つきあたりの陳列室

つきあたりの陳列室

2010.09.11
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カテゴリ: Other topics
(「ボッコちゃん」[新潮文庫]所収)






最も良く知られたショートショートのひとつを,飽きもせず読み返します。「ボッコちゃん」同様,最後の数行に至るまでの構造が,シンプルながらも巧妙です。

読み終わった瞬間,彼らの社会に降りかかるであろう惨事を想像するわけですが,私の場合,そこに「他人の不幸は蜜の味」というか,不謹慎な楽しさがあるのです。「おまえらは訳もわからず恐ろしいだろうが,こっちは解ってる」という,意地悪な楽しみが。

しかし星新一はそんな読者に助け舟を出しています。「いやあ,あいつらが苦しむのは自業自得さ。安易な目先の解決にしがみついて,狂った社会を導いた自分たちの愚かしさを思い知るべきなんだ」と。少なくともそう読める余地がそこにはあります。それゆえ子供時代の私は,自分の中の悪意の存在を意識すらせず,無邪気に楽しめたのです。




他方で私は,ラストシーンに登場する名もない建設労働者に愛おしさすら覚え,胸を痛めたりもします。まったく私は,あちら(悪意)に行ったり,こちら(善意)に来たりと,都合のいい蝙蝠的な悦楽に身を浸す卑しい読者です。

彼の眼前で拡がり発展している都市の光景と,そのパノラマを眺めながら彼の胸に去来する幸福感と高揚感。それを想像すると切なさすらおぼえます。そこには,私が小さい頃にはまだ残っていた,光輝く未来を信じる社会の雰囲気があるからでしょう。

星さんがこれを書いた昭和三十年代,既にいくつも公害問題が露呈したりもしていたでしょうが,それでも大多数の人々は「まだ希望はつづく」と思っていられたのではないでしょうか。それからさらに半世紀近く,そんな気分が続いたと思われます。なんて幸せなこの国の,あの時代。





このラストシーンには,酒場の閉じた人間関係で完結していた「ボッコちゃん」とは異なる魅力があります。そこに至るまでに描かれた【個人 - 組織 - 社会】のありように,私たちの生きる日本社会の肌触りを仄かに感じるのです。

そして,余韻をどう味わうかが読者に託されている点が嬉しいです。あんたがたの好きなように味わえばいいだろ,と言われているようで,つまり大人扱いされている気がして嬉しいのでしょう。他人の悲劇を想像する楽しさを,こちらに託してくれているのです。星さんは他人一般に対して意地悪で,だからこそ僕ら読者にとって優しい創造主なのだと思います。







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Last updated  2010.09.11 21:52:02
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フィンち@ Re:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子 「人生のままならなさ」への強烈な疑問と,…
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