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2 生きている意味を求めて

 生きている意味を求めて


 宮沢賢治が「自分ほど死について考えた者はいないだろう」と語っていたらしいのですが、その言葉を借りて言えば、ぼくほど自殺に怯えた者はいないだろうと思っています。
 それは寝ているとき以外いつもぼくに付きまとって離れようとしませんでした。「自分の存在理由、存在価値が見つからないだけでなぜ死なないといけないんだ」と、戦えもしない相手を前に苦しまぎれに抵抗はしても、いつも無駄に終わるばかりでした。

 何かをすればその恐怖から逃れられるのではないかと、学生時代は器械体操やクラシックギター、卒業して市役所勤めを始めてからは空手道同好会に所属して汗を流す傍ら、絵画に熱中しようとしました。絵は子供の頃から好きでしたので、これらの中では一番自分に合っていたようです。
 延岡でBENOという絵画サークルで油絵をはじめることになりました。その頃の心境をサークル紙に書いたことがありますので一部掲載します。昭和52年、25歳の時でした。


 BENOに入会して9カ月が経ってしまった。入会のきっかけというのは、第2回BENO展が喫茶リオで開かれていた時、興味を持ったのだった。今、作品と呼べないまでもキャンバスに色付けしたものが8枚。絵を描くのが楽しくて仕方がないという心境だろうか。

 今更ながら絵を描く人に「なぜ描くの」と問い掛けたら野暮であろうか。誰が言ったか知らないが、なぜ山に登るのかという問いに「そこに山があるからだ」と答えたのは有名な話である。その言葉を借りれば「そこにキャンバスがあるからだ」ということになろうか。しかし、それだけでは納得がいかない。ぼくは、こんなことを思って絵を描いている。

 人は、だいたい朝起きてから夜寝るまで、思えば単純な生活を繰り返す。実は、この単純さの中に大きな危機が待ち構えている。中学校の3年の時だったと思う、友達のひとりが作文に変わらぬ毎日の繰り返しが面白くないと書いていたのを、今あらためて思い出す。ぼくは、その頃、学校が楽しくその時は何も感じなかったが、ついにこの危機は大学生のある日突然やってきたのだった。ハイデッガーが言っているように、《この
単調で退屈な毎日が突如として人間を無の中に落としてしまう》のだ。「自分はいったい何なのだろう? 何をしようというのだ? 何で生きているんだ?」という問いが重くのしかかってきた。ぼくは、それらに答きれずに逃げ回った。ぼくは、納得いく解答が得られなかった。無=死となってますますぼくに迫ってくるのだった。

 今年、昭和52年4月頃、ひとりの東大生が自ら命を絶った。生きていくことに納得がいかなかったのだ。そのニュースは、生の公式という妙な式とともに発表された。目ざす大学に入って、将来を約束され他に何の不足もないように思える。しかし、何かが欠けていた。生きがいがないのである。

 最近、高校生や中学生の自殺が多いという。全部が全部同じ原因ではないだろうが、生きていることが空しいと感じて死ぬことがある。「生きがいの喪失」それはまさに現代の病根に 違いない。ところが、この「生きがい」とか「存在理由」の喪失というのは、現代だけの問題ではなかった。

 ベートーベンは、こんな書簡を残している。「人間がまだ善行する可能性を持っている限りは、自ら欲して人生から去ってはならぬという言葉を、ぼくがどこかで読んでいなかったとしたら、ぼくは、もうとっくにこの世にはいなかったろう、疑いもなく自分自身の行為によって」。

 みずから命を絶った人達はこのような人達が同じような悩みを持って、それでもなお強く生き抜いたということを知っていたのだろうか。人間としてもっともな疑問を抱きながら死んでいった人達が残念でならない。
 ぼくが絵を描くのは、その悩みへの挑戦である。たとえその問いに答えられなくてもこの大地にしがみついてでも生きていたいと思っているのだ。

 なぜ絵を描くのかを他人に問うと、殆どが「好きだから」という返事が返ってくる「好きだから」この言葉の中にこの問いに対する答があるのではないだろうか。いや、答というよりもこの問いを退けてしまう力を持っている。これは生命が発する言葉だ。そこにはあの問の入り込む隙間はない。それは、人間本来の力、生命力だ。
 それまで逃げ回っていたぼくは、明るい兆しを感じた。何ものか好きなものに熱中すればいい。心から好きになることでこの問いを締め出せばよかったのだった。
 絵を始めた当初は長続きするか自信がなかったが描いているうちに予想もしなかったような楽しさが湧いてくるのだった。

 フランスのモラリストといわれるアランは「実行することの幸福は決して想像されたものでもなく、また想像しうるものでもない」と言っている。何でもやってみないと分からないものだ。
 今は絵を描いていることが楽しいが、いつかは飽きる時もくるだろう。その時また例の問いが暴れ出したなら、多くの先達にそれを引き受けてもらい、また次の好きなもの探そうと思っている。







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