鳥取で、暴力団組員3人が市民に刺傷されたというニュースだ。
わたしは、当然ながらテロルを奨励しているのでも、鼓舞しているのでも、礼賛しているのではさらさらない。ご政道と、「官」「業」「地下社会」のでたらめが、もはや日本国民の忍耐の限度を遥かに越えているのだと各種指標や感触から印象をしているのである。
この国は、古くは大化の改新。江戸にさがっても天草の乱、赤穂浪士討ち入り。大塩の乱。
昭和に入ってからも226動乱やら、山口二矢、嶋中事件に至るまで「肉体言語」で人々が動き出すまで権力が自浄力などを発揮することは、絶無という伝統。その立ち尽くす「非決定」の森のような動かざる伝統が情けなく継承されている。えてして、凶刃などと多くは見做しがちだが、この国と社会への国民からはっせられた「海より深い恋心」のいびつな発露なのだろうか。

私が、調査活動費、裏金作りを告発しようと思ったのは、私憤であったことを最初に明らかにしておきます。
加納駿亮という私の先輩にあたる、検事がいました。
仕事ができると、評価が高い人でした。
戦後最大の経済事件、イトマン事件を手がけた人でもありました。

私が大阪高検刑事部の時、京都で医学部を舞台にした贈収賄の疑惑が発覚。捜査を直接担当したのは京都地検ですが、指揮したのは、大阪高等検察庁。
私は高松地検で同種の事件の独自捜査していた経験から、どうも裏付け捜査が十分ではありません。この程度の内偵、捜査状況で逮捕するのは早いと進言しました。
しかし、大阪高検は逮捕にGOサインを出していました。関わった大学講師を逮捕、教授まで捜査する予定でした。結局は、教授を逮捕できず、講師も釈放され、起訴猶予となり事件は霧散してしまいました。

これは、検察にとって大きな失態です。
私は内偵不足など捜査の問題点を指摘しました。しかし、この時、検察は失敗に目をつぶり、加納氏はじめ関係者を不問にして、栄転させたのです。
検事への道でも触れましたが、なぜ、検事が机の上ばかりで仕事をしたがるかというと、独自捜査で失敗すると責任をとらなければならない。だから、無難な仕事をするために、独自捜査は極力しないのです。
私は、独自捜査を他の検事よりはずっとやってきました。
いつも何かあれば、責任をとる覚悟で、やってきました。
正義を貫く検事として、それが当たり前のことなのです。
加納氏は正論を唱える私を
「三井はオレに恥をかかせた」
と逆恨み、人事権者として私を冷遇しはじめたのでした。
そこで、私は当時の
荒川検事長に「関西におれんので東に行かせてくれ」といって名古屋高検総務部長になりました。私は平成11年7月、大阪高検公安部長となりました。ここでも、加納氏の横やりで給料や待遇のポストを示すランクが本来、2号であるのに3号に据え置かれた。
大阪高検公安部長は2号と決まっていた。3号という人は近年いませんでした。給料が安いことを問題にしているのではなく、プライドがいたく傷つけられた。
検察官は独立して良心に従い、事件を処理して、正義を貫く。加納氏のやっていることは検事としてあるまじき行為です。
「私にも覚悟がある」
私は加納氏が調査活動費を裏金に流用していることで、告発してやろうと考えた。加納氏は平成7年から8年に高知地検検事正でした。私も昭和63年から平成3年まで高知地検次席でした。その人脈で加納氏がいかに調査活動費で豪遊していたか手に取るように知っていました。ゴルフが好きで、休日には調査活動費をゴルフ代に充て、料亭でもよく飲食をしていました。
そんな裏事情を私はいくつかの雑誌に告発をはじめました。先に申しました、則定氏の女性スキャンダルでは雑誌報道をきっかけに新聞、テレビにと広がり、辞任に追い込まれました。
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