「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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叔父から母への手紙 2000年3月15日
ラテン・アメリカをあちこち歩き、これまでに見聞き体験した事、感じた事、考えた事を独断と偏見で少しまとめておく事にします。本音も、建て前も自分なりの解釈で、ラテン・アメリカの自然・歴史・政治・経済・文化を日本との比較を交えて、解説して見ます。此処では中南米と云わず敢えてラテン・アメリカと云うのは、メキシコが北米に位置する為、世界的に中南米と云わず、ラテン・アメリカと云うのが趨勢だからです。手書きではなかなか書く気にはならないが、文明の利器のお陰だ。
ラテン・アメリカの自然破壊
1999年の年末、南米北部からブラジルにかけて集中豪雨が長く続いた。あたかもノストラダムスの大予言が的中したかの様に、ベネズエラやコロンビアやブラジルでは洪水と土砂崩れで多くの人々が世の終わりを味わい、2000年を迎える事が出来なかったのである。どうやらエル・ニーニョ現象の反対のラ・ニーニャ現象のせいであると云われているが、つまり環境破壊から来る自然の摂理が狂った結果である。中世の人が20世紀の地球環境破壊を本当に推理していたとすれば、神に値する事である。(因みに、「エル・ニーニョ」とは男の子の意だが、海水温が上がる「エル・ニーニョ現象」は「El Niño」と大文字表記で固有名詞の為、「子供のイエス・キリスト」の意味。つまり海水温が上昇する現象は何時もペルー沖でクリスマスの頃発生したのでクリスマスに因んでエル・ニーニョつまりキリストの誕生日=生まれたばかりのキリストの事である。ラ・ニーニャとはエル・ニーニョの女性形、つまりエル・ニーニョとは逆の意と取れる。)海水温が上昇するエル・ニーニョ現象も地球の環境破壊からきているが、この現象が発見されたのはイワシが捕れなくなったからである。我々、小学5年の社会科で世界の漁獲高は長らく日本が世界一を続けてきたが、戦後間もなくペルーに抜かれたと習った。南極からフンボルト海流に乗って来たカタクチ・イワシが大量に捕れたらしいが、この地域に昔から如何に魚がいた事が理解出来るのが「グアノ」と云う肥料が取れた事で解る。ペルー沖にガラパゴス諸島(現エクアドル領)が有り、グアノと云う鳥の糞がそこで年間何万トンと云う量が30年間取れ続けたのである。つまり何千何万年以前からの、海鳥の糞が堆積していたのである。そこには多くの海鳥が生息出来る漁場があったと云う事なのであるが、1960年代にはグアノは取り尽くされてしまったようだ。このフンボルト海流は良い漁場であると云う発見が遅すぎた為、ペルーの漁獲高世界一も長く続かなかった。70年代中頃、急速に漁獲高が落ち始めたらしい。そこで海水温を計ったら上昇する時期が何時もクリスマス頃だったので、エル・ニーニョ、つまりクリスマスとはキリストの生誕日だからである。ラテン・アメリカの人は何事でも宗教に結び付けるのである。それは信心深いというプラス(ポジティブ)思考ではなく、それしか知らないと云うマイナス(ネガティブ)面の表れでもあるように思えるのである。
一昨年、大きなハリケーンが中米を襲い、コスタ・リカ、ニカラグア、ホンジュラスに大きな爪痕を残して行ったようだ。特に被害が大きかったのはホンジュラスと云われているが、ニカラグアでも被害は大きかったらしく、私の滞在中、一年過ぎた時点で何も復旧していない地域のニュースが比較的頻繁に流れされていた。日本の援助でゼネコンの間組が壊された橋の復旧工事に当たっていたが、道路が寸断されている事、地方の住民は特に貧しいにも拘わらず、家屋を吹き飛ばされた多くの被害者は依然、何の手も差しのべられないままでいる様子がよく報道されていた。ハリケーンを西語で「ウラカン」と云うが、元々中米にはウラカンが襲うと云う事は過去にはなかったらしい。つまり今まで通りの通常の自然の摂理では、中米には上陸しない自然現象が起こるようになったと云う事で、地球の環境破壊の進度もかなり進行している事を肌で感じる事が出来る。ニカラグアでは5月から10月が雨季らしく、6月末に行って以来、毎日一度、スコールがあった。5~10分位、だったけど、気候はさほど暑くならないのに、雨の降り方だけは、成る程熱帯だなと感心させられたものである。しかし8月頃から雨量は突然増し、スコールが半日続いたり、一日中続いたりするようになった。ひどい時には丸二日以上続く事があった。如何に雨季とは云え、異常な降り方はやはり環境破壊を感じずにはおれなかった。我々の居たヒノテペ市(人工6万人強)と云う町は標高600mの大地なので幾ら降っても水が溢れる事はなかったが、もし同じ雨量がアスンシオン(パラグアイ)に降れば、首都機能は麻痺するというより存続しないであろう。ものすごい雨量である。例えば、土砂降りの1時間の雨量が50mmとすれば、48時間降り続けばすごい量となる。大陸の都市はその地の気象や気候条件に合ったように発展してきている事がよく解るのである。ニカラグアでは如何に立派な家であろうとも屋根はトタンであるのが、住んでみると成る程と解る。あの雨量では瓦屋根は持たない。標高2800mのボリビアの首都スクレでも民家の多くはトタン屋根であるのは、雹(ヒョウ)が多いので瓦が持たないと住んでみて理解出来るのである。しかしパラグアイでも最近洪水を引き起こす強い雨が降る事が増えたし、雹が降る事も頻繁にあるにも拘わらず、トタン屋根の民家などまず見受けられない。勿論経済の兼ね合いがないわけではないだろうが、パラグアイが他の国に比べて豊かな訳がない。暑すぎるからだ。日中焼けて暑くなる国なので、トタン屋根では蒸し風呂に住む事となる訳だ。千差万別である大陸を知れば知るほど、固定観念(ステレオ・タイプ)と云うものが取れてくる。
この度、マナグア→ヒューストン→経由の帰路、ヒューストンを飛び立った後、北米大陸を上空から一望しながらスタインベックの小説「怒りのぶどう」を思い出していた。20世紀初頭の開拓時代の南部アメリカの乱開時代が描かれた小説だが、当時既に自然は破壊され、乾燥が続き人々が苦しんでいる様子が描かれていた。今、全く自然の緑をとどめず、行けども行けども地表を露出させている合衆国を見て、成る程、当時、危機感を持ってあの小説を書いたのだろうと思った。近年、自然災害の多いアメリカだが、頻発する大洪水と竜巻のしっぺ返しは益々多発する事は有っても減少する事はないと確信した。
雹の話が出たので付け加えれば、パラグアイやボリビアは大陸の中央部に位置する為、その上空は南北の寒暖気流がぶつかる所で、しょっちゅう雹が降るのである。晴れていたのが突然雨になる時、まず必ず雹がまず先に降ってから雨となる。粒が大きく沢山降って農作物に被害を及ぼす事など日常茶飯事で、農業は正しくお天とう様次第の運任せだ。最近は富みに環境破壊の為、自然の猛威が増し、益々運次第となっている。雹も降り始めが大粒で徐々に小さくなり、雨粒に変わっていくが、落ち始めの大粒に当たり仔牛が死ぬ事がよく有る。天から降るこぶし大の雹に当たれば、大きい牛でも死ぬだろう。屋根に落ちれば穴はあく。通常の雹は大豆粒程で動物や屋根に被害はでないが、大豆畑の成長期に降れば葉が全部落とされたり、花が全部落とされたりと言った被害はよく聞いたものだ。雪は降らないが、雹による銀世界を見る事が有る。ボリビアではポトシという銀鉱山の山が有る町へ遊びに行く途中、雹に降られ、行けども行けども雨にならず、最後迄、雹だけ降られた経験がある。10cm以上積もったが、雹も積もれば雪と同じだ。4000m級の山中、雹が積もった白銀の世界を車で走るのは気分爽快であった。こう云う経験はもう二度とないだろうから。
ニカラグア共和国はカリブ海及び太平洋に面しているが、小さい国土の割にカリブ海寄りの国土の半分は未開発で、カリブ海に通じる道路が一本もないのである。自然が残されているという事実は悪くはないのであるが、理由が不純である。そこは原住民(インディオ)の住む地域なので開発に手を貸さないと云うのか、貸せないのである。つまり貧しい国家なのでスペイン系住民へのケアーが十分でないのに、原住民への生活向上に手が回るはずがない訳だ。良くはないが、結果的には自然が残される結果となり、人類に貢献しているのかもしれない。この国の場合、原住民の人口比率は5%(約30万人)と云われている。5%の人口で50%の国土を占める事が出来るので有れば、コロンブス以降のアメリカの歴史上、例にない好ましい出来事かも知れない。なぜならスペイン人達は悉くインディオの土地を奪ってきたのであるから。
かつて75年にパラグアイへ渡った当時、うっそうと茂った自然の原生林がまだ目の前に幾重ともなく見る事が出来る、そんな時代だった。そんな大自然を伐採し、木を植えるという行為が如何に馬鹿げた事で有ったか、その後大いに反省させられたが、その大自然はとうの昔にあっと云う間もなく破壊され、日系人、ドイツ系人、ブラジル系人すなわち外国人の手によりパラグアイの自然は破壊され尽くされ、穀倉地帯に変えられてしまった。大豆が取れる、穀物が取れると云えば聞こえはいいが、それは大自然を失った代償なのである。大型機械化農業とは自然を破壊してのみ成り立つ理不尽な行為、地球環境破壊の元凶である。南北米の農業が正にこれであり、いまや自分で自分の首を締めてきた事に気付いてきているはずである。元々、農業とは自然と戦う事である以上、自然を破壊する事でもある。つまり生きるとは自然を破壊することなのである。
この様に大陸の奥地まで環境破壊は進んでしまったが、幸か不幸か、細長い中米は南北アメリカ大陸に比べると比較的自然は残されているように思える。大陸と異なり平地が少ない為、大型機械化農業がしにくいと云う自然条件が幸いしている事は大きい。又比較的人口密度が高く、人件費が安い所に高価な大型機械を持って来てもペイしない事も他の要因であろう。ニカラグアはまさしく火山国と言っても良い。首都マナグアは首都と言うのに町の中心部が空白地帯や人が住んでいない廃墟になった家がある。おかしいなと思えば1971年に大地震で町は崩壊したと言う。西語で地震を「テレモト」もしくは「シスモ」と言うが、町はその後再建したらしい。ラテン・アメリカは何処でもまず最初に中央広場を造り、教会があり、そこから徐々に開けていったはずなのに、このマナグアだけは違っていた。首都にはそれなりの歴史を感じさせる何かがあるはずなのにマナグアには何もなかった。建物の高さや都市の景観という観点から言えばサンパウロの方が東京より都会と言う雰囲気がある位、ラテン・アメリカの町は派手なのにマナグアは別だった。昔に造られた大聖堂は廃墟と化し、新しく近代化し、大型化した新大聖堂は周りに民家もない所にポツンと不自然に造られていた。120万人が暮らす首都マナグアに二階建て以上の建物がホテル、お役所を含めせいぜい5~6ヶ所、民家の二階建てはほぼ皆無に近い状態である。つまり一度崩壊を味わった経験がそうさせる訳でしょう。又何時来るかも知れない地震の為、崩れるかも知れない建物に資金をかけないのが貧しい国のやり方であろう。マナグアの北西100km位の所に「レオン」と言う古くは首都だった10万人位の古都がある。どちらもマナグア以上に歴史を感じさせる建物、町並みや、雰囲気をもっていた。グラナダはあのでかいニカラグア湖の一番奥まった所に位置し、かつてコロンブスがたどり着いた所として発展したようだ。このレオンとグラナダが首都争奪戦を繰り返した為、中間のマナグアに首都を据えたらしい。それでなくとも歴史のないマナグアに地震災害が加わり、見る影もない。ラテン・アメリカ一の貧乏国は間違いない。このニカラグアに滞在中8ヶ月弱位の間に火山噴火で住人が避難するというニュースが5~6度はあった。それぞれ異なった山であるがこちらはマナグアの北部で我々には何ら影響が及ぶ事はなかった。しかし近くには噴煙を絶やすことなくあげているマサヤ火山と云う不気味な火山があった。煙の通り道は限られた草しか生えない不毛の地と化している地帯があるにもかかわらず、そこをそれると、天然の木々が生い茂る原生林となる。勿論その不毛の地に人が住む事もない。つまり噴火の歴史は少なくとも100年以上を思わせる状況だった。これから見ても解るとおり、今までの自然現象は規則正しかったんだなと云う事だ。つまり空気の流れ(自然現象)は一定で、まんべんなく周りに噴煙を撒き散らす事をしないと云う事だ。ラテン・アメリカ、いや世界のどの都市も長い経験と地の利を生かして町は発展して来ているにも拘わらず、マナグアはその法則に従わず、罰が当たったのであろう。
ある日、何時もの、ものすごいスコールが丁度夕方、暗くなった時間に上がった事がある。すると突然無数の蛍(ホタル)が町に飛来してきて、家々の屋根や上空がクリスマス・ツリーのイルミネーションの様に輝き始めた。勿論、後にも先にもそれ一度きりだったが、幻想的な不思議な光景を見せてくれたホタルに感謝したい気持ちだった。パラグアイのホタルも同じだが、日本のゲンジ蛍の淡い光ではなく、正に電気仕掛けの様な強烈な輝きを放ち、弱々しく川辺に生息しているのではなく、時々家の中にも迷い蛍が飛び込んで来る、そんな地の虫と同じである。ヒノテペは6万人位の小さい町だが、町中は舗装されていて、蛍が生息出来る様な状況ではない。勿論、小さい町の周辺は自然が一杯残っているので、蛍が珍しい訳ではない。強力な輝き、力強い飛行力が我々のイメージするホタルとは大きく異なる、別世界があると云う事である。ニカラグアでは全く熱帯の気候に対する固定感覚をすっかり新にさせられたが、しかし蛍に関しては、やはりパラグアイ以上に熱帯を再認識させられた次第である。パラグアイのホタルも強烈な輝きと、クワガタ虫ほどの頑丈な兜を身につけていたが、湿地帯などの生息地を飛び回る程度と思っていた。その代わり、輝きはまるで銀河の星座が地上に降りたかのような美しさだったが、今やあの奥地ですら、昔あれほど美しかった天の川が見られなくなってしまった。パラグアイの蛍は、天の川の輝きが見えなくなっても、昔のまま地上の美しい星座のような輝きを放ち続けて欲しいものである。たった一度だけ、雨上がりにヒノテペの夜を飾ってくれた、あのホタル達は何だったのだろう。
ニカラグアでは天然の原生林は山間部で、伐り開いても機械化農業に不向きな点はパラグアイとは大違いである。よって大豆や小麦の雑作機械化農業が見られないのは自然が破壊されない分、幸いであると云わざるを得ない。日本も70%の山間部を自然保護の為に取って置いていた訳ではなく、開発出来なかっただけである。平坦地であれば南北アメリカ大陸の如く全て、伐り開かれていたに違いない。火山国で良かったのだ。日本でも山間部に段々畑や棚田がある様に、あちらでもパイナップルは山の斜面を伐り開いて植えられていた。しかしコーヒーは量が勝負なので斜面に植える訳にはいかない。広い土地を所有する者勝ちとなる。つまりコーヒー栽培は貧しい農民が単独で出来る訳ではない。なぜなら広大な土地所有者でなければならないからだ。ラテン・アメリカは何処でも同じだが、ラティフンディオ(大土地所有者)、ミニフンディオ(零細農民)が昔から社会問題として取り上げられて来たが、現在はカンペシーノ・シン・ティエラ(土地無し農民)と云う言葉を頻繁に耳にする様になった。このコーヒー栽培は正にこの問題を抱えている。日本の米の様に国が高値で買い上げてくれる訳はなく、何時も国際価格と云う自由競争の世界で戦わざるを得ない。零細栽培では食えないという世界である。