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〈百八つの石ころ〉 さてさて、その妙泉寺での冬休み最大のイベントは、皆で鐘突き堂に登って行う除夜の鐘突きだった。お寺にとっても、除夜の鐘突きは特別な行事であった。その大切な行事の中で、僕は重要な役をいつも任されていた。百八つの鐘を突く時に数を間違えない様にと、昼間に百八つの石ころを拾い集めて箱の中に入れておくのが僕の役目だった。 でも、そこはそれ、子供のやる事だ。きっと、かなりテキトーだったんじゃないかなと思う。僕が拾い集めた石を入れた箱を、鐘突き堂の入り口に置いておいたんだけど、誰か大人がチェックしたのかな?そんな事は、記憶に無いんだけど。 “紅白歌合戦”も終わる頃には妙泉寺の檀家の男衆も集まって来て、土間の横にある広間の大きな火鉢に手をかざしながら暖をとって、湯飲みに日本酒を注いでグイグイと美味しいそうに飲んだ。 そして、“いこい”や“しんせい”、ハイカラな人は紺色の缶に入った両切りの“ピース”を持っていた。火鉢の炭を火箸で鋏んで、くわえた煙草の先を炭に押し付けて火をつけて吸った。その姿がとても格好良くて、子供なりに憧れた。その煙草の香りは、野良仕事をする大人の逞しい男の匂いがした。 皆、優しい人達ばかりだったので、彼等の側に寄って行って話もした。膝に載せて貰った事もあっただろう。お百姓さん達の顔は酒焼けして赤く、喋ると息が酒臭かった。こんな臭い物を飲んで、何が美味しいのだろうと思ったけど、酔う程に陽気になって口数が増えて行くのが面白かったのか、側に座り込んで話をした事は良く覚えている。 僕の母親やおばあちゃん、おばちゃん達が慌ただしく檀家の人達に、野菜の煮物や海が無い山梨ではお酒のつまみに重宝された真っ赤な色をしたすだこ酢蛸を運んで行き、「あれあれ、皆さん寒い中をご苦労様なこってすね~」なんて言いながら愛想を振りまいた。 檀家の人達の中には、僕の事を取り分け可愛がってくれた前述の笠屋のおじさんもいた。彼はお百姓をやるかたわら夫婦二人三脚、竹で編んだ笠 なりわいを売って生業にしていた人だ。 広間で一杯ひっかけて身体も少し温まった頃、皆は鐘突き堂に向かった。一升瓶と酢蛸や煮物を持って。鐘突き堂に入ると、十段位の梯子っぽい階段があって、その梯子階段をよじ登る様に上がって鐘を吊るしてある所へ。 その当時の田富町には、殆ど二階建ての家は無かった。田富町(中央市)も、今ではコンビニやファーストフードのお店が町中に溢れて便利になったな。だけどあの頃は不便な事で、物の有り難みを知る事が出来たし、何ともスローペースな、ゆっくりゆったりとした暮しぶりだった。 お百姓さんの家は、どれも大きな平屋だった。二階建ての家はとっても少なかった…無かったかも。昼間だったら鐘突き堂に登れば、釜無川の土手も、その先の南アルプスの山並も、それこそ甲府盆地全域を見渡せる感じだった。 鐘突き堂の上から見た夜景はどんなものだったのかな、、。今となっては、おぼろげにしか思い出せない。民家の窓明かりや、県道を行く車のライトが見えるくらいで、後は漆黒の闇。光と影がはっきりとしていた。 鐘を突く時の灯りは、土間や広間の電気の灯りが頼りだった。土間や広間の電気を全部つけて、硝子戸を全部開け放った。それだけで、充分に明るかった。 時計の針が十二時になると、除夜の鐘突きが始った。昼間に僕が拾い集めておいた石を、鐘を突く度に鐘突き堂の下の地面に捨てていった。そうして、途中位になると僕も笠屋のおじさんに抱き上げて貰って鐘を突いた。大きなお寺だったからかな、鐘も大きくて、鐘を突く木の棒もかなり大きかったので威圧感もあった。鐘の真下は梯子で上がる為の穴が開いていて、何だか落ちそうで恐かった。度胸試しみたいな感じで、胸がドキドキした。 それにしても、僕が拾った石の数も当てにならなかったかも。回数を間違うなんて事もあったのではないだろうか。一度位はあったかも知れないな。拾った百八つの石を鐘を一つ突く度に、鐘突き堂の上から地面に落していった。 その内に、テキトーに拾った石の数が心配になって来る。「あれ?数あってたっけ?でも、まあいいか、、黙っていよう」と心の中でちょっと不安になった事を、今でも良く覚えているのだから。でも、必ず誰かがチェックしていたかも?もう、今では闇の中。 檀家の人達の中には“紅白歌合戦”を見終わって、“行く年来る年”を見ながら風呂にでも入りながら「一つ、二つ」って勘定をしていた人達も居たかも知れない。「あれ、百八つじゃないぞ、一つ多いぞ!」なんて事もあったかも。でも、苦情が来た話しを聞いた事もなかったな。 もし、間違っていた事を気づいた人がいたとしても、誰も気にしなかったのかも。都会も田舎も、まだ日本中の時間がゆっくりと流れていて、大らかな時代だったんだろうな。