「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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202999
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3.
~snowflake~ 3.
応接室を出て、支配人とロビーに向かう。
「今夜のイベントは、ご存知でいらっしゃいますか?」
「はい・・・。 高島さんからお伺いしました。」
「予定通りのようですね・・・。」
「・・・?」
支配人の視線を追うと、
ロビーの掲示板の前に、彼の後姿があった。
ちょうど、小さなポスターをピンで留めているところだった。
「楽しみですね・・・。」
支配人の声に、彼が振り返った。
「はい・・・。 今年初めてですから・・・。」
そう言って、微笑んで会釈をする。
「あの・・・先ほどは、ごちそうさまでした・・・。」
「いいえ・・・、おくつろぎいただけましたら幸いでございます・・・・。」
「はい・・・とても、いい時間を過ごさせていただきました。」
「ありがとうございます・・・。」
ふたりのやりとりを見守っていた支配人が切り出す。
「それでは、西山様、私はこれで失礼いたします・・・。」
「あ、はい、とても楽しかったです、ありがとうございました・・・。」
「こちらこそ、本当に楽しいひとときでございました。
ありがとうございました・・・それでは・・・。」
穏やかな微笑みを残して、支配人がその場を離れた。
掲示板に目をやる。
「お月見会・・・ですか?」
「はい・・・、今朝ご案内させていただいたイベントです。」
「あの・・・外で、ですか?」
「はい・・・テラスから湖畔に出ていただくことになりますが・・・・。」
「いいですね・・・真冬のお月見・・・。」
「はい、たぶん初めてご覧になる景色だと思いますよ・・・。」
「えっ?」
その時、老婦人が声をかけてきた。
「こんばんは・・・。」
このアンティークなホテルにぴったりな雰囲気の、
品のいい、優しい微笑みを見せて。
「二宮様、こんばんは・・・。」
親しげに挨拶を交わすふたりはよく似た雰囲気を持っていた。
「久しぶりですね・・・、お月見・・・。」
「はい・・・今夜は特別に綺麗だと思います。」
久しぶり・・・という言葉に、常連客なのだと思った。
「はじめまして・・・二宮と申します。」
「西山と申します・・・。」
「おひとり、ですか?」
「はい・・・、昨日から、2泊の予定で・・・。」
「そうですか・・・ちょうど、お月見ができてよかったですね・・・。」
「はい・・・。」
ほんの少しのやり取りだけでも、親しみを感じさせる、
話していて安らかな気持ちになれる、
支配人と同じ空気を感じさせるひとだった。
このホテルには魔法がかかっているのかもしれない・・・
と不思議に思った。
ここで出逢うすべての人たちが、みんな優しくてあたたかい。
まだ、ここに来て1日しか経っていないのに、
ふるさとに戻ってきたような懐かしさを感じずにはいられなかった。
「西山さん、もしよろしかったら・・・。」
「・・・はい?」
「おひとりでしたら、夕食をご一緒していただけませんか?」
「えっ?」
彼を見ると、優しく微笑んでいる。
「ごめんなさいね、いつもここでスカウトしてるんですよ、ね?」
老婦人が笑って彼に目配せをする。
「さようでございますね・・・。」
「もうずっと、ここでひとり暮らしなんですよ・・・。」
「えっ? ここで? あの・・・お住まいが?ここですか?」
「はい・・・もう2年になるんですよ。」
彼は笑顔で見守っている。
ホテルで生活する人たちがいるのは知っている。
掃除、洗濯もやってくれるし、食事の心配もない。
でも、長期滞在するとなると相当な費用がかかる。
目の前の老婦人も、上品で服装も控えめだが
よく見ると、身につけているものも上質のものだった。
「ムリにとは言いませんから・・・。」
「・・・はい・・・。」
「もし、よろしかったら・・・。」
まったくの初対面なのに、不思議と惹かれていく。
ひとりで食事するよりも、きっと楽しいに違いなかった。
嬉しい気持ちで返事をした。
「はい、ありがとうございます。
こちらこそ、ぜひご一緒させてください・・・。」
「よかった~。 お月見といい、今夜はいい夜になりそうですよ。
高島さん、おもてなしメニューでお願いしますね。」
「かしこまりました・・・。」
「それから、ワインもお願いしますね、お任せしますから・・・。」
「はい・・・。」
その言葉で、改めて気づいた。
よく見かけるものとは違うが、確かに葡萄のバッジ。
小ぶりで目立たない、ホテルのオリジナルらしい、
クリスタルのソムリエバッジが彼のジャケットの襟に光っている。
その控えめさが彼に似合っていると思った。
「ソムリエでもいらっしゃるんですね・・・。」
「いろんな得意技、持っていらっしゃるんですよ。」
老婦人が彼に微笑みかける。
「得意技・・・でしょうか・・・?
他には雪かきくらいですが・・・。」
「実は体育会系でいらっしゃるのよね?
不思議な子でしょう?」
3人で笑いあった。
傍らに見える暖炉のあたたかさだけではない、
真冬なのに心の奥から安らかなあたたかさを感じていた。
ずっと、この空間に抱かれていたいと思いながら・・・。
お月見会に集まったのは、他に老夫婦が二組と若いカップルが一組。
それに今朝スキーの準備をしてロビーに集まっていた大学生のグループだけ。
スキーシーズンとはいえ、スキー場から離れているこのホテルには
それほど客が集まらないように思えた。
夕食を共にした老婦人も、夏のほうが避暑地として人気があると言っていた。
青々とした木立に囲まれた夏の湖も見てみたい・・・。
春の花が咲き乱れる湖畔も、紅葉に彩られた山々も・・・。
この場所でこれからも暮らしていく、隣にいる彼女がうらやましく思えた。
コンシェルジュデスクを見ると、彼がロングコートに袖を通していた。
ブランケットを何枚か手にして席を離れ、
ロビーに集まっていたすべての客に、にこやかに声をかける。
そして最後にこちらにやってきた。
「二宮様、西山様、よろしくお願いいたします・・・。
何かございましたら、ご遠慮なくお声をお掛けください・・・。」
「ありがとうございます。」
若い女性のスタッフも同じようにコート姿でブランケットを手にしていた。
「それでは、出発いたします・・・。」
彼女が先頭に立って、レストランの中を通り、テラスから表に出る。
雪のなかを縫うように遊歩道をたどり、木立を抜けると・・・
目の前が開けて、湖面のきらめきが見えた。
一瞬何なのか、すぐには理解できないほど幻想的な光景が広がる。
風のない、冬の澄んだ空気の中、
鏡のような湖面に、まぶしいくらいの満月が映っていた・・・。
「ね? ステキでしょう?」
老婦人に声をかけられ
「・・・はい・・・。」
そう答えることしかできなかった。
ひとり、立ち尽くしていた。
写真を撮るより、目に焼き付けたい。
現実なのか、夢なのかわからない森の中の湖。
最後の夜に出逢えた、奇跡のような美しさ・・・。
「あの・・・、もう少し、先に行ってもいいですか?」
「だいじょうぶですよ・・・。
湖に近づかないように気をつけていれば・・・。
スタッフの方が見てくださっていますから・・・。」
「じゃあ、ちょっとだけ・・・。」
ひとりでゆっくり歩きだす。
湖面の鏡に映る月から目が話せず、
時間の経つのも忘れて、湖に沿って歩いていた。
ふと立ち止まると、
ホテルの灯りが遥か遠くにあった。
湖面の月と、その向こうに見える温かい灯り。
ここで、いろんな思いを巡らせた・・・。
ほんの1日しか経ってないけど・・・
たくさんの経験を積んだような、
タイムスリップをしたような、不思議な時間だった。
さよなら・・・なんだ。
夜が明けると・・・。
寂しさに押しつぶされそうだった。
でも、前に進んでいくしかない・・・。
中途半端で逃げ出すわけにはいかない。
初めて、ぶつかった壁を乗り越えるために。
あのホテルは、何十年も前からずっとそこにあった。
スタッフは入れ替わっても、
大切なものはしっかり受け継がれて、守られている。
自分が経験したことは、そんな長い年月のほんの一瞬。
まだ何もわかってはいないのに、
放り出すわけにはいかないんだ・・・。
表面だけを取り繕って生きてきたツケが回ってきただけなんだと・・・。
「西山様・・・。」
聞き覚えのある、あたたかい声が響いた。
夢の中のような、あいまいな感覚。
その声のほうを見ると、ロングコートの彼が立っていた。
「・・・・・。」
何も言えず、立ち尽くしていると
「みなさま、もうお帰りですよ・・・。」
いちだんと優しい声で、呼びかける。
「・・・ごめんなさい・・・、勝手に・・・。」
「いいえ・・・、私も、ここからの眺めが一番好きなんです・・・。」
「えっ・・・?」
「向こう側から、暗い森のほうを見るよりも・・・
あの、あたたかい灯りが・・・帰りを待ってくれているようで・・・。」
「高島さん・・・。」
本当は、孤独なひとなのかもしれない・・・。
寂しさを知っているからこそ、人に優しくなれるのかも・・・。
「よろしいでしょうか? やはり、冷えますので、そろそろ・・・。」
「はい、すみません・・・。」
寒さに、思わず肩をすぼませる。
「・・・失礼いたします・・・。」
彼が歩み寄って、そっとブランケットを肩に掛けてくれた。
「あ、ありがとうございます・・・。」
「いいえ・・・。」
どちらからともなく、ゆっくり歩き出す。
「真冬のお月見は、いかがでしたか・・・?」
「はい、感動しました・・・。 とってもキレイで・・・。
こんな景色、初めて見ました。」
「これだけ条件が揃うことはめったにないんですよ・・・。
この時期ですと、吹雪いていたり、雲が多かったりで、なかなか・・・。」
「そうなんですか・・・。 ホントにラッキーだったんですね。」
「はい・・・。
西山様には、取材にお応えできませんでしたので、
何かひとつでも、お土産になるものができてよかったです。」
「・・・ほんとに、すてきなお土産です・・・。」
「ありがとうございます・・・。」
「あの・・・。」
「はい・・・?」
唐突すぎるのはわかっていた。
でも、聞いてほしかった。
誰かに・・・・・。
違う。
誰でもいいわけじゃない。
やさしく、受けとめてくれる人に・・・。
「私、取材っていうのは、ほとんど口実で・・・
逃げてきたんです・・・。」
「・・・・・。」
「なにをやっても、うまくいかなくなって・・・。」
返事を期待しているわけじゃなかった。
こんなこと、ぶつけられても彼が困るだけだとわかっていた。
「・・・ごめんなさい・・・、ヘンなこと言って・・・。」
彼の顔を見ることができなかった。
湖面の月がまぶしすぎて、涙が滲む・・・。
「いいえ・・・。なんでもおっしゃって下さい・・・。」
心からの、優しい、あたたかい声が静かに響いた。
「自慢じゃないんですけど、
今まで・・・こういうの・・・経験なかったんです。
だから、免疫なくって・・・投げやりになってしまって・・・。
挫折も知らないで偉そうにやってきて・・・、
恥ずかしいです・・・。」
彼の言葉に甘えて、ついしゃべりすぎてしまった気がした。
少しの後悔で、深いため息をつく・・・。
するとすぐに彼が優しい声で語りかけてきた。
「・・・恥ずかしいことではないですよ・・・。」
「・・・・・。」
「挫折なんて、勲章ではないんですから・・・。」
『苦労を知らない』とか『修羅場を乗り越えたことがない』とか、
今まで散々言われてきた。
ただ年齢を重ねてきただけの、経験を積んできただけの人たちに・・・。
でも、今静かに、控えめに心に寄り添ってくれている彼は、
自分とそれほど年齢は離れていないはずなのに、
どうしてこんなに優しい言葉をかけてくれるんだろう・・・。
それは、本当の暗闇を知っているからなのかも・・・。
「こうあるべきだとか、考えないほうがいいですよ・・・。」
「・・・そう・・・ですね・・・。」
「・・・・・。」
「・・・高島さんって、不思議なかたですね・・・。」
「えっ?」
「ごめんなさい・・・なんていうか・・・、
ほんとに・・・このお仕事が、天職のように感じます・・・。」
「それは・・・そうおっしゃっていただけると、嬉しいです・・・。」
「やっぱり、このお仕事を目指して勉強されてきたんでしょう?」
返事がすぐに返ってこなかったことに、少し驚いて隣を見ると、
彼はうつむいて微笑んでいた。
その横顔がわずかに寂しそうに見えた気がした。
「・・・・・そうですね・・・。」
正直な人だと感じた。
仕事のときの、そつのない受け答えとは違う何かを感じられた。
本当にやりたいことは、他にあったのかもしれない・・・。
傍から見ると天職に見える仕事でも、
思い通りにはいかない何かがあったんだろう・・・。
このホテルの歴史ある重厚さと、現実離れした制服の雰囲気で、
彼の本質は覆い隠されているに違いなかった。
この若さで、すべてを悟りきったような雰囲気や
言葉の端々に、それが見え隠れしているような気がする。
ほんとうは、どこにいるべき人だったんだろう・・・。
別のステージがあったのかもしれない・・・。
ふと、自分に置き換えてみる。
フリーのファッションライターとして、
海外に飛び出していくのが夢だった。
でも、今自分がいる場所、置かれている状況。
出版社で勉強することが、イチバンの近道だと考えていた。
誰よりも、何よりも、速く・・・。
遠回りなんか時間のムダで、意味のないことで、
目新しいものや、斬新なこと、先端を行くこと。
それだけが大事なことだと思っていた。
人より何歩も先を歩くことに価値があると・・・。
でも、このホテルにやってきてからは、
何よりも、古いもの、歴史あるものに癒されていた・・・。
支配人の言葉を思い出す。
古いものを守っていくことで、大切なことを見失わずにいられること・・・。
このホテルは、何年経っても変わらず存在し続けていることに価値がある。
でも、ただそこに止まっているだけではない。
目に見えないほどであっても、時代や季節や、客に合わせて
柔軟に形を変えていける。
それは何より、確かな礎があるからこそ・・・。
「高島さん・・・。」
「はい・・・。」
「今のお仕事、お好きですか・・・?」
失礼な質問だと思っていた。
でも、素直に聞きたかったこと。
彼なら、真摯に答えてくれると思った。
「はい・・・、天職とは、まだ思えないですが・・・。」
今度は曇りのない素直な笑顔でこちらを見てくれた。
「自信もってください。 私が言うのもなんですけど・・・。」
「・・・ありがとうございます・・・。」
「私・・・ずっと最短距離ばかりを探していたんですよね・・・。」
「・・・・・。」
「ここに来て、本当に大切なものがわかりました・・・。」
「大切なもの・・・?」
「古いものを守ることも、回り道をすることも、
2杯目の紅茶にも、魅力があることも・・・。」
そう言って微笑んでみせると、
彼は少し驚いた顔でいたが、すぐにあの人懐っこい笑顔を見せてくれた。
「思い通りにいかないと、逃げることばかり考えてました・・・。
夢から遠のいていくんじゃないかって、不安で・・・。」
「・・・そうですよね・・・。」
穏やかなその返事で、彼も同じ境遇にいたことを確信した。
なにもかも、わかっている人なんだと・・・。
「まだまだ、いろんなこと、やってみないと・・・。」
「はい・・・。
無駄なことなんて、ひとつもないですから・・・。」
「・・・・・はい・・・。」
今まで頑張ってきたつもりだったすべてのことが
ここのところずっと、否定されたような気になっていた。
でも、何ひとつ無駄なことはなかったんだ・・・。
彼の言葉で救われたような気がした。
思わず隣を歩く彼の顔を見ると、
少し遠慮がちにこちらを見て、わずかに優しく微笑み、
静かに目を伏せた。
仕事の表情とは違う、控えめな気遣いのような・・・。
そう思うと同時に気づく。
涙を流していた自分に・・・。
気づかないくらい自然に、涙が流れていた。
でも、悲しい時や辛い時のそれとは違う、素直な涙だった。
まるで、何かを洗い流すかのような、よどみない流れ。
こんな涙もあるんだ・・・。
人前で泣くのは恥ずかしいことだと思っていた。
どんなにひどいことを言われても、泣くことだけはしなかった。
でも今は、この流れにまかせていよう。
悲しい涙ではないから・・・。
ブランケットが温かく包んでくれている。
湖面に目をやると、水面に映る月が涙で揺れて見えた。
立ち止まると、彼の足音も止まった。
湖面の月を見つめながら切り出す。
「高島さん・・・。」
「・・・はい・・・。」
「私・・・こちらに来て、本当によかったです・・・。」
「・・・西山様・・・。」
「忘れません・・・。
この景色も、ここで出会ったみなさんのことも・・・。」
「・・・どうぞ、またいらしてください・・・。
何も変わらず、お待ちいたしております・・・。」
「そうですよね・・・、きっと、何も変わらずに・・・。」
「はい・・・。」
「高島さんは、もっとステキなコンシェルジュになってらっしゃるんでしょうね・・・。」
「・・・あ、・・・それは、・・・どうでしょうか・・・?」
穏やかな気持ちで微笑み合って、また歩き出す。
もう迷う気持ちはなかった。
現実に戻ることも、素直に受け入れられる・・・
この場所がある限り・・・。
「また雪になるかもしれませんね・・・。」
「・・・そうなんですか?」
「少し雲ってきていますから・・・。」
湖面がわずかにさざなみを立てていた。
鏡のように映していた月も、輪郭がぼやけて見える。
「お寒くありませんか・・・?」
「はい・・・だいじょうぶです・・・。」
「お部屋にお戻りになりましたら
何か、温かいお飲み物をお持ちいたしましょうか・・・?」
「ありがとうございます・・・。」
ホテルの灯りが足元を照らし始めた。
彼が手元のランプの灯を消す。
振り返ると、湖面は暗闇の中で、月も消えてしまっていた。
テラスのドアを彼が開ける。
帰りを待ってくれている・・・彼がそう話したホテルの温かい灯り。
思わず、つぶやいてみる。
「・・・ただいま・・・。」
後に続いてドアを閉めた彼の、優しい声が聞こえた。
「お帰りなさいませ・・・。」
まるで一緒に冒険をしてきた友だち同士のように、微笑みあった・・・。
部屋に戻ると、携帯の着信ランプが点滅していた。
いつもは肌身離さず持っていた携帯も、
ここでは必要のないものに感じてしまって
出かけるときには持ち歩いていなかった。
留守番電話を聞くと、編集長からのメッセージが入っていた。
折り返し連絡が欲しいということだけ。
メモを用意して電話する。
「西山です、遅くなってすみません・・・。」
「待ってたんだよ! 西山、明日戻れる?」
「えっ? はい・・・。 昼過ぎには・・・。」
「正式に辞令が出てね・・・。」
「・・・はい。」
「〇〇編集部に決まったよ。」
「・・・そうですか・・・。」
「でね、次号が創刊100周年の記念号で、
特集記事増やすことにしたから人手が欲しいらしいのよ。」
「はい・・・。」
「うちはもういいから、すぐにそっちに行ってもらえるかな?」
「わかりました・・・。」
“うちはもういい”
その言葉に少し胸がうずいた。
でも冷静に受け止めることができた。
「西山・・・。」
「はい・・・。」
「長い間、ごくろうさま・・・・。」
「・・・えっ?」
「よくがんばったよね・・・。
最近は裏方が多かったけど、よくやってくれたよ・・・。」
「編集長・・・。」
「最初はどんだけ扱いにくい子かと思ったけど・・・。」
さっきから涙もろくなってるんだろう。
頬を涙が伝っていく。
「もう、どこに出しても恥ずかしくないよ。」
「・・・・・。」
「自分でも、わかるよね?」
「・・・・・。」
「辛かったと思うけど、ぜんぶ、必要なことだったんだよ。」
「はい・・・。 ありがとうございました・・・。」
「〇〇、どんな雑誌かもちろん知ってるよね?」
「はい。」
出版社の会社名が入った、創業と同時に発刊した歴史ある婦人雑誌だった。
取り扱う記事は、家事全般と時事問題が中心で、
はっきり言って、今の主流と比べると古臭いものだ。
目新しいものよりも、古くからの教えをつないでいくような雑誌。
自分のやりたかったこととは、まったく正反対のものだった。
でも・・・・・。
今なら、わかる。
伝えたいこと、つないでいきたいこと、守っていくことの大切さが。
「ここで、やりきることができたら、ホンモノになれるよ、西山。」
「・・・はい・・・。」
あたたかい涙が止まらない。
「あ、それから・・・。」
「はい・・・。」
「うちとこの、次の編集後記、あんたに任せるよ。」
「編集長・・・。」
「好きなこと、書いていいから。」
「ありがとうございます・・・!」
「一応、聞いておくけど、どんなテーマにするつもり?
って、急すぎるっか。」
「いえ、書きたいこと、あります。」
「うん。」
「・・・“トラディショナル”について、書かせてください。」
「・・・ふぅ~ん・・・。 そっかぁ・・・。」
「あ・・・、やっぱり、ダメですよね・・・?
コンセプトからは、かけ離れすぎですよね・・・。」
「え? ううん。いいよ。
ファッションはトラッドから始まるんだから。
もちろん、ファッションのことに縛られなくてもいいけどね。」
「ありがとうございます・・・。」
「まさか、あんたの口から“トラディショナル”って言葉を聞くなんてね。」
「ふふっ、そうですよね・・・。」
「もしかして・・・、今やってる取材先の?」
「・・・はい・・・。
取材はムリでしたけど・・・、感じたことがあって。」
「うん、わかった。
戻ったらそれどころじゃなくなるから、
こっちに着くまでに書き上げておいてよ。」
「はい。」
「じゃあ、よろしくね。」
「編集長・・・。」
「うん?」
「本当に、お世話になりました・・・。
まだ半人前ですけど・・・、
ここまで育ててくださって、ありがとうございました・・・。」
「・・・なに言ってんの! らしくないよー。
じゃあ、気をつけて帰っといで。」
電話の向こうの少しの間合いを、今なら感じ取ることができた。
「はい。 失礼します・・・。」
携帯を閉じる。
いつのまにか、涙は止まっていた。
ひさしぶりの、安堵感に満ちたため息をつく。
「・・・ありがとう・・・。」
何かに、誰かに向かってではなく、自然と口をついて出た。
部屋を見渡す。
小さな椅子や、レトロなルームキーや、
窓の外、降りだした雪にも・・・。
優しい気持ちでありがとうと言いたかった。
そして・・・、あのひとにも・・・。
そのとき、ドアのノック音がひびいた。
あわてて涙を拭き、ドアを開ける。
いちばん会いたかったひとが、目の前で微笑んでいた。
「西山様・・・、お飲み物をお持ちいたしました・・・。」
「・・・はい、ありがとうございます・・・。」
「失礼いたします・・・。」
木製のワゴンを押す彼を部屋に通す。
「お口に合いますかどうか・・・。
ホットミルクとビスケットでございます。
はちみつは、お好みでどうぞ・・・。」
子どもの頃の冬の夜を思い出すような取り合わせだった。
「ありがとうございます・・・。」
「それでは、失礼いたします・・・。」
頭を下げた彼に言った。
「高島さん・・・。」
呼びかけに、少し早めに姿勢を正して、優しい笑顔を見せる。
「はい・・・。」
「明日・・・なるべく早く、東京に帰りたいんですけど・・・。」
「かしこまりました・・・。
お時間は、お決まりでしょうか・・・?」
「あ、お昼頃に戻れるくらいで・・・。」
「承知いたしました・・・。
それでは、特急の時間とお席の確認をいたしまして、
のちほどご連絡させていただきます・・・。」
「はい、お願いします・・・。」
「お仕事で、いらっしゃいますか?」
「はい・・・、新しい部署に移ることになったんです。」
「それは・・・、お忙しくなりますね・・・。」
「そうですね・・・、でも、がんばります。」
「はい、陰ながら、応援させていただきます・・・。」
「ありがとうございます・・・。」
静かに微笑みあう。 それだけで充分だった。
一礼をして、彼がワゴンを押して出て行くのを見送る。
「あの・・・。」
部屋の外に出た彼の後姿に声をかける。
こちらに向き直って、明るい表情で微笑む。
「はい・・・?」
聞きたかったことがあった。
でも・・・。
「あ、・・・ありがとうございました。」
「いいえ、・・・それでは、のちほど・・・。」
「はい・・・。」
「失礼いたします・・・。」
ドアを閉める。
聞けなかった。
明日、彼に会えるんだろうか・・・。
今日と同じシフトだと、彼の勤務時間内には会えない。
せめて、昼前までいたほうがよかったのかな・・・。
明日の朝、出発するときには、彼はいないかもしれない・・・。
ぽってりとしたカップを両手で包む。
はちみつを混ぜたホットミルクは
じんわりと身体の中からあたためてくれた。
彼からの電話が来たら、
その優しく響く声を忘れないうちに
そのまま眠ってしまおう。
こんなにのんびり、ゆったりした気分で過ごせる夜は
もうないかもしれないから・・・。
明日の朝は、慌しくなるに違いないから・・・。
やっと空が白みはじめた早朝のロビーは
昨日と違ってひっそりと静まり返っていた。
ここに来て、まだ2度目の朝。
数時間後には見慣れたビル街の中にいる自分を
想像することはまだ難しかった。
ここでの、ゆっくりと流れる時間に
すべてを受け入れてくれる空間に
いつまでも抱かれていたい気持ちを静かに封じ込めながら
ロビーをゆっくりと見渡す。
コンシェルジュデスクには、誰も座っていなかった。
暖炉の前のソファセットに目をやると、
最後にもう一度会っておきたかった人がいた。
「・・・二宮さん・・・?」
本を読んでいたその人は、ゆっくりと顔を上げた。
「あら、西山さん、おはようございます・・・。」
「おはようございます・・・。
昨日は、ごちそうさまでした・・・。」
「いいえ、こちらこそ・・・。
ご一緒してくださって、ありがとうございました・・・。
もうご出発ですか?」
「はい、急に仕事が入りまして・・・。」
「そうですか・・・、寂しくなりますよ・・・。」
「はい、私も・・・せっかくお友達になれたのに・・・。」
「でもね、またいらしてくださいね、ぜひ。」
「はい・・・。
ゆうべはご挨拶できないままでしたから
お会いできてよかったです・・・。」
「あぁ、そうでしたね・・・。
高島さんが迎えに来てくださったでしょう?」
「はい、かなり先まで行ってしまったんですけど・・・
迷子にならずにすみました・・・。」
「ちょっとうらやましかったんですよ・・・。」
「えっ?」
「高島さんとふたりっきりのお月見・・・。」
その言葉を軽く受け流すことができずに
自分でも笑顔が不自然にこわばるのがわかった。
静かな湖面に映る幻想的な月。
踏みしめる雪の音と、彼の優しい心遣いのことば。
そのすべてに包まれて、こころのままに流した涙・・・。
それ以上何も言わず、いちだんと優しく微笑む彼女に、
なにもかも見透かされているような気がした。
「西山さん・・・。」
「あ、はい・・・。」
「いいお顔されてますよ・・・。」
「えっ?」
「おととい、レストランでお見受けしたときは、
ずいぶんお疲れだったから・・・。」
「・・・そうでしたか・・・?」
「いい3日間だったんですね・・・。」
「・・・はい、とっても・・・。」
穏やかな気持ちで微笑みあう。
「それでは・・・、これで失礼します・・・。
二宮さん、どうぞお元気で・・・。」
「西山さんもね・・・。」
優しい笑顔に見送られ、フロントに向かうと、支配人がやってきた。
「西山様、おはようございます。」
「おはようございます・・・。 昨日はありがとうございました・・・。」
「こちらこそ、ありがとうございました・・・。
またどうぞ、お茶のお時間にでもいらしてください・・・。」
ユーモアに満ちた笑顔で丁寧に頭を下げる。
「はい、ぜひまたご一緒させてください・・・。」
「どうぞ、お気をつけて・・・。」
「お世話になりました・・・。」
チェックアウトの手続きをして、玄関へと向かう。
どこからか、近づいてきた昨日の若いドアマンが声をかける。
「西山様、ご利用ありがとうございました・・・。
お車のご用意ができております。 どうぞ・・・。」
ドアを開けてもらい、外に出ると、
黒塗りのリムジンの前に立っていたのは・・・。
「・・・高島さん・・・?」
「おはようございます、西山様・・・。」
もういちど見たかった、コンシェルジュの制服姿で・・・。
もう会えないと思っていた。
昨日までの記憶の中の彼を胸にしまっていこうと思っていた。
雪はわずかにちらちらと舞い降りていたが、
雲間から陽の光が差し込んできている。
きっと、勤務時間ではないはず。
それなのに、完璧に身支度をして明るい微笑みを見せている。
最後のさいごまで行き届いた気遣いに、
また涙腺が緩くなりそうになる。
でももう涙は見せない。 明るい笑顔でお別れしよう。
「特急のお時間は、ただいまのところ予定どおりでございます。」
「ありがとうございます・・・。」
今になって、もっと時間がほしいと思う。
他愛ないおしゃべりがしたい。
彼と言葉を交わすほどに、心が癒され、満たされていく。
ほんとうは、少しだけでも、触れてみたかった。
言葉だけじゃなくて、その肩でも、ジャケット越しの背中でも・・・。
ゆうべ、湖畔でブランケットを肩に掛けてもらったときも、
指先さえも触れずにいた。
もしも、あのとき・・・
この胸にゆっくりと歩み寄り・・・
そして、もしも
優しく受け止めて、抱き寄せてくれたとしたら・・・。
どんなふうに、抱きしめてくれるんだろう・・・。
きっと、その優しさやあたたかさが
今まで感じたことのない気持ちを呼び覚ましてくれるに違いない。
すぐそばにいるのに、永遠に遠い距離だった・・・。
ほんのわずかな時間だけで、
そう、初めて会ったのは、一昨日の夜だったのに、
切ないくらい、恋をしてしまっていた・・・。
そして、その恋も、まぼろしだと気づいてもいた。
「高島さん、お世話になりました・・・。
本当に・・・いろいろと助けていただきました・・・。」
「いいえ、私はなにも・・・。」
「また、来ます・・・。」
「はい、どうぞまたいらしてください・・・。」
「・・・10年後になるかもしれませんけど・・・。」
「いつでも、お待ちいたしております・・・。」
「あ、10年後とかだったら、高島さんいらっしゃらないかもしれませんね。」
「えっ? 」
「どこか、ヨーロッパの老舗ホテルに引き抜かれてたりして・・・。」
「それは・・・夢のあるおはなしですね・・・。」
一緒に微笑みあった。
「私も、がんばらなきゃ。」
「はい、・・・ご活躍をお祈りしております・・・。」
「高島さんも・・・。」
「ありがとうございます・・・。」
「それじゃ・・・。」
自然に先に回りこむと、リムジンのドアを開け
乗り込むときには、さりげなく頭の上に手を添えてくれる。
まるで映画のワンシーンのように思えた。
ウインドウを開ける。
「お世話になりました・・・。」
「こちらこそ、ありがとうございました・・・。
どうぞ、お気をつけて、いってらっしゃいませ・・・。」
「・・・いってきます・・・。」
ドアマンと並んで深々と頭を下げる。
ゆっくりとリムジンが動きだすと、
頭を上げて、もう懐かしささえ感じるような
心からの笑顔で見送ってくれた・・・。
すがすがしい気持ちでずっとその姿を見ながら、
やがて、車が門の外に出ると、ホテルの外観も見えなくなった。
なぜか、寂しくも悲しくもなかった。
まるで夢から覚めたような、真っ白な気持ちになっていた。
新しい場所が自分を待っている。
もう、勇気を持って飛びこんで行ける。
頭の中は、編集後記のことでいっぱいになっていた。
何年後か、また帰ってこよう。
次の仕事で“ホンモノ”になれたと感じたときに・・・。
今より年を重ねた彼は、もっとすばらしいコンシェルジュになっているはず。
落ち着いた物腰や、少し低くなっているだろう優しい声と、
きっと変わらない、人なつっこい笑顔が迎えてくれるだろう。
いつか、笑顔で戻ってこよう・・・。
雲間から青空が見えている。
ひとつぶの雪が、開けたままの窓からふうわりと舞い込んだ・・・。
「えっ・・・? 高島さん、今日は休みじゃ・・・。」
ドアマンが訝しげに話しかける。
「はい。 休みですよ。」
「まさか、西山さまをお見送りするためだけに・・・?」
「そうですよ・・・。」
「すっげーなぁ・・・。 オレ、マネできないわ・・・。」
「松本さん、言葉に気をつけてください。
どこでお客さまのお耳に入るかわかりませんから・・・。」
「失礼いたしました・・・。」
ふたりで目配せし合い、ドアマンはホテルの中へと戻っていった。
その後姿を見送り、早足でスタッフのロッジのほうへと向かう。
玄関先でふたりの女性スタッフが心配そうに待っていた。
「たかしまさーん! なにやってるんですかぁ?!」
「また休日出勤するつもり~? 今日はダメだよー!」
「早くしないとスキー場混んできますよ!」
「すみません、お待たせして・・・。
すぐ仕度しますから
もう少し待っていただけますか・・・?」
「じゃあ車あっためとくね!」
「運転は、僕がしますから!」
「はいはーい♪」
「お願いします・・・!」
笑顔で頭を下げると、ジャケットを脱ぎながら階段を上っていく。
残されたふたりが並んで駐車場へと歩きだす。
「あの微笑みで、なんでも許せるんですよね~。」
「スキーはプロ級だし、英語もペラペラだし~・・・。」
「あ、こないだワインの買い付けの電話されてたけど、
ドイツ語っぽかったですよ・・・!」
「さっすが支配人がスカウトしてきただけあるよね!」
「だからってカッコつけないし、気さくだし~。」
「でも、肝心のとこは結構ナゾだらけなんだよね・・・。」
「う~ん・・・、でもそこがまたステキじゃないですかぁ♪」
正面の車止めに、新しいリムジンが滑り込んできた。
ホテルのドアが開いて、ドアマンがスーツケースを抱えて出てくる。
雪にかこまれた、都会とは違う時間の流れのなか、
これまでと“変わらない”一日が始まる・・・。
おしまい 08,Aug.2010
《さいごに。》
日常生活のなかで、何かの節目にさしかかった時、
ナゼか不思議に、それまでかかわりのなかった人に出会ったりしてました。
答えは自分で出してはいるんだけど、
そのひとのなにげないひと言や、勇気をもらえる笑顔に
自信を持って進んでいこうと思わせてもらいました。
それは特別なできごとじゃなく、誰にでもあるちょっとしたこと。
生きていると、ちっちゃな分かれ道は何度もやってくるし。
ものがたりのなかで、コンシェルジュの高島くんは
なーんにも活躍してません(笑)
ただ、そばにいて優しく見守ってるだけ。
そんなひとが、今のせちがらい(爆)世の中、
ホントは一番必要な、ヒーローなのかも(*^。^*)
・・・・・理想を描きすぎて、相葉くんのキャラでは妄想困難になりそうだよ(笑)
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