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雨をさがして

雨をさがして

 さようなら。
 今日はそう言おうと決心していた。もう決めてしまったのだ。そうでもしないと、ぼくは振り切れないと思った。
 もう、きみはぼくのことなんかやめたいと思っているのは、とっくに分かっているよ。でも、ぼくはどうしても最後の最後にきみの優しさにつけこんでいる。泣いて泣いて、きみがひどいことをしているように思わせる。全身全霊できみを引き留める。なんとしてでも。
 でも、ぼくはそんな汚い手の内で、本当にきみのことを思っているからではないことにも気付いている。ぼくは、ぼくのきみを思う気持ちが大切で、ぼくが幸せになりたいからきみを引き留めている。体でも、こころでも、きみの全てをぼくのものにしたい。でも、きみはひどく苦しそうで、ぼくから離れればきっと楽になれることを、ぼくもきみも知っている。きみが苦しむほど、ぼくはきみがぼくのものになったと思えて、幸せになった。
 幸せって何だろう。
 誰のための幸せなのか。
 その苦しみは、いつからはじまったんだろう。
 もう、そんなことは考えない。ここで終わりにする。ぼくの気持ちはここでさようならだ。もう、きみを追わない。きみにすがりつかない。
 きみにはたくさんもらったんだから。きみがぼくのために流した涙。きみは優しいので、だまされていると分かっていてもぼくのためにそばに居てくれた。ぼくが欲しいだけくれた。
 もう、それも終わるんだ。
 きみの苦しみがぼくの幸せではないことに、さっき、やっと、気付いたよ。

 さようならを言った後、ぼくはきみの部屋を出て、雨が降っていることに気が付いた。こんな土曜日の明るい朝に、ぼくはかなしい気持ちで雨を見た。
 白い線のような雨。まっすぐ上から降り注いで、ぼくの顔を濡らしている。
 緑の公園を通り過ぎ、ぼくの目にはいつも見ているケヤキの大木がよぎったはずだけど、雨だけを見ていた。
 この道は好きだったけど、もう歩くこともなくなってしまう。それすらも、ぼくのこころを冷たく小さく刺していく。
 きみの声が耳から消えてしまう前に、ぼくはきみを遮った。
 きみの口からさようならを聞いてはいけない。きみは最後にぼくが優しいと言ってくれたから、きみのことばをぼくの耳から消さないように、ぼくはさようならを言った。

 きみの部屋を出てから、どのくらい経ったんだろう。
 きみからさようならを聞かなくて、本当によかった。
 きみが最後にぼくに優しいと言ってくれたから、ぼくはその言葉だけを持っていられる。
 多分、来月にはもう少しぼくのころろは上向いているよ。そのときもきっと、きみが最後に言ってくれたことばが一緒にいるだろう。
 本当は、きみが本当にぼくが優しいと思ってそう言ったのではないことを知っているよ。
 本当は、あわれみだったり、あきらめだったり、そんなことばで言ったはずだよね。
 でも、ぼくはずるいので、きみ言った優しいということばだけを抱いていられるんだ。
 だって、さようならを言ったのは、ぼくなんだから。

 昨日、恋人とあの公園の前を通った。
 ケヤキの大木を見たよ。ぼくは少し多めに脈打った。
 その鼓動はきみのもの。もう姿を見ることもないけど、きみと話すこともないけど、その鼓動とあのことばはぼくのものだ。

 今日は雨が降っている。あの時みたいな雨が降っている。
 白い空に白い雨。あの時はあんなにかなしかったのに、その気持ちはどこに行ってしまったんだろう。
 ぼくの気持ちを埋めて、きみから最後にもらったことば。
 きみからもらった、たくさんのぼく。
 雨が上がったよ。

[おわり]


2009年5月24日UP





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