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・・・ とにかく信頼して 飛び込んでみよう 懐疑 と 過去の体験を 頼りに 生きていくのは・・・ もう やめよう 「この 愛が 壊れたら?」「この信頼が 裏切られたら?」 そんな 恐れとは今日を 限りに 決別しよう だって ・・・ 報われるために 愛してるんじゃない から 応えて もらうために 信頼してるんじゃないから・・・ 愛したいから 愛してる だけ 信じたいから 信頼してる だけ・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月24日
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久しぶりに 家事を こなした 締め切りに追われ パニック気味の注文制作・・・その合間に こなす 家事のひとときには 本当に 癒される 掃除や 洗濯 洗い物・・・ なにもかも忘れて それらに熱中する時間はなににもまして 心が 安らぐ 頭も 安らぎ ・・・ 束の間だが マインドも 鎮まる 禅の世界では 日常茶飯の 作業も 「作務」と呼び重要な 修行のひとつとされる 掃除でも 草むしりでも・・・ 未熟な僕にとってはそうした 雑務をこなすときのほうが下手な瞑想をするときよりもはるかに 無心になれ精神修養をしている という 実感がある だから・・・家事は かなり 好きだ 家事をするときの自分の 無心さも かなり 好きだ OSHO禅タロットの ガイドブックにはこう記されている 「家を掃除する、庭仕事をする、食事をつくる・・・もっとも世俗的な作業であっても自分が 全面的にかかわり愛をもって認められたり報酬を得たりすることなど 考えずに ただ そのためにだけ 行うとそれは 神聖な質を帯びてきます。」 と ある 神聖さもスピリチュアリティも無心も神も・・・ 日常茶飯の 中に こそ ある 特別であること を やめ普通であること を 選択するとき 悟りの 神秘は 思いがけずなんでもない日常の中にひょっこりと 顔を のぞかせ 微笑みかける OSHOは 言う 「あなたが ひとつになると平和、幸福、至福が あなたを 取り巻くあなたのなかから 湧き起るあなたは 満たされているのを 感じる こうした 特別な瞬間が普通の 瞬間に なりうる ・・・それが 禅の 努力の すべてだ あなたは ごく 普通の生で特別な 生を 生きることができる 木を切る 薪を割る 井戸から水を汲む あなたは 素晴らしく くつろいでいる ・・・・というのも 問題は すべて あなた自身が 自分の行いを楽しみながら そこに 歓びを 感じながら 全面的に やっているかどうかに かかっているからだ 」
2009年11月23日
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OSHO は 言う 「私たちが 惨めなのはあまりに 自己に入り込みすぎている からだ。」 自己の内に 入り込み過ぎた時 僕らは 孤立する 孤立 ・・・ アイソレーション・・・アイス・オレーション 自己の内に 入り込んだ 僕らの 目に映るのは ただ 内なる闇 内なる葛藤 内なる悲しみ 今も こうして もたらされ続ける 外なる 世界からの 祝福などには 目もくれず・・・ ただ 僕らは 内なる自己 に入り込み苦しみを 募らせる さらに OHSOは 言う 「自己の中にいることは、自分の周りに 境界線を引くということだ。」 自己の中の 悩みや葛藤や悲しみにとらわれた 僕らは 冷たい アイスキューブのように 凍りついている さらに OSHOは言う 「愛は暖かみであり、彼らは愛を恐れている。 もし 暖かみが訪れたら 彼らは融けだし、境界線は消えてしまうだろう。 愛の中で 境界 は 消える。 喜びの中でも 境界は 消える。」 涙 だけが この 境界線を 溶かす力を もっている 泣けばいい ただ・・・・ 泣けばいい 自己に 入りこみ過ぎることなく ただ・・・ 愛の中で 泣き 続ければいい とめどなく あふれ出す 涙こそ 自己と 世界を 隔てる 境界線が 融けだす しるし
2009年11月22日
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ひとり旅 海岸線の 街を電車は 走る 過ぎ去る 景色通り過ぎる 人々・・・電車の窓から 外を眺める僕の 胸中に 様々な 感情が 去来する 独りある時・・・ 人には ふたつの 選択が 用意されている 寂しくなるか・・・あるいは孤独がもたらす 自由を楽しむか OSHO は 言う その 両者の間には 途方もない違いがある と・・・ 「寂しさは 他者の不在だ。 独りあることは 自己の現存だ 」 そこに いない 他者の不在を嘆く 暇があったら そこに いる お前の実在を 喜べ ・・・と OSHO は 言いたいんだろう 昔 大事マンブラザースの歌にこんな 歌詞があった そこに あなたが いないのが寂しいんじゃなくてそこに あなたがいない と 想うことが寂しい・・・ 目の前に ない 現実に 執着しいらぬ 感傷に 浸るのは禅の目指す 態度とは 程遠い が・・・ 哀愁こそが 旅情に 深み と 彩りを 添える ・・・同じ景色を寄り添い 共に 眺める 誰かが いない 寂しさも ときとして ひとり旅 には ほろ苦き もののあはれ の 味わい を 添える上質な スパイスとなる あぁ ・・・ 物質界 ゆえの 迷い 物質界 ゆえの味わい・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月21日
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長崎は 島原での イベント大宰府から来られたお客様からお土産を いただいた ・・・梅が枝餅 ふと思い出したのはさだまさし の 「飛び梅」という曲 ・・・登りつめたら あとは 下るしかないと・・・下るしかないと 気付かなかった 天神様の 細道・・・ 登りりつめること達成することたどり着くこと は ひとつの 「完成」であり「喜びの 極み」 では あるのかも知れない・・・ しかし 頂点を 極め登りつめて しまった 後には 「下るしかない」 という 物理的法則が 待っている それゆえ 僕は・・・ 「完成すること」 を 恐れ「未完成」 であることを 愛する 完成 の 寸前 の 瞬間に永遠に とどまりたいと 思う オルガスムスの 直前の 快感に永久に 漂いたいと 想う たぶん 完成とは 終わりであり 新たなる 創造の 始まりでもある ワンネスを 体現 なし得た時「完成」 を なし得た 時 きっと ひとつの世界は 終わる なぜなら 現実とは時空とは 未完成 ゆえに 存在し不完全 ゆえに 存続するもの だから・・・ もし ノーベル賞を 受賞した日本人科学者の 仮説が本当に 正しいとするならば・・・ 宇宙は完全なる 対称性 の ほつれ から 生じた もの だから しかし・・・ 和尚は言う 「世界は 終わっても 鏡は残る・・・何も無いことを 映しながら・・・」 むろん「鏡」 とは 宇宙意識と あるいは 神意識と 一体化した僕らの 意識のことである 「ある」 「ない」 を静かに 見つめる あの・・・意識の ことである ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月20日
