宇宙航海日誌

宇宙航海日誌

第一章(3)


「お前たちの世話になるのも今日で最後だな。せめてお前たちにかけられた魔法を解いて、その任から解放してやりたいところだが私は魔法については何にも知らない。魔法を使いたいと思ったことはないが、この時ばかりは自由に外界に出て様々なことを学ぶことのできなかったこの身を口惜しく思う・・・」
「それがお前の願いか」
突如としてミナレットの部屋は濃い黒い霧に満たされ、魔女クラインの意識がミナレットの意識に流れ込んできた。
「お母様!」
「その願い、叶えてやろう。その代わりあの世に旅立つまでの間にその身体を借りていくぞ・・・」
侍女のマリオネットは砂となって姿を消し、骸骨兵は形を崩して、ただの積み重なった骨の山と化した。ミナレットの首にかかっていた特殊な封魔のチョーカーが外れ、少女は為すすべなくクラインに意識を奪われていった。
「お・かあ・・・さ・ま・・・」

 ルゼルグは玉座の間とは反対側の棟で戦いを続けていた。大魔術師クラインとの戦いに比べれば残存兵士との戦いにすぎないが、ルゼルグはしんがりを命じられたことで、誇りに満ちた気持ちで意気揚々と剣を振るった。最上階を残して全ての階層の敵兵を一掃し終え、もう一つの部隊は既にクラインと衝突している頃であったので、ルゼルグはそろそろその勝敗の行方を気になりだしていた。
「メテシス様、そろそろ最後の階に向かわれてはいかがでしょう」
ルゼルグは両刀使いの骸骨兵を背骨から一刀両断にしたところで別働隊の指揮官である魔術師に話しかけた。長く白い髭と灰色のゆったりとした魔術師特有のローブがいかにも賢者らしい。
「うむ、アルマイクが我々の援護を待っているかもしれんからのう。速やかに残る最上階を制圧して玉座の間に向かうぞ」
最上階への入口は鉄板で補強した頑丈な扉で閉ざされており、クライン戦に魔力を温存しておきたいメテシスのために魔法は使わず、屈強の騎士三人で体当たりして無理やりこじ開けた。幸い、魔法による封は施されてないらしい。扉の先には真っ直ぐな幅の広い階段が続いていて、明かりもないのでその先は何も見えなかった。各階層に守りの兵を残さなければならなかったので、今最上階に向かえるのは百五十人程であった。
「メテシス様・・・」
「わかっておる」
メテシスは先の見えない空間に向かって魔法の明かりを放ち、昼間の陽光のような光の下に長い回廊が姿を現した。
「油断するでないぞ!魔術師は常に裏をかく生き物じゃ。魔術師のワシが言うのだから間違いない」
「は!肝に命じてございます!」
ルゼルグを始め百五十人の騎士たちは最上階に突入した。長い回廊を進みながら騎士たちは一部屋一部屋、中の様子を確認していった。骸骨兵どころか鼠一匹出てこない。人が生活していた形跡すらない。
「この階は使われていなかったのか?」
「何のためにあんな頑丈な扉があったんだ?」
騎士たちに安堵のような半ば残念そうな表情が表れだした。
「ルゼルグ・・・」
背後からゆっくりと付いてきたメテシスが声をかけてきた。節くれだった年季の入った人差し指を回廊の末の扉に向けて・・・。
「あそこに・・・何かおる」
「敵兵ですか?」
「わからん。だが得体の知れない魔力を感じる。ここにクラインはいないはずだというのに・・・」
ルゼルグはメテシスから流れ落ちる一筋の汗を見て状況の深刻さを悟った。
「クラインではない。しかし強大な魔力を感じる。どうやら我々はクラインに裏をかかれたらしい」
メテシスは持っていた龍骨製の魔法の杖を前方に突き出した。ルゼルグも大刀を構え、メテシスを守るように回廊の末に向かって進み出た。その場にいる騎士たちは全員息を呑んだ。末の扉の隙間から舐めるように黒い闇が這い出してきて、魔法でつくった明かりを次々に飲み込み、辺りは再び薄暗闇に包まれた。騎士たちは沈黙し、振り続ける雨の窓ガラスに打ち付ける音だけが大きく響いた。
「メテシス様、私が行きます」
ルゼルグはゆっくり回廊の先へ進み、細かく呪文のような装飾の施された木製の扉の取っ手に手を掛けた。ひんやりとした金属の冷たさが手の平に伝わり、扉は何の抵抗もなくゆっくりと開いた。大刀を握る右手に汗が滲む。扉の向こうに現れたのは一人の魔導服を着た若い女性だった。歳は恐らく自分より下であろう。中指にはめたルビーの指輪と闇に浮かぶ白い肌が目に付いた。
「誰だ貴様は!」
ルゼルグは魔術師でなくとも分かるその異様な雰囲気に、騎士として守るべき婦人に対する礼を忘れていた。
クラインに乗り移られたミナレットだとは知るはずもないメテシスは状況の判断を付けかねた。今回の戦いは帝国一の魔術師、クラインの討伐が目的であったはずだ。ところが目の前にいる少女はあの大魔術師よりも明らかに強大な魔力をもっている・・・。
クラインに支配されたミナレットは虚ろな黒い瞳をルゼルグに向け、ゆっくりと右手を上げた。母親とまったく同じように・・・。

 城の最下層に下りて、治療を受けながらアルマイクは別働隊の帰還を待っていた。結局、あの黒い霧による被害は全くなく、何事もなく退避することができた。ただ一つ、クラインの右手からあのルビーの指輪が消えていたことが気になる。
別働隊から最上階を残して全ての階層を制圧したという報告が来てからだいぶ経った。
「メテシス殿は何をやっておるのだ。騎士たちも気力を使い果たしておるというのに」
突然、轟音と鈍い地響きとともに城全体が大きく揺さぶられ、天井の一部が崩れ落ちた。アルマイク周辺にいた騎士たちがとっさに指揮官の身を守るために盾を構えて彼の周りを取り囲んだ。
「何事だ!」
若い騎士が伝令として駆けつけた。
「城の、城の別棟の最上階とその下の第五層が崩壊しました!」
アルマイクは唇を噛み締めた。
「クライン!謀ったな!」

クライン戦で生き残った騎士と最下層から第四階層に待機していた全兵力を崩れた第五層と最上階に向かわせた。アルマルク自身もショートソードを手にして部下が止めるのも聞かず飛び出した。たった一人残った魔術師も倒されたとなると、今、指揮を執れるのは彼しかいない。彼が潰れて真っ平らになった第五層に到着すると、そこには思いがけない光景が広がっていた。たった一人の魔術師風の少女を数十人の騎士が取り囲んでいるが全く手を出せないでいる。そこら中に騎士たちの遺体が転がっている。
「これはいったい・・・?」
アルマイクは急いで少女のいる場所まで駆けつけた。少女の足元には血にまみれた騎士の遺体が何体か横たわっている。
「うわあああああ!」
騎士の一人が剣を構えて飛び込んでいったが、少女が右手を優雅に横に一閃するとその騎士の屈強な肉体はばらばらに切り刻まれて辿り着くことができなかった。美しく整った顔が赤い鮮血の返り血を浴びた。黒く長い髪も白とグレーを基調とした魔導服も雨に濡れて青ざめた肌に張り付き、血の混ざった雫が滴り落ちた。彼女はただ無表情のまま、向かってくる騎士を機械的に切り刻み、また次の犠牲者がかかって来るのを待っているようだった。
「悪魔め・・・!」
その余りの強さと残忍さに騎士たちは容易に踏み込むことができなかった。
「お前は・・・何者だ!」
アルマイクは動揺を隠し切れなかった。確かにクラインは自分の手で倒したはずだ。それなのに目の前にいる魔術師はいったい・・・。
「そうだな・・・私もこの娘が何者なのか、何者になるのか、まったく分からんよ」
そう言うと少女は両手を空に向かって突き出した。空が完全な闇に包まれ、複雑な紋様が描かれた宙に青白く光る巨大な魔法陣が三つ現れた。
その日、ルーニ湖湖畔の城から生きて帰れた者はいなかった。

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