愁果



亜希子(七七)女性。

修平(七八)男性。

倫子(七五)女性。





●庭・昼
   たわわに実をつけた柿の木。
   一羽の鴉が枝に止まる。
   枝先の熟れた実を狙って。
   突然の猫の鳴き声に慌てて飛翔。
   惰性で揺れる柿の枝。
   重なる行書体のタイトル。

●縁側
   庭を向いて胡坐をかく修平。
   柿渋色の作務衣姿。
亜希子「また野良ですか」
   家の奥から問いかける声。
   猫の鳴き真似をする修平。
修平「ニャーオ、俺だよ」
亜希子「まあ、子供みたいに」
修平「褒めてくれてもいいじゃないか。この
 家の財産を守ったんだぜ」
   亜希子、縁側に姿を現す。
   鉄紺色の紬姿。
亜希子「財産だなんて大袈裟な」
修平「ひと財産には違いないぞ。半世紀以上
 手塩にかけてここまで立派に育てたんだ」
   修平の隣に正座する亜希子。
亜希子「もうそんなに・・・。二人で苗木を
 植えた日がついこの間のようですわ」
修平「俺たちの人生に寄り添ってきたんだ」
   二人で暫く柿の木を見つめる。
亜希子「そうそう、お昼の支度できましたよ。
 早く召し上がらないと伸びてしまいます」

●茶の間
   卓袱台を挟んで向かい合う二人。
亜希子「手抜きでごめんなさい。一人で食事
 する癖がついつい抜けなくて」
   卓上に、にゅうめんの碗。
修平「慣れなくても仕方ないさ。仕事にかこ
 つけて、まともに家に居つかなかった俺が
 悪い」
   具沢山にゅうめんを啜る修平。
修平「こんなに美味い昼飯を毎日食えるなら、
 もう十年早く定年でもよかった」
   食べながら肩周りをもぞもぞ。
亜希子「どうされました?」
修平「どうもしっくり来なくて・・・」
亜希子「あら、合わなくなったのかしら」
修平「辞めた途端にブクブク肥ってちゃ恰好
 がつかないね。散歩、駅向うまで延ばした
 方がいいかな」
亜希子「脱いで下さい。すぐ直します」
修平「いい、いい。我慢できない程じゃない。
 君も冷めないうちに頂きなさい」
   碗と箸を手に取る亜希子。

●同・承前
   碗と箸を置く亜希子。
   修平は悠然と爪楊枝。
亜希子「・・・もうこの辺りで潮時かなって
 思っていたところなんです」
修平「熟年離婚は勘弁だよ」
亜希子「いやだ、書道教室の事ですよ」
   亜希子の右手をとる修平。
   筆ダコと墨染みのできた枯れ指。
修平「ああ・・・君にも長い間無理をさせて
 しまったな。やんちゃな坊主どもの相手は
 しんどかっただろ」
亜希子「いいえ。随分と人生の張りになって
 くれましたから。みんな私の子供たちです。
 何百人も子供がいるなんて、とんだ果報者
 ですわ」
   左手を修平の手に重ねる。
修平「それに、紘一もよくやっているしな」
   睫毛を伏せる亜希子。
修平「我ながら大した息子を持ったもんだ。
 今や大手銀行のシカゴ支店長様ときた」
亜希子「・・・そうですわね」
修平「なんだ、手応えのない」
   両手で亜希子の手を包み込む。
修平「君ももっと誇っていいんだぞ。一報を
 聞いた時は現に有頂天だったじゃないか」
亜希子「私の手柄じゃありませんから」
   やんわりと手を解く亜希子。
   空の碗を持って立ち上がる。
亜希子「紘一さんご自身の努力と才覚の賜物
 です、きっと」
修平「そう言うなら俺だって同じさ。あいつ
 の成功には一ミリも寄与しとらんよ。為替
 やら投資やら信託やら、この年になっても
 さっぱりだ。それに、シカゴと聞いたって
 ギャング映画しか思い浮かばん。カポネに
 ラッキー・ルチアーノ・・・」
   語り始めた修平を尻目に腰を上げ。
   台所に下がる亜希子。

●台所
   流しに置いた碗に降り注ぐ水。
   手も動かさずじっと見つめる亜希子。

●茶の間
   卓袱台を挟んで向かい合う二人。
   プレーヤーで回るレコード。
   『ア・ソング・フォー・ユー』。
   不揃いな二つの湯吞に焙じ茶。
修平「割っちゃったのかい?」
亜希子「ええこの間。よくやるんです」
修平「気をつけてくれよ」
亜希子「マァ、お優しいこと」
修平「怪我したって掃除くらいは替われるが、
 メシの味は保証できんからな」
亜希子「ご心配には及びません。貴方に台所
 をお任せするくらいなら店屋物を取ります」
修平「成程、実に君らしい」
   茶を一口啜り、深い嘆息。
修平「これが一番落ち着く」
亜希子「お好きですものね普通の緑茶より」
修平「茶もそうだけど、これだよ」
   曲は『トップ・オブ・ザ・ワールド』。
   暫く音楽に浸る修平。
修平「思い切って職場を変えた時、初めての
 ボーナスで買って帰ったんだ」
   茶柱を見つめている亜希子。
修平「あの頃、君の腹には紘一がいたっけ。
 身重なのによく文句ひとつ言わず・・・」
   突然、何かが降りて来たように。
修平「あの事、考えてくれたかい?」
亜希子「・・・何をですか」
修平「アイルランドだよ」
亜希子「え・・・」
修平「ケルト文化! 謎の巨石群! パブ!
 ウィスキー! アイリッシュダンス!」
   少年のような瞳で語り出す修平。
   亜希子の表情に目もくれずに。
修平「ふつう見合いで被るか? 奇跡だろ、
 お互いアイルランド好きなんて。思ったよ、
 これが運命って奴だ、絶対に逃すなって」
   亜希子、空の湯呑を口へ。
修平「新婚旅行、行きたかったんだろ。あの
 頃は一番物騒だったからなあ。それ以前に
 俺たちの懐も怪しかったけど」
   曲が『愛にさよならを』に変わる。
修平「その代替案が奈良だなんて、いま考え
 ても無理がある話さ。ま、ほろ苦くも甘い
 思い出ではあるが。覚えてるかい、岩船を
 見るためにちょっとした登山をする羽目に
 なった事。藪蚊がえげつなくて・・・」
亜希子「・・・そんな細かいことまで、一々
 覚えていられませんよ」
修平「女ってそういう所があるなあ」
   俯く亜希子の肩に手。
修平「今度はしっかり心に焼きつけてくれよ。
 旅の計画は抜かりなく立てるから」
亜希子「もう無駄遣いなんて出来ない年なん
 ですよ私たち・・・」
   掠れて消え入りそうな声。
修平「何のための退職金だ。後生大事に貯め
 込んでおく必要はないさ。別に一銭残らず
 使い切ろうってわけでもないんだし」
   亜希子の震えが修平の手に。
修平「ん、どうした」
   スッと立ち上がる亜希子。
亜希子「・・・お手洗に」

●座敷
   広々とした座敷。
   書道教室用の長机が並ぶ。
   前方の教卓に亜希子。
   一心に墨を磨っている。
   眩暈のように響くギターの音。

●廊下
   終盤にさしかかる音楽。
   襖が半分開いた茶の間の戸口で。
   修平の背中を見つめる亜希子。
   その手にぶら下げた四六寸の硯。
   狂おしく高まるギターソロ。

●チャイム
   全てを寸断するチャイムの音。

●玄関
   取次に立つ亜希子。
   三和土に立つ二名の制服警官。
   その脇に男女の介護職員。
警官A「お昼時にお邪魔します。人を探して
 おりまして」
   警官B、写真を亜希子に示す。
警官B「この男性なんですがね」
   亜希子が熟視する間もなく。
   背後で襖の開く音。
修平「こりゃ千客万来だ」
   亜希子の背後で暢気に佇む修平。
男性職員「あっ、この方です」
女性職員「心配したんですよ、源川さん」
   思わず踏み出す男女職員。
   その背後に控えた倫子の姿が現れる。
   羊羹色の洋装、思いつめた暗い眼。
   警官たちの緊張感が高まる。
警官A「ちょっとお話伺ってもいいですか」

●空・夕
   電線に止まった鴉。
   下界を支配者のように眺めている。

●玄関先
   玄関から出て来る警官A。
   続く亜希子に振り向いて。
警官A「今回で五度目でしょ。来たらすぐに
 ご家族へ連絡して頂かないと」
亜希子「申し訳ございません。いつもいつも
 急なもので、慌ててしまって」
   パトカーの後部から降り立つ倫子。
   クリップボードを抱えた警官Bと共に。
警官B「奥さんもですよ。事情が分かってる
 のに、なぜ今日に限って誘拐だなんて騒ぎ
 立てたの。こういった場合の我々の立場と
 いうのは非常に微妙で・・・」
   寝巻姿の修平をワゴンに導く女性職員。
女性職員「さ、ホームに帰りましょうね」
修平「ホームだって? 俺のホームはここだ、
 馬鹿言うな」
女性職員「分かってますよ。今から帰るのは
 源川さんの別荘でしょ」
修平「別荘?」
女性職員「そう、ご自慢の。プールもゴルフ
 場も付いてるんだぞって、いっつも話して
 下さるじゃない」
修平「ああ、そうだったそうだった。おーい、
 君も一緒に来ないか。沢で魚釣りしよう」
   無邪気に手を振る修平。
   曖昧な笑顔で応える亜希子。
男性職員「さ、お迎えのリムジンだよ」
   ワゴンの後部に巧みに押し込める。
修平「ニャーオ、ニャーオ」
男性職員「はいはい、お上手お上手」
   修平の丸い背中を見送る亜希子。
   蛇のように忍び寄る倫子。
倫子「・・・どうして貴女なの」
   ワゴンのエンジンがかかる。
倫子「六五年も前のたった一週間がそんなに
 大切なの。私との五〇年以上に・・・」
   亜希子、初めて相手に気づいたように。
亜希子「おめでとうございます。息子さん、
 またご出世されたんですってね」
   他意なき笑顔を向ける亜希子。
   倫子、亜希子の頬に平手打ち。
警官A「奥さん、それはいけない」
   職員と話していた警官A、慌てて。
   倫子を亜希子から引き離す。
警官A「これ以上事を荒立てたら本当に我々
 の領分になっちゃうから」
   ワゴンの方へ押しやられる倫子。
   赤くなった頬をさする亜希子。
   その顔に貼りついた飛鳥仏の微笑。

●茶の間
   箪笥の抽斗を開ける亜希子。
   中に裏返しの写真立て。
   取り出して愛おしげに眺める。
   色褪せた白黒写真。
   古臭い学生服姿の少年と少女。
   植わった苗木を挟んで、はにかんで。

●縁側
   流れる『愛は夢の中に』。
   柿の実を嘴に咥えた鴉。
   地面に降り立ち果実をつつき始める。
   縁側に横座りして眺める亜希子。
亜希子「わざわざ見せに来たの」
   人を小馬鹿にした態度で居座る鴉。
亜希子「いいわ。ゆっくりお上がりなさい」
   突然、庭石に当たって割れる湯呑。
   鴉、一瞬びくつくも再び優雅に食事。
亜希子「一度くらい予告してくれたっていい
 のにね」
   何事もなかったように座る亜希子。
亜希子「また買いに行かなくちゃ」
   レコードの針が飛ぶ。
   永遠に繰り返す『without you』の一節。





                   了

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: