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2013.06.05
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カテゴリ: カテゴリ未分類









『古河城』の南にゃ、『頼政曲輪』さあった。

『源頼政』さ祭った『頼政神社』があったから、ついた名前なんだと。



『頼政神社』の由来はな。


 平氏追討に向かった源頼政は、宇治の合戦でまけちまってな。

 自刀しちまったんだと。


 んで、頼政の家来は、頼政の首さもって、安住の地さ求めて

 全国行脚の旅さでたんだ。



 主人・頼政の命令とはいえ、生首もって旅するなんて、




 夜な夜な頼政の霊が出てきて、

 戦の愚痴なんか、聞かされてたりw・・・しないかw。





 さて、この忠義な家来が、頼政の生首さ持って、古河さ来た。

 長旅で疲れた家来が一休みしたところ、

 頼朝の首が、ぴくっとも動かなくなった。


 あ、こういう書き方すっと、まるで生首が、

 自分で、うろうろ歩きまわってたみたいだな~。



 そじゃねぐって。

 家来が持ち上げようとしたら、首の入った箱だか包みだかが、

 持ち上がんなくなっちまった、て話だべ。






 と考えた家来は、社を立てて、廟所にしたんだと。





 さて、時代は変わって、元禄7年(1694)ごろ。

 あ、江戸時代だな。『古河城』が、出来上がったころだっぺ。


『古河城』にゃ『松平信輝』っつう城主がおられた。




 これこそ、摂津源氏の子孫という証。

 大事にお祭りせねば!


 と、大喜び。

 元禄9年(1696)に、社殿を修理。

 信輝の弟『高崎城主・松平輝貞』は、大灯篭を寄進したんだと。





 そして、現在。

『頼政神社』は、『渡良瀬川』の河川工事で、お引越し。

 元の場所から北の方向、『観音寺曲輪』の北っぱしに移されたとか。



 地図でみっと


古河城本丸周辺1



 ありゃ~。この地図じゃ、入りきんないや。





 ええと、今いるお散歩位置は、

『三国橋』のたもとの堤防の上なんだどもな。


 こったら看板さ、たってっとこ。

古河市


 お!横んとこに、下さ降りれる階段さあんど!



 階段さ降りれば、車道さ沿って歩いて、

 遠回りしなくて、済みそうだべ。




 ちょっと段差さ歪んでて、持ち上がっちゃってんだけど。

 ゆっくり下りれば、問題ないど。


 足元さ集中して、一歩ずつ降りる。



 よっこいしょ。さて、どこさでたかな?



 顔さ上げたら、


 あ、こないだのラブホ!




 おかげで、現在地さわかったけんど。

 ラブホが目印、っつうのはな~。

 ちょっと、複雑だな~。









《参考》








 『古河城 水底に沈んだ名城』 古河歴史博物館(博物館の特別展示の図録目録)








最後まで読んでもらって、うれしい~ど~♪ あんがと~。


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最終更新日  2013.06.06 00:17:45
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