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父の手術、昨日無事終わりました。胃の4分の3を切り取ったそうで、悪いところは、全部キレイサッパリ。とにかく、全部取れてよかった。取れなくてそのまま閉じてしまったらどうしよう、それだけが心配でしたから。今日、手術後の父と電話で少し話しを。「心配かけて悪かったな。」「心配なんかしてへんよ~。でも、 とにかく早く元気になってなー。」いつもは受話器を耳から離して聞かないとうるさい父の声が、今日はとても小さくて、力なくて切なかったです。10代の頃20代前半の頃は、門限破ったり、遅くまで飲んでたり、体調を崩して救急車のお世話になったり、心配ばかりかけてきたのに、もう父も67歳。今度は、親の体を心配するようになったんやなぁ、と。しかし父、10年も検診に行ってなかったんだって。胃の検診は、毎年受けましょう。今は、胃カメラも、昔ほどは辛くないそうです。今年まだの方、今すぐ検査予約を入れましょう。検査キットもあるみたい→
2006.09.29
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じっとしてる間もなく、娘達、山の小学校に転校して、初の運動会。全校生徒60人足らず。各学年での競技はありません。全部2学年以上の合同の競技。今までの小学校だと、組体操は6年生だけでしたが、山の小学校は6年生が10人しかいないので、4年生以上が参加。5年生の長女も参加しました。子供が2人いたら、どちらかがたいてい出てて、人数が少なくて、校庭も狭いので、どこにいるかすぐ分かるって感じです。場所取りなんて、必要ナシです。子供の競技だけだと時間が相当余るので、地元の老人会の方達の競技やら、隣の保育園の競技やら、親参加の競技やら、親だけの競技もいくつか。地域ぐるみで大事にしてる小学校の、地域ぐるみの運動会なんです。小じんまりしてて、手作りの暖かさがあって、とてもよかったです。最後は、親子、先生、その他の方々全員で手をつないで、マイムマイムを踊って、シメとなりました。去年までは、お弁当作りで早起きして、暑い中観戦して疲れて、ヘトヘトで帰ってきてましたが、今回は遠いし、かなり早起きだったけれど、楽しくて、山の風が気持ちよくて、心地よい疲れになりました。旦那が山の小学校に来るのは、3回目。「来るたびに、ここにしてよかった。」と思うのだそうです。私も本当にそう思います。去年の今頃は、転校するかしないかで、大モメしてたんですけどね。ともあれ結果オーライ
2006.09.24
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火曜日、母から連絡があり、父の胃潰瘍、実は胃がんだった模様。ひどくないと分かってても、あがいてもどうしようもないと分かってても、ガンって響きは最強で、じっとしてたら、心配やら何やら色んなもんが入り混じって、泣けて泣けてしょうがない。ので、火曜日からずっと、じっとせず、動き回ってました。開業直前の丸井を見に難波まで行ったり、海辺をあてもなくドライブしてみたり。じっとしないと、家事はめちゃくちゃはかどるけれど、年には勝てないようで、さすがに今日は疲れ果てました。よくよく考えたら、今、私が倒れてしまうわけにいかないんだし、おとなしくして、体力を温存することにします。思えば、父、3年前に脳梗塞で倒れた時も、ちょうど今の時期。子供の運動会の直前。そして、今回も、今週末は子供の運動会。どうもこの時期は、鬼門のようです。ともあれ、早くよくなってくれるといいなー。
2006.09.22
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大阪南部、泉州地区、中でも岸和田。今週末は、あの有名な だんじり祭りの日。「だんじりの日に休み取らせてくれへんから、 会社やめたんやー。」だとか、「今日は試験曳きやから、学校は半ドン。」なんつー会話が普通にされてる地区です。気合の入り方が違います。地元出身の有名人も戻ってくるんだそうで。ちなみに今年から日程が変わり、9月16日、17日になったとか。詳しくはココさて、泉州地区の名物といえば、水ナス→が有名ですが、本日、岸和田までドライブに行ってて見つけました。だんじり牛乳→ 飲んだら、元気になれること間違いなし。ちなみに、同じ大阪でも、うちの辺りにはありません。もちろん3本まとめて、お買い上げ
2006.09.13
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仕事帰りの旦那と、旦那の職場の人たちと、ガガガSPのライブに行ってきました。子供達は旦那の実家にお預かり。「青春狂時代ツアー」の最終日。対バンも、めちゃくちゃ豪華。 このチケットが売り切れた後、急遽出演することになったのがマキシマム・ザ・ホルモン。ガガガSP、銀杏BOYZ、どちらか片方でもスゴイのに、さらにホルモンまで。めっちゃ贅沢。開演10分前に、ギター1本を手にしたガガガSPのコザック前田が現れて、2曲歌ってくれるという嬉しいハプニングに始まり、大盛り上がり、汗みどろな5時間でした。2番目に現れたのが、マキシマムザホルモン。すごかったです。やっぱりホルモン最高。銀杏BOYZ、初めて生で聞きましたが、さすがカリスマって感じ。聞き惚れました。最後にガガガSP。対バンがいっぱいいるせいか、普段よりもMCも控え目。ちょっと残念だったけど、やっぱりよかったです。もうおなか一杯・大満足で帰ってきて、翌日。。旦那は肩が痛くて、腰をどっかで打ち、私は腕が上がらなくて、首が回らない。若い子には勝てません。。嗚呼。でも、コザック前田が言ってました。「25歳からが青春」かれこれ10年以上過ぎてるけど、まだまだ青春まっただ中☆ でいいよね?
2006.09.09
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実家の父の入院の連絡が入り、驚いた我が家ですが、大したこともなく、ちょっとやんちゃな胃潰瘍らしい。胃は大事にしなくちゃ。検診には、ちゃんと行きましょう。ほっとする間もなく、娘の誕生日パーティー。本当は5日が誕生日なのですが、旦那の帰宅がずっと遅かったので2日遅れで、家族でささやかなお祝いを。ケーキを焼きました。 早いもので長女も11歳。身長150センチ。体重33キロ。靴は24センチ。もう私と靴のサイズは同じになりました。これからまだまだ大きくなるんだろうなあ。。26センチだとか、27センチとかのハイヒールが、将来、我が家の狭い玄関に並ぶのでしょうか。うーん、想像したくない。。。。
2006.09.07
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娘達、通常授業が始まりました。やっと自分の時間が戻ってきました。「お昼ご飯まだーーーー?」だとか、「お昼ご飯、またソウメン?」だとか、「たいくつーーーーー。」だとか言われることもなくなりましたー。長かったです、夏休み。トホホ。そろそろ秋冬物のファンデーションを探そうかと、デパートの化粧品売り場へ。見た目ちょっと年上くらいの店員さんが手が空いてたので、色々と相談に乗ってもらいました。さすが年が近いと、悩みも分かってくれて、助かります。年齢を聞かれたので、「あと数年で40代なんですよ~。」と答えたら、その店員さん「本当ですか?お若く見えますね。私、4なんです。」ココは、ミエミエでも言っておかねば。と私が、「大台なんですねー。でも四捨五入したら一緒一緒~。」。。。しばし凍りつく空気。。。。あれ、何か変なこと言った?私。てっきり40歳かと思ったのに、よくよく聞いたら34歳だそうで。どうしよう、年下じゃん。。。しかし今更、どうにもこうにもフォローできず。。本当にごめんなさい。悪意はゼロなんですよぉ。「34歳です」って、はっきり言ってよー。フォローできなかった私、勘違いされた店員さん。どちらも、どよよーーんと落ち込んだ昼下がりでした。コレ必要かも→
2006.09.04
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なんで離婚しなかったか。大きな理由は4つ。1番大きかったのは次女のこと。2番目は、具体化する時間の余裕がなかったこと。3番目は、やっぱりお金のこと。私が仕事をやめていなかったら、間違いなく離婚していたと思います。それと4番目に、義母の言った一言。「あの子(旦那)が帰ってきたら、 こっちが大変。金ヅルだと思って我慢して。」冗談でも親からそう言われたら、私ならキレます。よく思い起こしてみれば、義父母に可愛がられているのは旦那の弟達。旦那は可哀想な人だったのかもしれない。家族を大事にしたいけど、仕方が分からなかったのかもしれない。そんなドロドロな頃から、もう5年。今は離婚しなくて良かったと思っています。あの頃、好きなだけ小遣いを持って行って遊んでいた旦那ばかりを責めていたけれど、今思えば、家庭に居場所がなかったのかもしれなかった。もっと上手にSOSを出せば良かった。自分1人で抱え込まずに、旦那にもっと甘えればよかった。それより何より、笑顔がなくなって会えば文句ばかり、化粧もあんまりしなくなって、服もいい加減。そんなギスギスしてた私のいる家庭に帰ってきたくない気持ち、少し分かるような気も。今も旦那は謝ってきたことはありません。やっぱり、これから先もあの頃の旦那を許すことはできません。ただ、その頃の話を持ち出すと旦那は逆上します。多分、痛いところだからなのだと思います。反省してるのだ、と思うことにしています。大変だったけれど、出口が見えなくて山ほど泣いたけど、おかげで今がある、そう思うことにしています。乗り切ってきたことで、少し自信もついた気もします。今はまっすぐ旦那は帰ってきます。相変わらずワガママだけど、不器用だけれど、彼なりに大事にしてくれてるように思います。それに旦那を自由にさせてきたことで、今、自分の時間の範囲内でどう過ごしていても、何の後ろめたさもなければ、咎められることもないのですから。そんなこんなで、本当は今でも私は山が大嫌いです。でも、子供達にはいい経験になるかなと思うため、それと何よりシェイプアップのため、そこは我慢して一緒に行くことにしています。でもこれだけは決めています。義父母の介護は、一人で抱え込まずに、旦那メインで頑張ってもらおう、と。転んでもタダでは起きちゃダメなのだ☆教訓は次に生かさなくちゃダメなのだ☆
2006.09.03
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ご近所さん、友人達、たいてい「なみ家はええよねー。いつも夫婦仲良しで。」と言われる我が家ですが、ドロドロもあったさ、そりゃ。という訳で、今日はドロドロをちょこっと書いてみようかと。次女は、アレルギー性のかなりヒドイ喘息持ちです。元気になり、色々と食べられるようになった今でも、魚介類を食べるとショック死すると思います。3歳まで原因は分からず、ただのヒドイ喘息持ち、とだけ。特にひどかった2歳~3歳の頃は、夕食が終わり、お風呂に入るあたりから喘息症状を起こし、週に1度は夜間救急のお世話になり、月に1度は救急車。しょっちゅう吐くため、体も小さく、ちょっとした風邪程度でも命取りで、夏風邪のヘルパンギーナごときで入院したことさえありました。そんな気の抜けない生活をしてた頃、一方の旦那は転勤したばかり。手伝うどころか、優しい言葉をかけるどころか、ストレスを家でぶつけ、発散のため、大好きな登山のことばかり考えていたようでした。当然、毎日のように喧嘩。気の抜けない張り詰めた家の中に、旦那の帰宅もどんどん遅くなっていきました。次女が3歳の5月のある日、旦那は泊りがけで登山へ行き、母が、神奈川から泊まりに来てくれていました。その時、次女はそれまで経験したことのない大きな発作を起こし、病院へ向かうタクシーの中で意識混濁、呼吸不全状態に陥ってしまったのです。運良く消防署が目と鼻の先だったので、そこから救急車に乗り換え、事なきを得たのですが、ショックで涙も声も出ませんでした。旦那は翌日、予定を切り上げて下山し、病室に現れたのですが、そこに優しい言葉もなければ、ねぎらいの言葉すらなく、ただ弁解するのみ。こんな毎日を送っているのに、娘がどんな状態か分かっているのに、私の反対を押し切って山に行く神経も信じられなかったけれど、謝罪もなく、保身としか思えない言葉に、私はもう「離婚」しか考えられませんでした。なんで離婚しなかったんだろう。そんな面倒なことを考える余裕もなかったけれど、自分の病気が原因で両親が離婚なんて、次女がいつか聞いたら、どんだけ傷つくだろうと思うと、ひとまずここは我慢するしかないと。原因が分かって、アレルギー専門の先生の治療を受けるようになり、それほど大きな発作を起こすことはなくなりました。それでも肺炎やら、入院騒動は続きましたが。その後も旦那は反省するどころか、また山へ海へ。本人が写した写真が残ってるので、証拠もバッチリ。学習能力ゼロかーっ!!あんたはっ!!。。。続きはまた
2006.09.01
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