2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
全5件 (5件中 1-5件目)
1
今日の母の体重45kg。身長は158cmだったかな?1ヶ月前の体重は40kg前後でした。ここ半月くらい食事が進まず、食べる量が減ってる。それで約5kg増えるなんてね。腹水のせいなんだろうね。そして、味覚にも変化があるようでもどすことが多くなった。胸から上は骨と皮。おなかは腹水のせいらしく、妊婦のようにぽっこりおなか。脚は普通の靴下が履けないくらいむくんでいる。毎晩風呂上りにマッサージをしてあげるんだけど、マッサージしているそばから脚がむくみで変形していく。私のふともものうえにふくらはぎをのせておくと私のふともものカーブがきれいにふくらはぎにうつってる。で、なかなか戻らない。これじゃ靴はけないよね。あさっては2週間ぶりの通院日。私も呼吸器内科に通っているので一緒に行ってきます。父も同行する。母がラクになる方法ないのかな。満足に食事もできない。家の2階にもあがれない。家事がほとんどできない。起き上がっているのもつらい。マッサージをしていると何も言わずに目をとじる母。時々このまま目を開けないんじゃないかって思ってしまう。うちら家族も、本人も。まだあきらめてないよ。だって今生きてるもん。これからまだしなくちゃいけないことあるもんね。娘2人とも結婚してないし。孫だって抱っこしたいでしょ?おばあちゃんより先に・・・なんてしちゃだめだよ。まだまだやることはある。癌になんて負けてられない!!
2007年01月31日
母が母の姉と電話していた。昨日病院へ行って利尿剤をまた飲み始めたらしいんだけど尿が気持ちよく出る!!と報告。そして、利尿剤をやめていた1週間で4キロ太った!?って。そんなに水分溜め込んじゃってたのね・・・。これでむくみがもう少しひけばいいんだけどね~。おなかから上の上半身はがりがりなのに腰から下がすごいのでやっぱりなんかかわいそう。でもね、抗がん剤をやめてから黒々とした髪の毛が復活してきた。まつげはまだないけど、眉毛とか生えてきてるのがよくわかる。それを見た父(サザエさんの波平白髪バージョン)がうらやましがっているのがちょっと面白い・・・
2007年01月20日
18日残業して帰宅すると母は赤い顔をしながらご飯をゆっくり食べていた。たわいもない話をする。姉が用意した夕食についてたらたら文句を言う。準備に時間がかかりすぎて食べるころには冷めてる・・・とか。自分は食べないのにね~。それを聞いて不機嫌になる姉。要領のわるい姉はしょっちゅう怒られてる。料理以外ならテキパキやるんだけどね・・・。時々かわいそうと思うけど私もたまに怒るので・・・。お風呂から出ると母のマッサージ。足は姉がやったらしいので腕と背中をさするように。肩をもむのは久々だったけど・・・数週間でまた痩せたみたい。肩・腕・背中をさするようにマッサージ。ほぼ骨。二の腕は私が二の腕をつかんでみると親指と中指が触れるくらい細い。筋肉と脂肪が落ちているのに体重が減ってないのはやはり腹水とむくみのせいだろう。今日は通院日。父が連れて行っている。今までは本人だけで診察受けていたけど、先週と今週は父も一緒に診察室に。今日はどんな話があるだろう・・・。先週は4・50分先生の話を聞いたらしい。疲れてないか心配。
2007年01月19日
こんなことホントは書くのためらったんだけどなんか誰にも言えなくて、つらくて。他のブログとかmixiとかだと母を知っている人もいるので余計な心配させたくない。ここなら私本人を知っている人今のところいないので母の様子を書かせてもらおうと思う。2002年12月母(2007/1/18現在 54歳)は胃がんで胃の全摘手術を受けた。食べる量が一気に減り、体重はあっという間に40キロ台に。時々食べ物が喉につかえてしまって苦しい表情をみせたりしていたが、徐々に体を慣らしていき、食事・洗濯は出来るようになっていた。しかし、去年あたりから腫瘍マーカー値が増えてしまいPETという検査もやったりしたけれどイマイチな結果で。腫瘍マーカー値が高いのはかわらないので抗がん剤治療を始めた。毎週病院へ行って抗がん剤の点滴。血管が細く見えない母の腕は点滴の前の血液検査の注射針の跡と先生が点滴針を刺すのに失敗することもあってあざとかあちこち。跡が消えないうちに新しい針の跡。「先生にヘタクソ!!って言ってやりな~」なんて話してた。抗がん剤の副作用はやはりあって、髪の毛が結構抜けた。ツルツルになるほど全部抜けてしまったわけではないけれど・・・ね。バンダナまいたり、私が編んだニット帽を人が来るときだけかぶってる。あと、爪の変形。よく使う指の爪、利き手の人差し指とかはただ歪むだけでなく、中ほどで角が出来てしまったり・・・。痛みを伴う時期があって、窓の開け閉めも普通に出来ないほどだった。爪がとれそうなくらいグラグラしていたけど、なんとか持ちこたえた。2006年11月頃、毎週の抗がん剤をやりに通院する。体調がすぐれない中、我が家の壁貼り工事があって落ち着かない毎日。工事が終わってからも調子が戻らなかった。下痢・発熱が続く。洗濯・食事の準備がまったく出来なくなる。自分のお昼ご飯だけはなんとか出来る様だが。この状態で抗がん剤をやってもキツイので年明けの通院まで休憩?することに。しかし、体調はまったくよくならない。利尿剤飲んでいるし、下痢も続いているのでトイレが近い。夜も睡眠薬飲んでもトイレや父のいびきとかで熟睡できないで何回か起きてしまう。調子が悪い母はすぐ怒るようになってきた。それについていけず、私達も怒りやすく・・・。年が変わり気がつくと腹水がたまり、左足がむくんでいた。1/5の今年初の通院。抗がん剤を中止。抗がん剤を使うと逆効果?になるとかなんとか。「これからは「緩和医療」になるから」と。モルヒネのようなもので麻痺させて痛みを取り除くらしい。そういった医療方針になることを母がお風呂に入っているときに父から聞かされた。そして、母から教えてもらうことは教えてもらっておけと・・・。 緩和医療(かんわいりょう)とは、 主に末期がん患者などに対して行われる、主に治癒や延命ではなく、 痛みをはじめとした身体的、精神的な苦痛の除去を目的とした医療である。 緩和ケアとも。インターネットで調べたらこういうふうに出てきた。末期がん。やっぱりそうなのか・・・。このときは冷静に画面を見つめていた私。新しい薬を飲んで2・3日。久々に熱が出ないようでいつもより長く起きていられるように。しかし、今度は腹水と足のむくみがひどくなってきた。トイレもなかなか出ないようだ。おなかのでっぱりが気になる。皆で足のマッサージをしてあげる。足がとても冷たい。さするように下から上へ向かってマッサージ。くるぶしあたりから下がひどくむくんでいる。超肥満の人のような?盛り上がった足の甲。足首がどこなのかもわからないほど。押さえていた手をずらすと、指の跡がくぼんでしばらく消えない。あわててさする。回転チェアーに腰かけ、座面の高さくらいの台に足をのせてマッサージするのだが、お尻の肉がないので痛くなり、もっとマッサージしてあげたいのに途中で終了。日に日にむくみがひどくなっている。昨日は夕食後、吐いてしまっていた。胃がない母には吐くのもとても大変だろう。助けてあげられない自分がモドカシイ。明日は通院日。この先母はどうなってしまうんだろう。これを打ちながら何度も涙がこみ上げてくる。病気がわかってから両親は「祝ってあげられなくなるかもしれないから 早く結婚・出産しなさい」と言っていた。そんなこと言われても、相手がいることなのでね・・・。私も姉も結婚したくないわけじゃないし・・・。と、いままでやってきたけれどね。母にウェディング姿見せたい。孫を抱かせてあげたい。焦る気持ちでいっぱいになってしまった。この1週間で。本気で結婚相談所行こうかな?とか。色んなことが頭の中をぐるぐるぐるぐる。しっかりしなきゃ!あきらめちゃダメ!!せめて母の前では明るく振舞おう・・・。
2007年01月18日
大変ご無沙汰しておりました。私ひここと申します。久々に覗いてみたら最後の日記から軽く2年たってるじゃんΣ( ̄□ ̄ノ)ノビックリ!懐かしい日記だわ・・・。この2年で色々変わりましたわね~。変わってないつもりだったのに・・・。その空白の2年間を知りたい方はひここ痩身!?ダイエット&バレエ&タップを覗いてみてください。ほとんど「バレエ」のことしか書いてないけど・・・。今はミクシィのほうばっかり行ってるからね・・・。この「のぽぽ~ん」閉鎖しようかとおもったんだけどなんだか踏み切れない・・・。2年もほっといたのに。自分の過去がみれるからか?うぅ~ん( ̄~ ̄;)閉鎖はちょっと保留にします・・・。gooブログよりこっちのがたくさんいじれるしね・・・。さぁどうしよ??
2007年01月09日
全5件 (5件中 1-5件目)
1