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「それ」 が 無かったころ・・・「それ」 を 知らなかった ころ・・・ 「それ」 が無くても 心が 波立つことは 無かった 「それ」 無しで日常は 当たり前のように 過ぎていた ・・・ 「それ」 が 日常に もたらされた時 日常は 光で 満たされた 日常の 中に 喜びが あふれた ありふれた 日常は特別な 毎日 に変わり 「それ」 は日常の中に 無くてはならないもの となった 「それ」 は 日常に想いもよらぬ 彩りを添え 「それ」 のない 日常は考えられないほどに・・・ 無くても よかったもの が無くては ならないもの に 変わるとき 悲しみが 始まる 「ない」 のが 当たり前 のとき「ある」 のは 大きな 喜びを もたらし 「ある」 のが 当たり前 のとき「ない」 のは おおきな 失望となる 「無くて」 当たり前 だったころを 想い出し「ある」 ことを ひそかに 望み続ける 欲深き 自分を・・・ 明るく 笑とばそう! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月19日
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11月19日の テーマ OSHO禅タロット を引くと 「引き延ばすこと ~ Postponement」と 出ました ・・・僕らは いま やれば できること を一体 どれだけ 明日に 引き延ばし続けてきたことだろう 「 もっと 早く やっときゃ よかった・・・」 いつもの お決まりの 後悔 せめて 今日一日は想いを 即 行動に 移してみよう きっと 一日が 数倍の 長さに 感じられ・・・ きっと 一日の 終わりに 数倍の 充足が 得られる はず・・・ そして 悟り も 覚醒も・・・ いつか 遠い未来に 起こることではなく 今 この瞬間に 起こるのだということを 深く 心に 刻もう! ・・・せめて 今日一日 油断せず 一瞬 一瞬 を 生きて みよう! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月18日
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今日 11月 18日の テーマを OSHO禅タロット で 占ってみる ・・・出てきた カードは 幻想を超えて ~ Beyond Illusion 僕らは 二重の 幻想 を 観ている ひとつめの 幻想は判断し ジャッジしたがる マインドがありのままの 現実 を 勝手に解釈し心の中に 作り出している 幻想 ふたつめの 幻想は僕らの 知覚の 限界が 作り出す 幻想 ・・・現代の 量子力学によれば いかにも 確かに 存在しているように 見える 物質は実は 明滅する 量子で 出来てて ソリッドで 確かな 物理的現実は 存在していない という 超ミクロの世界を 知覚できない 僕らはおのずと・・・ 幻想を 現実と 思い込んでる この 二段階の 「幻想」を 超えていくのは ・・・けっして 容易な 道では ない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月18日
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また 新しい一日が 始まる 11月17日 のテーマを OSHO禅タロットで 占ってみた。 「 祝祭 ~ celebration 」 ・・・楽しい日に なりそうだ 祝祭は・・・ 外側の環境に いっさい 左右されない 雨が 降っていようと風が 吹いていようと 関係なく ・・・祝祭が 僕らを 呑み込んでいく 逆風の中でも過酷な 状況の中でも 僕らの 心の 奥底で 点火された 喜びの 松明は ますます その勢いを 強め 僕らに 明るさと 強さと しなやかさを 与える それ は さらに 大きな 明かりとなって周囲の 世界を 照らし出す ・・・始まりは 意識の 片隅で起こった喜び という 小さな 祝祭が 瞬く間に 僕らの 内側に あふれ出しやがて 周囲を 埋め尽くす いつの まにか 風は 止み氣付けば すでに 雨は 上がっている 明日という日の 終わりに晴れ渡る 雨上がりの 夜空に 僕らは 高々と祝杯 を 挙げていることだろう そして・・・ 明日から また 新たな ウエイブスペル・・・・ マヤの暦の 白い鏡の 13日間が 始まる・・・ キーワードは 「果てしなさ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月17日
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本日 11月16日の テーマをOSHOタロットで 引いてみると 「抑圧 ~ Suppression」 のカードが出ました 誰かに 好かれようとか誰かに 認められようとか誰かの 期待に 応えようとか誰かの 期待を 裏切らないように とか・・・ いやひょっとすると 自分自身に 気に入られようとか自分自身に 認められようとか・・・ そんなことで 自分を 押さえ込んでませんか? 抑圧され続けた あなたの 自由なパワーは このままでは 大爆発を 起こすかもしれませんよ 伸び伸びと 背中を 伸ばし久しぶりに 空を 見上げ 何者にも 押さえつけられない 自由な 自由なあなたの 元気を 今日は 取り戻してみませんか? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月16日
