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エジプト皆既日食とナイル古代文明のアルバムの最後の部分、「カイロ→ロンドン→成田」の機上からの写真をこちらにアップしました。写真を整理していて初めて気づいたのですが、1枚目の写真の右下には、なっなんと、ギザのピラミッドが写っていたではありませんか。帰りの便では、カイロ→ロンドン、ロンドン→成田の2便とも、窓際から2番目の席だったため、あまり写真は撮れませんでしたが、カイロ離陸後しばらくして、何人かの乗客が左の窓からカメラを向けていたのでとりあえず1枚、と撮ったのがこの写真でした。タイトルには「空から眺めた」と書きましたが、実際にはカメラの液晶を眺めていただけでピラミッドを撮っていたとは全く気づきませんでした。余談ですが、ピラミッドの衛星写真だったら、Googleマップから眺めることができますよ。まず、手のひらマークで画面を押すようにしてカイロ上空までスライドします。次に表示を「マップ」から「サテライト」に切り替えて、ナイル西岸のあたりを探していくと、緑地・住宅地帯からちょっと外れたところに、正方形(四角錐)のピラミッドが見えてきます。場所が特定できたら、せいいっぱい、ズームしてみてください。スフィンクスのある場所も、ちゃんと見えています。エジプト関係の旅行記はひとまずこれで終了。なお、「成田→北極地帯→ノルウェー上空の写真」は、こちらのほうに掲載しました。アレキサンドリアと、昼間のピラミッドの写真もいずれ追加する予定です。
2006.06.18
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エジプト皆既日食とナイル古代文明のアルバムサイトを1カ月ぶりに更新しました。今回追加したのはカタラクト・ピラミッド・リゾートのエントランスホール屋上から眺めた夕焼けのピラミッドです。前日に雨が降ったため、ホコリが洗い流され、スッキリと晴れました。このホテルには3月27日の夜にも1泊しましたが、このときは霞んでいてピラミッドは全く見えず。そういう点では、カイロの最後の夜にこんなに晴れて、まことにラッキーだったと思います。この日の夕焼けは、エジプトの北西端のサルームで眺めた皆既日食時の空とよく似ていました。そこで、画像処理ソフトを使って、コロナとピラミッドを合成したのが↓の写真です。カイロで皆既日食が見られることがあれば、たぶんこんな景色になるそうです。なお、同行インストラクターの渡部潤一先生に直接聞いてみたのですが、カイロやルクソールで過去に皆既日食が見られたかどうかは、天文学的には分からないそうです。理由は、4000年も前となると、地球の自転速度そのものが今とは異なっているから。4000年前であっても、皆既日食が起こった時刻は秒単位までで正確に計算することができますが、それが地上のどの場所で起こったのかは、自転速度がちょっとでも変わればたちまちずれてしまうというわけです。
2006.06.11
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昨日に引き続きエジプト旅行のアルバムを更新しました。今回は、カイロ市内(ハーン・ハリーリ、考古学博物館ほか)です。さて、エジプト考古学博物館のお目当ては何と言ってもツタンカーメン(トゥトアンクアムン)の黄金のマスクです。じつはこのマスクを直接目にするのは初めてではありませんでした。各種資料によれば、1965年、東京・上野の東京国立博物館でツタンカーメン展が開幕されました。期間中に100万人以上の入場者があったといいますが、とにかく私もその1人として見に行った記憶があります。国立博物館の周りにには長蛇の列ができていたことを記憶しています。今回は、そんな列はありませんでした。閉館の1時間前ということもあって比較的空いており、マスクの前に誰も立っていないという時さえありました。また、ガラス越しではありましたが、1m程度の至近距離から、正面、真横、真後ろ、斜め下などいろいろな角度から眺めることができました。合計3回ほど、マスクの前に立ち、合計時間は3分半くらいになったかと思います。ツタンカーメンが即位したのは紀元前1350年頃と言われています。マスクが作られてから3350年、これは時間に直すと約3000万時間となります。そのうちの3分半は1.99e-9、私の計算に間違いがなければ、黄金のマスクが作られてから今日に至るまでの時間の5億分の1の長さにすぎませんが、私という人間がそのマスクから物理的に最も近い場所に立っていたという事実を作り上げることができました。
