かれいど奇譚



喜久雄(一二)男性。国民学校高等科一年。

百夜(ももよ)(一八)女性。喜久雄の姉。

緑山(四一)男性。子爵。





●お屋敷町・夜
   遠くの空が紅く燃える。
   微かに聞こえる半鐘の音。
   華族や文人の邸が建ち並ぶ閑静な町。
   門前で心配そうに囁く婦人たち。
婦人A「品川辺りでしょうか・・・」
婦人B「三月よりもBさんの数が・・・」
婦人A「ここらもそろそろ危なく・・・」
   国民服姿の少年が通りがかる。
   喜久雄である。
喜久雄「あの、奥さん」
婦人A「あら、何です」
   場違いな少年に向けられた不審。
喜久雄「緑山子爵のお邸はどちらですか」
   顔を見合わせる婦人たち。
婦人B「何のご用?」
喜久雄「姉に電報で呼ばれて。お邸でお世話
 になっているんです」
婦人B「お世話?」
喜久雄「住み込みで女中を」
婦人B「そうなの。でもこんな時分にお出に
 なるかしら」
喜久雄「行って駄目なら出直します」
婦人A「この道をまっすぐ五町ばかり。坂の
 手前の立派な洋館ですよ。ちょうど栴檀の
 花が満開だから目印になるわ」
喜久雄「どうもご親切に」
   ぺこりとお辞儀して早足で去る。
   後ろ姿を見送る婦人たち。
婦人A「大変ですわね、人形狂いのお殿様に
 お仕えなんて」
婦人B「おや、妙ね・・・」
   何かを思い出して訝しげに。
婦人B「緑山様、先月疎開なさった筈では」

●緑山子爵邸・外・夜
   月光に仄白く照らされた栴檀の花。
   厳めしい門の前で立ちつくす喜久雄。
   広壮な庭園の奥に洋館の影。
   灯りの類は一切見えない。
   もどかしげに呼鈴を鳴らす喜久雄。
   光も音も返ってこない。
   門扉に手を掛けようとして。
   思い止まり、踵を返す。
   後ろ髪を引かれながら去りかけた時。
百夜(声)「喜久雄」
   ハッと振り返って駆け寄る喜久雄。
喜久雄「姉さん、百夜姉さんなの」
   月下の庭園に人影はない。
喜久雄「どこ。顔を見せて」
   喜久雄、思わず格子を握りしめる。
   軋みながら内側に開く門。

●同・庭園・夜
   静まり返ったフランス式庭園。
   荒廃の兆候が見え始めている。
   喜久雄、忍び足。
喜久雄「(囁くように)姉さん、隠れてないで
 出ておいでよ。いるんでしょ」
   叢雲に隠れる月、闇の緞帳が下りる。
喜久雄「悪ふざけしてると家の人に𠮟られて
 しまうよ」
   荒れた芝生に足を取られ転倒。
   落とした雑嚢を拾い上げようと。
百夜(声)「喜久雄」
   声の方向に顔を向ける喜久雄。
   今しも、月が雲間から。
   一筋の月光が庭園の片隅に射す。
   喜久雄、憑かれたように近づく。
   *****
   洋風庭園とは不釣り合いの古井戸。
   釣瓶もポンプもなく井戸枠のみ。
   舞台装置のように月影に照らされて。
   どこからか澄んだ鈴の音が。
   井戸端へと引き寄せられる喜久雄。
   石の井戸枠に手を掛けて覗き込む。
   *****
   揺らめく十二夜の月を背景にして。
   呆けたように水に映る喜久雄の姿。
   井戸の中で反響/増幅する鈴の音。
   徐々に波紋を増す水面。
   月光の砕片が井筒の内で踊り出す。
   喜久雄の視界、万華鏡のごとく。
   不意に下から伸びた白い手。
   喜久雄の手首を優しく引っ張る。
   *****
   無人の井戸端。
   雑嚢が井戸の縁に引っかかっている。

●寝室
   カーテンが引かれた広い寝室。
   天井灯に柔らかく照らされて。
   喜久雄、ベッドの上で目を覚ます。
   耳元で小鳥のさえずり。
   寝たまま顔をそちらに向ける喜久雄。
   ベッドサイドテーブルに鳥籠。
   朗らかに唄うシンギングバード。
百夜「あらら、起こしちゃった」
   反対側から鈴の音と声。
   弾かれたように起き上がる喜久雄。
   振り返ると、微笑む百夜の姿。
   ヴィクトリアンメイドの装い。
喜久雄「・・・姉さん?」
百夜「嫌だ、きょうだいの顔も忘れた?」
   会話の間も止まないさえずり。
   鳥籠の方を可愛らしくにらむ百夜。
百夜「静かにしなさい。久しぶりの再会なん
 だから」
   動きを止めるシンギングバード。
   喜久雄の視線、姉と鳥籠を往復。
百夜「発条仕掛けよ。よくできてるでしょ」
喜久雄「その恰好・・・」
百夜「旦那様のご趣味。欧州の使用人の洋服
 なの。あ、まさか非国民だなんて言わない
 でしょうね」
喜久雄「言わない、言わないよ。けど何だか
 見違えたものだから」
百夜「私、結構気に入ってるのよ」
   その場でくるりと一回り。
   腰の辺りに下げた鈴が凛と鳴る。
百夜「これ、覚えてる?」
喜久雄「僕が神社でもらってきた・・・」
百夜「そう、このお邸に上がる日に。いつも
 こうして身につけて、疲れた時や辛い時、
 家族を思い出すようにしているの」
   指で触ってわざと音を鳴らす。
百夜「本物の姉さん、でしょ」
   茶目っ気たっぷりに微笑んで。
   ベッドから降りようとする喜久雄。
   眩暈がしたようにバランスを崩す。
   落ち着いた様子で支えてやる百夜。
百夜「駄目駄目、床に入ってなきゃ」
喜久雄「でも・・・」
百夜「デモもチンドン屋もありません。まだ
 ここに体が慣れてないんだから。大人しく
 寝てなさい」
   喜久雄、押し戻されて横になる。
   もぞもぞと懐を探りながら。
喜久雄「あれ、どこに入れたっけ・・・あ、
 カバンの中・・・」
百夜「何か探してるの」
喜久雄「姉さんからの電報。えっと確か」
   文面を思い出そうと遠い目。
百夜「『イノチアヤフシ、シキウバンチヤウニ
 コラレタシ』」
喜久雄「それだ。急病かと思って飛び出して
 きたんだから」
百夜「心配かけてごめん」
喜久雄「一体何があったのさ」
百夜「そうね・・・」
   百夜、謎めいた表情で目を逸らす。
百夜「あった、じゃなくてこれからあるの」
喜久雄「え」
百夜「でも、もう平気。この部屋にいれば」

●同・承前
   再びベッドで目を覚ます喜久雄。
喜久雄「百夜姉さん?」
百夜「はいはい、ここにいますよ」
   ベッドサイドの椅子に百夜。
喜久雄「僕、また寝てた?」
百夜「ぐっすり。よほど疲れていたのね」
喜久雄「そうなのかな」
百夜「大変なんでしょ、工場の仕事」
喜久雄「飛行機の部品が重くって。お爺さん
 みたいに腰が曲がっちゃいそう」
百夜「母さんのお見舞いも」
喜久雄「しょうがないさ。父さんも姉さんも
 留守なんだから」
百夜「君にばかり苦労かけてるね」
喜久雄「兵隊さんの苦労に比べたらどうって
 ことないよ」
百夜「お向かいの小母さん、親切にしてくだ
 さってる?」
喜久雄「・・・うん」
   不自然な間。
   眉をひそめる百夜。
百夜「喜久雄?」
喜久雄「それよりさ、ここってお邸の中なん
 でしょ」
   体を起こして室内を見回す。
   箪笥の上や飾り棚を埋め尽くす人形。
   洋の東西、大小を問わず。
   中には精巧なからくり細工まで。
   好奇心いっぱいの喜久雄の瞳。
喜久雄「まるでおもちゃ箱だ」
百夜「旦那様がちょうど喜久雄くらいの年の
 頃に使ってらっしゃったお部屋よ」
喜久雄「近くで見てもいい?」
百夜「壊さないならね」
喜久雄「子供じゃないってば」
   ベッドから降りる喜久雄。
百夜「待って。その前に約束」
喜久雄「約束?」
百夜「この部屋では規則を守って」
喜久雄「規則だなんて大袈裟だなあ。工場の
 監督さんみたい」
百夜「守らないと危ないの」
喜久雄「・・・分かったよ」
   真剣な表情に気おされて。
百夜「まず一つめ」
喜久雄「そんなにたくさん?」
百夜「私がいいって言うまでこの部屋からは
 一歩も出ないこと」
   鹿爪らしい顔で指を折りながら。
喜久雄「厠はどうするのさ」
百夜「したくならないから大丈夫。二つめ」
喜久雄「本当かなあ」
百夜「窓の外は決して覗かないこと」
   喜久雄、重そうなカーテンを見やる。
喜久雄「庭ならもう見たけど・・・」
百夜「三つ。悪い人形には気をつけること」
喜久雄「いいとか悪いとかあるの」
百夜「この部屋にいるのはみんないい子よ。
 でも、外から来るのは良くないもの。もし
 誰か訪ねてきても扉を開けちゃ駄目」
   喜久雄、もういちど室内一望。
   不気味な表情の道化人形と目が合う。
喜久雄「・・・いい子?」
百夜「次で最後」
   うやうやしく指を折る百夜。
百夜「私に何かあっても構わないで。自分の
 身だけ守りなさい」
   そして、はかなげに微笑う。

