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BONBONを思い出すと、どうしたってTちゃんや六君のことを思い出す。Tちゃんは天使のような女性だった、私には。だから初恋の人と結婚できた。私はそう思っている。私の住む街をはじめて一緒に歩いた日、初恋の先輩にばったり出くわしたのだ。互いにびっくりして会釈をし、振り返り。その時の予感は当たった。Tちゃんはとうに私の前からいなくなっていたけれど、一度は会った。私は女性社員に呼び出されて、何事かと思いきや、花束貰って、映画に招待されて、というように、大体どこでも女性達には気味悪いくらい持てていたが、Tちゃんはたった一人で、会社を首になったあと、そんなふうに私を招待してくれた。けれど、それまで私は悲しかった。悲しくて胸が痛かった。その日、私は遅い時間になって、京都行を命じられた。直帰してもいいと言われたが、それがどうも京都についてからも気になって、悪い予感がして、仕事が終わると社に舞い戻った。スタッフは三人ばかり残っていたが、皆、妙によそよそしく、じきに帰ってしまった。おかしな雰囲気だと思いつつ、机に座って引き出しを開けると、白い封筒が目に入った。Tちゃんの置手紙だった。便箋には 今までありがとう。これでよかったと思います。 後悔していません。それだけが書かれていた。私がいないところで、それは決められた。私がいると強行出来なかったからだが、それは上のものの私への思いからでもあった。 しようがないよ。君が動けないし、ね。むっくんだけは残っていて、慰めるように、一緒に帰ろうか、と言った。 あほ!馬鹿!死ね!私はむっくんに八つ当たりして、会社を一目散にあとにした。満員の地下鉄で、扉付近に立って、外を見ていると、涙が頬をつたってきた。もうどんどんどんどん溢れてきて、私はぬぐいもせず立っていた。そばにいたサラリーマンふうのおっちゃんが、失恋でもしたんか?って声をかけてきた。満員の地下鉄で、人はさぞ怪訝に思ったことだろうが、涙はとまらなかった。だって、天使が飛んで行ってしまったんだから。。。得だとか、損だとか、仕事だからとか、仕事でないからとか、そういうことを考えることすらない成人した女性。ああ、いってしまった・・・そういう想い。その日は涙はどこから出てくるんだろうというくらい、泣き続けた。むっくんは、一人会社に取り残されて、会社で夜を明かしたらしかった。愛人のところでもどこでも行きゃーよかったじゃないかと言うと、アッハハ、と、男前の顔を崩して笑った。それが少し救いだった。むっくんは御曹司だったから、教育費として、こちらが反対にいくらか差し上げても宜しいからと、社に母親が直訴してくるくらいだったから、クビになる心配はなかった。私にすれば、むっくんはべつにクビでもよかった。むっ君は、実は出来る男だった。私は知っていた。あれらはすべてポーズで、ただ、どこかに、誰かに、何かに、反抗していたいだけのことだった。
2012.12.30
二人の企画が終わっても、すでに日課になっていたようなBONBON通いは続いた。ある日、Oさんが言った。「僕の秘書にならないか?」「ならない。どうして私?」「僕は頭のいい女が好きなんだ。顔はブスだけど我慢するよ」そう言って、いつものようにハハハと、朗るい声で笑った。「女は馬鹿なほどいいっていうじゃない?」「いや、馬鹿は馬鹿にしかなれないが、賢い女は馬鹿にもなれる」「ふ~ん。でも、選ぶならあなたより社長を選ぶ」「あんな奴はダメだよ。意味ないよ。金も儲からないし。経営者じゃないだろ?」「うん。でも、心は通う」「どうして?僕と君は求めてるものが同じだと思うんだが・・・」「全然違うでしょ?性格もなにもかも。六つくんやTちゃんの方が心が通う」「それなんだ。君がどうしてあの二人を可愛がるのか。あんなの君の足をひっぱるだけで、ろくな者になりゃしない。社会ではただの屑だよ」「うん。一方ではそうかもね」可愛がるっていう表現はあてはまらなかった。その二人は私より何歳か年上でもあったし。Oさんはもしかすると私の年を知らなかったのかもしれない。私は生まれた時から老けていたし。「あんな奴らほっとけよ。君のためにならないぞ」そんな話をした日があって、それから何日過ぎたのか。もうそろそろ、BONBON通いも終わりにする時が来ていた。恋人とも友人とも過ごしたいじゃないか。、そんなある日のことだった。その日遅くに、いつもより少し沈んだ声で、Oさんが聞いた。「君は大恋愛をしたことがある?」大恋愛というのはどういう恋愛なのか、私にはわかりかねた。一筋の恋のことかな?「うん、たぶん」「多分じゃなくて、はっきりと」「うん、ある」「君は愛に飢えてるね」「うん、そうかもしれない。でもその私を飢えさせる愛は、人が考えてるようなものじゃない。家族、恋人、友達。とても愛し愛されてる。でもなにか、何かが違う」「君と僕とは求めるものが同じなんだ」「それは違うと思う。全然違う」「なら、どうして君は毎晩ここにこうしている?」「惰性でしょ?習慣?」「一人の若い男と女が、毎晩ここに来て、ケーキと珈琲を飲んで帰った、かー」ハハハと、Oさんは笑ったが、顔は笑っていなかった。そして「帰ろう。送って行くよ」そう言って立ち上がった。「いい、一人で帰る」私はそう言ったが、Oさんが送るって言ったのははじめだったということに気が付いた。「送るよ。待ってて。車とってくるから」深夜、Oさんの車で送ってもらって、しかし実際、仕事をはなれると、Oさんと話すことはなにもないのだった。それくらい、私達は多分違っていた。生きてきた環境も、考え方も、生きかたも。Oさんが言った。「三千院に行ったことある?」「うん、ある」「今度一緒に行かないか?僕はそういう古寺巡りなんか好きなんだ。隣に女のこ乗せてね。もっとも特別な娘(こ)だけだけどね」ハハハ。Oさんは運転しながら笑った。午前零時。私たちはあれから一度もあわず、当然BONBONには行かず、丸福に行ってもそこは通り過ぎた。けれど時折、あの賑やかな日本橋を通るたび、「秘書にならないか」と言った、「君は大恋愛をしたことがある?」と聞いたOさんを思い出して、あれはなんだったんだろう~と考えることはあった。若社長は、淡路恵子がいいと言っていたから、そんな秘書を見つけたかもしれないし、存外、可愛い子供なんか産まれていて、金儲けなど眼中になくなって、子煩悩になっているのかもしれないと、そんな想像をした。産まれた子供はミルクがわりにココアなんか飲んでいたりして、なんて。若き日の一ページでしかないが、私はずっと「送るよ」と言ったあの夜の、いつになく寂しそうな横顔のOさんを、なぜか今でも、ずっとたまにでも、思い出すのである。
2012.12.30
三ヶ月か、四ヶ月か、毎晩、何個もケーキを食べ、珈琲を飲んで帰る、一組の男女がいた。もっとも男の方はいつもココアだったが。何かやたら真剣に喋ってるかと思うと、何も喋らず本を読んでいたり。男はいつも傍らに紙袋を置いていた。Oさんはいつもお菓子屋に寄り、チョコレートやお菓子を買った。チョコレートを買わない日は、馴染みの店だと言って、今はもう立ち退きでなくなった、老舗のおはぎ屋さんに入った。そんな日は折角だからとおしるこも食べた。甘いものは奥さんへのお土産かと思っていたら、Oさんが大の甘党なのだった。甘党につきあうはしごは、日本橋一丁目が最終地。別れる駅だが、では最後にもう一軒。BONBONはそこにあった。古くなってしまったけれど、多分今もそこにある。ある夜、そこのウエイトレスをからかった。「僕達、どういう関係に見える?」「恋人同志なんでしょ?毎日一緒ですよね」「違うよ。僕はブスは嫌いなんだ。僕が好きなのは君だから毎晩来てるんじゃないか」「あ、それは、あの~、その~」しどろもどろしてるウエイトレスに、八重歯出して笑いながらOさんは言った。「君は男に騙されるタイプだね」「え?どうしてわかるんですか?」「顔がね、そういう顔なんだ。君は田舎はどこ?」「長崎です」「君みたいな人はね、国に帰って、素朴な人と結婚するのがいいよ。都会は君に向かない」Oさんが真面目ぶってそう言うと、「実は私もそう思っていたんです」と、にこりともせず彼女が大真面目に答えたので、知らん顔していた私はおかしくて笑い出してしまった。次の日、彼女の姿はなく、知らないウエイトレスがいた。聞くと、急に田舎に帰ってしまたとかで、「あの人、本当に騙されたのかな~?」と、笑いながらも少しは神妙になった。そんなことがあった。私は十九になっていなかったと思うが、Oさんもまだ二十五くらいだった。私はむっくんと組んでも良かったのだが、Oさんが是非とも君と仕事がしたいと言ってくれたから、ある企画を練っていて、それで毎晩一緒にいたのだった。一緒にいると、時々、個人的な話もOさんはした。都会のど真ん中に生まれ育ったボンボンは好き勝手に生きた。夜の女達の蠢くスナックやバーに子供の頃から入り浸り、狭い路地を駆け抜けた。「ある時、僕は小学生だったんだけどね。母親がね、その狭い路地で、見知らぬ男に抱きついて、チュってしてるんだ。その時の寂しさ・・・君にわかるかな?ミナミの路地裏を歩いてると、知ってる人のそういうのによく出会う。それがなぜかすごく寂しくてね。寂しいから、もう大学で結婚したんや。アイビーのかっこしてね。外車乗って。結婚もして」「倦怠期?」「いや。僕の奥さん、綺麗だし」「なら、早く帰ればいいのに」「いや・・・なんか寂しいんや」ネオンだけきらびやな、都会の夜の寂しさは、いいようもない寂しさだ。けれど、Oさんの、愛してる妻の待つ家に帰らない寂しさは、私にはわからず、仕事の話から惰性で、深夜遅くまでそこにいた。勘定はいつもOさんが払った。ボンボンの財布には、いつも給料の何倍もの札が入っていたけれども、Oさんは札が今何枚あり、小銭は今いくらあるかを全部知っているような人で、金銭感覚が鋭かったから、Oさんのそんな孤独はちょっと意外な気もしていた。〈ふいに思い出したから書いてみたが、眠くなってしまった。 続きはまた明日。
2012.12.29
ついさっき阿修羅で見た。ありもしないことを書くなんて、信じられん世の中だ。やっぱり陰謀ってあるのね~。森ゆうこ名誉毀損裁判で勝訴http://www.asyura2.com/12/hihyo13/msg/575.html1991年の年明けだったか、土日連休明けだったか、「戦争ですよ!」受話器の向こうから、仲の良かった営業さんのパニクった声が聞こえた。営業さんは意外に肝が小さかったのか、よほど顧客が損出したのか、膝のガクガクが止まらないんだと言った。あの頃の外電にはまだロイター発、という文字が必ずあって、日本市場がしまっている真夜中に、あちゃらで重大事が起きて、朝一番、日本パニックなんていうことは珍しいことではなかった。それがメディア操る側の作戦でもあった。単純といえば至って単純だったが、閉鎖中の市場では処置のしようはなかった。では、朝起きてぶっ飛んでりゃー、しばし見定めてから売ればいいようなもんだが、相場というのは人の懐具合を見ている。売りたい時には元手なし。パッチはこうもんならしてやったり。敵は踏ませて取る。次は投げさせて取る。そこはプロだもの。鏑木風林火山の嘆くこと、嘆くこと。しかし湾岸戦争の頃って、まだ原油30ドルくらいだったんじゃなかったっけ?昨日、年内最後の給油。この間より8円高。年明け150円台だったらまだいいが、もしや為替円安手伝ってぶっとび170円なんて。貧乏人のくせに車四台だからな~、家計に響く!しかし電車利用ならゆうにその三倍かかるしね。灯油もあわせて高くなる。いかんともしがたい。解散劇あった頃から、安倍政権誕生っていうので、経済関係者はドル&株協力買いだったらしいが貧乏人には無縁の話。金は金を稼ぐ。その大ペテン円安は、戦後経済路線推進者を喜ばすが、景気回復、所得増以前に低所得者層を直撃するのではないかという懸念。当たらずば幸い。ニュースでは来月からか、再来月からか、住宅ローン金利引き上げとか。首謀者は誰か?為替は年末年始連休中に乱高下がよくあるが、安倍さん、舵取りたのみますよ。
2012.12.29
『論理を生きる人間より、論理以前の人間』欲望は世界を制す。欲望は正論に勝つ。まさに!いやというほど経験ずみ。ふいと自分がつくった労働組合に追い出されたマルクスを思う。あれも一種の権力闘争。妬み。嫉み。権力の世界のそれ、妬み、嫉み、自己保身、などは女性のそれよりも恐ろしい。相手を追い落とす、嵌める。そのエネルギー量たるや半端でない。筆舌に尽くし難い。吉本が言っていたが、小泉は『勢い』だった。勢いだけでやった。中味なんかなかったし、パフォーマンスだけだったが、勢いで魅了した。であればこそ、米の手先かいなと思うようなコメンテーターだった平蔵理論も罷り通った。魔に支配されたようなあの声には、この耳が耐えられず、よくWBS切った。罠に嵌められた理路整然派植草氏とはよく対立していた。『大衆潮流』対『無言の知』メディアと一体の小泉氏『大衆潮流』は強かった。『無言の知』は負け続けた。面白くはあったが、最後、心楽しまなかった。いつの世も正論は現実からは阻害され、負け続けるというわけだ。正論が正論として認められるのは時を経てからのこと。悪魔は笑い続けるわけだ。それでも小説風応援歌だ。小沢一郎を社会的に抹殺しようとまで憎む者たちとは、いったい〈何者〉なのだろう。そして、それに立ち向かい、地べたに叩きつけらる度に、泥を払って起き上がり、ファイティングポーズをとり続ける小沢一郎とは〈何者〉なのだろう。さらに、そして、小沢一郎という政治家一人を排斥するために、大量のエネルギーが費やされる平成日本とは、いったい、どんな〈時代〉なのだろう。ー泣かない小沢一郎が憎らしい 世川行介ー
2012.12.28
真の「自立」ということ。これは十九から二十歳になった時の私の課題だった。そういうことを年いってからまた考えるようになったのは、先生の代理をやっていた頃だった。あまりに上澄み飲んで生きている者が多い現実を知らされたからだ。それまでの私はそういう者とは必要最小限のご縁縁だけで生きていた。かかわる気など全然なかった。それに第一、自立自立と言いつつも、この世は相互依存で成り立っている。今風の良い言葉で言えば多かれ少なかれ「絆」で成り立っており、持ちつ持たれつであるから、どこで自立を示し、どこでどんな依存を容認するかは個々人の問題もあり、言葉ですべて表すことは難しい。というところで、また真の自立とは程遠い者から電話がかかってくる。何十年それはそれで何かの固い信念で生きてきた者の魔を追い払うは難しい。そんな者に構うより、若者、幼児構うほうがよほど将来の為である。見捨てるわけではないが、列車はすでに加速がついているから、急がねば危ういと思ったのだ。まー私なんぞがそう思っても、別段世の中変わるわけではないけれども。いつもいつも自分で物事を解決できないとはどういうことか?そこにはいつも人を批難して生きてきた姿がある。内観研究所の合宿は、一に反省、ニに反省。寝ても反省、起きても反省、である。GLAだっけ?高橋信次の所も、反省、反省、反省だった筈で、弟子の長尾先生の所の合宿も、反省+行動だった。何かあれば相手を罵倒。それで幕ひきで気がすむのなら、自立なんか望むべくもない。自分変わる必要なし。あんたが悪い、あんたが変われ。というわけで、反省なき者に進歩なし。
2012.12.28
小沢一郎を社会的に抹殺しようとまで憎む者たちとは、いったい〈何者〉なのだろう。そして、それに立ち向かい、地べたに叩きつけらる度に、泥を払って起き上がり、ファイティングポーズをとり続ける小沢一郎とは〈何者〉なのだろう。さらに、そして、小沢一郎という政治家一人を排斥するために、大量のエネルギーが費やされる平成日本とは、いったい、どんな〈時代〉なのだろう。ー泣かない小沢一郎が憎らしい 世川行介ー そういう本がある。小沢氏嫌いの人の書いた本かと思いきや、どうもそうではなく、数々の陰謀に、陰でしか泣けない男一郎に思いを馳せ、支援せずにはいられない、そういう小沢支援者のものらしい。が、単に小沢氏を飯の種にしているんだという説もある。それはともかく、それこそ今度ばかりは、男一郎泣いたという。以下、サンデー毎日1/6~13号より。今発売中なのかな?《投開票の2日後、「国民の生活が第一」を解党して一兵卒になった小沢一郎のもとに、落選議員たちが訪ねた。小沢氏が何と言うか。あまりにも理不尽な対応だったら、彼らは離れていくことも選択肢にあった。その中の一人は、小沢氏にこう迫った。「私は小沢さんのおっしゃる地域活動をやってきました。しかし、維新が(独自に)出馬したら勝てません。(小沢氏が言っていた)第三極の連携ができなかった」すると小沢氏はなんと目に涙を浮かべてこの議員に深々と頭を下げたという。「本当に済まなかった。力が足りなかった。(落選した)みんなのことはなんとかする」こんな打ち砕かれた小沢氏を見るのは初めてだ。逆にこの議員は意を決した。「あの涙を見て、小沢さんほどの大政治家が自分以上に無力感に打ちひしがれているんだと感じた。 「お前の努力が足りなかった」などと言われたら決別するつもりでしたが、責めるのは小沢さんじゃなくて、自分に甘いところがあったんじゃないかと》これを書いたのは鈴木哲夫というジャーナリストで、Googleで検索すると【フジでは鈴木哲夫氏は明らかにフジの論調の違う記事──小沢氏のことをまともに書くジャーナリスト】と、あった。ということでついでに色々開いてみると、小沢氏関連いっぱいあるではないか。一般にはこういうのがいい。実にわかりやすい。何をしてもしなくても、メディアに否定的にしか取り上げられない小沢氏だが、(今回も『未来』、選挙中は全く無視で、選挙終わったらやたら取り上げる)メディアにそこまで嫌われる理由とは、鈴木哲夫に言わせると、ちっとも難しくなく小学生にもわかるくらい明快で、非常にまともなことを言っているからなんだそうである。メディアとは、まともなことを正直に言う人を嫌う傾向にあるらしい。さて今後、小沢氏はダーティ小沢と銘打って、表舞台に堂々立ち、自論をただ展開すれば良いのです。私なんかはそう思います。与党の夢は今しばらくはないのだから、もう気に染まぬ連携など考える必要なく、「これが小沢だ。俺がやる!」こういうのがいいと思いますね。大松監督じゃないけれど、日本を真に憂える士は、「俺についてこい!」小沢信者はそれを期待し、死ぬまでにその姿を見てみたいのでしょう。小沢一郎という人は本当はすごくシャイなんだと思うんですね。そこを破る。ところで気になることが一つ。鈴木哲夫氏の文に、選挙前、急激に未来に期待が集まってるというのがあったが、であればこそ、メディアは口裏を合わせたかのように、別段ニュースにするほどのことでなしと嘯いて、未来無視し続けたわけだが、ジャーナリストとして、どこを、何を根拠にそう言ったのか?もしその感触が正しかったのであれば、どこいらで評判は逆転したのか?不正は本当にあったのか?あったという人達は選管ムサシが怪しいと。先進国にあるまじき噂だが、どちらにしても、今後は投票用紙は残し、向こう一年くらいは保管するくらいのことは必要なのかもしれない。※泣かない小沢一郎が憎らしいの前書き→http://blog.goo.ne.jp/mugen_007
2012.12.27
