宇宙は本の箱

     宇宙は本の箱

六次元講義(10) 日本最古の学び舎にて


太陽はまだ高かったけれど、風はさやかに吹きぬけた。
アメノコヤネノミコトの春日もそのようなものだったかもしれない。

野兎が第三の眼の中を駆けて行ったと、あの方はやけに神妙な顔で細い道を歩かれ、
向こうでは、煙草の香りが風に運ばれて香ばしいと笑顔がたえなかった。
いにしえ偲ばせる階段を降りようとして、私は胸を広げ大きく息を吸った。


知は知でしかないからそこには重みがない。
今の世はGoogleひとつあるだけでも相当の知者にはなれる。
だが、音声として表出された言葉の重みを知る者は誰ぞ。
文章化された言葉の洗練の度合いを知る者は誰ぞ。


風を感じる。体で覚える。これは空楽先生。
そこに知を与え智を生きる。これは私。
愛が劣等性を優等生にかえると、健造先生はいつも言われた。
それはもう古代の御魂鎮以前の人のあるべき姿だ。



追記

淡の上方様の高天原に行った時、帰り際、江戸時代には火の玉が夜毎飛んで終いには夜店まで並んだという場所を通った。
そこらあたりのどこかで天の岩戸と関係ありの石に触らせてもらった。
どちらかも石は確かに生きていて、一方の石は死んでいた。
皆、そう感じた。
そういうことがあった。


さらに追記。

宮川考古学資料館に行った時、神がかりの方が、鳥居さんに光が来て、記念撮影のような場面が写ったといわれた。工場で働く人達でにぎわっていて、いわんや糸魚川からの推奨の加工に当たった人達というような話だった。
記憶に誤りがなければ。





© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: