【モロッコ紀行】フェズフェスティバル





フェズ少女




-フェズメディナ・フェスティバル1-                                                              
いよいよ、フェズのメディナへ突入する。                  
突入などと大仰なことをと、軽んずることなかれ、人口30万人が住むといわれて
いるこのメディナは、ところ狭しと商店がひしめき合い、通りという通りには人で
あふれかえっており、このメヂィナを歩くのにいやがおうでも気合が入ること請け
合いだ。   
町の3メートルにも満たない幅の道路は迷路のように複雑に入り交じっており、僅
か一つの交通手段であるロバの糞があちこちでてんこもりになっている。    
この細い路地という路地にはせいぜい三畳ほどの広さの商店がずらりと並び、日用
雑貨をはじめ、食料品、真鍮細工、絨毯、などなど軒を連ねてひしめき合ってい
る。    
メヂィナに城壁の門より一歩踏み入れたとたんに、羊の匂いやロバの糞の匂い、ナ
ツメグ、コリアンダー、カルダモンなどの香辛料が複雑に絡み合った匂いなどで鼻
が刺激され嗅覚が麻痺し、一種の錯乱状態に陥る。この感覚が麻痺するという自虐
的な喜びを断じて受け入れることができない異邦人はさっさと立ち去ったほうが良
い。        
最初に目指したのは町の中心に流れるフェズ川で、その岸周辺にあるタヌリとい
う、青空の下でナメシ皮を乾燥し、染色する工場だった。           
比較的人の往来が多い道を選択して行くと、広場やモスクに突き当たるから、迷う
ことなかれ-あるいは-メヂィナの観光は絶対ガイドを雇うことわお勧めする。
一日かかっても観たいものに巡りあうことはできないだろう。-        
私が日本を立つ前に読んだ本には全く二つの別れたご意見を寄せてくれていた。 
お上りさんをする気はなかったので、侮っていたわけではないが、私は前者を選択
した。 
しかし、人の流れに任せたまま押されるようにして道行き、少し広い通りに出て、
一息つくと途端に声を投げかけられる。この国で、観光客に「一人になりたい」自
由はない。 
「どこに行くんだ?150でどうだ」                    
「カラインモスクへは私も行くから案内しよう、20で行ってやるよ」     
おいおい、なんであんたについて行くだけで20になるんだい。        
と言った風の、ここでもまたガイド、ガイドの雨嵐。             
かと思えば「コンニチハ、ここは見るだけただよ」              [
「モモタローキンタローモンジロー」                    
「ここはアキハバラ・プライス」                      
見るだけただ?あたりまえじゃないか?の、おびただしい数の店から声かけられ
る。  
用のない人も黙っているだけではなく、「ジャッキーチェン」         
「カンフーチャイナ」                           
「カラテ」となる。                            
テレビでみた東洋人は皆空手マンというイメージ丸出し、興味本位丸出しの声。 
少し引っ込みじあんの人にまで「サバ」                   
「ボンジュール」                             
「サラーム」                               
と挨拶をかけられる。                           
旅人にかけるのはせいぜい挨拶くらいにして欲しい、気分爽快イェーイ-ああ、疲
れる。 
歩けども、歩けども注目の的は続き、やがて迷い込んでいる自分に気付く。   
路地の上には日除けの覆いがしてあったりして空がみえない所もある。     
すっかり迷ってしまった。                         
「ビンボー・ビンボーヤパン」                       
まとわりついてしつこい安っぽい皮財布売りに怒るようにして叫んだ。     
今度は「ビンボービンボー」といってまとわりつかれるだけだった。
ビンボーヤポンの声があちこちでこだまする。旅の-自虐的な喜び-をもう一つ知
った。       
財布売りは私を指さしてビンボービンボーと道行く人に教えている。      
ビンボーご一行がタヌリをさまよい歩き続ける。               
物乞い、商人、買い物をする人、観光するお上りさん、地べたに座り込んで何をし
ているのかさっぱりわからない人、ありとあらゆるメディナの出演者に注目を浴び
る。   
あなたも、ここではスターだ。                       
ようやくたどり着いたタヌリ。                       
アラビア語とアルファベットで書かれた看板には5ディラハムと表示してある。 
-ここでも金か-とめげそうになったけど、ようやくたどり着いたタヌリである。
料金箱が置いてありコインを5枚入れた。乾いた音がした。今日一番の客だったの
か? 
そして開け戸から腰を屈め、建物に入ると、白い手が私の胸に差し出された。  
ミントの葉の束だった。                          
そして差し出された手を追ってゆっくり顔をあげると、アラブ特有の大きな瞳をし
たかわいらしい少女がにっこり微笑んでいた。
年端もいかない少女だが、その顔だちの可憐さに頬が熱くなってしまう。    
「プレゼント?」と尋ねると、もっとすばらしい笑顔をみせ、こくりとうなずい
た。  
そして、少女の笑顔を胸にウキウキしながら、うす暗く狭い階段を登り屋上へ向か
った開いた格子戸から空がみえてきた。青々と爽快に晴れ渡った空だった。   
が、外にでたとたん閉口した。                       
獣の血なまぐさい、強烈な異臭が空気を飲み込んでいるかのように広がっていたの
だ。 
羊の皮の天日干しなのだからあたりまえか。
しかし、これは観光どころではなかった。 
結局、見学もそこそこに階段を降りることにした。
階段を降りる途中に何気なく手にしていたミントを鼻に近づけたとき、はじめてこ
のミントが何を意味するのかを知った。  
戸外に出ると,先程の財布売りがニヤニヤして立っていた―――。                                                     



          -フェズメディナ・フェスティバル2-                                                     

「ねえ、ジャッキーチェン、カラテ教えてよ」
「なんで?ねんで?できないの?」   
「ヘイヘイカラテマン、あんたチーナだろう」
「なんでもいいからアソボウヨ」     
タヌリ見学を早々に退散したあと、ようやくこの迷路のメヂィナを我が物顔で(自
分のペースで)歩けるようになったかと安堵の胸をなで降ろす間もなく、こんどは
無邪気さを上塗りした様な子供たちに囲まれ、歩くペースはもろくも崩されていく
のだった。 
私はこの町フェズの創始者ムーレイ・イドリスを祀っているムーレイイドリス廟
や、タイルモザイクの泉があるネイジャリン広場。はたまた最も古いケロアン人の
モスクや、北アフリカ最大のカラウウィン・モスクを巡りたかったのだが、大きな
人の流れにまかせて、路地を行くうちに何処にいるのかさっぱりわからなくなって
いた。       
その間、美しいタイルが敷きつめられたお清めの噴水で水浴びをしている子供や老
人を門からみることのできたモスクなど何箇所かそれらしきものは見てきたのだ
が、もはや何が何処だったかはさっぱりわからない。
もしかして見てきたのかもしれないし、また見てないのかもしれない。     
しかし、そんなことはもう、どうでもよかった。               
このフェズ・メディナを歩くこと自体が最高のエンターテイメントをみせてくれる
のだ。 
どこにいるのかも、もはやどうでもよかった。                
あの、なめまわすようなマラケシュでの視線、興味本位丸だしこの町の視線・・こ
の国での様々な視線の洗礼にさらされていくうちに、私はもうこの「地」を自分の
ものとして獲得していたのだった。                     
今、私はお互いの損得や商売とは関係なく子供たちと戯れているのだ。     
何かふっきれたような私の顔つきが、これまでと違ったモロッコの顔をみることが
できたのかもしれない。
私がようやく「健康」になった証だった。       
「ジャッキーチェン、カラテ教えてよ。」                  
-これこれ、ジャッキーはカンフーだろ?-「アチョーイヤー」        
私は知りもしない空手の型(風)を演じていた。               
それはびっくりするくらい自然にでていた。                 
子供たちの邪心のない輝きに満ちた瞳をみて、なごまぬ人はいないだろう。   
無藐な砂漠をみつづけてきた私にとっても、何よりのオアシスであった。    
3歳から10歳くらいまでの子供たちは、私の奇妙な演劇を大喜びして、あちこち
散っては、またその数がどんどん増えていった。               
子供たちは5・6才から10才くらいまで午前中、学校へ通う。        
午後からは大抵の子は親の仕事を手伝う。                  
学校といっても読み書き算盤を習うのではない。               
習うのはコーランである。                         
生活のありとあらゆる規範を書き留めてあるコーランを暗記するまでになる。  
その上の学校では(日本でいえば中学校くらい)裕福は子女のみの世界で、文盲率
が高いのは他の第3世界と同じである。                   
しかし、大半が農業に従事し、幼少のころより父、母の仕事を手伝いながらこども
達はそれなりの経験や智恵をつけていく。                  
何よりこの国ではコーランがあれば人は生きていけるし、人と生きていける。  
そして明日をみつめるより今日を生きていかねばならないのだった。      
ところで、カラテの型にも少々飽きてきた、次はウエーブをしよう。      
サービス精神が旺盛なのはもうすでにハイなっている証拠だ。こども達はフェズメ
ディナの少年少女合唱団が結成できるくらいの数にふくれあがっていた。    
「ワーヘド、ジューシー、タラータ、いくよはいっ!」            
子供たちに座れと座れと手振りで伝えて勢いよくジャンプして伝えた。
子供たちも真似て、歓声が湧き起こった。                  
あ、いつの間にかさっきの「ビンボーヤポンの財布売り」もいた。
別人のような愛くるしい顔で子供たちに混ざって遊んでいる。 
・・・・・財布買おうかな?           
この後、結局出口が分からなくなり、この男の世話になる羽目になった。    

私は即興のフェズメディナのフェスティバルを忘れまい。           
この後いかなる失望と渇望のさいなまされる人生の道ゆけども、この輝ける光に包
まれた子供たちの無邪気な笑顔を想いおこそう。               
ともに撮った子供たちのなんと無垢で喜びに溢れた笑顔だろう。        
出会った子供達を思いだそう。
そして、私も彼らと同じ年頃があったことを思いおこそう。                                       

 子供たちとなごりおしく別れを告げ、それでも何人かにいつまでも見送られ、メ
デルサ(神学校)の中庭に一人立っている。                 
いつのまにか西日がさすような空模様に変化していた。
茜色の空は、祈りを生む。   
時せずして、礼拝を告げるアッザーンが響きわたりだした。          
-アラッー・アクイバル・・・
-美しい調べは、静謐を生む。            
ここにはメディナの喧騒は届いてこない。                  

 帰国後一週間して私宛に絵葉書が届いた。切手には「フェズ」と刻印がある。 
-フェズに来ました。フェズメディナは最高のエンターテイメントを見せてくれま
す。  
子供たちがとても可愛らしい。HAVE A NICE TIME--       
私がフェズで投函した葉書だった。 




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