●同・承前
   飾り棚に鎮座する市松人形。
   真正面で観賞する喜久雄。
   ややあって隣の五月人形へ。
   市松人形が目で喜久雄を追う。
   喜久雄は気づいていない。
   *****
   ブリキの兵隊を見つめる喜久雄。
   手を伸ばして触れようとするも我慢。
   その隣にはシンバル猿。
   喜久雄、首をかしげる。
喜久雄「これは見たことないや」
   背後から百夜の声。
百夜「その子、『明日』から来たのよ」
喜久雄「明日?」
   振り返る喜久雄。
   寝室の真ん中に設えられた円卓。
   百夜、食事の支度をしている。
喜久雄「『明日』って、五月二十五日?」
百夜「ううん。もっとずーっと明日」
喜久雄「つまり未来ってこと?」
百夜「飲み込みが早い。さすが私の弟」
喜久雄「科学小説好きだもん。『海底軍艦』
 とか『火星兵団』とか」
百夜「そう言えばよく読んでた。お隣の幸雄
 ちゃんがチャンバラ誘いに来ても、居留守
 使って家にこもって」
喜久雄「だって鞍馬天狗譲ってくれないし」
   百夜、苦笑い。
百夜「全然驚かないのね。私、結構とんでも
 ないこと言ってるのに」
喜久雄「この部屋が普通じゃないことくらい
 何となく分かるよ」
百夜「君は本当に賢いね」
   椅子を引く百夜。
百夜「さ、準備ができたわ」

●同・承前
   円卓を前にして座る喜久雄。
   喜久雄の傍らに控える百夜。
百夜「遠慮せず召し上がれ」
   喜久雄の前には山盛りホットケーキ。
   十段重ねの上から滴るバターと蜂蜜。
喜久雄「・・・いいの?」
百夜「もちろん」
喜久雄「丸ごと?」
百夜「喜久雄のために焼いたのよ」
   ナイフとフォークを取る喜久雄。
   盛大に腹の虫が鳴く。
喜久雄「・・・今日初めてなんだ、ごはん」
   照れくさそうに笑う。
百夜「しっかり食べなきゃ駄目じゃない」
喜久雄「けさ寝坊しちゃったから」
百夜「ゆうべは何を?」
喜久雄「昼に出た芋を半分持って帰って」
百夜「配給、きちんともらえてる?」
喜久雄「・・・うん」
   再び、不自然な間。
百夜「切符は?」
喜久雄「一緒に管理してあげるって・・・」
   唇を噛む百夜。
百夜「・・・よし、大盤振る舞いだ」
   わざと明るい声で。
   皿の上でシナモンスティックを削る。
百夜「いい匂いでしょ」
   嬉しそうにうなずく喜久雄。
   百夜、喜久雄に目くばせ。
喜久雄「いただきまっ」
   言い終わる前にかぶりつく。
   実に気持ちのいい食べっぷり。
   半分ほどの所で顔を上げる喜久雄。
   口周りをべとべとにして百夜を見る。
百夜「ん?」
喜久雄「姉さんも」
百夜「いいわよ、いらない」
喜久雄「好きでしょ」
   ナイフとフォークを差し出す。
喜久雄「まだ父さんが家にいた時分、三越で
 食べさせてもらって、それからずっと忘れ
 られないって、いつも言ってたよね」
百夜「物覚えがいいこと」
喜久雄「何度も聞かされてるうちに、僕まで
 好きになってたんだ。それまで食べたこと
 なんかなかったのに」
   百夜、喜久雄の手をそっと押し戻す。
百夜「もう好きじゃないの」
喜久雄「え」
百夜「本当は見るのも嫌なくらい」
喜久雄「だって・・・」
   食べかけのホットケーキに視線。
百夜「今日は特別。君のためだもの」
喜久雄「何で嫌いに?」
百夜「いいじゃない、別に」
喜久雄「良くないよ。何かモヤモヤする」
   百夜、口の中でモゴモゴ。
百夜「つまみ食い」(ボソリ)
喜久雄「えっ」
百夜「旦那様の目を盗んで、こっそりつまみ
 食いしたのが見つかっちゃって・・・」
   耳が真っ赤に。
喜久雄「何やってるのさ・・・」
百夜「十枚もあるから一枚くらい分からない
 かなって・・・」
   我慢しきれず吹き出す。
   つられて笑う喜久雄。
喜久雄「馬鹿だなあ、姉さんらしくもない」
百夜「こっぴどく叱られて。ホットケーキは
 もうこりごり。あんな目に合うくらいなら
 ニ度といらない」
   笑い涙を手の甲で拭う百夜。
百夜「だから、ね、最後までお食べ」
喜久雄「・・・了解」
   再び動き出すナイフとフォーク。
百夜「どう? おいしい?」
   喜久雄、頬張りながらうなずく。
百夜「そば粉とかじゃないのよ。ちゃーんと
 メリケン粉使ってるんだから」
   夢中の弟を見守る穏やかな笑顔。

●同・承前
   望遠鏡の視界。
   部屋中の人形を一つずつ見回す。
   ビスクドール、キューピー人形。
   文字書き人形、遮光器土偶。
   ギニョール、マトリョーシカ。
   レンズが通過する刹那。
   体を震わせて笑い出す道化人形。
   仰天して望遠鏡を目から離す喜久雄。
   すぐ目の前に道化人形。
   カタカタ音を立てて抱きついてくる。
喜久雄「わっ」
   必死に振りほどこうとする喜久雄。
百夜「めっ」
   道化の襟首を掴んで引き離す百夜。
百夜「許してあげて。寂しがり屋なの」
   百夜、道化を元の場所に戻す。
百夜「その遠眼鏡、逆に覗いちゃ駄目よ」
喜久雄「え」
百夜「魔法が解けちゃう」
   なにげない口調。

●同・承前
   ベッドの上で目を覚ます喜久雄。
喜久雄「まただ・・・」
   起き上がって室内を見渡す。
   絞られた照明、物言わぬ人形たち。
   百夜の姿は見えない。
喜久雄「知ってるさ、ここは夢の中」
   カーテンが薄らと光っている。
   一見、夜明け前の青い光。
喜久雄「行かなきゃ。点呼に遅れちゃう」
   ベッドから降りて窓際へ。
   カーテンを開けようと手を伸ばす。
百夜「何をする気」
   ビクッと引っ込められる手。
   背後に百夜。
   今までになく険しい表情。
百夜「言ったよね。開けちゃいけないって」
喜久雄「ごめん、でも・・・」
百夜「デモもサーカスもないわ。君のためを
 思って警告したのに」
   一歩近づく百夜。
百夜「お願いだから言う事を聞いて」
喜久雄「嫌だ」
百夜「え」
喜久雄「姉さんにも会えた。美味しいものも
 食べられた。もう満足だよ」
百夜「・・・・・・」
喜久雄「いつまでも夢の中にいちゃいけない
 んだ。早く起きて、一機でもたくさん疾風
 を組み立てないと」
百夜「それは喜久雄の仕事じゃないわ。君は
 まだ子供なのよ」
喜久雄「飛行機が足りなきゃまたやられる。
 日本中燃やされて、母さんも姉さんも」
百夜「喜久雄・・・」
   喜久雄の手首を掴む百夜。
   無意識に振り払う喜久雄。
   百夜の手から白い手袋が脱げる。
   裸の右手が喜久雄の肌に触れる。
喜久雄「あ・・・」
   喜久雄、怯えた顔で後ずさる。
   左手で右手を隠す百夜。
百夜「違うの、これは・・・」
喜久雄「・・・オバケ」
   百夜から逃れようとして。
   ベッドの上の望遠鏡に気づく。
百夜「だめっ」
   望遠鏡に飛びついた喜久雄。
   百夜に向けられる接眼レンズ。
   一気に遠ざかる百夜の姿と声。
   恐る恐る望遠鏡から目を離すと。
   最前までと変わらない部屋。
   百夜だけが消えている。
   *****
   一瞬の躊躇、開かれるカーテン。
   漏れていた青い光が搔き消えて。
   貪欲な赤が喜久雄の顔を照らし出す。
   窓の外は一面の紅蓮地獄。
   芝生が、庭木が、噴水が燃えている。
   茫然と立ちつくす喜久雄。
   遠くで唸る空襲警報のサイレン。
   突然、室内でシンバルが響く。
   狂騒的に打ち鳴らす猿。
   間髪入れず扉を叩く音。
   誰かが外から激しくノック。
   喜久雄、思考停止状態。
百夜(声)「開けて」
喜久雄「・・・姉さん?」
百夜(声)「喜久雄、そこにいるんでしょ。
 早く開けて頂戴。廊下にも火が・・・」
   声に引き寄せられる喜久雄。
   飾り棚を通り過ぎて扉へ。
   シンバル猿の隣には新しい人形。
   ヴィクトリアンメイドのフィギュア。
   ノブを回す喜久雄の手。
   開いた扉の隙間から吹きつける熱風。
   突き飛ばされたように尻餅。
   扉の向こうに立っている人影。
   等身大の女性型マネキン。
   髪もなく服も着ず虚ろな表情。
   カクカクと容赦なく踏み入ってくる。
喜久雄「(う、うわあ・・・)」
   声にならない悲鳴、立たない足。
   マネキン、一体のみならず次々侵入。
   炎を背景に悪夢のランウェイ。
   都合十体のマネキンが左右に跪いて。
   その奥から登場する一人の男。
   豪奢なガウン姿の緑山子爵。
   喜久雄を虫けらのごとく見下ろす。
緑山「この界隈も随分と品下ったものだな。
 小汚い鼠が易々と迷い込むようでは」
   猿がシンバルを鳴らし続けている。
   緑山の鋭い一瞥。
   棚から転がり落ちて動きを止める猿。
   喜久雄に向き直る緑山。
   品定めするような冷徹な眼差し。
   ふと、瞳の奥に生気が宿る。
緑山「鼠は鼠でも存外上等な鼠じゃないか。
 磨けば光る。素材にはもってこいだ」
   緑山、顎でマネキンたちに合図。
   二体のマネキンが喜久雄を捕まえる。
喜久雄「離せ、離せってば」
   抵抗虚しく押さえつけられる喜久雄。
緑山「なに、痛いことはない。少しチクッと
 するだけ。後は眠っている間に済む」
   緑山の手に真鍮製の注射器。
   嬲るようにゆっくり近づいて。
喜久雄「来るな、あっち行け、何する気だ」
緑山「兵隊なんかにならなくても良いように
 してあげよう」
喜久雄「やめろ、やめてください!」
   刻々と眼球に迫る針。
喜久雄「姉さん!」
   恐怖と涙で歪んだ叫び。
   緑山の手から注射器が落ちる。
   手の甲に刺さっている小さな矢。
   緑山の視線の先。
   飾り棚の上の弓曳童子。
   既に二の矢をつがえている。
緑山「くそっ」
   間一髪、第二射を避ける緑山。
   道化人形がマネキンに飛びかかる。
   自由になる喜久雄の右手。
   手に触れた火かき棒を掴んで。
   もう一体のマネキンの頭を一撃。
   部屋の奥へと逃げる喜久雄。
百夜(声)「喜久雄!」
喜久雄「姉さん、どこ!」
百夜(声)「飾り棚の上を遠眼鏡で見て!」
   望遠鏡を取って飾り棚に向ける。
   さまよう対物レンズ。
百夜(声)「もっと右!」
   捉えられたメイドフィギュア。
   視界いっぱいにその姿が広がって。
百夜「旦那様、よくも私の弟を泣かせてくれ
 ましたね」
   緑山の前に立ちはだかる百夜。
   両手に抱えた白磁の皿。
   百夜に襲いかかる九体のマネキン。
百夜「一枚!」
   横手投げの皿が人形の胴に刺さる。
   倒れてバラバラになる四肢。
百夜「二枚! 三枚! 四枚!」
   円盤のように宙を舞う皿。
   次々と無力化されるマネキン。
百夜「七枚! 八枚!」
   最後の一枚を構える百夜。
百夜「これにて打ち止め!」
   マネキンの頭部に縦に刺さった皿。
   崩れ落ちた残骸の向こうに緑山。
百夜「一枚足りないけど、まあいいわ」
   緑山、青筋を立ててにらみつける。
緑山「貴様、いつぞやの意地汚い女中」
百夜「お言葉を返すようですが・・・」
   百夜、合気の構え。
   いつのまにか緑山の手に抜き身。
緑山「キエー!」
   上段から襲いかかる白刃。
喜久雄「姉さん、危ない!」
   火かき棒を持った喜久雄が動く。
   前に出て百夜を庇おうとして。
   足を出す百夜、すっ転ぶ喜久雄。
   同時に半身で前方の斬撃をかわす。
   緑山の手を絡めて華麗な四方投げ。
   床に叩きつけられる緑山の体。
百夜「生きていればお腹は空くんです」
   這いつくばった喜久雄の視線が隣に。
   緑山の顔が陶器のように割れている。
喜久雄「ひえっ」
   慌てて飛びすさる喜久雄。
   動かない緑山を怖々見やって。
喜久雄「・・・子爵様じゃないの?」
百夜「旦那様はもういないわ。これはお邸に
 染みついた邪念の塊みたいなもの」
   緑山の顔の欠片を拾い上げる百夜。
   掌から見上げてくる硝子の眼球。
百夜「人間を疎みすぎるとこうなるのよ」
   次の瞬間、天井の一部が崩落。
   緑山だったものを完全に押しつぶす。
百夜「いけない、結界が・・・」
   喜久雄を抱き寄せてうずくまる百夜。
   窓硝子が砕け散り吹き込む炎。
   狂おしく泣き喚くサイレン。
   爆撃機の禍々しいエンジン音。
   降り注ぐ焼夷弾の雨音。
喜久雄「もっと安全な所へ・・・」
百夜「じっとしてなさい。ここが一番安全」
喜久雄「でも・・・」
百夜「デモも・・・ううん、何でもないわ。
 もう思いつかない」
   百夜の肩のフリルに火がつく。
   火傷も厭わず叩き消す喜久雄。
百夜「忘れたの? 私に構わないで」
   喜久雄をさらに強く抱く。
喜久雄「姉さん・・・」
百夜「なに」
喜久雄「ここから出られたら・・・また三人
 で暮らそうね・・・母さんと、姉さんと、
 父さんも帰ってくるから四人だ・・・」
百夜「そういうの、フラグって言うのよ」
喜久雄「ふらぐ?」
百夜「『明日』から来た子が言ってた」
   二人の周りで部屋が粉々に砕け散る。
   ベッドも、円卓も、人形たちも。
   姉弟を残して泡のように消えて。
   そこは円筒形の闇の底。
   遥か上方に円く切り取られた夜空。
   月も見えないくらい紅く燃えている。
   円筒の内側を乱舞する無数の火の粉。
   まるで花火を封じ込めた万華鏡。
百夜「喜久雄・・・」
   喜久雄の頭を胸に抱きしめて。
百夜「素敵な大人になってね」