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そして・・・先述した 「呼吸」の習得と同じように「教えられなくても わかっている」と 僕らが錯覚 している「SEX」を 今一度 学びなおし 訓練し 習得することを はじめなければならない・・・と 僕は思う それは 特に 男性にこそ 必要な 意識変革なのだ 習慣上 そして 肉体の構造上SEXにおいて 主導権を握るのは男性 ということになる それゆえ・・・我々 男性の意識変革こそがSEXの 新しい可能性への扉を開くための鍵を握っているといっていい・・・・ ( この後の コンテンツ ・・・ 楽天ブログの用語規制によりアップ不能 ) 改めて 表現方法を変えて 記載させていただきますね。 遊庵ひで SEXを 語るセミナー開催の お知らせ ↓http://www.u-anhide.com/index.php?%A4%A2%A4%CE%C5%C1%C0%E2%A4%CE%A1%D6%A5%B9%A5%D4%A5%EA%A5%C1%A5%E5%A5%A2%A5%EB%A5%A8%A5%ED%CF%C3%A4%CE%B2%F1%A1%D7%A5%D1%A1%BC%A5%C8%A3%B2%A1%A1%B3%AB%BA%C5%B7%E8%C4%EA%A1%AA%A1%AA・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月15日
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速報! さっき 声がした 「おい・・・癒しごっこ・・・もう やめろ!」 頭・・・ガーンと 殴られたような 衝撃 癒しごっこ って・・・ 「失礼なこと 言うな!」 右肩の 上空を にらみ 言い返した すぐに 言葉が 降ってきた 「テメーも 癒せない ような ヤツに人様が 癒せるかよ!」 二の句のつげない・・・ 「ごもっとも」 ありがとう精進します! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月15日
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今日 2つ目の 日記 今日のテーマを OSHOタロットに聴いてみた出てきたカードは・・・「Receptivity ~ 受容性」“ 受けいれること ” が キーとなる 一日になりそう 真に 受け入れる ためには真に 受け取る ためには ・・・ 自分を 空っぽにしなければならない 空っぽの 器にこそ水は 並々と注がれる これは マヤンオラクルの エブ(黄色い人) ガ示す 「空」 と同じコンセプト 今日一日 自意識の発動を 極力押さえ自分にもたらされる おおくのギフトを 両手と 心を 開いて ただ 受け取ることに 専念してみよう 空っぽ になったとき エネルギーが 満ちてくる空っぽ になったとき 至福が 溢れてくる空っぽ になったとき インスピレーションは 降りてくる あなたが 受身になったとき あなたは 神に 到達する いや・・・ 神が あなたに 到達する 今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月15日
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僕は 思う・・・今こそ SEX を 語る時 だといや・・・今こそ SEX を 語らねばならない時 だとアセンションだとか霊性の向上だとか人々の意識レベルが こんなにも上昇しているのに個々人の セクシャリティーの問題やSEXの問題は取り残されたまま 後回しにされているように感じるのは僕だけ だろうか?たとえ、SEXに対する 理想論や自分なりの見解があったとしても・・・それを語る人自身が はたして自らのSEXに 満足しているのだろうか?幸いなことに西暦2000年を過ぎたあたりから人類の 「性エネルギーの誤用」 に関する著作も数多く 出版されるようになりSEXに対する 新しい認識が 広く 共有されるようにもなったそれらに 共通する SEX観のエッセンスはおおよそ 以下のようなものだと思う太古の人々、現代の きわめて特殊な少数民族の人々にとってはSEXは おおらかで 愛に満ちた 自然な行為でありそれは 陰陽の合一 という宇宙原理のもとに行われていた。いつの頃からか このSEX観は 「恥 や タブー」といった 考えに汚染され現代では SEXは 「恥ずかしい」ものであり「語ることをはばかられる」ものとなってしまったさらに この誤解は 権力 や 経済 女性蔑視 や 征服欲などと結びつき 現代人のSEX観は ますます ゆがみ続ける・・・そして さらに メディアやインターネットに溢れる暴力的で 扇動的なSEX描写が それに 拍車をかける・・・・・・そんな反省を起点ににして現在では 様々な 新しい(太古の)SEX観が語られるようになったそれらは 巷に溢れる SEX観とはまるで 異なった視点を与えてくれるとりあえず 思い浮かぶのは* アダム徳永氏の提唱する 「スローSEX」* 一部のスピリチュアルな人々の間で 古くから実践され続けている 「ポリネシアンSEX」* タオイズムを原点とする 「タントラSEX」・・・* チャネリングや異星人の助言により語られた 意識上昇を促すためのSEX* 古代の神秘主義・性魔術に由来する 覚醒の為のSEX・・・* 生体エネルギーに対する洞察から 導かれる エネルギー交換・エネルギー融合としてのSEX あたりだ ・・・もちろん まだまだ 色々な切り口が 存在するんだろうけど僕が 自分のSEX観に 影響を受けたのはざっと そんな ところだろうと思うただ・・・ 僕らにとって重要なのは「何を 知るか」 ではなく 「何を するか」 だSEX観として 上に挙げた 様々な 扉の向こうにはまだ 多くの人類が その存在さえ知らない実に きらびやかで めくるめくような世界が 待ち受けている僕らにできることはその扉の一つ一つを この手で 開きまだ 一度も歩いたことのない 細い道を共に 手を取りながら・・・ 共に 照らしあいながらただ 一歩づつその おぼつかない足を踏み出していくことしかないそして・・・ ( 次の日記に続く ) 遊庵ひで SEXを 語るセミナー開催の お知らせ ↓http://www.u-anhide.com/index.php?%A4%A2%A4%CE%C5%C1%C0%E2%A4%CE%A1%D6%A5%B9%A5%D4%A5%EA%A5%C1%A5%E5%A5%A2%A5%EB%A5%A8%A5%ED%CF%C3%A4%CE%B2%F1%A1%D7%A5%D1%A1%BC%A5%C8%A3%B2%A1%A1%B3%AB%BA%C5%B7%E8%C4%EA%A1%AA%A1%AA・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月14日
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「息」 → 「生き」 → 「往き}「性」 → 「生」 → 「聖」呼吸 と SEXなんだか 似てるな ・・・ と 思うどちらも 本能や 生命・種の存続に 関わるものゆえ意識しないまま 自然に できるが・・・どちらも 意識して その 質を 向上させようと 意図したとき劇的 ともいえる 変化が 人生において 起こり始める・・・たとえば 呼吸僕は 20台の頃 腹式呼吸や ヨーガの呼吸法に凝った以来、20数年の間 無意識のうちに 実践している多分・・・この 二十数年の間日ごろの 不摂生の割には病院のお世話に 一度だって なったことは無く厄年も 健康体で 無事通過したいした風邪すらも 引くことも無く今に至っているのは ひとえにこの 知らず知らずのうちに身についたこの呼吸法のおかげだろうな・・・と 思う誰に 教わらなくても できるはずの呼吸という 生理現象を僕は 学習し 訓練し 習得し今 その恩恵を受けているSEXも 同じかもしれない多分 本能の範疇で 誰にでもできるしかし・・・ 呼吸と同じくその 質 を高めようと意図的に 学習するならばその 効能たるや 計り知れない「スローSEX」を 世に広め一大センセーションを 世に巻き起こした アダム徳永氏はその著書の中で「SEXは 本能で 誰でも 無意識にも行えるが意図的に 学習してこそ その真価を発揮する」といった論旨を展開しているまさに・・・呼吸と同じくSEXを本能や 情欲に 流されること無く意識的に とらえ 実践しようとしたとき人生が 大きく 変わり始めるMake Love・・・SEXは 時に そう呼ばれる「 愛 を 作る 」僕らは SEXを通して「愛 を 創る」 という行為に 参画する逆に 言えば「愛」を 創造しえない 「SEX」は「Make Love」 とは 言えない本能のままの SEXは「愛の創造」どころか支配欲や コントロール願望 エゴイズム のみを助長し「愛の破壊」にすら つながりかねない僕は 思う・・・ ( 次の日記へと 続く ) 遊庵ひで SEXを 語るセミナー開催の お知らせ ↓http://www.u-anhide.com/index.php?%A4%A2%A4%CE%C5%C1%C0%E2%A4%CE%A1%D6%A5%B9%A5%D4%A5%EA%A5%C1%A5%E5%A5%A2%A5%EB%A5%A8%A5%ED%CF%C3%A4%CE%B2%F1%A1%D7%A5%D1%A1%BC%A5%C8%A3%B2%A1%A1%B3%AB%BA%C5%B7%E8%C4%EA%A1%AA%A1%AA・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月13日
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OSHOタロット・・・今日は 怖いカードが出た。 Friendliness ~ 親しさ ・・・・ パステルカラーに 彩られた 2本の木が 親しげに 寄り添う 図案 このカードの意味する 本当の意味はずいぶん クールで シビアだ OSHOは言う 「至福に満ちてあるがいい。そうなったら、多くの愛が おのずと起こる。」・・・これは 解る。 心に 至福が 満ちるほど人は 多くの 愛と 幸せを 引き寄せる 愛を 引き寄せるのは愛に 餓えた 人ではなく心に 愛を 溢れさせた人 幸せを 引き寄せるのは不幸な 人ではなく心に 幸せが 満ちている人 ・・・これこそが 「引き寄せの法則」の最大の 秘密であり 真理なのだ 富める者は ますます 富み愛されるものが ますます愛される 秘密がそこにある OSHOは 続ける 「そのときこそ ほかの 人たちと 一緒にいることは素晴らしく独りでいることも また 素晴らしい。」 「あなたは ほかの人たちに 依存しないし他の人たちを 自分に 依存させることもしない。」 心が 愛に満たされたとき多くの 愛を 引き寄せるが 引き寄せた 愛に 依存しない心を ・・・親しんだ 愛に 執着しない 態度を ・・・OSHOは語る さあ・・・ このあたりから 少し シビアになってくる 愛があるからといって誰かに 依存しないし誰かに 依存も させない ・・・ここにこそこのカードの 最大の 怖さが潜んでいる 僕らは 無意識のうちに「愛」という 「かかわり」を「愛のある関係」にすりかえてしまう 今 この瞬間の 「かかわり」を失いたくない という 恐怖心からその 「かかわり」を「関係」に すりかえようとする 今日の「かかわり」を明日にも つなげたい・・・そんな 執着から僕らは「関係」という 暗黙の 契約を結びたがる OSHOは 容赦ない 「あなたは かかわる、が、結婚はつくりださない。結婚は 恐怖から 生まれる。かかわりをもつことは、愛から 生まれる。」 本当の 「親しさ」とは今ここに おきている 状態であり 「親しい関係」 とは どうもこの瞬間の 「親しさ」を 失う 恐れから交わされる 契約みたいだ 確かに 「かかわりたい」と想う気持ちは「愛」から 生じる しかし「結婚」という 「関係」はせんじ詰めれば「愛する人を 他人に渡したくない 失ないたくない」という 恐怖から 生みだされる そこまで 大げさではなくても・・・少なくても「今後の 人生において この人は 自分にとって必要な人だ」という 依存心から 生じることは否めない 周りの世界では・・・「かかわり」は ますます 失われ 「関係」は ますます 増え続けている 心からの 「かかわり」 が希薄な 親子という「関係」心からの 「かかわり」 を失った 結婚という「関係」・・・ 僕らは 親子という 「関係」があるから 「かかわり」を続けるのではない 僕らは 結婚という 「関係」を結んだがゆえに「かかわり」を 保つのではない 親子の 親しい「かかわり」の連鎖を 「親子の関係」というのであり 夫婦の 相互の「かかわり」の永続を 「結婚関係」と呼ぶのだろう 恐怖ゆえに・・・「関係」を結びたがり「関係」に 安心したがる 僕らにとって OSHOの洞察はあまりに 的確で・・・そして 痛い ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月13日
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昨日に引き続き・・・今日も 和尚タロットを 一枚 引いてみる Flowering ~ 開花 の カード 「 あなたの至福 あなたの祝福あなたのエクスタシーは種のように あなたの内側に包み込まれたままではいけない それは 花のように 開きその芳香を あらゆるものたちに 広めるべきだ これが ほんとうの 慈悲だこれが ほんとうの 愛だ 」 和尚タロット の ガイドブックには そう書かれている ・・・和尚らしい 甘美で 詩的な 表現 ようは あなたに もたらされる至福であれ祝福であれエクスタシーであれ・・・ ためらうことなく 満身で 表現していいよ・・・それが みんなの為にもなるし ってことかな 和尚(バグワン)にはちょっと 不謹慎で フシダラなヤバさがある ( そこが たまらなく 好きなんだけど・・・ ) 生を 肯定し 性をも 肯定する底抜けの 明るさがある 崇高さも 低俗さも共に 抱きいれるこだわりの無い 広さがある だから 彼が 促す 「開花」には聖なる 宗教的エクスタシーも性による 肉体的エクスタシーも・・・その 両方が含まれている 生の 性の 聖の 至福生の 性の 聖の 祝福生の 性の 聖の エクスタシー それらすべてを 一身に 受け止めそれらすべてを 一心に 感じそれらすべてを 満身で 表現していこう そのとき僕から 放たれる聖なる 生と性の 喜びは きっと「愛」という 光となって世界を 照らしはじめるんだろうな ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も、最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月12日
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待ちに待った 今日の あの瞬間を・・・11月11日11時11分の まさにその瞬間を・・・僕は 地元の岡山で迎えた 何かが 起こりそうな 予感 を胸に何かが 変わりそうな 期待 を抱き ついに・・・その瞬間は来た ・・・多分 来たんだろう 忘れてた 完全に 気がついて 時計を見たらもう 一時間も過ぎていた ・・・何も 起こらなかった? いや いや 起こりましたよ っていうか 起こり続けていましたよ~ 僕にとっての 11111111 は信じられないくらいすばらしく 素敵な瞬間と なった ただ・・・ 素敵で すばらしいのはなにも 11111111だけじゃなく 11111112も 11111113も ・・・そして こうして ブログを 書いている 11112118 も すべての 瞬間が 素敵で 素晴らしい!! 11112119 11112120 11112121・・・・ この後も 続く すべての瞬間が どれもみな スペシャルで 特別な 瞬間であり続けますように!! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月11日
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ツアー につぐ ツアー・・・昨日 やっと ふるさとに帰ってきた先週は タロット三昧約120人の人を 鑑定した愛用の 和尚タロットを 使って久しぶりに・・・ 今の 自分自身のためのカードを一枚だけ ひいてみる出てきたのは「Abundance あふれ出る豊かさ 」和尚は言う「ホール(全体的な) 人だけがホーリー(神聖な) 人だ」真の 豊かさ とは全体性 を 備えたもの「あれか これか」 ではなく「あれも これも」 両極を 具有 するもの だけが真に 豊かなる者 と 呼ばれるいくら スピリチュアリティーが 豊かでも現実が 貧しければ 寂しいいくら 現実的な 豊かさを 手に入れても心 貧しければ むなしい現実性と 精神性の 同時的達成・・・それこそが真の Abundance ~ 豊かさ に つながるさらに 和尚は 言う「あなたは 全体でなければならない。からだも豊かで、科学も豊かで、瞑想も豊かで、意識も豊かでなければならない。」アンドロギュノス ・・・ 両性を 具有する者アバンダンス ・・・ 両極を 具有する者そんな ホーリー(全体性を具現する者)に対する憧れは 尽きないできうるならば・・・聖なる 至上の愛を 語るがごとく低俗な エロスを 語り難解な 宇宙物理の 方程式を 解くがごとくあいまいな 精神論の 要諦を 把握し女の ごとき 柔和な男らしさを 身にまとい弱さと いう 最大の 強さを 味方に 引き入れ変化し続ける という不変の真理を 識り苦しみの 中に喜びを 見出し沈黙の 中の饒舌を 感受し為さずしてすべてを 為し・・・そんな真なる 豊かさ~Abundace を僕も体現 してみたい ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月11日
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2009年 ・・・カバラ的に解釈すると2+0+0+9=11 11のチカラに 導かれた 年 キーワードは 11 直感 霊感を 表す 数完成からの さらなる 飛躍を 表す数でもある マヤ暦的に 言うと11番目の 紋章青い猿の パワーに 導かれる日 11のチカラに 導かれた 2009年の11月 11日・・・いったい どんな 日になるんだろ? そして その日の 11時11分11秒 の瞬間・・・ いったい 僕は どこで 誰と なにをしてるんだろ? 残念ながら・・・ さっきまで この瞬間を 意識したこともなく・・・ただ・・・いつものようにスケジュールを立て その 「特別な瞬間」はお決まりの 日常の中で ただ 訪れ 過ぎ去っていくんだろうな きっと 明日の その瞬間を誰かと 共に 過ごしその 記念すべき 意味ある 「瞬間」を 何かに 熱中したまま通過するんだろうな 明日の その 時刻・・・誰と 会ってるんだったっけ?何を してるんだったっけ? 手帳を 引っ張りだしてみないと思い出せないんだけど・・・ 誰と いるにせよ何を してるにせよ 多分 その瞬間は 僕にとって 忘れえぬかけがえのない記念すべき大切な 大切な・・・ しかも 特別な・・・ 「瞬間」に なるんだろうな だって 今年・・・2009年の エッセンスがすべて 集約された 「瞬間」 だから・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月10日
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「愛シテル」って 考えてみれば 変な言葉だよな 愛シテル・・・「愛」 を 「シテル」 愛スル・・・「愛」 を 「 スル」 ・・・愛って 「スル」もの? 「愛シテル」って ココロの状態ではなくて「行為」を示す言葉なのかも・・・ 「キミが 好きだ」といわれれば「ふぅーん・・・そうなのね」となるが (好みの問題だから・・・) 「キミを 愛してる」といわれても「きゃー! うれしい!!」となっては いけないはずだ・・・本来は(行動が伴ってるかどうかの問題だから・・・) 「愛してる」 が 行為である以上「愛している」ことを 証明する何らかの 根拠が 必要なはずだ だって「私は 走ってる」と言われても言ってる本人が 寝転がってたんじゃ誰も その言葉を信用しないもの なのに・・・「愛シテル」 だけは 別物でそう 言われただけで何の 行動も伴ってないのに 「わぁー! きゃー! うれしー!!」って 想ってしまう でも・・・ 世の中には 「愛してる」 って 言ってくれたのに冷たいのね とか 「愛してる」って いってくれたのにほったらかし じゃない とか 「愛してる」 のに 別れなきゃいけないのね とかが 氾濫している 行動を 伴わない「愛シテル」 が大流行している みんな なぜか「愛シテルよ」 って 言われただけでポー となっちゃう まるで 「愛シテル」を「好きだよ」の 最上級くらいに 受け止めて言いたがり言ってほしがったりしている ゴミを ポイ捨てしながら「俺 地球を愛してるんだ」という 男の台詞に「素敵! 愛シテルのね」と 頬を染め うっとりするのとなんら 変わらない 遠藤周作氏は「愛は与える行為 恋は求める行為」と 「愛」と「恋」を明確に区別している 求めるのは たやすいそう・・・恋する のは たやすい でも与えるのは 容易ではないそう・・・愛する のは 容易ではない 母親が 子供に 愛を 注ぐときいったい どれだけの代償を はらうか 人が 地球を 愛するときいったい どれだけの 自制を ともなうか なのに 僕らは・・・「愛する」というコトバをまるで 「恋する」と 同じように 使い 行動の伴わない 「愛シテル」をどれだけ 垂れ流しているか・・・ この勘違いは きっとI Love Youを最初に 訳した 人がつい うっかり「私は あなたを 愛している」と 訳して以来 始まったんだろうな I Love You の 正しい訳は「私は あなたを 愛している」じゃなくて 「私は あなたに 愛と呼べる 行為を している」なんじゃないかな? と 想う 「愛シテル」が氾濫する 今の時代に できうる限り的確な 日本語で コミュニケートしたいな・・・ と 想う できうる限り覚悟と 行動を伴う「愛」を 実践していきたいな と思う ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月09日
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明け方・・・ 死の 宣告を された 夢をみた 余命 一週間 何を する? すぐに 逢いたい 人がいるすぐに やりたい 事もある ・・・ああ 今まで なんて ぼんやり 生きてきたんだろ 残り僅かな人生を 何をして すごす? 優先順位・・・ 考えつくした スケジュール すべて キャンセル? ・・・それも 考えた でも・・・ すぐに 考え直した 考えて 考えて 考えた 末・・・ 自分が 出した 答え やっぱり何も 無かったように・・・いつも どおりに・・・ 何 ひとつ 変わること無く・・・ ただ 一瞬一瞬を フツーに 生きていこう 宣告された その 瞬間が 訪れるまで 宣告された その 瞬間など まるで 知らなかったように・・・ ただ・・・ 今までと 違うのは 全身全霊を あげて すべての 瞬間を 味わい尽くし 全身全霊を あげて すべての瞬間の 出会いを 心に 刻みつづけて いこう 「この瞬間が 最後になるかもしれない」 という 切迫感の 中で 激しく 「今」を生きていこう ・・・ 「死」を 意識したとき 時はじめて 「生」が 輝きだす 「死」を 忘れた 時たちまち 「生」は 色あせる 「終わり」を 識る 者だけが確かな 「今」 を 生きている ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月09日
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11月4日に 始まったマヤの暦 赤い蛇のウェイブスペル・・・意識の下深くを うねりながら潜行していた 赤い蛇ウェイブスペルも 今日で 4つ目の 銀河の音を奏でる「形」を 与えられた 赤い蛇がついに 意識の水面へと 浮上する・・・ 眠れる 火山の 山肌に時の数だけ 降り積もった無邪気で 清らかな白雪のように 幾重にも 幾重にもあなたや あなたの魂がまとい続けてきた白磁のごとき やわ肌の その ずっと ずっと 奥の方・・・ 憶えてるか? 熱く 燃える 狂おしき マグマが今も ひそかに 脈動していることを それは原初の激しさで今も確かに 煮えたぎっている 怖いのか?命そのもの ともいえる狂気のような 熱きうねりが赤い蛇へと 姿を変えてあなたの 背骨を 駆け上がりあなたを 宇宙に 連れ去ることが・・・ 想いだせ!あなたの うちに眠る この 赤き蛇の力を・・・ 共に踊れ!!あなたのうちで 目覚める この 赤き蛇の力と・・・ さあ・・・聖なる ま・ぐ・あ・い命のダンスが始まる!! そのとき あなたは 微塵となって世界のひとつと 成り果てる 閃光のごとき 歓喜がたちすくむ 空っぽな あなたをつらぬき 巻き込み 抱き上げ 連れ去る そこには・・・あなたは もう いない ただ ひとつなる 宇宙があるだけ・・・ そこには・・・すでに 宇宙は 存在しない ただ ひとりなる あなたがいるだけ・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も 最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月07日
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( 前の日記から 続く ) そして・・・僕は 思った・・・「自分」という 意識を「自我」という 境界線を「自意識」という 幻影を・・・これからは できうる限り 滅却していこう・・・とオーラなど・・・結局は 「自分」を 取り巻く 帳(とばり)じゃないいか「自我」を 包む 大気圏 じゃないか「自意識」の周りに 発生した ローカルなフィールドじゃないか・・・「自分」とは 「自ら 分ける」と 書く境界線の無い 一なる世界(ワンネス) に向かう意識の 顕現をたとえば 「愛」と 呼ぶならば「自分」とは「自我」とは 「自意識」とは一なる世界(ワンネス)から自から 分かれ遠ざかる( 愛に 逆行する )方向へと 向かう意識に 他ならない「自我」を 滅却した 偉大なる 意識にそもそも・・・オーラなど 存在するのか?「私は 悟りを 得ました」という 自意識は きっと絢爛豪華な・・他者を 圧倒するがごときオーラを 纏うんだろうなでも悟る という 達成さえも 断念しただ 今 ここに あり続ける純粋なる 意識にはオーラなどという エネルギー・フィールドが 取り巻く境界線すら 無いはずだ世界に 愛を 見出し愛を 識り愛を 語り愛を 行い愛と 共に生き愛そのものに なり果てた とき「自我」の 境界線は静かに 消滅しそれを 取り巻く オーラさえもきっと霧散消滅していくんだろうな一休禅師はいう「悟りなど いう 不調法 いたしたる覚え これなく候」(「悟り」なんちゅう 情けねーこと・・・俺 した覚え ねーんだけど・・・)真の 覚者に「俺は 悟った」 などという 「自意識」があろう はずは ない真の 覚者に・・・オーラなどという自意識を取り巻く フィールドなどあろう はずは ない ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今日も 最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月06日
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( 前の日記より続く )ダライ・ラマ法王の オーラを霊視しよう などと・・・大それたことを 思いつきチャレンジは してみたものの・・・驚いたことに・・・なんと・・・見えなかった のである何度 チャレンジしても結果は 同じだったおつむのあたりに若干の黄金色と白光は 感ずるものの皆目 とらえることができないのである相手がフツーの人であれ特殊な人であれオーラとか 氣のエネルギーは ある程度の 輪郭や 色彩として僕は 観ずることはできる・・・と 思っていたなのに 法王のオーラはさっぱり 観ることが できなかったのだなぜ?・・・今の時点で 僕が思いつく理由は以下のとおり1.ダライ・ラマ法王には オーラがない2.ダライ・ラマ法王のオーラは 通常のオーラ視の技法では とらえられない3.ダライ・ラマ法王のオーラは 次元が高すぎて 今の 僕の次元では 感知できない4.ダライ・ラマ法王のオーラが 大きすぎて 僕の視野では そのエッジ(端)がとらえきれない5.ダライ・ラマ法王が 意図的に オーラをコントロールし 隠してしている6.ダライ・ラマ法王を守護する存在が オーラ視などの くだらないアクセスを阻んでいる・・・など普通なら さらに考察を押しすすめ探求を続ける僕だが今回だけは・・・深い詮索をするのをやめた「 それが お前の 役に立つのか? 」「 それが 誰かを 幸せにするのか? 」「 それが 世界に 平和をもたらすのか? 」という 声が 聞こえたからだ「 確かに・・・ 」僕は 思った「 何の 役にも 立たない・・・」確かに「ダライラマ法王のオーラは こんな感じで・・」などと オーラ視の結果を自慢げに 人に話すことで多少なりとも 自分のエゴを増大させたり自分の虚栄心を まんぞくさせる役には立つのだろうけど・・・僕は 恥ずかしくなった思えば・・・四国の講演会の日講演の後の 質疑応答の場で何十人の希望者を押しのけ個人的な 疑問のために マイクを握った生意気ながら法王と 魂と魂で 会話がしたかったから・・・法王の あまりに偉大な 臨在に 臆しながらも「愛を使うことは あなたにとってもそして 相手にとっても 役に立つ」という 法王の言葉に 食ってかかった「役に立つ」とは・・・あまりに 実利主義で 打算的な 言葉ではないか?・・・と法王は こんな僕を 慈悲深い目で見つめ「あなたが 誰かを 愛するときあなたの 魂は 喜ぶだろう?・・・その よろこびを 感じれることこそが“ やくにたつ ” ということだ」そうか・・・「実利」でいいんだいや・・・「実利の」ための スピリチュアリティこそが 大切なんだそうだったこの人は世界の平和のためにチベットの民のために人類の 幸せのために役立つことにのみ自分の人生のすべてを ささげてきた人だったんだ法王にとってはスピリチュアリティーとか輪廻転生とか・・・本当は 二の次なのかもしれないまずは 現実・・・現実を変えたい現実に 平和をもたらしたい現実に 幸せをもたらしたい・・・まさに 大いなる 実利を 世界にもたらさんとしてこの人は 存在しているのかも知れない そして・・・僕は 思った・・・ ( 次の日記に続く ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月05日
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昨日参加したダライ・ラマ法王 の 四国講演・・・ その余韻は いまだ醒めない 中でも・・・ 「私は 超能力者ではない。そしてヒーラーなどでもない。皆さんと なんら 変わらない一人の人間である」 というくだりは ひときわ 印象深く感じるものが 大きかった わずか2歳で ダライ・ラマ13世の転生者として認められ毎日 4時の瞑想を欠かさない宗教の最高指導者の言である ダライ・ラマとは 本来菩薩 の 化身 だといわれている 確かに・・・さきの 言動こそがダライ・ラマ の菩薩たる ゆえん なんだろうな・・・と 想う あえて 成仏せず あくまで 民衆と 共にあって衆生を 導く ホトケ・・・ 菩薩 その尊顔には 悟者の 奢りなど 微塵もなく あくまで 衆生に 寄り添いどこまでも 衆生と 共に生きる者の 慈悲深く やさしさに満ちた微笑み のみが たたえられている 現実世界の 迷いのなかでは精神世界の 煌き こそが確かな 光となる こともある 精神世界の 迷いの 中では現実世界の 輝き こそが確かな 光となる かつて・・・現実世界の大地の 過酷さに 息も絶え絶えとなった 僕らは 精神世界といういかにも きらびやかな 海を目指した いま・・・精神世界の海の 広大さに行き先を 見失い 漂う僕らは 再び 大地を 踏みしめるあの確かさを 希求する ダライ・ラマ法王は そんな 海と 大地の 狭間に立ってやさしく 静かに 微笑んでおられる 精神世界の海で 溺れる者たちを現実世界の大地へと救い 現実世界の大地で 餓える者たちを精神世界の海へと誘う 幾度も 転生を繰り返しながら いつの日にか・・・ 最後の衆生の一人があの海を 渡りきるまで あの波打ち際に・・・・ 菩薩は 立ち続けておられる ことだろう * * * * * ・・・などと 想いつつ 実は ダライ・ラマ法王に お会いした 2日間実際の法王のオーラは いかなるものだろうか?・・・と 興味深深の 自分も 確かに いた。 不謹慎にも・・・法王の オーラの 霊視 さえ 試みた。 驚いたことに・・・ ( 次の日記へと続く ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月04日
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昨夜は 居酒屋で一人 夕食をとった 生ビール 中ジョッキ 3杯とり皮 サラダ 豚バラの串焼き・・・そして シメは 茶そば カウンターの中一生懸命 つくねを串に刺す イケメン君 年の頃 ハタチ前後 バイト君かな? 一心不乱な指先はぶきっちょ だが ・・・美しい 幼さと 同居するちょっと無骨な 男っぽさ しなやかな 若さが 眩しい しばし 観賞・・・ ハタチの頃 焼き鳥屋で バイトしていた 自分の 当時の 日々を 想い出す 今頃 大阪の大学に通い 居酒屋で バイトしている来年 ハタチになる 息子のことをふと 想う 観賞が 感傷に かわる この年代の男の子は・・・ ストレートに マインドや魂の 質感が 伝わってきて観賞するのが 楽しい しかるに・・・同じ この年代の 女の子の 大半は個性を感じにくい メイクという 絶縁体 が 質感への ストレートな アクセスを 阻んでいるから観賞しても ちょっと つまらない などと とりとめもないことを 想いながら・・・ オヤジの感傷は 続く・・・ 感傷に 浸りながら・・・感傷に浸る 自分を笑う もう一人の 自分 「 我 想う ゆえに 我 あり 」 デカルトの言葉だったかな? ん・・・・なんか 違うなぁ・・・ 「 我 想う 」「 それを笑う もう一人の 我 あり 」「ゆえに 我 あり」 じゃ ないのかな・・・・ かりそめの 「我」 を真なる 「もう一人の 我」 が静かに 見つめていた 観照 の 夜 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月03日
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気の遠くなるような長い歴史の 闇のそこで沈黙をまもり続けていたマグダラのマリアが今、静かに 語り始める・・・ 実に 長きに渡りあなたたちを 夜の闇に 封じ込めてきた「力の時代」は 今 終わりを告げる 目指すことを 止めどこへも 向かわず・・・ 何者かに「なる」ことよりもただ そこに「ある」事の喜びを 想い出した男たちの 抱擁は ・・・ただ 優しい 屈服させる 「力」 を放棄した 男たちの 腕の中に 宿るのはあたたかな 平安の光 怖がることはないただ 至福と 平安の中に 身を 横たえるだけで いい夜の闇に 閉ざされ続けてきたあなたたちはそこで 静かに自らの 光を 取り戻す女たちは 太古の 輝きを 想い出し男たちは 原初の 優しさを 取り戻す 太陽は 惜しみなく 月を照らし愛なるひかりを 満身に 浴びた月は ただ 歓喜の中で 輝く その あまりに純粋で 無邪気な 輝きが漆黒の 闇を 優しく照らす 全ては 流れを 取り戻し 聖なる 命の 円環は 完結する命なる 性の 円環は 成就する ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月02日
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雨が降ってる・・・ 雨粒 たちの ふるさとはあの 広大な海そこでは みんなが ひとつだったやがて 空へとのぼりちりじりバラバラの 雨粒となって今、地上へ 落ちてくる・・・無数の 雨粒たちはそれぞれの 行き場に 降り立ちそれぞれの 持ち場を 潤すそれぞれの 行き場でそれぞれの 記憶をしなやかに 吸収した 雨粒たちはやがて 川へと合流し一なる 海へと 還りつく 再会した 雨粒たちはそれぞれの行き場のそれぞれの持ち場で経験した全ての 物語を共に持ち寄り 分かち合う・・・そしてまた空へと旅立つ・・・幾度となく くり返す雨粒たちの 輪廻の度に雨粒たちの 冒険の記憶を 蓄えて海は ますますその 豊かさを 増していく・・・ぼくらは 今進化の途上にではなく進化の 最前線に立っているぼくらは 今何かに向かっているのではなく何かを創り出しているのだぼくら 一人ひとりの体験が一瞬一瞬 新たな宇宙全体の体験を創造している 僕が 今日 出会う僕だけの体験は 全ていままで 宇宙が体験したことのない真新しい 進化への 第一歩なんだ僕のマインドが その体験たちを どう判断しようと・・・それは 全て 新たなる宇宙の創造の瞬間なんだ僕らの達成する 新たな一歩は普遍化され みんなのものとなる僕らの遂行する 勇気ある開拓は共有化され 宇宙の記憶となる僕らは 探求心あふれる美しき鹿 となって 未知なる領域へとしなやかに跳躍する 放射状に展開する 時間のフィールドを自由自在に 駆け巡り 経験という 大いなる 創造を今日も 繰り広げる ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月02日
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広い宇宙に ぽつんと存在するちっぽけで 無力な 存在・・・そんな風に “じぶん”のこと 感じててごめんね 宇宙の中に“じぶん”がいる・・・なんて錯覚してた 僕を許してね “じぶん”の 中に宇宙はあるんだ と気づかせてくれて・・・ありがとう だから僕の中にある宇宙の すべてを・・・ 宇宙を 抱く僕の すべてを・・・ こころから・・・愛してるよ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・最後まで読んでくださって ありがとうございます! *人気ブログランキングにエントリーしています。 よろしかったら クリックお願いしますね。↓
2009年11月01日
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