英語の勉強-長き道のり




日常英会話に毛が生えた程度しか話せなかった私が、アメリカに来て、語学学校→カレッジへと進み、
国際結婚迄してしまった長い道のりを振り返ってみます。

現在の英語力は口喧嘩で10勝0敗でアメリカ人のダンナを言い負かす英語力!
( ̄□ ̄;)実は迫力勝ちしてるのかも。

しかし、振り返れば苦労も沢山ありました。
( ̄- ̄;)

現在の私の英語力をまじめに自己判断すると、
聞き取りはほぼ完全です。大学の授業も難しいニュースも問題なく聞けます。

本を読むのは日本語の本とほぼ、同じ速さで読めるけど、
書く方はいくら勉強しても難しい。
英文を提出する際は必ずネイティブの人に添削してもらってから出します。
どうガンバッテもちょっとした言い回しがネイティブの人にはかなわないと実感中。

日本に住んでいた頃は英語??大の苦手でした。
学生の頃は日本に住んでるのに英語なんて必要な~い!
って感じで勉強する気もなかった私。

見た目はきゃしゃですが、実は体育会系の私。

日本ではエアロビのインストラクターとして
5つのスポーツクラブを回り、
月に40本のクラスを持つフリーの
エアロビインストラクターでした。

そんな私が留学して英語を習得しようと思ったのは
アメリカ人のお友達が出来た事から。

スポーツクラブで知り合ったステファニーは
オハイオの大学から地元の高校に研修に来ていて、
私のクラスでエアロビをしていました。

身振り手振りの会話をしながら
私たちはとっても仲良くなりました。
私は彼女に日本語を教え、
彼女は私に英語を教えてくれました。

ステファニーがアメリカに帰る日も近いある日、
私に言った。

ハワイ市場ちゃんは英語の才能あるからもっと
勉強して英語の先生になればいいよ。
アメリカ留学をしたらどうかしら?

この一言が私の人生を変えました←恐ろしいほど単純な私。
今思えばアメリカ人得意のいつものお世辞だったと思うんだけど。

多いときは一日3本のクラスを持つ私は
身体的にすごく疲れていたし、
この際エアロビをしばらく休んで留学し、
子供達の英会話の先生とエアロビのインストでダブル収入だ!!
と夢を膨らましたのであった。

全然英語喋れないのに、
いきなりアメリカ本土は怖いよな~と思った私は
とりあえず近場のハワイに決めた。

日焼けが嫌いな私は、
出来れば暑くない近場のアメリカが良いなぁ~と思ったけど、
近場のアメリカってどこも暑い(当たり前か)

とりあえず銀行にあった貯金100万円で
6ヶ月のハワイ滞在が可能という計算になった。

この100万円は英会話の先生になった
あかつきにはきっと何倍にも増えて戻ってくるのねっ!
とまたまた夢を膨らませる私。  o(^o^)o わくわく

スポーツクラブにはハワイ市場先生、
半年間お休みです。と張り紙をしてもらった。
(この時は戻ってくる予定でした)

家族と涙のお別れをしてハワイ行きの飛行機に乗り込んだ。
二つのスーツケースを持って…


第二章へ


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