●緑山子爵邸・庭園・朝
   燃えつきて見る影もない庭園。
   積もった灰を踏みしめる短靴。
   二人の警防団員の疲れ切った顔。
団員C「とうとう番町もこのザマか」
団員D「これぞアメ公の民主主義って奴さ。
 庶民だろうがブルジョアだろうが分け隔て
 なく炭にしやがる」
団員C「ここ、子爵様の御殿だっけか」
団員D「ひでえな。もう焚きつけにもなりや
 しねえよ」
   二人の視線の先に館の骨組み。
団員C「おい、ありゃ何だ」
団員D「ちょっと、よせよ」
   進もうとする相方を止めるD。
団員D「崩れてきたらどうするんだ」
団員C「ホトケさんかもしれんだろ。確認は
 しなきゃ」
   振り切って館に近づくC。
団員C「やっぱりだ。それにしても・・・」
   吐き気を抑えるようなCの表情。
   後ろから覗き込んだDの顔も歪む。
団員D「何をどうしたらここまでバラバラに
 なるんだよ・・・」
   合掌しながら屈み込むC。
   口の中で念仏を唱えてから。
   地面にそっと手を伸ばす。
団員C「おや、こりゃ人間じゃねえぞ」
団員D「は?」
団員C「デパートのマネキンだよ。焦げてる
 から見分けがつかなかった」
   D、地面から一本の脚を拾い上げる。
団員D「ったく、趣味が悪い殿様だぜ」
団員C「にしても、ひい、ふう、みい、一体
 何組あるんだ・・・」
   二人の足元に散らばった人形の四肢。
   その時、風に乗って鈴の音。
団員D「ん?」
団員C「どうした」
団員D「何か音が・・・」
   もう一度、チリン。
団員C「鈴か」
団員D「あっちの方から・・・」
   誘われるように庭の外れへ向く足。
   二人の前に現れる井戸枠。
   生き物は猫の子一匹いない。
団員D「・・・空耳だったか」
団員C「気が疲れてんだよ、俺たちも」
団員D「そうだな、喉も乾いた」
   水筒を傾けるが一滴も落ちてこない。
   井戸へ向けられるDの視線。
団員C「変なこと考えるなよ。ありゃただの
 涸れ井戸だぞ。もし水があっても汚染され
 てる」
団員D「いや、やっぱり・・・」
   はっきりした鈴の音が井戸の中から。
   蒼ざめた顔を見合わせる二人。
   震える足を無理に井戸へと動かす。
   引っかかった雑嚢が見えてくる。
   加速する二組の足。

●臨時救護所・夕
   天幕の下で寝かされた負傷者たち。
   その中に、昏々と眠る喜久雄の姿。
   汚れてはいるが穏やかな顔。
   脈を取る医師の傍らに警防団員たち。
団員C「どうです?」
医師E「心配いらん。掌の軽い火傷くらいで
 他に傷はないよ。奇跡と言っていい」
団員D「ちっとも起きる気配ねえけど」
医師E「よほど大変な目に遭ったんだろう。
 精神的ショックというやつだ。時が来れば
 ケロッと目を覚ますさ」
   立ち上がって他の患者に向かう医師。
団員C「この子の身内は?」
団員D「母ちゃんと姉ちゃんだけだってさ。
 住んでた家はゆうべ焼けちまった」
団員C「じゃあ天涯孤独か」
団員D「母ちゃんは入院中で無事だって」
団員C「そりゃ不幸中の幸いだ。姉は?」
団員D「それが・・・」
団員C「何だよ」
団員D「どうやら例の邸に勤めてたらしい」
団員C「・・・・・・」
   黙り込む二人。
団員D「しかし何だな、世の中奇妙奇天烈な
 話もあるもんだ」
団員C「全くだ。底から引っ張り上げた時、
 腰抜かすかと思ったよ」
団員D「ボウズ、何でまたあんなモンと抱き
 合ってたんだ?」
   喜久雄に向かってからかうように。
団員C「違う」
団員D「え」
団員C「ありゃ抱き合うって言うよりも」
   もう一度喜久雄を見下ろす団員たち。
   少年の睫毛を夕映えが染める。
   母の腕の中の赤子のような寝顔。

●緑山子爵邸・庭園・朝(回想)
   井戸の周りに集まった救助者たち。
   一様に怪訝な表情を浮かべている。
   井戸端に寝かされた喜久雄。
   喜久雄と密着している等身大の人形。
   メイド服、軽く焼け焦げて。
   煤にまみれた顔は気高く美しい。
   喜久雄を守るように回された腕。
   抱き合っているのではない。
   人形が少年を抱きしめているのだ。





                   了

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