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本当に、長々の私の7才の時から始まって、私が32年後に妻が癌になって霊視浄化が偶然できるようになり、海岸繋がりのエネルギーの全てを浄化するまで計35年間の月日が経過しました。結局、私がもし霊視浄化に携わって居なかったのなら、たぶん、ただの怖い話として私一人の記憶の中だけに終わって居た話だと思います。これは、私だけに言えることではなくて、それぞれ個々の方々が考えるか考えないか?または気づくか気付かないかで微妙には違うと思いますが、それぞれの人生において大なり小なりの私のような経験を皆さんもされているものと思います。本当に3次元的、エネルギー的な課題多き人生ですよね。人間は人間として、どう生きるかが重要だと私は思います。霊界はすべてがプラスイメージです。そして、人間界は霊界に比べてマイナスイメージと言っても過言ではない世界です。エネルギー界はプラスに終わると永遠にプラスが残り、マイナスで終わると永遠にマイナスが残ります。ようはそれぞれ個々の方々の生き方の要所要所の終わり方次第、生き方次第なのです。プラスのイメージでいかに終われるかが大きな課題でもあるのです。人間は誰しも自分が特別なものと思っているものです。それはとても正しいことであると思います。でも、そのイメージの受け止め方次第では、簡単にマイナスの課題になってしまうように人間界のシステムはそうなっています。例えば、人に対する怒りです。相手がどんなに悪い事をしたとしても、感情的になって怒りをあらわにしてしまった場合、大きなマイナスが生じてしまう事が多々あります。もし、部下や自分の子どもが失敗したとします。親として上司として、その失敗がその部下や会社の将来や子供の未来に対して後々続かないように建設的に考えて怒ったとしても、それに対して返ってくるのは叱られた側の感情論なので、1の怒りに対して1のお返りで済むものです。しかし、自分がイライラしていたとか、自分の都合よく行きたいからと感情的に部下や子どもを叱ってしまった場合は、自分の感情的な都合が入っている分、お返しが2にも3にもなってしまうものです。変な話ではありますが、相手の失敗なのに、いつの間にか自分にも不具合が生じてしまうようにできているのです。相手が悪いのに、自分が怒りをあらわにしてしまったからと言って、自分にマイナスが生じてしまうなんて、人道的にも道徳的にも本当におかしい事ですよね。しかし、この人道的な意味合いも道徳も実は人間が集団生活を生きるために、人間の都合で考え出された物なのです。人間界(3次元界)イメージなのです。3次元界のイメージで霊界(4次元界)に通じるものは実は、霊界イメージである人間界を生きながら霊界イメージを感じることなのです。それが、人間として生きている事の受け止めであり、霊界と同じプラスイメージで終われることなのです。もしも私が全て霊のせいにして、悪霊やら呪いやらのせいにして、呪われた海岸の記憶が残されたとします。これって、ただの物のせい、人のせいではないでしょうか。もし、私があの村ははずれの海岸は、江戸時代にあの場所で村人が惨殺された場所で凄く強力な怨念が何百年もの間消えずに残っているからなどと、もっと自分の都合のいい理由をつけて、皆様を怖がらせたなら、皆さんの印象はどうだったでしょうか?マイナスな結末にはマイナスしか残らないですよね。呪われているかも知れない海岸話が、絶対に危険な呪われた海岸があるという決め付けになって、皆様の記憶の中に残ってしまいそうですよね。私の記憶の中にとどめ切れず、そのマイナスのイメージを皆様まで巻き込んでしまいかねないのが現実ですよね。やはり、マイナスにはマイナスなのです。世間一般の常識とされているスピリチュアル系の霊に関する常識が実はそんな人間の自己都合的なマイナスイメージが多様にも含まれていると私は思います。私が霊界通信をして来た経験として、霊界はとてもシンプルな世界です。人間の自己都合的なイメージは霊界には通じない世界なのが私の経験を通じての印象です。今回、私の35年間の人生経験を皆様に知ってもらいたかった理由が実はそこにあります。たとえ、何か不具合な問題が生じてしまって、それが人のせい物のせいだったとしても人間界(3次元界)を生きる上ではしょうがない事も多くあります。人間界では大きな出来事でも、霊界では意味のあることかも知れません。何か不具合な問題が生じてしまった時は、自分も含めての何かのせいにするのではなくて、人間なんだからしょうがないという受け止めのイメージをもって、そこから同じ間違いを起こさないなどのプラスイメージをなんちゃってでもいいので持ちそこからの1歩、という前向きな気持ちに置き換えるテクニックが大切であると思います。とても難しい事と思うかも知れませんが、なんちゃってでも実は効果大な事ですので誰にも出来る案外シンプルで簡単なことなのかも知れないです。人間には完璧な人間はおりません。ですから、霊界ではなくて、人間として生まれる意味があるのです。どうせ完璧ではない人間なので、自分として生まれた自分自身をもっと知って自分自身をもっと好きになって、自然体の自分らしさで居られる人生って素晴らしいですよね。そんな自分らしさを磨く事が実は自分の中の霊界波動の上昇につながり、自分の行いがプラス波動となって、自分の周りに還元されるように出来ているのです。場所や物、人物など波動の高いものにこだわっている世界でもありますが本当の波動の高さは、自分の中から平等に湧き出て来るものである事を自分の体験から知ることも大切であると思います。私が良くタイガーやイチローの事をブログに書かせてもらっていますがそんな自分の中で霊界波動をイメージして現実に結果を残されている天才たちだからです。もし、気が向いたなら過去にはこだわらず、なんちゃってプラスイメージから始めてはどうでしょうか。かならず、プラスなイメージに近づける事と私は思います。本当に、長々読んでいただきありがとうございました。 管理者 ゴル 2001ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.09.08
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では、ヤス先輩の奥さんと私の妻は、呪われた海岸の犠牲者だったのでしょうか?ヤス先輩の奥さんの当時のイメージに入って行きますと、急激な痩せと片頭痛持ちなのか長い間、頭の痛みがあったようです。脳出血と言うよりも、脳血管が詰まってしまったような脳梗塞のイメージです。食生活やストレスなど、生活環境的な因子が原因であったイメージをヤス先輩の奥さんのイメージは伝えてきます。では、何故、小雨が降って居たのに、私達があの海で泳いだり、それぞれの奥さんがその海岸までついて来ることになったのかについて聞いてみますとやはり、偶然ではなかったようです。その伝えて来るイメージに深く入ってみますと、ヤス先輩はただ単に帰省中に1回だけでも泳ぎたかったようです。しかし、ヤス先輩の奥さんは体調が良くなく、イライラしているイメージです。その部分に、ヤス先輩の奥様の母方の女性の方と、父方の女性の方のエネルギーが成仏できずに憑いていたようです。その成仏されなかったエネルギーは私の隣の村のヤス先輩の奥さんの実家にまつわる先祖様で、ヤス先輩の奥さんが墓参りに行っているイメージを伝えてきます。たぶんですが、ヤス先輩の奥さんは墓参りで自分や家族の事をお祈りしているイメージでその時からその成仏していないエネルギーの影響を受け、気分的に海について行く気になっているイメージです。(体調が悪かったので、気分転換のイメージです。)私はですが、雨の日に1回だけ泳ぐというのは絶対にありえない行動ですが1回だけでも泳ぎたいという願望の部分に、ヤス先輩の誘いやそれぞれの妻が行くという条件がそろって、行こうかなとは思いましたが、やはり、ヤス先輩の奥さんに憑いていた2人の先祖エネルギーの影響が大だったようです。そして、私の妻はですが、やはり自分の最後の夏を予測していたイメージです。当時の妻のイメージは、一緒に居られるから私と海に行くというイメージを伝えてきます。(どこか寂しいイメージで、まるで自分の最後が近づいている事を 予期しているかのイメージです。)ここまでが、呪われた海岸に関する犠牲者?についての霊視結果です。皆様もお気づきの通り、呪われた海岸繋がりは、私の恐怖的な負の記憶の部分にそれぞれの浄化されない先祖エネルギーが、影響を与えたことで、霊視の出来ない当時の私が記憶にして繋がりを持たせてしまったものです。ただ、T先輩もY先輩もその時に亡くなる事が決まっていたとは言え、私が7才の時に亡くなられてしまった青年と同じ自動車事故であった事は、偶然のイメージではありません。何故、同じ自動車による事故であったのかについて深く入ってみますと、もしもその方々が3次元的に波動の高い生き方をされていたら、または、もっとプラスのイメージで日々を生活されていたら、最後の運命は違っていたイメージを伝えてきます。その答えはですが、自分の人生はこんなものと、2人の先輩達が決めつけのマイナスのイメージを持たれて生活した事によって、その後の世界の光のイメージが全くなくなっているイメージです。そのため、2人の先輩の成仏いされていない先祖様が私やNくんなど、プラス思考で何事に対しても前向きなものたちに、その光の導きを託しているイメージです。ですから、生涯に2度しか泳いでないあの海で、私とNくんは泳ぐことになってしまったようです。しかし、Nくんはそれらの負のエネルギーの影響をもろに受け、転勤をしてあまり運動神経が良くなかったのにバイクの免許を取り、大きなバイク事故に繋がってしまったようです。私はですが、確かにその頃、人間関係や霊体験はたくさんありましたが最後は絶対にプラスで終わる性格でしたので、妻の力もあって、ギリギリセーフだったようです。こう言ってしまうと、霊は危険じゃないかと思われる方が多々おられるかも知れませんが霊界の法則では、人間がこの世に生まれて来る意味があります。(以前のブログにも書きましたが、ここでも詳しく説明させて下さいね。)霊界は無限の世界で全てが満たされていますが、人間界では絶対に限界がありいつかはみんな滅んでしまいます。そのため、人間の目に見える物理的な課題がたくさんあります。でも、人間は知性がありますので、目に見える物理的な課題に関しては全てをクリアする可能性もあるかも知れません。そのため霊界の法則は、目には見えず、霊界には戻る事が出来ないエネルギーを人間界にそのまま置くことで、より複雑化した課題をこの人間界の中で構成しています。そして、この2種類の課題のクリア方法ですが、まず、霊界の法則の根本にある人間がどう生きるかが重要になって来ます。その人間界(3次元界)の課題のクリア方法ですが、苦しい人間をいかに前向きにプラスイメージで生きるかです。それぞれ個々の工夫や努力が必要です。そして、霊的なマイナスエネルギーのクリア方法ですが、プラスイメージで生きる事も防御法ではありますが、一番重要なのが、霊界のイメージの受け止めを生きながらにしてイメージする事なのです。この究極は、人間である事の全てを受け止める事です。このイメージが私達の魂(中の人)の霊界波動をあげ、私達が3次元に残された成仏できないエネルギーと霊界の浄化されたエネルギーのアンテナ役となり霊界への自己浄化へと導くシステムとなっています。(私はこのイメージで霊視浄化をしています。)ですから、あの海で一緒に泳ぐ前から、2人の先輩や私やNくんにも霊的な課題は平等にあったのです。人生の課題の延長上に、あの海で私達が一緒に泳ぐ必要性は霊的にはあったのです。結果、その当時成仏されていなかった先祖様のエネルギーが引き寄せた海岸繋がりそして、自動車事故繋がりだったのです。(通訳ですので、難しい表現となってしまいましたが、解り易く言いますと 一番の問題は、私たち4人の生き方が大元にあって、それにマイナスの霊的な エネルギーが影響をして、あの海岸繋がりの自動車事故へと繋がって行ったのです。)そのため、同じ平等な課題をそれぞれがいかにクリアしたかで、未来は違っていたものと思います。でも、結果、時間が経過してもそれぞれのエネルギーが浄化されずに、呪われた海岸という、本当にあった怖い話として私の記憶の中に残ってしまったのです。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.09.07
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では、次に私の高速道路での居眠りで事故を起こしそうになった事についてはどうだったのでしょうか?たいがいの霊体験的なイメージでとらえますと、呪いの海岸の影響があったのではないかと思われますが、実はこれはやはり全く関係がなかったのです。私の疲労と、長い間の運転経験から居眠りは絶対しないという過信があったようです。では、何故、私の死んだおじいさんが私の名前を呼んだのでしょうか?スピリチュアル的に考えて、おじいさんが守護霊なのでしょうか?私の亡くなったおじいさんにその件について聞いてみると、おじいさんはその事は知らないと伝えてきます。そのため、当時の運転中のイメージに入ってその声の主が誰であるか霊視してみますと私のじいさんの後に亡くなったゴルばあさんであると伝えてきます。ゴルばあさんはNくんの兄貴のT先輩の事故直前のイメージを私に伝えて来たと言うのです。ゴルばあさんは私にT先輩の事故直前の危険なイメージを私に伝えることで私に危険を知らせて来たようです。では、ゴルばあさんが私の守護霊なんでしょうか?それも違うようです。ゴルばあさんはその当時成仏できずに、私にずっと付いて居たようです。私に付いていることで、未来の浄化の光があった事を伝えてきます。これは、絶対に自分が成仏できるということではなくて、希望の光程度のものでゴルばあさんに対しての浄化された先祖の導きのイメージがそこにあったようです。ですから、私が危険になった時に私が発した私の命の波動(魂の波動)にゴルばあさんの波調が同調して、T先輩の壁に衝突時の危険なイメージをそのままゴルばあさんが伝えて来たのが、私にはゴルじいさんの呼ぶ声に聴こえたようです。子供達が海で溺れそうになった事についてはどうでしょうか?その当時のイメージに入って行きますと、今度はサッカー部の先輩のY先輩のイメージがそこにあります。Y先輩の亡くなわれたおばあさんと言うかたがその場所におり、その年がY先輩の法要(7回忌)のようなイメージを私に伝えてきます。成仏されているエネルギーには全くこだわりがありませんが、Y先輩はその当時成仏されていませんでしたので、7回忌であることでY先輩の法要に出られた方々に自分の存在を伝えようとしていたイメージです。そのため、法要に出た方々を通じて、私がY先輩の存在を意識した結果になったようです。(実は私の母親もお手伝いに行っていました。)では、子供達が海が浅いと思って飛び込んだのは、Y先輩の影響だったのでしょうか?これは、その何年か前に私の村の海で、女性の方が亡くなわれた事故があったようでその方が、子供たちに影響を与えてしまったようです。Y先輩もその女性の方も、子供達の命を奪うなどの強い念のようなものもなくただ単に自分の存在を知ってもらいたかっただけである事を伝えてきます。そのため、子供達のそばに私が居なかったら。という後で考えた時に自分が身震いするほどの恐怖イメージを私の記憶の中に、自分の存在のシグナルとして残した事をその女性の方のイメージは伝えてきます。今となっては、子供が海に飛び込んで私が水中でキャッチした事を笑って話せますが自分の中ではとても怖い話として、実際には子供達が大きな事故に発展しなかったのにもかかわらず、あの時に本当に子供たちに何も起こらなくて良かったと、過去を何度もその時の状況を振り返っては、後悔イメージだけが強く私にはありました。でも、私が霊視浄化の方法を知り、その女性やもろもろの方々を浄化してからはその時の子供たちに危険が生じたという記憶自体が薄れて行ってしまったのです。 このことから考えてもやはり、呪われた海岸という前からあった恐怖のイメージに私が勝手にその後の事故に遭いそう繋がりで、もしかして、呪われた海岸のせい?と自分の都合で考え、呪われた海岸をその後も気をつけるように、自分の中で認識してしまったものと思います。(3次元の私の意識の恐怖感繋がりで、4次元的な繋がりは全くありませんでした。)次で、最終章にしたいと思います。(長々、読んでいただきましてありがとうございます。)ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.09.06
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Nくんの兄貴のT先輩は何故、事故にあってしまったのでしょう?そのイメージでT先輩のイメージに入ってみますと、T先輩が小学生の頃に亡くなっているT先輩のお父さんと、そのお父さんを心配してそばに付いているおばあさんが、先輩の事故についてしょうがない事と、イメージを伝えてきます。T先輩のお父さんやおばあさんは、自分達が亡くなっている事は気付いていましたが私が霊視をする事が解っていたのか、成仏を希望されていましたのでT先輩と一緒に浄化しました。浄化する前のT先輩は、吐き気と酷い頭痛で苦しんでいるイメージでした。私は、事故で岩にぶつかった事で苦しんでいるものと思っていましたがT先輩の苦しんでいるイメージに深く入ってみますと、どうも事故の起こる1か月以上も前から、頭痛はあったようです。T先輩の頭痛の原因に焦点を当ててみますと、T先輩には脳腫瘍のような脳の病気があったのではないかと思います。そのため、その症状で黒い物体が見えたり、イライラしたり、急に不安になったりしていたようです。事故のあった当日も、吐き気とイライラが急に出て来たので、気分転換に外の空気を吸う目的で、タバコを買いに車に乗って出かけたそうです。しかし、余りにも頭痛と吐き気が酷くなり、車を止めようとしたが意識が無くなりそのまま事故に繋がってしまったようです。本人は自分の事故についてははっきり覚えていないようですが、脳出血なのか脳の病気が急変して、意識が無くなり事故を起こしてしまったようです。そのため、T先輩の事故に関してはやはり定めであり、T先輩の2人の先祖様はしょうがない事と伝えて来ます。では、あの呪われた海岸の影響についてはどうだったのでしょうか?T先輩から伝わって来るイメージは、その時私と一緒にあの海で泳げて楽しかったと伝えてきます。そして、そのそばでT先輩の亡くなわれたお父さんとおばあさんがの2人の先祖様が見守っているのがイメージされます。そして、その2人の先祖様は、すでに成仏されているT先輩の母方の先祖に導かれて自分たちの成仏の光の方向へと、私が無意識に感じてしまったT先輩の卑しさのマイナスの部分に憑いて、あの呪われた海で泳ぐことをT先輩の意識に働きかけたイメージです。そのため、T先輩が私を誘う形であの呪われた海岸で泳ぐ結果となったようです。私も普段なら子供の頃から怖がっていたあの海岸で、しかもサッカー部のY先輩が自動車事故繋がりで亡くなっている翌年だったはずなのに、1つしかない海岸ならまだしも、村中全部の海岸が遊泳区域という環境で、わざわざあの呪われた海岸を選ぶ意味もなかったと思います。しかし、T先輩の前向きな誘いでその海岸になったのは、やはり導きだったのかも知れません。霊視的にはT先輩の母方の先祖様の導きだったようです。あの海岸で私達が一緒に泳ぐことが必要だったようです。私の気持ちの記憶の中の、あの海岸は恐怖というこだわりの部分にシグナルを置くことで海岸繋がりのT先輩の事故死についての記憶を私の中に残す形をとったようです。そのため、長い年月をかけても、私の記憶の中からその恐怖のイメージが消えなかったようです。次に、その後の呪われた海岸繋がりの恐怖体験について霊視解説をして行きたいと思います。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.09.05
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では、呪われた海岸について霊視をしてみたいと思います。私が7才の時に亡くなった青年についてですが、その青年の母親がとても信心深い方のようで、その青年の方はその当時、自分が亡くなっていることには全く気が付かないまま青年の方が亡くなわれた瞬間の身体の激痛を背負ったまま、その母親の毎日欠かさず行っている先祖供養の仏壇の前に座って居たようです。その青年はまるで、地獄のような苦しみをずっと耐えていたようです。その為、村はずれの事故現場にはその苦しみの念がそのまま消えずに残っていたようです。私がその青年の方の自動車事故を聞いて幼いながらも私の記憶から消えなかったのもその青年の母親の日々の自分の息子に対する供養の願いを感じている、その青年の方のお爺さんと言われる先祖様が私にイメージとして訴えかけていたようです。(そのお爺さんも成仏してはいませんでした。)では、この青年の方が、その後に起こった悲しい事故の原因だったのでしょうか?その青年の方と、その先祖様を浄化して、当時の様子を詳しく聞いてみますとまず、その方がその場所で亡くなった原因があったようです。その村はずれの事故現場から一番近い家の土地のエネルギーがかなり影響をしていたようです。その青年の方は道路工事や橋の工事にはかなり慣れていて、早朝からの工事で注意が散漫となっていて、まさか自分が事故に巻き込まれるとは思っていなかったようです。でも、その青年の方の亡くなる運命は最初から決まって居たようで、大型トラックを運転して居た方の不注意の部分に、その村はずれの家の土地のエネルギーが大きく影響をして、絶対に減速と対向車の確認をしなくてはいけない場所で、未確認のままその青年の車に突っ込んでしまったようです。その土地のエネルギーと加害者側の「なんでここに車が出て来るんだよ」という事故で亡くなった相手が悪いと主張する加害者の生き霊の大元である先祖エネルギーを浄化して初めてY先輩の事故のイメージに入る事が出来ました。では、サッカー部の先輩のY先輩はこの事故の影響を受けたのでしょうか?実はこれもY先輩が小学生のころに亡くなっている父親のエネルギーの影響があったようです。Y先輩の父親を浄化して、Y先輩に事故の理由を聞いてみますとその事故当時は凄くイライラしていて、何をやっても自分の感情が満たされなかったようです。婚約も決まっていたのでは?と問いますと、相手の女性には悪かったけど、どうしても満たされない自分が居たそうです。そのため、毎日のように酒を飲んで自分の辛さを満たそうとしたが、酒乱的な人格豹変があり自分でもどうしようもなかったと伝えて来ます。起こるべくして起こってしまった事故であると伝えて来ます。では、私の足元やゴル母の後ろに立ったのはY先輩だったのですか?の問いには私は光を見ていただけ。何もない暗闇の中から、未来の光を見ていただけというイメージを伝えて来ます。(ここには先祖様の希望という導きのイメージが感じられます。Y先輩の先祖様の 関与があったようです。)Y先輩もその時に亡くなる運命であった事を伝えて来ます。そして、酒乱になってしまったこともすべて自分の弱さゆえの結果であったと伝えて来ます。自分は口数も少なく、本当は穏やかな自分の気持ちにも素直になれず、いつも社会に対して意味もなく反感を持って居たそうです。その表に出せない反感が、お酒を飲む事で開放され、お酒の力なしには癒されない弱い自分が招いてしまった単独事故であったようです。(若年性のアル中のイメージです。)では、呪われた海岸の影響ではなかったのですか?これにはY先輩ではなく、Y先輩のおばあさんと言われる先祖様の導きがあったようであの海岸で私とたまたま一緒に泳いだ訳は、未来の希望がそこにあったからであるというイメージを伝えて来ます。次にT先輩の事故について、次に書きたいと思います。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.09.04
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その年の夏に帰省中の小雨の中の海から見た光景は、東京に帰っても私の頭から離れる事はありませんでした。そして、何をやってもつまらないと思う自分がおりました。理由は何故かは解らなかったのですが、ゴルフに行っても、友人と遊んでも家族とドライブしたりしても、全く楽しくなかったのです。そして、そんな中で私は何かいい事がないかなとしきりに考えるようになりました。家族や自分が健康で、好きな事が好きな時間に自分の計画のまま出来て、何不自由ない生活であったにも関わらず、もっと何かいい事がないかなと思うのは、どんな状況でも楽しめるをモットーにしている私にとって、本当に違和感のある考えでした。しかし、そう考える事がその時の私には一番気楽に居られる状況であったのです。そんな負のイメージを毎日抱いていた、ある瞬間に思った事を今でも忘れません。その時も、私が何かいい事ないかなと思っている時の事でした。「何かいい事って何なんだろう? 妻の癌が再発して命にかかわる事があるとか」なんて、勝手に頭の中で考えている自分が居るのです。私は、何をバカなことを。妻あっての人生なのに、そんな大切な宝物が無くなる事を想像でもしてはいけない。と全否定はしているのですが、何不自由なく生活出来ていて、自分が何かをしたいという目標がなくなっているなら自分にとっての最高に悪い事が起きれば、そこから始められるであろうというイメージも湧いて来るのです。その後も何度となく、そんな自分では絶対に想像もできないイメージが湧いて来る瞬間があってそのたびに「そんな自分の一番大切なものを亡くしてまで自分の都合がいい事を作ろうなんて ゴル、お前自身が痛い目にあえばいい。」と、自分自身を有無も言わせず戒める自分がおりました。(本当に変な体験でした。)そして、その年の秋の事でした。ついにその日がやって来てしまいました。私はちょうど実家にある用事があって電話した時の事でした。母親が慌てた口調で「お前の奥さんは大丈夫か?ヤスの奥さんが脳出血で倒れて手術したけど 植物状態になってしまったってよ。」と言うのです。私はその言葉を聞いて、あの夏の小雨の中で海から見た光景が頭から離れなかったのもヤス先輩の奥さんの影が薄かったのもこのせいかと思いました。私は妻にその事をすぐに話、2人で自分たちは大丈夫と心配しないように勇気づけ合いましたが、嫌な不安感だけが残ったていたのは確かでした。そして、なるべく嫌な事は考えないようにしてプラスのイメージを持ち続けようとしましたが、次は・・・・・と悪い予感が私の脳裏をずっと横切り続けていたのです。そうなんです。私の妻はその後の検査で腫瘍マーカーの値が3倍となり、妻の癌の再発が確認されることとなり、私がブログで書かせてもらった、「私の妻はB型」にそのまま繋がって行くのです。私が7才の時に起きた村はずれの自動車事故で一人の青年がなくなて、30年間も私の記憶の中から離れずに繋がり続けておりました。私の妻は癌の再発が確認されてから、ちょうど1年後に亡くなり、ヤス先輩の奥様は植物状態にまま、ちょうど3年後に亡くなりました。私はその1年間本当に地獄でした。そして、ヤス先輩もその3年間も地獄だったと思います。2年先輩のY先輩も婚約が決まって居て、そして、T兄さんも奥さんのお腹には赤ちゃんが居て、残されたものは私を含めてみな、とても苦しかったと思います。では、いったい何故こんなことが引き続き起こってしまったのでしょうか?あの村はずれの海岸は本当に呪われているんでしょうか?それとも、ただの偶然が繋がっているだけなのでしょうか?やっと、ここまで書く事が出来ました。それでは、呪われた海岸繋がりミステリーについて、霊界通信をしてみたいと思います。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.09.03
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あれは、平成16年の夏の事でした。その年もいつもの年と何も変わりなく、私は実家に帰省していました。しかし、その年に限って天気があまり良くない日が続き、大雨が降ったりもしました。私の北海道の実家での帰省中にする事は、いつも決まって居てメインが海で泳ぐことです。その他、墓参りと妻の実家が私の実家から150キロ離れた所にあり酪農をしていますので、搾りたての牛乳をもらったり、馬鈴薯という北海道では有名な男爵イモを畑で掘ったり、トウモロコシを取ったり、山に行ってクワガタを捕ったり子供達の体験的な遊び環境としては、最高に恵まれている環境でした。しかし、やはり雨が降ってしまいますと、そんな恵まれた大自然が目の前にあっても子供たちは何もする事がなくて、家でゲームをしたりして、本当にもったいない夏休みですよね。そんな天候に恵まれず家での生活が多くなって私もフラストレーションがピークになっている時の事でした。外は小雨の中、私の実家の裏に家がある3才年上のヤス先輩もちょうど帰省していて私と同じフラストレーションが溜まっていたようで、普段あまり話したことがないのに突然私の実家の家に遊びに来て、「海で泳がないか?」と言うのです。私は、小雨は降っていましたが、自分と同じことを考えているヤス先輩の言葉がとても嬉しくて、「1回位なら泳げそうだね。行きましょうか。」と思わず言ってしまいました。しかし、後から考えたらヤス先輩の泳ぐ場所はいつも決まっていて、あの村はずれの呪われた海岸だったのです。私は、一緒に泳ぐことを約束はしてしまいましたが、どうしようか悩んでしまいました。そのため、妻に相談してみたところ、「あなたがいつも泳いでいる場所で泳ぐように誘ってみればいいじゃない。」と言ったので、そのままヤス先輩に伝えると「お互いに慣れているところの方が安心だから、泳いでいる場所は近いし 別々でもいいんじゃない。」と言うので、最初はヤス先輩と2人で一緒に泳ごうかと思いましたがお互いに300メートルくらい離れている場所で泳ぐことになったので相方の妻も一緒に連れて行く事にしました。旦那のわがままなストレス解消に、何も文句を言わずに小雨の中に付いて来てくれる妻たちは心強いですよね。そんな妻たちに感謝しながら、小雨の降る中海で泳いでいる時の事でした。私はいつも泳いでいる場所は呪われた海岸の南の方で、絶対に呪われた海岸の方へは泳いで行かないようにしていました。しかし、その日に限っては、ヤス先輩の手前全然別々に泳ぐというのもなんだか寂しい気もして、ヤス先輩に声だけでもかけようと思いヤス先輩の泳いでいる所へ、近づいて行った時の事です。今まで海で泳いでいて考えた事がなかった呪われた海岸での出来事が頭に浮かんで来たのです。私は、海で泳いでいる最中に縁起でもないと思い、考えないようにしましたが頭からその海岸の事が離れないのです。それほど気持ちが悪いとは思いませんでしたが、泳いでいる最中に何かあっても嫌だと思い、違う事に集中することにしました。そのため、泳ぎながら私の妻に視線を向けると、小雨の降る中帽子一つで妻はツブ拾いをしていて居ました。私は嫌々妻が私に付いて来ているのでは?と気にしていたので、そんな妻のツブ拾いの光景を見て、「さすがは我が愛妻。」なんて恥ずかしい事は思いませんでしたが、そんな妻を見て、とても嬉しくなりました。そして、ヤス先輩の奥さんはどうしているのかな?と思い見てみると傘をさし、呪われた海岸に近い場所の砂浜に座っている光景が見えました。ヤス先輩の奥さんはヤス先輩とは高校の頃から付き合って居て、そのまま結婚した方です。3年先輩と言う事もあって、実は私がヤス先輩の奥様を見たのは、その海岸で傘をさし座っているのを見るのが初めてでした。とても不思議な感覚なのですが、私が想像していたヤス先輩の奥さん像とは全然イメージが違っていて、どう表現したらいいのか解りませんが本当にこの人が奥さん?というような印象が強くあったのは、とても不思議でした。何だか全然知らない赤の他人がその海岸で座っているような感覚だったのです。本当にその時見た妻のツブ拾いの光景と、ヤス先輩の奥さんが実際にその海岸にいるのもかかわらず、ヤス先輩の奥さんではないかのような、何かまるで赤の他人が小雨の降る中に傘をさし海岸に座ったまま、こちらをじっと見ている少し異様な感覚の光景は、私の脳裏で写真を撮ったかのように、私の記憶の中にそのまま書き込まれてしまったのです。(私が霊界通信ができるようになって、浄化するまでしっかり残っている光景でした。)その海では、特に問題もなく、私とヤス先輩のストレス解消遊泳は無事終了しました。そして、ついにその時は来てしまったのです。それは、その年の秋の事でした。(本当に、連続ドラマ風な終わり方で申し訳ないです。) 管理者 ゴル(かなり久々です)ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.09.01