2006.05.14
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久しぶりにエジプト旅行のアルバムの更新をしました。予定ではあと3つくらいアルバムページを追加して完成にこぎ着けたいと思っているのですが土日以外はなかなか忙しくて手を出せません。さて、今回追加したのは、カイロのガーマ・ムハンマド・アリ(旅行会社の日程表では「モハメドアリ・モスク」)の写真です。この日は早朝にルクソールを出て、このモスクと旧市街、考古学博物館を回りました。ところで、先日、NHKの「探検ロマン世界遺産スペシャル」でエジプト・カイロを取り上げていました。エジプトに行く前は、カイロにある世界遺産というのはみんな古代文明の遺跡ばかりだろうと思っていたのですが、実際訪れてみると、ピラミッドやスフィンクスとはゼンゼン関係のない中世カイロの旧市街だったんですね。アラビアンナイトの舞台はバグダッドあたりだと思っていたのですが、これもカイロで完成されたとか。
2006.05.13
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エジプトアルバムサイトにルクソール→カイロ(機上からの眺め)を追加しました。この時はたまたま右の窓際の座席が指定されていたため、ナイル川近くの乾燥地帯や、遠く、紅海方面の山並みを眺めることができました(逆光であったことと、全体に霞んでいたため、あまりよい写真は撮れていません)。さて、エジプトはアフリカ大陸の北東に位置する国でありますが、滞在中、いまアフリカに来ているんだなあという感じは全くありませんでした。どちらかと言えば、地中海沿岸、あるいは、中東の砂漠地帯といった印象です。これはたぶん、アフリカについての私自身のイメージにも関係しているかと思います。私の場合、アフリカと言えばやはり、広大なサバンナを真っ先に思い浮かべます。そういう意味では、キリマンジャロ登山後に訪れたマニャラ(Manyara)湖一帯は野生動物たちも多く、いかにもアフリカという感じがしました。たぶんこういうイメージを持つのは、子どもの頃テレビでやっていた「狼少年ケン」や「少年ケニヤ(←実写ドラマ版)」の影響をモロに受けたからでしょうねえ。ちなみにアフリカ各国の中で、人口が多い国はナイジェリア、エチオピア、エジプト、....GDPが多いのは、順に、南アフリカ、アルジェリア、エジプト、...ということで、エジプトはいずれもアフリカ内3位にランクされています。エジプトのGDPは日本の50分の1みたいですが、そんなに違いがありますかねえ。
2006.05.02
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ルクソール西岸からはファルーカ(帆掛け船)に乗って、直接ルクソール神殿入り口へ。この日の最後の観光となりました。とにかく、朝アブ・シンベルを発って、たった1日でルクソール観光を終えようというのですから大忙しです。すでに日が沈みかけていて、神殿の石像や石柱を照らしていました。もっとも、この光の具合はなかなか素晴らしいものでした。こちらにその時のアルバムを掲載しました。ところでアルバムの中の2番目に、フクロウのような絵文字があります。これは、私が大学に入ったころ、バートレット(Bartlett 1932)による記憶変容の実験として紹介されたことがあり、たいへん懐かしく感じました(他の遺跡にもありましたが)。写真の下のほうに、その概略を私のイラスト(ホンモノの実験結果に似せたもの)で示しておきます。実験はだいたいこんな感じです。まず被験者となった最初の人に、1番左の絵を見せて記憶してもらいます。絵を取り上げてから、白い紙に、覚えた通りにそれを再生してもらいます。2番目の被験者は、1番目の被験者が描いた絵を記憶し、同じようにして再生していきます。こうして「リレー再生」を続けていくと、もとのフクロウの絵が、猫の後ろ姿に化けてしまうという面白い結果が得られています。要するに、曖昧な図形を見せられると、その一部分が「強調化」され、また、見慣れた形や、「○○の絵だろう」と思い込んだ形に変化していくというものです。ちなみに、このフクロウのような絵文字は、ツタンカーメンの黄金のマスクの裏側の左下隅にも刻まれているのを確認しました。
2006.04.29
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エジプト皆既日食旅行からちょうど1カ月目の新月を迎えました。アルバムサイトのほうは、やっと、ルクソールのナイル川西岸地域を追加したところです。この日は、カルナック神殿を見学した後、船でナイル川を渡って西岸地域を訪れました。ナイル川の水にじかに触れたのはこれが最初でした。ナイル川の印象は、川幅が意外に狭いということと、水の青さに驚いたという2点に絞られます。ルクソールあたりの中流域の川幅は多摩川や岡山の旭川よりは広いとは思いますが、利根川河口付近とイイ勝負ではないでしょうか。これまで私が訪れたことのある黄河、長江、アムール川、インダス川などはみな濁っていました。その点、砂漠を貫いて流れるナイル川がなぜあんなに青いのか不思議でなりません。両岸の耕作地が防砂林の役目を果たしているからでしょうか。ナセル湖で堰き止められた時点で泥が沈殿し、そのあとは岩盤地帯を流れるためでしょうか。ところで、ナイル川と言えば、世界一長い川として知られています。もっとも私が小学生の頃は、世界一長いのはミシシッピー川だと教わっていました。ウィキペディアにもある通り、このあたりはいろいろと議論があるようです。
2006.04.28
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アブシンベルを朝出発して、飛行機で午前中のうちにルクソールへ。ここではまず、カルナック神殿を見学しました。噂には聞いていたものの、実際に間近に見た石柱やオベリスクの大きさには圧倒されました。何枚かの写真をこちらに載せておきます。その中の1枚をここにもリンクしておきます。オベリスクの先端に太陽を重ね合わせて、「コロナ」の再現を試みた写真です。ギザのピラミッドやアブ・シンベル神殿同様、カルナック神殿でも音と光のショーをやっていると聞きましたが、翌朝の起床時刻が5時だったこともあり、一人で出かけるのは諦めました。しかしあとでガイドブックをよく見たら、宿泊先のヒルトンホテルとカルナック神殿とは1km程度しか離れていないことが分かりました。多少無理しても歩いて行けばよかったと、ちょっぴり後悔しています。
2006.04.24
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きょうのじぶんの日記では、エジプトと日本のどちらが広いかという話題を取り上げました。外務省基礎データによれば、エジプト・アラブ共和国の面積は約100万平方kmであり、日本の約2.6倍となっているそうですが、かなりの地域は乾燥地帯で、居住地や耕地としてあまり利用されていないように思われます。その点、日本は、領海と排他的経済水域を含めると447万平方kmになると言われていますから(但し、近隣国と外交問題になっている水域を含む)、陸地面積の10倍以上を十二分に利用していることになります。砂漠と違って、道路を造らなくても船で物を運べますし、水産資源は重要な食糧になっています。こうしてみると、どっちが広いかは、一概には言えません。↓の写真は、ルクソールからカイロに向かう飛行機から写したナイル川沿いの耕地の様子です。写真中央を横に伸びているのがナイル川とその両岸の耕地ですが、それ以外は荒涼とした岩山と砂漠になっています。なお、写真奥(紅海方面)には高い山脈も見えています。
2006.04.23
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妻からの情報によれば、本日22日の21時から岡山放送(フジTV系)で「エントラップメント」99年アメリカ。ショーン・コネリー。という映画をやっているとか。この、ショーン・コネリーからの連想になりますが、今回のエジプト旅行でロンドンから成田に向かう便は、何と、007便でした。それも007の本場の英国航空。↓にその証拠写真を挙げておきます。余談ですが、私が乗った飛行機で「7」に関係した便としては、JL777便というのがあります。関空発ブリスベン経由シドニー行きです。いまでも運航している模様。
2006.04.22
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今回訪れたエジプト各地の観光地の中では、アブ・シンベルが最も私好みのロケーションでした。その時の写真をこちらに掲載しておきます。アブ・シンベル神殿のスケールの大きさにも驚かされましたが、ホテルで眺めた日の入りと日の出の風景はまた格別でした。地図を見ると、このあたりはもはやスーダンとの国境近く。エジプトの観光地はどちらかというと、地中海沿岸の雰囲気がありますが、ここまで来るとさすがに、アフリカの大地に居るんだなあという感じがしてきます。ここで眺めた光と音のショーはまた格別でした。ショー自体は大したことなかったけれど、とにかくライトアップされた神殿は、昼間とは違った迫力があります。ショーが行われた時、南の空にはシリウス、さらにその下にはカノープスも光っていて、北回帰線より南の地に立っていることを実感させてくれました。
2006.04.21
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中国・チベットやボリビア・チチカカ湖に行った時にも気になったことですが、ペットボトルやポリ袋などの石油製品で、今や地球規模の汚染が深刻化しているように思われます。チベットでは、有名ゴンパの裏庭に石油製品のゴミが大量に捨てられているのを目撃しました。これらは強風であたり一帯にまき散らされるほか、焼却によって有害なPCBが排出される恐れもあります。あの美しいチチカカ湖でさえ、ペットボトルが浮かんでいたりしました(indexはこちら)。残念ながらエジプトも例外ではありません。写真の上半分はカイロのナイル川支流の河岸で見かけた不法?投棄現場。下半分は皆既日食観測地近くの村に散らばる石油製品系のゴミです。本当に何とかしないと、たいへんなことになります。
2006.04.20
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昨日の続き。ナイル特急の終着駅アスワン駅で降りたあとは、大急ぎで、「切りかけのオベリスク」と「壮大なアスワンハイダム」を見学したあと、飛行機でアブ・シンベルに向かいました。当初、このツアーの案内サイトに「アスワンでの観光時間1時間」と書かれてあり、観光先は同じなのに「2時間」と書かれてあるコースとどこが違うのかと思いましたが、行ってみて納得。要するに、「切りかけのオベリスク」を速歩で見て回り、アスワンハイダムで記念写真を撮ってすぐ空港に向かうというのが1時間コースだった次第です。ということでアスワンの印象は殆どありませんが、ナセル湖の規模には驚かされました。ネットで検索したところでは、大きさは琵琶湖の6倍とも7.5倍とも言われ、全長は500kmにも及ぶとか。しかしこのナセル湖、当初計画したほどの貯水量は得られず、また、下流域では氾濫が防げるようになった見返りに土地が痩せ、化学肥料のコストがかさむようになったとも聞きました。ま、そうは言っても、エジプトの生命線はこの人造湖にあると言っても過言ではないでしょう。地球温暖化の影響で水量はどうなるのか、気がかりなところです。さて、ナセル湖もそうですが、ギザのピラミッド、移築されたアブ・シンベル、さらにルクソールの宮殿など、エジプト各地には巨大な建造物がたくさんありますが、長い目で見ると、これらは、建造コストを大幅に上回る経済効果を上げているとも言えるかと思います。古代エジプトの王様が、現代人の集客効果まで見込んでピラミッドを作ったとしたらスゴイ。ま、そういう意味では、日本の奈良の大仏も姫路城もみな同じことが言えますけれど。(写真は、アスワン空港からアブ・シンベル空港に向かう飛行機から写したナセル湖)
2006.04.17
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アレキサンドリアからアスワンまではナイル特急を利用しました。その時のアルバムをこちらに掲載しました。よろしかったらご覧ください。今度の皆既日食では、さまざまな旅行社からエジプト、リビア、トルコに向かうツアーの募集がそれぞれありました。今回利用したH交通社だけでも2支店6通りのコースの募集がありましたが、最終的には「ナイル特急乗車」を含んでいたことが、コース選択の決め手となりました。私が中学~高校~大学の頃は、まだ高速道路が未完成であり航空運賃が高かったことから、旅行と言えば列車の旅と決まっていました。大学時代に冬の北海道を旅行した時などは、宿泊代節約のため、殆どすべて車中泊(座って寝る)、洗面デッキで身体を拭く、トイレで着替えなんていう旅をしたこともあったほどです。もっとも、寝台料金が高かったので寝台列車は滅多に利用しませんでした。海外旅行先では・旧ソ連(ナホトカ~ハバロフスク、モスクワ~旧レニングラード)・冬のシベリア鉄道・冬のシルクロード(トルファン~柳園、酒泉~蘭州)・中央アジア(サマルカンド~ブハラ)・冬の南新疆ウィグル(トルファン~クチャ)という区間で乗った記憶がありますが、今回は個室1人利用だったこともあり、いちばんのんびりできました。日本国内のトワイライトエクスプレスなんぞも一度乗ってみたいと思っているのですが、何しろ料金が高すぎます。そういえば2002年3月29日の日記で「さくらの凋落」という話題を取り上げたことがありましたが、2005年3月1日にはとうとう廃止に。国内で寝台列車に乗る機会は今後もずっと無いかもしれません。
