PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

久恒啓一

久恒啓一

Comments

日本古典文学研究家@ Re:「たたら製鉄 技と精神(こころ)---誠実は美鋼を生む」(07/30) 日立金属さんプロテリアルに名前が変わり…
山陰中国地方サムライ@ Re:新著「遅咲き偉人伝-人生後半に輝いた日本人」の見本が届く(12/04) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
プロの魂たたら山陰サムライ@ Re:「たたら製鉄 技と精神(こころ)---誠実は美鋼を生む」(07/30) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
坂東太郎9422 @ ノーベル賞(10/08) 「株式会社Caloria代表取締役社長 管理栄…

Freepage List

Category

Archives

2026/06
2026/05
2026/04
2026/03
2026/02
2008/09/13
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類



さて、この文学館が「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」をやっているので、訪ねてみた。宮脇俊三(1926-2003年)は鉄道紀行を文芸の新ジャンルとして定着させた人物である。もともとは中央公論の編集長などを歴任したが、51歳で常務取締役を自ら退く。50歳で国鉄全線2万キロを達成し虚無感に襲われたのだ。退職後最初に書いた「時刻表2万キロ」が第5回日本ノンフィクション賞を受賞し、以後鉄道三昧の日々と執筆の日々が延々と続く。54歳では「時刻表昭和史」が交通図書賞を受賞、58歳、「殺意の風景」で泉鏡花文学賞、65歳、「韓国・サハリン 鉄道紀行」で第1回JTB紀行文学大賞、72歳では鉄道紀行を文芸のジャンルとして確立したとの理由で菊池寛賞を受賞している。76歳で亡くなったが、戒名は「鉄道院周遊俊妙居士」といいういかにもというものだった。

鉄道紀行文学という系譜で見ると、「阿房列車」を書いた内田百?(1889生まれ)、そして「南蛮阿房第二列車」を書いた阿川弘之(1920年生まれ)、そしてこの宮脇俊三の活躍で、このジャンルが確立する。「時刻表2万キロ」はエッセイやノンフィクションの主題と描き方の間口を大きく広がるきっかけをつくり、奥本大三郎「虫の宇宙誌」や藤森照信「建築探偵の冒険・東京編」などにつながっていく。傍目には酔狂とも映る特異な嗜好や趣味に偏して、なおかつ人を楽しまさせる文章を書けたのだ。

この宮脇俊三は仕事人としても多くの輝けるヒットを飛ばしている。40歳で手がけた「日本の歴史」の第一巻「神話から歴史へ」は100万部の大ヒットとなった。「世界の歴史」16巻シリーズの企画を担当し大いに売れる、会田雄次「アーロン収容所」などから始まった「中公新書」の刊行、そして北杜夫の「ドクトルマンボウ」シリーズのなどのベストセラーなどその編集者としてのセンスは只者ではない。しかし、「周りに配慮を忘れない穏やかな人柄」が同僚などの見方である。北杜夫は隣に引っ越してきている。二人が垣根越しに話をしている愉快な写真が掲示されていて、ほほえましい。

父は衆議院議員だったこともあり少年時代は国鉄の無料パスを使って旅をしたというが、父の落選に伴ってこの特権はなくなってしまう。東大理学部地質学科に入学するが、文学部西洋史学科に転部する。そして就職活動で葉、日本交通公社と中央公論にパスをする。交通公社では雑誌「旅」の編集を考えたというから、この人の旅行、紀行、という芯は固い。宮脇は「時刻表は百年を越える日本鉄道史上に作り成された大交響曲である」と述べている。

「注文が多く、東奔西走の日々」と本人が言っていたが、昭和56年から58年までの3年間のスケジュール表がある。ほとんど休みなく日本全国を駆け巡る宮脇の姿が思い浮かぶ過酷な日程表だ。

取材ノートを展示しているコーナーがある。Campusなどの小型ノートがほとんどで、表紙に日付と場所を記してある。私も旅のメモ帳としていろいろ試してみたのだが、落ち着いたのはCampusの100円ノートだから、宮脇と同じだと同志に会った気持がした。「シベリア鉄道9400キロ」「インド鉄道旅行」「アンデスの高山列車」「オーストラリア大陸横断」「「中国火車旅行」「ヨーロッパ鉄道旅行」「時刻表のない旅--フィリピン」など海外の鉄道紀行も多いが、このメモ張には、細かく、きれいに、そして分単位で几帳面に書き記していて驚いた。メモ帳のメーカーは、Silkstuff、handy pick、appointment、campusなどの小さなものが主流だ。

タテ40センチ、ヨコ1メートルの、200万分の一の白地図があった。旅から帰ってくるたびに、やや太めのマジックペンで灰色の線の上を赤く塗っていたそうだ。大学卒業後、一生かけて世界のすべての国を旅行しようと、私は大きな世界白地図を買って壁に貼り、足を踏み入れた国を赤く塗っていたことを思い出した。当時はソ連が地図の中心に大きな場所を占めており、モスクワだけでもとにかく行き、私の地図のソ連の部分を一気に塗りたいと切望していた。その国に一歩でも足を踏み入れたらその国は全部赤で塗っていいという原則をだったからだ。まあ、この人もわたしと同じ人種だと親近感がわいてくる。

名刺の肩書は、「日本文芸家協会会員」と「日本ペンクラブ会員」の二つだった。



書斎。原稿、Bの鉛筆、青鉛筆、定規、消しゴムかすを払うための製図用羽ぼうき、印刷物を量るスケール、万年筆、カラーペン、、、。


充実した優れた企画展だった。別冊太陽「宮脇俊三」や本人の書いたエッセイなどを買い込んで、少し読んでみた。北杜夫、江国滋、阿川弘之、堀淳一などの文庫の解説など実にうまい。熟達した書き手である。あたたかいまなざしを感じる文章だ。

「阿房列車」の冒頭を少し読んでみた。文章の面白さに引き込まれる。また入手した内田百?の本の中に、1日駅長をやったときのことが書いてあった。百?は訓示で「駅長にさからったものは馘首する」といたという。こういうユーモアは、宮脇俊三にも引き継がれているようだ。

宮脇俊三は、つとめをしながら趣味を趣味として楽しみ、51歳から徹底的にその趣味の中に埋没し、すぐれた作品を40冊以上上梓した。この生き方も一つのモデルである。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008/09/13 12:13:03 PM コメント(1) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


も一つのモデル  
喬 智明 さん
長い文章ですが、やっと読み終わりました。白地図と旅行の携行品の話は興味深いです。記録マンという点で宮脇俊三さんも先生と全て同じでしょうね。ノートを上手に使い、自らの経歴を几帳面に書き記すのも一つのモデルではないでしょうかね。 (2008/09/13 07:00:28 PM)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: