星の時間――

かえろかな


なんとなく過ぎ行く――【 星の時間(?) 】
at 2003 06/25

【眠り】・・・・・普段気づかずとも、アタシたちは眠りにおいて【解放】されるようです。
今回のささやか幸せ帳は、『チーター父さんの育児日記』から、ここにちょいと移動してみました(笑)。

http://194.nikkies.net/diary.php3?IDX=85


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【食いしん坊わんわん8才編】

朝食を食べた後・・
「お腹が痛い。。。。。」
と大粒涙のわんわん・・・・
いつもは9度の熱でも
「学校、行きたい・・」と逆に大粒涙でしたのに・・・
母さんは、がまんできるくらいなら行きなさい、と 言うのですが、
わんわんがそこまで言うのはよっぽどだろうと、

結局休ませることに・・・・

しかし、ばあちゃん曰く、

「しばらく寝よったみたいなけど、すごすご母屋に来て、クマと遊ぼうと
するけん怒ったんよ・・・・。そしたら今度はクマを連れて行こうとするけん
また怒ったんよ。学校休むくらいなんだから、寝よりなさい!言うて・・」


で、わんわん、眠れずにしかたなく学校へ行ったそうです・・


給食の時間だったそうです(大爆

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【しゃかしゃかねずみ6才編】

新館はじいちゃんが本のために(!!)
建てた家ですので。。。住みずらいです・・
というか、狭いです。。
我が家は母さんが父さん家へもってきてくれた道具の(笑
大きなベッドと、そのベッドの横にふとん一枚敷いて5人で寝てます。
母さんとクマは基本的にベッドで、あとわんわんとねずみが一日交代で、
父さんとふとんで寝ます。
くまはいつも真中で寝てるのですが、最近すごくいやがります。
どうも・・・母さんとねえちゃんに押しくらまんじゅう。。。
されてるみたいです(爆

で・・・・・一昨夜、目覚めてじっくり観察する機会がありました・・

以前からの癖ですが、、、
母さんは膝を組んで寝るのですよね。。。(爆
わんわんは明け方3時の指吸いの癖まだ治りません(哀
くまは端をとるので、落ちてくるんですよね・・・(爆

で、なぜかふとんで寝ていたはずなのに・・・・

ベッドの窓際で寝ているねずみです・・・・


まっぱだかで・・(大爆

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【むっつりクマくん1才編】

母さんから以前から聞いてはいたのですが・・・・


寝言を言うくらい成長したようです・・

3時ぐらいに目がさめて・・


ついに父さんも聞かされました

突然、叫ぶように寝言、言うのですね・・

「アンパンマ~~ン!」 (大爆

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 アタシたちは、なんとなく日々を過ごしています。。。。。

 でも、ときに奇跡的に偉大な心根の持ち主においては、そうでない人もいるみたいです。

 偉大な19世紀の詩人ゲーテは、70歳を越えて重い病で死の淵から奇跡的によみがえって、温泉地マリエンバードで静養しておりました。
そこで、なんと恋に陥ったそうです。
なんと求愛して結婚を申し込んだそうです。
お相手は18才、ゲーテなんと74才。
彼は世評にも経歴にも年齢にも束縛されることなく、まったく自らの心の赴くまま行動したようです。


 シュテファン・ツバイクはこの出来事を崇高な【星の時間】と捉えました―――。

私たちの輝き――まず、肯定すること――
at 2003 06/26

「交わらない」ことは――自分の外に自分像を求めること

 エンパワーの思想は、「人はみな生まれながらにして(生まれる前はどうなんだい、とアタシはとことんこだわりたいのですが・・・)みずみずしい感性、生命力、美しさをもともともっている」と信じることです。
生まれたばかりの赤ちゃんは障害があろうがなかろうが男だろうが女だろうが人種や国籍や貧富の差や家庭環境の違いにかかわらず誰もがかけがえのない、それぞれの、すばらしさをもって地球にやってくる―――このことにつきるのです。
 赤ちゃんはまわりからたくさんの愛、共感、肯定、信頼が与えられれば、その赤ちゃんのもつ【固有の】すばらしさは一層輝きを増すはずです。
逆に、まわりから比較、暴力、無視、拒否、批判が加えられると、輝きを失うばかりか、すばらしさそのものに深い傷を負うことになります。
そして、比較や暴力の(暴力の種類は3月の幸せ帳【驚く心】でおなじみですね)果てに、最も哀しむべき、自分の外に「~~こうあるべき自分」を求めるようになります。
エンパワメントとは、アタシたち一人ひとりが元来もっているものを「再び、生き生きと」息吹かせることです。
すべての人がもつ「内的資源(リソース)」にアクセスし、社会から受けた不要なメッセージや痛手、傷をひとつひとつ取りのぞいていくことです。
わかりやすくたとえるなら、「ダメなあなた」に「がんばりなさいっ」とはげますのではなく
「何者かにならないといけない」と知識や技術を教え込むのではなく、あるがままで受容し、
着込んでいるものを、はぎとってあげることです。
それが生命力の泉に触れる、ということです。

 おそらく、異論のある方はいないでしょう。
でも、よく聞いた風なコトバと重なりあいませんか?
そう、「個性の尊重」です。
しかし、アタシは教育現場で盛んに言われているところの個性という表現には常々、疑問をもっています。
そもそも、「個性」というコトバに引っかかるのです。
――個性を伸ばす――などと安易な表現は今や当たり前のようになにくわぬ顔で居座っています。
誰もわかってやしないのに・・・・・。
個性とは何ですか???
本来、人はできるだけ多くの関係性=他者=事象=世界に対して、できるだけ多くの関係性=関わり方=生き方=係数=態度でもって望まれる、それが社会的生き物であります。
社会性です。
すると、個性というのは他者=世界との共通理解を求めて進化してきた脳(1月の幸せ帳【一瞬のかがやき】でおなじみです)の「本質」と相反するものなのです。
個性とはそこにある、のが個性なのに、個性尊重という誤謬がまかりとおり、「私は私で普遍の存在だ!」「我考えるゆえに我アリ!」という、これまた「近代的個人」などという思い込みに埋没してしまうのです。
生物というのは、日々細胞分裂をして、「生まれ変わる」存在なのです。
ガン告知を例にとってみましょう。
ガン告知された人は、その瞬間から世界が全く違ってみえてくると思います。
アタシとてそうです。
どこまでエンパワメントできるか、その信条がいよいよためされるときでもある、のです。
それが、「知る」ということでもあるのです。
無意識、身体、共同体をないがしろにした自我=意識中心=脳化社会などというのは、とどのつまりは【思い込み】の領域にとどまったままなのです。
思い込みにとどまったままの状態を、古来より現代にいたるまで―バカ―といいます。

 バカなアタシたちでも救いはあります。
個性などという誤謬を取り払って、まずは自分を肯定することから始めることです。

――アタシはバカだ――
外的抑圧と自分が何者かになろうとする内的抑圧を取り除いていくことです。
外的抑圧とは――、おまえはバカだ、美人でない、障害者だろ?、女のくせに、年相応に、在日だろう?、○○より劣っている、――これらが社会的、外的抑圧なのである。

 アタシたちは、【意思】と【情動】と【驚く心】によって、【解放】され、【自尊】と【出会い】と【体感】によって、【自由】になれるのです。

 なんだか、今日の「幸せ帳」は、これまでの一年間の集大成のようでしたが(笑)、美しいことばにのみ酔いしれることなく(笑)、もう少しつづきます(笑)―――。






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