2006年4月27日


尼崎の脱線事故から1年が過ぎました。

今年の4月25日、駅にはJRの社員の方が並び、
改札を通る人たちに頭をさげていました。

去年、代替輸送の阪急の駅の改札に立っていた人たちがいました。
ときどき乗客の人に罵声をあびせられたりして、
ひたすら頭を下げていた、若い社員の人を思い出しました。

明らかに嫌がらせだとわかる行為でも、
どうすることもできず、私も心を閉ざしていました。
感情を表に出すと、誰かが救われるかもしれないけど、
必ず傷つく誰かが近くにいるかもしれない・・・。
誰の目も気になってしまって、通り過ぎるしかなかった。

ほんとうに感情をあらわにできるのは、
その権利がある人たちだけだと思いました。
いろんなことが、事故の前と違っていました。

脱線した現場が近くなると、電車の速度が落ちて
ゆっくり、ゆっくりカーブを曲がって行きました。
同時に、事故についての車内放送が流れました。
こちらの電車に向かって、たくさんのカメラの列。
そしてたくさんの人たちが頭を下げていました。

いつものように、空洞になったマンションの駐車場と、
そのまわりの傷ついた壁をしっかり見つめました。

その場所を通るとき、いつも感情と思考がストップします。
ぼ~~っと過ごしてた去年のこの時期とおんなじように。

あのときはほんとに、ご心配をおかけしました・・・。
乗ってなかったかとメールを下さったお友だち、
情緒不安定な時期に話を聞いてくれた友達や家族。
去年、駅に入って来たあの電車を見た場所で、
同じように電車を見てしまうときはつい固まってしまうけど、
そのあとすぐにやりすごすことができるようになりました。

私なんか、なんの被害も受けてないんだから甘ったれてらんない。

そして、どんなにイライラしててもガミガミしてても、
家族を送り出すときはできるだけの笑顔で、
最後になっても後悔しないようにと、心がけるようになりました。

当たり前の時間の流れと日常の生活が
一瞬で消えてなくなることがあるんだってこと、
改めて実感したできごとでしたから。


                 2006年4月27日


つづき。




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