2006.04.16
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まず報告ですが、やっと、エジプト皆既日食とナイル古代文明という特設サイトを作りました。今後は、写真も、楽天フォトではなく、そちらのサーバーのほうから公開したいと思っています。(楽天フォトの場合は写真1枚に100KBという制限がついているため、圧縮に手間取るからです)。さて、本日の話題ですが、イスラム社会では一般に結婚前の男女は大っぴらにはデートできないと聞いています。もっとも、グローバリゼーションの流れと言うべきなのでしょうか、カイロの川岸では、カップルの姿をよく見かけました。下の写真はバスの窓からカイロタワーを撮ったときに全く偶然に写っていたカップルです。もちろんすでに結婚した夫婦という可能性もありえますが、私はたぶん未婚だろうと思います。なぜなら、結婚したカップルはああいう場所で2人で過ごすことは無かろうと思うからです。
2006.04.15
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ギザのピラミッドをバスの窓越しに見た時の第一印象は、思ったより尖っているなあということでした。しかし実際に現地に行ってみると、眺める角度によって尖り方がずいぶんと変わってくることに気づきました。その理由としては、・四角錐の1つの面を見ているのか、角が中央に来るようにして、2つの面をみているのかによって異なる(シルエットの三角形を考えた場合、底辺が四角錐の一辺になるか対角線になるかで長さが異なる)。・奥行きを感じるかどうか(1つの面だけを眺めた時はあまり奥行きを感じない)。・近くから見上げる場合と遠くから眺める場合の違い(富士山なども山麓から見るとなだらかに見える)などが考えられるかと思います。こちらのサイトによれば・クフ王のピラミッド:正四角錐で、底辺の長さは230メートル。高さは137.5メートル(創建当時は146.6メートル)、傾斜角は51度52分。・カフラー王のピラミッド:高さ136.5メートル、底辺210メートル、傾斜角53度10分。・メンカウラー王のピラミッド:高さ約66.5メートル(創建時は70メートル)、底辺約108.5メートル、勾配51度20分。となっていることが分かりました。しかし下の写真をプリントして分度器で底角を測ったところでは、一番なだらかに見える写真(写真右側1番上、クフ王のを真下から眺めた場合)では30度、一番尖って見える写真(写真左側1番下、カフラー王のをバスの窓から眺めた場合)では48.5度とマチマチになっていることが確認できました。
2006.04.14
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今度の旅行では、アレキサンドリアから日食観測地のサルームまでのほぼ往復、地中海沿いの道路を通るコースとなりました。実際に海岸沿いを走ったのは数カ所にすぎませんが、エメラルド色に輝く海はなかなか見事なものでした。海と言えば、昨年8月、イラン最高峰登山のあとに、カスピ海見物に行ったことがありました。リンク先のカスピ海の写真は濁っているように見えていますがあれは海岸付近だけで、沖合のほうは、今回の地中海同様、美しい青色に輝いていました。昨年夏に訪れたカスピ海と今回眺めた地中海には共通点がありました。それは、南側から海を見ているということです。私は東京生まれなので、海というとまず、江ノ島などのある湘南海岸が頭に浮かびます。また、いま住んでいる岡山にも、渋川海岸などがありますが、どちらも、北側から海を眺めているため、逆光になってしまって、海は鮮やかな青色には輝きません。稀に、四国側から瀬戸内海を眺めたり、あるいは、鳥取県の海岸を走ったりすると、海はこんなに青いものかと驚くことがあります。カスピ海や地中海も北側の海岸から眺めれば、もう少し違った色になるのではないかと思います。行ったことがないので確かなことは言えませんが。写真は、リビア国境近くの地中海です(バスのガラス越しに撮ったのでやや不鮮明)。
2006.04.13
