高橋信次先生に学ぶ

高橋信次先生に学ぶ

心は念の発信源であり、受信源である




潜在意識、現在意識を含めて、その心が、われわれの本当の自分であるところの霊の、愛、慈悲の心をそのまま受けて、愛、慈悲の心を発信する時、即ちすべての人々の幸せを願う時、われわれはまた多くの人々が起す愛、慈悲の心を受信して、心はますます愛と慈悲の心に豊かに満たされてくる。

しかし、われわれが本心にそむいて人を憎んだり怨んだり、また人の不幸を喜ぶような心を持つと、多くの人々が発信する暗い想念、憎しみ怨み悲しみなどの想念をキャッチして、ますます心を暗くしてしまう。

このことを昔から日本では、「笑う門には福来たる、泣き面に蜂」といってきた。
また「人を呪わば穴二つ」といってきた。

このことがわかっていたら、自分達の意見が違う人々を、サタンだといって憎悪することがどんなに間違いであるか分かられるであろう。
人をサタンだ悪魔だという人は、すでにその人の心の中に憎悪があるから、その人は多くの人々が発信する憎悪の念と波長が合って、心の中はますます憎悪の念で満たされてゆくことになる。

心が憎悪で満たされて安らかでない証拠には、そういう人々の雰囲気は冷たく固くて暗く、どこにも愛に満たされた暖かい明るい雰囲気はない。

だから、光りを入れる前に自分の心を愛の心で満たすことが、大事であると高橋信次先生が言われたのである。
報いを求めない愛の心で、ひたすらに相手が健康に幸福になって下さることを、念じなければいけないのである。

「自分はあなた達よりも素晴らしい力があるのである」とか、
「自分の力を人に見せつけることによって、自分の偉さを人に示そう」とか、

まして、
「光りを入れてやることによって、いくらかの金銭にしよう」
…等という事は、絶対に思ってはいけないのである。


正法誌12号1979.8より抜粋


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