作夜はとうとう息子は帰って来なかった。なんでも実家に帰り着いたのは午前三時だったとか。厳しいね。春夏秋冬毎年のことなのだから、会社に宿泊室でも造ってやればいいじゃないか、従業員増やせばいいじゃないか、と私は思うのだが、役員の給与は百万を越していても、従業員への思いやりは全然ない会社である。息子はまた六時に起きて、また出かける。他の従業員も似たり寄ったりだ。それでも息子はここに帰って来るよりは、往復で三時間位助かる。丁度睡眠時間分位。この時期、息子がかわいそうに思えるのは、食べられないことである。朝、寝起きでもあり、スープと軽い食事を私は用意するが、昼は十五分くらいの休息時にこれまた何かを流し込むだけ。次に夜食と称して、コンビニおにぎりかパンかが与えられるらしいが、彼はそれを食べない。いくらお腹がすいていても、そんな食事を彼は普段から忌み嫌っているから、とても食べる気になんかならないのだと言う。彼の鞄の中には、食べないおにぎりやパンがいつもたまっていく。最初から貰うな、断れ、と私がきつく言うから、最近は持ってかえらなくなったが、昨日もやはり、昼を食べたあとは午前三時過ぎまで何も食べてはいなかったらしい。そして朝六時。主人のことだから、何か用意してあげたには違いないが、疲れのとれない体でまた電車に乗る。奴隷だね。韓ドラの歴史もんによくあるじゃーないか。さんざ働かされておにぎり一個。出エジプト記。モーゼいないの?しかしそれもこれも本人次第なのである。そんな会社辞めたっていいのである。就職先決まらず天が見放すなら、それも運命なのである。が、そもそも少し給料が上がるか、少し休みが増えるか、そのくらいしか息子は望んでいないのであるから、そんなささやかな夢もやれない会社は、人を雇う資格がない。しかしこのご時世、労使双方、どこへ行こうともたいしたことはないと踏んでるふしもある。おまけに息子の方は、ほん子供の時以外は、大層な夢や目的は持ったこともない。本が買えて、ゲームが出来て、たまに美味しいものでも食べられればそれでいい、という人生である。しかしそれでも、親の目には、この次男もまた求道者なのである。話していれば判る。しっかり己を持って、それを出さず隠さず、飄々と自在に生きてるような長男とは全然違うが、ただのゲームおたくではない。きちんと人を見、きちんと世の中を捉えてもいるのである。感心してしまうこともしばしばなのであるが、揉め事嫌いのせいか少し大人しすぎる。その性格と、いまだ女子高生のアイドルみたいな容姿とで、上司に甘く見られていたりするのだ。一昨日など、疲れてぐったりしている終電車で、胡散臭いおっさんに高校生と間違われ、夜遊び族のように思われて、説教くらったというのだ。アイドルどころか、奴隷なのにな~。ところで大犯罪はいけないが、ちょっと悪いことしてム所暮らしっていうのもいいかもな。あれって一人年間300万くらいかかるんだってね。奴隷暮らしよりいい。イギリスは動けないほどの肥満人を、年間1500万以上かけて養ってるというから、ブタになって働かないって手もあるぞ。息子よ。午前三時勤務はあと三日だ。それ以上細くならないよう、冷たいおにぎりでもなんでも食べて頑張れ!
2012.12.27
寝る時間が三時間を切ってくる日が続くと、流石に時計に起こされる。しかし、それももうあと五日ばかり。やれやれ。と思いきや、来年は年明け休みは二日しかなく、またそれが続くらしい。労働が一層体に堪えるのは、ちっとも脳が喜ぶようなことがない所為である。時間外労働はすべて無給だから会社が存続出来ているのかもしれないし、このご時世、訴えるとか、転職するとかいっても、それも難しい話だから一層精神も身体も萎えていくのである。住居不定。無一物。無国籍。なんていうのはどおお?、ヒメミコの時代なんか結構いいかもって思うけど、だけど現代人があそこに投げ込まれたら、まーとてもじゃないが生きていられないよね。だって暖房ないのいやだもの。寒がりの息子は笑う。それでも何も無い原野に一つずつ何かを築いていく、そういう夢は楽しい。やっぱり原始時代に生まれてくるべきであった、なんて。朝陽が差し込んできた。今日は洗濯物は乾くだろうか。そろそろ正月用の買い物もして、親猫の部屋も傷物できないようにしておかねば。明け渡したような私の部屋は、襖も障子もボロボロで、もう張替えはしない。正月は四匹の猫達の威嚇合戦で大変だろうな~。
2012.12.26
昨日はケーキも食べず、本を読んでは寝、本を読んでは寝、時間にしたら結構寝ていた。そうだ、たまには丸いケーキでも買いに行こうと思った時はもう遅かった。家々の人目をひくように飾られたイルミネーションも今日はもうなくなるのだろう。毎日赤々と夜中中電気のついている家もある。うん、電気は足りているようだよ。しかし夜明け前に出ていく日が続き、ほんと眠い。息子はさぞしんどいだろうな~。おまけにこんな親がいるからね。早く死んであげるのが子孝行というものだ。うちの親は子孝行だったな~。そう思う時、私に思い出される笑顔がある。大本二代目教主のおスミさんの笑顔である。勿論冤罪だが、受刑中に、明日だったか、一週間後だったか、死刑になると聞かされて、ああ、ようやくあっちの世界に行けるのかと思うと、自然笑みがこぼれてきたというのだ。思い出すのはその時の写真だが、もうなんと形容したらいいのか、幸せがこぼれたような笑顔なのだ。それは年寄りが臨終の際に見せる、もうこの世に思い残すことのないというあの微笑みとは違う。どちらかというと、オリンピック出場が今決まった選手のような、そんな笑顔かとも思うが、至福というか、なんとも形容し難い笑顔なのである。あんな嬉しかったことはなかったと仰っていたんだとか。ところで、昨日、私と同じことを思っている人の文を読んだ。西郷さんの死に方のこと。死に場所のこと。小沢氏をそこに重ねる。実は西郷さんは今でこそ英雄だが、当時は相当に不可解な人で、嫌う人も多かった、こういうのが本当だ。凡庸な人間に大器のことは分からぬ、というのが正解だ。多分。そういう意味では、今の時代ではともかくも、死後の小沢氏は結構いいかもしれない。小沢騒動があるたびに、政治家としては珍しいくらい多くの書物が上梓されていて、それらはいつか捨てられても、少しは資料として残る。後の世代には、一度も日本のドンにならずに散った男は、結構暖かく迎え入れられるかもしれない。
2012.12.25
『人物破壊』『人物破壊』とは?標的を実際に暗殺する代わりに、対象の世間的な評判や人物像に致命的な打撃を与えて、表舞台から永久に抹殺する手法。遂にはその名前を聞くだけでも嫌悪を催すまでに人々を洗脳することを『人物破壊』というらしいが、小沢一郎は口を結んで強靭な神経で立っている。ただ周りは破壊された。妻、息子、精神を病んだ。小沢一郎がただ普通の政治家ならそうはならなかっただろうに。なら小沢は政治家をやめて家庭的に生きるべきだったか?使命を自覚する男にはそれは出来ないことだ。その苦悩。想像にあまりある。しかし男は決して口を開かない。それがその男の耐え方か。意に介さないか。受け取り方は様々だ。映画の世界か。おそらく事実は小説より悲惨である。政治関連の書籍は買ったことがなかったが、この選挙ではいい勉強をさせてもらって、ついでだから小沢本ニ冊購入した。そのうちの一冊が『人物破壊』。副題は『「誰が小沢を殺すのか?』である。これは二十年の長きにわたり人物破壊され続けた小沢一郎のことを書いた本ではあるが、実は特異体質日本メディア論である。興味深かったのは損失補填という言葉が毎日のように聞かれた証券スキャンダルの実態。またリクルート事件の件。また堀江氏の件。日本にとって大切な人物達を易々と失って嘆かない、特異なシステムを持つ日本への杞憂が書かれている。しかしこの本の本当の読み処は、第五章以降なのかもしれない。『戦後日米関係という病理』がそれで、これら外交の真の姿は、メディアが取り上げたことしか国民にはわからないという実情がある限り、何が正しくて何が正しくないかは、他の問題より一層分かり辛いが、日本丸の行方を案じ、また期待し、と言う人には一読の価値はありそうである。或いはそれはこの本より『アメリカとともに沈みゆく自由世界』を読む方が、詳しくていいのかもしれないが、末尾の対談もそのさわりとなっている。
2012.12.24
何気なくテレビをつけたら、大江町に帰郷して、一人田舎暮らしをしている人の話だった。月一、東京からやってくる奥様と、霊峰氷室岳に合掌されているのを見て急に思い出した。あの日は道端に虹が出来ていて思わずパチリ。内宮にお参りした後で寄る天の岩戸。産盥も、上からだが必ず見る。外宮では詠うように踊るように、美しい祝詞を奏上している人達に出会い、感銘して聞き入ったということがあった。振り返って写真を撮っていた主人を見ると、毎朝祝詞を奏上していたという母親を思い出したとかで、うるうるとしていた。その人達は猿田彦でも、内宮でも、踊るように詠うように祝詞を奏上していた。その時のメロディは今もかなりの部分覚えている。どこの教団の人か聞いてみれば良かった。上は外宮の御神木。こう調べていて内宮の写真がないことに気がついた。内宮の写真は、参道の倒れた癌の巨木だけだ。先に行った時にはなぜか病気が治っていたという有り難い元伊勢巡り。また行きたいと思いつつ、今日に至っている。倒れた巨木はとうに片付けられて、参道は綺麗になっていることだろう。
2012.12.23
部屋が急に暗くなってびっくり。空は一瞬で黒雲に覆われたみたいだが、雲は見る見る流されていった。気がつけばなんということもない。ベランダに出てしばらく空を眺めていた。
2012.12.22
いまだ人間を幸福にしない日本というシステムhttp://sun.ap.teacup.com/souun/9504.html何気なく生きてるぶんには、日本は良い国だと思うけれども。どうなんでしょう?
2012.12.22
三日三晩暗いとか?しかし、これで三週連続土曜日は雨です。車の中は切った木で満杯です。来年からは有料だから、毎年春秋処理しきれないと出費が大変ですわ~。萱でボロ屋根でも作りたいと思ったりします。拾ってしまった猫は予防注射もして避妊手術もして・・・う~ん、うちは貧乏なんです。でも、この仔猫、お腹が太鼓みたいなんです。食べるわ、食べるわ。過食症になってるみたいで、餌をやらないでいるのが大変です。うちは人間様も猫様も少食なもんで、皆、呆れてみています。赤ちゃん猫ダイエットなんて聞いたこともない。。。 ↓布団干し用のものが置いてある所で遊ぶ。
2012.12.22
今日も かく陽は昇り、かく陽は落ちぬ ?マヤ暦、明日からは新時代なのか?それは奴隷解放時代の幕開けなのか?子供の頃、穴倉で考えたワンワールド。それは子供らしい思考の果ての精神的ワンワールドだったが、大人になって知ってみれば、全く逆のワンワールド。しかし木の葉に表裏ありと悟りを拓き飛翔した人がいたように、善も悪も表裏。浅薄なワンワールド論者が盲目なのも致し方なし?長いものには巻かれろという格言もある。それが生涯安泰に過ごす最善の道かもしれない。何を好んで・・・?しかし、ここしばらく、もう知っていることも多いのだけど、パソを開いて小沢関連読みまくっていたら、情報垂れ流し量はネット普及で昔の比ではないね。いつも秘書にまかせっきりで自分は情報収集怠っている都知事の放言や、岩手遊説中の大地震で、中央に対策本部設置しようと帰ったことが放射能恐さに逃げ出したや、善意にとるか、悪意にとるか、好きか、嫌いかで見方は随分かわり、~まー、中立的立場の人達は、何がなんだか判らなくなるのも無理はない。疑惑は収拾されない方が好都合だという、そういう作戦もある。テレビや新聞なんぞ、昔から自分達の流した情報のその後がどうなったのか、結論はどうなのか、放置しっぱなしというのが許されている媒体である。ネットは言うに及ばずか。私はほんの少しではあるが、警察にもテレビにもお世話になったことがある。警察なんていうのはわざと罪を重くするような文言入りの調書作成なんかお手のもの。脅しやすかしなんか日常茶飯事である。長時間の取調べに容疑者が根をあげるのを待つ作戦が多い。これにしびれを切らして、いい加減な調書にサインするのは大抵男性である。その理由はなんとなくわかるような気がする。一方テレビときたら、一流大学を卒業した者達ばかりだろうに、ろくに勉強もせず取材に行くから馬鹿な質問をよくする。取材したらしたで番組のの方針に不都合のところは当然とばかりに切る。阪神淡路大震災の時取材された女子大生も、実は仮設住宅のことで言いたいことがあって出演OKしたのに、肝心のそこはばっさり切られ、某タレントの活動を賛美する箇所だけがアップで放映されたと後日憤慨していた。要は宣伝に使われた。マスコミなんてそういうもんである。そういえば、ちょっとしたことで知り合ったシナリオライターが言っていた。親しい友人が元愛人を刺して捕まったのだが、友人は固く口を閉ざしてなにも言わなかったそうだが、新聞にはもうあることないことまことしやかに書かれていて、友人は事件のことを除けば、非常に聡明な素敵な人なのに、まるで極悪人扱いだった、と。知らない人には極悪人。ありそうな話である。
2012.12.21
私は時代劇が苦手である。この間は主人が時代物を借りてきて、一緒に見ようと言ってくれたが断わり、おかげで少し主人の機嫌を損ねてしまった。史実物だろうがなんだろうが、私は斬りあいの多いドラマは苦手なんである。子供の頃は兄が借りてきた資本のチャンバラ漫画もよく読んだが、絵では良くても、なんともリアルな映像の中のナイフや刀が全然ダメなのである。切られるところでは絶対目を瞑っている。剣道は好きなのにである。空楽さんは勝つための剣ではないというから、そこが剣道とチャンバラの違いなんだろうが、とにかくキレルみたいな場面に出くわすと、死ぬならナイフよりピストルだと思う。ピストルでの安楽死という選択肢があればいいと思ったりする。ま、それはともかくも、ドラマなんか真面目に見れば、結構歴史理解の役に立つと思えるが、そんなふうだから私はいつまでたっても歴史上の人物達のつながりがよくわからないんである。堀部安兵衛って赤穂浪士ってどんな関係?ってな具合で馬鹿丸出しだ。苦手といえば、今日は蛇が出てきた夢を見た。たとえ吉夢だと言われても、蛇様だけには安眠妨害ご勘弁願いたい。置物でもビニールおもちゃでも蛇には出会いたくない。来年は蛇年だから新年早々いっぱい見るんだろうな~。
2012.12.20
「平野貞夫著『小沢でなければ日本は滅ぶ』を読んで」 日本一新の会・達増 拓也 (岩手県知事) 平野貞夫先生の近著『小沢でなければ日本は滅ぶ』(イースト・プレス)の読みどころは多々あるが、私が特に重要だと指摘したいのは、東日本大震災後の小沢一郎氏の動きである。 民主党の代表経験者や自民党の総裁経験者などを動員して、菅内閣を指導する「非常事態対策院」を設立する構想があり、その構想の中心に小沢氏がいた、ということが『小沢でなければ…』に書かれている。3月19日に行われた菅首相と民主党代表経験者の会合が一つのハイライトだったが、菅首相が突如、谷垣自民党総裁に電話で入閣要請をして断られ、挙国体制はひとまず頓挫した。 その後、3月28日に中曽根元首相にこの構想が伝えられ、中曽根氏もその気になったのが二度目のハイライトである。小沢氏は、そのような重要な状況下で、同日岩手入りして東京にとんぼ返りしたのだった。しかし翌日、菅首相サイドが断って来て、構想は幻に終わる。 私は3月16日の岩手県災害対策本部会議の席上、マスコミの前で、関東大震災の直後に政府が帝都復興院を設け、岩手県水沢出身の後藤新平が総裁となったことを紹介しながら、今回は「東北復興院」が必要である、と述べた。水沢を含む岩手県南をエリアとする「岩手日日新聞」だけが翌日記事にした。その週末に共同通信から受けたインタビューでも同じことを述べ、そのインタビューは共同通信の配信網には乗ったが、掲載した新聞は無かった。 私は岩手県水沢出身の小沢一郎氏を総裁とする「東北復興院」の設立を期待して発言していたのであり、同じ時期に国政の中央で「非常事態対策院」構想を巡る動きがあったのだが、実を結ばなかったのは本当に残念である。被災県の知事として自重していたのだが、もっとはっきりと、「菅内閣の対応ではダメだ」「超党派の挙国体制が必要だ」「小沢一郎氏が災害対策の指揮を執るべきだ」と発言すればよかったと反省する。 「被災地が地元なのだから、小沢氏はすぐに、ずっと、被災地入りすべきだった」という意見があるが、挙国体制作りこそ小沢氏がすべき、小沢氏でなければできない、重要な役割だった。6月の菅内閣不信任案を巡る動きも、その一環だったのだ。 また、「小沢氏が大震災に背を向けて東京から逃げようとしていた」というのは全くのでたらめだ、ということもよく分かる。そもそも発想の次元が違う。なお、小沢氏が東京にあって、震災がれきの処理などの重要課題に適切に対処していたことも、『小沢でなければ日本は滅ぶ』に書かれている。 これを書いている今日、小沢氏の二審無罪判決が出た。私は、ツイッターに次のように書いた。 「小沢一郎氏無罪。この間、多くの国民が検察の問題や戦後史の本質について深く学び、主権者国民の自覚によって日本を建て直さなければと痛感したと思う。大震災に引き起こされた自覚と相まって、日本を変える力になると期待する。」 今からでも遅くない。小沢一郎氏は、自覚した国民と共にある。自覚した国民の力が、新しい日本を創る。 (終)追記☆本号は無限拡散希望につき、転載許諾を必要としませんので、お取り扱いをよろしくお願い申し上げます。 2012年11月14日
2012.12.20
久米晶久の酒井勝軍はいっこうにすすまない。資料が多く、それには興味をひかれるが、登場人物が多く、またその人物達の解説があまりに多すぎて、ちょっと食傷気味である。昔、親しげに話しかけてくる共産党員がいて、その人は他人のことを話す時、必ずやどこで調べたのかと思うくらい他人様の経歴を詳しく述べてから話すのが常で、こちらは閉口していたが、その人を思い出した。他人の経歴はさらりと。どうせ話すなら、そこでのその人の振る舞い、どのような考えで、どのような行動をしたのか。或いはまたちょっとしたエピソード。そういう語りがいい。やたら生い立ちやら学歴や職歴を並べ立てて人の気を引こうとする姿勢をさもしく感じた。そういうものに惹かれる人が多いからかもしれないが、そこは臨機応変。さっと人を見抜いて言葉を選べるくらいでないと尊敬もされない。話が横道にそれちゃったな~。読み手をひっぱる力を司馬遼にでも習いましょ。漱石書き写したとかいう出久根さんでもいい。この本は評伝物だから、経歴は人格にあらずではあるが、経歴は勿論重要である。が、他人のことは極力スリム化して、思わず読者を引きずりこむ力は必要である。
2012.12.20