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エジプトの遺跡には古代象形文字が彫り込まれていますが、今のエジプトで使われているのはもちろん、アラビア語の文字です。このことで気づいたのですが、同じアラビア語でも、イランとエジプトでは数字の「5」の形が違っていました。以前こちらに記したことがあるように、イランでは、数字の「5」は、例外なく、逆さのハートの形をしていました。いっぽうエジプトで使われている「5」は、私が目撃した限りでは、少しゆがんだ丸い形をしていましたが、逆さハート型のように下部にくぼみを付けているかたちは一度も見かけませんでした。この数字は、車のナンバープレート、お札、道路沿いの看板の柱の番号、搭乗口案内などに使われていました。但し、たいがいは、算用数字が併記されていて戸惑うことはありませんでした。さて、エジプトの「5」とイランの「5」ですが、イランのような逆ハートのほうが区別しやすいように私は思います。なぜなら、エジプトで「|○」というような文字が描かれていた場合、「○」がゼロを意味するのかアラブ数字の5を意味するのか、直ちには判断がつかないからです。逆ハートであれば「5」であるとすぐに分かります。ま、地元の人ならば、前後の文脈や慣用で区別できるんでしょうけれど...。写真は、カイロの空港の5番搭乗口。左上枠内は、イランの道路標識「制限速度50キロ以下」です。
2006.04.12
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昨日の日記でエジプトの猫の写真を載せたので、今回は犬の写真を掲載。場所はカルナック神殿の入り口付近です。ぐっすり眠っているように見えますが、柱の陰からはみ出て暑くなると、ちゃんと少しずつ左方向に移動しています。余談ですが、本日の日記は 『動物好きさん集まれ~』 というテーマで登録してみました。エジプトとはゼンゼン関係ないのですが、「笑うヤギ」を見たい方はこちらをどうぞ。
2006.04.11
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古代エジプトではネコは神聖な動物として大切にされていたそうですが、そのせいか、ネコの土産物もよく売られているようです。写真は、土産物のネコ。但し、よく見ると、ホンモノのネコも混じっています。
2006.04.10
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皆既日食終了後はエジプト第2の都市、アレキサンドリアに向かいました。クレオパトラが居た街として有名ですが、ゆかりの遺跡は海底に沈んでしまっていて実際には接することができない模様です。ここでは、カイトベイ要塞、ポンペイの塔、カタコンベなどを観光しましたが、それよりも感動したのは活気あふれるアラブ人たちの露店風景でした。ここには路面電車が頻繁に走っているのですが、電車が通らない時には軌道の上に平気で露店を出しています。事故が起こらないのが不思議なくらい。そのほか目立ったのが、カラフルな女性の下着です。もちろん、生身の人間が下着姿で歩いているわけではありません。メインストリート側の窓から堂々と干されている洗濯物、露店で売られている派手な色の下着類など。イスラム教徒の女性は屋外では地味な格好をしていますが、その分、派手な下着を好むようです。それにしても日本では、堂々とパンティをつり下げて売る露店などあり得ません。買う方だって、恥ずかしくて変えないのではないでしょうか。やはり羞恥心は文化に依存しているようです。
2006.04.09
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さて、今回観測地となったエジプト・サルームは、エジプトの北西端、リビアとの国境のすぐ近くにあります。観測テント村が設営された地域は通常は一般人が入れない地域です。今回は国境警備隊に守られての観測となりました。ムバラク大統領も視察(=日食見物)に来られたくらいですから、安全上は全く不安を感じませんでした。この地域は砂漠地帯ではありますが、時折、地中海から伸びる雲の筋がかかって雨も降ります。また、この時期は朝霧もありました。立入禁止区域になっているせいでしょうか、野生の草花もたくさん咲いていました。昨年11月3日の日記で「トルコ・アンタルヤ地方 ワイルドフラワーと皆既日食」というツアーがあることに触れましたが、結果的にはエジプトでも、お花畑?で皆既日食を楽しむことができました。心配された天気のほうは前日から快晴。前日の日の入りも当日の日の出もバッチリ見えました。その後しばらく朝霧に覆われたものの、日食が始まるころには雲1つない快晴となりました。さて、私自身の皆既日食体験はこれで3回目となりますが、同じ皆既日食でもずいぶんと見え方が違うことに気づきました。最初に行った小笠原沖の時は、水平線付近が夕焼けのように赤く染まり、また、月の影が通り過ぎる様子がよく分かりました。これは雲が多かったせいかもしれません。前回の1999年イランの時と、今回は、地平線付近が赤く染まることはなく、また、月の影もはっきりとは分かりませんでした。このほか、1999年イランと今回ではコロナの大きさが違うように見えました。イランの時のほうが大きかったです。いっぽう今回のほうが、ダイヤモンドリングが開始時と終了時の2回、とても鮮明に見えました。一度の体験だけでは満足しない日食マニアの気持ちも分かるような気がします。さて今後の日食ですが、私自身は、2009年7月22日の日本近辺での日食をぜひ見たいと思っています。といっても、この日は前期授業の最終週にあたっており、職務上参加できない可能性が大です。それより1つ前の2008年8月1日のシベリア日食のほうが休みをとりやすい。といってもシベリア北部の天気はあまりよくなさそう。それよりも、モンゴル最西端のトレッキングを兼ねて山の上から眺めるほうが楽しめそうです。興味のある方は黒い太陽にロマンを求めて(佐山敬悦氏)のサイトの中の日食帯世界地図をご覧ください。
2006.04.08
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私がエジプトで利用したトイレはすべてウォッシュレット型になっていました。一番上等なのは、写真のように、つまみをまわすだけで水(または温水)が出るもの。このほかトイレの横に蛇腹型のホースがついていて、お尻を洗うタイプもありました。ウォッシュレット型のトイレは、以前、イランで見かけたことがありました。但し、イランがすべて和式であったのに対し、エジプトはすべて洋式でした。合理的に考えれば、座っているだけで水が出てくるタイプなら洋式、ホースでお尻を洗うのであれば和式タイプのほうがすぐれていると思いますがそのようなタイプ分けはされておらず、「イラン=和式、エジプト=洋式」で統一されていました。このほか、イランとは異なり、男性トイレには小便用の便器がちゃんと設置されていました。エジプトのトイレの一番の特徴は、殆ど例外なく、出入口付近に清掃員が立っていて、外に出ようとする時にチップを要求することでした。このことは旅行社からあらかじめ伝えられており、両替のさい、ご親切にもトイレチップ用の50ピアストル札(日本円で約10円)をたくさん用意してくれていました。何もサービスを受けなければ払う必要はないとも聞いていたのですが、一度、小銭を持たずに利用した時などは、入り口で通せんぼをされたりしました。たいがいは50ピアストルを渡すとニコニコしていましたが、カイロの考古学博物館では「one、one」といって執拗に1ポンド(約20円)を要求してきました。『地球の歩き方』には「空港や博物館のトイレは無料」と書いてありましたが、とにかく、こちらが断固拒否しない限り、貰えるなら貰っておこうということなのでしょう。ま、日本人の感覚からすれば10円でも20円でも大した額ではなく、別段損をしたという気持ちにはなりません。その分、トイレがきっちり清掃されていればエエかなあとも思います。しかし1人あたり10円のチップでも、1日1000人が利用すれば1万円、月収30万円以上となります。となると、カイロの博物館の清掃員などは相当の高収入ではないでしょうか。といっても、1日中トイレの出入口付近に立ってチップを受け取るという「労働」が、働きがいになるかどうかは不明です。トイレの清掃自体は利用者に感謝される崇高な仕事ではありますが、チップを受け取るというだけでは何の技術も身に付かない。何の進歩・成長もありません。万が一クビになったり、法律でトイレチップが禁止された時には、その先どうやって生活していくのでしょうか。
2006.04.07
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今回のエジプト旅行は、皆既日食見物が主たる目的でありましたが、エジプトと言えばやはりピラミッド。しかもラッキーなことに、ギザのピラミッドを5倍楽しむことができました。その5倍とは、(1)間近に眺めて楽しむ(2)中に入って楽しむ(撮影禁止のため写真無し)(3)ライトアップされたピラミッドを楽しむ(4)高台からの遠望を楽しむ(5)夕焼けのシルエットとして楽しむその時の写真を5枚だけ、とりあえずにアップしましたのでご覧ください。まず、ラクダに乗っている写真ですが、ガイドブックにはたいがいラクダに乗ると大金をふんだくられるから止めておけと書いてあります。今回は、ラクダ引きとは直接金のやりとりをせず、現地のガイドさんが団体契約で交渉し、後で集金するというやり方をとりましたので安心して乗ることができました(2$)。(3)は、「光と音のショー」の時に撮影したものです。今回はアブ・シンベル神殿でも同様のショーを観ました。他にも各地で実施されているようです。エジプトの遺跡はスケールの大きなものが多く、ライトアップには迫力があります。訪れる方は、昼間ばかりでなく、ぜひ夜にもう一度、神秘的な光景を眺めることをオススメします。(4)はカイロの高台にあるガーマ・ムハンマド・アリからのピラミッド遠望です。(5)は、宿泊した「カタラクト・ピラミッド・リゾート」ホテルのエントランスの屋上から眺めたシルエットです。このホテルには行きがけにも泊まったのですが、その時は、朝霧か砂塵のために霞んでいて屋上からピラミッドを眺めることはできませんでした。帰りの日は前日の雨のおかげで埃が無く、空気が澄んでいて、屋上からはシルエットのほか、(3)のライトアップの様子まで眺めることができました。なお、このホテルは美しい花壇に囲まれていて景観は抜群なのですが、室内に蚊がいてたたき落とすのに苦労しました。じつは(5)の写真を撮った時も、蚊がたくさんやってきて困りました。(1)(3)(4)(5)
2006.04.06
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今回の旅行では、成田からロンドン経由でエジプト・カイロに向かいました。元の座席は通路の真ん中よりだったのですが、たまたま左の窓側席が空いていたので移動。これが大変ラッキーで、厳冬のユーラシア大陸の景色を機上から堪能することができました。成田発ロンドン行きの飛行機は、今回の場合は、まず新潟から日本海を渡り、シベリア北部に向かいます。そしてエニセイ湾のあたりから北極海に出て、ノヴァヤ・ゼムリャの北を回り、ノルウェー北部からオスロ上空を通ってロンドンに向かいました。シベリア経由だということは知っていたのですが、まさかこんなに北を通るとは思いも寄りませんでした。ノルウェーのフィヨルドやノヴァヤゼムリャは一度は見たいと思っていた場所だけに望外の喜びというとちょっと変な表現ですが、とにかく、出発前には思いもよらなかった風景を眺めることができてとてもラッキーでした。こちらにアルバムがありますちなみに、ロンドンから成田までの帰りの便は、もう少し南、ユトランド半島からシベリア北部を通過した模様です。殆ど寝ていたのと、夜の時間帯だったため写真は殆ど撮っていません。
2006.04.05
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「エジプト皆既日食とナイル文明の旅」から戻ったところです。ええと、まず、肝心の皆既日食ですが、これは文句なしの快晴でした。但し私は、自分の眼で眺めることを第一にしておりましたので、人様にお見せするような写真は撮っていません。幸いアストロアーツの投稿画像ギャラリーのほうに、美しい写真が次々とアップされているようですので、ご興味のある方はそちらのほうを閲覧してください。ちなみに、今回のツアーで撮影した写真は●ファイル数1584、合計サイズ1.09GBでした。ごく一部ではありますが、アルバムサイトにアップしていきたいと思っています。エジプト滞在中は、早朝の出発や深夜到着が多かったこともあり、日本のニュースを聞く機会が全くありませんでした。日本に戻ってから、羽田の待合室で偶然、高校野球の優勝決定の瞬間を見ることができました。そのあと機内で新聞を手にしてみたところ、・民主党の代表が交代するらしい・日経平均が1万7000円を超えていた・大相撲は朝青龍が優勝したらしいというようなことが分かってきました。成田から羽田に向かう途中、上野公園の桜をチラッと眺めてきました。ソメイヨシノはもう落花が始まっていたのですね。幸いなことに、帰国時の気温はカイロと殆ど変わらない暖かさでした。エジプトと日本の時差は7時間。この日記を書いているうちにまもなく24時になろうとしていますが、いっこうに眠くなりません。明日以降、早起きのリズムを取り戻せるかどうかが心配です。
2006.04.04
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