それに、鐘を突く人は何人もいたから、その中にはしっかり最初から勘定している人も居ただろうな、、、。うん?でも、大人の男達は全員、酔っ払っていた事も確かだ。のんびりした時代だった。 大人になってしまった最近では、除夜の鐘を聞いても何の感慨も無い。あんなに楽しかった年越しは、もう二度とやって来ないのかな。もしそうだとしたら、寂しい限りだな。ゴ~ン、ゴ~ン、Long gone.... 笠屋のおじさん達が酒のつまみに食べていた真っ赤な酢蛸を、母親が何処かで見つけると必ず買い込んで来る。僕はその真っ赤な酢蛸を食べる時、いつも妙泉寺での鐘突きの事を思い出す。 PS この音楽少年成長日記《幸せは鐘の音とともに》を書いたのは、 Always三丁目の夕日が放映される数年前ですよ。 北條宏泰
2012年04月10日
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さあ今日のAVENUEは、H・ひろやすさんの音楽少年成長日記を紹介するよ。《幸せは鐘の音とともに》とかいうのがタイトルだ(^◇^) (・・・はと、除夜の鐘って知ってるの、とマメニュー編集長が聞いた。) ・・・あたりきしゃりき!はとのまめでっぽう! ――じんぐるべえ、じんぐるべえ、つつがはるう♪ はと、それ根本的になにかまちがえてるよ(p_-) 今日のはとの一言「すだこは、はともうまいかとおもう」 (^◇^) 「みんな、今年もまんとひひになれるといいな」 ・・・何が言いたいの、はと(p_-) ――さあ、みんなも、ひろやすさんの所へ行こう・・ところで・・・ はと、すだこたべないなあ(^◇^) ・・・はと、宣伝よりも食い気なのかい、おお(p_-) ・・・みんなも懐かしい子供時代にかえりましょう・・・北條宏泰の音楽レビュー大興奮!!<妙泉寺の年越し> 子供の頃、学校が休みに入ると母親の故郷の山梨で過ごした。母の実家は、甲府駅から車で20分ほどの田富町にある妙泉寺という大きなお寺。冬休みも妙泉寺に行って年を越した。 田富町は甲府盆地の真ん中辺りにある町で、今は隣接する村や町と対等合併になって中央市と呼ばれるようになった。夏は蒸し暑く、冬はとっても寒い所だ。盆地特有の寒暖の激しい気候の中で、甲府盆地の人達は暮らしていた。 お寺は天井が高くて夏はお寺の中に入ると涼しくて良かったんだけど、逆にその天井が高いというのが冬になると凄く寒かったりした。アルミサッシなんて物は無かった。木の枠にガラスを埋め込んだ硝子戸だったから、ぴっしり閉め切っても何処からともなくすきま風がピュ~ピュ~と吹き込んで来た。北風大王様のお通りだ。 ふすま その上に石油ストーブさえ少ししか無かったのだから、障子や襖をどんなに締め切っても余り温かくならなかった。天井は高いし、一つ一つの部屋は広いし。かなり寒かったと思う。でも、子供は風の子だったのか知れない。そんな事、僕には大して気にならなかった。 こたつ 暖房機具は、火鉢と炬燵だけ。火鉢も炬燵も炭を使って温めた。大きな火鉢三つ、炬燵が三つ。炬燵は掘り炬燵が二つに、普通の炬燵が一つ。それ等は居間や広間や離れに置いてあった。それから、手焙り(てあぶり)と呼ばれていた小さな火鉢が十個位あって、土間や台所などの人がよく集まる場所に点在して置かれてあった。 背中を丸めて両手をこすりながら、拭き掃除を終えた後のかじかんだ手を廊下に置いてあった手焙りにかざして温めていたおばあちゃんの姿。「おお~さむさむ~!」って声を出しながら、炬燵に滑り込んで炭火の熱が全身に回って温まるまで、しばらく目を瞑っていた若かりし頃の叔父や叔母の姿が昨日の事の様に思い出される。 鐘突きの話以外にも、冬休みの妙泉寺での楽しみを思い出した。お寺には母親の八人兄弟の末娘のおばちゃんが、特に可愛がっていた真っ白な飼い猫がいた。真っ白でフワフワな“ルル”と言う名の大きな雄猫だった。 でも、僕がお寺に居た冬休みの一週間位は、彼にとっては最悪な時間だったと思う。余りに僕がルルを追いかけ回して抱き上げて頬にすりすりするものだから、嫌がって終いには僕がお寺に居る時期には餌を食べる時以外はお寺に寄り付かない始末だった。 それでも諦め切れずに「ルルゥ~!ルルゥ~!!」って大きな声を出しながら、家の中や境内や裏の竹やぶをルルの姿を追い求め探し回った。 その内に、僕が冬休みに妙泉寺に来る頃には、暫く姿を消す様になってしまったみたいだ。猫の体内には、何か気配を察知するような仕組みがあるのかな。「宏やっちゃんが来る頃になると、不思議に家に寄り付かなくなっちゃうんだよね~。そんな事、何で分るのだろうかね~?」と、まだ中学生か高校生くらいだった叔母もしきりに不思議がった。 妙泉寺には、書生さんやお弟子さんが常時数人住み込みで暮らしていた。大晦日になるとお弟子さんの中の一人が、自転車に乗って甲府まで年越し蕎麦を買いに行った。 今の人達なら、ちょっと考えられない事だった。当時の自転車は、大きくて車体も相当に重かった。そんな自転車で、甲府まで往復したなんて信じられない。特に帰り道は、切り溜(長方形の木の箱)に蕎麦二十人前を入れて、それを荷台にロープでくくり付けて運んで帰って来た。 一升瓶に蕎麦汁を入れて、それも一緒に運んで来た。蕎麦はお店に着いてから「何人前を下さい!」と言うと、その場で茹でてくれたそうだ。妙泉寺に戻って来る頃には、切り溜に入った蕎麦は全部凍っていたそうだ。昔の山梨の冬が、どれほどに寒かった分るエピソードだ。 僕の母親には、姉妹が三人いる。その中で母の直ぐ下の次女である叔母ちゃんは、無類の蕎麦好き。彼女は運んで来たばかりの凍った蕎麦を夜まで待切れず、皆に隠れて先に食べたそうだ。凍った蕎麦もお汁につけると溶けて、それを皆に見つからない内に大急ぎで食べたそうだ。きっと、ばれて兄弟喧嘩も起きただろう。食い物の恨みは恐ろしいのだ。 年越し蕎麦の具は、茹でこぼしたほうれん草に食べやすく小さく切って甘辛く煮付けた鶏肉。そこに、ねぎを入れて食べた。僕のおぼろげな記憶の中で、その鶏肉や野菜の美味しかった事。味覚、、味の記憶。妙泉寺の境内の端っこに作られた畑から野菜は取って来て、鶏肉は裏庭の鳥小屋から一羽出して来て檀家の笠屋のおじさんが絞めてさばいてくれたりした時代。流石に真冬だから、ほうれん草は何処かから買ってきた物だったんだろう。 今だったら有機栽培だ地鶏だなんて言われて、結構なお値段になりそうだな。でも、一番の御馳走は、皆の笑い声喋り声だった。大勢で食べる年越し蕎麦は、どんな物にも代え難い特別な味がした。
2012年04月10日
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南京事件を知らないボウヤ達、コムスメ達、はとだよ(^◇^) ・・・はと、わかるの?(と、マメニュー編集長が聞いた) ・・・はと、レベルダウンした。意識朦朧としてきた。 ・・・はと、ちらっと眼をそらした。KAMOME教授を探し始めた。 ・・・はと、寝たふりを始めた。ぐおおお、とかわざとらしいいびき声あげはじめた。 「楽しいだけじゃいけないよ」とKAMOME教授、はとを諭した。 「今日は楽天ブログで『中国写真ライフ』のPhoto USMさんだよ。」 と、はと、KAMOME教授に言った。 あばれる~(=。◇°;=)~ 「・・・南京事件と言ってもこれは、南京大虐殺のことです。ただ、日中関係を考える上で、(と言えば外交のことだが、)そこまで話を大きくしなくとも、私が会社にいる中国人と付き合う上で、非常に厄介な問題の一つだ。もちろん、私が彼等に危害を加えるかと言えば、ノーだ。逆に彼等が私に危害を加えるか、・・もちろん、ノーだ。しかし歴史というのは、常に蓄積され、時と場合によってはしこりとなって、人間関係を悪くする。もちろん、私は彼等・・若い中国人たちが、いまでもそれを引きずっているわけではない、ということを知っている。しかしそれでも、触れることを躊躇われる。北方領土、竹島、尖閣諸島と同じく、国や、立場や、あるいは議論する人によっては答えは黒にも白にも変わるのに似ている。何しろ歴史的資料が乏しく、被害者数がドイツ大使館やイギリス大使館など、報告する大使館によって被害者数が6万人から50人以下まで報告の内容がまちまちであり、全て伝聞の情報を元にした数字であることも、こういう不毛な議論を生んでいる。歴史を研究するのは、悪いことではない。歴史は常に曖昧なものであり、それは後世において飛躍や揣摩臆測を生む。数字が重要なのではない。真実は、もっと別の所にある。無論、被害者数から大虐殺を問うのは不毛だ。仮に一人しか死んでいなくても、これは南京大虐殺なのである。何故なら、それが起こったということに、日本人がいま、考えねばならぬことがある。結論から言えば、タブーにせよとは言わない。(たとえ、私が同僚である中国人に、口を噤むことがあろうとも、だ)・・いまでもそのことを知る、あるいはその話を聞いて育てられた中国人に遺恨を残した、この事件は、戦争というものが、いかに無益であるかを想うためのものだ。沖縄米兵少女暴行事件を君も想いたまえ。実際に、私と当事者と、また時間の関係上、温度差は生まれる。しかしそれがあったということを認め、そこで譲歩しなくてはならない。起こりうることならば、絶対に二度と起こしてはならない。しかし、もちろん、そのような事件が今後起こることはない・・日本人においては、南京大虐殺を過去の事件とするのもやむをえないことなのかも知れないが、麻痺というより、良識の摩耗。差別。・・こういうことを、深く理解することで、本当に世界経済の矛盾や、お金に対する価値観の急騰が見えてくるでしょう。国際社会に立つ日本人として、あなたの理性や、和、・・本当に知らねばならないこと、学ばねばならぬことがあるはずです。Photo USMさんの写真は非常に貴重です。ジャーナリズムの基本はまず、見ることではないでしょうか? 考えるよりもまず、見る――市民への暴行があった、殺傷があった、略奪があった、レ イプがあった。家屋が燃やされた・・見ることが、真実へとあなたを導くはずです。日本軍将兵の従軍日記や回想録を読むのもいいですが、人は、同じ場所に立たない限り、同じ景色を見れないものです。なんにせよ、私は三好達治や、高村光太郎をこんな時に考えるのです。あれ程聡明であった両者が、戦争に加担した。しかしプロレタリアが正しかったわけではない。革命がよいのではない。・・いやいや、人が沢山死んでしまったということを考える時、私はそこにいない、ということをよく考えるのです。私はそこにいない。それでも、私はそこにいたい。歴史に含まれなくても、だ。多くの日本人でそうであることを、私は願ってやまない。」 今日のはとの一言「日本人はもっとマメを食べるべき」 大量殺戮兵器舌鋒のKAMOME教授ありがとうござんした(^◇^) ・・・これであっしも豆が食えやす。ふひひ、豆のストック、1、2、3! でも、・・カモちゃん、カモちゃん、日本人・・日本人って何なのかなあ・・。 ・・・はと、馬鹿だから難しいことはわからないよ。 (^◇^) 「みんな幸せになるといいなあ」 ・・・扉をあけると、平和のはとが出てきます。最終更新日時 2012/03/26 7:45:22 PM「南京事件13」 「中国写真ライフ」では、江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。上の写真は南京大虐殺を描写した油絵であるがリアルさを超えて実に奇妙な油絵である。旧日本皇軍の二人の将校が腕組みをして仁王立ちしている姿を描いたのは旧日本軍の兵士が如何に残忍だったと印象付けたいからだ。多くの中国人は、この油絵を見て日本人の残虐さを確信しただろうし、日本鬼子と呼ぶに相応しい絵に仕上げられているが、もし私がその場に居たのなら、直視は出来ないと思う。
2012年03月27日
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今回紹介するのは、謎の福島さん(^◇^)この謎が、はとなのだよ。はとには謎なので、KAMOME教授にお任せします。あばれる~(=。◇°;=)~ 以下KAMOME教授喋る。 「インディペンデントな模索、・・文中を読む限りでは、福島氏はマイナス面を強く説かれているが、こういう生き方はX感覚・・既存のものの見方から離脱し、状況を一変させる革命的な思考の顕れです。もちろん、リスクはありますが、たびたび詩誌AVENUEで紹介される大衆文藝ムジカの主催者である葛原氏(文明開化、より集合的な知によるサブカルチャーを表舞台へと引っ張り出すところの前衛、また葛原氏の構想によれば、アマゾンに似た販売スペースを作るなど、独力での全拡大、いままで市場に分化していたものを一つにまとめるところの発想→消費に対する強力な需要を生むシステムの開発)、あるいは若手芸術家集団イーゼル竹下氏(ビジネスと音楽の融合。地域密着型の構想はとても先鋭的。既存の枠組みから、お金を得る方法はない、――これはCDが売れなくなり、you tube、あるいはMD、CD/Rなどによって売上がどんどん減っていく現象から、ライブパフォーマンス型のアーティストが増加していくのに似ています。)・・と同じく、この意識というのは、ダダイズムの影響をうけたマルセル・デュシャンは、便器を逆さに展示して“噴水”と名付けるようなものです。・・これはフルタイムで働き、隙間時間に勉強!勉強!忙しい生き方、息継ぎせずに潜水、といったことに対する疑問から出発していると思います。人類というのは、よりよい生き方、生活をするために絶えず模索する生き物です。・・集合的な芸術は体制と闘う最も有効的な手段です。何故なら、体制というのは、たとえば映画がいくつもの段階を経て、映画を観る、という言葉になっているように、そこに制約なり、金銭的な問題、また労力が必要になるからです。そこで、才能は、ジャンルを統合します。あるいは、今までの状況を見直します。そしてそれを、トフラーの造語であるテクノレベルズ・・日本語に訳すなら、技術に対する反逆者たち、とするのなら、そうでしょう。ただもちろん、それに対するリスクは、すべて自分たちが行わなければならず、失敗すれば目も当てられないことを意味します。正常な社会参加型意欲を、いままでにない新しい発想、創造的分野に託するということは、滑稽でもあります。ここが三者に見られる否定的な意見でもあります。わたしKAMOME教授としても、同じ意見です。餅は餅屋です。ですが、それなら今までの在り方を変えようと言う時、彼等はそのプログラムされた機能を再び作りかえ、新しい状況に参加できるかといえば、彼等には出来ません。彼等には生活があるからです。つまり、湧きあがるような情熱がありません。ここにおいて彼等はブランドの別の見方を知らず、ある計算された設計のもと、堕落している、と言えます。この堕落がもたらすものは、職業としての洗練化です。同時に、打たれ弱く、既存のものに甘えようとする負け犬根性のなせるわざであり、これは新しい物事を始められない才覚のなさ、臆病さによって自分の可能性を潰している、とも言えるでしょう。名門大学を出ながら、アルコール中毒、ジャンキーになるとでも言えばよいのでしょうか。我が国の文化がいかに低レベルかということを、福島氏のような方は、身を持って証明されることになるでしょう。後は、これでイーゼルの竹下氏のように飯を食っていれば・・いろいろ課題はあるようですが、誰にも文句は言われない、ということです。組織に歯向かうのは古代の神秘思想、キリスト教が潰していった様々な新興宗教さながらとも言えるでしょう。これにおいては、エジソンを紹介してもよいでしょう。ともあれ、時代が殺伐とすればするほど、こういう人達が増加し、より活性化していくことは時代に新しいエネルギーを作るという意味での、まだ小さな、しかしもっとも勇気のある決断であるとわたしは思います。」 今日のはとの一言「はとは愛されているので、平和です」 馬鹿は死ね、というKAMOME教授ありがとうございました。 おかげさまで、はとは、塚元さんと、いずちゃんから豆を貰えます。 ・・・はと、馬鹿だから難しいことはわからないよ。 (^◇^)【雑記の雑記】 by Kaoru Fukushima 福島 馨初めてこういうのを書きます。ものを作るときにどんなことを考えるか、みたいなことも書くけれどまず最初にちゃんと言っておかないといけませんがぼくは有名人でもなければ、業界人でもありません。でも夢やぶれた人でもないです。そういうのになるつもりがなかったので、そういう努力をしなかったのです。理由は仕事にすると大変そうだからです。あと、好きなことを好きなように1から10までやりたいからです。仕事にしたことはありますが、やっぱり好きになれなくて辞めてしまいました。というわけで、あくまでも趣味でやっているのであまりぼくから得られるものはないかもですが、そういう人もいるんだなって思って読んでもらったらいいのかと思います。それでぼくは文章も書くし、音楽も作って、絵も描いて、演劇もやってて写真撮ってデザインもしますし、映像も撮影・編集、最近では脚本を書いて映画にも挑戦し始めています。全部自己流なので、専門語とか機材のことは一切知りません。それでもやれば誰でもそういうものはできる、ということですがぼくにとってはスノボできる人の方がよっぽどすごいと思うのですがそういう人も同じように「やればできる」と言うので同じような感じと思います。いろいろ作るぼくですが、作品にするときは、自分の中にテーマがありましてたとえば「新緑」とか「切ない」とかなんでもいいのですけれどそれを文字なのか写真なのか音楽なのか、いろいろとどのやり方にしてそのテーマを外に出すかを考えます。写真なら新緑の木を撮るとそのままですが音にしようと思うと、表現がすっかり変わります。「新緑」ぽい音なんてよくわからないからです。でもあえてそれでも曲にしようと突き詰めればなんだか普通じゃない音楽ができるときがあって、逆に「切ない」のは言葉や音楽でやると簡単だけれどそれが他の別な表現やると、(まだ作ったことはないけど)彫刻とかでやったとしたらこれで切なさをどう伝えるか…なので、そうしたテーマに最適なものを選んでるうちに使うメディアや手法も増えてしまったのです。だから、もし仕事にしてしまうと、もっといろんなやり方ができるのに映像作家だとしたなら、どれのこれのテーマでも全部映像でやらないといけなくってデザイナーだとどんなテーマでも一瞬で伝わらないといけないものにしないといけなくぜったいお金になるほどの出来でないとだめなわけです。あと、限定職業になるとプロジェクトの一部しかできないのもぼくは消化不良で写真家になって写真撮るだけでは、あとは別のデザイナーに修正したりされて要は自分の思い入れのないものを作ってしまうのがいやでその時間がもったいなく感じてしまう、などというわがままさなのでお給料にすることはあきらめて好きなことをしよう、と思ったのですね。とはいえ、プロになる根性やねばりがなかった自分を肯定することはできませんので自分にはひとつの方法で貫く力量もプライドもなかったというのが実際のところです。そういう雑記でした。クリエイターの方々はぼくを「フーン」と思って、(でも時々ぼくが作ったものも見たり聞いたりしてくれるとありがたいですが)ぜひこれからも自分の道をがんばってほしいと思います。