★おまつりにっし!・・・おむすびころりん♪人生ころりん( ̄∇ ̄;)

●父の残像



その中でも大聖寺という城下町なんですが、どうも田舎臭い町でして、あっしは今でも心底好きな町ではありやせん。

田舎臭い、と言っても田園風景は好きでやんすが、また人間も悪くはないんですが、家のことを語るうえにおいては、この地方の気質が、どうしても子供の頃から許せない部分が多過ぎたのでしょう。

★実父は、大正九年生まれですから、あっしは父の40歳の時の子供なんです。

このクソ親父は、それでも加賀市で一番剣道が強かったらしいんですが、今その父を知る方は、本当に少なくなりやして、あっしは時々、父親のことを知る方にお会いすると、矢も盾もたまらず色んな事を根掘り葉掘り訊いてしまいやす。

その方達の共通するお話と言うと、『目下の者を徹底して可愛がり』『目上や、町の名士には徹底して噛み付いた』という事でした。

ちょっと聞くと『ええカッコしい』かも知れやせんが、一様に年下の方々は、慕っておりやした。

しかしそれは外面であって、家には、少なくともあっしが知る限りにおいては、どうしようもない父親でした。

昭和28年、兄が生まれた5月頃、父は織機の部品卸からお茶の販売、その他雑貨を販売する小さなお店を始めました。

折しもその頃は農家の人たちが、景気に煽られて次々と地面を売って繊維工場を建て始めましたので、父の商売はとんとん拍子に儲かり、新しい店を建てることになりました。

そこでもう一つ事業を増やそうと家電屋さんを始めやした。
この辺の家電屋さんでは第1号と言われたお店です。

あっしが母のお腹に宿ったのがその頃でしょうか。
義理と人情溢れるあっしの父親の事です。
商売が成功するやいなや、賭博の世界に足を踏み入れやした。

毎晩、数十万というお金をばら撒いてくる訳でやんすから、経営なんてあったもんじゃないでやんす。

しかしそれでも商売は傾かなかった。
男気もあり、喧嘩はメッポウ強い。
しだいに2号さんや3号さんは増えてゆき、
商売はすべて母に任せるようになったと聞いていやす。

その内に、温泉旅館からヤクザ屋さんが出て行かないので追い出して欲しいと頼まれることがありやした。

普通だったら、そんなヤバい事を引き受けるお人はいないと思いやすが、父は色々な付き合いもあり、その筋の方と交渉をして、ヤクザ屋さんに出て行ってもらうことに成功しやした。

しかし、あっしの父は裏切られやした。
温泉旅館の女将さんが払った立ち退き料が『恐喝(きょうかつ)』と判断され、父はしょっ引かれやした。

・・・何ヵ月刑務所に居たのかは母から詳しく聞いていやせんが、その間にあっしが生まれたようでやんす。

あっしの兄はその頃小学1年生、姉は4歳でした。
それまでの裕福な生活と信用は、ガタガタと崩れてナクナリやした。

…畜生、もう少し早く生まれていたらなあ。。と思ったこともありやすが(笑)

そんな事より、母の苦労は並大抵のものではなかったと思いやす。

あっしの母は、そんな目に遭っていやすから、電気の事も大工仕事も何でも出来やした。

今考えても、本当に偉大な母でやんす。

父も、出所してから様々な仕事に関わりやしたが、所詮 口八丁手八丁しか出来ない。
転職の繰り返し。。。家にはほとんど帰ってこない。

母がパチンコ屋さんに勤めるようになったのは、あっしが5歳になった頃でやんす。

それまでは、乳も出ない母にとって、あっしは重荷でして、しばらくの間、知人の所に預けられやした。
いわゆる乳母と言うんでしょうか。
実はここの所の記憶がほとんど無いんです。


★母が、家に帰ってくるのは午後10時過ぎでやんすから、晩ご飯を作るのは当然自分たち兄弟で、
兄がリーダーになって指揮を取り、姉とあっしが料理を作りやした。

・・・といっても、大きな中華鍋にラーメンを入れて分け合って食べたり、ハンバーグだけとか、お味噌汁がオカズ、なんて事はしょっちゅうでした。

・・・ある時は、キッコーマンの醤油びんにウジが湧いてるのも知らずにトコロテンに醤油をぶっ掛けて
食べ終わってから気が付いて、全員吐き出した、なんて事もありやした(汚くてすみませんm(__)m)

ただ、兄弟3人が毎日力を合わせて生きていた事は、あっしには何物にも変えられない貴重な人生経験でした。

そして母の愛。。。
小1の時、『小学1年生』の付録に【ウメ星デンカ】の貯金箱というのが堪らなく欲しくて、初めてオネダリしやした。

そしたら『テストで100点採ったら買ってあげる』と言われて、あっしは頑張りやした。

見事100点を採った答案を パチンコ屋さんまで持って行きやした。

当時のパチンコの台は裏と表の間に人が入っていて、玉の流れを見たり、補充をしたりしていやしたが、母もまたそんな中で仕事をしていやした(*^_^*)

今は亡くなった方かも知れやせんが、パチンコ大将軍チェーンの基を作られた方が、当時の経営者で、優しい方でした。

あっしが、母を呼ぼうとそのオジサンにお願いしたら、
『ボク!ちょっと待っててね。』と言って、板チョコをた~くさんくれやした(●^o^●)

たくさんあるパチンコ台の列の何処にいるかわからない。
あっしは、オロオロしながら母を待ちやした。

・・・手には100点満点の答案用紙。小さい手にぎゅっと握りしめて、あっしはひたすら待ちやした。

突然、母が目隠しをして来やした。
だって、母ちゃんの手だって、すぐに判りやすよ!
お小遣いを貰って、あっしは一目散に本屋さんへ走りやした。

・・・しかし『ウメ星デンカ』は、もうそこには有りやせんでした。
_____

そうだ、あっしが小学1年の頃は、ビートルズで大騒ぎし、グループサウンズや、加山雄三の曲が流れまくっていたんでやんすが、7歳年上の兄、4歳上の姉がいたから、リアルタイムで毎日レコードを聞いたり、3人で歌っていやしたね。

兄貴がギターを弾いて、あっしがボーカルになって、ジュリー(ザ・タイガース)の『君だけに愛を』をね♪

キッコーマンの醤油びんをマイクに(…ってのは嘘!!)(笑)

『OH~プリ~ズ!OH~プリ~ズ!僕のハートを~♪

  君にあげ~た~い~♪・・・・』

 ・・・なんて、良くやりやしたよ(●^o^●)

(つづく・・・)

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