零細でも土地をわずかでも持っているのはそれでも良い方と云えるが、普通、大土地所有者はマナグアに住み、会社でも経営しながらであったり、弁護士をやりながら地方に大土地コーヒー園を持ち、貧しい家族を何軒か園に住まわせ、奴隷制度時代の如く所有者のみ収益が上がるシステムを造りあげている。中堅コーヒー園主は我々が居たヒノテペ市の様な地方都市に住み、やはり貧しい家族を園に住まわせ、自分はコーヒー組合で取引をやり、時間の合間に園を回ると云うスタイルが一般的であろう。コーヒー豆の収穫は一斉に豆を全て収穫する訳ではなく、熟した豆を選んで収穫する為、機械化が出来ない厄介な作物だ。勿論コーヒーは何処にでも生育する訳ではないのでコーヒーが作れない土地もある訳だ。要因は適当な面積でなかったり、土壌であったり様々だが、コーヒーが出来なければ牧畜をする事となる。国土が小さい国なので南米の様な広大な牧場はお目にかかれなかったが、小規模な牧場は盛んに行われていた。パラグアイなど一冬に2~3度、降霜があるのでコーヒーが出来ない分、牧畜をする事となる。国土の割に人口が少ない分、ラティフンディオの所有面積も大きく、国土が広い分移動の規模が大きくなる。つまりセスナ機を飛ばして行くのである。アスンシオン空港にはそんな人のセスナ機、駐車場ならぬ駐機場があって20台位のセスナ機が常時待機しているのを見る事が出来る。牧場には200m位の滑走路をそれぞれ持っている。パラグアイ東北部のチャコ地方とは乾燥した過酷な灌木地帯が続き、粗放な牧畜地帯となっている。上空から眺めると緑が延々と続く楽園の様に見える雨が極度に少なく、灌木が生えているだけなのである。この様にラテン・アメリカの国々では2~3%の人口が国土の85%を所有しているとよく云われる。一部の人間が国を私有物化しているのである。今やっと人権や民主化、女性の地位向上が言われ出したが、真の社会改革はまだまだ1~2世紀はかかるのだろう。それはラテン・アメリカの場合、歴史的な経過を見ても新大陸と云われる様にやむを得ない。旧大陸と単純比較は出来ない。今は子供を育てる段で実のある貢献は出来ないが、子育て後のライフ・ワークは何をなすべきか、やるべき事がいっぱい有りすぎ困っている。
南米の自然破壊で最も痛ましいのがイグアスの滝だ。昨年、滝の水が枯れてしまし、騒いでいるニュースをニカラグアで知った。もうイタイプ・ダム完成後、何度も経験しているので、誰も驚かなくなっているが、あれは南米大陸のシンボルと云っても過言ではない。その世界遺産に匹敵する地球の財産を、ブラジルは電力欲しさに台無しにしてしまったのである。気違いに刃物と例えたら良いのだろうか。ベネズエラの山中に1000mの落差がある滝があると聞いているが、飛行機を旋回させないと見る事が出来ない代物なので、事実上見るのが不可能な所。これは貧しいからと云って許されるものではない。イグアスの滝とはパラナ河に三国(伯、亜、パ)が接する地点から30km伯、亜、の国境沿いに入った地点で、勿論パ国からは見られない。伯、亜の国の国境の川はパラナ河に合流するが滝の水はパラナ河の水が一度亜国の湿地帯に入り、伯、亜国境の滝に流れ落ち、再びパラナ河に戻ってくるという複雑な地形となっている。つまりパラナ河の水位が下がり、亜国側の湿地帯へ流れ込まなければ、滝の水はなくなる訳である。(亜国はパラナ河の下側ありながら滝の水は上側の伯国側へ落ちる)
三国が接する地点から数キロメートル上流に世界最大のイタイプ水力発電所が完成したのが80年代中頃。アスワン・ダムを追い抜いたと有頂天になったのもつかの間、数年後には中国に完成予定のダムに抜かれる運命にある。地球の破壊競争は止まる事を知らない。パラナ河は国境なのでダムをブラジルのみで造る事は出来ない。パラグアイの電力は余っていたが、結局パ国の取り分50%の電力は全て伯国へ輸出しており国家財政に繋がっている。パ国は水没の面積が3県にまたがり、正味1県分を失った。パ国も結局、地球財産の破壊に加担してしまったが、イタイプとは「大地の響き」の意と云うグアラニー語。今頃大地は響かず怒っているはずである。
パ国ではイグアスをYguazúと表記する。伯国ではIguaçú、亜国ではIguazúと異なるのは家元、パ国在来のグアラニー語だからだが、正しくないが敢えてカタカナ表記にすれば「ウ・ガスー」つまり(ウ=水)、(ガスー=大きい)→ 滝の意。
国境から41km手前に日本人移住地のイグアス移住地がある。滝は国境の向こうまだ30kmの所だ。誰が名付けたか知らぬが地元住人の感情を考えない無神経な地名選びと云わざるを得ない。まるで取られた地を返せと云わんばかりだ。その上意味(滝)がまるで合わない。
## 失う自然のないアンデスの世界 ##
人間が増えていく限り、自然は狭められるのは止むを得ないのだろう。しかしボリビアに限っては自然破壊を感じる事がなかった。アンデスの岩山に失う緑の自然などは無い。そんな所に何故住むのだろうと思う位、気の毒な思いであった。地球の別な所では、容赦なく自然を破壊しながら生きている人間が多いのに、何故アンデスの人々だけは過酷な自然に順応しなければならないのかと。何時か報われる日が来ればいいのにと祈るだけだ。ボリビアには約700万の人口の内、55%、つまり400万人近いインディオが住んでいると統計上なっている。彼等も今や貨幣経済抜きの別世界で暮らしていけなくなってきている。ペルーやコロンビアのテロ・グループの存在は貧困が原因である。多くの原住民(インディオ)を抱えるボリビアも何れああなる可能性は十分にある。彼等は何処に住んでいるのか我々には見えないのに沢山の人を見かけるのだ。村里を遠く離れていて集落など無いのに、子供や老人がロバの背中に薪木をわずか積んで運んでいるのをよく見かけた。岩山に薪が取れる木など存在しないのにどうやって見つけるのだろうと何時も不思議に思っていた。日曜日毎に市が立つ所があったが、周りにインディオの集落など無いのに大勢のインディオが集まるのは不思議だった。アンデスの山羊、羊はその岩山で生育するのが又不思議。食わせるものなど無いのに死なずに生きている。肉にして食うのはまず無理。せいぜい死なさず飼って、毛糸を取るだけだ。彼等の現金収入源の貴重な財産である。ボリビアと云えばアルパカやリャマの高山動物が有名だが、アルパカはほとんど見る機会が無かった。サンタクルスの動物園にもいなかった。4000m以上の冷涼な気候に限られる様だ。我々がいた2800mのスクレ周辺は山羊と羊、ロバ、牛となり馬は見かけない。もっぱら物の運搬はロバである。4300mのポトシに何度か行ったが、牧草地が無いせいか、リャマもアルパカも見る事は無かった。しかし3500mのウユニ(塩湖)に行った時は多くのリャマを飼っている所があった。平坦な草原があるから飼えると云う事が解った。勿論、草原は自然の草地で植えたものではない。アンデスの不毛地に生える牧草などないから、天から授かった草のみである。だから南米のパンパスの様な青々とした草原ではなく、砂漠に強い草が点在しているだけで、密生している訳ではない。リャマはラクダ科の動物らしく、ちょうどラクダの大きさである。黒、白、茶の三色がそれぞれ単色に存し、山道の運搬用、食肉用、乾燥糞を燃料にと利用する様である。アルパカは高級毛糸が取れるが、リャマは下級となる。毛が硬く、良質の羊毛が豊富にあるので、太刀打ち出来ない。リャマの居る所には「ビクーニャ」と云う鹿の様な同じラクダ科の動物が居る。ただ飼育されているのか野生なのか判然としない。リャマと違いポツン、ポツンと1~2頭づつ見かけるのであるから。
ボリビアは全く不思議な国である。ポトシの銀(プラタ)産出の栄光の時代はもう疾うの昔に終わったのに、忘れられないかのように2800mの山中のスクレは続いていた。ポトシに銀が採れていた時代は、ポトシを管理するスペインの役人が住む町だった。標高4300mのポトシに住むのが厳しいからだ。その管理するものがなくなれば、町はなくなりそうに思うが、近年人口は増加の一途だと云う。不思議な事はスクレのみならず、ボリビアには一杯ある。その一つにウユニの塩湖がある。標高3500mの塩湖がかつて海だったと云うのだから不思議だ。まあ塩が濃縮されているからなるほど、そう云われればそうかなと思わざるを得ないところもある。しかし海抜0メートルの大地が水と共にどうやって3500m隆起出来るのか説明してもらいたい。
であるならばアンデスの岩山はかつて海底だったとでも云うのだろうか。だったら塩湖がもっとあちこちにあっても良さそうだが。そう云われれば、スクレ近辺に塩水の流れている川があった。勿論塩分は薄いのだが、川の名が「カチマユ」と云い、ケチュア語カチ(塩)マユ(川)の通り、舐めてみると塩っぽいのである。首都ラパス近辺にチチカカ湖(正しくはティティカカ湖)と云う大きな湖があり、ボリビアとペルーの国境が湖の真ん中に走っている。世界一高所の最も大きな湖として有名だが、標高3812mでウユニの標高とあまり変わらない。しかしこちらは正真正銘の真水でニジマスの養殖が日本の援助で盛んに行われている。首都ラパスの空港は標高4050mにある。下りた時は頭がくらくらじゃなく、ガンガンと痛かった。あたかも絶壁の山中に空港がありそうに思えるが、そうではない。標高4000mの真っ平らな大地が200km位、南の方に広がり平地が途切れる南端にオルロと云う町がある。そこから直線で200km位にスクレがある。スクレは周りが山に囲まれた盆地にあるため、空港に降りる飛行機のパイロットはサーカスのアクロバット並の操縦技術が要求される。空港に入る山の部分が飛行機幅分削ってあり、そこをうまく通り抜けなければならないし、滑走路の終点は断崖絶壁となっている。絶対にオーバー・ラン出来ないのである。ところがラパス空港は障壁のない4050mと云うのが不思議な位、真っ平らな大地の安全な空港だった。ボリビアのインディオ達の平均寿命は50才程度と聞いた。勿論豊かな暮らしをしていない彼等の栄養摂取量に問題があるのは当然であるが、しかし何と云ってもあの高所に暮らす事を考えれば、寿命に悪影響している事も間違いない。しかし昔は日本でも“人生50年”と云っていた事を思えば、高さではないのだろうか。ボリビアに住んでおれば、もうその寿命に達してしまったんだなと、人生50年の早さを改めて感じる。この様に年を重ねてみて、仏教で云う人生の無情が解り出して来るのも年を取った証拠である。成る程、日本では結婚式を教会で挙げ、葬式をお寺で行うのも解る気がする。若さは情熱、夢であり、陽である。無情の陰ではない。しかし年老いて無情を知る。これが人生と云うのでしょう。
インディオと云えば聞こえは悪いが、取材番組などで見る所の、チベットやネパールの奥地の人々の暮らしと全く同じである。血統的人種もDNA鑑定ではペルーのインディオと日本のアイヌが一致すると云う。インカの民、アステカの民、彼等は皆太陽神を祭り崇めた。昔、子供の頃、老人達が朝日に手を合わせ拝んでいるのを時々見たが、なる程、不思議な位、共通点があるのだ。
南米にはアマゾン川、ラプラタ川と云う二つの大河が南北に分かれて存在している。その大河の起点となる源がスクレにある。一方は北へ流れ、アマゾンの支流となる。その源流を、もう既に「リオ・グランデ」(大河)と呼んでいた。他方は南へ流れパラグアイとアルゼンチンの国境のピルコ・マヨ川となりパラグアイ川に合流しラプラタ河となる。つまりスクレが分水嶺だったわけである。
## ラテン・アメリカの宗教 ##
ニカラグアでも、ボリビア、パラグアイでもブラジルも含め、中南米どこの国でもカトリックが95%以上をしめている。これはどういう事になるかと言えば、国の行事は全てカトリックに則ったものとなる。国民の祝日、お祭りが一年中カトリック一色である。例えば12月25日のクリスマス、太陰暦なので3月、4月のカーニバル、復活祭、8月15日、日本の終戦記念日は、カトリックにとって聖母マリアが昇天した日として祝うのである。これをアスンシオンと言うがパラグアイの首都アスンシオンもこの宗教用語と言うわけである。ニカラグアでも大きくこの日を祝っていた。前夜祭と称して前日から花火をバンバン打ち上げるのである。11月1日、2日はお彼岸(西語でトードス・ロス・サントス=万聖節)、12月8日コンプウシオンと云い、聖母マリア処女懐妊の日。これらはスペインも含め、ラテン・アメリカ何処も同じ日に祝う。この他、各地方、地方の守護神のお祭りが加わるし、教会の聖職者によっても多少異なる。ラテン・アメリカでは各町々、村々がどこへ行っても同じ造りなのでその町や村の特長などほとんどない。町の中央に広場があり広場に面してカテドラル(大寺院)が置かれ、碁盤の目に整然と区画され、全てそこを中心に開拓、開発されていったと言う訳である。首都の場合、長い時間と共に配置は多少変化してきているが、田舎町はどこへ行っても同じである。行ったことのないコロンビアやベネズエラでも明確にこうであろうと言う想像がつくのである。コロンブス以降、どこもスペイン人が計画的に植民した訳だから当然の事である。日本でも京都、奈良の古都が中国に真似た碁盤状に区画整理された様は、宗教の別を問わず共通している。寺院も中央に配置されている。
元々アメリカの歴史の始まりはカトリックからである。ヨーロッパの歴史は戦争の歴史であり、宗教戦争の歴史でもある。ローマ・カトリック教会は何度も十字軍と言う兵隊を送り、勢力の拡大及びイスラムとの勢力争いを演じた。スペインもイスラム勢力に700年支配されたのを必死の思いで奪還し、開放を祝う年にコロンブスが新大陸を見つけてきたのである。スペインのグラナダという町にあるアルハンブラ宮殿は殊に有名だが、イスラムの首都が何百年にもわたりスペインにあった。それをスペインのカトリック王女イサベルで取り返したと言う勢いが、コロンブス以降のアメリカ植民に強い影響を与えた事は間違い無いであろう。スペインではイスラム勢力を一掃出来たのでユーゴスラビアの様な悲劇は起こらなかったが、ユーゴスラビアの惨事を見れば解るが、宗教の妥協は惨事を招くと云う事のようだ。スペインのイサベル女王はイスラムを完全追放し西ヨーロッパをイスラムから救った。功績は大きいようだ。
コロンブスが1492年、第一回目の航海で最初にグアナハナ島(サン・サルバドール島と命名)を見つけ、キューバ島、エスパニョーラ島(現・ハイチ・ドミニカ島)を次々に見つけて帰って来るまで、そんな存在をだれも知らなかった。コロンブスは大陸を探しに行ったのではなく、大西洋を西へ西へとインドに行けると思っていた。マルコ・ポーロの東方見聞録によってインドやシナの富み、ジパング(日本)の黄金を知り、通商貿易で儲けたかった。当時、陸路でインドに行くにはオスマン・トルコを避けて通る事は出来ず、不可能。アフリカの喜望峰周り航路はポルトガルに支配されていた。ローマ法王がスペインとポルトガルの争いを避けさせる為、アフリカ大陸の西大西洋上に浮かぶベルデ諸島から数百海里(数字は不正確だが)西までの海はポルトガルのもの、それ以上西はスペインの物と取り決めてしまった。つまりコロンブスの一回目航海でサン・サルバドール島迄何もなかったので、そこまでの海はポルトガル、そこから向こうはスペインと決められたのである。コロンブスは真西に一直線に進み、真東に一直線引き返して来ただけなのに、ローマ法王は縦の線引きをして、スペインとポルトガルに分けたのである。誰も大陸が横たわっているとはローマ法王のみならずスペインのイサベル女王、ましてやコロンブスでさえ知らなかった。蓋を開ければ大陸が出てくるわ、金銀財宝の山が出てきた。コロンブスは大陸をインドと信じたまま死んでしまったが、結局ベルデ諸島から相応の距離を縦に線を引いた所にあったのがブラジルで、棚からぼた餅式にポルトガルへ南米大陸の出っ張り部分(ブラジル)が転がり込んだ。そんな余計な取り決めさえしなければ、全てスペインの物になったはずなのに歴史とは皮肉である。
コロンブスはと言うと、スペインのイサベル女王の支援を得て1492年から1504年にかけて3度航海を行っている。1回目、2回目の航海では大陸まで行かず3度目の正直である。今のホンジュラスからベネズエラ辺りを見て帰ったが新大陸とは思わず、インドに着いたものと信じ1506年に死んでいる。その時、大きなニカラグア湖に入り、出口を探した様で、彼が到着した所が、グラナダと云う古い町が出来、当時の面影を幾らか残していた。勿論だれもその当時新大陸を見た者がいなかったのだから仕方がない。しかし第3回目の航海の時、アメリゴ・ベスプッチと言うイタリア人博学者が同行したそうだが、彼がインドではない、新大陸だと言ったらしい。1992年、アメリカ発見(到着)500年を記念してバルセローナ・オリンピックが開かれた年、どういう訳かフランスが“1492年”と題する映画を発表した。つまりコロンブスの新大陸発見を描いた映画である。彼はイタリア・ジェノバ人なのでイタリアが金を出すとか、スペインが作るのであれば理解出来るが縁のないフランスが作ったのには驚かされた。勿論コロンブスは史上最も人類に大きな影響を与えた人物である以上、ヨーロッパのどの国が称えようといいのであるが、ではスペインは何故やらないの?という疑問が湧いてしまうのである。その映画の中で描かれていたのは、3回目の航海を終え、コロンブスは自分の功績がどの様に評価されているのか探るため、スペインの有名なサラマンカ大学の地理の講義を聞きに行くのである。大勢の中、余りにも有名なので人目をはばかり隅の方で聞いていたが、「アメリゴ・ベスブッチが新大陸説を提唱し、スペイン王室はそれを認め彼の名を取り、“アメリカ大陸”と命名した」という事を聞き、そのショックが引き金となり病気を悪化させ死んだ様になっていた。今更何が事実かなどどうでもよいが、だいたい映画の筋など出鱈目と思ったほうがよいだろう。アメリカ大陸の名前の由来はアメリゴ・ベスブッチのアメリゴの語尾のゴを女性形にしたのは大陸名はアで終わる女性名詞化が慣わしだからである。
新大陸の宗教の話に戻すと、パラグアイには“ヘスイタ遺跡”と言う古い時代(18世紀)の教会が遺跡として残っている所がある。ヘスイタとはカトリック教会にいくつかある宗派のうちの一つの“イエズス会”をスペイン語でこう言うのだが、このイエズス会の布教活動が過激であった為、18世紀初頭カトリック教会でありながらスペインはこの宗派をアメリカから追放を決めたらしい。それが遺跡として残っている。布教の為には拷問、奴隷を行い、神父がやってはいけない自分の種蒔きも随分行なわれたらしい。勿論インディオへの布教である。しかしイエズス会は追われたが、スペインの統制の元、カトリック教会以外入ってくる余地は許されていなかったので、独壇場であった。インカの民、アステカの民、グアラニーの民、皆悉く改宗されて行った。かつてメキシコ(つまりスペイン)が北米のミシシッピ川にまで及んでいたのが、敗戦に次ぐ敗戦で現在の国境にまで狭められてしまったが、かつて統治したグランド・キャニオンの大渓谷で有名なコロラド州にナバホ・インディアンと云う部族がいるらしいが、北米なった今も、「我々はスペイン人に征服された。」と言ってスペイン語とカトリックを替えようとしない律儀なアメリカ・インディアンもいるらしいが、年代から云ってこれらもヘスイタ(イエズス会)の影響を諸に受けた過激なカトリックである。かつて日本に始めてキリスト教をもたらした“フランシスコ・ザビエル”もこの過激なヘスイタ(イエズス会)である。徳川時代の強硬な迫害(踏み絵)を受けなければならないほど過激だったと云う事である。宗教とはそういうものである。その過激さ故に排他的なのは当然の理である。そういう論理から云うとカトリックもオウム真理教も創価学会も皆同じなのである。ローマ・カトリック教会の十字軍の遠征のみならず、ユダヤやイスラム教も布教防衛の為の戦争と云う殺人は誰もが行ってきた事である。その様に初期植民地時代から過激なカトリックの影響を受ける前から、かつてローマ法王がスペインのイサベル女王にベルデ諸島の向こう側をスペインとポルトガルが二分するように云った時からアメリカはカトリックのものだったのである。
カトリックとプロテスタントはどう違うのか?つまりカトリック(普遍性)は聖母マリアが神のお告げでキリストを身ごもった(懐妊)とする純潔性を重んじるのに対し、プロテスタント(抗議する)は神のお告げではないと抗議した、つまり純潔性を信じない。
ユダヤ教とキリスト教の違いは、ユダヤ人のマリアから生まれたキリストはユダヤ人であると一方は云い、他方は神のお告げで生まれたキリストは神であると云うのである。因みに旧約聖書とはユダヤ教の聖典であり、カトリックは旧約聖書、新約聖書を共に使い、プロテスタントは新約聖書のみ使うのである。尚、新約聖書の解釈はカトリックとプロテスタントで異なる。
19世紀中頃、パラグアイはブラジル、アルゼンチン、ウルグアイの三国同盟を相手に戦うと云う暴挙にでて国土の大半をブラジルとアルゼンチンに取られてしまった苦い経験がある。その失った土地がグアラニー族(土着民族)の土地であり、ヘスイタ(イエズス会)教会の主な活動の拠点だった所である。1980年代の終わり頃のイギリス映画で“ミッション”と云う映画が封切られた。18世紀頃のこの地を舞台にヘスイタ(イエズス会)教会の布教の活動を描いた映画である。勿論映画とは真実を描くとは限らない。プロデューサーの思いのままであるし、又観客がどうとるかでもある。そこで描かれていたのは平穏だったインディオ達がヘスイタの宣教師に改宗され、改宗されない人々と、争い戦い死んでいく様子が描かれていた。結局宣教師の神父も殺されて終わる厳しい当時の悲しい世界を描いていた。そこで描かれていたのは、宣教師の理想、宗教の理想ではなく、一旦宣教師となれば布教はきれい事ではなく、ビジネスであると云う事、迷える子羊は消費者であり、如何にうまく宣教師は宗教と云う商品を迷える子羊に売る事が出来るかなのである。因みにブラジルのパラナ州、アルゼンチンのミシオネス県が奪われた土地である。
現在ではかなりのスピードでプロテスタント(新教)も数を伸ばして行っているように見受けられる。パラグアイ、ボリビア、ニカラグアに限らず貧しい階層が多いラテン・アメリカにはプロテスタントがその貧しさの原因をカトリックに押しつけ信者を獲得しようという便乗悪徳商法まがいの手口で効果をあげていっている。日本でも“苦しい時の神頼み”と云う様に苦境い陥ったら神にすがったり、新興宗教に走ったりするのはどこの世界でも人間やることは同じである。しかし宗教は違っても“ミッション”の映画に描かれた様に、宗教とはきれい事ではなくビジネスであるのはどの宗教を問わず共通だと思う様になった。ラテン・アメリカのカトリック世界、日本の仏教世界、また世界の歴史を知れば知るほど自分の宗教観が変わっていくようだ。かの有名な英国の歴史の大家アーノルド・トゥインビーや哲学の大家バートランド・ラッセルの著書にあった「私には宗教はない」と云う言葉を二十数年前に読んだのが思い出される。
## スペイン語とカステリャーノ ##
普通中南米ではスペイン語(エスパニョール)と云わずカステリャーノと云う。あのコロンブスが新大陸発見(到着)した時にはスペインと云う国はなく、コロンブスに資金援助したのはカスティーリャ王国のイサベル女王だったからだ。フランスとスペインの国境はピレネー山脈と云う山で仕切られていて昔から国境が変わった事はないようである。そのピレネーの西側をヨーロッパ人はイベリア半島と呼んだ。我々には半島ではなくヨーロッパ大陸の一部と思うが、ヨーロッパの中央はゲルマンの地かノルマンディーの地と思われている節がある。それともスペイン人達が卑下して蔑んで云ったとでも云うのだろうか。それはさて置き、そのイベリア半島に五つの王国(つまり、カスティーリャ、アラゴン、バスク、ガリシア、並びにポルトガル)が存在していた。話は変わるがお菓子の「カステラ」はカスティーリャから伝わったと聞いている。カスティーリャは一番大きい国だったから何時もアラゴン(バルセロナのある所)、バスク(北東端)、ガリシア(北西部)及び西のポルトガルとの戦いが絶えなかった。兄の退位で17才のイサベルが女王に就き、真っ先にアラゴン王国のフェルナンド王子と結婚したのが運のつきだった。これでアラゴンとの戦争はなくなった。続いて長く苦しめられてきたイスラム勢力の一掃に成功し、コロンブスを援助したお陰で新大陸が一大カスティーリャとなった。娘を後にポルトガルに嫁がせた後、和平が続くようになった。他の娘をハプスブルク家、もう一人を英国王室にも嫁がせ、イサベル女王一代で大カスティーリャ帝国を築いてしまったのである。カスティーリャのイサベルとアラゴン王国の王子フェルナンドの結婚は国の併合ではなかったけれど、イサベルの勢いが余りにも良すぎたので誰もが併合を無言の了解をしていた。バスク王国、ガリシア王国も然り。いつの間にか無言のままスペインが出来上がってしまっていたと言う訳である。しかしスペインと言う国は出来ても言葉は現在もアラゴンはカタラン語、バスクはバスク語、ガリシアはガリシア語と独自の言葉を持ち続けている。バスク語は古いコーカサス語が語源だろうと云われているが判然としない言葉らしく全くスペイン語とは異なる。勿論方言ではなく全く異なる言語が国内にあるという訳である。スペインの16、17世紀は黄金の世紀と云われた時代が過ぎ、帝国も戦争に破れ国外領土を徐々に減らし、やがて中南米が独立し元の貧しい国に戻ってしまった。そうするとバスクやアラゴンは又独立を叫び始め何時も小競り合いを演じる毎日となっている。1975年のフランコ総督の死後、現在フアン・カルロス国王がスペインの国王として君臨しているが元はカスティーリャ王国の皇室であり、厳密にはスペイン語とはカステリャーノ(カスティーリャの言葉)なのである。因みにスペインをスペイン語では「エスパーニャ」と云い、古いラテン語で「ウサギの住む国」の意だそうである。
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