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人生にはいろんな出来事があります。昨日の礼拝でアブラハムの歩みを創世記15章から語りました。 15:1 これらの出来事の後、【主】のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」
これらの出来事の後とあります。様々な出来事があり、それがさらなる不幸を呼び込んだり、逆に災い転じて福となるような幸せに通じることもあります。聖書は神のなさることはみなそのときにかなって美しいと約束しています。今日は生涯で経験した一番深い悲しみを天の虫けらから転載します。そのできごとが今日牧師として働いている大きな原因の一つになっています。
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1964年の夏期聖会が聖書学院で開かれ、東淀川の教会からも碓井君と国松君が参加することになった。彼らは自転車で生駒までやってきた。
午後には近くの喜里池で泳ぐ時間があり、2人も参加した。ところが帰る時間になって、碓井君がいない。そのことに気がついた国松君が、聖会の用事でその場にいなかった私に「碓井がいない」と知らせてくれた。
池に急いだ私は、その辺の山にでも寝そべっているのではと思い、大声で叫んだ。しかし返ってくるのはこだまだけだった。やがて事の重大さに、消防団や警察が駆けつけ、アクアラングを付けて池の中を捜索しはじめた。いつしか夜の闇が覆い、たいまつを灯しての捜索も限度に達し、もう明日にしようと消防団が決めかけた時、アクアラングで潜っていた人々の中から「いたぞ!」という叫び声があがった。一縷の望みをかけて、主にうめきながら祈り求めていた私は、良かった助かったと喜んだ。だが「いたぞ!」という叫びは、単に見つかったということだった。私は彼の冷たくなった身体を必死でさすり続け、「主よ、主よ、復活の主よ」と声も出ぬまま、涙を滴らせながら祈った。
どのように責任を取ればよいのだろう?もう自分の牧師としての使命は終ったと思った。碓井君は北野高校に通う秀才で、東大合格間違いなしと言われていた。もともと人格的にも穏やかだったが、クリスチャンになってからは、その品性はさらに輝いていた。教会の集会の時もいつもリーダー格でみなの世話をし、路傍伝道にもいっしょに出かけていた。学校中がと言ってもいいくらいよく知られた、評判の高校生だった。だが、もう彼はいない。イエス・キリストを信じているから、永遠のいのちをもっているから、天国だと言っても、何の慰めにもならない。息を吹き返してくれ、復活のいのちよ来たれと、祈り続ける私の身体を、優しく引き離してくれたのは、彼の母親だった。「もういいのです。学は満足しています。ほんものを見つけたと、いつも語っていました。あの子はイエス・キリストに出会って救われたのです。天国に行ったのです。先生、顔を上げてください。学が悲しみます。あの子は先生を慕っていました。先生が悲しむのをあの子は喜びません」。このことばに答えるすべは、私にはなかった。私は流れる涙を止めることもできず、母親に語りかける言葉もなかったことを昨日のように覚えている。そして自ら無力を、主の助けのみが支えることを知った。
コリント人への第二の手紙
1:3 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。
1:4 神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。
1:5 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。
1:6 もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。もし私たちが慰めを受けるなら、それもあなたがたの慰めのためで、その慰めは、私たちが受けている苦難と同じ苦難に耐え抜く力をあなたがたに与えるのです。
1:7 私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。
1:8 兄弟たちよ。私たちがアジヤで会った苦しみについて、ぜひ知っておいてください。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついにいのちさえも危くなり、
1:9 ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
1:10 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。
1:11 あなたがたも祈りによって、私たちを助けて協力してくださるでしょう。それは、多くの人々の祈りにより私たちに与えられた恵みについて、多くの人々が感謝をささげるようになるためです。