セイシェル旅行記 その11


まぶしいセイシェルの光とまばゆい町の影

歩こう歩こうセイシェルんのまち♪

すぐ目の前で道を尋ねるハニー・・・・

しばらく行くと再びロータリーにあたった。
空港へ向かう道や港へ向かう道、島の幹線道路が交差している。
私たちがバルバロン側の山道からこちらの海岸線へ出てきたのもこの場所だったなと、なんとなく覚えがある。
ロータリーには羽状の型をした白いモニュメントがある。
出国前に読んでいた「セイシェル・ガイド (渡辺武達著 恒文社 1983年刊)」にこの写真が載っていて、これはアジア、アフリカ、ヨーロッパの友好シンボルであるらしい。
混血のセルシワ(セイシェル人)の真骨頂だ。
「そろそろ植物園のはずなんやけど?」
距離が縮まった私からの問いかけに彼女は無言のまま。
そしてあいかわらずドンドン進む。 
私はビデオやら写真撮影なんかでまたやや遅れ気味。
道は海沿い近くになり、その反対側は川のような沼地のようなで、マングローブが生い茂っている。
道はまっすぐ伸びている。
しかし、人はいない、車もほとんど走らない。
今、ヴィクトリアで活動しているのは私たちぐらいなのか。
太陽はちょうど空の頂点をさし、正午が近いことを教えてくれる。
え?もうかれこれ40分は歩いている。
40分?あれ?
たしか、バルターミナルから植物園まで線距離でわずか800メートルたらず・・・・・・・。
セイシェルに上陸しないはずの迷走ハリケーン(セイシェルに台風はこない)のおかげで、街をくまなく歩くことができたわけだ。
成果があったかどうか、珍しいものを見つけたかどうかは別にして。
「やれやれ」
そういえば、先ほどのメインストリートでニックキ「クレオール・ホリデー」のオフィスもあった。
ビルを覗いてみたが、やはり閉まっていた。
キャサリンは本当に働き者だったのかも。
さて、こちらはちょっと問題ありきの働き者さんである。
小走りで追いつく。
「ちょっと、ちょっとハニーちゃん、ちょっとええからそのガイドブック見せてみてみ」
「はいはい、もぉ~~~、まだ着かんの?」
「まだ着かんの?そりゃ、こっちのセリじゃわ!ボケッ!(笑)・・・・・・・」
あ、やっぱりロータリーでついに道を間違えたのね。
こちらも不覚。
「こら!全然違うやい!ここをこっちだったんだろがい!」
「あ?ほんまじゃ」
こちらもついうっかりしていた。
さきほどの友好シンボルがある変則ロータリーで真っ直ぐの道だったのに、わざわざ、海側の道に反れたらしい。
地図には「Latanier st.」とある。
空港へ行く道に違いない。
海側は例のセント・アン海洋公園の島々に近い入り江のリゾートマンションが見え始めていたし。
ロータリーから植物園はすぐそこ。
「やれやれ戻りましょうかね~。トットコがんばってよ!」
すごい暑気と眠気で頭がフラフラしていたが、ハニーに励まされてしまった。
「・・・・・・・・あのですね。もう歩けん」
プラタナスの木陰で休憩した。
歩道沿いには川辺にマングローブが生い茂っている。
「水分ちゃんととらないかんのよ」
バテてへたり込んで、ハニーに言われるまでもなく、異様な喉の渇きで一気に水を飲もうとした。
「私もちょーだいよ」
「え!?」
彼女は水を忘れてきたらしい。
「あれだけ、準備もたもたしといて、またこれかいっ!」
「せかすけんよ!」
「自分のなかではせかされてなかったやい!あの状況は!」
ロータリーに戻り、今度は間違えないよう、フランシス・ラチェル通りを指示した。
「そう、最初から真っ直ぐ来ればよいだけなのだ(笑)」
「別に。わからんかったら、誰かに聞けばええだけよ」
「いや、別に道聞かんでも、地図見たら誰でもわかるし(笑)」
「うるさいっ」
間もなく植物園。
というところで、ハニーは停留所で大柄なセシルワ女性に道を尋ねている(笑)。
しかもその母親は幼子を大声で叱り付けている矢先だったんだけど(笑)。
でもセシルワは気の毒に思ったのかハニーの肩を抱き寄せて丁寧に道を教えていた(笑)。
一本道なのに(笑)。
もうすぐそこなのに(笑)。
それでもなんども聞き返す彼女(笑)
ここは、フランシス・ラチェル通り。
――ここが、シャーリア・アラハム通りであれば――
私は、とてもなつかしい、それでいて色あせることのない『ある光景』を思い出し、ひとり噴き出していた。
「そうだ、あのときと同じような光景だ」
そして、あのときと立場は逆転している。
なつかしく、しかも忘れがたい移動祝祭日であった15年前のふたり。
今回の私たちのセイシェル旅行はあの旅の「つづき」でもある。
あの記念旅行を思い出す――――。
さっさと行くモース、ギザのピラミッド前、恒例の撮影もパスされるところだったった

