ブリジットみたいな日記

Classic聴けなかった理由。March 18, 2006


クラッシックしか聴けなかった理由、クラッシックが聴けなくなった理由。
March 18, 2006(from Diary)




受け付けなかったと言うのも事実で、でも嫌いじゃなかった。
でもただ耳が受け付けられなかった。
『私がクラッシック以外聴けなかった理由。』

それから時は過ぎ、クラッシックをそれ以上にもっと受け付けられなくなった時、今思えば一番心体の状態の重たい時期への始まりでした。
少しでもCMで、道端で、デパートで耳にするだけで耳を塞いで涙を流して走って走って聞こえないところまで逃げた。
『クラッシックが聴けなくなった理由。』

前者、後者、受け付けられないでも全く違う。
前者は声楽をしていてただその音楽が心地悪く感じるものでなくても声の入った曲、歌手による声帯の動きが映って同じ動きをするのがとても苦しかった。
そうなりたくない動きをすると良い発声をしたくなった。
良い発声、もしくは自分の求めるものがそこにあって私は聴くことが出来た。
後者はただ、ただただ怖かった。
それが声楽曲でなくても管弦楽であっても、全てクラッシックと言われる美しい旋律全て。
もう、もう二度と聴くことが出来ないかと思った。
吐き気、嫌な気持ち、押し寄せるものが恐ろしく波打った。
そして、歌を歌えなくなって、声を出せなくなって、ピアノの鍵盤を叩けなくなりました。晴天の光が怖くて暗い場所へ逃げては動悸と闘っていました。誰も追ってなんてないのに。
素敵ないくつもの仕事や次に繋げるチャンスも沢山ありました。
でもクラッシックに関わるもの全て排除した。そうするしかなかった。

喉の締め付けるような発声、キンとした硬い声も、音程の定まらない不安定な声も落ちるところまで落ちたと感じた時に受け入れられるようになったものがあった。声だけじゃないと言う事。もっと傍にある音。
何が良くて、何が好きで、何が嫌いで、どうして、どこが。
それが少しずつはっきり言えるようになりました。

体と心。
一体だと言う事を忘れないで前に進む事を忘れないで。

そう言えば、前者と同じような事がありました。
アメリカに来たころ、日本語を話すことも、聞くことも、日本語で考えることさえ避けようと決心してきたから。英語の曲しか聞きたくなかった。
日本語を聞くだけで、日本の曲と文化を持ち込む人がいるならとても嫌な気持ちになったのは、自分の持って来た意思と決意と理由があったから。

私がアメリカに来た理由、全てを脱ぎ捨てて、新しいものたちと新しく築いていく関係の中で自分のペースを探しながら歩いて行くことをするため。
立ち止まることが出来なくて、余計に苦しくなるのなら少しずつでも歩き続けたくてここに来た。
せっかちな大阪人で、誰よりも先に歩きたくて負けたくなくて、涙もシャワーに隠して笑顔で振り払ってきた。
小さい体で誰よりも大きく跳びたくてでも空っぽなら要らない。

でも辛くなった時、傍にいてくれたのはもっともっと身近にある音楽でした。クラッシックじゃなくたって、英語の曲じゃなくたって、そんな時は関係なくもっと身近にいて傍にいてくれる音楽でした。

クラッシック以外が苦しくて聴けない。
クラッシックが怖くて聴けない。
両方を通ってきて今は受け入れられる部分が増え、両者の働きと良さ、聴く音楽が増えた。
音楽に対する考えが変わり始めた。



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