の肢体を押しつけるようにして。
   兄の胸の中で満足そうに目を閉じる。
   背中合わせの亜夜が小さく咳をする。

●同・裏庭・早朝
   プールの水面が波立つ。
   波間からアン子の頭部突起。
アン子「それで、アンタはどうすんの?」
   プールサイドから見下ろす天音。
天音「私? このまま行くよ。もし生まれ変
 わっても、このまま行く」
   大口開けてかぷかぷ笑うアン子。
アン子「アンタが斬り刻まれて誰かの食い物
 にされる日は金輪際来なさそうだね。ま、
 せいぜい楽しみな、人生ってやつをさ」
   足音を聞いて素早く潜るアン子。
   小径をぶらぶら来る浴衣姿の準之助。
   天音、振り向いて笑顔。
天音「おはようございます。いい朝ですね」





                   了

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