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そして、それから数年後の夏でした。毎年のように実家に帰省している時の事でした。私の子供も小学生となり海で泳ごうと、朝からゴムボートを出したり大騒ぎをしていたのです。その日に限って私は何か気の乗らないような、理由はなんだかは解りませんが何か嫌な予感がしていました。そして、はしゃぎ回っている子供が転んで、擦り傷で血が出ていたのにカットバンを張ろうとした時の事でした。子供の膝から血が少量出ているのを見て子供に「まっか、まっか出ているね。」と私は無意識に言いました。すると子供が「まっか、まっかって何?」と私に聞いて来たので、私も自然に出た言葉にあることを思い出しました。まっか、まっかとは実は事故で亡くなったサッカー部のY先輩がサッカーの試合で膝をすりむいて血が出た時によく使っていた言葉でした。(まっか、まっかとは真っ赤、真っ赤の意味で、子供が怪我をして血が出た時に びっくりしないように、柔らかく血が出ている事を子供に伝える言葉で 私も使ったことはなかったんですが、その時初めて私の口からその言葉が 不思議と自然に出ていました。 後で思えば、その日の朝は、サッカー部の先輩のY先輩と村の外れで一緒に 泳いだ時の感覚や、その夏過ぎに朝方に私の足元に若い男性が立っていた 感覚と一緒だったと思います。)そうなのです。霊視が出来るようになってから、その嫌な予感がした朝のイメージに入ってみますと、Y先輩の浄化されないエネルギーが私のそばにずうっと立っていたのです。海で泳いでいる時もずうっとでした。そのため当時の私は霊感は解りませんが悪い予感がありましたので、何が起きても危なくないように、足の届くような水深の深くない場所で素潜りをして遊んでいました。子供たちはと言うと、一緒に帰省していた中学生の親戚の子とゴムボートに乗り、夢中になって遊んでいました。子供たちはその当時はまだ泳げなかったので、ボートからは絶対おりない約束で何かあったら、私を呼ぶように言いつけておりました。私は子供たちとは50メートルくらい離れている場所で泳いでいたのですがその時たまたまなのですが、水中のゴムボートの底から子供たちを驚かそうと思って子供たちに見つからないように、子供達の乗っているゴムボートにそっと近づいて行ったのです。そして、ちょうど10メートルくらい手前から潜って、子供達のゴムボートの近くまで潜って行った時でした。水深5メートルくらいある場所の、1.5メートルくらいの水中の中所でサンダル履きの水着を着た子供2人が暴れているのが突然視界に入りました。(2人の子供が水中に飛び込んだような音は不思議なことに 私の耳には全く聞こえなかったのです。)私は、子供が溺れていると思って、そのまま2人を抱きかかえ海面に持ち上げました。そして、2人に対して、何をやってるの大丈夫?と聞いてその2人の子供をよく見て見ると、なんとその2人の子供たちは私が驚かそうとしていた私の2人の息子たちでした。私は、余りにも一瞬の出来事で、何が何だか解りませんでしたが、危なかったという印象も不思議となく、たぶん、私が潜って近づいているのに気づいて、ボートから飛び込んだんだろうと単純に思いました。そして、子供たちを抱えたまま足の立つ所まで連れて行くと、子供達が急に私に向って「あれ、オヤジだったの?なんでここに居るの?」と聞くのです。私は、何を言っているの?とは思いましたが、私の子供たちに、何で泳げないのにボートから海に飛び込んだのかを聞いてみました。すると長男が、「足が届くかと思って」と言うのです。そして、次男も「兄ちゃんが行くって言うから」と言うのです。当時の長男の性格は、凄く怖がりで、石橋を叩いて渡るどころか、石橋も叩けない性格でした。そんな長男が何で、水深1、5メートルの水中の中に。しかも次男と一緒にいるなんて。考えられないですよね。子供たちと一緒にボートに乗って遊んでいたはずの親戚の子はボート乗りに飽きて全然、違う場所で泳いでいました。そして、その海岸には大人は居たには居たのですが、50メートル以上離れた場所であったので、もしも私が偶然に子供たちを驚かそうと思って近づかなかったら、一瞬でわが子を失くす瞬間だったのかも知れません。本当に不思議な事なのですが、その時は、何も危ない出来事と焦りもなく居られた自分がそこにおりました。しかし、後日その日の出来事を考えてみると、その日の朝からの不安感やもし子供たちに気が付かなかったらを考えると、何もなかったから良かったような物で、もしも子供たちの身に取り返しが付かない事が起きてしまって居たら悔んでも悔やみきれないほど後悔したことであったと思います。霊界中央分離帯ではないですが、私の人生歴の中では、天と地の差ほどある出来事だった事は確かでした。(めでたしで本当に良かったです。)そして、それから5年後の事でした。ついに呪われた海岸の最後の犠牲者が出てしまったのです。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.08.31
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Mくんとの嬉しい再会もあって、その年の夏は何事もなく過ぎました。そして、秋になったある日の事でした。朝に私がテレビのニュースを見ていると、日光で紅葉が始まったという紅葉情報が流れました。私と妻はその日はたまたまの休みの日でしたので、私は妻に「紅葉だって、今から行こうか?」といつもの思いつきのノリで言うと妻も「うん、行こう。行こう。」と即答しました。私が妻の好きな所は、私がどっかに行かない?と聞くと、絶対に断らず一緒に行動してくれるところなのです。このため、行動的な私の衝動的な思いつき旅行は、子供が小学生になるまではほぼ毎月のように、妻が1度も断ることなく実行されました。いつも家族での移動は車で行っていましたので、その頃の年間走行距離は車を通勤に全く使っていないのにもかかわらず、2万キロ以上走って居たゴルさんでした。そして、毎年のように実家への帰省で片道850キロを一人で運転していましたので長距離運転には凄く慣れておりました。そして、2年間で地球を1周するくらい自動車を運転していましたが一度も事故を起こしそうになる事はなかったのです。しかし、その秋の朝に紅葉のニュースを見て日光に行った帰りでした。関越道を運転中に、私は急に眠くなってしまったのです。それまでにそんなに眠くなった経験はありませんでしたが、余りにも急に眠くなってしまったので、サービスエリアで休もうかなと思った時でした。「ゴル」と急に私の名前を耳元で呼ぶ聞き覚えのある声が突然したのです。私は、「えっ、ゴルじいさんの声?」と心臓がドキンとして前を向くと、真っ直ぐ走っていたはずの私の車が、カーブで中央分離帯に向っていたのです。(ゴルじいさんは、私が上京をした年の7月に亡くなっています。)私は余りにも一瞬の出来事で、いったい何があったの?と思いました。もし、ゴルじいさんの呼ぶ声が聞こえなければ、時速100キロ以上で走行していたので、そのままブレーキなしで中央分離帯に衝突している所でした。ギリギリセーフでした。私は自分では起きていたはずでしたが、いつの間にか一瞬で眠ってしまっていたようです。そして、私は思いました。これって、2人の先輩と同じ事故?もしかして、自分も狙われた?(私は、実は前日から朝方にかけて金縛りになっており、お腹の上に黒い影のような 物体が居た事をその時に急に思い出しました。そして、T兄さんのカーブを曲がり 切れずの事故の事をその時すぐに思い浮かべてしまいましたが、何も予感がなかったし 気のせい気のせいと負の連鎖に繋がらないように、自分の気持ちに必死に言い 聞かせました。)その当時はシートベルト装着義務もなく、エアーバックもなく、愛車もボディが弱さそうな貧租な車だったので、そのままブレーキなしで事故っていたらたぶんですが私はここに居なかった可能性大です。本当に一瞬のできごとで、三途の河・・・ではなくて、霊界中央分離帯のあっち側の人になるところでした。その時は、亡くなったゴルじいさんに感謝するばかりでした。(私は今まで20年以上運転していますが、志賀高原のスキー帰りに車がスリップして スキーのように車を滑らせて止まり切れずに、ちょっとだけガードレールにキッスをした 初体験はありますが、その時以上に危ないと思うほどの、ドライバー人生最初で最後の 居眠り運転だった事は確かです。) 自宅に帰ってから、いろいろと村の外れ海岸繋がりのことも考えましたが私は私が上京をしてから亡くなった、父も祖父も祖母も私を絶対に守ってくれると強く信じる事にして、運転中に自分が眠らなきゃいい問題とプラスに考える事にしました。その後は、そんな経験はありませんでした。それから、数年後の夏の事でした。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.08.30