ふたりでいつも青空を

ギザ なズラット・サマーン村の結婚式に招かれて ダンスダンスダンス心のなかの宇宙

再び、私たちは蟻の巣の断面のようなギザの旧市街地区=ナズラット・サマーン村の路地をモーセスの子分に続く。
「ここは、モーセスの息がかかった村なのだろうか?」
突然だが、子分2号がエディーマーフィーというか彼が役者として売れる前のチンピラ小僧であると思い至った。
ギザのマーフィー、覚えておこう。
モーセス、忘れたい(笑)。  
もう彷徨うことはない、この路地から見上げると、密集した家に阻まれ夜空が見えない。 
しかし気にはすまい、今夜、月はでていない。
宴の喧騒とは無縁の何もない村だ。
角を何度曲がるか数えることは、もうしなかった。
マーフィーについて歩けばよいのだ。 
ようやく道が開けた向こうにはすみかす街灯と、街路樹が見えてきた。     
大通りにでた。
どこか遠い異星に着陸したような感覚だった。         
なおも一緒に歩こうとするマーフィーに、                  
「もうここでいいから私たちだけで大丈夫」と、握手を求めた。        
彼はモーセス以上に英語が通じない。ニタニタしながら付いて来る。      
「ショクラン(ありがとう)」にやっと反応して、ニタニタしながら大通りから村の中へ消えて行った。
ついに最後の一人も消えた。「そして誰もいなくなった」。     
全てが幻だった気がする。二人だけになった。いったい、なにを話せばよいのだろう?柔らかい街灯の光に包まれ、二人の陰は朧げだった。           
「どこにいるんやろ?」                          
妻の反応はなかった―――――。                                                         
ここが、シャーリア・アハラム通りであればこの道を左にとれば良いはずだ。 
ジャングルのような村へ入った所と出た所が全く別だったので、方角がわからなかった。
しかし、「持ち前の勘」は、左へ行けばホテルに行き着く、と発信していた。  
けれども、私は「土地勘」が全くなかった(笑)。   
今朝、ギザの台地でも勘は働かなかった。               
ラクダ使いのモーセスと出遭ったのは、ギザのピラミッド入場券売り場で10ポンド支払い、ゲートを潜る前か後だったか。 
妻と私は、ピラミッドのお隣さんであるメナ・ハウス・オベロイ・ホテルから、ホテルの部屋の窓から見た風景に戸惑い、すっかり陽が高くなってからピラミッドへ向った。
ギザ台地は半砂漠地帯特有な昼夜の温度差のせいで、早朝から濃い霧に包まれており、なかなか出発するタイミングが難しかった。
部屋で霧が空けるのを待っていたのだ。 
雄大なナイル川を上流に向って凱旋したカイロ。
「最後の一日を悠久の歴史を刻むピラミッド見学」
我ながら演出もバッチリだったと、旅の邂逅にほほ笑みつつ、妻の手を握り締めてでかけた。
感心しつつ、しっかり頭に叩き込んでいることがある。
悪名高きピラミッド観光の魔手、お上りさんをラクダに乗せて、不条理な金銭を要求するとされるラクダ使いの方々のことである。
「写真を撮っただけで、5$」「ちょっと乗るだけただよ、で降りるのに有料(笑)」「金を払わないと、大勢の男たちに囲まれ、追いはぎの目に遭う」
どのガイドブックにも「ラクダ業者さん、素敵!」などという記述はなかったはずだ。
人類の偉大な遺産であるロマンは、迫り来る砂漠化のごとく侵食されているのだ。
ここはバクシーシ(小銭恵んで)の国なのだ。
さて、善良な私たち夫婦の運命やいかに――――。 
「ハァロゥ~~~~♪マァイ~~フレンドゥ~~~♪」
ピラミッド地区への入場料を払い、ゲートをくぐったとたんに、ラクダ屋が、まるで10年来の旧友との再会のように声かけてきた。
肌黒い男は手下を従えて、彼らはラクダ1匹と何故かアラブ馬3匹の手綱を持っている。
折からの霧のせいか観光客はまばらのようで、彼は待ちくたびれていたのだろう。
―そら、きたぁ~~―
ほくそ笑みつつ、「彼の存在など全く気にかけないぞ!」主義で私は素通りした。
正面に迫るクフ王のピラミッドを「近くに行くまで見上げまい!」と心に決めて、まっすぐ正面を見据えて歩き進んだ。
「ん?連れ合いの気配がないな・・・・・・」
後を振り返った――――――。
「!!!????」
なんと、妻ははるか高みから私を見下ろしているではないかっ!!
彼女はラクダに乗っている!
なんたるちーや!あれだけ警戒してたのに・・・・・敵は本能寺にあり!!
「バカバカバカバカぁ~・・・・・あれだけっ!ラクダには乗らんっ!言うたのにっ」
「えっ????だって乗せてくれたんよぅ~♪」
「・・・・・・・あのなぁ・・・・・・・・」
空は先ほどまでの霧がウソのように、雲ひとつなく晴れ渡っている。
しかし、その空は何故か黄色がかっている。
「それにね、このおじさん、ノーマネー・・・って言うんよ」と、くったくなく応える。
彼女が乗ったラクダのヌボッ~~とした顔と彼女の顔が重って見える。
私は、この国を旅する旅人として最低限の「マナー」を身に付けていたつもりなので、「ノーマネー」がナニを意味するか心得ているつもりだ。
「微塵足りとも信じてはなりませぬ!」
すでに飄々とラクダに乗り、遠ざかって行く三流女坊主の後姿。
呪いの言葉を精一杯浴びせ掛け、孫悟空のごとくトボトボついて行くしかなかった。
何故か、手下が引く馬に乗って・・・・・・・・・・・・・・・。
                     (1993年エジプト旅行ギザ「10月バラ」より)
ハニー インザヘヴン

ハニー イン ザ セイシェルズ

振り返れば やつがいた 

旅の最後の一日、エーゲ海に面した人工の湾であるミクロリマーノへ向かった時もそうだった―――。              
ホテルからオモニア広場まで歩き、ピレウス港が終着の地下鉄に乗って、いつのまにか地上に出た電車をミクロリマーノに一番近い駅で下車したまでは良かった。 
そこは、潮風すらとどかない準工業地帯のような殺伐とした風景が広がり、 私たちの存在を無視するかのような趣だった。
どっちへ行けば良いのか全然見当もつかなかった。 
「ちょっと、聞いてみようか?」
駅で働くバイキングの末裔のような大男に聞く。
「駅の地下通路をあっちに抜けて、丘を越えた向こうだ」      
「えー全然違ってた。もう役立たずのガイドブック持ってきて」と妻を攻めたが、
「このガイドブックは君が私のバッグに入れたんでしょ」と訂正してくれる。  
通路を抜けて地上に出たものの、まだ判らない。
太陽をみて方角はわかるが進むべき方向がまったくわからなかったのだ。                   
 さてさて―――――。                           
「さてさて、ちょっと聞いてみようね」
たまたま通りかかった、赤のポロシャツとジーンズに黒のサングラスをかけた、ちょっと見はトム・クルーズといった感じのお兄さんに(外人さんを例えるのに映画俳優はなんて都合が良いものだろう)。 
「カリメーラ。ミクロリマーノウンボ・ポテ?」
わけのわからないギリシア語で尋ねた。 
すると予期せぬことに、彼は「待ってました」とばかりにベラベラ英語でまくしたててきたのだ。  
完全に動揺した私は耳障りな音楽でも聞いているかのように上の空だった。
自分で蒔いた種とはいえ、台風がはやく過ぎるのを手を合わして祈っている善良な農夫の心地でいた。
しかし、嵐は一向に止む気配はなく、男の説明を一方的に遮断した。    
「エフハリースト(どうも)」
知っている数少ないギリシア語を、ここだけは力強く言い切って、男と無理矢理別れた。                   
「さあ、行こうか」と恰好つけて妻を振り返る。
――質問するなよ、するなよ――  
「なんて言いよったん?」                         
「・・・・・・・・・・」                         
「だからどう行けばいいかって聞きよんよ?」                
「さあ、あっちの方行けば、まあなんとかなるんやないん?」         
「なにしよったんよ!モー聞いた意味ないじゃない!!信じられんっ!」        
攻める、攻める。
彼女はいつもお気軽な役まわりのくせにいつもこうなのだった。
「あんたビデオまわしよったやろ?演技するのに必死だった」         
「ん?演技って何よ?」そして急に顔をすまして、                
「あっちの丘の4つめのバスッストップからバスが出とるって言いよらんかった?」 
―知っとるやないか!!―                         
結局、私たちは男が言うところの4つめのバスストップで、そこに佇んでいた漁師の男に何度も何度も
「ミクロリマーノに行くの?」と念を押して、ようやく来たバスに乗り込んだ。
キップは先に購入することを知らずに、臨時ストップしてもらったあげくに、漁師さんの世話になった。男は売店へ飛び込み、私たちの切符を買ってくれた。    
男は運転手や他の4、5人いた乗客に私たちを指差し「彼らをミクロリマーノで降ろしてやってくれ」と、告げて降車していった。
それから、降りる客は必ず「彼らはミクロリマーノだよ」と、残った客に言い残し、乗り込んできた客には先客が言う。
口々に「彼らはミクロリマーノだからね」と、確認しあう奇妙なバスの中の伝達ゲームが繰り広げられるのだった。                      
「まるで、はじめてのお使いの保育園児やなー」とモジモジ恥ずかしがる私に、 
「似たりよったりでしょ」と、妻は瀕死の兵士にとどめをさすのだった。
バスは郊外を行き、やがて皆この瞬間を息を飲んで待っていたかのように一斉に、「ここだ、ここだ。ここがミクロリマーノだよ」と促されて下車した。     
下車して、私が意気揚揚と歩き始め、妻に指摘された坂の反対側が海だった・・・・・。

(1993年ギリシア旅行ミクロリマリーノ「10月バラ」より)
ミコノスの花嫁、先日テレビ中継にて某黄昏俳優と優勝経験なしゴルファーがイチャイチャやっとった。タシらの想い出の地をTT

ミクロリマーノの花嫁さん、心のありかはいつも青空 青空とは何を意味するのでしょう?青空とは自由です自由とは生きるということです

アレキサンドリアの花嫁 地中海の風が彼女にいたずらをした 僕は笑いころげていた 今でもいつもそうであったように 夢見るように


なつかしく、しかも忘れがたい移動祝祭日であった15年前のふたり。
今回のセイシェル旅行は、―私たち―にとってあの旅の―つづき―でもある。
あの記念旅行を思い出す――――。
大柄なセルシワ・ママに丁寧に道を教えてもらったハニーは息を吹き返し揚々と進む。
旅人にやさしいセルシワ・ママだがハニーが離れると再び鬼の形相の母に戻った。
赤ん坊の泣き叫びにもハニーはかまわず進み、数十歩進んでこちらを振り返った。
「やっと着いたよ」
「やっと!なんは誰のせい?」
「さぁ?誰のせい?誰のせい?」
ようやく、植物園の入口に辿り着いた。
いつもと違い(ここ強調)、今日はずっと前を行く(行かされている)ハニー。
そこがめざした「BOTANICAL GARDEN(植物園)」。
「ま・・・・・予定外にだいぶ歩いたけどとりえあえず着いたわ。じゃあ、ゾウガメ観に行くぞ」
「え?ここ、ゾウガメっておるん?!ガラパゴスじゃないん?」
「・・・・・知らんの?あんた、ホンマに何しに来たん?」
ホンマに何しに来たん?
セイシェルにゾウガメがいることすら学習してきていなかったのか。
「ここがセイシェルいうことくらいは知っとんだろうか?」
「知っとるわ!(笑)。でも誰よ、ずっと行き先言わんかったの!?」
「言うたら反対しとったくせに」
「当たり前でしょ!私は普通~のところに行きたいの!」
「また普通って(笑)。ローマの地図なんかムチャクチャややこしいぞ。ヴィクトリアでぐらいええやろ?ヴィクトリアでも迷うくせに!」
「ややこしくってもローマがいい♪」
「ローマが何処かも知らんくせに!」
いや、この暢気な愛すべき隣人は、きっと「ここが何処か」などどうでもよいことなのだろう。
世界地図どころか、今日こうして小さなビクトリア市内の地図すらどうでもよいのですから。
でも、まさかこの小さな植物園の地図までわからないとは思いませんでしたとも(笑)。
昼下がりのうたたね テレビはオリンピック

セイシェルの正午

セイシェル 夏 正午 真っ最中

ゲートをくぐる。
すぐに小さな管理棟があり、女性にハニーは呼び止められた。
「管理人?」
ハニーは管理棟に入って行き、女性と二言三言交わし、すぐに出てきた。
「園内の地図渡されたよ。二人で10ドルだって」
「あれ?」
日本セイシェル協会・観光促進会(Seychelles Tourism Promotion Board)のホームページ。
「――ヴィクトリアの植物公園では、双子椰子などの椰子類や、その他多くの種類の興味深い植物が見られます。数匹のゾウガメもいます。毎日開園、入園無料、カフテリアでは飲み物と昼食が取れます――」と紹介していたけどな~。
「「まぁ、ええわ!やっぱりゾウガメより先に、カフェテラスがあるだろ?まずはそこに真っ直ぐ行こ。もう喉がカラカラじゃわ。あんたに水とられたし」
「え?さっきの園のひとがこの地図のカフェテリアにボールペンに×印入れよったよ。クローズ言いよった。ほら」
「え?!なんで?!」
「さぁ、日曜じゃけんじゃないん?」
「なんでよ?なんでよ?日曜こそ恋人とか家族連れとかが憩いに来るとこじゃないん?」
「知らんよ、そんなん。さぁ行こ行こ♪」
「また、知らんよか。いつでも知らんよ、や。何を知っとんぞ?」
ハニーはまた先をスタスタ歩き出した。  
私はエジプト・ギリシア旅行でもそうだったようにカメラにビデオ撮りとひとり忙しい。
いや、今回の旅だけではない。いつも、いつだってそうだ。
忙しいふりをするのはもっと得意だけど(笑)。
それを話しのネタにするのはもっともっと得意だ(笑)。
どこかのだれかの役にたっているのかどうだか、愛すべき我が隣人は知らぬ顔でまた先を歩く。
お互い、いつも出そうな杭を打つ、そんな15年間だった。
性格も嗜好も、思考までどうにもこうにも正反対。
「性格の不一致」という鐘が高らかに鳴り響くではないか。
――――妻とアタシはなにからなにまで正反対です♪ルン♪
おや?・・・・こんな書き出しに、なんだか一抹の不安も感じますが(汗。
妻は理系というにふさわしい思考回路で、アタシといえば、モロ!アホゥの文系。
妻は電気機器系統とかメカニックにすこぶる強く、アタシはトントダメ。
妻は室内外装飾・大工が得意で、アタシは見向きもしません。
妻は懸賞応募コマ目に当たるのですが、アタシはビギナーズラック!のパチンコのまま。
妻はシンプルで理知的でハレ女、アタシは全くの気分屋で雨アラレ。
妻は誰にでも受容な包容力があり、アタシは八方美人かつ好き嫌いが激しいです。
妻はいつも冷静に対処し、アタシは激情に委ねます。
妻は異性に無頓着な癖に(!!)モテモテで、アタシは興味ありあり!×1万光年、なのにモテナイ君で。(もう、これぐらいでカンベンしてください(涙
妻はたまご型の顔つくりで髪サラサラ、アタシはホームベースで髪の毛はハリネズミです。
妻はいまだに大街道や銀天街を一人で歩くと、きまって異性多々声をかけられるのですが、
わざと後からついていくアタシは女子高生たちにストーカー呼ばわりもしくは後ろ指さされ隊(大粒涙
妻は新築・家計・子たちの将来設計をしっかりたててますが、妻曰くアタシが「ゴジラが上陸した東京タワーのごとく破壊する」そうです・・・・・・・・。
ええ、ええ、どうせアタシは「アタシが幼少の頃、アタシの学資保険を解約してヨーロッパへ旅たっていった父の息子」です(血は引き継ぐ性涙)
・・・・・なんだか、アタシが極意まれな極悪非道みたいじゃないですか(涙ぐっとこらえて
・・・・・ちょっと地軸を曲げて、視点を変えてみましょう♪
妻は人見知りしますが、アタシは社交性があります。
妻は了見が狭いですが、アタシは包括的に捉える技能を身につけています。
妻はなにごとにもどこか冷淡で、アタシは毎朝、「こころ」で泣けるくらい情感豊かです♪
妻は他人に貝になりますが、アタシは見知らぬ人にほど親切です。
妻は掃除が全くダメで、アタシは整理整頓が好きです。
妻は鉢の花さえ育てられませんが、アタシは園芸・自然派、そく行動派です。
妻は料理をしようとせず、おかげでアタシは料理はプロ級です。
妻は夜更かしして、電気テレビつけたままアザラシ寝してますが、アタシは90のおじちゃんみたく早寝早起きです。(や~~、乗ってキタゾイ♪)
妻はオフロに1時間もかかりますが、アタシは5分ですみますよ!
チビまるくんも同時にでてくるので、皆にあきれられてはいますけど(なにか?)
妻は文章・手紙全くダメで、アタシが保育日誌や学校のたかが一行伝言まで書いてます。
妻は編物が趣味とアタシにのたまいましたが、みたこと、袖を通したことないです。
アタシのご趣味は「リンクにあるプロフ」のとおり!(ドウよ?エッヘン!)
妻はSEXに対しマグロどころかゾウアザラシのスタンスですが、アタシはありとあらゆる遊戯をする自信と用意があります。
妻はアタシの前で平気でオナラをしますが、アタシは断じて人前でしません。
それでも彼女は平然とします。
音のでないやつならだまっていりゃ~~わかりゃせん、と素知らぬ顔していますが、音のでないやつほどタチ悪いことないですよね??(スカンクも涙)
・・・・・・なんだか、人様が聞いたら、今度はたんなる誹謗中傷・・・・・。
どっちみち、アタシが悪人じゃぁないですか・・・・・(泣きのサンタナッ)
スペースも、もったいないので、このあたりでやめときます。
でも、かようにアタシたちは凹と凸の関係なのですよね・・・・・ピタリと組み合わさります(TT)
彼女とアタシは月とスッポン、トウフにカスガイ、ノレンに腕押し、糠に釘。
なんだか、使い方全部間違ってるし(イグアスの滝汗)。
ま、両軸欠かせない南極と北極を結ぶ地軸のようなもんですな(エッヘン)
小学生でもわかるようにありていに申せば、「二人で一人前」。
づきは次回にしようかな。
対照をここまでつらつら書いてきて、みなさん、おそらく思わずものがな、脳内に漂うキーワードは「性格の不一致?」
さりげなく(いえ、モロ君に)性の不一致まで滑り込ませてるし(号泣)
でも、そうは「読み取らないあなたは」、アタシの手帳でしっかり「幸せ」がナニたるかを読み込んできたのですよね。
そうです。
セルフ・エスティーム(自尊感情)という大切な概念を思い浮かべてみてください。
アタシたちは学びました――――。
「あなた」がいて「わたし」がいることを。
「こんな自分」でも私が私を好きなのと同じように、他者が好きでいられる。
そうなんです・・・・・。
アタシたちは互いに補うのではなく、お互いを罵るのではなく、お互いの足を引っ張るのではなく、お互いを許すのではなく、お互いを認めるのではなく、お互いを高めるのではなく、お互いを束縛するわけではなく、さりとていずれの個別の否定をも全て包括して、私を愛するのと同じエントロピーを放出して、相手を愛し、お互いがお互いを愛しあうのです。
4つの愛があるわけなんだよね。
愛ってナニ?
アタシは彼女と出会うまでは、向う見ずで、あいつもこいつも嫌いで、そのくせ臆病で、でもでもバチカンの意向が届かない片田舎の枢機卿程度の世界の中心で(ナイス例え)、そして「アタシがコーラン」でした。
遠く離れた町の片隅で、ひょんなことから彼女の「微笑み」に触れた瞬間、世界は劇的に変化したのです。
「美しい」などほか美辞礼賛の字句は、形容は、決して客観性などを求めることは幻想でしかないので、ここで多くを語るのは無為であります。(でも・・・聞いて♪聞いて♪)
アタシたちは、運命ではなく、必然などなく、さりとて自然でもなく、ただただアタシモテナイ君の圧倒的な「能動態」と彼女の「受動態」という文法=定理があったからこその、結ばれたモノダネでありました。
ここで但し書きですが、この「定理」はあくまでも「アタシたち」のみの小さな小さな物語でしかありません。普遍など、どこにも落ちてはないのですから・・・・・。
「 いつのときにも 青空・・・・・・ 」
そうなんです。
彼女はいつも、「ここに(!)」いるのです。
アタシの青空は、彼女です。
彼女こそが、アタシのコーランなのです。
みなさんも、ぜひアタシたちのようなスキルを身につけられ、安心・自由・自信に満ち溢れた性を(字違い・・・・生を謳歌して欲しいですね。
タダシ、アタシも人の子、、、、どなたにでもこのスキルを応用するわけではありませぬ。
出会い―――アタシは臆面もなく彼女にこう告げました。
「アタシはあなたに出会うために生まれてきました!」
何回目いやもとい、何人目ぐらい言ったかな・・・・・(ニッパ♪)
                  (2003年8月「まるくんの旅は青空」より)










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