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2024年01月29日
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テーマ: 戦争遺跡(23)
カテゴリ: 戦争遺跡




昭和16年3月に下志津陸軍飛行学校の分教場として八街市朝日区から富里市四区に渡り八街飛行場が建設されました。 この施設は陸軍航空隊偵察機乗務員養成のためのもので、いわば軍の飛行学校でありました。本隊の下志津陸軍飛行学校の跡地は現在陸上自衛隊下志津駐屯地となっております。
ちなみにここの管理人は社員教育の一環としてその下志津駐屯地に一泊二日の体験入隊をしたことがあります。旧軍の痕跡を探索してみたかったのですが、そんなことが許される雰囲気ではなく行進訓練ばかりさせられていました。基地内の芝生の広場のような場所を「滑走路」と呼ばれていたのは、下志津陸軍飛行学校の名残なのでしょう。あと、87式自走高射機関砲に乗せてもらいました。

閑話休題。戦況が悪化した昭和19年3月には当施設は訓練施設から実戦部隊である「下志津教導飛行師団」に改編されます。当部隊において使用されていた機体の一つに「百式司令部偵察機」があります。当機は帝國陸軍の数ある航空機の中でここの管理人が最も好きな機体であります。特に3型がお気に入りでして、機首から尾翼まで流れるようなシルエットは他の日本軍機にはない美しさです。

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さて、本題の八街飛行場ですが、平坦な下総台地上に建設されていました。戦後、食糧増産のために農地化されてしまったため、遺構は少ないです。現在は畑、住宅地、工場等になっています。


昭和22年、米軍撮影の空中写真。出典:国土地理院ウェブサイト (ここの管理人が編集加工した)


跡地の一角に「陸軍司令部偵察隊の碑」 が建立されています。
https://maps.app.goo.gl/ULaYkSBRpRxqmJHr5


その裏面。


かつてこれを探しにきて見つからなかったのも道理で、このように生垣で覆われていてよほど注意深く探さないと通り過ぎてしまいます。


こちらの道路がかつての滑走路跡だそうです。ここを優美な百式司令部偵察機が離着していたと思うと感無量であります。
https://maps.app.goo.gl/oC32ShmV7EXjNK7h9





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最終更新日  2024年03月27日 06時27分22秒
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