おわり[Poetry Reading Music]"今はもう聞こえない君の言葉は、笑い声だけ残して、色あせた"『IHONO|ジカンヒョウ (Jikanhyo)』http://www.myspace.com/ihono/music/songs/jikanhyou-28465463詩/斉木直樹 音楽/福島 馨【福島 馨さんのプロフィール】 ツウィッターより引用IHONOというグループで自由なアート活動してます。オリジナルで『詩の朗読』の音楽を作ってます。音楽担当。/劇団顔交換にも所属。 I create Art & Music in the indies group named IHONO. Original Works【Poetry Reading Music】. http://www.interq.or.jp/japan/ihono/
2012年03月14日
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自由律俳句:葛原りょうさん 写真詩:塚元寛一さん(Kamome studio) 写真素材:足成 【ダウンロード禁止】 さあ今日もみんな、飴玉ほしいかな、煎餅がいいかな、それとも、 何か違うお菓子がいいかなあ、はいはい、紙芝居始まるよ。 今日はジェントル葛原さん(^◇^) ・・・またの名を、マイケル葛原さん(オイ、はとさん、誰だよその人) はと:ンもうやだわ、知ってるのに、いけずね、おほほ、おほほ。 ジェントルという国で、マイケルと言えば、ムーンウォーク! あ、きさま宣伝もせずに、何ぶつくさ、やってやがる(-"-) ***みなさん、悪い冗談はやめましょう*** K原りょう:それにしても、どうしてこんなところに俺の日記が・・ T元寛一:何故だ・・何故はとがこんな勝手なマネを! N井ますみ:はと、公園行かなくていいの(?) マメール編集長:はとが、餌欲しさに働いてる!餓えてるのだわ! マ○チ売りの少女:ああ、おなか減ったなあ、かったりーなー(?) 小公女セ○ラ:はとさん催眠術かけたいから、こっちへおいで(?) 大詩人ユ○ーの魂:はと、汝に「?」を送りたい。 大詩人ボード○ールの魂:はと・・、それは巴里の憂鬱・・・。 色々な人に圧倒的支持をうけ、ついにキャラクターや、 歴史的有名人の自作自演もここまできました(^◇^) ありがとう、K原さん、ありがとうマメール編集長のIさん、 たくさんのご支援により、ついに、はとは大富豪になりました! 感謝感激マメ嵐、出血大サービスでお送りしております。 豆:ああ、はとに食べられたい(?) ハンバーガー:ああ、はとに啄ばまれたい(?) 大福:ああ、はとじゃないと嫌な色白!(?) ・・・サアサ始まるよ、始まるよ、 ぼうやたち、在りし日のガール達! 一味もふた味もちがうはとが皆さんに愛の応援団(^◇^) 元気元気!はとは元気!はとが元気で飯もうまい!(?) ――こちらがタイトルです。「不眠不休 2012-03-05 01:42:52 」 「ここからが本文です」 (わかってます、とT元さんが言った。) (でも仕事なのらよ、と目にピーっと線を入れた、はとが言った) 【はとの今日のひとこと:はとははとでなくなったら、ただのはとさ】 (^◇^) 名前:ぴえーる・ど・はと 年齢:3歳(注、みっちゅ、と読む) 好きな仕事:羽根つくろい電気を消して、パソコンだけぼんやり灯している夜が続いている。さて、呼吸は大丈夫だろうか?わたくしはちゃんと目を開けて前を見据えているだろうか?昔から自分の相手は自分しかなくて、対話の相手は自分であって……幸せならば君は詩を書かなかった、とよく言われるたびに、詩を書くことがすでに無限の幸せであって、卵が先か、鶏が先かは、自分は無関心であった。ような気がする。ライヴが重なり、執筆の力が衰えたいま、もう一度書くには泉のように自然に湧き上がるのを待つのには時が追いつかない。最近、ワンピースも観ていないなwメンバーの会話に合わせるために昨年の暮れから第1話を観だして、げんざい、確か512話! ルフィの兄貴が死んでしまって、その後の話。いや、暇じゃないんです。自分、創作を駆り立てるため頭をリセットするのにアニメが必要で、儀式です。儀式。働いてますよ。労働してます。ワンピースは凄いアニメだ。原作は部屋がこれ以上狭くなるのは耐えられないから(なにしろ6畳一間&風呂無しのアパート+猫付き)アニメなんじゃが、声優凄いのね、シャンクスは池田秀一さんだし、ルフィは田中真弓、平田広明、山口勝平、矢尾一樹、古川登志夫、山口由里子、家弓家正、入野自由とかうえだゆうじ、置鮎龍太郎、折笠富美子、塩屋浩三、関智一、茶風林が脇役だなんて。。。それにしてもガンダム率が高いな。野沢雅子さんも脇役でいました。信じられません。クリリンが主役のアニメでwこんなに年齢層の幅広い豪華キャストなアニメは存在しませんな。最初、コンテが気に食わなかったのですが、山場と山場の距離が短いのでぐいぐい引きつけられる。多少の中だるみがあったけど、主題歌多すぎだし、クレジットのアニメーションが神。作者はまだ若い。いや、うらやましいぜ。しかし最初がヒットすると創作者的に後がつらいぜ。へっへっへのへ。いや、ワンピースでそんなに語るつもりなかった。今は眼前の敵。スランプというやつ。これが問題だ。(シャアの声で)まだまだ終わらんよ。(シャアの声で)それにしても、だ。そう、今日確認したのだが、ユーチューブのムジカマジカ動画がさきほど、1000人目を突破!!……って俺が1000人目だったよ。なに、キリ番、俺?………【俳句四つ】あはゆきの言葉を肩に乗せている早春の真っ先に来る魚屋街ケイタイをパクンと閉じて冬終わる春にまだ遠い五本の指のばす
2012年03月12日
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こんにちは、愛されすぎて、あの世で罰を受ける、 はとだよ(^◇^) 今日はみんなに、エキサイティング斉藤さん(?)を紹介するよ。 斉藤さんは、ブログ集客の動画をやっている、 神奈川のIT会社のシャッチョーさんです。 知り合い? いえいえ、チガウヨー、この前、ちょっとはとが、 豆をもらおうとした経緯で(どういう経緯だ、) こういうことになりました(?) マメール編集長:おお!・・豆? K原りょう:おお!何故俺がこんなところで千年の豆まきを? 2ちゃんねるの大好物の自作自演だよ(^◇^) でも斉藤さんは本当にいます。ぜひぜひ、 その実在を確認し、皆さんも、斉藤さんを見習ってください。 せめてひとりくらいは、斉藤さんの応援おねがいします。 ・・・(ヒソヒソ 知ってるAVENUEってちっとも宣伝できていないのよ) ・・・(ヒソヒソ はとさん、豆たべてたわ。かわいいわ。すてきだわ) 斉藤さんの日記的な気軽な文章に注目!チェキダウ(^◇^) 素 顔 の 人 生 を 大 切 に(?) 素 顔 な 君 が 好 き さ(?) 「人を見習うことは、自分を知る近道です」 「他人が、あなたの最大の教師であり、あなたの鏡なら、喜びでしょう」 「あなたが豆なら、わたしは鳩でしょう(?)」 ・・・あれ? 「はじまり~ はじまり~」 (^◇^) 題名:一生勉強する 斉藤和也(さいとうかずや)です。 2月になるといつも、 中学時代のことを思い出します。 僕は中学生の時、 野球部に入っていました。 今の時期のように、 冬場は、ボールを使う練習はあまりしないで、 「筋トレ」がメインでした。 重いタイヤを、3時間以上引きずったり、 800メートルの全力疾走を何回もしたり、 学校のまわりを、20周したり。 今考えるだけでも、 吐き気がします・・。 軽いイジメですよ。 でも、しっかりと 冬に「筋トレ」をしておくと、 必ず成長が見れるんですよね。 スイングが早くなったり、 送球が早くなったり。 冬場のトレーニングは、 カナリ役に立っていたんだなーと、 いつも、春になって気づきます。 ・・・。 社会人になると、 筋力よりも、「考える力」のほうが 重要視されます。 仕事内容によっては、 筋力が必要な場合もありますが、 それでも、「考える力」はあって損しないです。 筋肉と一緒で、 脳みそも、鍛えれば鍛えるほど、 向上していきますよね。 逆に、使わないと、 ドンドン、なまっていきます。 たとえば、 テレビは、考える力が なまってしまうかと思ってます。 一方的に、 情報が伝えられて、 しかも、受動的なので、 思考が停止している。 基本的に、 テレビは頭を使わなくても、 見ることが、できてしまいます。 もっと、能動的に、 脳みそを使うことが重要になります。 たとえば本などですね。 自分で考えて、 脳みそに汗をかかせます。 考えて考えて、疲れさせます。 脳みそをいじめて、 シワを作っていくのが 大事だと思っています。 ビジネスでは、 小さな情報が 大きな結果を生み出すことが 多くあります。 小さなとっかかり、 小さな出来事を 見逃さないように、 いつも頭をフル回転させる。 だから、頭を鍛える必要がある。 じゃあ、どうすればいいか? 「自分で考える癖をつけること」です。 色んな本を読んで、 色んな情報を入れて、 自分で考えていきます。 でも、自分で考えるのって、 疲れますし、 正直めんどくさいです。 肉体的な疲れより、 よっぽどキツく感じるかも知れません。 やっぱり人は、基本的に、 「楽」をしたいですもんね。 でも成功に、楽な道なんてありません。 ただ、楽な道はないですが、 個人的には、 楽しめる道はあると思っています。 それは、 ずっと頭を鍛えていくと、 勉強が楽しくなってきます。 自分の視野が広がったりするのが、 なんとも言えない、快感になったりします。 努力が、努力と感じないようになります。 意識の違いですね。 プロ野球、元阪神タイガースの 掛布(かけふ)さんは、 「虎風荘の屋上で500回素振りしてたってのが努力の証」 といわれてますが、 掛布さんから出た言葉は、 「違います。プロなら全員が 毎晩、500回以上、素振りをしていますよ」 まさにその通りだと思います。 その状態が当たり前なんですね。 自分で考えて、 自分で行動をしていく。 その過程が 楽しく感じられるようになったら、 もう結果はすぐそこに見えているんだと思います。 斉藤和也(さいとうかずや) PS . アメブロ、ツイッター、フェイスブックなどの 秘密の活用方法を 無料で公開している、 14日間集中無料動画セミナーを行ってますので、 是非、ご覧になってみてください。 http://14.lastlanp.co.jp/lp.html PPS. ~今日の名言~ 面白がってやっているヤツと、苦労してやっているヤツと、どっちが勝つかな。 やっぱりさ面白がってやっているヤツにはかなわないんだよ。 青島幸男(作家・タレント・元東京都知事) PPPS. Facebookと、 Google+もしてますので、 よかったら、 こちらでも申請をしていただけると 嬉しいです^^ 【Facebook】 http://www.facebook.com/kazuya.lastlanp 【Google+】 https://plus.google.com/u/0/102318484573536692083/posts
2012年03月03日
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10冊89800円からの自費出版!!!「本を作る」ことは、自分の作品を残すことです。そのためには、自分の作品をどういう方法で形にしたいのかを決めます。青山ライフ出版は一般の方々の自費出版、個人出版を徹底支援します。自費出版についてのアドバイスはもちろん、費用を抑え、10冊89800円という小部数の出版もお受けします。もちろん書店に流通する自費出版にもお応えいたします。小部数から本格出版まで、プロの編集者とデザイナーの手により、クオリティの高い作品に仕上げる―それが青山ライフ出版の自費出版です。 ・・・とは、言いつつも、自費出版したことがないわあ(^◇^) ・・・はと、おまえ、何してるんだ(p_-)出版Q&Aは......... こちらから ○ワープロ専用機のデータしか残っていないのですが…。 ○手書きの原稿でも対応してくれますか? ○音声データを本にできますか? ○完全データ原稿というはどういう意味ですか? ・・・そうは言っても支払いが(^◇^) ・・・はと、いったい、おまえ、何してるんだ(p_-)お支払いについては......... こちらから ・1回払い(契約時) ・2回払い(契約時50%、校了時50%) ・3回払い(契約時40%、校了時30%、納品時30%) の中から選択できます。金利はつきません。 ・・・でも仕事ぶりを見ないことには決められないわ(^◇^) ・・・はと、なぜに、そんなこと(p_-)本づくりの現場は......... こちらから 1.原稿が送られてくる 2.文字データの整理とチェック 3.DTP作業を開始 4.表紙デザイン、タイトルの検討 5.文字組みのデザインを検討、初校、カバーが完成 6.初校が戻る 7.再校が戻る 8.完成! 9.アマゾンに登録 ・・・でもでも、10冊だけじゃなんとも言えないわ(^◇^) ・・・電子出版もやってるらしいわ(^◇^) ・・・やらせか(p_-)自費出版の価格表は........ こちらからページ・冊数 10冊 20冊 30冊 50冊 100冊24~48ページ 89,800 109,800 139,800 189,800 259,800~96ページ 119,800 139,800 175,800 229,800 309,800~144ページ 149,800 174,800 209,800 284,800 364,800~192ページ 179,800 204,800 239,800 314,800 414,800~240ページ 209,800 239,800 279,800 359,800 479,800~288ページ 239,800 274,800 309,800 409,800 529,800~336ページ 269,800 304,800 349,800 444,800 594,800 ・・・ところで、愛の讃歌が灯台にもうすぐアップされるわ(^◇^) ・・・義理か、泣かせるねえ(p_-)
2012年02月20日
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