「007 スペクター」21世紀のボンドにスペクター
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日日好日 今日の影法師
災いはドミノのように
少し長いのですが、是非とも読んで下さい!
「災いはドミノのように」
岡山県立倉敷中央高校 松村 弥生
「こんな日は左足が痛とおてかなわんわ」
母はつらそうに顔をしかめながら、どす黒くはれ上がった足をさすっていました。強い湿布の匂いがぷーんと鼻をつきます。これが人間の足か、と思われる程、母の左足は醜く変わっていました。
母は痛さに涙を浮かべながら、それでも幼い私達を心配させまいと、「大丈夫、曇の日だけよ」と笑ったことを今でも覚えています。
母が何年も苦しんだこのけがは、会社へ通勤している途中、工事場の屋根からコンクリートのついた鉄骨が落ちてきたためです。
「本当なら足なんてめちゃくちゃにつぶれるところを、よくもまあ助かったものだ」とお医者に言われました。
コンクリートを置いていたのは、小さな個人企業の建設業者で、当然しなければならない安全管理ができていなかっただけでなく、こうした場合の保険など全くかけていませんでした。気がついてみると、母はほんのわずかの賠償金をもらっただけで終わってしまいました。
それでも父と弟と私は、動けぬ母をいたわりながら暖かな毎日を過ごしていたのです。
だが、その暖かな時に、やがて訪れる悪夢の日を誰が想像したでしょうか。
その日、父は母を病院に連れて行くために車を出しました。私にはなにかしらいやな予感がしました。そして、その予感は的中してしまいました。
夜10時頃、家に帰ってきた父と母の首には真っ白い包帯が巻かれてありました。赤信号で止まっていた我家の車に、暴走車が猛スピードでぶつかってきたのです。車はぐちゃぐちゃになってしまいました。
父も母も、重度のむちうち症にかかってしまいました。
父はそのことが原因で以前のように現場の一線で働くことができなくなり、仕事場を転々と変わらなければならなくなりました。それはまた、収入の多い専門的な仕事から、誰でもできる軽労働へ変わって行くことでもありました。収入は減ることはあっても二度と増えることはありませんでした。
暴走車に乗っていた若い男の人は、家の車を持ち出しており任意保険はもちろんかけていませんでした。父の「これから先の若者だから示談ですましてあげましょう」という一言にのって、彼は最低限の賠償金を包んだだけで、二度と我家を訪れることはありませんでした。しかし、そのお金は毎日の治療代にまわってすぐなくなってしまいました。
元来、病気がちな母は、左足のけがの上にこのむちうち症ですっかりやつれてしまいました。父の収入減から新築したばかりの家のローンの返済はままならず、その苦悩からか、父は酒によっては母に暴力を振るいます。
やがて、我家は経済的にも人間関係からも全くの破滅の状態になってしまいました。
その年の一番むし暑い夏の日、優しかった母は亡くなりました。
鉄道自殺でした。
新聞もテレビも、こぞって母の死を報道しました。 ―一家の不和によるもの―
しかし私は、以前のどこの家庭よりも、我家が優しく暖かな家庭であったことが忘れられません。思い返せば、母の左足の自由を奪ったあの日を境に、まるで悪魔のドミノのように我家の幸福を次々と破壊していったもの、それは決して「人間関係の不和」などではなかったはずです。ちょっとした不注意から人間の起こした゛事故"がすべての不運の始まりなのです。
もしも―私の頭の中で幾度もこの言葉が繰り返されます。もしあの建設業者が安全管理を怠っていなかったら―男の人が信号無視さえしなければ、そして何よりも車を運転していた父が、車や家族に十分な損保をかけてさえいたら―母は・・・・・・我家は・・・・・・。
これ程までに私達の幸福が切り裂かれることはなかったはずです。だが、この怒りと悲しみを一体誰に向ければ良いというのでしょうか。いえ、誰かを恨むことはできます。しかし恨んでみてもそれが何になるというのでしょうか。ことの始まりはほんのちょっとの人間の不注意なのです。それがここまでの不幸をもたらすことになったのですから・・・・・・。
我家は今、莫大な借金をかかえています。
母の死が列車を止めたことから、国鉄は千数百万円の支払いを要求してきています。
家のローンもあと15年位続きます。
金銭問題で、すっかり頭をかかえこんでいる父に向かって祖母がこう言いました。
「なんでちゃんと保険をかけてなかったんなら・・・・」
父は大の保険ぎらいでした。現場で働いている父にとって、お金とは血と汗の結晶です。一銭とて無駄に終わるのを恐れた気持ちはわからないではありません。けれど、父が、自分達の上には来ないだろうと思った゛万が一"の不幸がこれほどまともに我家に降りかかることになってみれば、父の考えはあまりにも大きな誤りであったと言えます。
゛万が一"の一は決して「無」を意味するのではなかったのです。
建設業者も、あの若者も、おそらく父と似たような理由で保険をきらっていたのだと思います。けれども゛万が一"を疑うものはいつか万が一に泣くことがきます。
それは、保険という、この社会に無くてはならぬ゛助け合い"のシステムに背を向けた罰であるということもできます。
平和で便利や世の中になった、と人は言います。だが、その反面、一歩誤れば被害者になるか、もう一歩誤れば加害者になるか、いつ私達は大変な不幸に取り付かれ、暖かく幸せな生活が破壊されるかわかりません。
今日の私達の゛幸福"とは、決して常に存在するものではなく、むしろ万が一の積み重ねの中で、かろうじて保たれているものだというべきではないのでしょうか。
その一日一日の平和を保つために、誰にも保険は必ず必要です。それは、自分たちの身を守るためにだけあるのではない、むしろ、この危険な世の中で、お互いの゛幸福"なせ威喝を守るための「助け合い」の心こそが、本当の保険の精神なのだということです。
不慮の事故はどうしても避けることはできません。その中で、不幸に対して身を守り、苦しみの中から人を立ち直らせることのできるのは損害保険という゛物心両面の支え"以外にはありません。
「父さん、今日から火災保険に入ったで、もし、この家が焼けたら弥生たちに残せるものは何もなくなるからなあ」
父がぽつりと言いました。何から手をつければよいのかわからないくらい借金だらけの我家。高校の授業料でさえ思うように払えません。だが、たとえ貧しくとも苦しくとも保険料だけは、精一杯支払っている父・・・・・・。
「父さんが死んだら、姉弟二人きりじゃ。わしが働いているからといって、いつまた事故があるからかわからんからなあ」
私は現在、県立の普通科高校に学んでいます。本来なら、大学へ進学し国語科の教師になるのが夢でした。しかし今、そんな父を見ていると、どうしても大学へやってほしいなどとは言えません。それよりも一日も早く社会人として職につき、火の車の我家の負担を少しでも軽くしなければと思っています。
今も曇の日になると、母の言った言葉を思い出します。
そして、父もそんな日には直りきらないむちうち症に顔をしかめています。
過ぎ去った日の幸福は二度と取り戻すことはできません。けれども父と弟と力を合わせてもう一度新しい幸福を作らなければ、と思っています。そして、そのために今度こそ私達を守ってくれる゛保険"があります。
これからの幸福が再び崩れることのないように。(原文まま)
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