proud じゃぱねせ

proud じゃぱねせ

親父をつくっているもの


「家のお袋はね、、家のお袋はね、、、」
親父は私が小さい頃よく、仏壇にあった、綺麗なお守り袋の様な織の袋に入った小さな箱から、、
卵の殻の様な丸みを持った、灰白色の欠片を取り出すと、
「これはお前のお婆ちゃん、俺のお母さんのおでこの骨だよ。」
っと見せてくれた。
それを愛しそうに撫でる親父を思い出す。

いわゆるマザコンの走りなんだろう。
冗談は別にして、祖母はとても働き者で、女のくせに近所でも有名な力持ち。
親父にとって、本当に自慢の母さんだったらしい。

その反動でか、親父は、あまり働かなくて、あまり働けない、
それどころか、自分の稼ぎを当てにする祖父を快く思っていなかったようだ。
親父が祖父を嫌う理由は他にもあった。
祖父は婿養子で、曾祖母(祖母の母)に何か言われるなど、
居心地が悪い事が起ったり、機嫌が悪いとよく祖母に当たったそうだ。
食事中は味噌汁の具が多い事をネチネチと、
「これじゃ味噌汁じゃなくてごった煮だ。」なんてよく言ったそうだ。
親父はその話をする度に必ず、
「俺はこいつ(私の母)に食い物の事で文句を言った事はない。」と言う。
確かに、ネチネチ、言う所は祖父にそっくりだが、
私の記憶が正しければ、親父が食べ物の事で文句を言ったのを聞いた事はない。
反面教師という奴だ。
ネチネチ言わないようにするのも学んでくれていたらもっと良かったんだけどな、親父。

祖父は仕事でいない間、まだ幼なかった親父に馬の世話をさせて、
「馬に餌をやらないのなら、お前も食うな。この馬はお前の2倍は稼ぐんだからな。」
と言って、親父の飯を用意させなかったそうだ。
親父は馬に草を食べさせた後、その馬小屋の周りにある雑草を採って、
その中で食べれそうなものを茹でて醤油をかけて食べ、飢えをしのいだらしい。
未だに近所の市役所の花壇にその手の草が生えていると、
採ってきて母に茹でさせている。
大抵どんな上手いものでも手に入る程稼いでいるのに、
たまに無性に食べたくなるんだそうだ。懐かしいんだろう。

ある日親父が家に帰ると、祖父が祖母を怒鳴り散らし、手を上げた所を見掛けてしまった。
親父は怒りに任せて、お膳(当時の食事用の、40cm四方の足のある小さな一人用のお膳)で、
祖父をメッタメタに殴り付けてしまった。
もちろんお膳は粉々。
怒った祖父はものすごい勢いで寝室の方へ走って行くと、
撃つ気満々で猟銃を持ち出して戻って来た。
親父は祖父が猟銃を猟銃掛けから外す音が聞こえた瞬間、
素早く玄関から飛び出して、頭を下げて出来るだけ遠くへ逃げたそうだが、
爆音と頭の上スレスレに弾が飛んでいったのをいまだに鮮明に憶えているそうだ。
あの時、それに気付くのがあと5秒遅かったら頭を打ち抜かれていたと笑って話す。
どうやら親父がキレやすいのも、そして私がキレやすいのも遺伝、の様だ。

そんなぶつかり合いが度々になり、困った祖母は親父に、
「あんたは親父(祖父)とは違う。あんたが生きていけない世の中だったらこの世の誰も生き残れないだろう。
これ以上私のせいであんたと親父(祖父)の仲が悪くなるのは私も忍びないから、あんたが出て行きなさい。」
と言った。
たった一人の可愛い息子にそう告げなければならなかった祖母もどれだけ辛かったろう。
親父も「辛い思いをさせてしまった。」と今更ながらに後悔している。

その後親父は家を出る事になるのだが、住む所を決めて、落ち着いたら祖母を呼んで一緒に暮らそうと決意する。
辛い事があっても、頑張って、家を買って、お袋を呼ぶんだ、っと奮起した。
だが、それは叶わぬ夢となった。

私が2歳の頃、祖母は亡くなった。
肺を患って手術をしたが、上手く行かなかったらしく、
その後悪化して息を引き取ったそうだ。

親父はよく姉や、私や、弟が泣くと、
「俺はこの歳まで一度も泣いたことがない。泣くのは弱虫の証拠だ。」
と私たちに言った。
私たちは物心が物心がついて暫くしてもそれを信じていたが、
私がある日母に、
「じゃぁ、親父はお婆ちゃんが死んじゃった時も泣かなかったの?」と聞くと、
母は暫く黙った後、「絶対親父に言ったらだめよ。」っと言った後、
こんな事を教えてくれた。

親父は祖母の死に目に間に合わず、病院に着いた時祖母はもう硬くなっていた。
親父は、医者が硬直が始まっているので普通車に乗せるのは無理だと言っても聞かず、
泣きながら祖母をさも愛しそうに抱き、硬くなった腕を、足を、優しく言い聞かせるように摩って自分の車に乗せ、
家まで運んだそうだ。
誰にも触らせず、体を綺麗に拭いてあげながら、
「可哀相に、こんなに切り刻まれて。」っと手術の後を優しく撫でながら呟いた。
通夜、葬式の支度の間中ずっと泣きっぱなしで、祖母の遺体の側に張りついていた。
そろそろ出棺の時間になり、棺桶の蓋を閉めようにも祖母の遺体にしがみ付いて離れず、
大の男衆が5人掛かりで親父を遺体から引き離したらしい。
母も居たたまれなくてずっと泣きっぱなしだったそうだ。

一度も泣いたことがない、、ねぇ。。。

随分後になってからだが、私は一度だけ親父が泣いたのを見た事がある。
それは私の母方の伯父の葬式で、だ。
私たちはずっとその、母の姉夫婦と一緒に住んでいた。
その伯母も伯父も親父の会社で会社の創立以来ずっと働いていた。
二人とも山形県出身であったが、仕事の都合で、2人いた娘は母方の祖母が面倒を見ていた。
二人とも嫁いでいて、長女の方は夫婦で伯母夫婦の近くに越してきたのだが、
次女の方は有名旅館の跡取りに嫁いでしまった為、山形県に残る形となった。
雑誌で取り上げられるほどの旅館の仕事はとても忙しかったのだろう、
嫁いでからというもの彼女が伯母夫婦を訪ねてきた事は一度もなかった。
そして伯父の葬式の日、前の晩の最終電車で到着した彼女は、
その日も目を真っ赤に腫らしながら、何度も何度も
「お父さん、ごめんなさい。お父さん、ごめんなさい。」と伯父の遺体に縋り付いていた。
そんな彼女の姿に、自分のあの時の姿を重ねたのであろう、親父の目から涙がこぼれていた。


親父の夢 に続く

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