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マーガレットコスモス「この宗教に入れば願いが叶って絶対幸せになるから」と勧められて入信して、最初の頃3つぐらい願いがかなったがその後はかける願いのことごとくが叶わず、このまま続けるべきかどうか迷っている。という人がいた。宗教に入る人はほとんどがこのような経過で入信するが、途中で願いがかなわないので止めるかどうかで迷っている人は多い。止めるか続けるかはあくまで本人の決断だが、少しでも参考になればと思って私の考えを述べさせて頂いた。宗教とか信仰するということは願いをかなえてくれるかどうかということばかりではないと思う。その信仰によって自分の心が安定し、生活や交友関係が豊かになっているならある意味で願いが叶っていると言えないだろうか。恐らく健康のことでも何度も願いをかけてこられたと思う。でも健康にしてもらえず願いは叶わなかったと思っているが、外から見るとリハビリを熱心にした結果かもしれないが、かなり健康体に近づきつつあると思う。主観的には少しも健康になっていない、少しも願いを叶えてくれないと思っていても外からみたら願いが叶っている場合もある。その宗教の目指すところをもう一度見直してみたらいかがだろうか?自分さえ良ければいいと利己的だった自分が、他人のため、世界平和の為に尽力する人間に変わってきてはいないだろうか。あるいは相変わらず利己的で、自分が儲けることだけを考え、功徳を頂くことだけを考えている人間のままだろうか?功徳がないから止めたいというのは一つの考えだが、自分が信仰している宗教が目指しているものを考え、それが他人の領土を奪って金持ちになることを目指しているものなのか、自分が功徳を受けて儲かることだけを目指しているものなのかを考えて、やはりとるに足らない宗教だったと解かったらお止めになられたらどうでしょうか?と話した。宗教は功徳があるかどうかだけで判断するのではなく、その宗教の目指すものなど総合的に判断して信仰した方がよいと思う。
2024.08.26
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NHK「100分de名著」ブックス 法華経 誰でもブッダになれる [ 植木 雅俊 ]価格:1,100円(税込、送料無料) (2023/11/26時点)楽天で購入2018年にNHKのEテレ「100分で名著」でとり上げられた「法華経-誰でもブツダになれる」を読んだ。法華経はインドのお釈迦さんが法を説いて歩き、最後にお亡くなりになられた後に膨大なお釈迦さんの教えを編纂委員がまとめたもので、仏教の基本中の基本原典である。日本でも仏教伝来以後、法華経は重視され、聖徳太子は法華経の注釈書「法華経義疏」を書き、鎌倉時代には道元は「正法眼蔵」の中で法華経を最も多く引用し、日蓮は法華経従地湧出品第十五で出現する地涌の菩薩や、常不軽菩薩品第二十で現れる不軽菩薩をわが身に引き当てて、法華経の行者として法華経を身読して、迫害を受けながら立正安国論を書いて国家諌暁したり民衆に広めたりした。法華経には時間的には何万光年とか広さ的には何億平方とか弟子の数何千何百万人とか想像もできないようなスケールの場面設定が出てくるが、当時のインドの風習として話を大げさにして印象を強めようとしている面があるのだと思われる。釈迦が無くなった直後は原始仏教として釈迦の言葉に比較的近い(正しい)教えが流布していたが次第に戒律を重視する小乗仏教が勢力を伸ばしてきた。しかし生存中のブツダはそんなに厳格な規律を設けてはいなかったし、女性は成仏できないなどとは言っていなかったのに差別したり、釈迦の教えから段々離れていく状況があり、それではいけないと、ブツダの真の教えを纏める委員会ができて釈迦滅後役約500年してようやく完成したのが大乗つまり誰でも幸福になれる大乗の法華経である。それを漢訳したのが鳩摩羅什でその漢訳本を日本では唯一の法華経として用いてきた。それに対してサンスクリット語に翻訳したものは長い間見つからなかった。ところが1837年英国人のブライアン・H・ホジソン氏がネパールでサンスクリット語の法華経の写本を発見してそれをオランダ人のJ.H.C.ケルン氏と南条文雄氏が校訂して1908~1912年にかけて出版され、ケルン.南条のサンスクリット語の法華経と呼ばれるものが世に出てきた。本書の著者 植木雅俊氏はケルン.南条本に基づいて本書を書いたが、鳩摩羅什の漢訳本を良く調べてみると、鳩摩羅什版には結構誤訳が多いとのことだった。法華経のエッセンスは常不軽菩薩品第二十にあり、不軽菩薩がどんなに悪口を言われ、蔑まれても決して怒らず人間尊重の振る舞いが出来たのは、あらゆる衆生に仏性があることを確信していたからだと述べている。自己嫌悪、自己卑下の苦悩を超えて自己の尊さに目覚めることは、他者の尊さに目覚めることにつながり、カースト制度の階級差別や女人差別があってはならないとして、ブツダは4つに分かれた階級の内最下層階級(シュードラ)が身につけている墓地に死体を運ぶ時死体を包んでいる布切れを縫い合わせて袈裟をつくり、それを身につけて説法して歩いていたとのことである。法華経とは「貴方は尊い存在で、貴方もブツダになれます」と人々に訴え、失われた自己を回復させて真の自己に目覚めさせる経典であると結ばれていた。毎日のように殺人事件や詐欺事件が報道されている。また自暴自棄になっての自殺の報道もある。彼らは自分達の中にある仏性に気づいておらず悪魔の行動をしているのだと思う。法華経を広めて一人でも多くの人に自らが仏であり、ブツダであることを自覚してもらう必要があると思った。
2023.11.26
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ラムズイヤー(子羊の耳)玄関脇に何年も前からこの時期になると咲いている。葉が子羊(lamb)に似ていることからこの名がある。池上彰の「宗教がわかれば世界が見える」によると世界の殆どの国は宗教に基づいた国家だが、日本人は宗教に無頓着で無宗教国家と思われているが宗教学者の島田裕巳さんは「日本人は無宗教ではなく、これだけ宗教が自然に根づいている国は珍しい」と述べている。現に約20万の宗教法人があり、浅深を別にすれば多くの人が何らかの宗教に縁している。今、多額の寄付金問題が引き金になり安倍元総理が銃撃された事件の旧統一教会の宗教法人資格停止か否かが国会で協議されているが、そもそも宗教とは、あるいは宗教法人とはどういうものであろうか?世界にはキリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教などの主要宗教があり、さらにそれから派生した数々の宗派がある。池上彰さんは各宗教、各宗派について解説してくれているが、私は本当の宗教は実生活に結び付いたもので人々の生活を豊かにし、人々を幸せにするものだと考えている。中には宗教の名を冠していても他国を占領したり戦争を引き起こしたり、人々を不幸に落とし入れるものもあるので、宗教の正邪の判断は極めて重要だと思う。日蓮大聖人の御書に「御みやづかいを法華経とおぼしめせ。一切世間の治世産業は、皆実相と相違背せずとはこれなり」の御文があるが、その意味は「生活は私たちの生命活動そのものであり、信仰は私たちの生活を変革し、充実させるものでなければならない。どんな職場、どんな立場であっても自分らしく、人のため、社会のため、世界人類のために行動していくべきである」と解釈されている。宗教の基本を述べたもので、宗教の正邪の判断の参考になるのではないかと思われた。
2023.07.16
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本日の「英雄たちの選択」によると徳川家康がまだ22歳で松平家康と言っていた1563年に三河の一向一揆が起こった。一向宗というのは浄土真宗本願寺派の信徒で各所でその勢力を伸ばしており、寺は経済的にも豊かだったが、政治不介入ということで年貢を納めないでいいことになっていた。家康の配下がそれ知ってか、知らなくてか年貢を取り立てに行ったことがきっかけで一向宗と家康の間で起こった戦いである。家康の配下の武士も大勢一向宗に入っていたので、家人団が二つに割れて身内同士の戦いとなり、家康は大変苦しい戦いを強いられた。最終的には家康側が勝利して、講和条約を結び、戦前状態への復帰と敵方に回った当事者の処罰なしということになったが、家康はその後、武士や地域の人に改宗を求め、一向宗の寺院すべて破壊してしまった。その結果家康の三河一帯の支配権が確立し家人団の団結もできたが身内のかなりの武士たちが敵方に回り、精神的にも極めて苦しい戦いだった。当時信仰してしていた武士達は多かった。信仰していても戦争がなければ家康の部下として働くことにはなんら差し支えなく、平和に暮らしていたが家康側と自分が信仰している宗教団とが戦争することになり、彼らはどちらにつくかで迷ったと思われる。しかし信仰していた者のほとんどは一向宗側についた。宗教の力はいつの時代も大きかったのだなと改めて思った。
2023.01.11
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今朝6時35分からの教育テレビ「心の時代」(問われる宗教とカルト)1時間番組を観た。1)カルト問題における家族 2)諸宗教と女性の力、に分けて仏教者、キリスト教者、イスラム研究者などが解説してくれた。キリスト教旧約聖書におけるアダムとイブの話ではイブはアダムの肋骨から作られたとされており、二人はエデンの園で楽しく仲良く暮らしていたが神からその園の中心にある木に実った果物は食べてはいけないと言われていた。ところがイブが蛇にそそのかされてそこで実ったリンゴを食べてしまった。そこで初めて羞恥心が生まれ二人は陰部を隠したり服を着るようになったとされている。また神との約束を破ったためエデンの園から追放されてしまったとされている。統一教会ではイブがリンゴを食べたのでなく堕天使ルーシェルと不倫を犯し人間が悪に染まってしまった。キリスト教ではイエスキリストが救世主として現れるが統一教会では再臨王として創始者文鮮明が現れたとしている。イブがアダムの肋骨から造られたところは同じなので人間の元は男のアダムで女のイブは従とされている。キリスト教でもイスラムでも女性蔑視、女性を低く見る教義が多くキリスト教の魔女裁判とかイスラムの女はヴェールをかぶらなければならないなどがあり、男性優位社会が作られてきた。神道や仏教でも男尊女卑の教えがあったが日本の仏教の宗派によっては「男女嫌うべからず」と男女同権を高らかに謳っている教派もある。統一教会では韓国がアダムの国で日本はイブの国である。だから日本は韓国に尽くさなければならないとして日本の信者は献金して韓国に送るシステムになっていた。韓国の信者数は日本の半分くらいで日本のように大金を献金するようなことはない。創始者文鮮明は合同結婚式などを通じて悪に染まってしまった人間を純で清らかな人間に戻す任務をもっているとのことだった。信仰心のある親は献金して先祖を救い、自分も悪から抜け出せると信じていたが、そのような信仰心のない子供は不当な献金や韓国への送金に不信感を抱く。宗教2世はやり場のない気持ちになり不幸感を持って生活してきた。信教は自由で誰からも強制されたり辞めさせたりできないものだということを今の人達は認識しているだけに信仰のことで親と対立するケースが多くなってきた。宗教社会学が専門の北大教授の櫻井義秀さんは社会は常に変化し流れている。宗教指導者はそのことをしっかり認識して指導するべきだ。宗教は一つ間違えれば差別、排除、闘争につながり易い。社会とつながりながら正しく発展していくべきものではないかと述べていた。
2022.12.31
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仏教は釈尊によって創設され紀元前6世紀ごろ今日のネパールに当たる場所で王子として生まれた。生後1週間で母親が死亡してしまった。成長していくにつれて人が老いて死んでいく姿をみて誰人も病気や死を免れないことを知って出家を決意して林の中で断食等の苦行を極限まで行ったが6年たっても悟りが得られなかったのでブッダガヤの菩提樹の下で瞑想を行い、自己の内なる生命を探求し、あらゆる生命が相互に結びつき関わりあいながら生死流転繰り返している宇宙の実相を見出し、それを貫く根源の法を悟ってそれを人々に説き始めたのが始まりである。以来亡くなった80歳まで法を説き続けたのである。イスラムはムハンマドによって創設された。ムハンマドは西暦570年ごろアラビア半島の町メッカで生まれた。父はムハンマドが母の胎内にいる時に亡くなり、母は6歳の時に亡くなった。その後祖父に引き取られたが8歳になる前祖父とも死別してしまった。孤児になってしまったが幸い叔父に引き取られて成人した。真面目で仕事熱心だったムハンマドは25歳の時メッカの金持ち女性商人のハディージャに見染められて結婚した。結婚後生活には恵まれていたが、天と地の中にあるものについて思いを馳せて年に一回メッカ近郊のヒラー山の洞窟にこもって瞑想していた。西暦610年、40歳の時天使から啓示を受けてアッラーからの幾つかの言葉を聞いた。亡くなるまでの20数年間啓示は続き後にそれがまとめられてコーランになっている。仏教創始者もイスラム教創始者もそれぞれ生後1週間とか6歳とか早くに母親を失っているがそのことが宗教の創始に関係したのかもしれない。お二人とも様々な困難と闘いながらその地位を築き、宗教を確立してきたが、その末裔である信者達は攻撃しあうのでなく、寛容の精神で協力しながら豊かで平和な社会を導いて貰いたいと思う。
2022.11.12
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庭先の畑に実った西瓜、2個実っていた安倍元首相を狙撃した犯人は「父親が自殺した後母親が某宗教にのめり込み1億円以上のお金を献金し家庭崩壊した。お陰で自分は惨めな高校生活を送り大学へも進学できず母親にそのような献金をさせたその宗教をずっと恨んでいた。その宗教を創始した一族を殺そうとしたが果たせずその宗教のシンパで影響力のある安倍氏を殺害した」と供述している。世界には無数の宗教があり、日本だけでも約18万の宗教があるといわれているがそのほとんどは大なり小なり献金を求めている。人には願い事がある。その願いを何とか叶えたいと思って宗教に入るが入っただけでは功徳はない。熱心にご本尊に祈り献金したり入会を勧誘したりする活動をすることによって功徳があり願いが叶うと指導される。献金額は多いほど功徳も大きい。犯人の母親は夫に自殺されてぽっかり空いた心の空洞を埋めようと必死で宗教活動を行い、献金して自分も家族も救わると信じてきた。しかし現実には家庭は崩壊し、子供を殺人犯にしてしまった。勧誘活動を熱心に行い献金を続ければ本当に幸せになれるのであろうか。宗教にはそれぞれの教義があり、一概に論ずることは出来ないが、献金を沢山すればご利益があるというのは教団には都合が良いがご本人はそれだけ持ち金が少なくなりご利益があるとはいえないのではないか。それならどうしたらよいか?お金を沢山納めれば幸せになれるという安易な方法はないことをまず認識すべきだと思う。宗教は自分の願い事を叶えてくれるだけでなく社会や世界を幸せにしてくれる教えか否かをよく考える必要があると思う。自分の病気を治してもらいたい一心で入信することも多いが、病気の原因については様々な要因があり、信仰するだけで治るほど簡単なものではない。信仰する場合はその教義をよく勉強し、自分と家族と社会が幸せになるものかどうかよく考えることが大切だと思う。多くの宗教では幸せになる道としてご本尊さんを信じ、感謝することが大切だと教えている。感謝が献金につながる場合もあるかも知れないが、自分の身に合った額にすべきで家族を不幸にするような額であったり不法に稼いだお金であってはならないと思う。この機会に宗教の取捨選別が行われたらと願う。
2022.07.19
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12月16日山梨から見た富士、新潟県などでは大雪というのにこちらは晴れていたが凄く寒かった。人々はお正月に初詣に行って色々願い事したり各宗教の本尊にお願いしたりする。それは病気が治りますようにとかいい人と巡り合えるとか結婚できますようにとか入学試験や就職試験合格を願ったりすることが多い。しかし特定の宗教を信仰している場合には一生懸命お願いしたのに少しも願いをかなえてもらえなかったという声を時々聞く。「願いとして叶わざることなし」を標榜している宗教なら願いが叶わないのはおかしいではないか!インチキではないか?」となる。確かに合格を願っていたのに不合格になると「どういうことだ!」と思うのは自然かも知れない。しかし願い事は色々あって複雑だ。少し科学的に考えてみたい。合格定員が100名で合格を願っていた人が1000名いるとすると900人はあぶれてしまう。もともと願えば必ず願いが叶うということはあり得ないのだ。「総理大臣にして下さい」と願っても何千人とそれを願う人がいれば国では一人しか総理大臣になれないので他の人は願いを叶えてくれなかったということになる。「世界平和を願ってきたのに少しも平和にならない、願いを叶えてくれないのはインチキではないか」と思っている人もいるかもしれない。「新型コロナが沈静化しますようにと真剣に願ってきたのに少しも沈静化する様子がない。願いとして叶わざるなしは嘘ではないか」と思っている人もいると思う。誰でも何らかの願い事をするが、それが叶う場合と叶わない場合についてすこし考えてみたい。願ったら霊験あらたかで見事に願いが叶うことはある。しかしそれは神の力というよりその人の運であり努力の結果だと思う。願いが叶わない場合は上の人からお布施が足りないからだとか宗教活動が不十分だからと指導されることが多い。宗教活動については十分な活動によって良い結果がもたらされることがあるかも知れないがお布施は関係ないと思う、何千億お布施すれば総理大臣にしてくれるものでもないと思う。私は宗教における願い事とそれが叶うということは目に見えるものではなく心の問題ではないかと思っている。例えばいい人と結婚できますようにという願いは自分もいい人にならなければいい人が嫁に来てくれない可能性が高い。そうするとその願いの中で自分自身が高められいい人と巡り合って願いが叶うのだと思う。「世界が戦争のない平和な社会になりますように」という願いもそれを真剣に願う中で自身が社会的な人間になり、困った人を助けたり争いを収める活動を行う中でその願いが身近ななかで少しずつかなえられていくのだと思う。」「合格しますように」という願いは自らに真剣な勉強を科し願いを叶えてくれるのだと思う。要するに「願いとして叶わざるなし」というのは具体的現象をいうのではなく、人間の内面について言ったもので「真剣な信仰活動で人格陶冶されハガネの体力と意志力を備えたならば怖いものなしで、何でも欲しいものが手に入る。つまり願いは何でも叶うのである」という意味なのだと最近よくわかった。願いを叶える人生を生きていかなければと思っている。
2020.12.17
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シャクナゲ(石楠花)ナニワイバラ(浪速茨)ゴールデンウィークが始まった。例年なら海外、国内とも旅行客で溢れ活気を呈するシーズンだが今年は新型コロナの影響で外出自粛が求められ、寂しいゴールデンウイークになってしまった。皆さんそれぞれ計画を立てていることと思うが、自宅で出来ることを考えて見た。時期的に温かくなり暖房機や加湿器を片付ける時期である。そのついでに部屋の片づけをしてみたらどうだろうか?気分一新して仕事の能率が上がると思う。外出禁止で肥ってしまってズボンが履けなくなってしまった人もいるかもしれない。家の周りの散歩とか体幹ダイエットに挑戦してみたら如何だろうか?ポッコリお腹の改善には1)両ひざを抱えて頭を上げる。→2)両手を伸ばして指先を伸ばして畳につけて膝は90度に曲げる。→3)両腕を上下に10回ほど素早く動かす。→4)両足を前方にまっすぐ上げて1-2分位キープ(3呼吸)、その時両手は耳に添える。この一連の運動を1日5分間行う。継続できるかが鍵である。コロナのために自宅に閉じ込められたのだが何もしなくてコロナ消滅を待っていてもいつその日が来るのかは分からない。1日も早い消滅を願って昔の人がしていたお百度参りをしてもいいと思う。世界には約20万の宗教がある。それぞれの宗教の対象に消滅を願って祈願してもらいたい。無宗教の人も多いと思うが、無責任に「いつ終わるのだろうか?」と漠然と生きているのではなく、「1日でも早く消滅しますように」とご先祖さんでもいいし天に向かってでも祈ってもらいたい。全人類の願いや祈りが天に通じないはずはない。1日でも早い消滅を願って全員で祈ろうではありませんか。
2020.05.02
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7/26にオウム真理教関連の死刑囚の残りの6人の刑が執行され13人全員が死刑になった。死刑廃止が大勢を占めてきている国際社会にあって短期間にこれだけ多数の死刑が執行されたことに対して国際的にも国内的にも議論が盛り上がっており、今後死刑の是非について慎重に協議を重ねてもらいたいと願う。所で今回死刑になった6人の履歴を読ませていただいたが、皆さん高校生か大学生の頃、麻原彰晃の著作を読んで信者になった人が多かった。出家と称して家族からも離れ麻原彰晃に絶対帰依して長野サリン事件や地下鉄サリン事件を起こして多くの人を殺したり傷害を負わせてしまった。麻原の4女が父親の死刑は受け入れられてもその弟子たちの死刑は受け入れられないと述べていたが、全くそのとうりだと思う。グルとして全能の力を持っていた麻原が弟子たちに殺人行為などを行わせたのであって首謀者は麻原で弟子たちは被害者である。生きがいを求めていた青少年達にとって超人的な麻原は魅力的だったのだと思う。私は彼らより20年くらい前の世代だが、麻原の世代に遭遇していたら感化を受け易い性格なので麻原のとりこになって罪を犯して死刑になっていたかも知れず、世代がずれていて助かったと思っている。最初は素晴らしいと思ってもだんだん変な方向に導かれることに対して理性が働いて脱会などが出来れば良いのだが、マインドコントロールされて従ってしまった。催眠術をかけられて悪魔の行いをさせられてしまったのだ。私もその中に入っていたら恐らく抜け出すことは出来なかったと思う。ということは最初に入らないことが肝要だと思った。皆さん物理学専攻とか医学専攻とか優秀な方々ばかりで、最初入信する時にその優秀な頭でよく考えてもらいたかったと思う。世の中には自分を破滅の方向に指導する悪魔のような指導者もいるのだ。青少年諸君、見分けの基準である生命を大事にするのか?人のために尽くす教えかなどよく考えて破滅の道には入らないようにと心から願っている。
2018.07.29
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She has been chased as suspect of murder of police woman in France. She is 26 years old, beautiful woman I think. Why she did such a brutal action? I think she has not educated the importance of life. They have been educated by Islamic doctrine probably but haven’t true education.Novel peace prize winner Miss Malala who is Muslim said every woman and every children should have true education.There were many religions, as like Christianity, Buddhism, Islam, Hinduism, etc. in the world.When some person who belong the some religion did the crime, people say because the person’s religion is wrong. I don’t think so, it is because the person has not educated the truth. Person are permitted to believe any religions by the fundamental human rights. There is no guilt for any religion. The crime belongs to the person who has not been educated about the truth.I pity the wanted woman who couldn’t have the educated what is important.彼女はフランスで警官殺しの犯人として追跡されている。彼女は26才で美しいと思う。なぜ彼女はそのような残酷なことをしたのだろうか? 彼女は生命の重要性を教わってこなかったのだと思う。彼らはイスラムの教義は教わってきたかもしれないが真の教育は受けてこなかったのだ。ノーベル平和賞を受賞したイスラム教徒のマララさんは、全ての女性や子供は真の教育を受けるべきだと叫んだ。世界にはキリスト教、仏教、イスラム教、ヒンズー教など多くの宗教がある。或る宗教に属する人が罪を犯すと、その人の信ずる宗教がいけないのだという。私はそうは思わない。それはその人が真実の教育を受けてこなかったからだと思う。人は基本的人権によっていかなる宗教を信ずることも許されているのである。いかなる宗教にも罪はないのである。罪は真理についての教育を受けてこなかった個人の責任である。私は何が重要かという教育を受けることができなかった彼女を可哀想だと思う。
2015.01.11
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先日東京見物の一環として浅草の浅草寺に行ってきた。大勢の人が参観に訪れており、お賽銭を上げて何らかの願い事を念じていた。浅草寺に限らず一般に神社仏閣ではお賽銭を上げるところがあり、そこで何らかのお願いをすることが一般化されている。殆どの人は観光で来ているのだと思うが、ついでにお祈りしてご利益をもらったり願いをかなえてもらえればありがたいと考える。合格祈願したり、健康祈願したり、素敵な異性との出会いなどを祈願することが多いが、殆どの人は願えば叶えてもらえると信じている訳ではなく、習慣的にしていると言うのが実情ではないかと思う。いずれにしても願いを叶えて下さい。お願いしますというパターンだが、それをしても実現性が薄いことはよく分かっている。それならここで考えを変えて「お願いします」でなく、「させて下さい」「やり切ります」など神社仏閣の前で決意を述べるようにしたらどうかと思う。「合格します」「彼氏を見つけます」「今抱えている生活習慣病を直します」など決意を述べるようにしたらいいと思う。実現性が高くなるし、願いを叶えてくれないとして恨みに思うこともなくなる。これは宗教を信仰している人達にも言えるのではないかと思う。願いが叶うからと勧められて入信しても、願いが少しも叶わなくて、不信に陥っている人達もいるのではないかと思う。「お願いします、こうして下さい」といくら祈っても叶わないとするならその宗教が悪いからではなく、その祈り方が適切ではないのだと思う。例えば「子宝を与えて下さい」と祈っても簡単には与えてはもらえない。まず良い結婚相手を見つけなければならない。その場合でも、「いい人が現れますように」と漠然と祈っていたのでは難しい。「いい人を見つけます」と神様と約束していくほうが効果があるのではないかとふっと思った。
2014.08.17
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ローマ法王がイタリアのピアナ・デイ・シバリで行ったミサで数十万人の人々の前で「悪の崇拝と公益への軽視。この悪は打ち破られ、追放されなければなりません」と述べ、マフィアをカソリック教会から破門すると宣言した。そもそも宗教は不幸な人、悪人を救うことを使命としているものが多く、日本に届け出されている20万の宗教の中には多くの暴力団が含まれていることが推察される。親鸞の善人が成仏するなら悪人はなおさら成仏するとの教えもその根幹にあると思う。今のローマ法王フランシスコ師は素晴らしい方で、浮浪者や貧乏人の救済に全力で当たったりして、無限に懐の広い方でマフィア幹部に悔い改めるように呼びかけたりしている。マフィアという組織的悪を破門して追放しなければならないが、個々のメンバーについては悔い改めさせ、救済されなければならないと深く考えていると思う。日本の暴力団に対してローマ法王のような発言をした宗教指導者はいない。組織暴力団をなくすことが、市民の願いである。国や警察が暴力団取り締まりを行っているが、取り締まりだけでは効果は薄い。日本国内でローマ法王の様な毅然とした発言をする宗教指導者や政治家の出現を期待するものである。
2014.07.12
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オウムの平田被告の裁判が始まった。頭がよくて、努力家で理想に燃えた若者たちが次々と殺人などの大事件を起こしたオウム真理教事件、何人も殺しているのだから死刑は当然としても、なぜそのようなことが起こってしまったのか、防ぐ手立てはなかったのかと思案する。麻原彰晃という絶対的な指導者がいてその人の命令なら何でも受け入れ実行しなければならなかった仕組みを解明し、再発防止のために社会全体が取り組んで行く必要があると思う。一部の国を除いてほとんどの先進諸国では信教の自由が謳われている。誰人もいかなる宗教も信じる権利があり、それを止めさせたり、迫害したりしてはならないと規定されている。どんな宗教を信じてもよいと規定されているので、現在我が国には約20万の宗教があると言われている。オウム真理教では、その宗教に入った人は殆ど罪人になり、不幸になった。他の宗教にもそれに入ったがために不幸になり、地獄の苦しみを味わっている人達もいる。それは自己責任で、その宗教に入った本人が悪いという人もいるが、宗教の勧誘は殆どが自分自身が幸せになり人助けにもなるというもので、入った本人が悪いと言っても、最初のうちはその宗教の本質が見ぬけないことがあるのであながち入った人達だけを責めるのは酷だと思う。宗教の中心者(教祖)達は名誉欲、支配欲、金銭欲に支配されていることが多い。しかし表向きは自分を磨き、人助けで、世の中を幸せにすると謳っているので、多くの若者は惹きつけられていく。そして洗脳されて支配者の言うなりの人間になってしまうことが多い。そしてとんでもない結末を迎えることになるかもしれない。しかし現状の「どんな宗教を信じてもいいのですよ、それを妨げる人は監獄行きですよ」という憲法の下ではどうすることもできない。国が、この宗教は信じてよく、この宗教は信じてはいけませんよということはできない。20万宗教の中には本当に幸せにしてくれるものもあるかもしれないが、不幸にしたり堕落させたりするものの方が多いと思う。その鑑別はどうしたら良いのか?選ぶ個人の感受性であり、先見性であり、知性であり、分析力だと思う。何を選ぶかによって自分の将来は決まってくると言っても過言ではない。ある意味では高校や大学を選ぶよりはるかに重要なことだと思う。教育は不偏不党と言われている。ある宗教を押し付けたり否定したりすることはできない。しかし宗教によって人生が左右され、幸不幸が決まるので、選ぶときには慎重に思考を重ねて選ぶ必要がある。また入ってみておかしいと感じたら、自由に脱退する心構えも必要で、おかしいと感じながらだらだらついて行くのは時間の無駄だし、不幸だと思う。
2014.01.16
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かって英会話教室に通っていた頃、受講生に飛び抜けて美人の婦人警官がいた。彼女はミヤンマーに魅せられて何度もミャンマーに行き、村人達と交流を深めていて、多くの写真を見せてくれた。世界一貧しい国と言われているが、人々の心は世界一美しい。日本にいてもミヤンマーのことを思えば懐かしさで心がいっぱいになり、又行きたくなるというほど惚れ込んでいた。そのミヤンマーで、今仏教僧が立ち上がり、イスラムとの争いが各地で起こっているという。上述した、ミヤンンマー大好きの美人婦警の話ではミヤンマーには争いもその火種も全く感じられなかったとのことだが、国内事情としては大きな問題があったようだ。ミヤンマーは仏教国である。しかし近隣諸国同様イスラム勢力に次第に占領されてきて、仏教徒たちが虐げられてきている現状があり、仏教僧が立ち上がり、イスラムに席巻されるなと説教したり活動を開始したのが原因らしい。争いを好まない仏教僧としては極めて異例のことである。インドネシア、パキスタン、バングラデッシュ、インド、とイスラム化の波は止まらない。かっての仏教国はことごとくイスラム優勢国になってしまった。仏教僧達にはミヤンマーもその轍を踏むのではないかとの不安がある。イスラムは一夫多妻も許されており、人口はどんどん増加している。しかも布教活動は活発で場合によっては他宗を攻撃したり武力を用いたりして勢力を増やしてきた。対する仏教は悟りが根本で、禁欲を説くこともあり、他宗や他人と争うことは好まず、積極的な布教活動は行ってこなかった。その結果、世界でイスラム勢力は急増しており、仏教勢力は衰退している。布教活動が活発か否かによって現在の勢力地図は出来上がったものと思われる。ミヤンマーのイスラム化をせき止めて、仏教を護って行こうとする彼らの活動に声援を送りたい。
2013.08.14
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