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話が随分空いてしまいましたので、これまでどんな経過があったのか書きたいと思います。まず、私が小学1年生の時に、村はずれの道路工事と一緒に橋の工事をしている時に大型トラックと自動車が正面衝突して、一人の若い男性が亡くなりました。車どうしの事故で村内で亡くなわれたのは、後にも先にもその事故が最初で最後です。私はその当時からその事故の事が何故か頭から離れず、その村はずれの海岸でだけは泳がないようにしていました。しかし月日が経ち、私が上京して数年経ってからの帰省中のことでした。友達Mくんの誘いもあって「自分も大人になったし」、という軽い気持ちでその事故のあった村はずれの海岸で泳ぐことにしました。すると、その年の秋に一緒に泳いだ2つ上のY先輩が酒酔いで、50キロ規正道路を120キロ以上で走り、カーブを曲がりきれずそのままガードレールを破り、海に飛び込んでしまい頭を打って重体となり、数日後に亡くなってしまいました。そして、翌年に懲りずにその海岸で泳いでしまった結果、その年に一緒に泳いだ2年上のT先輩がカーブで岩石にそのまま衝突して、亡くなってしまいました。そんな事もあって、その翌年には絶対にその海岸では泳いではいけない事をT先輩の弟のMくんに伝えようとしましたが、Mくんも私とその海岸で泳いだ事が影響をしたのかMくん自身もバイクで運転中に大型ダンプに巻き込まれて、重症を追い入院してしまいました。Mくんとはその後音信不通となり、事故の原因や身体の予後や生死についても不明のままでした。私は本当にあの呪われた海岸で泳いでしまったばっかりにと悔やみ、そして「次は自分かも?」などと、いつ何時自分の身に降りかかるかわからない見えない恐怖を意思せざるを得ない日々でした。そしてそんな中、ついにその日はやって来ました。それは、Mくんの連絡先もわからずに3年経ったある夏の日のことでした。実は私は、そのころには、その呪いの海岸の恐怖はすっかり忘れておりました。そして、Mくんのことも内心は一生会えないものと、諦めていた自分がおりました。(やはりそれほど、自分の周りでは滅多に起きない次々起きてしまった自動車事故死が、 その当時20歳半ばの私には衝撃的な出来事であったと思います。)私が実家に居ると、玄関で「ゴル、帰って来たか。」というやけに聞きなれた懐かしい声が聞こえて来たのです。その聞き覚えのある懐かしい声はまさしく、私の待ち望んでいた声でした。そうなんです。Mくんは生きていたのです。(ゴルさんはまる5年ぶりにMくんと再合する事が出来たのです。)私はその声の懐かしさと、まさかの驚きの中、当初は幻覚?それとも夢?と思ってしまう自分がおりました。しかし、私が玄関に飛んで行って見ると、Mくんがそこに立っていて、両足もちゃんとあったんです。私は嬉しくて感動のあまりMくんに抱きつこうかと思いましたが、そんな風習は長い歴史の友人関係の間にはなかったので、絶対に会えないであろうと諦めていた友人との久々の感動的再会は握手だけに留めておきました。(田舎者のゴルさんはは恥ずかしがり屋さんです。)そして、私は思わず「トラックに巻き込まれたって聞いたけど、大丈夫だったの?」とMくんに聞きました。Mくんは「酷い事故で入院やらリハビリやらで大変だったよ。ようやく普通に生活が できるようになったよ。」とダンプに挟まれ方次第では命も危なかった事を詳しく説明してくれました。しかしMくんはやはりゴルさんの友達ということもあって、1度や2度のオイタでは懲りないタイプです。そんなバイク事故後の後なので、今年は実家で大人しくしていると思いきや「今年は、何年ぶりになってしまったけど、これから海で泳ぐぞ」と笑いながらMくんが言うのです。その為私は、この数年間で起きてしまったあの海岸でまつわる自動車事故の事をMくんに詳しく話しました。そして、今年は海で泳ぐのを避けたほうがいいのでは?という疑問をMくんに投げかけました。しかし、私の話をMくんは聞いて、少しビビリが入ったように青ざめてはいましたが「それは、凄く危ないね。あの海岸はやばいからやめとこうね。 でも、違う海岸なら大丈夫だよね。」と、相変わらず、泳ぐ気、満々でした。私は5年ぶりにMくんに合いましたが、そんな、まったく変わらないMくんの言動にとても感謝しました。「Mくん、生きていてくれて、ありがとう。」その後、Mくんの兄の事故当時の不審行動があった事も、教えてくれました。その内容は、Mくんの兄のTくんが事故を起こした頃に、部屋の中に黒いものが居ると突然言い出し「あっちへ行け」とか「また来たな」と怒りながら、お茶をその黒いものに掛けた事が何度かあったそうです。そして、事故当日に突然タバコを買いに行くと行って外に出て、絶対に事故を起こさないような見通しが利くいつも走りなれた道路で、絶対にありえない事故で壁に激突して亡くなったそうです。女性の方と同棲生活をしていて、結婚も決まっていて、その女性の方のお腹にはT先輩とのお子さんが妊娠していたそうです。本当に、T先輩の自動車事故は何が原因であるかわからない事故であったそうです。いったい、何が原因だったのでしょうか?霊視をしてみたいのは山々なのですが、まだまだ話はその後も続いたのです。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね。)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.08.29
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翌年の夏に実家に帰省してすぐにMくんの家に行きました。私は早くMくんにT兄さんのお悔やみと、あの海繋がりの出来事を伝えてくて、凄く焦っている自分がおりました。そして、あの海の事やY先輩やT兄さんの自動車事故に関してのMくんの考えや意見を早く聞いて、安心したい自分がそこにおりました。しかし、家族の人は誰もMくん家に居る気配もなく、その日はずっと留守でした。翌日になって、私はMくんはまだ実家に帰って居ないのかな?と凄く焦る自分の気持ちを必至に押さえて、Mくんの家に行きましたが、その後もMくんどころか、Mくんの家族もずっと留守で、Mくん家族とは誰とも話す事がまったく出来なかったのです。やはり、Mくんの身に何かあったのでしょうか?私はとても心配になりました。そのため、とてもせっかちで、思い立ったら活動家ゴルさんは、なんとかしてMくんとの連絡方法を考えてみましたが、友達の誰一人Mくんの連絡先を知りませんでした。私はどうしてもMくんと話をして、居たたまれずにおりました。そして、まるで片思いの女の子に会いたいくらい、毎日毎日、Mくんと話す事を無意識に考えてしまい、Mくんとの会話風景イメージが頭から離れず、Mくんの夢を見てしまうほどでした。ある意味、地獄でした。そして、実家での仕事休暇も終わり、東京へ帰る前日の日の事でした。Mくんは私の1学年上なのですが、その学年でMくんと一番親しい友達Kくんが実家に帰省して来たのです。私はすぐにその友達Kくんの家に遊びに行き、Mくん情報を聞いてみました。すると、なんとその友達Kくんは、Mくんが何故、実家に帰省出来なかったのか?詳しく知っておりました。その友達Kくんの話によりますと、Mくんは2輪の免許を取って、バイクの運転中に大型トラックに巻き込まれて事故に合い重傷を負い、瀕死の状態で病院に入院していると言うのです。そのため、Mくんの家族がMくんの付き添いのために、Mくんの入院している病院に行っているというのです。MくんとMくんの家族不在の真相がはっきり解りました。そして、あまりもの連続する大きな自動車事故繋がりに青ざめるゴルさんがそこにおりました。Mくんだけは他の2人の先輩とは違って、自動車運転中ではなく、バイクだったのが大きな違いですが、Mくんの体や予後は大丈夫なのでしょうか?もしかして、車でなくバイクだったから助かったという事はなかったのでしょうか?いろいろな考えが私の頭を横切りました。そのため、少しでも自分の気持ちを落ち着かせようと、友達KくんにMくんの命は大丈夫なの?予後は?と聞いてみました。友達KくんがMくんの妹から聞いた話によりますと、命は大丈夫みたいだけど、下半身の損傷が酷いので、Mくんが一生寝た切りになる可能性もあると言うのです。私は、その話を聞いて、あの海岸は確実に呪われていると思いました。自動車ではなく、バイクだから命は助かったけど、もしも自動車運転での事故だったら確実に死んでいるとも勝手に思い込んでしまいました。私は、友達Kくんにに2年間の間に起こってしまった恐怖事故を詳しく説明しました。そして、あの海岸でだけは泳がないようにと強く声かけました。その話を聞いた友達も、「うだで、やべ び や」ともろ田舎弁で声を震わせて怖がっていました。(通訳すると「とても やばいね」です。)本当にやばい海岸ですよね。ただ、一緒にその海岸で泳いだだけなのに、一人一人順番に私が子供の頃に起こっている過去にあった自動車事故と同じ事故に導かれるように次々と、20代の健康な若者が亡くなって行くのです。敵が見えない分、そして、得体の知れない分、次に何が起こるのか?本当に私の本音は恐怖でいっぱいでした。こんな見えない力の防御法はあるのでしょうか?霊能者に頼むしかその防御法はないのでしょうか?私はいつなん時に、自分に降りかかるか解らない見えない恐怖に対して、自分では解決法が解らず、本当に悩んでしまいました。そして、いつも行っているある行動を導かれるままにとってしまいました。いつも行っているある行動とはですが、それは私の妻にその不安をじっくり話す事でした。(生きていた頃の妻との会話です。・・・霊界通信ではないですよ。あしからず)私の妻はB型です。いつ何時でも私の話に対しては率直に、自分の考えを表現してくれました。私が少し弱気になって、自分に何かあったら。というと、妻は、大丈夫。その時は私が何とかするから。ダメな時は何をしてもダメだよ。そん時に考えればいいじゃない。先輩もMくんも運命だったんだよ。あの海岸が関係しているんじゃなくてしょうがない事故だったんだよ。あの海岸で今後、泳がなきゃいい事だよ。というのです。私がその見えない恐怖感でいっぱいの最悪の心理の中で、他の人に言ってもらいたかった私が勇気が持てる最高にプラスの言葉でした。私は、悪霊や祟りなど見えない力に対しては対処法も解らず、とても怖がりの人間なので、何があっても対処は無理だし、しょうがない事で、霊能者さんに頼って何とかしてもらうなど、他人任せの事でもないと思えたので、妻の言うようになるようになれでいいや。と自然に思えるようになりました。そして、結果それが最悪な結果だとしても、妻が残ってくれるだけでなんとかなるだろうとそれまでの恐怖が消えるまで数日はかかりましたが、全てを受け止められている自分がそこにおりました。その後、その海岸の恐怖事件など、考える事もなくなりました。そして、私が自動車運転中に怖い体験をする事もなくなりました。そして、その日はついにやって来ました。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね。)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.08.18
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あれはもう冬が近い日の肌寒い夜の事でした。突然、ゴル姉から電話が来たのですが、妙に興奮した口調で私にこう言ったのです。「さっき、実家に電話したら、お前の先輩のT兄が事故で死んだってよ。」私は、突然の訃報に余りにもびっくりして、そんな馬鹿な事はないでしょう。と混乱しながら「T兄さんなら夏に会ったけど、凄く元気だったよ。事故っていったい何の事故?」とゴル姉に聞き返しました。するとゴル姉は、「自動車事故だってよ。何でも一人で車に乗っていて、事故を起こして即死だって」と言うのです。「じ、自動車事故・・・・・!!」私は、心臓が止まるかと思うくらい衝撃的な事柄に、本当に驚いてしまいました。昨年は、夏過ぎにY先輩。そして今年はY先輩と同じ同級生のT兄さん。しかも、2人とも私が子供の頃に起きた自動車事故があった村はずれの海岸で。私が子供の頃から泳ぐことを避けていた場所で、2人とも私とは一緒になんか泳いだことがなかったのに、偶然一緒に泳いだ後に確実に起こってしまった事故です。しかも、私の子どもの頃に亡くなった若い男性の方と同じ自動車事故なんて。考えてみたら、私が子供の頃に自動車事故で亡くなった若い男性の方も一人乗車の一人運転中の出来事で、あまり繋がりを考えたくはなかったのですが2人の先輩とも共通性はかなりありました。本当に信じられないほどの、どこかで繋がりがあるのではないかと思えるほどの衝撃的な出来事でした。私の2年上の先輩の同級生は20数名しかおりません。たった、1年ほどの間に2名もの同級生を、20代という若さで同じ自動車事故で他界してしまうなんて、誰の目から見ても本当に痛ましい事故でした。後日、聞いた話なのですが、T兄さんも実は婚約していたようで、奥様となる方のお腹の中には、T兄さんのお子さんを宿していたようです。夫になる方が急に事故死なんて、その奥さまになられる方はお子様を産むかどうか本当に悩んだそうです。後で、その話を聞いた時は、余りにもY先輩と境遇も一緒で、何故、そんな大事な時に2人とも事故に遭ってしまったんだろうと、本当につくずく考えてしまいました。そして、思った事が、あの海岸は本当に危ないという事でした。私が子供の頃に自動車事故が起きた村はずれの海岸は、絶対に何か見えない危ないエネルギーがあって、泳ぐのはとても危険であるという事でした。その事実に私はようやく気がついてしまいました。しかし、その時点でその事実を知っているのは、実は私しかいませんでした。それまで私は、周りの人に変な恐怖心を抱かせてはいけないと思いその村はずれの海岸が危険の事なんて、誰にも話した事はありませんでした。そのため、自分にもしもその危険が降りかかって来たとして、自分の身に何か起こってしまったら、残された自分の家族に対して申し訳ないと思い、私の妻にはその海岸での出来事を詳しく話しました。妻も、「その海岸では一生泳がない方がいいよ」と言いより車の運転だけは気をつけるように2人で強く約束しました。本当にこの先何があるか分からない見えない恐怖感でしたが、妻に話したことでなんだか落ち着き、不思議な事にその見えない恐怖感を後まで引きずる事はありませんでした。そして、私は早急にもう一つしなければいけない事がありました。それは、T兄さんの弟のMくんに、その海岸繋がりの事故の事を教えて注意を呼びかける事でした。しかし、ちょうどMくんは千葉で大手の会社に入っていたにもかかわらずやはり北海道が好きということで、札幌に仕事先や場所を移してしまったので電話番号がわからず、帰省した時にしかその事を伝える術がありませんでした。そのため、翌年に実家に帰省してからMくんに詳しく説明しようと思って居ました。しかし、翌年になって、その計画が私の想像通りにはいかなかったのです。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね。)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.08.15
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翌年になって、私がまた実家に帰省した時の事でした。私はいつものように毎年一緒の時期に帰省している、第5話でも紹介しましたMくんの所へ遊びに行きました。しかし、その年に限ってMくんは実家には帰っておらず、Mくんの兄のT兄さんが帰省していました。T兄さんの話によると、Mくんは仕事の都合で今年は帰れないということでした。T兄さんは実はサッカー部のY先輩と同級生です。小学1年から高校3年まで同じ学校でした。そのため、Y先輩が自動車事故で亡くなった翌年初めての夏ともあってT兄さんとY先輩の事を、本当に痛ましい事故であった事を話したりしました。そして、T兄さんともMくんとも子供の頃から兄弟共に仲が良く余りにもその日は暑かったので、T兄さんの誘いで一緒に海で泳ぐ事にしました。本当に不思議なことなんですが、私はその年に限って何故かいつもは嫌がって泳がなかったあの村はずれの私が子供の頃に自動車事故で若者が亡くなった場所のすぐそばの海岸で泳ぐことにしてしまいました。その日は一日中、その海岸で泳いでいました。そして、その時思ったのが、T兄さんの卑しい欲張りのような性格でした。昔からT兄さんはとても食べ物や物事に貪欲な性格で、コカコーラの懸賞のスターウォーズのロボットやどんべいの懸賞の戦車を裏技を駆使して当ててそれぞれ5個以上持っていたほどです。何に対しても裏技を考える人で、駄菓子屋さんのコインゲームでコインを出しすぎて駄菓子屋さんのコインが無くなって、駄菓子屋のおばさんがT兄さんにゲームのコインを貸してもらったぐらいです。T兄さんとはその日も海で泳いで一緒にお昼を食べたり、海の幸を少々いただいて食べたりしましたが、やはり貪欲さは相変わらずで、普段はあまり気にしないゴルさんもさすがに引くくらいの卑しんぼうでした。泳ぎ終わって残った海の幸をT兄さんに少しあげようかというと、凄く喜んで私のぶんも全て持って帰ってしまったほどです。まあ、凄く喜んでくれたからその時は良かったのですが、何故だか解りませんがT兄さんの卑しい行動に妙に引っかかる自分が居て不思議な感覚でした。そして、その私が子供の頃から避けていた自動車事故のあった海岸で泳いでも何も問題は有りませんでした。そして、いつもの年のように帰省中は故郷を満喫して、無事東京に戻って来る事が出来ました。やはり、あの私が子供の頃に自動車事故があった海岸は私の幼少のころのトラウマで、大人になってからの自分にとってはただの思い込みだったとも思えるようになりました。しかし、そう思って安心した日もつかの間で、それから数か月後にまたしても起こってはならない悲劇が起ってしまったのです。ブログランキング参加中(応援して下さる方はクリックしてくださいね。)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.08.14
