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亡き父に思う


もう、心の中の人だから、自分に都合よくアレンジしているからである。

しかし、過去の知っている父は、振り返ってみれば、尊敬できる部分が多々あった。ほんとにたくさんすごいな、真似できないなと思う事が多い。

父は次男坊で婿養子。三人姉妹の長女の母の実家に婿入りした。前日に見合いをして、翌日には引っ越してきたらしい。超スピード結婚。出会って一日!!
長男の俺が産まれるまではケーキ職人の見習いや、すし屋職人、八百屋、などなど仕事が長続きせず、20位転転としたと母が法事の時に笑っていた。しかし、俺が生まれてから、長距離トラックの運転手として、ずーと死ぬまで勤め上げた。
「子供には金がかかるから金で苦労はかけない」と一言いっただけだそうだ。

婿養子ということもあって、基本的におじいちゃんが世帯主でいばってたから、父は家では無口だった。酒をのんだり、外でキャッチボールしたり、好きな喫茶店に連れてってくれたりした時は饒舌だった。プロのドライバーだったので、交通ルールとドライビングに関する話は多かった。わかんないけど、生き生きと話してる父が嬉しくて聞いていた。

足や腕が痛いと病院にいき、血液検査の異常で、大きな病院にすぐに入院となり、先生から〔急性白血病〕と診断され、半年の命とも告げられたのが50歳の時。
俺は25歳で彼女20歳と結婚を考えてた。

高速バスを使い、父の病院に彼女と見舞いに行くたびに、5月の結婚式には元気になるからと元気なそぶりをみせて、身体を絶対起こしてくれた。トイレも母の介助が必要なのに、そして、結婚式の7日前に亡くなった。結婚式は彼女のご両親が
「亡くなったおとおさんが楽しみにしてたんだからやりましょう」とのありがたい言葉で、予定通り行った。

父が病室でしきりに言っていた言葉は「子供は早く作れよ。」だった。
俺達子供を静かに、そして、大事に育ててくれた父らしい短い言葉だと思う。
父のように子供を静かにバックアップできるだろうか。ふと考える事がある。
若くして亡くなった父は若々しい印象で止まっているので、美しすぎるんだよ。
ありがとう。孫は元気に育っています。見守ってやって下さい。



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