選挙戦中の12月12日、外国人記者クラブで一つの会見があった。冒頭、外国特派員協会のバウムガルトナー会長は小沢氏をこう紹介した。「戦後日本を代表する政治家のひとりであり、メディアによる人物破壊(Character Assassination ※)の犠牲者である小沢一郎氏を歓迎します」。 日本のマスコミからは徹底的に嫌われる小沢氏だが、海外メディアの評価は180度異なる。小沢氏が、メディアや官僚から集中的に人格攻撃されたことを世界は知っていた。小沢氏はこう挨拶したー 「新党は何をめざしているのか?と皆様(海外メディア)からも聞かれた。形の上では新党だが、基本的な政治哲学や政治姿勢については、政権交代で民主党が国民に誓った「このように国を作り替えたい」ということを思い続け、今後もそれを継承して目的を達成したい」。それから各国メディアによる質疑応答が順番にあり、最後に我々は日本のマスコミとは違い、あなたをいつでも歓迎する、というような文言で、その日の会見は締めくくられたようだ。外国人記者というのはいつも凄いと感じる。ジョークやウイットを挟みながら、よく勉強して的確な質問を繰り出す。堕落しきった日本人記者とは全然違い、洗練されている。ガルトナー会長の冒頭の言葉は、会場に温かな雰囲気を醸し出したが、実は笑い事ではない。これが学校でのいじめ問題ならどうだ?公平平等を謳う側が平然といじめをやる。報道の公平性に大いに疑問のある日本メディアへの批判のようにも感じる。彼らはメディアにかかわる一員として、この小沢の未来の党に大いに興味を持ったからこの会見を望んだ。外国人にまで興味あることが、国内では抹殺されていることへの不信がそこにはある。民主党政権発足直後、鳩山小沢路線で、米国の年次要望書を突きかえしてからの悲劇。人物破壊、人格破壊工作。これが一般人ならどうだろう?しかし小沢氏は破壊されず、正気を失わずそこにいる。その精神力たるや凄い!反省も何もない加害者側の者に問う。君なら正気でいられるか?不勉強の輩は、小沢氏が房総で試食したにもかかわらず、釣った魚を放射能恐さにすぐ捨てたとか、岩手に知事に会いに行ったにもかかわらず逃げていたとか、妻のニセ手紙とか、すぐにばれてしまったような偽情報をいまだ信じている。それは心理学的に言えば、自分がその立場になったらそうしそうな人間だから、少し考えたらすぐ分かりそうなそういうことを即信じるのである。ところで、その外国人記者クラブでの会見を翻訳をした人が、敵ながら、と、自分もこういう演説がしたいと、小沢氏の演説を絶賛していた。こんな演説がしたい。こういう演説が出来る者になりたい。そう思ったそうである。同感である。日本の今の政治家の中では、小沢氏の演説だけが傾聴に値する。筋が通っていてわかりやすい。訴えるものがあり、その基本姿勢は変わることがない。政策が変わったら変わったで、その説明はきちんとなされなければいけない。政治家の演説の見本である。勿論、その内容や政策について一々賛同する必要はなく、批判するは自由だ。私はこの年まで、選挙の為の演説など耳をふさいで通っていた。それが今回はじめて、小事件のあったタワーホテル前での小沢一郎の演説を聞いて驚いた。ただ声高にがなりたてているあの選挙戦独特の演説ではない。そこですでに大体知っていることではあるが、あらためて私はそれまでの小沢一郎の演説も聞いてみることにした。小沢一郎ここにあり。小沢は口下手だというが本当か?小沢は実は浪花節だから、口を固く結びひん曲げているという噂は本当かもしれないと思った。私はシベリア拘留時、過酷な取調べに対して、石原吉郎が言った言葉をまた思い出した。「私が人間なら 彼らは人間ではない「彼らが人間なら 私は人間ではない」壊し屋の異名を持つ男は、その信念ゆえに妥協を許さず壊さねばならなかった。日本株式会社に就職したような者達の権力に取り込まれていく姿が見える。 彼らが政治家なら、小沢は政治家ではない。 小沢が政治家なら、彼らは政治家ではない。暇なせいで政治ごとばかり書いてはいるが、実は私は政治には興味がないのである。興味あるのは一人の人間の生き様なのである。だから安倍さんも案外好きだし、期待もしているのであるが、人間安倍には興味がないと、ただそれだけのことなのである。誤解なきよう。
2012.12.20
色々おかしな事件?不可解なことがあったのは事実で、もっともな意見も色々あるにはあるが、だから自民圧勝はおかしいということにはならない。しかし、これだけは絶対おかしい。出口調査も圧倒的。開票8時、開票率0%で当確続出。じゃなかったっけ?三原じゅん子オフィシャルブログhttp://ameblo.jp/juncomihara/archive11-201212.html#main不正があったかなど、ちゃんとした証拠でもない限り、誰にも確たることは言えない。しかし、多くの者が選挙速報を見ていて奇異の念を抱いたのは想像に難くない。私がそうだったからだ。未来の党が出来た時、良し悪しは別として、ストンと胸に落ちるものがあった。これで決まったね、これで終わりだね、多分そういう感じ。勝つとか勝たないとかではなく、選挙前のごたごた一件落着みたいな。それで選挙戦に入ったら未来無視だったから、これはやられるな~と思った。思ったが日本国民はそんなに馬鹿じゃないから、維新の半分は行くと思った。結果から数えたら約30議席。G7だかG20だかに出席した時の、自国の首相の情けない姿をなんとも思わないらしい日本人が多くなった?そうかもしれないね。自立なんてどうでもいいじゃないの。米依存大好き、ってね。
2012.12.19
12月21日。中国では基督教系宗教団体が問題を起こして逮捕されたとか。そこで終末を迎えるなんて、騙す方も騙される方も頭がいかれている。ここ奈良では昨日も振り込め詐欺にあった人がいて、奈良は今年はこの詐欺で去年の六倍もの金がどこかに消えてしまったというが、騙す奴は勿論悪人でも、我が子の声も、喋り方も聞き分けられず騙される人の多さには呆れてものも言えない。どなたかのブログにあったリセット。おかしくなったことは全てリセット出来たらどんなにいいだろう。相場なら、しまったら仕舞うは勇気さえあれば出来るが、現実の世はそうもいかない。ノストラダムスの時は結構多くの者が終末を期待していた。マヤ暦の今度もそうだ。ありえないと思いつつも。12月21日。半数は闇の中に置き去りにされ?半数は光の世界へ?まーそれも嘘で、圧倒的多数は闇の中。5%だけが飛翔。こういうのが正しい。勿論それはアンバランスも甚だしいから極ジャンプも起きそうなのだが、バランスの良い世界とは五分五分の世界ではない。四分六なら大いに喜。おそらく七三。八ニ。これくらい。リセット出来ればこれにこしたことはないが、生きている現実は、折角天がリセットして下さったかの地でさえ、元もとの路線なのだから、誰がどこで部分リセットしようとも、いつか来た道なんだろう。意識改革三割は達成されたのかな?近頃世間様と付き合いのない私にはよくわからない。
2012.12.19
心なしか、テレビでは明るい話題が多くなってきた。バックにある巨大な力を否が応でも感じる。選挙前は無視して、選挙後は色々取り上げるなんて、その可笑しさを笑いながら、それでもこれが民意なのだとも思う。安定。平穏。実に日本的。普通というやつはそれくらいいつも強い。真実なんぞ下々にはどうでも良い。皆、財布潤って欲しくて、325議席、法案何でも通過の安定政権に期待している。どんな人間でも、何らかの仕事をして収入を得なければ生きていけないのだから。政治家も例外ではない。はて、しかし、うっかり「家」と書いてから、私はまた考える。私は常々、国会議員無給なんてどうだろう?と思っているものだから。ボランティア精神だもの。名誉職だもの。名誉職=無給だよね、なんて。私の馬鹿な思いはさておいて、政治も職業には違いない。が、政治が職業なら、なぜに「政治家」というのか、そこは大いに疑問だ。政治「屋」でいいのに。どんな世界でも「家」と呼ぶに相応しいのはほんの一握りだ。実業家?芸術家? 「家」と「屋」。嘘っぱちなのは多い。党の名で当選したのだろうが、今度の選挙でも、新人議員なんか見ていると、就職先が決まって喜んでいる求職者のように見えた者が沢山いた。政治家として最も大切な資質を全然持ち合わせていない者のなんと多いこと。真っ当そうに見える政治家も、それら人も、皆一緒くたに政治家なんである。
2012.12.19
かつて吉本は言っていた。 僕の直接性が倒れたら、僕は華々しいことは一切しないで、もうひっそりと暮らすんだ。僕が状況を考えなくなったら、僕に直接性がなくなったら。そういう言い方をしていた。吉本の大衆の原像は好きだ。だが、大事のとき、概ね大衆は愚だ。『愚衆からは愚衆しかうまれず』元々大衆には我がことしかない。だから一々取り合う必要はない。そういう書も多数ある。その最も愚かなる者達の為にこそ死ねるか?ある日、それが問われた。聖者とはそこを生ききれる者のことだが、ただの賢者は愚衆の為には死ねず、人は去る。中道がいい。だがその中道は曲者だ。選挙が終わった今頃になって、あ~こういうことだったんだな~と愚衆の一人である私は気付く。べつに好きではないけれど、鳩山さんが民主党に残ったのも、小沢さんが党を出るのを少しためらっているように見えたのも。吉本が言っていた稀有の資質を持った男の直接性が、よってたかって否定された日。最近知ったにすぎないが、『日本の政界は、構想力雲のごときこの優れた政治家を、寄ってたかって潰してしまおうとしているのだろうか。それは嫉妬からか、反感なのか、はたまた“剛腕”を謳われた小沢一郎自身の、不徳のいたす所というほかないのか。』という江藤淳の文を思い出す。『日本権力構造の謎』の著者・カレル・ヴァン・ウォルフレンの最近の著作に『誰が小沢一郎を殺すのか』というのがあるが、江藤淳が生きていたら、たたかい敗れて山河あり。それこそ「小沢君、水沢へ帰りたまえ」というのだろう。『低きから高きは見えず』『短い物差しで長い物は測れず』異質はすぐに嗅ぎ別けるが、味覚音痴のグルメ族にその異質の『質』がわかる筈はない。遥雲氏なら、そういう質の話をされるかもしれない。どうでもいいが、次元も違うが、私は私のまわりにあった色んなことも思い出して、結構悲しんでいるのである。
2012.12.18
馬渕さんは話し方が誠実そうな人だったので、ま~応援しよう。負けそうでもあるし。投票率低調。自民圧勝。公明全当選。民主50。維新大阪強くても伸び悩み。あとはぼちぼち。こういう予想を私は家族には言っていた。予想は結構いい線行くと思っていた。なぜって日本ってそういう国だから。日本ってかわらんのね~という思いと、そこがいいのかもという思いと両方。自民党政権になって仮に景気が上向いても、日本の真の経済発展はとうに終わっているのだから、それは一部の企業がもたらす平均値の話で、それで下層階級がどうにかなるというものではない。それでも公共事業200兆が実施され、また東北復興も必ずやなされることを思えば、三四年は景気上向きになるだろう。が、そこで増税。ものは上がり税は上がり、所得は増えず、明るい来年を期待したいが、おそらく下々の者にはもっとひどい世の中が来るのだろう。それはそういう発展路線をとるかぎり、どこの党が政権をとろうともそうなる。嫌な予感。心ときめかない。ところで、私は選挙速報が嫌いである。開票率0%で当確とか、2%で当確とか。あれを見ると国民の清き一票なんか嘘臭くていやんなってくるんだそうである、我が息子達も。
2012.12.16
テレビの偏向報道は甚だしい。今にはじまったことではないが。しかし、ネットも同じくらい怪しい。
2012.12.15
また雨。これで三週連続、野焼きに行く予定の日が雨になった。毎朝霜は降りてるし、雪も降ったし、今年は大根は全滅だろうな~。何もしない農業というやつは、動物には勝てないし。農家は先々週も出揃って電柵を張っていた。これで益々電柵のない所に動物はやってくるだろう。農家でない私は、それもよしとするが、動物が絶対に食べないものを来年は植えようと思う。動物は食べないが、私達が喜んで食べるものってなんだ?研究所から食料備蓄の本の普及を頼まれるが思案中。ああいうものは地方自治体の中枢を動かすことが出来なければ大きな意味はないと思える。それはすぐ捨てられてしまいそうなパンフレットなんぞに効果はないと思える。あれでひどく共感するのは、休耕地、山、露地、庭の片隅などには、蕨、蕗などの、出来るだけ自然に育つものを植えておくようにするという所だ。それだとて、都会の狭い家に住んでいる者にはほとんど役に立たないが。どなたでしたかね、戦時中になぞらえて、一億総自給自足を訴えていたのは。どうせの普及ならそちらの方が楽しいし、一億総総庭付き住宅政策というのがいいし、そんな無理なこと考えるより、あそこは縄文時代の遺跡のそばに、縄文型村落共同体でもつくったらいいと思ったりする。一生、わくわくして、飛騨通いが出来そうな気がする。はて、生きておられたら、先生次は何をなさったでしょう?理事長は天孫宮の時、順番があると仰っていたけれども。
2012.12.15
作夜、駅前で停車すると同時に、ちっちゃなトラ猫が我が車の下に一目散に走ってきてもぐりこんだ。なんという危ない。50センチと飛べないから、まだ生まれて二週間くらいかと思う。飲み屋の人が餌をあげているらしいし、駅前だから店も沢山あって食べるにはいいかもしれないが、交通量のあんなに多い所では、いつかは車に轢かれてしまいそうである。手に抱くと逃げないので、連れて帰って来た。が、問題は我が家の黒猫たちである。小さな赤ちゃん猫なのに、その恐がり方がおかしいが、猫のことは分からない。赤ちゃん猫はさっさと寝てしまうのに、我が家の猫達は瞳らんらん。一睡もしていない。これは家出か、一匹は夜中に出ていったきり。もう一匹は朝方出て行ってしまった。仲良くする気はさらさらないらしい。そういえば昔、我が恋人の家に盆休みに遊びに行った時のこと。あそこの親猫は私が餌をあげても食べず、次の日からいなくなった。ご主人様をとられたと思っての家出らしく、私がいなくなったら帰ってくるからと、家の人達は誰も心配しない。そして案の定、私が帰ってしまうとどこからかひょっこり現れた、らしい。猫に仲良くね、って言っても難しいね。さて、猫保護センターに持っていくべきか、迷うのである。
2012.12.14
「貧しき者は幸いである」「若し地上に天国を求めば戦場の外になし」親鸞の 悪人正機 を思い出す。その逆説表現をどう解釈するかはさておいて、価値観の百八十度転換が戦場で起きた ということは珍しいことではない。酒井の真理の大転換は、欧米型近代よりも純日本式軍隊に軍パイをあげた。日露戦争従軍というけれども、接待役だった酒井の方向性が、どうもそこいらで決まった感がある。聖書学者・左近義弼との 宮中のいとやんごとなき場所に、古くから神体と仰がれていた鏡あり。 その鏡の裏の文字はヘブル語であった。 「我は有りて在る者なり」伊勢神宮と同じだが・・・運命か神意か。酒井のエジプト行きはまだである。音楽関係の資料続出で面白がって先が長い。こちらにもたまにお越し下さい。→http://blog.goo.ne.jp/mugen_007
2012.12.13
車のガラスというガラスに湯ををぶっかける。これが最近の朝の日課の一つである。私の車は外に出しっぱなしだからそうなる。どうぞ道が氷っていませんようにと祈るばかりだ。しかし道々の岐路に設置されているミラー、なにミラーというのか知らないが、あれはもう全然役にたちませんね。遅い時は昼になっても曇りが半分くらいしかとれていない。最近は良い季節というのが短い。ここまま行くと近い将来、夏と冬だけということになりそうだ。以前よく砂漠化がどんどん進んでるという番組があったが、最近はないね、と話す。本当の世紀末はこんなもんであるはずがなく、マヤ暦が7000年まであるという話に私は納得だが、その前に金のある者達はどこかの星に移住だね。車が温まるまで他愛無い話をする。温まってきた頃には駅に着く。蒲団に丸まっていたい時間だろうに、みんな勤勉だ。怠け者の私は帰ってきて蒲団にくるまる。遠い将来のことだが、こんな役立たずはとても宇宙船には乗せてもらえない。『少年の町ZF』だったかな。額に番号つけられて、知能の低い大きな番号の者は皆切り捨てられる、そんな漫画があったことを思い出す。
2012.12.13
昔の文学好きならば江藤淳は少なからず読んだだろう。私は読んだ。お年玉で『夏目漱石』を買ったし、『小林秀雄』に関するものも読んだ。吉本とは対談がよくあったから、ある時期まではそれら対談はほとんど読んだ。江藤淳を読まなくなったのは、『登勢という名の嫂』を二冊か三冊か読んだ後で、こちらは結構納得しながら読んだのに、あれは『漱石とその時代』という五冊本で、まだ続きがあるんだと知ってからだ。そこで気持ちが萎えたしまった。それでも一番最後に、なんだろう、たまたま吉本との対談を読むことになった。亡くなる少し前、それが吉本との最後の対談となった。すでに死を感じていたのか、その対談で「今日はあなたにあえて良かった」と吉本に言ったことが印象的で、対談の最後にもう一度「今日は本当にあなたに会えて良かった」と言った時には、吉本から随分離れていた私の心を代弁してくれているかようで涙が出てきてしまった。勿論、江藤淳は吉本と自分との間の意見の相違のずっとあったことが気がかりで、そういうこともあってそう言ったのだが、「大きくは違わない」という吉本の言葉に全てが救われたような、そういう物言いだったことを思い出す。思い残すことはないというふうな物言いだったことを思い出す。私が読むに吉本と江藤淳は本当に大差ない。私には当たり前過ぎた。しかし考えてみれば私は、江藤淳の思想にも、政治的発言にも興味はなかった。なかったから、産経がわざわざ『小沢くん、水沢へ帰りたまえ』と、原題を変えて本を出版していたことも知らなかった。『諸君!』はたまに読んでいたが、江藤淳がもし生きていたら、この人もしつこいから、今もまだ「それでも『小沢』に期待する」と言っていたのだろう。http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20120518/1337295198http://ryuubufan-78.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=4081236権力や金力にしか興味がないのは、小沢を潰そうとしている側の者達だと?読めばあの本は出版社側の意に反して、小沢擁護論だとは誰にでもすぐわかるらしいが、今どき江藤淳を読もうという人がどくのらいいるだろう。ましてやマスコミ信望者に。江藤淳《小沢くん、水沢へ帰りたまえ》全文http://obirayama.exblog.jp/14622576/
2012.12.12
私は過去に数回、本当に無作為かい?と疑いたくなるような電話調査、或いは文面調査を受けたことがある。普段の私は政治的話題を持ち込む者にいい加減に相槌をうっているので、私が自分達に都合のいい回答をしてくれると信じている者の仕業ではないかと疑ったものである。これらは狭い地域社会でのことであるが、ある時の調査は、福祉施設建設の是非についてだった。その調査紙たるや頭に来た。全項目、最初から建設を前提としたかのようなニュアンスの質問なのである。うまく誘導されるように書かれている。行間の読める人は騙されないが、素直に読んでしまう者は素直に書き込んだことだろう。結果がそれを示していた。いつぞやは総選挙時の調査も受けたことがある。その時も電話口での誘導に無性に腹が立った。質問の内容がすでに特定の党支持寄りに設定されていたからである。東北のどなたかのブログにあった『母が世論調査の電話を受けたが、自民と民主しか選択肢がなかったらしい。』というのは、本当のことだ。そういう世論調査の仕方なのである。経験上そうだと言える。大阪に住む私の時でさえ、それとあまり大差ない選択肢だったから、報道事情の良くない田舎はなおのこと、付和雷同型といわれる日本人の為の世論作りに知らず知らず加担させられているのである。ところで、群馬県の比例区では、民主党の比例区候補のポスターに「原発ゼロ」「消費増税凍結」と書いてあった。というのですが、ほんとうなんでしょうかね~?群馬は遠くて分からない。
2012.12.10
志おとろえし日は いかにせましな三好達治の詩が思い浮かぶ日は、先生の書を紐解き、また、空海の好きな所だけ読んでみたりする。 前生に善を修して今生に人を得。 此の生に修ずぜんば、かえって三途におちなん。 春の種を下さずんば、秋の実いかが獲ん。 善男善女、 仰がずんばあるべからず。 仰がずんばあるべからず。 雪が降るかと思いきや、一転青空である。
2012.12.10
しんしんと雪は降り 雪積もりぬ 日本列島雪化粧。 猫はびっくり お目目まんまる。ここ二日、私の好きな慈光さんは大雪日記、私は小雪にしてみました。今日は公園掃除は中止です。
2012.12.09
執着を捨てる。 すべて捨てても、人は何も失わない。それは、二十歳の時、 神は人間を平等に創り給うたという声に瞬時に納得した、あれと同じだった。あの頃は苦しさの極みでもがくことさえ出来ず、道端にしゃがみこんだりしていたが、二十年後の想いは光に満ち溢れ体は軽く、そこでは一切が感得されるような気がした。形あるものはすべていつかは失われ、けれど未来永劫ここにある。それは理屈ではない。翔んでみれば分かる。旦那様はとうの昔に元の家に帰ったというのに、仕事の都合で住み始めた家去りがたく、ずっと一人で暮らしていたおばあさんがいた。年も年だし、ここいらで主人の元に帰ると決心したとかで、引越し作業に追われていた。年取ったその人がひとり、遅々として整理の進まない薄暗い部屋の真ん中で、背中を丸めている姿はなんとなく哀れで、見ていると整理魔の虫が疼いて、思わず手伝ってしまったということがあった。荷物を運びながら片付け方を見ていると、進展しないのも無理はなかった。部屋にあるものはすべて思い出の品だから、手に取るたびに感慨にふける心情は誰にでも分かる。分かるがそれを分類するでなくそこに置く。そこに置き場がなければ手を伸ばして少し遠くに置く。意味もなくまた積み上げる。そういうことを繰り返しているのだ。おばあちゃん。まず絶対にいらないものを出して下さい。私、先にそれ捨てて来ますから。そうしたら少し減るでしょ?それから沢山持って行ったら実家が困るんだったら、どうしても捨てられないものだけ探すっていう方法もありますよ。そうしたらどっちでもいいものは後は片付けてあげますから。どっちにしても色々捨てないと、これ全部は持っていけないし、もし死んでしまった時も、ここにあるものの何か一つでも持っていけるってもんじゃないですしね。そうなんです。そうなんです。人生は捨てて捨てての連続でしょ?人間はいつかはきれいさっぱり全て捨てて、この身一つになって、心だけ持ってあの世に行くんですから。もっと早くに捨てなくちゃいけなかったのに、捨てられずに来てしまって。どうして私はこう執着してるんでしょう?奥さん、私は一体何に執着してるんでしょう?奥さんはまだ若いのに、なぜそんなふうに捨てられるんです?ああ・・・私ですか?私はどういうわけか、子供の頃からひっかかることがあるとそこから先には一歩もすすめないような子供で、そこにずっと立って動かないんですよ。おかげで頑固だとか偏屈だとか、愚図愚図しい子供だとかよく言われましたけど、納得できたらもう今度は誰がなんと言おうとさっさと行っちゃうんです。それで今度は自分勝手だと言われました。私、一生ということをよく考えたんです。そういう性格だからか、一生持つはずはないって思うものはほとんど買いませんでしたし、人からもの貰うのも嫌いですし、いらないものは気分がよくないので、その場ですぐ躊躇せず捨てますが、ほとんど困ることありませんでしたよ。この間は、それこそ死んでも捨てられないだろうと思っていた最後の一つのものを、なぜか喜んで捨てることが出来ましてね。自分ながらそれは奇跡だと思いました。何をそんなに執着していたんでしょうね~。自分の生きてきたことのすべてだったようなノートを晴れて捨てられると思い、そして心晴れ晴れ捨てた日の思いを簡単に説明することは出来なかった。仮に説明出来たとしても、それはおばあさんに伝わる言葉ではなかった。なぜなら、自分より長い生を生きてきた人に誠に失礼ではあるが、その時々、心を整理せずとも生きて来られた人にわかる体験ではなかったし、またどんな人であろうとも、執着を断つには断つの、自分なりの考え、体験が用意されているものでもあるとも思うからだ。執着をそのままに死ぬ人もある。この体の、穴という穴はすべて糞袋。目糞。鼻糞。耳糞。死んだらわしは本当の自由自在。と、先生は時にそう言われたが、私がその固執していたノートを捨てられた時の思いを一言でいうならば、その自由自在、或いは、この世での【自由自在】を心いっぱいに感じたからということになるのかもしれない。それは二十歳の時には到底かなわなかった、喜んで死ねる死 である。昔、長男小学三四年のことだったか、「お母さん、僕は自由が欲しい!」と学校から帰って来て言ったことがあった。「自由?お前のいう自由をあててあげよう」私は息子にその時息子が欲しがっている自由をいくつかあげた。息子は頷いた。「あんたはそれが自由やと思うか?それはただ単に自分の好き勝手なことやとは思えへんか?お母さんはこの年になってもまだ本当の自由ってわかれへん。心は自由やって分かっても、本当にはわかれへん。自由ってそんぐらい難しいことや」その【自由自在】。その時、昔々なくしてしまった翼が生えてきたのか、私は子供の頃の一番最初の理想に向かって、食えるも食えぬも天におまかせ、一生と決めていた仕事をやめて村に通いはじめたのだった。最早頓挫してしまったが。その時現われた新しい世界を夢見ていた神戸の人は、自分一人の身でありながら、家を捨てるどころか、小さな食い扶持にまで固執していたし、その村の指導的立場にある人は、定年もとうに越す年でありながら、財を引き寄せる策ばかりを講じていた。今の村の長達も七十はとうに越しながら、いざとなってもなにひとつ手放せず、変わらず再生ばかりを語っている。しかし私は私である。私は口で新しき村を唱えつつ、自分の殻から抜け出ようともしない者達をあえて批判するつもりはない。人は誰でも自分の人生は自分で生きる以外にはないからだ。固執し続けるも一つの人生の形だし、執着には良い執着も悪い執着もある。かつて生でひきよせた物は単なる物ではなく、円形には程遠くとも、愛した愛、愛したかった愛、愛された愛、愛されたかった愛である。それら一切を捨てるも、何も捨てないも、なにほども意識せずも、それもその人の自由である。ただ覚悟のない人生を、私が醜いと感じただけのことだ。覚悟あり、その覚悟を生き切るなら、その生は美しい。
2012.12.08
人生とは失い続けることだ と、むかし思った。誕生。100%の可能性。一つ失う。また失う。それと気付かず。反対に、時に、努力して新たな可能性を見出したと喜んだりする。そんなふうに考えた。生きていく時々、人はものを引き寄せる。気付かず失ったもののかわりか、あれが欲しい。これも欲しい。自分の好きなものをまわりに置いて喜ぶ。そこにあるものは物であると同時に、自分の心でもある。あのこが欲しい、花いちもんめ。好きな人もそばに置く。好きな所、好きな家に住んでみる。想い出いっぱい。人間ならば執着する。さてそれから・・・いっぱいいっぱい時は流れ、はたと気付く。 (急に睡魔。続きは明日書こう。おやすみ~)
2012.12.07
こんなの見つけました。小沢・嘉田知事対談http://getnews.jp/archives/276587ノーベル賞受賞式に向かった中山教授の姿をカメラがしきりと追っかけている。華やかな舞台演出を、純粋にその業績を讃えるものだと思える人は幸せだ。これはもしかしたら、競争社会を意図的に創り出している者たちの罠の一つかもしれないと、少し臍の曲がった私は考える。私はマザー・テレサを思い出す。機内食のこと。パーティでのこと。今、日本は政治の季節だが、政治家が一番恥ずべきことは、自国に食べられないものがいることなんだそうである。誰が言った言葉だったか。技術の進歩だとか、教育の充実とか以前になすべきことがあると。食べることさえおぼつかない世界があるかと思えば、一方で贅沢極まりない世界がある。街頭インタビューを聞いていると、今度の選挙での人々の関心は、消費増税と景気回復のことが多かった。放送では脱原発の文字などただの一つもでずで、そのくらい庶民は目先の生活に追われているということなのだろう。政府や企業は、優秀な技術、優秀な頭脳を最大限いかして、それを国益に結びつけて下々の者を救うというのが毎度毎度のパターンであるが、本当にそういう道しかないのか、それは高度成長時代の話ではないのか、もっと違う選択はないのか。時に考えるのである。2日の桑名市長選の報道なんてありました?http://blog.goo.ne.jp/hitsuku/e/e2b6780ae15e68b04e14b86b8c3ac634
2012.12.07
買い物好きの次男に冗談でそれとなくねだっていたら、昨日、会社帰りに買って来てくれたのである。私を養ってくれるし、言うことは聞いてくれるし、ほんに親に似ず出来た息子である。誰か嫁に来ておくれでないか。しかし本当はどちらでも良かったのだ。なぜなら、ぱらぱら見るに、どうも私の知りたいことはただの一行も書かれているふうでなかったからだ。知りたいのはエジプトで読んだであろう書の原題。難しくて読めないものでも、私は大抵書物は原本を探す。解説本は後回し。解説本は解説者のレベルで書かれる。その翻訳本があったとして、それ自体は解説本と同じ傾向にあるが、それでもやはり原本だろう。聖書だけを毎日読んだというエドガー・ケーシーは正しい。と、私は思う。プラトン君は一生かかってもギリシャ語でプラトン全集を読む、と言っていたが、それが正解だと私は思う。大本も天理も、おふでさきだけは繰り返し読むものだ。正しいという言い方はそれこそ正しくないかもしれないが、まーそう思うのである。用事が済んだら読み始めよう。知らないことが沢山ありますように!今こんな人がいたらピラミッド探検隊に私もなんとか入ってみたいと思う。仕事だったんだろうけど、ヘディンなんか素敵だ。もう随分前になるが、全集読みまくってしまった。実は楽しいどころか常に命の危険にさらされていたわけだが、読むだけの者はすべてに無責任でいられるから憧れてしまうのだ。
2012.12.06
インフレ誘導、目標値一%とかニ%という話はもうずっと以前からある。比較的好きな金融経済関係者達の著書にもそういうものは多かった。しかしである。私は経済関係者としてではなく、一人の人間として吉兆先生好きだから、吉兆先生の言葉を時折思い出すのである。宇宙の摂理に即した経済。目先の流れは変えられても、大きな流れは変えられない。人為的に何かやればやるほど、つけは後にまわる。大きな崩落、大きな瓦解が、先に待ち受けている。そして、それがいつかを予測するには、小さな流れに乗っている者には予測困難である。今のデフレが悪いというのは誰の入れ知恵だ?今のデフレは教科書で習ったようなデフレではない。反社会学講座にも結構的を得たことが書かれている。つらつら考える今の日本で、たとえインフレになろうとも低所得者層が助かるとは思えない。確かにインフレになれば、社会の上層部にいる人達、一部の優良企業とか、そういう所にはずいぶんと恩恵はあるだろう。また金その他高級品多数所有者には好都合だろう。が、安い海外労働力もある昨今、景気回復時でもいつも一番最後の低所得者層の給与がどこまで上がるか、雇用が増えるか、それは大いに疑問である。税金や物価だけ高くなってしまったということが起きぬようにと願うばかりだ。そしてインフレ志向の者達は、まかり間違ってもハイパーインフレへの道をつくってしまわないようにと願うばかりである。
2012.12.04
↑ 最初のアップの時は意気を呑むほど美しかったウンジュ。《Only when I sleep》が、ちょっとした名曲のように思えてきた昨日今日。
2012.12.04
死んだ気になってみて生きるーーーそこに新生の本当の生き方が、生まれてくるのではなかろうか。 (佐伯泉澄)たまには空海など。 いたずらに秋葉の風を待つの命を恃んで、むなしく朝露の日を催すの形養う。この身の脆きこと泡沫のごとく、吾が命の仮なること夢幻のごとし。無常の風たちまちに扇げば、四大瓦のごとくに解け、閻魔の使たちまちに来たれば、六親誰をか恃まん。 -教王経開題-人は誰でも死ぬ。いつとは言えぬ。この世との別れの覚悟だけは、いつもしておく必要がある。と、我ら凡人に佐伯泉澄の説く。そこまで来て、はたと秋介さん思い出した。これはことにあたっての覚悟のことだが。 人生は相打ち。 刀は大上段に構えるといかにも強そうだが実は恐い。 切先は前へ向ける。相打ちだと思えば、さほど恐くない。死ぬる覚悟。そこで今度は われは知る テロリストの 悲しき心を という啄木の歌が思い出された。
2012.12.04
最近は一日に二冊も本を読むと、簡単な本であっても流石に疲れる。一冊はチャネラーの本。私はチャネラーさんにあまり興味はないが、私とは比べ物にはならないにしても、位山の、あの足の治った岩の所から話が始まったから、ついつい読む破目に陥ってしまった。位山の次が天河で、次に大神、榎原、天河。更に皇大神宮、一願成就、五葉山。しかし、チャネラーさんというのは、私の知人もそうだが、凄すぎる半面、全然腑に落ちないことも随所にある。この本も同じ。遥雲曰くの質と関係ありかな~。さて、一緒に入っていた短い手紙のことで考えることあり、一日遅れてしまったが、先生の教師時代を読んだ。先生いきておられたら今年百歳だから、教え子ももうとうに他界している人多く、逐一取材、資料を基に書かれたとはいっても、もう知らないことはほとんどなかった。ただ、トインビーより十八年早い六次元論だと知ってはいたが、その資料が何冊か残されていたのには驚いた。昭和11年のもの。貴重だ。子供の頃から教師時代までも、人の目に見える先生はまるで二宮金次郎だったから、多くの人には変人扱いされたが生徒には抜群慕われた。知っていることばかりなのに、時折泣けて泣けてしようがなかった。人の家に飛び込んでまで英語のラジオ放送を聴き、免許を取り、書物はすべて鼻血で汚れ、貧しい中で、そのくらい勉強した先生だが、勉強ばかりでなく、自転車がパンクしない為に、わらを巻いて走ったなど、後年の先生の話は一部漫談だったが、そういう先生らしいエピソードも随所にあった。しかし読んでの感想は・・・先生のたたかいは長いな~ということだった。長い、長い。親の借金を返すのに十五年。遂に会えなかったけれども志津夫人に会いにいけるまででも十数年。大学に行くのに二十年。修身から倫理社会に行くまでに二十一年。福来記念館創るのに・・・?先生の不屈の人生。額に入れてもらった念が泣く。本の中で、先生が子供達にかけられたという言葉を読むと、目頭が熱くなる。先生の声がそこに聞こえるからだ。先生の、どんな時もゆったりと、しかも強く前を見続けるあの姿勢は、あれも質だからというのだろうか。健造は、教員をしながら、その間、自らも大学で通信制を卒業し、さらに夢や、六次元の研究を続け、家では田畑の作業をし、そのうえ病癖の児童、生徒、時には学校以外の人々を精神統一で助けたのです。本書で紹介したのはその一部です。この書の教師時代では、二十代のことが多く取り上げられています。仮免許時代です。淡方(アワガタ)、上方(ウワガタ)、若田と続いた、天皇家の口碑を受け継いだのもこの頃です。
2012.12.03
俺に是非を問うな激しき雪が好きかねてより見たいと思っていた【風と拳銃】を見ることが出来た。やくざ映画のコーナーに置いてあったと言って、主人が借りてきてくれた。まーそうだろう。私が野村秋介さんを知ったのはすでに故人となってからだ。テレビを見なかった私は、数々の事件は知っていても、秋介さんその人は知らなかった。教えてくれたのは時折なにやら話していく、背は低いけれども格闘家かと思わせる顔体つきをした近所の人で、「奥さん、『さらば群青』はいい本ですよ。読んでみて下さい」と、私にその本を薦めた。私はその人があまり好きではなかったが、奥さんは素敵な人だった。細面の美人で、品があって、洋服を着ていても、和服を着ていても、実に凛としていた。派手すぎず、地味すぎず、まるでスクリーンの中から飛び出して来たような人だった。それはともかく、私はタイトルに惹かれて本を買うことが多い。なぜそういう題にしたのか。分厚い中味をその題で括る。その心を、そこに感じられるような、そういう本が好きなのだ。一読して秋介さんのファンになり、他の著作も手に入るものはすべて読んだ。週刊誌や月刊誌も買った。けれどビデオは入手出来なかった。二十一世紀書房縁の青年に会ったことがあるけれども、ビデオは持っていなかった。余談だが、その頃大東塾の偉いさんと話したことがある。なぜか気に入られてしまって、何か困った時はと、枕元の電話番号を置いていかれた。その時はじめて、かの素敵な奥様の旦那様が大東塾の人だと知り、奥さんからは父にすすめられて、旦那様の元に嫁いだことを聞いた。旦那様は見かけほどは男らしくなく、気が弱く父の言うような人ではなかったと言った。思うに奥さんのお父上がその筋の人だったのだろう。その年、私の元に大東塾新年会の案内状が届いたが、私は行かなかった。ただ影山正治も読み、ついで山本玄峰も読んだりした。さて【風と拳銃】。伝記だ。知ってることばかり。文太さんは邪魔。 夕陽と拳銃だな~ 私が言う。 早くうまれて来過ぎたんや。今、おったらええかもしれん。 主人はそう言った。 そうでもないよ。三島もその時は全然役には立たなかったけど、 何十年か後のアリス達の思想形成には役立ってる。生きた歴史ってそういうもん。♪夜がまた来る 思い出つれて おれを泣かせに 足音もなく~~ 恋に生きたら 楽しかろうが どうせ死ぬまで ひとりひとりぼっちさ十八番だという秋介さんの『さすらい』には泣かされてしまった。歌は心でうたうもの。※今日見つけたどなたかの財政再建日記。http://plaza.rakuten.co.jp/genkitan/diary/
2012.12.02
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