古都チンドン道中――京都2☆

04年京都下鴨神社ハニー♪



下鴨神社

正式には、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)での結婚式のあとw
花嫁さんは晴れ姿w
観光客に撮られまくりw
あたしゃ、マチボウケw
あら?くまくん、マタマタいなくなりましたTT



さてさて、送迎バスに揺られてホテルに向かうこと約20分、
車窓からは、五条大橋に四条に八坂神社、祇園に平安神宮w
お得なスムーズな小観光できましたがな(笑
蹴上げ(こんな地名のトコモハジメテシッタまるくん)に着きました>、<
ウキャ~~~!!
ベルボーイならぬガールさん♪まで長身のベッピンさん揃えたホテルですことw
今日は一日楽しめそうですなっ><v
え~~~と11階でしたっけ?
憎っくき#わんわんたちのお泊りの階は、、、
すぐエレベーター見つけたのですが、、、
、、、のくせに、ロビーをウロウロ、、、聞きまくりましたけどね^^
いえ、、、、コンドは迷ったわけではないのです><v
キレイなホテルのオネエサンがワンサカ^^
で、一応携帯で(byハニー所有の)で、、、部屋確認、、、、
え??
1陣出発のバアはジイの携帯で
2陣出発のハニーはバアの携帯で、、、
アタシがハニーの携帯、、、
どこにかければいいのかコンガラガル>TT
っていうか、、、、
アタシも携帯持たせておくれよ、#ハニーよ(怒

着いた着いた、階ごとにレセプションがあるのですよ、、、このホテル、、
トウゼン、そこにもキレイなオネエサンが、、、、w
いや~~~なかなかたどりつかないね、いえ、この日記がだよ(ジブンのみで爆笑

「いよっ!」と勇ましくパパ登場w

あら?くまくん、ベッドでひとりお遊戯タイムw
あら?わんわん、ソファにどっかりテレビタイムw
あら?ねずみちゃん、いそしく髪の毛イジリw
あら?上の妹のみボソッと「こんちわ」
あら?ジイは?え?もう一足先に神社へ?
あら?ハニーは?着付けでいずこかへ@@

ここまで行程も日記も(笑)引っ張ってきたわりには、、、
アッサリした悲哀な登場ですこと。。。。。。。。(涙

あら?バアは、、、
バアだけはさっそく不肖のムスコ捕まえて(アタシだよ#)ベラベラお小言ウルサイッ><

くどいけど、、、
いったいぜんたいまるくん、なにしにキョウトへ?

今日は結婚式なのですよ(微笑みつき


アタシの下の妹のっ(www




ええええ、ながらく引っ張って(彼女の年の意味ヂャアないよ><
この日記?のことだよ^^


で、、、ついたとたん、もうタクシーで式場の下鴨神社、、、正式には、賀茂御祖神社へ。

わずか8時間滞在の京都の本番幕開けです >、<

いや~~~
でね、、スペースもないので(オイオイオイ(w

厳粛な式でしたよ^^

これからさっきのホテルへ戻ってごく少数の身内だけでお食事会ですw
もういいかい?^^;まだつづく(w



サイゴハヤッパリデマシタwww
ウ、、、、、ウツクシイ、、、、、、、ウツクシスギル、、、、w
花嫁さんがカスム、、、>、<
賀茂御祖神社の舞殿前でハニーの図、、、、www
舞ってチョウダイ~~~~~~~~♪><♪


下鴨神社

正式には、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)といい、京都でも最も古い神社の一つ。
古代豪族賀茂氏の氏神社で、賀茂建角身命(かもたけのつぬみのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祭神にしている。
平安遷都後は王城の守護神としてあがめられてきた。

下鴨神社の創祀年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇二年(BC六五八)二月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる。
 この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族であったことで知られている。
 また、『賀茂神宮賀茂氏系図』には、賀茂建角身命の子、鴨建玉依彦命より十一代後の大伊乃伎命の孫、大二目命が鴨建角身命社を奉斎していたことが記されている。
その社が、今日の賀茂御祖神社の始源の社の一社であろうとされている。
 崇神天皇七年(BC九〇)には、社の瑞垣が造営(『鴨社造営記』)され、垂仁天皇二十七年(BC二)八月には、御神宝が奉まつられている。(『同書』)また、緩靖天皇(BC五八〇)の御世より御生神事が行われた(『旧記』)との伝承があり、欽明天皇五年(五四四)四月から賀茂祭(葵祭)(『本朝月令』『年中行事抄』)が行われていることからみて、創祀は西暦紀元をはるかに遡るものとみられている。
平安時代には、国と首都京都の守り神として、また皇室の氏神さまとして、特別の信仰を受け、式年遷宮や斎王の制度などがさだめられていた特別な神社であったことがしられている。
そして『源氏物語』や『枕草子』など王朝文学にしばしば登場いたすように、この時代の文化、宗教の中心地の一つとして栄えた。
 平安時代末期になると全国に六十余箇所もの荘園、御廚が寄進され神社を支えた。
 鎌倉時代、室町時代、そして戦乱の世になっていくにつれ、各地の荘園も連絡が次第に絶えて行くが、代わって国民の信仰が神社をささえていくようになった。
神殿守(殿司)とよばれる人々が全国をまわってご神徳を説いていくのもこのころ。
下鴨神社を舞台とする、数多くの能(謡曲)などに、そのころの様子がうかがわれる。
また国の重要な出来事には、かならずご祈願が行われた。
 江戸時代にも、国と国民の幸福を祈願する神社として、神社の運営のため幕府より領地が寄せられた。
 明治初年、全国の神社の代表として、官幣大社の首位におかれ、今日まで国と国民のための祈願を日々おこなってる。



さてw

たまには厳粛な文章もみせつけて(笑、、、、と。

ジイバアは段取りあるしw
ハニーたちは着付けがあるから前箔必要でしたのねw
おかげで、わんわん、ねずみ、くまくんたちには楽しい小旅行w
アタシは相変わらずヒトリチンドウチュウw

でも、、、
アタシより低レベルなひと、いましたよw

お宮さんの社殿の式場では、、、、
オノコロワールドの仮面ライダー555のショーや
イングランド村での恐竜3Dとかと、、、、
同レベルで。。。。
「もうお家に帰る」と、
オオ泣きして、結局入らず、、、、
顔合わせのホテルの食事会では、、、、
ずっと父さんの一張羅の春用嘘、ホントはもってないから秋用)のジャケット(をかけてもらい
ずっと寝むりこんでたまま
そう、くまくん、、、、、w(ていうか、張り合う自体マチガッテルヨ、まるくん#

翌日、くまくんに「お旅行♪なに楽しかった?」
というと、「お弁当♪」
わんわんとねずみまで口を揃えますTT

帰りの電車での駅弁当が一番の思い出@@、、、、、
高くついた旅でしたことTT。。。。。




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