高橋信次先生に学ぶ

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あの世とこの世のしくみ




これまでいろいろの宗教団体が、「神が祈りをきいて下さる」とか「下さった」という言葉を使っできた。
それはあの世とこの世のしくみを知らないからである。

私達は日本人として、天皇を象徴としているこの日本の国に生を享けて、政治的には総埋大巨があり各県知事があり、各市町村長があって生きているのである。

日本人だからといって総理大臣が直接国民の一人一人に政治を行うのでもなければ、○○県人だからといってもその県の知事が直接県民一人一人の政治をするのでもないし、また、○○の市町村民であるからといって直接、市町村長が一人一人を政治するのではない。

憲法、法律があって、それに基づいて、それぞれの役割があって、そうしてわれわれは日本人として生きているのである。

と同じように、あの世にも整然とした秩序があって、宇宙創造の神の心を直接知って、その神の心をそのままじかに伝える力を持たれた如来界の方があり、その如来の手足となって、神-如来の心を伝える使命を持たれた菩薩界の方々があり、その下に指導霊といわれる方があり、本人を直接守護する守護霊があって、われわれは生かされているのである。

われわれの生命そのものは神の創造であるが、その生命-霊の指導は、如来-菩薩-各指導霊-守護霊を通して行なわれるのでありその人の心の成長、魂の成長に従って救いの-方法は変えられてゆくのである。


光りを入れる人も受ける人も、祈願文を唱えて、正しく神に導かれ、神の光りをうける素直な心にならなければいけないのである。

素直な愛の心を持った時に、霊の乗りものとして神が創造された肉体の法則に従って肉体は正しく活動をするようになり、不健全な細胞は健全な細胞と変って奇跡が起るということになるのである。

そうしてその人の霊は、その人の霊の段階に応じて相応しく指導されてゆくことになるのである。


正法誌12号1979.8より抜粋


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