いつか全て捨てようと思って暮らしてます

いつか全て捨てようと思って暮らしてます

その捌

『きもの日和』宇野千代 藤森武(撮影)2003年4月10日世界文化社

宇野千代といえば桜。
長生きしたから気がつきませんが彼女は明治の女性ですから、着物が基本。
文字通り普段着の着物やご自分でデザインした訪問着などを彼女ののこした文章とともに紹介している、贅沢なつくりの本。
本当に桜柄の着物がたくさんあります。
若い時の写真も何枚もありまして、これが、美人!
だてに尾崎士郎や東郷青児や北原武夫と結婚しておりませんね。昭和四年に伊香保温泉で川端康成他大勢と撮った写真があるんですが(宇野千代三十二歳)、彼女の周りだけオーラが違います。超かっこいい。タッパがあるのでまた目立つんですよ。
なまじ長生きすると晩年のお姿ばかりが流通して「私は死なない気がする」なんて言い出した時はついにボケたか…などと思ったものですが、いや、見直しました。
「おしゃれは文明人としての義務」「身を整えることは心を整えること」なんて、女の先輩として頭が下がります。
うらむべくは再録された文章の初出年月日などの情報が全く無いこと。研究書じゃないから良いと思ったのかもしれないが、長く文章書いてる人なんだからこれはちょっと不親切だと思う。
“最近の着物の傾向は…”っていつだよ?(笑)

『白洲正子の着物』白洲正子 八木健司 牧山桂子 青柳恵介 2002年9月20日新潮社

宇野千代さんは柔らかものが多かったけれど、白洲正子さんは、圧倒的に紬(しかも作家もの。作家先生てな呼び方を白洲正子は嫌いましたが、さりとて作家様としか呼びようの無い人たちの着物着てるんですもの)。
彼女の愛用していた着物を、着用写真と一緒に紹介して、お嬢さんの牧山桂子さんと銀座八木の店長八木健二氏が解説を入れる、これまた贅沢な一冊。
織りの着物に金糸の入った帯しめて晴れの席に…なんて、林真理子が今なお語り継ぐ“着物着始めの頃やらかした大失敗”も、白洲正子がやれば「紬というと普通、普段着ですが…格の高い帯をあわせることで、ちょっとあらたまった感じを出しておられるのではないでしょうか」といわれます。
刺子の羽織に田島隆夫や柳悦博の紬…贅沢過ぎます。しかも着物だけ見ても色も地味で模様もぼんやりしてたいして良いものに見えないんですよっ?!なんか“ばぁちゃんの着物”って感じなんです。
なのに。
なのに白洲正子が着ている写真を見ると、めちゃめちゃかっこいいんですってば!!対丈に半幅帯なんて組み合わせも多かった彼女はお顔もどちらかといえば男らしくて、いや、だからこそなのかもですが、シンプルでものの良い紬が本当によく似合う。
自分の個性と魅力を知る人にはかないませんな。
抜粋文の原典が巻末にまとめられてあります。こういうところも気を抜いていませんね。

『檀流きものみち』檀ふみ 2001年9月30日初版2001年11月20日第二刷 世界文化社 

つくりも中身も写真も着手も品の良い極上の着物本。
日本各地に存在する染め、織りの産地をたずね、作家に会い、職人さんの工房をまわり、その手仕事の技と心を愛おしむ。
材料が手にはいらないから/後継ぎがいないから/着手がいないから/消えていく着物たち。
気が遠くなるような行程を経て、年間十反も生産されない着物たち。
なんだかもうトキの悲劇を見るような、既に産業としては終わっているのに余命の続くだけ生きているとでもいうような、未来に続かないイキモノをいとおしんでめでる手触りがあって、せつなくなってしまう本。
値段は一切出ないけど絶対常識的な値段じゃないってことだけはわかる天然記念物な着物は、悲しいくらい綺麗です。
たとえば、普段着着物が復活して、手仕事を継ぐ若手が現れたとしても、これらの着物はある種奇形的な位置から抜けではしないんじゃなかろうかって気もしてますます悲しい。
手仕事への敬意としてこれらの布が高価であることにやぶさかでは無いけれど、たとえば何百万もする普段着を身につける階級なんて、今も昔も一握りだ。
晴れ(ハレ)着としての着物は遺っても、紬・麻・木綿のような普段(ケ)使いのものが普段着として機能しなくなったら、それはもう…、なんと呼べばよいものか。

『樋口可南子のきものまわり』 清野恵里子 2002年5月29日初版2002年8月14日第六刷 集英社

樋口可南子が自前の着物でお友達の女優さんに会ったり、和菓子を買いに行ったり、京都に旅行したり、旦那の糸井重里とご飯を食べたりする風景を、著者の筆が優しく書きとめ、着物の紹介もそつなくしてくれてます。
樋口可南子の上等で上品な着物がたくさん見られます。宮古上布や八重山上布、芭蕉布に花織(はなうい)と、夏もののお着物が多く出てくるのも嬉しいところ。
紬好きらしく王道の結城、大島はもちろん、生紬や伊兵衛織なども。
お店は銀座の八木に芥川。一流どころですなぁ。
絣や格子柄の着物がたくさん出てきますが、あわせ方や着手によってここまで上品になるんだー、と感心します。
お着物好きの一角の頂点を究めてるよね、樋口可南子。

『きもの自在』鶴見和子 聞き手 藤本和子 晶文社1993年12月15日初版2001年1月30日 十一刷

学者さんだから文章が多少固いですが、毎日普段着として着物を着ていて、着物で山登りもしてしまう方なので、思想哲学を持って着物を着ているのだと教えてくれます。
まず、着物は長い目で見るととても安上がりだし、日本の気候に一番あっている。
書きもの仕事をしているから着ているものが身に添わないとやってられない(同じことを白洲正子さんの本でも見掛けました)良い物を着ていると、つくった人の魂が伝わってくる、着物は魂の依代だと言うわけです。
袖は全て元禄袖。丸みがあってかわいいスタイルです。
タイ、中国、フィリピン、インド、いろんな国の刺繍布や手織り布、もとはタペストリーやベッドカバー、テーブルクロスだった布を帯にしているんですが、これがとても良いのです。不思議と着物にマッチするし、布に力がある。
おつきあいのある職人さんと対談をしていますが、これも面白い。着物というのは、平面の状態だけでなく、身にまとって動いた時のバランスまで考えてつくらなければ駄目だと言うんですね。着物ってのは「総合芸術」だと。そういう感覚が無ければならないと。柳宗悦の民芸運動の流れをくむ思想ですね。
女性だなあと思ったのは“おしゃれをしていないと不幸になる、だから着物を着ている。洋服で同じ程度なおしゃれをしようと思うと破産するから”というくだりがあるんです。
いいぞー、ぶらぼー!


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