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アポテーカ哲の読後感 この本を購入したのは3年くらい前です私はこの本を何度も読みなおしました。私の考え方に大きな影響を与えた本です。 1.空腹時に運動すること、食べたあとは親が死んでも食休みです。現代生活ではなかなか実行が難しいです。それがガンが増えてきた大きな原因です。 それなら朝食を食べないで仕事に行くことを提案しています。 食べてすぐ運動すれば、胃腸は消化活動を始めようとしますが、肝腎の血液は胃腸に集中しません。走ったり階段を駆け上がったりすれば、筋肉の方へ分散してしまいます。この結果消化液が十分に分泌されません。胃腸は食べたものに見合う消化液が分泌されないから、胃が重い、もたれるというということになります。こうしたトラブルが積み重なると、胃腸を始めとする消化器はじわじわと障害を受けつづけやがて胃ガンや消化器系のガンへの道が用意されることになります。 日本人に胃腸病が病が多い理由 ・食後せかせかと動き回り血液が胃に回らないために、消化液が十分に分泌されず消化不良になる ・食後イライラしたり怒ったりして、血液がストップするため、胃酸が胃壁を傷つける ・消化液の分泌が間に合わないほど食べ過ぎるため、消化不良、胃もたれをおこす。 教訓 食べたあとはせかせかせずにのんびりと、食事の前に運動しよう 2.ガンは血液循環不十分、酸素不足から ガンの引き金は細胞の酸素不足から始まります。 がん細胞はほとんど酸素を使わないで増殖します。胎児も母親の胎内では酸素を使わずにどんどん増殖します。 胎児は外へ出て酸素呼吸をするようになると急に発育が鈍くなります、体内での無酸素時代は、たった0.1ミリグラムの受精卵から約270日で3キロに成長するのに、3キロで生まれた赤ん坊は、60キロになるのに20年近くかかります。そのスピードは胎児時代の方が数万倍も速いことになります。 成人して成長が止まったのち、何かのきっかけで胎児の遺伝子が働いて、再び酸素無しで生きていける細胞に移行してどんどん増殖を始めるのです。細胞が増殖することは、酸素無しで生きていける細胞にかわったことであり、」それがガンになることを意味しているのです。(ワールブルグの細胞の胎児返り説) そのきっかけになるのが酸素不足で、細胞が必要な時に酸素が供給されない状況が続くと、細胞は苦し紛れに酸素無しで生きていける細胞、すなわち胎児時代の遺伝子が活動する細胞に変わり胎児のようにどんどん増殖するのです。 細胞の酸素不足があらゆる病気の引き金になるのです。 ゲルマニウムと私の中で浅井一彦博士もガン治療の三つの条件の1つに身体内に酸素欠乏をおこさないこと。人間が生きているということは体内で常に何かが燃えてエネルギーをつくるからである。ちょうどエンジンを動かすためにガソリンを入れて燃焼させるのとまったく同じである。このような現象の主役を務めるのが酸素であるといっています。 野口英世も晩年「万病一元論」を提唱しその原因は「酸素欠乏のことだ」といっています。 それほどに細胞に酸素は必要なのです。活性酸素有害説の前に酸素がなければ生きていけないのが大前提だということを再確認して下さい、 ガンを防ぐには人間本来のからだのしくみにかなった生活を送ることそのために次の3つが有効と考えられます 1.適当な自給的運動を心がけること 2.食事は体重が減らない程度に取り、食後はゆっくり休むようにし、なるべく空腹時に活動的に過ごすようにすること 3.冷水浴などで身体に刺激を与える努力をすること 私は体の健康のために無理せずあせらずこの3点の実行を心がけています。
2005.02.11
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休みの日にはライトとの散歩を楽しみます。あさ5:30から起きて連れて行きます。寝ているうちの奥さんも無理矢理おこして一緒に行きます。休みの日は散歩の行くのがわかるのか私が起きるとパット飛び起きてしっぽを振って私にじゃれてきます。 朝の30分間の散歩は“夫婦二人の会話”、“夫婦二人の健康”、“ライトのいちばんの楽しみ”とトリプル効果があります。 ライトを飼い始めたのは震災の年からです。早いものでもう10年たちました。疲れてぎすぎすしている家庭の息抜きになればと思い、妻と娘が能勢口のアークという犬の施設からもらってきました。施設に行くとほとんどの犬はもらわれていっていて、残っていたのは生まれたての雑種が2匹だけ。もっと良い犬を期待していた二人はがっかり。でも女の子の方が育てやすいということでもらわれてきたのが愛娘犬ライトでした。鼻の真っ黒な典型的な雑種。寝ているとき私の頭の上でウンチをしたことをはっきり覚えています。 当時小学生6年生だった娘に一番なついていました。娘も朝6時頃に起きて散歩に連れて行っていました。飼う前の約束散歩には必ず連れて行く事というのがあったからです。その娘もいまは20歳。「散歩は?」というと眠いの一言。 娘よりライトがかわいくなった私は仕方なしに休みの日の朝の散歩だけは連れて行くようにしています。でもライトから見た我が家の家族の優先順位は一番娘、最下位私です。 ひげも白くなって動作も少し緩慢になってきたライト。でもいまでも散歩は大好きです。今朝の散歩でもウンチを3回して満足満足。 朝の散歩はライトよりも私の健康にうんとプラスになります。ありがとうライト。
2005.02.06
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中学の時は柔道部に入っていました。中学3年の時の練習の時、頭から落ちて首の骨を骨折しました。すぐに救急車で病院に運ばれたそうですが、意識不明で覚えていません。3日間ほど意識が回復しなかったそうです。自分ではその時の記憶はまったくありませんでした。 それから3ヶ月間ベッドに固定されたままで動くことを禁止されました。それからリハビリの開始。起きようにも起きられません。地球の重力のすごさを実感しました。 4ヶ月目で退院、家でリハビリをおこなっている時、腕や足や肩が突然しびれて再入院。このまま半身不随になるのではないのかという恐れで頭がパンクしそうでした。 1ヶ月で退院、手、足のしびれは完全にはとれず、疲れるとはげしい頭痛や吐き気に悩まされました。中学も当然留年。お先真っ暗です。 父親の親友の紹介で、国立大学の有名な整形外科を紹介されそこに通院しましたが、レントゲンでは異常なし。骨の中を調べるために油を骨の中に注入されました。麻酔をかけられましたが、その痛かった事。それでも異常なし。治療法はおきまりの首つりと首を動かさないようにコルセットの着用。 1年間ほど続けましたが、よくなる兆候がないので行くのを止めました。治療に行かなくなってからの方が調子は少しはよくなったようです。でも手足のしびれや頭の痛みは依然改善はしませんでした。 このような状態が高校、大学、社会人になってもよくなりません。会社の勤務は静岡の工場でした。 25歳の夏家に帰った時、父親のぎっくり腰を治してくれた京都にいる整体師のところに行きました。当然よくなることは期待しませんでした。先生は首や肩や腰を押されて「これでよく死ななかったものだ体中ががたがたになっている」といって整体をおこなってくれました。首や腰、背骨がぼきぼき鳴りました。とても気持ちがよくなりました。手足のしびれもよくなったように感じました。 そのあと1ヶ月に2回は静岡から京都治療に通いました。自分でどんどんよくなるのを実感しました。首の痛みと、腰の痛みは少し残っていましたがほとんど気にならなくなりました。3ヶ月目に先生は「これ以上はよくならないので治療は中止します。痛みが強くなるようならまた指圧をしてあげますから来て下さい」といって治療は終わりました。それから25年くらいたちましたが、疲れた時には痛みは少しありますが、ほとんど感じなくなりました。 変な言い方ですが、あんな大きな事故にあったのに、結婚もできたし、3人の子供にも恵まれました。
2005.01.31
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初めての方に 活き活き健康講座とは 夫婦二人の健康体験 長生きのコツはコリをとり除くことだった 朝の3分間操体操
2005.01.25
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船井幸雄さんの言う直感力とは「一切の思考を通さず、心が直接に正しく知る力」私も直感力を身につけたいと思っています。直感力を身につけると“思いが実現する”と信じているからです。ライブドアで直感力について書いた頁・・・・直感力を身につけたい
2005.01.24
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