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ちょうど、その日のお昼になるくらいの時間に実家の母親から電話がありました。私が電話に出るなり「ゴル、お前は大丈夫か?」とゴル母が突然、聞くのです。私は「急にどうしたの、何も変わりはないよ。」と言うと「今日の朝方に仏壇を拝んでいたら、ゴルくらいの若さで、綺麗な顔をした男の人が後ろに 立っていて、恨めしそうにじっと見られていたから、ゴルに何かあったのか心配になって。 ゴルは本当に何も変わりはない?」という内容でした。私は「それは、びっくりだね。でも、こっちは何も変わりないから心配ないよ。」とすぐに即答しましたが、私が朝方にゴル母と同じような体験した事を、ふと思い出してしまいました。そのためゴル母に「そう言えば朝方に母さんと同じものを見たよ」と朝に起こった出来事を詳しく説明すると「誰か知り合いに何かあったのかも知れないから、お前も気をつけるんだよ。」と電話を切りました。その夜の事でした。またゴル母から電話がありました。そして、ゴル母が「お前の2年先輩の地元の消防署に勤めているYくんが、早朝に自動車事故で頭を強く打って 函館の病院に救急車で運ばれて、危篤状態になっている。」と言うのです。私は、高校卒業依頼あの海で一緒に泳いだ時にしかY先輩には会っていなかったので「え、何で、Y先輩って、あの一緒に海で泳いで、影が薄かった。あのY先輩が事に・・・」 本当に驚きました。ゴル母の話ですと、Y先輩は同僚と酒を朝まで飲んで、同僚に酒を飲みすぎているからと何度も止められたのにもかかわらず大丈夫と言って、50キロ制限の国道を120キロ以上で走り、カーブでブレーキもかけないままガードレールを破り、そのまま海岸まで飛んでいってしまったそうです。その衝撃でかなり頭を打って、治療はしたものの植物状態であると言う事でした。やはり、私の足元に立っていたのは知り合いの方でした。しかもその時点ではやはりまだ生きていたのです。私が以前に漁火体験記で体験した心霊体験の時や、夜勤中に亡くなわれた患者さんのご遺体と一緒に居るような、どこか寂しいような感覚はありませんでした。私が朝に体験した出来事は、あくまでも私の感覚的にはですが、生きている方が身体を持たずに私の足元に立っている感覚でした。ですから、私は寂しさや恐怖感もなく、何か不思議な感じだけがありました。やはり、Y先輩は私やゴル母の所へ来ていたのだと思います。きっと、何かを伝えたかったのかも知れません。当時、私は霊界通信はまったく解りませんでしたので、Y先輩の事故後の出来事は事故を起こした理由?私やゴル母の所へ来た理由?など疑問が残る事だらけでした。そして、その事故の日から1週間後にY先輩は他界されました。Y先輩は婚約したばかりで、結婚式も決まっていたそうです。年齢的にも、周りの方々にとっても本当に痛ましい事故でした。しかし、このY先輩の痛ましい自動車事故だけでは、話は終わらなかったのです。ブログランキング参加中(たくさんの方々に見てもらいたいです)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.08.13
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これだけは書きたくなかった心霊体験を書こうかとどうか凄く悩みましたがやはり、その恐怖を皆様に伝える事で、この猛暑の中少しでも冷房効果があればと思い凄く迷いましたが、本当にあった恐怖体験を書かせていただきたいと思います。あまりにも恐怖体験な話のため、今回は途中退室可です。なんて、こんなブログの始まり方も大好きなゴルさんでした。少しは寒さを感じましたかね?それでは本題の本当に体験した恐怖体験を書きたいと思います。話はゴルさんがちょうど小学生になる年の事でした。私の村の入口には橋があって、その橋の工事中に大型トラックと乗用車が正面衝突して一人の若い男性が亡くなりました。村の歴史の中で初めての大きな交通事故でした。私は子供心にその衝撃的な事故をずうっと忘れられずにおりました。そのため、自分が大きくなってからもなんだかその事故があった場所を通るのが怖いというか、何か嫌な予感がして嫌なイメージがありました。夏になるとその事故があった辺りの海岸はアワビが多く採れる場所なので中学生や高校生の泳ぎ場所としては最高の場所になっていました。(その当時の子供の遊びと言えば、ゲームなどなかった時代でしたので 海の幸を少々いただくのが、子供たちの遊びでした。)私も海の幸を少々いただく遊びは大好きでしたが、その交通事故のあった海岸でだけは泳ぐ気には全然なれませんでした。ですから、私が東京に上京するまでは、その海岸で一度も泳いだことがなかったのです。それが、ちょうど東京に上京してから数年経った時の事でした。いつも帰省した時に遊んでいるMくんという友人にその海岸で泳ぐ事を誘われたのです。誘われた当初はなんだか気が向きませんでしたが、その日に限って一緒に泳ぎたいという友人が多数いて、断るに断れず、しょうがなくその海岸に泳ぎに行きました。友人が10人以上は居たと思います。そして、その場所にはサッカー部の2年上のY先輩も、別の友人たちと泳いでいました。Y先輩は顔がカッコよくサッカーも上手く、就職するのにかなり難しい地元の消防所に勤めていました。ゴルさんにとっては、とても優しくて、女の子にモテモテで、本当に尊敬出来る先輩の一人でした。その先輩とも話す機会があって、その先輩に話かけた時の事でした。何か妙にその先輩の影が薄いのです。見た目の影と言うよりも、魂が抜けているというか、自分の尊敬していた先輩とは全然違ったイメージの私が知らない他人のような先輩がそこにいるのです。私は何か嫌な予感がしましたが、先輩も大人になって落ち着いたんだろうなと勝手に解釈して、自分の嫌な予感を考えないようにしていました。そして、そのあとその海岸で泳ぎましたが、なんの問題もなく海水浴する事が出来ました。しかし、事件はその後に起こったのです。私がその帰省後東京に戻って、数か月経った時の事でした。私は夜に普通に寝て、朝方になった時に急に眼が覚めたのです。全然、眠くもなく急に目が覚めたので、何かとても不思議に思えた自分がそこにおりました。ふと、足もとに目をやると、何かが足もとに立っているのです。私は全然怖くもなく、その立っているものをジッといました。ジッと見ていると、その立っているものも、こちらを悲しそうな表情でジッと見ているのです。これはいったいなんだろうと思った瞬間に、その表情から若い男性である事が解りました。普通、凄く怖がるところですが、その若い男性とは以前に会った事があるような気がして不思議と怖くなかった私は、「解ったからもう帰ったら」、と無意識に言っている自分がそこにいたのです。(たぶん、その時はその若い男性は生きていたと思います。 亡くなっているというよりも彷徨っているイメージだったのです。)私が頭の中でそう言うと、たぶん泣いているイメージですが、悲しい表情で消えてしまいました。私は、その後急にさびしくなり、電気をつけましたが、私の足元には当たり前ですが何もおりませんでした。いったい、あれはなんだったのでしょう?次に続くです。ブログランキング参加中(たくさんの方々に見てもらいたいです)ここをクリックしてくださいねにほんブログ村ブログ村 スピリチュアル・精神世界
2009.08.12
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