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金曜日の午後、月に一回だけある 「聖書の深読会」 に行ってきました。
開いてくださっているのは 阿南慈子 さんの本づくりを一緒にやった時からの友人であるシスターFさんです。友人というよりは尊敬する先輩の一人という方が、当たっているでしょう。
彼女は聖書のことを 「神様からのラブレター」 と表現されます。長年にわたってみ言葉を勉強され、なおかつ神学的な分析だけではなく、本当の生活、日常に根づいたところに視点をおいて、み言葉を読まれるから、こんな言葉が生まれてくるのだと思います。
2月22日に初めて参加した時のことをブログでも紹介していますが、ここは誰かに教えていただく場ではありません。
自分でみ言葉を読み、30分ほど黙想して、思ったこと感じたことを皆さんにお伝えするという場です。
実は私は聖書の言葉に慣れていません。
独特の言い回しがあるというか、ちょっと命令調というか、なかなか馴染めないのです。
こんな信者もいるんだと知って仰天される方のいらっしゃるでしょうが、幼児洗礼から長~~い時間を教会と共に繋がっているにもかかわらず、聖書の文言は全然覚えられていませんし、それどころか、日曜のミサ(礼拝)とこうした集まりで読む以外はほとんど開く機会を持ったことがない人です。
だから 「聖書は神様からのラブレター」
とおっしゃるシスターに憧れて
この「深読会」にも参加しているのですが、そのまま読んでもラブレターのように神様の 愛の温かさや深さは
私にはなかなか響いてきません。
それで30分の黙想の間に、なんとか自分でも消化できる形にこの言葉を変えることができないか、と考えるわけです。
この日は復活の場面の後(ヨハネ14・15~21)のみ言葉でした。
たとえば19節 「私が生きているので、あなたも生きることになる。」
う~んと考えて、こうしました。
あなたが私のことを忘れ去ってしまったら、あなたの肉体は生きていても心は死んだも同然です。
21節 「私の掟を受け入れ、それを守る人は、私を愛するものである。私を愛する人は、私の父に愛される。私もその人を愛して、その人に私自身を現す」
隣人を愛することができる人は、私を愛する人、つまりあなたの隣人こそ私です。好きな人も嫌いな人もどうか愛してください。そうすればあなたは神から愛され、人はあなたの中に本当の愛を見つけることができるのです。
実はカナダにいた時、英語の聖書を開いて驚きました。とても親しみのある言葉で書いてあったからです。
御父は ただのFather 、 Dad でもいいんだよ!だって
これなら Love letter
になるかも![]()
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