モロッコ紀行 【62ディラハムの幸福】







フンコロ1



-62ディラハムの幸福-                                                              

また、砂ぼこりの町に来た。                        
ここまで来ると、アルジェリアの国境も近い。
国境線は定かでないと聞く。
列強の植民 地主義の名残りを感じさせられる。               
ここは、アフリカなんだ。ブラック・アフリカの人を多く見かける。
混血に混血を重ねたような顔つきの人も多い。                
ここ、エルフードの町は12世紀のサイード王朝が興った地方の中心地で、この無
辺な土地の小さなオアシス町の、どこにそんな活力があったのかと感心させられ
る。    
 町を歩くと、ワルザザードと違い、また鋭い「視線の嵐」に萎縮させらる。ベル
ベル人の町から、またアラブ人の町へ来たのだ。
町をブラブラ散策していると、無邪気とは正反対の態度をとった子供たちに囲まれ
る。
私の「サイフ」はいつも人気者だ。    
「明日のランドローバー750ディラハムでどうだい?」           
「もう車はこれが最後だよ。席は一つしかあまっていないよ。800でいいよ」 
この町の南、約50キロのところにシジルマッサの廃墟があるリサニという町があ
る。 
そこから、さらに20キロの一帯がメルズーガの砂丘が広がっている。
誰もがイメージする「砂漠」。
エルフードはランドローバーでそのツアーにでかける基点の町としての 顔を持っ
ている。
道もなく360度視が利く土地は自分たちの運転ではとても無理で、5、6人のツ
アーを組み、専門の運転手ごと車を借り上げて、出掛ける算段に鳴っているのだ。
私は、すでにホテルで手配してもらっていた。
500ディラハムだった・・。 
「サハラ・ツアー1000ディラハムでどうだい?」             
数人の少年のなかの一人、ヨーロッパ風の顔つきをした少年は法外な値をふっかけ
た。 
1000ディラハムとは恐れいった。
普通、値段の交渉のテクニックとして、相手の出方をさぐりながら値をすこしずつ
勿体ぶったように下げ、そして時には、「それじゃあ明日からの生活がままならな
いよ!」などと大仰に叫んだりしつつするものだ。
ところが、この少年はどうしたことか、あからさまにライバルたちとかけ離れた料
金を堂々とふっかけてきたのだ。
その少年は私に一瞬の不意を突かせたのには成功したが、かえって反感を買った。
それに、おあいにくさま私は暇じゃない。              
「ねえ、マイフレンド、タバコ持ってない?」
どこまでも、ずうずうしいやつだ。   
「だめ!」                                
「じゃあ、ハッシシは?」                         
「そんなモンない!」                           
「持ってないの?・・じゃあイイヤツ手に入るけど?」            
おいおい、おいおい。                           
まともに相手にしてたら、こっちまでおかしくなってしまう。         
取り巻き少年たちにうんざりしても「もう予約してある」という意思表示をどう表
現したらよいのかがわからなかった。
歩きながらの奇妙なジェスチャーゲームが始まった。  
取り巻きがますます増えていったのは望むべくかな・・・。          
こうして少年たちは私の意思はともかくりっぱに働いている間、大人は何をするで
もなく軒下に陣取っては話をしたり、じっと耽ったりしている。
暑さのせいなのだろうか、遊牧民の名残りなのだろうか、それとも本当に何もする
ことがないのだろうか。    
この光景は旅行中、私の最大にして答えのないテーマとなった。
どの町でもそうなのだ。 
「私」とその他大勢の客引き少年ご一行様は、やがて大きな広場につきあたった。
広場には夕げの市が開かれており、町の規模のわりには大勢の人で賑わっていた。
そして一人、二人と少年たちは散っていった。私から金銭をもぎ取るのをあきらめ
た。 
と言うより、バス待ちや買い物をしている他の外国人の方へ目移りしていっただけ
のことの様だった。
モロッコの国境近くまで来るとさすがに、私のような「カモがネギしょいこんだ」
ようなフランス人もアメリカ人もあまりみかけない。
いかにも土地に染まったヒッピー風情の外国人がほとんどである。       
広場で、ランドローバー勧誘実行部隊に解放され、晴れて私は自由の身となった。
自由な空気を吸い込んで、散歩に来た目的を思い出した。
そうだ、買い物をしよう。  
空は墨色がかり、広場はいっそう賑やかになりはじめた。
今晩の夕食の買い物にいそしむ男達の歓声が耳にかみすばしい。
男が買い物をするのは、イスラム圈では、どこでもみかける光景だ。
私が捜し求めたものは現地の服だった。
一度は着てみたいと思っていたご当地のジュラバというワンピースのような服だ。
田舎では男は皆、この装いだ。  
広場をとりかこむ店は生活用品を主に、衣料類を扱う店も何軒かあった。    
露地に吊るしかけていたジュラバをよく観察しながら、ある一軒に気を呈して飛び
込んでみた。
狭く薄暗い店内は積み上げるようにして服が重ねてあった。         
店の奥には背中の丸まったまるぶち眼鏡の老人がいて、こちらを一平するや否や、
出ていけというような仕種をした。
自分の領域に突然、異邦の男が飛び込んできた、その事 実は私が十分危険視する
に値する真実であった。
私は私でその認識がその時は十分にいき届かず、ドギマギしていた。
その間わずかだったろう、老人は私の背後に視線を移したのだ。
どこからともなく、少年が私のすぐ後ろにいた。
先程の「1000ディラハム」少年だった。
少年は二言、三言老人に話しかけ、私を友達というようなうな仕種をして老人と私
の間をとりもってやっきになっていた。
そして最初は怒りの拳をあげていた老人が困惑の顔つきに変わる頃、私に試着して
みろと、勧めてきた。          
私は白か水色のかしばし、迷った挙げ句に白を選んで少年に服を掲げた。    
少年は私が選んだ方を、それみたことかとしたり顔で私の頭から服を着せた。  
鏡はなかったが、丈が以上に長く、その様はオバQのように違いない。     
土地の人々は颯爽としてみえかっこいいのに何かが違う、 何かが足らない。   
ここが日本でなくてよかった。                       
今度は少年は裾をあげ、どの位の長さかと、私に尋ねてきた。
知らぬ間に、少年と私は 言葉が通じなくとも会話をしていることに気付いた。
私は、現地の人たちより少し短かめに、と少年に告げた。
少年は心得たとばかりに指でしるしをつけ、また頭から服を脱がせて、老人にさし
だした。
もう老人は、心なしか微笑んでいるようだった。     
老人は、いつもそうであろう毅然としたの職人の顔にもどり、旧式のミシン機械に
向きあった。                               
私は、ことの起こりを反芻するまもなく何をしたらよいのか、何をはなしたらよい
のかわからないまま、少年に2ディラハム渡そうとしていた。         
少年は受け取ろうとしなかったが、今度は私が頑として譲らなかった。     
少年は私に、わかった、わかったと頷いて、今までみたことのないような清い笑顔
をつくった。
そして、「サラーム」と言って、外に駈けだしていった。          
また、本業に戻るのだろうか、そして誰かにこう呼びかけるのだろう。     
「だんな、1000ディラハムで、明日の砂漠どうだい?」          
白のジュラバは60ディラハムだった。私が見込んでいた半値以下だった。   
老人は一心腐乱にミシンに向き合い裁断に取り組んでいる。          
薄暗い部屋にカタカタという音が、外の喧騒にかき消されることなく耳に心地良か
った。 
カタコト、カタコト------。                     
私はその音を聞きながら、ささやかな幸福感に浸っている。          
わずか60ディラハムの素敵な買い物と、2ディラハムの友情に。                                                                                           



    -砂の代償-                                                           



 枕を、起きる回数分叩くいて床に入ると不思議とその時刻に目が覚めるという。 
昨夜、寝る前に私が叩いた回数は3回だった。                
つつかれたように飛び起きて、部屋のテーブルに眠気眼なこでたどり着き、腕時計
をみると3時ちょっと前だった。
宿泊しているSホテルのレセプションが手配してくれたメルズーガ砂漠行きの「早
朝ツアー」はロビーに午前3時40分の集合、4時に出発の予定だった。    
早朝立つのには、もちろん理由がある。日の出を砂丘で待つのだ。       
陽がさしたばかりの砂丘は、日中ののっぺらとした趣と異なり、黒と黄色のシルエ
ットと風がたなびいて醸しだす砂紋が、人の心を打ってやまないと言われている。
モロッコへ来た、最大の目的地であった。                  
エルフードからメルズーガまでの所要時間は1時間から2時間かかるとされてい
る。  
このおおいなる誤差はひとえに運転手の土地勘によるからで、整備された道路はな
く、360度視界が利く、ただただ岩砂漠を行かねばならないからだった。
下手な運転手に当たってしまうと日の出に間に合わない時もあると聞く。
モロッコを観光するには、政府の公認ガイドとか公認観光業者と名乗る者たちに頼
めというが、その数わんさかとおり、その多くは眉つばものと心得ていたほうがよ
い。
政府公認ガイドもしくはその準る者とされるローカルガイドもこれみよがしにおお
きなメダルを首からさげているが、売買されたり、他人から非合法で手にしている
輩も少なからずいるのだ。        
モロッコは詐欺師とガイドの識別は曖昧模糊としており、戸惑うこと多い。   
あたるもはっけはずれるのもはっけ、ホテルが手配してくれた我が運転手氏はどう
か? 
のるか、そるか?
我等が現代のトアレグ族(砂漠案内人)に幸あれ。         
 轟音を上げランドローバーは隊列をなして暗闇を行く。           
その様はいつかどこかで観たことのある映画の大冒険旅団のようで、威勢がよく、
ついついインディー・ジョーンズのテーマをくちずさんでみたりする。     
5分も走るとアスファルトの道はなくなり、シートのきしみと車体の揺れの激しさ
に、辟易としだすのにまた、5分とかからなかった。
整然と隊列をなしていた車はしだいに四方八方に散りはじめた。
暗黒に光る蛍(ライト)は一つ、二つと視界から消えていった。
心なしか、気掛かりなのは、深い闇のなかだというのに、我が運転手殿は黒いサン
グラスをかけているのだ。
そして、前を直視したまま一言も話さなかった。       
1時間ばかり走ると、明かりが見えてきた。
村かと思ったが、ユースホテルのような建物が2軒ポツンとあり、またたくまに通
りすぎていった。        
そして、やがて前方に山の麓が照らしだされ、車はゆっくり速度を緩めていった。
そして止まった。めざす、砂丘に着いたのだった。              
先着が何組かあるようで、同じ型のジープが数台群れをなして止まっていた。  
大勢の人だかりだった。
何と観光客の多いことか。
出発地エルフードにはホテルはわずかしかなく、このような人数の許容量なないは
ずだが。
降って沸いたとはこのことか。 
関心するのも束の間、わたしたち人種の異なった即興ツアーメイト6名も大勢の
「青い人」と呼ばれる独特の青装束を纏ったトアレグ族に囲まれた。      
皆、手に黒く平べったい箱を持っている。この箱の中身はすぐに了見がついた。 
アンモナイトの化石である――。                      
この地球上、異邦の人がロマンとサスペンスとファンタジアを身勝手に求めても、
全ての場所において「土地の人」は放っておいてくれはしない。
たとえ、いかなる辺境な地に孤独を求めようとも。
しかし、彼らの忍耐力にはつくづく感心させられる。
いつ、誰が、訪れるかわからないような渓谷の、殆ど崩れかかったカスバの入口に
見物料と書いた紙を持ってずっと「待っている」人もいるのだ。
そんな光景を目にしたとき、いつも回想することがある。

--高校生のとき、修学旅行で信州へ行った。長野の善光寺の見学を終えた私たち
は次の目的地へとバスに乗り込もうとしていた。
その時、手籠にリンゴを 入れた行商の老婆が消えいるような声で「りんごはどう
かい?」と求めてきた。    
リンゴは欲しくなかったし、その数個のりんごは腐りかけていたようにうすびれて
いた。
それでも何故かその時私は「一つ頂戴」と求めていた。
すると、老婆はりんごは3つからしか売らないと譲らず、わけがわからないまま車
中の私の手には3つのりんごがあった。結局、りんごは1個も食べずじまいだった
---。               
-人生の機敏を知る-ことが芽生えはじめていた頃だった。          
いまでも同情することが本当の徳といえるのかどうか思いとどまる時がある。  
そんな私は、つい二日前にアトラス山脈を越える途中のティシカ峠の売店でおもい
もせず、はからずも4個もアンモナイトを買っていた。            
「青い人」は、異常に明るく、日本人の私に「ももたろー」とか「オカチマチ・プ
ライス」などと言って私のまわりにまとわりついて離れない。
-やれ、やれここでもか。-                        
ハエのようにまとわりつく人々に笑われまいと、必死になって足に深くからみつく
砂に足を取られまいとけりあげるようにして、砂丘を登っていった。      
砂丘の稜線にほうほうの体でたどり着き、月が照らしだす砂を手にした。    
砂はサラサラとして指の間からこぼれ落ちていった。             
-やっとここまできた-  
私は用意していた3つものスーパーの袋に砂を詰め込みはじめた。
今日の最大のお土産である。                       
あいにく、東の空は雲がかかっており太陽は日の出の推定時刻より30分も後に顔
をだしはじめた。
あれほどまばゆい光をはなっていた月もどこかへいってしまった。   
フランス人たちは、そんなことにはおかまいなしに、砂の上を嬌声をあげて転びま
わったりしてはしゃいでいる。
何がそんなに楽しいのか?                
私は私で、砂を詰め込んでも、詰め込んでもナイロンのミシン目から砂がこぼれて
くるその砂のきめ細かさに感動を覚えながら、砂と格闘していた。       
なんとか日本に持ちかえった旅情一杯詰め込んだはずの砂漠の砂だった。    
その代価は、砂の詰め込み作業にすっかり夢中になりすぎ、アメーバ状に進入して
おり、すっかり使いものにならなくなっていたカメラの修理代の請求書だった。 
ご丁寧にも予備に持っていった分と、2台分だった。             
-ただほど高い物はない-                         
古えの人は、よく言ったものだと、砂を詰め込んだまま部屋の片隅に放置されてい
る袋を見て、一人苦笑いするときがある。                                      





© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: